5年ぶりにパソコンを乗り換えた。
狭い我が家ではデスクトップを鎮座させる広いスペースがない。だから5年前に買った12インチ型のデルのノートブックが唯一のPCで、メールもインターネットも画像保存も事務処理もすべて1台、しかも妻と共有していた。今思うとよく働いてくれた。持ち歩くにはちょっとごついが、それでも会社に合宿に持ち出し、コーヒーがこぼされても、液晶画面をばんばんたたかれても、子供たちに何度も踏みつぶされても壊れることなくフル回転してくれた。モバイルPCの鏡のような働きぶりだ。
それでも最近ハードディスクは満杯になり、動きも悪い。フリーズの回数も多くなり、天寿をまっとうするのも近し、ごっそり中身が使えなくなるのを恐れあわてて買い替えた。
あまり迷うことなく同じようなデルの11.6型のノートにした。CPUやメモリがどうだとか、性能は正直あんまりわからないが、最近のパソコンは低価格でも十分使えそうなので6万円台のものを選んだ。エクセル、ワードもついてるし、前のパソコンに比べるとまぶしいくらいに洗練されてる。パソコンもずいぶんやすくなったものだと偉く感動してしまった。
ところが買った後がいけない。問題はパソコンのセッティングである。
そもそもIT音痴である。いや、少し言い訳すれば年代のせいもある。PCが普及しインターネットが一般的になるより前に大学を卒業してしまったので、じっくりいじる機会がなかった。周りの後輩をみると、今の30代前半より下の世代の方が皆使いこなしている。自分はアナログ世代の最終組かもしれない。
パソコンを使えるようにセットアップするにはそれなりの時間がいる。でもチビ怪獣の攻撃を免れる時間は毎日細切れ。おまけに十分な知識もない。だからどうしていいかまごまごしていると朝の貴重な1時間はあっという間に過ぎて「はいまた明日」となる。
それでも毎日来るメールはチェックして返答せねばらならない。生半可立ち上げてメール受信してしまい、前のパソコンとどっちで受信したかわからなくなってしまう。しばらく2台のパソコンを開いて格闘する日々が続いた。
まったく仕事をスムーズにと買ったパソコンで、セッティングにストレスをためてちゃなんのために買ったのか、なんだかばからしくなる。インポート機能でメールの引っ越しを終えたのはもう2週間もたってからだろうか。
この間に費やした時間、どの程度だろうか。いっそ知識のある人にお願いして1万円くらい払っても安かったかもしれない。適切なアウトソーシングが効率化のカギであることを実感。
ようやく8割の機能を新しいパソコンに映した。まだPOLARのトレーニングダイヤリーがうまく移せない。もう少し格闘の日々が続く。
木曜日, 2月 25, 2010
火曜日, 2月 16, 2010
優勝!

自慢したいわけ、、、、なのが本当のところ。
2周連続して、アンカーとして優勝!
2月7日はオリエンテーリングで関東リレー。積雪に地吹雪が舞う悪コンディションの中、大学OB対抗で東大OBチームで参加。卒業したてほやほやの林ジョージ君と、全日本チャンピオンの加藤君とチームを組んだ。
今年のエントリーメンバーのコンディションを見ると、例年ライバルの早稲田や筑波がやや元気がない。正直なところ自分達は一枚上手だと自負していたので、優勝はある意味想定どおり。だけど、昨年のチームメイト村越さんからジョージにバトンタッチして一気に平均年齢も38歳から31歳まで若返っただけに新鮮だし、やはりアンカーとしてゴールレーンを横切るのは気分が良い。
現役学生ではトップゴールの東大が失格になるなどのハプニングもあったが、総じて学生のレベルはOBのレベルに肉薄していた。学生の競技人口自体の低下は下げ止まりのきかない状態と聞くが、トップを目指す選手については、楽しみな輩がいる。ピラミッドの底辺を広げるためにも高い頂点を目指す選手の後押しが少しでもできればと考える。
一週おいて13日土曜日は、会社の恒例駅伝大会。一昨年まで皇居外周で実施していたのを、今年から藤沢の自社工場内の敷地を使ったコースでリニューアルして開催された。
工場内の建物を縫うように走るコースは、一周2.7kmのコースに14回のコーナリングが伴う。一般的な駅伝からいえば皇居みたいな緑もないし、カーブが多くて走りにくいコースかもしれないが、パークOに慣れた身にとっては、景色がめまぐるしくかわり、コーナリングや減速加速のテクニックがあって意外と飽きないコースだった。
