火曜日, 5月 24, 2011

ある朝

6時、まず妻がごそごそ起きる。洗濯機を回してから、また寝床に戻ってくる。6時半前、僕が起きる。ノートパソコンを立ち上げて、ぱちぱちとメールの返事を打つ。6時半過ぎ、妻がもう一度起きる。朝ごはんの支度をはじめる。

7時前、僕は最後のメール送信ボタンをおして、あわてて外に出てジョギングに行く。ああ今日も25分しか走れない。。。。7時半さっとシャワーを浴びて食卓のパンを口に放り込む。

まだ2匹は寝床ですやすや。「もう起こして」 布団にしがみつく二人をひっぱがしてもすぐ団子虫みたいに畳の上で丸くなる。ああ、誰に似たか寝ぼ助の二人。しかなたくテレビのアニメ番組をつけて目が覚めるのをまってから着替えさせる。

時計はもう8時前。いかんいかん、あわててヨーグルトをかきこみ、髭を剃って着替えて鞄をとる。「携帯もった?ハンカチもった?」 ああもったよ。「ケイタイモッタ?ハンカチモッタ?」「ケタモッタ?ハッチモタ?」4歳と2歳の幼い声が繰り返す。ああ君たちは「おとーさん、いってらっしゃい」の意味だと思ってるのね。

「おとーさん会社で今日もがんばるよ、ももちゃんも幼稚園がんばれ!」玄関の戸をあけて飛び出す。自転車にまたがって、おっとっと、IDカード忘れた。。。。あわてて部屋に戻る。あー今日も定時ぎりぎりだ。

木曜日, 5月 05, 2011

北欧の森

今日富士から戻った。

全日本直後に合宿で森を走るなんて、20年以上オリエンテーリングをしていてはじめてのこと。だいたいいつも全日本後はオリエンテーリングに飽食気味で、しばらく森は遠慮したくなるのだけど、今年は全日本後にむしろ森を走りたくなったのだから、少しお腹が空いていたに違いない。

実は、GWの富士の森には特別な匂いがある。
標高700~800mの富士山麓ではちょうどこの季節に新緑を迎える。なだらかな針葉樹林は柔らかい緑の絨毯に覆われ、乾いた空気に包まれてスカンジナヴィアの森の匂いを放つ。
この空気を吸いにくるだけでも森に入る価値がある。
でも残念ながらもう1月もすると、藪は濃くなり、湿度にじめじめしたいかにも日本的な蒸れた森の匂いに変貌してしまう。だからGWを見逃してはいけない。

WOCを目指す選手の合宿だからある意味あたりまえだけど、数えてみたら全日本M21E上位11人のうち8人が顔をそろていた。ずいぶんと豪華な合宿だったのだけど、選手にしてみれば気を抜く暇もなく翌週に選考会を控えているのだから、コンディション維持と、最後のナビゲーションのブラッシュアップに余念がないも当然だろう。

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この1年、振り返ってみると本当にオリエンテーリングをしてなかった。
と、そのことを強調すると、何やら負け惜しみか嫌味に聞こえてしまうかもしれない。けれど、自分としてはオリエンテーリングとどう付き合っていくか、迷いながら迎えた全日本だった点を踏まえて、結果を受け入れなければなるまいと思っている。


昨年のASOCのミドルで勝った時、瞬間感じた達成感がなぜか急にふわふわ宙に浮いたような感じがして、心の底から充実した気分がわいてこなかった。何だろう?この今までに感じたことのない、心のスカスカした感じは?
自分でもその時はよくわからなかったけど、とにかくレース後、オリエンテーリングに対するモチベーションが戻らなかった。遠征する選手のサポートには夢中だったけど、自分自身の脚は森に向かない。今までになく重症だった。
そのまま夏、秋とすぎて、結局1年がすぎた。

今思ってみると、2008年のチェコが、自他共に認める競技者としての最後の挑戦だったのだろう。2010年のASOCは、仮に優勝したとしてもそれは惰性でしかなかったのだ。
惰性という表現はASOCに失礼かもしれないが、でもその認識を自分も周りの人も感じていることは、優勝後、多くの人の反応や言葉の端々を通じて自ら敏感に感じ取っていた。


結局惰性の - つまり競技力の向上ではなく現状維持で闘っていく - 局面に入った自分にとって、そしてそのことを自覚してしまった自分にとって、トレーニングに見合う動機付けは得られなくなってしまったのだろう。動機付けのないオリエンテーリングはこの上なく辛い。登りはきついし、藪は痛いし、足首もがくがくになだけである。

結局ASOCからのこの1年、レースらしいレースは1本のリレーのみだった。ただ、トレイルやロードは良く走ったし、オリエンテーリングも強化合宿のスタッフとして森に入る機会はなどかあった。

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震災の影響で延期された全日本。

3月から4月の初旬の混沌とした状態の中、自分の競技に集中できるような状態じゃなかった。このブログでも何度か触れたけど、世間の自粛ムードに合わせるわけでもなく、走ることができなかった。しかもこの1年の自分の準備を考えると、全日本をまともに走れるような気がしないのも当然だろう。
だから、一度は出走をあきらめた。さすがにこれで走ってもつらいだけだろう。。。。

気が変わって、やっぱり走ろうと思ったのは、4月10日のNTトレに参加した後である。思えばその週末は本当は東北方面へ出張の予定だった。直前に工事の段取りの都合で延期されたのが今思えば幸いした。

