「五合目からではなく麓から富士山に登りたい。」
「ミスターK」は、メールで意表をついたことを伝えてきた。
「研究室の恩師が日本にいった際に富士山に登りたいといっている」
ブリスベンにいる実兄から紹介のメールが来た時は、それでも驚いた。
が、まさか麓から登るなんて。
山歩きはかなり慣れていると実兄からは聞いている。しかし富士吉田から登るのはかなりの距離である。
五合目に自動車道が出来て以来、中の茶屋から五合目までの山道は登山客もなく、山小屋は深遠な森の中で廃屋と化している。
そもそも日本語を片言もしらない「ミスターK」が、登山客もほとんどない山道を迷わず登れるだろうか?
若干答えの迷いも感じたが、今までつきあってきた多くのオーストラリア人-だいたいが大らかで大胆な人々-思い返すと、それも彼らの旅の冒険の一つかも、と思えてきた。
「それもいいアイディアかもしれない。7合目までは7~8時間かかるけど・・・・」
片言の英語で、夏場の暑さ対策を十分すること、5合目以降は直射日光に気をつけることなど、思い当たる注意を書いて返信した。
「ミスターK」は結局、まるで学会ついでの散歩に行くかのように、単独富士登山-しかも中の茶屋からの-計画をたて、そして7月末の不安定な天気をくぐって登頂を敢行したらしい。
僕は結局メールでのアドバイスをしただけだった。
「ミスターKは、ある分野で輝かしい功績をあげた著名な研究者」であることを兄から聞いていた。
かの「ネイチャー」に掲載された著名な論文のオーサーであるとのこと。その時ぴんときた。つい先日読んだ、新書である。福岡伸一の「できそこないの男たち」
余談だが、理系の新書として、福岡伸一の本は、群を抜いて面白い。ドラマがあり情緒がある。今自分が、題目より著者名だけで本を買う数少ない文化人である。
そこにミスターKのチームの功績がドラマのクライマックスとして余すことなく描かれていた。
それほどの研究をしてても、まるでバックパッカーのようにふらりと富士山に登ってしまう大らかさ。
そんな知性と感性、野性までもが共存する個性、そしてその文化。
自分は今でもそんな世界に憧れてしまう。
0 件のコメント:
コメントを投稿