さて、6,7年前に一度優勝したわがチームは、平均年齢40歳をすでに超えて全員管理職。それでもチーム核の先輩が「今年はやるぞ!」と綿密に計画をたて、メンバー全員がきちんと準備したおかげで各区想定以上のタイムで進んだ。僕がアンカーで走り出す時点ですでにトップ、流石に抜かれることはなく、ゴールのテープを切った。
4人で全16.2km(公称)を56分17秒だから、サラリーマンおじさんのチームとしてはかなり優秀な成績だろう。
個人タイムは5.4km/17分44秒。距離は若干うそっぽい。感覚的には5.2~5.3km程度だろうか。区間賞は17分だから流石に今の自分には厳しいが、十分楽しめた。
久しぶりに話したトライアスロンをやる先輩が、鏑木さんのモンブランを見てトレランに興味をもっていた。
多くの人があの番組を見れば、ロマンを共有すると思う。NHKに感謝。
トレランブームの上昇気流はまだまだ続きそうだ。
土曜日, 2月 06, 2010
「朝型」と「夜型」
自慢したいわけじゃない。どちらかといえば後悔に近いかもしれない。
生来朝が弱い。小学生の頃から冬の朝は布団にもぐりこみ、親に引きずり出されてた後もストーブの前でうずくまった。中高時代も通学はいつも定時ぎりぎり。大学時代は一限の授業にほとんど出た記憶がないし、大学院の研究時代も研究室が放任主義だったことをいいことに、午前中にまともに実験をしたことなどなかった。いつも夕方から調子に乗り出し、気がつくと9時、10時だった。典型的な「夜型」である。
そういう性質だから選んだ会社もフレックス制。1年目こそ定時に席に座るようがんばったが2年目からは1本、また1本と乗る電車が遅くなり、長らくの間9時半出社が身に染み付いてしまった。だから一昨年管理職になって定時出社をしようとしたときに随分と苦労した。
合宿でも同じである。寝起きを共にした一昔前の代表選手なら皆知ってるだろう。だいたい朝食前最後までベットに寝そべっているのは僕だし、朝食後出発まで時間があれば二度寝することもしばしばだった。
怠け者とは思わない。ただ朝がどうにも弱い。
もう30年以上、そういう自分と付き合ってきたし、そういうのは、努力の問題ではなく、身体の性質だと半ば諦めていた。そういえば自分は血圧値が低い。顔色が悪いとよく言われるではないか。
それが自分の生活習慣の結果で、いわば工夫不足だったことにようやく気付いたのは、そろそろ不惑が見えるこの歳になってからだ。
きっかけは何だろう?そう、子供達である。
子供2人と過ごす生活では - 経験したことのある先輩方は分かると思うが - 家の中にプライベートがない。常に忙しいわけではない、ただ自分の時間が作れないのだ。
幼児の親の試練は想像以上である。もっともそれを補う育てがいがあるのは確かだが、それでも色々なことをやりたい歳の若い親には非常にストレスになる。
ただ、チャンスはある。子供の睡眠時間は僕ら大人より2,3時間は長い。神様はそこに工夫の余地を残してくれた。うちの子の場合、幸いにも2人ともほとんど同じで10時過ぎに寝て7時半までたっぷり寝る。
はじめのうち、10時に子供を寝かしつけ、寝た後を自分の時間としていた。朝が弱く、夜型の自分にはある意味当然の使い方だった。
でも11時頃からパソコンに向かったりトレーニングで外に出るのはちとつらい。子供を寝かしつけているうちに脳も体も休んでしまうので、そのあともう一度エンジンを温めるのにすごくエネルギーがいるのだ。
そのうち、子供を寝かしつけたまま自分も寝てしまうことが2,3回続いた。ある時自然と朝早く目が覚めるようになった。そして、その時間をジョギングやメールの時間に使うようになった。
ようやく気付く。
「なんて効率が良いんだろうか」
本屋に行けば早起きを進める本が数多並んでいる。夜型の自分は気にはなれど、自分にあったスタイルは別さ、と見て見ぬふりをした。
陸上の選手はもちろん、オリエンテーリングでも最盛期の善徳など朝錬を充実するのがランナーの王道である。でも、朝錬が比較的少ない有名選手を引き合いに言い訳をしていた。