13kmのコースを選手と一緒に走った。今年2回目のテレインだったけど、ナビゲーションも不整地の走りも、悲観するほどじゃなかった。少なくとも一つのレースを創るだけのパーツはそろってる、そう感じた。
よしそれなら残り3週間でできることをしてみようかと。

とはいっても現実はなかなか厳しい。3週間といっても、社会人に残された週末はあと4日である。


翌周はNTの合宿には家族の事情で参加できない。そのかわり17日に早朝から高尾神馬往復28kmを走る。2時間38分はここ数年でも速いタイムだ。ただ全体的に登りのタイムが遅いのが気にかかる。体重がベスト+2kg程度の状態が続いているのでそれが影響していたのだろう。登りは速く走れない。そのこと自身は致命的じゃない、それで焦らないことが重要だ。

前の末の金曜日、合宿の挨拶をかねて単独で富士に行った。
地図を持って走る機会をもう一度欲しかったので、ついで選考会のコースを試走。
ただこれはいただけなかった。中途半端なペースで走ったのが悪いのか左足を捻挫し、技術的な練習にはまったくならなかった。自重したペースでゆっくり回るだけにした。
日曜日は再び南高尾のトレイル一周。左足の様子を見ながらややペースを落とし19km2時間程度。
前の週の平日。前半は東北方面への出張、トレーニングができないのは想定済み。早朝の仙台で30分のジョグが限界。その後帰京し、木曜日に10km40分のペース走+20kmのバイク。金曜日、土曜日はそれぞれ20~40分のジョグをゆっくり2回/日で疲労回復。

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当日。生憎の雨予報。会場でウォームアップできる時間は限られているので、早朝に25分のジョグで身体はほぐしておいた。予報通り会場に着くころには雨が降りはじめた。幸い託児スペースが用意されていたので、会場で直行。案の定いつもの子持オリエンティアが集まり、直に狭い部屋はにぎやかになった。スタートの早い妻を見送った後、準備ちょこちょこ、子守ちょこちょこでスタート時間を待つ。
スタート15分前。妻はまだ戻ってなかったが、山口家のお母さんは快く引き受けてくれた。子供の応援をうけてスタートに向かう。

レースはいつもの通りだった。大きなミスはない、一番大きな14番で推定45秒程度。ただ15~30秒のミスが少し多い印象がある。それと全体的に心拍は上がりきらない。登りでも175を超えることはほとんどなかった。同じ主観強度でもいつもより3~4低い。その分若干身体のキレに鈍さを感じた。
そして後半、80分過ぎくらいから空腹を感じた。ビジュアルには、その存在を知らず直前にあわてて用意した半分程度のジェルが置いてあったので、それを補給したが物足りなさを感じた。おまけに水が用意されているものと勘違いし、給水もできなかった。その影響かわからないが後半ペースの鈍化を感じた。実際ここでほぼ同タイムの2位の柳下君とは3分半タイムを離された。

結局1時間50分でゴール。4位

巡航スピード105、ミス率6.2%
この日の感覚とよく一致する。レースの完成度は、それを武器にするほどには高くなく、巡航スピードはいつも以上に足をひっぱった。ウェイトコントロールの影響は無視できまい。
ただ、この1年間の自分のオリエンテーリングの取り組みを考えたら、もちろんよくやった結果だと思うし、これ以上の成績をもとめたら、それはもっと情熱を注いで準備している人に対して失礼だ。
ただ、その失礼を承知で、自分がこの日勝つためのレースを模索するとしたら、巡航スピード102、ミス率4%だろうか。そのレースを一つの目標として次に準備する、そんなのもいい。
急に次の全日本の開催地が知りたくなった。広島らしい。
97年から14年ぶりになる。

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モチベーションを取り戻せるだろうか?

富士の魅力的な森の匂いや、情熱的な選手と一緒に走る貴重な体験が、競技向上を目指すことの幸福感を思い起こさせてくれたのは確かだ。
でも、1年間365日を通じた動機付けまで戻してくれるだろうか。それほどの魔力があるようには残念ながら思えなかった。

しばらく、また模索するしかあるまい。

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この日の勝者は小林だった。彼の勝利は心から祝福したい。現役大学4年生の全日本優勝。しかも史上まれに見るタフな14kmのコースで雨の中のコンディション。1年前に誰がこの結果を想像したろう?でもここ最近トレーニングをともにした人なら、今回の結果にそれほど驚かないのではないか。すでに彼は強化選手の中でも十分エース格だったのだから。

このステップまで来た選手は自分を含めて何人もいる。もうひとつステップを進めた選手が1人だけいる。でもその先まで進んだ人はだれもいない。問題はこの先どう進むかである。
22歳の小林は若いが光陰矢のごとし。緩めることなく進んでほしい。


37、29、31、22
これ、なんだろうか?
ここ4年の全日本チャンピオンの年齢である。
サッカーや陸上よりも、ゴルフや野球に似てなくもない。
トップレベルの技術を持つことに成功したら、フィジカル面は緩く広いプラトーの上にいる限り年齢は関係ない。それがオリエンテーリングである。

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最後に。
震災による延期などいろいろな障害を越えて全日本の開催に尽力されたスタッフの皆様に、本当に感謝します。最高精度の地図と良質のテレイン、練られたコースで14kmのコースを走ることができる幸せを感じました。また全日本会場として、合宿の宿泊所として施設を提供して頂いた岩倉学園の皆様にも大変感謝!です。