100マイルに代表されるウルトラトレイルでは、昼夜のレースで高山の岩場から街中のロード、暑い日差しから雨や時に雪など、様々な環境の変化に対して走り続けることが必要である。そのため、スピードや持久力に優れた選手でも、これら変化する状況へ巧く対応できなければ、結果がついてこない。
しかしよく考えてみれば、冒険の疑似体験でもある100マイルは、いわばリスクの予測と対処がレースの醍醐味だとも言えるだろう。様々な想定外があってそれを乗り越えることで俄然このレースの面白さが際立ってくる。
山のリスクは時に生命の危険にも繋がり、また、そこまで行かなくても、リタイヤした時の運営者や周りの人への負担が大きい。そのため多くのレースで必須装備を指定することで自己管理を喚起し、自己責任でリスクを負うことが、そもそものレースを走る上での前提となっている。
しかし必須装備を求める背景に、レースでどんな想定外、リスクが潜んでいるのかその要因について丁寧な分析をしている例はあまり見ない。web上では選手の体験談や用具メーカーのアドバイスなど沢山見つかるが、そのほとんどは数あるリスクのうちある部分を切り取って解説しており、この競技がもつリスクの全体感までつかむことは意外と難しいのではないか。そもそもリスクは言葉で説明されるのではなく、自分で経験してみないと実感としてつかめない部分も大きい。実際、多くの選手がレースを通じて一つ一つ苦い経験をし、次のレースで改善策をたてて成長しているように感じる。
そうはいってもこの競技に新たに取り組む選手にしてみれば、リスクの羅針盤的なものは欲しいだろう。そこで、主に100マイルのレースを想定し、「ウルトラトレイルのリスクを知る」というテーマで起こりうる8つのリスクを類型化し、対応策も記してみた。細かいものや稀なものを上げればリスクはこの他にもあるだろうが、経験的にはまずこの8つを想定しておけば大抵のレースは乗り越えられると感じる。まだ超長距離レースを経験したことのない人も含めて、どんなリスクがあるかを事前に想像し、準備するためのヒントとして活用していただければ幸いである。
なお、レース中の8つのリスクとは、
「低体温・寒さ」
「日射病・脱水症状」
「胃腸トラブル」
「筋肉痛・痙攣」
「怪我・動物被害」
「睡魔」
「用具トラブル」
「コースアウト・道迷い」
である。
個人的な経験からリスクの深刻度と発生頻度から重要なものから順に並べてみた。あくまで私個人の視点と他の選手からの伝聞に基づいており、専門的な知識に基づくものではない点はご了承いただきたい。
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1. 低体温・寒さ
ウルトラトレイルで最も留意すべきリスクだろう。昨年中国で起きた20人以上の犠牲者を出した悲劇もこの要因である。
春や秋に開催されるレースでもともと平地でも気候の涼しい時期は、高山の通過時間帯が深夜から明け方に重なるなどの条件で0度以下の環境も珍しくない。気温0度でさらに雨が降ればかなり厳しい条件になり、動き続けていても身体から体温が奪われる。
多くのレースで防水ジャケット・パンツが必須装備としているが、これもうまく使えないと効果がない。まず雨で身体が濡れる前に着ることが大切である。ジャケットをバッグの奥底に入れてしまったがために、取り出して着るタイミングが遅れ、濡れてしまうケースがある。身を守るジャケットは天候が急変した時のために出しやすいところに入れることが必要である。
手袋や帽子などで体の末端を温めると寒さは和らぐ。手袋は悪路で転んだり樹々を掴むと直ぐに濡れるので、防水機能のあるものか、もしくは替えをもっている方が良いだろう。帽子は寒さの中で脳をしっかり集中させるためにも耳までしっかり覆うものが良い。
体躯は、最近多い撥水性のドライレイヤーを持つアンダーウエアが良い。汗でも雨でも濡れた後の冷えを防止できるので必須アイテムだと思う。
防水雨具だけでなく、保温のできるウエアも必須装備にある。実際は、ある程度のタイムで走る選手は、とんど着る機会はないままレースを終える。しかし、もし身体の不調などでペースが鈍れば急に体が冷え、身を守る保温が必須となる。普段はお守りと思ってしっかり保温できるウエア1枚をどんな時も携帯しよう。
また、レース中 身体がぬれたりして体が冷え切ってしまった時は、エイドでしっかり休み、濡れた衣服を乾かすことが大切である。
2. 日射病・脱水症状
条件によっては寒さと同じくらい大きなリスクになりうるのが脱水症状だ。
