A8到着 104.4km 14時間24分、in69位、out62位
この先の天子山塊が一番の山場、ここの戦略が重要である。次のエイドまでは5時間近くかかる。いくら気温が低くてペースがゆっくりといっても水分はレース中一番必要となる。その他の区間は1Lあれば十分だけど、この区間はそれでは足りない。いつも通り650mLのボトルと400mLのプラバックを満タンした他、この区間用に用意したもう一つのプバッグ(400mL)を持参した。
ただ、ここの補給ではひとつ失敗を犯した。エイドには地元のおまんじゅうが並んでおり、ボランティアの女性に「いかがですか?」と笑顔で勧められたのだ。(もちろんその女性に悪気はない) そして釣られて食べてしまった。推定150kcal。それまで本能の赴くままに補給してきたのだが唯一ここで、身体は欲していないのに食べてしまう。飲み込み終えると少々度を超えた満腹感がきた。
その時は、「このくらいなら大丈夫」だと思ったのだが、結局あとで後悔することとなる。
その時は、「このくらいなら大丈夫」だと思ったのだが、結局あとで後悔することとなる。
ここでは荷物チェックもある。村越さんが役員をしていた。難なくチェック完了。14時29分。ところがここでチェックにひかかっている選手が一人いた。地図らしい。外国の女性選手でブラジルの選手だ。しきりになにか理由をアピールして役員と議論していた。ちょっと気になったけどこちらのレースもあるので、そのままエイドを後にした。結果なんとか説明がついたのだろう。この選手には後で何度か抜きつ抜かれつして最後僅差で負けたのだが女子で5位入賞している。
市街地のロードを抜けて、水路の脇の道を登り、山道に入るといよいよ斜面はきつくなっていく。このころにはすっかり明るなった。まだ6時というのに昼間のように太陽の日差しさ強くなってきた。約800mの一気登り。ここをトラブルなく乗り切ることがこのレース最大のポイントだ。
急登のつづら折りを延々登る。まだ足取りはしっかりしている。はるか下からハイペースで登ってくる選手が一人いた。海外の男性選手だ。ながい脚でひょいひょい斜面を登ってくる。追いつかれて並走「どこから来たの?」と聞くと「UK、きつい登りだね」と短い言葉を残してさっさと登ってしまった。
またポツンと急な斜面で一人ぼっちになった。
またポツンと急な斜面で一人ぼっちになった。
登りも半分を過ぎた頃に、とうとう始めのトラブルが訪れた。
「睡魔」である。これは後で気付いたのだが、歩くような急登は睡魔が襲いやすい。着地などで反射神経を使う必要がないからだろうか、平地で走っている限りは眠気は襲ってこないが、歩くとたんに眠くなる。
朝の7時近くになっている。昨年眠くなったのとだいたい同じ時間帯だ。ペースが鈍る。斜面の遥か下には2人ほどの選手が近付いてくるのが見える。抜かれるのはしゃくだが我慢できず、とうとう、急登のつづら折りの脇で座り込んで目をつむった。
目をつむるとこんなに気持ちいいのか、とたんに意識が一瞬で遠のいていく。。。。。意識が深いところに落ちて完全に気を失う。・・・・・・・
・・・・・・はっと起きた。
ふと見ると、先ほどの2人の選手が少し上を登っている。
恐らく3分くらいだろう。それでも眠気は大分おさまった。
・・・・・・はっと起きた。
ふと見ると、先ほどの2人の選手が少し上を登っている。
恐らく3分くらいだろう。それでも眠気は大分おさまった。
再び歩きはじめる。少し歩くとまた眠気が抑えられなくなる。座って3分目をつむる。これを3回ほど繰り返したところで天子ガ岳についた。そこからは尾根道となり、走りのリズムが変わって眠気も影をひそめてる。よし、まだそれほどのロスじゃない。このスキに尾根道も頑張ろう。
ただ、この尾根は想像以上にきつかった。登り基調の上にアップダウンが大きい。登りがきついと眠気が時々襲う。さらに、7時頃から気温が急激にあがり、汗のかく量が増え、水の消費も激しくなった。
途中のピークで、登りをさっさと登ってたUKの選手が座り込んでいた。どうやら水切れをおこしたらしい。
このあたり、気付けば抜きつ抜かれつする選手は半分以上が外国の選手だった。想定外の暑さとアップダウンの厳しさに皆閉口してペースの維持に苦労している。こちらもまたいくつかのピークの前で2,3度睡魔に襲われ座り込みペースは大分鈍っていた。
難関の熊森山は越えた後、とぼとぼ歩いているポルトガルの選手が「水を少しもらえないか?」と空のボトルを見せて頼んできた。ボトルにはまだ400mLくらい残っていたので、半分ゆずることにした。彼は僕の手からボトルを(ひったくるように)とると自分のボトルに勢いよく入れ、「半分だよな」、と6割くらいを入れてからごくごく飲んだ。彼はものすごく嬉しそうにお礼をいって歩き出した。ペースは彼の方が速くて見えなくなった。ほどなく僕のボトルも空になったが、もう下り基調だから大丈夫と考えてた。
