月曜日, 12月 24, 2007

最後の3連休

3連休の最終日

22,23日は何かと家族で過ごすことが多かったけど、最後の日は山に出た。
元々後輩と一緒に箱根でも走りに行こうかと行っていたのだけど、諸般の事情で実現せず。
せっかく予定を空けていたので、1人で高尾山に行った。
4時間くらいは走りたいと思っていたので、陣馬さん往復では物足りない。

行きは高尾山口駅の南から城山湖方面に向かい、大垂水峠から急登をこらえて城山へ。そこから陣馬さん往復。陣馬山頂からは富士山も良く見え、空気が透き通ってよい眺めでした。流石に帰りは城山から高尾山経由で下山。34km実走3時間45分。
帰りは京王線で新宿経由。「最近の若い女性は皆おしゃれだなあ」、山帰りの無造作な格好の自分にとって、街行くカップルを眺めてると何気なくそう感じた。そして家に着く間際になってようやく気づいた。

「そうか、今日はクリスマスイブだ!」

水曜日, 12月 19, 2007

師走の原宿

昼間仕事関係の講習会で新宿NSビルに行った。
講習が終わったのは5時過ぎ。7時からJOAで強化委員会の予定があったので、早めの夕食をとった後、空いた時間何年ぶりに原宿の街をぶらついた。
街に来る機会はそう多くない。まだサンタもなんだか分からない娘だけど、プレゼントくらいは用意しようかな。あてもなく歩るくうちにGapが目に留まった。ちょうど手ごろな店。
幼児服売り場で無事贈り物を購入。それにしても子供服は高いなあ。布地の量なら大人服の数分の1でいいはずなのに・・・。

7時にJOAにつくと、すでに議論は白熱して始まっており、強化委員会は10時過ぎまで続いた。
何事も物事を進めていくのは大変な作業だ。会社の仕事にしろ、強化委員会にしろ、自分が何に役立てるか、どうすれば全体にとって最適な選択なのか、マネージメントの問題でもあるけれど、自分のなした結果がはたして正しかったのか、悩むことは多い。

家に着くと11時過ぎ、一瞬寒さにこのまま今日は休もうかな、と頭によぎるが、明日明後日と忘年会が続くことを思い出す。
師走は選手にとってトレーニングをつみたい時期なのに、サラリーマンとしてはいろいろ難関が多い月でもある。
今日は少しでもきちんと走ろう。意を決して着替え、冷える夜道を走り出す。
ジョグ3km/15分+ペース走5km/19分+ダウン2km/10分
合計10km/44分

日曜日, 12月 16, 2007

ゆるい週末

土曜日は午前中に北鎌倉を基点としたトレイルにトレーニング約3時間/28km

北鎌倉から瀬上市民の森の入口までは約7.5kmup280m。別にタイムを意識して走るわけではないけど、そこまでのタイムとHRがコンディションのバロメータになる。今まで45~50分かかっていたのが、この4年で最短の44分。HRは140-160でさほど高くないので、ここのところの好調はまだ維持しているよう。

午後は大分ぼさぼさになった頭をさっぱりしに、妻も通う美容院へ。
いきなり担当の人から「奥さんから(サッカーの)中田みたいな髪型というリクエストがありました」
「えっ??」
今の中田?現役時代の中田?
「・・・昔の、じゃないですか?」
いずれにしろ覚悟がいるぞ。。。。結局妻のリクエストは次回に先送り。今回は無難な長さに。

土曜日一日自由に使わせてもらった代わりに、日曜日は妻の日。千葉検見川のクロスカントリーレースに出場しにいった。娘と二人でお留守番。午前中は二子玉川の高島屋へ。
クリスマス一色の街の中で、目的は屋上庭園。緑が小奇麗に整えられていて意外と気分転換になる都会の穴場と思う。
でも北風がぴゅーぴゅー吹いていて、春には小連れの買い物客でいっぱいだった庭園も人っ子ひとりいなかった。
寒い中娘は最近覚えた「ハッパ」を連発して、あっちをひょこひょここっちをひょこひょこ。
久しぶりに飲んだスタバのキャラメルマキアートは410円なり。こんなに高かったっけ?