晴天の日中に走る区間は、気温がそれほど上がらなくても暑さに襲われることも多い。春先や秋の広葉樹林は葉が落ちて枯れ山となり陽を遮るものがなくなるので注意が必要だ。あるいは防火帯のようなトレイルも直射日光に長時間さらされることも多い。普段の練習から気温と水分の補給量の関係を把握して、次のエイドまでの時間と必要な水分量をしっかり計画することが大切である。
山中で水が不足してくると知らず知らずのうちに飲む量を節減し、やがて体内の水分が減少してスピードが低下する。脚の痙攣しやすくもなり、急激なブレーキに繋がるおそれがある。
タイムを狙う選手はついつい軽量化に走り水をギリギリにしてしまうので注意が必要だ。最近のベスト型のバッグは左右の肩で合計1L保持できるものが多いが、日中に3時間以上かかる区間で1Lでは足りない可能性が高い。私の場合、そのような時は手持ちのフラスクを用意し、300-500mLプラスしてエイドを出発し、前半に飲み切ったらフラスクをカバンにしまうことにしている。
コース途中で自然水の補給ができる場合があるが、試走などで確実に利用できることを確認したい。確実な情報がない場合は、見逃したりあるいは季節によって枯れてたりするリスクもあるので、あてにしない方が良いだろう。
もう一つ気をつけるべきがミネラルの補給だ。レースによってはエイドで水しか補給できないので、途中水ばかり飲んでしまうとミネラルが不足し水中毒の症状を起こす。汗をかいてるのに水分を飲めなくなったら危険信号だ。防ぐには塩飴、干し梅などミネラル(塩分)の多い補給食を別に用意することが必要。スポーツドリンクの粉を用意して自分で水に溶くのも手だと思う。またエイドでは豚汁やせんべい、ポテトチップなど、ミネラル補給を積極的に行うのが良いだろう。
3. 胃腸トラブル
深刻なリスクではないがレースのブレーキに一番なりやすいのが胃腸トラブル。中距離までのレースとの一番の違いはここである。レースで本調子を出せず失速したり棄権する選手の多くがこの胃腸トラブルを原因としている。レース中に胃腸が食べ物や時に水分を受け付けなくなり、エネルギー不足で失速する。個人差があって、ほとんど悩まされない人もいるし、この問題を解決できず100マイルを走らない人もいる。僕の場合その中間だ。つまり、酷くトラブルを起こしたこともあれば、うまくかわせたことも多い。
対策に王道はないが、一番大切なことはレース前を含めて食べ過ぎないことだ。スタート直前まで食べてしまったり、あるいは途中のエイド、にこやかなスタッフの進めでついつい食べ過ぎてしまうこともある。しかし、一旦食べ過ぎてしまうと、消化のスピードが極端に遅くなり、そこから胃がおかしくなる。そうなるとレース中の復帰は難しくなる。
20年トレイルを走っているが、唯一棄権した2005年のハセツネはこの胃腸トラブルだった。練習不足の不安からかレース直前まで食べまくってしまい、結果その重たいお腹が40km過ぎてもおさまらずレースを断念したことがある。
食料の準備としての工夫の一つは種類への配慮である。同じものを取りすぎると胃腸が受け付けなくなることが多い。ジェルだけに頼らず、シリアルバーや、羊羹、ドライフルーツ、ゼリーなど多くの種類の食べ物を用意しておくと、食欲が低下しても、どれかを食べてしのぐことができる。
どこまで効果あるか分からないが、レースの走り方にも工夫の余地がある。急な下りの走りで衝撃が強いと胃腸が揺れて消化が悪くなるという人もいる。下りは脚のことも考えて胃腸にも優しい走りをすることが大切だ。
4. 筋肉痛・痙攣
筋肉痛は、事前のトレーニングでどれだけ筋力を鍛えられたか、あるいは、その準備した体に見合ったペースの走りを出来ているか、が大きな鍵だ。
筋肉痛がひどくなり、下りで速度を制限されてしまうケースが多い。レース後半になると必ず斜面をとぼとぼ歩いて下る選手に出会うが、下りのブレーキは登り以上に差がついてしまう。良いパフォーマンスには、最後まで下りを走り切ることが大切だ。
レース中一番注意することは前半の走り方だ。筋肉疲労は下りの着地で蓄積するため、特に下り方に注意する。大股での下りや大きい段差の衝撃は避けて重力をうまく使った小刻みな下りを心掛けたい。
用具の面で重要なのは靴の選択だろう。私は初回の100マイルをソールの薄いスピード用の靴で走って大失敗をした。やはり100マイルを走るには、ある程度ソールがしっかりした靴の方が後半に向けたダメージは小さい。