ところが、その先少し歩いていて目の前にそびえる高い山をみて絶望的になる。雪見岳だ。地図の等高線まで良く見てなかったので、最後の雪見岳が一番高く、その手前に250m近い登りがあることにまったく気づいてなかった。想定していなかっただけに、落胆は大きい。水がもうないと喉の渇きも余計に気になる。先ほど水を恵んだことが恨めしくなった。気温はますますあがってるようだ。
それでも前に進むしかない。登っては休み登っては休みの繰り返し。尾根上で抜きつ抜かれつしていた選手にはほぼ全員抜かされて見えなくなった。
随分時間をかけたようだが、漸く雪見岳を通過。そこからは完全下り基調で、気分を取り直して進む。下りは厳しかった。ほとんどトレイルのない倒木だらけの急斜面に点々とマーキングがついている。オリエンテーリングで下る急斜面のようである。19時間も走ってる身体には、脚のブレーキがきかず、ぎこちなくしか降りられない。それでも周りの選手よりは得意なようで、尾根で置いて行かれたの選手を幾人か抜いた。もういい加減勘弁してくれ!と悲鳴を上げたくなる頃に漸く真っ平らな麓が見えてきた。
A9到着 123.3km 19時23分 in66位、out63位
5時間近くを天子山塊で費やし、軽い脱水症状、さらにトイレにも行きたくなり、ここでは10分程度の休憩をとった。休憩中の時計の針が恨めしく、はじめて次に向かうのに気力が必要なエイドになった。でもここからが本当の100マイルである。
休憩中、奥の方で何やら色々な人に囲まれてる選手がいる。その選手が走りだすと大きな拍手と声援が沸き起こった。と同時に「今日は、ちょっと厳しいかな」という観客の話し声が聞こえた。誰だろう?後ろ姿に見覚えがあるが。。。。
その選手の1分後くらいに、ひっそりと走りだす。10分ほど走った頃だろうか。河原でその選手が荷物をおいて、スポンサーの沢山ついたウエアを脱いでいた。暑さ調整だろうか、
そう、石川弘樹さんだった。
「こんにちは!」抜く時に声をかける。向こうも挨拶してくれた。いつものさわやかな笑顔だった。その後は平らな林や草っぱらを縫うように走るトレイル。夏の陽気にも近い午前中、身体は疲れてたけどとてもリフレッシュする区間だ。
「ごついコースですよね」後ろから声がした。石川さんだった。「みんな良く走るよなあー」
石川さんらしい感想だな、と思った。アメリカなど比較的マイルドなトレイルを好む石川さんのプロデュースする、信越や斑尾は快適なトレイルコースで有名だ。「僕も信越のコースの方がいいです」と答えた。この時は心からそう感じたので素直な感想だ。
石川さんとはさすがにペース差があるのでじりじり離れていき、また一人になる。そのまま1時間ほど平らなエリアは一人で走った。途中とぼとぼ歩く2名の外国人選手を抜いた。A9でトラブッていたブラジルの女性選手とドイツの女性選手。ドイツの選手はA9までいいペースだったものの、A10でリタイヤしている。
その後、(何かトラブルを抱えていたのだろうか)石川さんに再び追いつき追いぬいた。その後石川さんには最後に抜かれるまで会わなかった。
竜ケ岳の登りに差しかかった。辛いけれど着実に登ることができた。天子ガ岳山塊で失われたエネルギーと闘志がまた充電してきたようだ。
頂上手前で、軽装のトレイルランナーに抜かれた。誰かの応援の人だろうか、羨ましいくらいに軽快に走って斜面を登っていく。
「鹿島田さん!」
許田君だった。
許田君はオリエンティアからトレイルランナーに転向した選手としては初期の成功者でハセツネで4位にもなった実力者である。ここ数年は激務と子育てで第一線からは退いているが、自然の中を走ることが心から好きなタイプの人である。彼が大学時代にはらアメリカ遠征をともにしたこともあり、旧知の知人である。
「この位置でその脚どりはいけるんじゃないですか?」
その言葉に勇気づけられる。確かにその時は比較的リズムよく下れていた。あるいは少し気負って少しだけオ―バペースだったかもしれないのだけど。
彼がスマホでRunner's up dateで順位を調べてくれた。ここまで順位というものはまったく分からず意識していなかった。ただ昨年の100位以内には入っててほしいな、とは思っていた。
彼の調査では66位。思ったより上位だった。崩れなければ100位以内はいけるだろう。
A10 到着 138.6km 22時間17分 in59位、out54位
ここでは食糧補給と給水を実施。あまり長居をしたつもりはないが記録上は5分くらいかかっている。
次の区間の前半は未知の区間。エイドから裏の尾根に登っていく。足取りはしっかりしているが、登りは元来強くない。1人の日本人選手にさっさと抜かれるが、気にせず自分のペペースで登る。
尾根に乗ってからは適度な起伏の快適なトレイルだった。鏑木さんが、「延長した区間もとても良いトレイルだ」といっていたのを思い出した。そろそろ丸1日たったとは思えないくらい快適に脚が進む。