火曜日, 12月 11, 2007

Peterの記憶

あっ止めて!!」

妻の悲鳴交じりの声で、慌てて車道脇に止めて後ろの席を振り返った。

「あーあーあー」
妻の咄嗟のハンカチも空しく、娘はさっきサービスエリアで飲んだヨーグルトを全部吐き出していた。
「今まで車酔いなんかしたことないのに、調子悪いのかなあ」
本人はけろっとした顔をしてるが、婆に買ってもらったおませな赤い服はびしょびしょでだいなし。
もともと僕の寝坊で出発が遅かった上に予想外のピットイン。時計はそろそろ妻のスタート時刻の1時間前に近づこうとしている。妻も僕もしょうがないと思いつつも一瞬険悪なムードを感じた。

ふと昔の記憶がよみがえった。
調度10年前、当時世界チャンピオンだったノルウェーのペター・トーレセン一家が来日した時のことである。隔年のWOCの時代に3つもの個人金メダルを取ったペターは精悍な顔つきも相まって当時ノルウェーの英雄だった。日本側に招待されたトーレセン夫婦は、6歳から5ヶ月の3人の子供を連れ一家5人で年末年始の極東を旅した。当時ペターが憧れの存在だった僕は、接する機会を逃すまいと、東京でのホストを買って出たのである。
ちょうど、一家を連れて七国峠で開かれた練習会に連れて行く途中だった。同じような田舎の街道で、長男のヨルゲン君が車に酔い、ノルウェー語で泣きながら父に訴え、ついにはもどしてしまった。初めての体験だったらしく、驚きで放心状態の息子。「すまない」を繰り返しながら、車の中を拭き、道端の植え込みで息子の背中をさする父ペター。華やかなウイニングランをする世界チャンピオンである以前に父親なんだなあ、と当時何ともなく感じたのを覚えている。

閑話休題

そんな記憶が甦ると、いらいらもどこかにしぼんできた。娘の着替えも終わり、慌てて会場に向かう。駐車場につくなりスタートの早い妻は早足で会場に向かった。娘を乳母車に乗せて後を追う。

会場はウエルサンピアのプールサイドだった。
運営者に落ち度はない。99%の参加者には何の問題もない。
しかし子連れになると、まったく違う視点になるものだ。手すりもないプールサイドの会場は1歳半の娘を連れて行くにはちょっと不安な場所だった。

先についていた妻も同じことを感じていた。
「あなた、今日は走れないと思ったほうがいいかも」
今日は妻が先にスタート。僕は妻が帰ってくるか、あるいは誰か知り合いに娘を託さなくては走ることは出来ない。
この日は渋谷のメンバーもほとんど参加していなかった。あるいは仮に参加していても預けるのは難しい年頃になった。ひょこひょこ歩くようになった今、ましてやプールサイドでは、気軽に誰かに預けるわけにも行かない。預かるほうにも余計な心配、迷惑をかけてしまうだろう。

一応着替えてみたものの、正規スタートをあきらめる覚悟を自分に言い聞かせ、気長に娘と待つことにした。
先程の車内のひと騒動なんてどこへやら、娘は枯葉の山を歩いてみたり、空き缶を拾ってなめてみたり、ふらふらふらふら付近をはいかいする。
会場はやがて人の数も減り、閑散としてきた。時計を見ると11時15分、正規スタートまで30分もない。自分より遅いスタートの選手も会場を後にしはじめた。せめて12時15分のスタート閉鎖までに間に合って山を走りたいなあ、そんなことをぼんやり考えはじめた。