疲労しやすい筋肉のサポートをするテーピング(あるいはその役目をするサポート機能付きタイツ)もある程度効果が期待できるだろう。但し自分の筋肉を増強してくれるような高い効果まで期待しない方が良いと思う。あくまで補助的な対策だ。
もう一つ、意外と効果があるのがレース中のマッサージである。エイドによってはマッサージやテーピングサポートをしてくれるケースもある。あるいは自分で腿をマッサージするのでも良い。固くなった筋肉に激しい痛みを感じるくらいの強いマッサージをすると、その後筋肉の状態が改善する。レース中に回復しながら走る100マイルならではだ。
痙攣は、筋肉痛とは少し違う要因だ。多くは前述「2. 暑さと脱水症状」に起因する。痙攣の場合発生したらストレッチなどして、まずは負荷を落とすしかない。全く動けなくなることはないので、焦らず1,2分待てばいい。少し動けるようになったら、痙攣をおこす筋肉の動きを特定し、その動きを使わない動きを工夫してみる。うまく走り方を見つけられれば影響は大分軽減できる。
次のエイドでしっかりと水分とミネラル(塩分)をとることで、ある程度回復するだろう。
なお、痙攣防止のためのミネラルを含んだサプリメントが多く出ている。興味ある人は調べてみると良い。
5. 怪我・動物被害
怪我の危険を生む一つの要因は悪路だ。トレイルレースは主催者が参加者全員(数百人時には数千人)が通過することを想定し、最低限の安全確保されたコースが原則となる。それでも雨や雪などで路面状態によっては危険なエリアにもなりうる。山登りと同じように、急斜面や切り立った尾根などリスクのある場所で、危険を察知することが大切だ。意識を切り替え、3点確保などで確実に進むしかない。
命の危険を感じる程でもないが、泥濘や滑る斜面が続く場面は多い。走り方には一定のスキルが必要だろう。自分の脚で制動できるスピードの範囲に収まるよう気をつけつつ、滑って転倒した時のことを念頭に姿勢を構える。例えば進行方向に対して体を斜め30度くらい傾け、いつでも片手を後ろにつける姿勢で下る。あるいは着地の両足を少し開き気味にして、仮に滑っても足を内側ではなく外側に滑るようにすれば転倒しても大事には至らない。
もっとも、(日本の)ウルトラトレイルの場合、レース中の大怪我はあまり聞いたことがない。むしろ気を付けたいのは、なんでもない路面での疲労に起因した転倒だ。そのような時はなんらか予兆がある。木の根に足を何度か引っかけたら「自分は疲れている」ということを自覚し、歩幅を狭めて無理をしないことだ。
怪我ではないが意外と侮れないのが足のマメだ。途中つぶれると、棄権まではいかないが、その後走るのが苦痛になるケースは多い。マメの防止は靴下や靴との相性によるので具体的な解決は難しいが、練習でレースと同じ靴、靴下で相性をみておく必要はある。どうしてもマメが出来る場所はそこにテーピングを巻いて摩擦を防止し、軽減できるケースもある。またレース中足をなるべく濡らさないことも大切。濡れると足がふやけてマメがつぶれやすくなる。
一方、動物被害では蜂さされが一番多いだろう。前を歩く選手が蜂の巣を刺激して次に近づいた人が襲われるケースが多い。こればかりは中々予防は難しいが、コース上で蜂が発生した場合はしばらく待つ方が賢明だ。可能なら迂回する。 ポイズンリムーバ―を持っていると万一刺された場合もリスクを軽減できるだろう。
それ以外の被害(クマ、蛇など)は殆ど聞いたことがない。熊鈴は大会のガイドラインに沿って使うのが良いだろう。蛭の被害は時々聞く。気持ち良いものではないが、危険はなくレースへの大きな影響はないだろう。
総じて、怪我や動物被害での大きなトラブルは他のリスクに比べて見聞きすることが少ない。侮ってはいけないが、他のリスクと比較すれば過度に心配することはないだろう。
6. 睡魔
これも100マイル特有のリスクだ。特に2晩目に突入するレースでは、睡魔への対策は成績を大きく左右する。私も1度目の100マイルは睡魔との闘いに負けて1時間以上のタイムをロスした。しかしその後のレースでは、うまくコントロールできるようになり、今ではまったく眠気を感じることなく走ることができる。
基本的な準備として、レース前数日の睡眠で負債を抱えないことだ。少なくとも普段自分が必要と考える睡眠時間は確保する。特に前の晩からレース前までは宿でゆっくり睡眠を確保できるスケジューリングが必要だ。
次に、レース中に睡魔に襲われる時間帯について知ること。自分の場合夜が明けて少し明るくなった朝の6-9時頃が一番つらくなる。