尾根道の途中で2人選手を抜かす。一人はさっき抜かれた選手、もう一人は柳下君だった。ペースは鈍っているようだった。何かトラブルがあったらしい。このUTMF前には普通のサラリーマンとしては想像を超えるトレーニングをしていることを聞いていただけに、なんとなく僕にとっても残念だったし、このレースの難しさを見ているような気がした。
烏帽子岳の急斜面も脚は快調に動いてくれた。そして今回のレースで快適に走れる最後の区間だった。
斜面を下りきったところから異変が起きた。身体に急に力が入らなくなった。飯バテと思い、補給しようとすると胃が受け付けなくなった。胃腸のトラブルだ。
ここから最後のエイドA11までは本栖湖湖畔の溶岩地形が作る独特の雰囲気の平らな森で本来快適な区間のはず。なのに、足取りが少しづつ遅くなる。時間も夕方になりかけて気分的にも少し滅入る頃だ。
烏帽子岳の下りで胃腸にダメージを受けたのだろうか。A8で食べてから若干違和感のあった胃腸がここで急に悪化した。
雪見岳で助けたポルトガル人に抜かれた。彼も決して脚取りは良くないのだが。最後のロードも走り切れず、「80歩走って40歩あるいて」とルールを決めてとぼとぼ延々と走った。1,2名の選手に抜かれた。
A11 到着 157.6km 26時間15分、55位
胃の調子が最悪になった。あったかいお茶をもらい飲むが食べ物は受け付けない。寒さも身体に感じはじめた。毛布をもらって身体をあたためる。スタッフも心配そうに、「大丈夫ですか」としきりに声をかけてくれる。
15分くらい休んだろうか。結局胃は治らず何も受け付けないが、なんとなく本能的にパンが良さそうに感じて、小さなパンを2つほどもらい、かばんのポケットにつめて次に向かった。
ここからは辛かったことしか覚えてない。足和田山に向けた登りでは、歩くのがやっと。一人、また一人と抜かれていく。
とうとう飯バテ気味になって、道の途中で寝転んだ。胃は痙攣をおこし何も受け付けない。どうしよう?少し寝て胃が収まるのを待つしかない。。。
どうしようもなく、ただ横になって10分くらいたったろうか。
「暗くなる前にゴールしましょう!」
通りすがりに励ましてくれる選手がいると思ったら石川弘樹さんだった。
いわれてみると、夕暮れ時となり、あたりは大分暗くなってきた。走りはじめて2度目の夜が近づいている。
その言葉に少し元気をもらったかもしれない。かばんに詰め込んでいたパンのことを思い出して口に入れてみると、なんとか飲み込むことができた。それで少し力がわいてきた。
「暗くなる前にゴールしましょう!」
通りすがりに励ましてくれる選手がいると思ったら石川弘樹さんだった。
いわれてみると、夕暮れ時となり、あたりは大分暗くなってきた。走りはじめて2度目の夜が近づいている。
その言葉に少し元気をもらったかもしれない。かばんに詰め込んでいたパンのことを思い出して口に入れてみると、なんとか飲み込むことができた。それで少し力がわいてきた。
とぼとぼと歩きはじめる。やがて暗くなり始めてライトをつけた。下りになれば何とか走れるだろう。なんとか足和田山を越えれば。
真っ暗になるころには歩くペースも少しづつ戻る。闘志が少しづつもどってきたのだろうか。ふと後ろをみると遠くにライトがポツンと見えた。もう抜かされるのはやめよう。このライトには勝とう。そう決めると急に身体にエネルギーがわいてきた。程なく登りは終わり、下り基調になる。こうなれば負けない、100mくらい後ろに見え隠れするライトとの距離を常に意識してスピードをあげた。
足和田山塊を降りると、河口湖畔に出る。あとは湖畔を走るだけだ。とはいえ、ゴールと思える場所は湖のはるか先に見えていた。頑張るしかない。ひたすら走る。走る。走る。ペースは快調になる。キロ4分台では走れてたと思う。本当はそうでないかもしれないけれど、少なくとも本人はその気力で走ってた。
この区間長かった。でも、やがて終わりは見えてくる。フィニッシュ地区の明かりがだんだん大きくなってきた。ここまでくると、むしろもう終わりか、という気持ちの方が強くなる。
夜の7時過ぎ、寒い中だけど、フィニッシュ手前では多くの人が応援してくれた。
もちろん、みなとハイタッチ。フィニッシュのカーブを曲がると、鏑木さんの姿が見えた。
ゴール 169km 28時間24分7秒 58位(総合)、53位(男子)
興奮気味に鏑木さんと少し会話をさせてもらった(天子ガ岳山塊の下りがハードだった、なんて話をしたように思う)あとは、少し付近の名も知らない方と会話をして、1kmほど離れた宿に戻った。
宿のおばさんは、2日目の夜に帰ってきたことにすごく驚いてくれた。
早速夕飯を用意してくれたのだけど、興奮が冷めて気付いたら胃がとんでもなく気持ち悪い状態のことに気付き、「あとで頂きますから」と丁寧にお断りして、風呂に入った後寝床についてしまった。
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