月曜日, 8月 24, 2009

Fair Play

世界選手権男子リレーのリザルトを見たとき、何が起こったのか直ぐに分からなかった。

オリエンテーリングに興味のある人なら、すでにIOFのページや日本でもO-NEWSなどWEB上で大きな話題になっているので説明するまでもないが、ここを見てくれる人にはオリエンテーリングという競技をあまり知らない人も多いと思うので説明したい。

ハンガリーで開催された世界選手権のリレー競技で、男子の第三走者(最終走者)が激しくトップを争っている最中のこと。スウェーデンの選手が脚に枝を刺す(12cmの深さ!)アクシデントに見舞われた。トップ争いをしていたフランス、ノルウェー、チェコの3選手はその場で競技を中断し、手分けをして、けが人の介護をし、役員を呼びに行った。選手が無事救出された後、3選手は競技に戻り、トップから40分以上遅れてゴールする。もちろん結果は20位台と問題外である。一方上位は、トップ争いをしつつもたまたま選手のアクシデントの場にいなかったスイス、ロシア、フィンランドが1,2,3位をしめた。

オリエンテーリングという競技には怪我がつきものである。特に高速で走るトップレベルでは捻挫や打撲だけでなく、骨折や今回のような大怪我も決して稀なことではない。
その危険性に関わらず、森の中で行なわれるため、競技中の選手は観客にはおろか役員にさえ見えない。実はこれは他の競技を見回すとかなり特異なことである。怪我人が出ても直ぐ発見できないし、救助することができない。
その見えないリスクを補うため、オリエンテーリングの規則には「怪我をした競技者を救護することは競技者の義務である」と唄われるユニークな条文がある。つまり競技者の安全を競技者同士で担保する。怪我人の救助は最優先であり、競技を始めるとまず教わることなのだが、それがたとえ最高峰の世界選手権でも例外ではない。

しかし、その精神を頭で理解しても本当に実践できるか。これはちょっと想像する以上に難しいことである。そのレースでライバルより一歩でも先にゴールすることが、英雄になる条件であり、自分の来期のサラリーさえ左右するかもしれない。人生を変えてしまう帰路になるかもしれない。極度の集中力とアドレナリンに浸った状況で走る選手が、一瞬の判断で怪我人を介護する選択を取ることができるか?皮肉にもそれが世界選手権という最高峰のしかも優勝争いで起こるとは。
それはまるで100mを走るボルトの横に怪我人をおいて、彼をとまらせようとしているのと大差ないことかもしれない。
自分の競技中の状態を思い起こして正直いうと、自分だったらその瞬間同じ行動が取れるか100%確信がない。

今回、怪我の現場にいた3選手の行動は「Fair Play」として、表彰台に上った選手と同様に、あるいはそれ以上に讃えられている。それは、世界最高峰の彼らが、よりにもよって、考えられうるもっともその行動をとることが難しい状況で、その精神を実践できたからであろう。
われわれ、世界の何百万人のオリエンティアは今回の彼らの行動によって勇気付けられ、自分達のスポーツを誇らしく感じるだろう。そして、もし同じ状況に遭遇した時、僕と同じように確信が持てなかった人もこれからは迷いなく彼らと同じ行動をとれるはずだ。
それがこの競技の将来の健全な普及発展に繋がることは間違いない。

僕自身もあらためて感じる。オリエンテーリングというスポーツの素晴らしさを。このエピソードに。
スポーツはどこかこうした結果至上主義をいなすような、多面的な要素が入るべきなのだ。そうすることでスポーツの競い方、楽しみ方に厚みがでる。

今になってふと思い出す。2001年のフィンランドの世界選手権。当時のIOF会長スー・ハーベイは開会スピーチで、その直前に北欧であった大きなリレーイベントで同じような行動をとった、ドイツの選手を讃えた。当時、その話は美談と思いつつもどこか唐突に感じた。しかしそこには「たとえ世界選手権でも例外ではない」そういうメッセージがあったのだろう。そして今回ハーベイ女史の示した精神は、期待に違わず受け継がれていた。

最後に、2005年には最後の最後でノルウェーに破れ銀となり、2008年にはトップを走るも最後1kmで蜂に刺されて棄権し、そして今回介護に廻りレースを棒に振ったフランスのジョルジュー。
少々先走ってしまうが、彼が再来年2011年のフランスでリレー優勝することは、誰もが望んでいることだしきっと彼ならやってくれると今から期待してしまう。


木曜日, 8月 20, 2009

WOC2009

WOCも佳境

今年は現地には行ってないが、準備段階からは随分と関わってきた。
だから、選手ではないにしてもいろいろ思い入れのあるチームではある。

立場上あまりこういうところでコメントしにくいのであえて触れなかったのだが、明日はいよいよリレー。
WOCの存在を知らない人、意識してない人もいると思うので、是非この機会に様子を見てください。