しかし今は言い切れる
「絶対に早起きの方が特だ」と。
ここ数ヶ月、完全に朝型に切り替わった。妻も驚いた。20年以上しつこい夜型にてこずった実家の親は「まさか、あんたが、うそでしょ、」と本気にしない。
でも5時過ぎに目が覚める。会社に行く準備を始める7時半までの間、メールとジョギングで2時間弱を使うことができる。夜は会社から戻って子供を風呂に入れて10時半には一緒に寝てしまう。忙しくて帰りが遅いときも、風呂以外は何もせずに直ぐ寝る。12時を超えることはほとんどない。
平日のトレーニングの大半が朝になった。夜10時以降のトレーニングがほとんどだった数年前からは考えられない。
気がつくと、いろいろ良い点が見つかる。
まず気持ちいい。「冬はつとめて」というが、この季節は近所の何気ない公園の森でも空気が透き通るようで気持ちよい。
それに体調が崩れなくなった。今まで疲れをためて朝起きるのが辛く、布団で半休を取ろうかと真剣に悩む朝が時々あった。でもそういう朝はまったくなくなった。体調不良でトレーニングが減る時期も皆無に近い。自分でいうのも何だが、心身ともに健康的な生活になった。
そもそも朝型というのは楽チンなのだ。当たり前なのかもしれないけどそのことに今気付いた。夜型の時は、朝型というのはすごい意志が必要なのだと勝手に想像していた。そんなことはない。朝型の人にとっては当たり前のことで、むしろ夜型時代に起きるのが辛かったことを思い出すと、我ながらかわいそうになってしまう。
もちろん、今様々なことを何とか廻しきれているから、今のリズムを保てるのかもしれない。例えば昨年の3月のように、本業の仕事とそれ以外仕事でクライマックスを迎えるような状況になったら、きっと今のリズムはもろくも崩れ、昔のような生活に戻ってしまうのだろう。
ただ、一度こうしたリズムですごす生活のメリットを体感してしまった以上、これからは波風あってもいずれ「朝型」の自分に戻ろうと努力するに違いない。
さて、きっと僕と同じように朝が弱いと信じている人がいると思う。
そういう人も、自分が「夜型」だと決めつけてたとしたら、一度その先入観を捨ててみると良いと思う。
きっかけは別のことかもしれないし、何か工夫が必要かもしれない。
でも、特に競技で上を目指すのであれば、絶対に「朝型」になるべきである。
「夜型」で競技人生のほとんどをすごしてしまった者の反省としても。
火曜日, 1月 26, 2010
ジュニアチャンピオン
ジュニアチャンピオン大会に参加。
1月ぶりに家族4人での参加。でもその話は今日はおいておこう。
ジュニアにとって、多摩OLのジュニアチャンピオン大会はインターハイと並ぶタイトルの一つである。
今年は男女とも高校1年の深田、宮川が優勝した。ともにJWOC経験者で、来年以降の遠征を視野に入れて継続的に頑張っている選手だ。
男子の上位は秒差の争いだった。タイトな競い合いをすることは、集団でレベルアップするために重要なこと。多くの選手がジュニアチャンピオンやインターハイのみならず、その先を目指しているからこそ、そういった結果が生まれるのだと感じる。
そういう点でジュニア選手が元気なことを素直に嬉しく思う。
また、宮川のタイムは男子優勝タイムの30%をきっている。これは褒められるべきタイム。通常WOCなどのトップレベルで、女子は男子の20%程度である。日本では番場や最近の朴峠は20-25%程度を出すこともあるが、通常は30%を超えることが多い。
宮川は女子のライバルが少ない中だが、今後男子ジュニアの25%、さらには20%を目指すことが一つの目標となるだろう。
もう一つ、上位選手のコメントをO-NEWSで見た。インタビューに対する答えの内容に感心した。内容の是非とかではなく、きちんと自分やレースの特性を捕らえて真面目に答えているところである。こうしたインタビューは選手の思う以上に廻りは良く見ているもの。ついつい若い頃は斜めにかまえたり、肩透かしを食らわすようなコメントを残すことが多くあるが、聞く側は不快で感心できない。オリンピック選手やプロの選手を見習うとわかるが、世間の人に広く通じるコメントをすることは、活動を応援してくれるファンを増やすことつながる。こうした機会にきちんとしたコメントを残すことはとても大切である。
