月曜日, 8月 15, 2011

WOC2011

今年はフランスのSAVOIE GRAND REVARDで開催中。
87年大会以来24年ぶりのフランスでの開催です。

大会公式HP。
http://www.woc2011.fr

日本チームに関する情報。
http://www.orienteering.or.jp/NT/blog/

男子5名、女子4名が出場。

予選2種目を終えて、日本は残念ながら予選通過はまだいませんが、
ロングの皆川さんやミドルの柳下君など、テクニカルなテレインで健闘しています。

地図は事前に予測された通り、かなりテクニカルな印象で、予選を見る限りタイムのばらつきも大きいよう。


16日スプリント予選決勝
17日ロング決勝
19日ミドル決勝
20日リレー

さて、今年の世界的な注目は、ここのところ不運に見舞われ続けた、ティエリ率いるフランス男子が、個人はもちろんリレーで悲願の優勝を果たすかどうか。

2005年
愛知のWOCでは2走までほぼトップ。3走アンカーのティエリはノルウェーのヨルゲンと同時にスタート。終始ほぼ同時にレースを進めるも、終盤の下り斜面のアタックでティエリが数秒のロスを犯し、そのスキにヨルゲンにかわされてノルウェーが優勝。フランスは悔しい2位に。
2008年
やはり3走アンカーは、フランス、英国、ロシアが先頭争いをし、フランスはデッドヒートの先頭を切って終盤ループへ。誰もがフランスの優勝を信じた瞬間、ティエリのGPSトラックがとんでもない方向に向かい始めやがて止まってしまう。観客は分けがわからないまま英国の優勝を見守った。実はティエリが走っている最中に蜂を飲みこみ喉を刺される悲運に見舞われたことが判明。棄権の上ヘリコプターで病院へ。(まったくオリエンテーリングをしていてこんなアクシデントがあり得るのか?と思える事件です)
2009年
三度目のアンカー勝負。先頭集団はスウェーデン、ノルウェー、チェコ、フランス。その後にスイス、ロシア。フランスはもちろんティエリ。ところがまたもや信じられないアクシデント。今度は先頭のスウェーデン、マルティンが太ももに枝を刺す大けがを負いリタイヤ。森の中で流血し動けなくなっているライバルを見たノルウェー、チェコ、フランスはレースを中断し、救護にあたった。結局そのアクシデントに遭遇しなかったスイスが優勝。
フランスは、ノルウェー、チェコとともに救護後にレース再開。正式記録としては25位に。

初戦のロングではフランスの3名が予選ヒートをトップで通過。
いくら地元開催の利といってもトップ通過はそう簡単にできるものでもない。
今後どういった展開になるだろうか。

木曜日, 7月 14, 2011

筋肉痛

ハードなレースが終わった後の筋肉痛はつらい。

つらいけど、なんとなく満足感がある。
「この痛みを絶えれば超回復でもっと強くなれる」という期待感と、「ああ、ここまで辛くなるほど自分はがんばったんだ」という自己満足とが半々。
筋肉痛がほぐれて体がだんだん軽くなるときの感覚もいい。

いや、実は走るのが好きな人は、この筋肉痛が病みつきで走るのじゃないか、と思うこともある。
だから忙しくてトレーニングやレースに不足している時は、筋肉痛を久しく経験してない身体に寂しさ、不安を感じてしまうのである。

因みに筋肉痛の度合いは、ほとんどが下りで決まる。
のぼりや平地は、自分の心肺機能でペースが決まる。だから、相当に追い込んでいるつもりでも、自分の余力以上にはペースはあがらない。でも下りは、重力に任せれば勝手にペースは上がる。だから一番辛いのは疲労を迎えてからの下りである。時として拷問に近いほど辛くなる。

妻と二人でレースに出た後の1週間、朝起きて、夜帰宅して、二人の会話の切り出しはここから始まる。
「どう?」
「いやあ、今回は結構きた、階段の下りはぜんぜんだめ」
「あらあたしは結構大丈夫よ、最後のくだりのがんばりが足りなかったかしら?」

北丹沢のあとの筋肉痛は今年一番だった。いや、今年どころかここ数年でもナンバー1だった。多分に、最後の下りを迎える直前に疲労が極限に達してしまい、標高差800mの下りをほとんど拷問のように筋肉が悲鳴を上げながら下ったからだろう。もっと早く疲れてしまえばペースが落ちてそこまでひどくならないだろうし、最後まで筋力が持ってもそんなことにはならない。絶妙なところで力を使い切ってしまったのだ。

反対に比較的バランスのよいペース配分をした妻は、それほどの筋肉痛を感じなかったらしい。それでなんとなく「寂しさ」を感じたらしいから、筋金入りのランナーである。

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普段、居間で寝転んでいると、悪餓鬼どもがすぐに寄ってきて、きゃっきゃと上に乗っって飛んだりはねたり遊びだす。

いつもはうっとおしい子供たちだけど、最近ふと気づいて、レース後はうつぶせに寝転ぶことにした。
すると、子供たちが肩、腰、脚の裏側のあちこちに乗って遊びだす。

これが意外と適度な荷重で気持ちいい。
寝転ぶお父さんの上にのって喜ぶ子供たちと、その下で「うー」と痛気持ちよがるお父さん、という奇妙な風景になる。

金曜日, 6月 24, 2011

ビール

あまり、男臭い嗜好がある方じゃないと思う。

例えば、煙草をふかすとか、高級車を乗り回すとか、ギャンブルで度胸を試すとか、夜の街で火遊びするとか。。。
そういう少し脂っこいことに無縁なのは、多分に男性ホルモンの出が少し足りないのかなあ、と自問することもあるが、その割には以外と身体は毛深いし、艶っぽい噺しも嫌いじゃないので、そう単純なことでもなさそうだ。