向こうから宮川さんが現われる。今日は役員をしているはずだ。いつものようにこちらを一直線に見て向かってくる。強化委員会の件?今はそんな気分ではないなあ、もしかしたら露骨に嫌な顔をしていたかもしれない。
「娘みててやろっか」
へっ? 思いもよらない助け舟。
「でも役員のお仕事はいいんですか」
午前中は参加者もいないし仕事はほとんどないとのこと。宮川さん自身も子育てをしながらオリエンテーリングをした経験から、僕の心の内を見透かしているようだった。調度娘は少し前から眠そうに地面に転がり始めていた。ベビーカーに乗せると幸いなことにコロっと指をくわえてまどろんだ。ここで決心。
「妻はあと30分程度で帰ってくると思います。このまま寝ると思います。食事はさっきしたばかり、おむつも大丈夫のはずです。」最低限の引継ぎ事項を述べながら、お礼を付け加え、大慌てでコンパスとEMITを握ってスタートに向かった。時計はスタートの18分前、速めジョグで行けばまだ間に合うはず!最後にトイレに向かいたかったが、そんな贅沢は言ってられない。


かつて梅薗の名前で知られた今回のテレイン。思い越せば調度20年前、高校1年生の全日本で優勝した思い出のテレインである。山岳テレインではあるが、ただタフなだけでなく、ルートプランニングや急斜面でのナビゲーションが鍵を握るはずである。案の定レースは、一筋縄ではいかないレッグが多く、慎重なプラン、アタックを要求された。過度な緊張を生まないトラブルがかえって幸いしたのか。集中力は適度にコントロールされ、ほぼミスなくレースは進んだ。予想以上にコースはあっさり感じられ、終盤のコンピにきたときは「もう終わり?」と物足りなささえ感じた。最後の15での1分ミスは余計だったが、感覚的には合格点のレースでラストレーンを走り抜けた。

俊介と13秒差の2位。「やっぱり」感が強い。いいレースだったけど、勝つのは甘いと感じたとおりだった。つめの甘さは相変わらずだが、ベースのスピード、ナビゲーションはMEでトップを争そえる位置までは戻った。素直に喜ぶべき結果だろう。

「面倒みたかいがあった」宮川さんが喜んでくれた。娘は宮川さんの看護のもとしっかり昼寝し、また元気に遊んでいる。妻も悔しがりながら自分なりのレースを楽しんだ。場当たり的だけどみな結果オーライ。

10年前の晩餐、次のシーズンに開かれるPWTアジアツアーに参加するのか?とペターに聞いた時、ちょっと答えを躊躇した後に、「マイ・ボスが決めるよ」と妻をちらっと見た。トーレセン婦人は笑いながら、「どうしようかなあ」といったジェスチャーを見せたことがある。
その頃、家族の都合でスケジュールが左右される世界チャンピオンに驚き、違和感を感じた。周りのすべてが自分のパフォーマンス向上に向かうべきだと感じる錯覚。20代の頃はそれが原動力だったのだろう。当時31歳で既に頂点を極めたペターは、その一歩先で競技を続けていた。
今の自分は既に37歳。ペターの域に少しは近づくことができたのだろうか。










火曜日, 12月 04, 2007

3000mに考える

強化合宿に久しぶりに参加した。

全参加はWOC2005愛知前の合宿以来、スタッフとしての準備で迎えた合宿だけど、2日間オリエンテーリングとトレーニングのことばかり考えて過ごす時間はとても贅沢に感じる。久しぶりにオールアウトに近いトレーニングをこなし、皆で風呂に入って大盛りの飯を喰らい、まだ暗い早朝からの朝練と、ガッツ溢れる2日間を過ごした。

さて、初日は岡崎総合運動場のトラックで3000m走タイムトライアルを行なった。

「トラックのタイムはオリエンティアにとって重要か?」

古今東西常に議論の的になるこの命題は昨今のNTで再び盛り上がっているテーマだ。

大陸系でのWOCを連続して迎え、走力という要素が今まで以上に包み隠さず浮き彫りになったことが一つの要因だろう。あるいは代表レベルの選手のトレーニング量が、中堅国としては決して見劣りしないレベルまで達しているにも関わらず予選通過の壁を越えられない現状に、避けて通れない一つの突破口として見えてきたのかもしれない。