一方、技術的に、コースが簡単だったとのコメントが多くあった。ジュニアチャンピオンは比較的やさしいコースで競い合いをさせる、というコンセプトはここ数年一貫している。だからそういったコースへの対策とその結果を受けてのことだろう。
しかし、こうした簡単なレースでも、オリエンテーリングの技術の差は思いの他出るもの。道から沢に入るとき、沢筋を乗り換えるときなどはもちろん、道の分岐でさえ数秒の差はでてくる。
WOCミドル6勝の帝王、ティエリ選手がまだ無名だったころ、彼がアナリシスに「ミス+1秒」とコメントをつけていたそうだ。まだ彼の才能を見抜けなかったコーチがそれを見て笑ったそうだが、後に彼が本物の選手になって、その意味を理解したという逸話がある。
1秒でも大切にするという観点でレースを見直すと、また新しい発見がある。もう一度レースシーンを頭で反芻してみるとよいだろう。
また、宮川のタイムは男子優勝タイムの30%をきっている。これは褒められるべきタイム。通常WOCなどのトップレベルで、女子は男子の20%程度である。日本では番場や最近の朴峠は20-25%程度を出すこともあるが、通常は30%を超えることが多い。
宮川は女子のライバルが少ない中だが、今後男子ジュニアの25%、さらには20%を目指すことが一つの目標となるだろう。
もう一つ、上位選手のコメントをO-NEWSで見た。インタビューに対する答えの内容に感心した。内容の是非とかではなく、きちんと自分やレースの特性を捕らえて真面目に答えているところである。こうしたインタビューは選手の思う以上に廻りは良く見ているもの。ついつい若い頃は斜めにかまえたり、肩透かしを食らわすようなコメントを残すことが多くあるが、聞く側は不快で感心できない。オリンピック選手やプロの選手を見習うとわかるが、世間の人に広く通じるコメントをすることは、活動を応援してくれるファンを増やすことつながる。こうした機会にきちんとしたコメントを残すことはとても大切である。
一方、技術的に、コースが簡単だったとのコメントが多くあった。ジュニアチャンピオンは比較的やさしいコースで競い合いをさせる、というコンセプトはここ数年一貫している。だからそういったコースへの対策とその結果を受けてのことだろう。
しかし、こうした簡単なレースでも、オリエンテーリングの技術の差は思いの他出るもの。道から沢に入るとき、沢筋を乗り換えるときなどはもちろん、道の分岐でさえ数秒の差はでてくる。
WOCミドル6勝の帝王、ティエリ選手がまだ無名だったころ、彼がアナリシスに「ミス+1秒」とコメントをつけていたそうだ。まだ彼の才能を見抜けなかったコーチがそれを見て笑ったそうだが、後に彼が本物の選手になって、その意味を理解したという逸話がある。
1秒でも大切にするという観点でレースを見直すと、また新しい発見がある。もう一度レースシーンを頭で反芻してみるとよいだろう。
僕の周りには30歳、40歳過ぎても如何に脚が速くなるかを真剣に考えているおじさん、おばさんが沢山いる。そして実際そういう人はいくつになっても脚が速くなる。
だからまだ20歳に満たない選手に「脚が遅い」人、もう少し正確にいえば「将来頑張っても脚が遅い人」なんているわけがないと思ってしまう。
もちろん今の自分を知ることは大切。ただ、若いうちに絶対やってはいけないのは、自分に限界をつくること。次のシーズンまでできる限りのことをしたら「脚が遅い」自分なんているわけない。
だんだん説教臭くなってきました。歳のせいかも。これくらいにしよう。
だからまだ20歳に満たない選手に「脚が遅い」人、もう少し正確にいえば「将来頑張っても脚が遅い人」なんているわけがないと思ってしまう。
もちろん今の自分を知ることは大切。ただ、若いうちに絶対やってはいけないのは、自分に限界をつくること。次のシーズンまでできる限りのことをしたら「脚が遅い」自分なんているわけない。
だんだん説教臭くなってきました。歳のせいかも。これくらいにしよう。
月曜日, 1月 11, 2010
同タイム・・・・
10日の谷川真理ハーフは2005年以降に4度目。
今年はコース途中で工事区間があってやや走りにくかったものの風は少なく、好コンディション。
タイムは1:15:38でなんと2年前と同タイム!
