毎日が近くの公園と買い物で過ぎていく夏の日々。自由を得た貴重な1日を使ってどこにいくか、妻と徒然に話しているうちに、自然と答えは収束した。
鳳凰三山である。
数えてみると2005、2007、、、なるほど今年のタイミングになる。
ちょうど2005年の世界選手権目前、全ての意識とリソースが愛知に注がれていた暑い夏、まだ身軽だった妻はテントを背負って友人と鳳凰三山の登山に行った。合宿や選考会に忙しい中、妻がいつそんな登山に出かけたかは頭の片隅にも残ってないが、その時賽の河原で妻が白い小さな石を拾ってきた。
その理由を聞いても、ふーん、当時ピンとこなかった。
しかし1カ月後、その石は小さな娘の命となってこの世に現われた。
そして2年前このブログでも書いたように、「お礼をいってもう一つの石をもらいに」僕は単独で鳳凰三山の縦走トレイルを走りにいった。そして娘よりも少しだけ大きくて角ばった、でもやっぱり白い石を持って下山した。
そして、娘より少しだけのんびりと3ヵ月後、長男は命を授かった。
この夏、3歳の娘と1歳の息子は無事元気に成長している。
広河原から白鳳峠までの急登は、1000mの標高差で森林限界近くまで一気に高度をあげる。大木とその倒木で荒れた急斜面の登りは悪路が多く、閉口するほど延々と続く。この半年で産後から急速に回復し、みるみるトレイルでの力を取り戻している妻。それでも、さすがに足取りは辛そうだ。2時起きで車とバスを繋いできたせいもあるだろう。
「なぜあんなところに道を作ったの?」延々と続く斜面に飽いて妻は素朴な疑問を投げかけた。
先ほどバスで通ってきた南アルプス林道のことである。崖のような斜面にへばりついて延々と続く道。さあ、知らない。ただ昔の人が、何かの大義名分があって作ったに違いない。今自分が格闘しているような斜面、あるいはもっと厳しい斜面を延々と切り開いたのだろう。そういえば夜叉神峠を過ぎたあたりに、林道工事殉職者の慰霊碑がバスの窓からちらっと見えた。小説「高熱随道」のようなすさまじい歴史があったのだろうか。そんな昔の名もない無数の工夫の汗によって繋がった道があるからこそ、今自分がこうして山を登っている。
そんな妄想をしているうちに、ようやく登山路は尾根からゴーロに覆われた開けた沢に出て、まもなくたおやかな稜線が見えてきた。いよいよアルプスに来たという実感がわく。
やっとのことで尾根に乗り、しばらく尾根道を進む。高嶺に向かう頃に視界も開けてきた。
妻が唐突に聞いた。
「石もって帰る?」
時として、妻は本質をつく鋭い質問をする。ストレートにきたその質問に、一瞬言葉に詰まった。
え、いや、今日はご利益のあった石を返しに着たつもりだったけど。
石をもらうのは。。考えてなかった。
でも、まあそれもそれで人生、
「いいんじゃない?」
妻はあっけない返事に、やや肩透かしをくらったようだ。あら、いいのそんなに簡単に答えて?というふうに。
「まあ、人間万事塞翁が馬だよ。まあ今度は5年くらい待ってくれると嬉しいけれどね。それより君はいいのかい?また走れなくなるぜ」
私はいつでもいいわ、その後だってまた強くなれるのよ女は・・・・、そんなことを妻はいってただろうか。
ハイマツの狭い尾根を抜ける時は縦列になる。会話はそこで途切れた。
遠くに見える北岳が美しい。妻は本当はどう考えてるのだろう?
賽の河原まではのんびりきて約2時間半。今日も晴れて青い空に白い砂、そしてそこに並ぶ小さなお地蔵さんの一群が、絵に描いたようなお伽話の世界を作っている。
妻は深く膝ついて、「息子」をお地蔵さんに元にもどした。黄色いトレランウエアが何故か眩しいくらいに映えた。
「2つ選んで」
「えっ」
「双子はいやよ、一つは友達にあげるのよ、欲張りかしら?」
「いや、これだけたくさんあればなくならないよ」
「元気そうなやつね、形は別に気にしないの。」
「こんなもんかな」
「さあ、山の天気が崩れないうちに、いこう」
キャメルバックのポケットに石をしまい、再び稜線を走り出した。
そこから夜叉神峠まで約3時間。バスで芦安に戻り、そこから車で2つの石が待つ東京に戻った。
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