アメリカやカナダの選手が多く参加する、Attack pointというブログでも、幾度となくオリエンティアの走力について議論がされている。明確な結論は見ないが、多くのオリエンティアが、どの程度のタイムを出せば自分は成功できるのか、明確なマイルストーンを欲しがっているのだろう。


世界のトップオリエンティアの記録を紐解くと、かなりのばらつきがあることに気付く。
3000mを8分そこそこで走る選手もいれば、9分近くのタイムしか持たない選手もいる。大まかにいって同じ実力のオリエンティアでも3000mで最大40-50秒近い差がある。それは世界でも日本でも同じである。

トップレベルのオリエンテーリングといっても、大きく分ければ「ナビゲーションの要素」と「フィジカル要素」がある。後者の「フィジカル要素」も心肺機能、スタミナ、筋力、バランス感覚、運動神経、様々な要素の総合力として表される。3000m走はその中の一つ「心肺機能」を表すVOmax値を示す指標にしか過ぎない。

「風が吹けば桶やがもうかる」といったらやや誇張が過ぎるが、3000m走のタイムから見たオリエンテーリングの実力は、かなり曇ったガラス越しに見えるぼやけた像でしかない。

しかしながら、総論としてはその関係は無視できない。3000m8分のチャンピオンも8分50秒のチャンピオンもいるのは事実だ。9分でももしかしたらチャンピオンになれるかもしれない。しかし9分半の選手はいない。10分では可能性はほぼ0と言い切れるだろう。

今日本は日替わりでトップが変わる混戦状態だ。しかし、3000mのタイムはやはり9分20秒~10分に広く分布する。ほぼ世界+60~70秒に位置する。割合で示すと、12-15%増程度になる。
これは日本チームが良いレースをした時のぎりぎりの巡航スピードとほぼ一致する。個々の選手ではばらつきはあるが全体として見ればつじつまは合っている。
では皆があと3000mで‐5%で走れるようになったら?? オリエンテーリングも‐5%で走れるのではないか? そう考えるのは自然な論理だろう。

こうして考えると、3000mのタイムを絶対的な指標として使おうとするのは適切でない。相対的に3000mの速い人、遅い人では、世界で成功するための目標値に幅が出てくる。そしてその特性は、その人のトレーニング方法によるばらつき以上に個人の資質も影響しているように思う。
つまり予選通過をするための目標となる3000mタイムは、ロードに強いA君にとっては9分20秒かもしれないが、足は遅いといわれても森での動きが機敏なB君にとってみれば10分で十分かもしれないのである。

仮に今3000mを9分40秒で走るA君がいたとしよう。1年後の予選通過を目指し、脚を磨いて3000mのタイムをあげることを目指してトレーニングするべきか、あるいはひたすら森で走って、今の3000mタイムでもB君タイプの選手になることを目指すべきか。

どちらが正しいかはわからない。しかしトラックのタイムをあまりに重視してしまうと、後者の選択肢が無視され、前者ばかりが注力されてしまう。それがトラックタイム重視が孕む危険性なのだ。
本来はその中間に最適な選択があるのかもしれない。森での走りを磨き、結果として心肺機能も強化され、5秒でも10秒でも3000mのタイムが改善されればオリエンティアとしては成功に近い道筋なのではないか。

日本チームの話に戻ると、全体で見れば3000mのタイムは若干物足りない。分布がもう15~20秒程度速いところにシフトすれば、予選通過にしても大分可能性が見えてくるように思う。そのためには、3000mのタイム向上を見易い目標の一つとして据えつつも、森での走りを磨くという我々本来の目的からぶれない様にすることが大切だ。