さらに約3年前の川口ハーフと1秒差。
ちなみにこの川口ハーフの1:15:37がここ5年のベストタイムなので、このタイムが今の壁。
1:15分くらいはいけそうかと思ったけど後半延びなかった。
とはいえ昨年の冬に比べれば3分短縮、まずまず順調といったところ?
水曜日, 1月 06, 2010
年末年始徒然
冬景色の釧路出張から最終JAL便で東京に戻る。天空橋の駐輪場から寒気に耐えて自転車で帰宅。子供たちはすでにすやすや。音を立てないように大急ぎで荷造り。ぼさぼさ頭で送り出してくれた妻に別れを告げ暗いうちに駅へ。大井町線で待ち合わせの南町田駅へ、尾上号に乗りいざ愛知へ。
エミルとシモーネの優勝で沸いた2005年からはや4年。それ以来はじめて訪れた昭和の森。初日はスプリント練習。コントロール設置後テレイン内で選手の走りを動画におさめる。さすがに大助や藤沼の走りにほれぼれ。でも予想外にシャープな動きをして光ったのは寺垣内。
ばたばた準備した合宿もなんとか大事なく進行。今回大きなポイントは夜のミーティング。内容の濃い夜の集いは原田さんの存在で一際しまった。これだ。忘れていたこの感じ。これからのチームに必要な微妙な緊張感。
翌日は三河の森でのリレートレ。奈緒さんの力強い走りに目を見張り、本気で走っても迫りくる朴峠の影に驚き、藤沼のスピードに白旗をあげた。もちろん原田さんのオリエンテーリングにもびっくり。3日目を残し2日目の夜に後ろ髪を引かれる思いで若い選手と東京へドライブ。車中で選手と話すうち、色々なことに気づき、これからやりたいことも増えてきた。よし、次の1年こそ勝負の年だ。
翌日は会社の〆日。午前中出張後の残務をこなし、30分くらいとってつけたように机周り整理して今年の仕事はおしまい。半分くらいのメンバーは休暇をとっており、こじんまりと缶ビールでお疲れ様会。入社したての頃は大嫌いなこのイベント、今ではここで飲んで一年を振り返るのもまた楽し。自分も年取った。
実家の掃除を手伝ったり、年賀状を書いたりであっという間に2日が過ぎ、30日の夜から妻と竹芝桟橋へ。2年ぶりの大島。こりずに子供の世話を引き受けてくれる義理の父母に感謝。
日本列島を襲った西高東低の冬将軍で海は大波。早朝岡田港につくと、桟橋を吹き抜ける風はまっすぐ歩けないくらいの強さ。青い海には白い波が激しくうねって飛沫をあげる。こりゃ今年の一周は厳しいかも。
寂しいことに今年は許田クンも大井さんもいない。全体でもわれわれ含めて4名のハートブレイク合宿。世話人の金子さんに宿であう。僕と同い年。ランナーらしいさわやかな人だ。荒川マラソンに向けてトレーニング中とのこと。「どれくらい走ってますか?」との問いに「月600㎞くらいですかね」これがランナーの常識。2時間35分のベスト更新を目指しているとのことだった。
それから30年来合宿を出続けているという横尾さんは今年も参加。怪我でやや自重している模様。これでオールキャスト。
朝飯をとってからいざ1周42KM。走り出すと案の定厳しい風体が浮き上がるような感覚を何度も味わう。それでも空は澄みきっており、バームクーヘンや筆島はいつも同じようにとても素晴らしい眺めだった。ずっと一人で走ったこともあってタイムは伸びず。例年より10分遅い3時間6分。これにて2009年の走り納め。妻も4時間45分で無事ゴール。
一風呂浴びて昼食後大急ぎで港へ。風で欠航したジェット船の変わりに、大型船でのんびり竹芝へ。参加者が少ない分、金子さんと横尾さんとはいろいろな話ができた。別れを告げて西大井に到着。すでに街は静まり返り、紅白ははじまっている。
やくざな親にもすねることなく、2匹の子供達は大喜びで出迎えてくれた。おじいちゃん、おばあちゃんありがとう。さっそく紅白を見ながら年越しそば。
話題になっていたスーザンボイルの登場だ。「夢やぶれて」の心に響く歌声に10年前に訪れたスコットランドの荒涼とした風景が瞼に浮かんだ。気分はやや感傷的に。"I dreamed a dream" か。絶妙な邦題だ。WOC99当時の自分もそうだったかも。でも今の自分は色々な意味で"I'm dreaming a dream"
