金曜日, 8月 10, 2007

1秒!

霧の中から新田見さんが降ってくるように現われて襷を受けた時、自分のスタート時間を確認することなどすっかり忘れてた。

富士登山駅伝の8区。距離2.6km下り650m。走りなれた7区に比べて後半緩やかになり、勢いに乗りすぎると腰を悪くする。1時間ほど前に宮原さん(滝が原)の目の覚めるようなスタートダッシュを見てしまったせいか、無意識のうちに体がスピードを出そうとしてしまう。けれどもすぐに体全体の筋肉が悲鳴を上げて、あわてて自分なりのスピードに落ち着かせた。

霧は相変わらず深く、自分がどこまで降っていけばよいのかさっぱりわからない。かなり長い時間下った感覚があって時計を見るがまだストップウォッチは2分30秒、すでに腰に痛みを感じて、残りの数分が絶望的に感じてきた。

やがて斜面はやや緩くなって左右にカーブする。ダウンヒルスキーの要領で、なるべくスピードを落とさずに、体に負担をかけないように、砂山で衝撃を吸収し、コースどりを工夫しながら下っていく。時々礫のクッションが薄い部分も現われ腰への衝撃はますます辛くなる。

永遠に続くように思われた礫の荒涼とした斜面にも、やがてぽつぽつと緑の塊が見えるようになってきた。
レースを追えて下山する選手、登山客、自衛隊の支援隊などが、「がんばれ!」とあちこちで応援してくれる。

ようやくゴール近くの山小屋を超え、残り1分程度になった。腰はもう限界にきている。周りの応援もずいぶん威勢がいい。
そのうち「まだいけるぞ!」「あと30秒!」といった掛け声も聞こえてきた。

知り合いがいるわけもないので、こんな平凡な順位の選手にずいぶん真剣に応援してくれるな、のんきにそんなことを考えてちょっと不思議にも感じたが何が起こっているのか相変わらずわからなかった。

ついに最後の鳥居が見えた。時計を見るとすでに8分を超えている。下りもあまりいいタイムではない。

そして鳥居をくぐり舗装道に出てすべてを悟った。

数十m先には今にも走りそうな体制で構えている30人ほどのランナーの後姿が見えた。一番端にいる青年だけがこちらを向いている。そして僕に気付くなり手にしていたピンクの襷を地面になぐりすてた。

あわてて最後の数秒を死に物狂いで加速し、景山君に緑の襷を渡した瞬間、
「パーン」
景山君は集団のランナーにあっという間に飲み込まれた。

ランナーの集団が九十九折から消え、静かになると、
周りの人の何人かが拍手をして讃えてくれた。ふとみるとやっちゃんがにこにこして立っている。僕も思わず笑い出してしまった。
「2号8尺からは、8分以上あるから大丈夫と連絡があったんですよ。でもぜんぜん姿が見えないからずいぶん気をもんだんですよ。」

富士登山駅伝は下りの8区ー9区の中継点で4時間
以上は繰り上げスタートとなる。我々レベルのチームではそれまでの選手の出来により、微妙な関係にある。襷をつなぐことは一つの大きな目標だ。

確かにあまり速いタイムではなかったが、そこまでぎりぎりになっているとは知らなかった。最後の1,2分、腰が砕けそうで何度となく弱気にスピードを緩めそうになったが、なんとか我慢して自分なりにスピードを維持した。あそこで手を抜いていたらと思うと、ほっとしたと同時になんだがひやっともした。

結局早稲田の助っ人トリオ、景山君、今井君、佐々木君の頑張りもあって無事襷を46km、標高差3000m以上を往復し、昨年とほぼ同じ4時間47分という結果であった。

個人的には13年前の4区から5分も遅いタイムに、登ったあとは泣き出したいくらい情けない気分だったが、間一髪の襷リレーにすべてのことが帳消しになった。これが個人で味わえないリレーの醍醐味だろう。

40歳になってベストタイムで走る新田見さん、初めての経験に素直に感動している早稲田の学生、寄せ集めのチームではあったけど、終わってみると一期一会、このメンバーで走れたことに感謝したい。

佐々木(早稲田2年)-美濃部(筑波OB)-景山(早稲田4年)-鹿島田(東大OB)-新田見(東大OB)-今井(早稲田OB)












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