もう一つのポイントは眠くなる条件だ。これは圧倒的に登りである。特に急登で景色の動きが遅くなると、とたんに眠くなる。つまり睡魔対策としては明け方から午前中にかけて急登が続くコース上のポイントをレース前に予見しておく。
対策は比較的シンプルで、多くの場合カフェインである。RedBull、あるいはカフェイン入りのジェルで良い。以前は眠眠打破などを使ったが味がかなりきつい。カフェイン入りジェルが一番胃に優しいと思う。普段とらない量のカフェインを接種すれば明らかに身体が活性化して眠気が収まるので、眠くなるポイントに来たらしっかり飲む。
レース前に少しカフェイン断ちしても良いかもしれない。なおカフェインはWADA(世界アンチドーピング機構)の禁止薬物には現在含まれていない。
7. 用具トラブル
まず、一番避けなければいけないのが、用具の紛失、落とし物である。UTMFでは必須装備をレース中落とし失格となったケースも多い。例えば、雨があがり、脱いだ雨具を背中のバッグのポケットに入れたところ、走っているうちに落ちてしまうケース。その日はもう雨なんて降りそうにない天気だったとしてもその先の関門で必携品チェックを受けて失格。ルールはルールだ。本人には可哀そうだが実話である。背面のポケットは木を潜る時に引っ掛けることもあり落とし物に気づきにくいので必須装備には使わない方が良い。
バッグのファスナーのトラブルも稀だが起こる。初心者にたまにあるのは、バックの両開きのファスナーを頂上付近で合わせて締めてしまい、下りなどの振動でファスナーが開いて中からモノが落ちるというもの。ファスナーはどちら側かにまとめるのが定石。振動で動いてもバックが開いてしまうことはない。
その他ライトの接触不良、ハイドレーションの水漏れなどに気をつけたい。いずれも大きなロスに繋がる可能性が高く、最悪リタイヤにつながってしまう。
食料切れによるハンガーノックも広い意味での用具トラブルかもしれない。特にレース経験が浅い選手に後半の食料切れがみられる。レース中の補給は想定できないケースもありうるので、予備の食料をどこかに入れておくことは大切である。
また100マイルを走ると靴も相当に傷む。新品に近い靴なら大丈夫だろうが、使い込んだ靴だとレース中にソールの剥がれや上面の穴などリスクもある。靴は使用歴の浅いものにする方が無難であり、万一に備えて途中のエイドで替えの靴を用意するなどの対策も必要だ。
8. コースアウト・道迷い
トップ選手を含めて完全に避けられないリスクだろう。UTMFでも2013年や2018年,2022年にトップ選手でロスがあった。致命的までのミスは多くないが、それでも10分単位のロスは十分に起こりうる。
道迷いのリスクは主催者のコースマーキングのつけ方に大きく影響される。大会のマーキングの間隔、特徴をレース前半で把握しておくことは大切だ。UTMFなどは大分親切な方だと思うがそれでもミスは起こる。特に夜の区間にマーキングを見失うと精神的な不安も重なりロスが大きい。
個人的に感じるコースロストの注意ポイントはエイド直後や市街地通過時である。鋭角な曲がりなどもあり、思わぬ方向にコースが曲がっているのに気づかずまっすぐ走ってしまうケースが往々にしてある。山の中に比べてコースマークも目立ちにくく、また深夜は注意してくれる観戦者もいない。
それと、レース中の並走者との会話にも気をつけたい。前後に人がいない状態で、会話に夢中になって走ってついついマーキングを見失うケースがある。夜は特に下りなどで足元ばかりをライトで照らさず、前方の看板やマークを見落とさないようなライトの使い方も気を付けると良い。
マーキングがないことに気づいた時は、とにかく戻るしかない。この時に焦るとさらに間違ってしまうリスクもあるので、時々振り返りながら来た時の風景をチェックすると良いだろう。それでも分からなくなったら、必須装備の地図を確認する。そのようなときのために地図読みのスキルも身に着けていた方がよいだろう。
なお、最近はGPXデータを事前に時計に取り入れて走る選手が増え、道迷いによる大幅なコースアウトは減ったように感じる。
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以上が100マイルに起こりうる8つのリスクについて触れてみた。前にも書いたがもちろんこれ以外のリスクもありうる。意外と侮れない着ズレや日焼け、トイレトラブル、そもそもスタートラインに立つまでの障害など、人によって違うポイントもあるだろう。そこは経験をしながら学んでいくのが100マイルの楽しみの一つでもある。