SMAPの歌い終わるのを見届けられずに子供と一緒にノックアウト。除夜の鐘を聞かずに寝てしまった大晦日なんて記憶にない。
元旦は意外と目覚めよく、日の出前の街を40分ほどジョギング。心地よい寒さ。幸先のよい一年かもしれない。
正月は家族の時間で完全オフ。当然のごとく食べて飲んで。ついつい乗ってしまった体重計は軽々60kg超え、1kgのウエイトオーバ。まあしばらくはしかたあるまい。映画を見に行った妻がえらく感激して帰ってきた。アバター、「しばらく現実に戻れなかったわ」、ネットで調べてみると早くも世界興収10億ドルで歴代4位とのこと。うーん、なんとか時間をひねり出して見に行かねば!
二日夜には狭い我が家に戻り、三日朝は子供の起きる前を狙って暗い多摩川沿いをジョグ。20kmは言葉どおり朝飯前。昨晩の御節料理を一生懸命燃やして少し借りを返した気分。朝食後子供と公園散歩し、午後はたまった年賀状とメールの返信。夕方日が落ちる前にキロ4分のペース走7kmで脚に刺激。
翌日は陣馬往復トレイル28km。さすがに疲労あってペースはあがらず。冬の寒気で透き通った空がとても気持ちよい。陣馬からははるか新宿の高層ビル群が見えた。
家に戻って締め切りぎりぎりのJOA関係書類を作成。これで短い冬休みもおしまい。
7日間で140kmはまずまずかな、と思ったら、妻は2回の40kmを含んで10日間150kmとのこと。やれやれ、こりない夫婦。これでも子供達は無事育っているのだから、両方のおじいちゃんおばあちゃん、2人の子供たちに感謝しなければなるまい。
火曜日, 12月 29, 2009
三河の驚き

6日~28日での愛知合宿が無事終わった。
仕事の都合で最終日を見届けずに東京に戻ったが、なんとか無事終えたようでなによりだ。
2010年の強化選手最初の合宿でもあった今回は、キックオフの位置づけとしてそれなりの意味があったと感じる。
今年2009年、日本チームにとっては近年最も厳しい年だっ
たといってもよいだろう。結果が全くでなかったのだ。
理由はいくらでも上げられる。選手自身、強化委員、オリエンテーリングの環境そのもの、いろいろな要因が今の日本代表の成績に影響しているのは間違いない。
その2009年を終えて、今後再浮上するためのスタートtとすべきなのが今回の合宿の位置づけだ。
幸い、夏以降も努力を怠らず、実力を徐々に伸ばしている選手がいる。またベテラン選手の復活で代表争いも昨年に比較するれば活性化してきている。まだ結果が出るには時間がかかるかもしれないが、向かい風はやや収まり、追い風を掴む
チャンスを眈々と待つべきときが着たと感じる。
そして、そんな中、いろいろな意味で非常に良いタイミングとなったのが、前強化委員長宮川氏の紹介で参加した原田正彦氏である。
原田氏は、現在立教大学の陸上部で長距離チームの指導をされているが、ご自身は早稲田大学から実業団のS&B食品、重川材木店で活躍した経歴を持つ流の長距離選手である。紹介はネット上にいくらでもあるが、一例は以下のURLを参照されたい。
早稲田時代には箱根駅伝のあの花の2区で区間賞も獲得した実績をお持ちだ。5000mが14分11秒、20kmまでの記録はもちろん、79というVOmax値は、オリエンテーリングで体力的に優れた世界のトップ選手、ロシアのアンドレイや、フィンランドのモルテンと同じレベル。また選手時代の年間9000kmというトレーニング量も、北欧の
ハードトレーニングをこなしているトップ選手とほぼ同じ量だろう。つまり競技こそ違え、我々が目指す競技レベルの世界を経験されてきた方である。
2,3度パークオリエンテーリングは走られているが、今回初の森でのオリエンテーリングを経験された。またその中で、オリエンテーリング強化選手との交流や、さまざまなQ&Aに答えていただいた。
選手にとっては、同じ持久系スポーツを極めた選手として、非常によいインスピレーションを感じたに違いない。
さて、ここからがこのブログの本題である。
僕が一番驚いたのは原田氏のさまざまなプロフィールではない。本当の驚きは2日目午前に三河高原で、ミドル用コースを私が案内しながら回った時のことである。