月曜日, 8月 10, 2009

3つ目の石

南アルプスに行こう。

毎日が近くの公園と買い物で過ぎていく夏の日々。自由を得た貴重な1日を使ってどこにいくか、妻と徒然に話しているうちに、自然と答えは収束した。

鳳凰三山である。

数えてみると2005、2007、、、なるほど今年のタイミングになる。

ちょうど2005年の世界選手権目前、全ての意識とリソースが愛知に注がれていた暑い夏、まだ身軽だった妻はテントを背負って友人と鳳凰三山の登山に行った。合宿や選考会に忙しい中、妻がいつそんな登山に出かけたかは頭の片隅にも残ってないが、その時賽の河原で妻が白い小さな石を拾ってきた。
その理由を聞いても、ふーん、当時ピンとこなかった。
しかし1カ月後、その石は小さな娘の命となってこの世に現われた。

そして2年前このブログでも書いたように、「お礼をいってもう一つの石をもらいに」僕は単独で鳳凰三山の縦走トレイルを走りにいった。そして娘よりも少しだけ大きくて角ばった、でもやっぱり白い石を持って下山した。
そして、娘より少しだけのんびりと3ヵ月後、長男は命を授かった。

この夏、3歳の娘と1歳の息子は無事元気に成長している。


広河原から白鳳峠までの急登は、1000mの標高差で森林限界近くまで一気に高度をあげる。大木とその倒木で荒れた急斜面の登りは悪路が多く、閉口するほど延々と続く。この半年で産後から急速に回復し、みるみるトレイルでの力を取り戻している妻。それでも、さすがに足取りは辛そうだ。2時起きで車とバスを繋いできたせいもあるだろう。

「なぜあんなところに道を作ったの?」延々と続く斜面に飽いて妻は素朴な疑問を投げかけた。
先ほどバスで通ってきた南アルプス林道のことである。崖のような斜面にへばりついて延々と続く道。さあ、知らない。ただ昔の人が、何かの大義名分があって作ったに違いない。今自分が格闘しているような斜面、あるいはもっと厳しい斜面を延々と切り開いたのだろう。そういえば夜叉神峠を過ぎたあたりに、林道工事殉職者の慰霊碑がバスの窓からちらっと見えた。小説「高熱随道」のようなすさまじい歴史があったのだろうか。そんな昔の名もない無数の工夫の汗によって繋がった道があるからこそ、今自分がこうして山を登っている。

そんな妄想をしているうちに、ようやく登山路は尾根からゴーロに覆われた開けた沢に出て、まもなくたおやかな稜線が見えてきた。いよいよアルプスに来たという実感がわく。

やっとのことで尾根に乗り、しばらく尾根道を進む。高嶺に向かう頃に視界も開けてきた。

妻が唐突に聞いた。
「石もって帰る?」

時として、妻は本質をつく鋭い質問をする。ストレートにきたその質問に、一瞬言葉に詰まった。
え、いや、今日はご利益のあった石を返しに着たつもりだったけど。
石をもらうのは。。考えてなかった。
でも、まあそれもそれで人生、

「いいんじゃない?」

妻はあっけない返事に、やや肩透かしをくらったようだ。あら、いいのそんなに簡単に答えて?というふうに。
「まあ、人間万事塞翁が馬だよ。まあ今度は5年くらい待ってくれると嬉しいけれどね。それより君はいいのかい?また走れなくなるぜ」
私はいつでもいいわ、その後だってまた強くなれるのよ女は・・・・、そんなことを妻はいってただろうか。
ハイマツの狭い尾根を抜ける時は縦列になる。会話はそこで途切れた。

遠くに見える北岳が美しい。妻は本当はどう考えてるのだろう?

賽の河原まではのんびりきて約2時間半。今日も晴れて青い空に白い砂、そしてそこに並ぶ小さなお地蔵さんの一群が、絵に描いたようなお伽話の世界を作っている。
妻は深く膝ついて、「息子」をお地蔵さんに元にもどした。黄色いトレランウエアが何故か眩しいくらいに映えた。

「2つ選んで」
「えっ」
「双子はいやよ、一つは友達にあげるのよ、欲張りかしら?」
「いや、これだけたくさんあればなくならないよ」
「元気そうなやつね、形は別に気にしないの。」
「こんなもんかな」

「さあ、山の天気が崩れないうちに、いこう」
キャメルバックのポケットに石をしまい、再び稜線を走り出した。
そこから夜叉神峠まで約3時間。バスで芦安に戻り、そこから車で2つの石が待つ東京に戻った。



