私が人生で尊敬する2人のうちの1人である。
定年を前にして、独立行政法人の研究所の理事長として転身したのである。
僕が研究室にいたのはわずか2年半、しかも14年も前だから、いま思えばお世話になったのは、長い人生のほんの短い時期であるが、今でもその先生の笑顔を見ると妙に懐かしく、癒される気分になる。
もともと小学校や中高など卒業校にそれほどの愛着を持たない方だと思うが、何故かこの研究室だけには、妙な郷愁を感じる。いろいろな経験や思い出が交じり合ってそう感じるのだろうけど、その先生の人柄によるところが大きいだろう。
私の技術分野では大変名の通った先生である。各種代表、委員長、理事などのあらゆる要職を経験され、いつも学科をリードし、業界紙の一面にもしょっちゅう顔を出す。そして定年を間近に最後も見事な転身であった。
かといってがつがつ、ぎらぎらした先生ではない。どちらかといえばいつも笑顔を絶やさず、「いやあ実験の打ち合わせしなくちゃね」といいながら忙しく過ごしていた印象がある。それでも怒ると怖いといううわさではあったが、僕自身は一度もそういう姿にお目にかからなかった。
正直なところ先生を見ていて、科学者、研究者として他を圧倒する凄さを感じるかというと、そういう分けではない。しかし人の上に立つ人が持つ、バランス感覚みたいなものはとても感じる方だ。
同じことを多くの教え子が感じるのだろう。この手の集まりがあると沢山の卒業生が集まる。人が集まれば交流が生まれ、いろいろな情報交換が始まり、またそこが別の意味で有意義な場になる。そうして雪だるま式に、集まるところに人は集まるのだろう。
パーティ後、数年ぶりに会う同期や先輩で自然な流れで2次会に脚が向かった。
しばし悩んで、やはり決断した。今日の晩にコースを確定して残りの50枚を刷らなければ流石にやばい。
「すまん、今日は帰る」
なんだよ、仕事?という顔をならべる同期にどう説明してよいやら、
「いや、仕事じゃないんだ。その、、明後日からの合宿の準備が・・、」
「ガッ・・・ガッシュク??」
まるで何年も口にしてない死後を耳にしたかのようなリアクション。
38歳のサラリーマンが飲み会に誘われて断る理由にしては、余りにも唐突すぎるかも。
(ああ、まだそういうのやってるんだね)と、でも皆なんとなく納得。本郷三丁目前の交差点の雑踏で別れを告げて家路についた。
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