原田氏はたぐいまれな読図能力の素質を持ち合わせているということだ。
4.7kmup200mのコースは、比較的アップは抑えられているものの、当然強化選手向けの容赦ないコースである。添付の地図を見ていただきたい。ちなみに男子はウイニング藤沼君37分。
コースを回る前に、原田さんに基本的な尾根沢などの等高線と、植生や水系などの地図記号は簡単に説明した。しかし数分の説明でこのコースを回れるわけがないので1番から先導していった。しかし原田さんは1番まわりの地形を直ぐに理解し、2番からは原田氏自身で回り始め、とうとうほとんど自力で完走してしまった。
さすがに地形だけで進む部分ではアドバイスする場面もあったけど、ほとんどの場合、原田氏が「このへんですか」という問いに「そうです」と答え、テクニックのいくつかを教えただけである。現在地ロストしたのは1,2回だろうか。
あまりにも地図が読めているので、「山登りとか経験していますか」と聞いたがそのご経験はないよう。
僕の経験の限り、普通初心者はまず地図の示す地形と現地のそれとを感覚的に合わせるのに1年はかかる。しらばらくは等高線1本の尾根と3本の尾根を間違えるのが当たり前だ。
しかし原田さんは、この感覚がほぼ身についていた。おそらく大局的な等高線をすでにデフォルメせずに地形のままで捕らえることができるのだと思う。
例えば3⇒4の尾根のトレースはノーアドバイス、7⇒8はコントロールの円に入ってアドバイスしたのみでそこまでは全く自力。9までも全くノーアドバイス、10⇒11の道走りは一度も止まっておらず、11の惚れ惚れするアタックも後ろをついていっただけである!
ご本人は「思いの他ハードでした」と謙遜し、強化選手の斜面を下るスピードに感心されていた。もちろんタイムも強化選手の3倍近くではあるが、初めての森のオリエンテーリングでMEを回ってしまう原田氏の読図能力にまったく敬服した次第である。
現在原田氏は立教大学陸上部のコーチとして指導に力を入れていらっしゃる。ご自身の実績と、誠実な人柄かつ聡明な方なので、きっと良い指導者になのだと思う。だけど、素晴らしい持久能力と、読図能力の素質は僕らから見るそこはかとないポテンシャルを感じざるを得ない。まずは余暇としてでも是非是非オリエンテーリングに挑戦して頂ければ、と思う次第である。
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信越100mile 2022
<レースの記録を忘れていたので後から記載> START 18:30 日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...
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企画しました。 公開シンポジウム 仕掛け人です。 こういう議論は、しょっちゅうやっていてもかったるいし、「会議は踊るされど進まず」、になりかねない。 でも、あるタイミングでは絶対必要なものだと思う。 そして、WOC2005を終えて3年、今はそのタイミングだと感じた。 吉とでるか...
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やっちまった。 お酒は嫌いじゃないけど、酒で失敗することは少ない方だと思う。特に社会人になってからは酒に呑まることはめったにない。それが久しぶりに失敗をやらかした。 後輩達の栄誉をたたえる祝勝会。母校のインカレ優勝祝いである。実に6年ぶり。事前の出欠で久々に懐かしい面々が集まって...
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人間は1人1人がブラックボックスみたいなもの。 中の仕組みはそれぞれ違う。まあできのいい部品もあるしそうでないものもある。個性的な部品もある。そういうのを組み合わせて皆頑張ってる。だから同じ刺激を与えてもその反応は人それぞれ。だからこの世界は面白いし、逆に戦争も絶えないのだろう...