水曜日, 8月 05, 2009

富士山とNature

「五合目からではなく麓から富士山に登りたい。」

「ミスターK」は、メールで意表をついたことを伝えてきた。

「研究室の恩師が日本にいった際に富士山に登りたいといっている」
ブリスベンにいる実兄から紹介のメールが来た時は、それでも驚いた。
が、まさか麓から登るなんて。

山歩きはかなり慣れていると実兄からは聞いている。しかし富士吉田から登るのはかなりの距離である。
五合目に自動車道が出来て以来、中の茶屋から五合目までの山道は登山客もなく、山小屋は深遠な森の中で廃屋と化している。
そもそも日本語を片言もしらない「ミスターK」が、登山客もほとんどない山道を迷わず登れるだろうか?
若干答えの迷いも感じたが、今までつきあってきた多くのオーストラリア人-だいたいが大らかで大胆な人々-思い返すと、それも彼らの旅の冒険の一つかも、と思えてきた。

「それもいいアイディアかもしれない。7合目までは7~8時間かかるけど・・・・」
片言の英語で、夏場の暑さ対策を十分すること、5合目以降は直射日光に気をつけることなど、思い当たる注意を書いて返信した。

「ミスターK」は結局、まるで学会ついでの散歩に行くかのように、単独富士登山-しかも中の茶屋からの-計画をたて、そして7月末の不安定な天気をくぐって登頂を敢行したらしい。
僕は結局メールでのアドバイスをしただけだった。

「ミスターKは、ある分野で輝かしい功績をあげた著名な研究者」であることを兄から聞いていた。
かの「ネイチャー」に掲載された著名な論文のオーサーであるとのこと。その時ぴんときた。つい先日読んだ、新書である。福岡伸一の「できそこないの男たち」
余談だが、理系の新書として、福岡伸一の本は、群を抜いて面白い。ドラマがあり情緒がある。今自分が、題目より著者名だけで本を買う数少ない文化人である。
そこにミスターKのチームの功績がドラマのクライマックスとして余すことなく描かれていた。

それほどの研究をしてても、まるでバックパッカーのようにふらりと富士山に登ってしまう大らかさ。
そんな知性と感性、野性までもが共存する個性、そしてその文化。
自分は今でもそんな世界に憧れてしまう。


O-magazine

「タクさんの記事見た?」

子供が漸く寝た後の遅い夕食で、妻がおかずのラップをはがしながら教えてくれた。
「あっいや、そんなのあったっけ、ええと」

そういえば、今月号は封を開けただけでまだ目を通してなかった。
時間のなかったせいもあるが、自分が記事を書くとどうも、そのページを開くのが気恥ずかしくなる。そのまま冊子全体をついつい見なくなってしまう悪い癖である。

いけないいけない、今の自分は広くアンテナを広げなければ・・、とビール片手にぱらぱらとページをめくった。見覚えのある集合写真が目にとまった。タクさんの記事である。

案の上、6月に開催されたイベントの記事だった。
ここでもいつしか紹介したが、小さな子供のいる家族オリエンティア向けイベントを主催してくれた。その報告である。
記事は、イベントの報告ではじまり、アットホームな一日が紹介される。そして文章は今の大会に対する家族オリエンティアの視点での提言に発展していた。なるほど、読むと一つ一つにうなずいてしまう。うなずきながら読み終えた頃には、妻がえらく感激した理由が分かった。

嘗ては、トレーニング論、強化論で、頭が沸騰するような議論を戦わせたタクさんだけど、今こうしてしみじみと記事に共感しているが不思議でもある。

でも思い返してみると、僕の独身時代、前の世代の先輩方が同じような、子連れの状況で大会参加しているのを見て、今の自分が感じるような不便があることの認識はなかった。いや、正確にいうと、話は聞いていたし、いろいろな意見も知っていたけど、当事者でないので記憶に残ってないのだろう。
今さらながら諸先輩の苦労を身を沁みて感じる次第である。


「あなたの記事も読んだわ。えーと、そうね、ちょっと難しすぎない?」

「そうかい?」
そっけなく返事をしたつもりだが、図星の指摘にぎくっとした。
確かに書いた後に反省した。タクさんの記事くらい分かりやすくメッセージを載せなければ読者には伝わらない。ちょっと自己満足的な文章だったよなあ。
でも書いた時のマインドに偽りはない。びびびっと来てくれる人が一握りでもいれば、それは辛うじて及第点にはなるのだろう。

ビールが空になった。娘は寝てしまい、2本目をサービスしてくれる人もいない。

そろそろ寝るか。

また次の子供イベントに期待したい。自分で主催するのも手かも?そう来年くらいにはいいかも。