唯一自分がちょっと普通一般の男と思える嗜好はお酒だろう。
ただ、焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキーなど粋なアルコールはあまり嗜まない。嫌いじゃないが酔っぱらって頭が痛くなるのが好きでなくて無意識に口が進まない。好んで飲むのはひたすらビールである。

毎日飲む。「毎日」といっても、あまり練習に熱心でない選手が「毎日トレーニングしてる」というときの「毎日」みたいに週に4,5日を指すではない。
週に7日の本当の毎日、年でいえば多分360日くらいの「毎日」である。

但しほとんどの日が350ml缶ビール1本である。時々調子にのって2本。それ以上家で飲むことは皆無だし、外で飲む宴席も月に1,2度なので、サラリーマンの酒量としては平均より少ないかもしれない。

あまり舌の肥えた性質でもないのだが、ビールは値段の高い方がおいしいというのはわかる。
だから、かつてはモルツのプレミアムとか、エビスとかが好きだった。もともとは、日本に多い下面発酵のピルスナー系よりも、上面発酵で臭味のある、イギリスやベルギーのちょっとこ洒落たエールビールなんかの方が好きだったのだ。そういえば昔は、新宿渋谷あたりの、珍しいビールを出すパブに行ったものである。
だから、対極的な発泡酒はどうしても好きになれなかった。炭酸水を飲んでいるみたいでさっぱり風味がない。
たいした給料をとってるわけでもないのに、妻が発泡酒を買っくると、少し不機嫌になったもんである。

ところが、ある時期か嗜好がかわり、今は発泡酒どころか第三のビールしか飲まなくなった。

数年前、どうしてもレース前に体重を落としたい時に、自分の食生活をいろいろ考えた時があった。その結果ビールが主犯格の一人として浮上した。空き缶に小さく記載されてるカロリーを見ると、100mL あたり約40kcalと、なるほど馬鹿にならない量である。
これを削りたいがためにダイエットビールを飲み始めた。だいたい糖分をカットした上にアルコール分を3,4%に抑えているので、カロリーは半分程度以下になる。350mlにすれば60~70kcalのカット。毎日だから月に2000~2500kcalと思えば体重300g程度に相当する。ばかにならない。

はじめは水を飲んでいるように味気なかった。炭酸の爽快さとアルコールのほろ酔い気分は味わえるのだから、我慢我慢、まいいか、と。

ところが慣れというのは恐ろしい。だんだんその味に慣れてくる。いや慣れただけではなく、いつのまにかその方が舌に合うようになってしまった。
今や、ときどき実家なんかでもらってきたビールを飲むと、妙に味が濃くてさわやかに感じない。特に夏場のトレーニング後なんてはるかにダイエットビールの方がおいしく感じてしまう。そういう舌になってしまった。

走る人は特にビール好きが多い。これは確実に言えると思う。若いころはビールを飲むことに少し後ろめたさを感じたけれど、ある時期、有名なマラソン選手もビールを良く飲むということを知ってからあまり気にしなくなった。二日酔いなどで生活やトレーニングに支障がない限り、科学的にもアルコールを日常的に摂取する習慣がパフォーマンスの低下を招くという証拠はないという認識が一般的だ。

だから良く走り、良く食べ、良く飲み、良く寝る、が脂っぽさにかけるササミ系男子の王道である。

水曜日, 6月 01, 2011

出張

僕は出張があまり得意でない。

会社の多忙な先輩の中には、月曜日から日本のあちこちの出張を梯子して金曜日あたりに戻ってくる人もいる。「どうせ行くなら一通り用を済ました方が効率的」とのことだが、僕はそういう出張が苦手だ。漠然と不安を覚えてそういう予定を組めないのだ。途中どうしても会社に戻る日を作りたくなる。

何でかよくよく考えてみると、自分の仕事の計画性の弱さが一番の課題なのに気づく。
その週出張で出ずっぱりになるということは、少なくともその前に当面社内の仕事を仕上げておくか、外から指示すればよい状態にしておかねばならない。それが1,2日ならなんとかなるけど、3,4日先までの仕事を予測して片付けておくことができない。
もうひとつは、出張の準備が出来ない。せいぜい目前の訪問先の準備に追われて、はしごの後半に必要な書類まできめ細かに考えが及ばないのだ。

だから出張は一つの目的のために準備して行く、帰って次の準備をしてから行く、を繰り返す方が良い。
せいぜいがんばって2つまとめる程度。

そんなやり方でも何とか今まで勤めてきた。それ程出張が多くない職種だったせいもある。
ただ4月から、そうは言ってられなくなった。仕事がかわり、たくさんの打ち合わせをこなす必要に迫られるようになった。
大阪、兵庫、京都、北海道、九州・・・・、スケジュール帳に次々埋まる予定で間がなくなって行く。
新幹線や飛行機の長い移動が増えるのも意外と苦痛。
本を読んでうつらうつら寝ることが以前は多かったが、さすがに合わせると結構な時間になるのでもったいない。世のデキる風ビジネスマンを見習って、N700系の中でノートPCに向かうようになった。

もうひとつ難題がある。入社して15年、「なんで1泊なのにそんな荷物が多いの?」と言われ続けても、めげずにシューズとウエアを出張鞄に入れ続けてきた。
でも最近出張のはしごをすると、移動時間や付き合いの宴席が増え、朝晩の自由な時間がなくなってきた。
必然的に平日身体を動かす時間が短くなってくる。
それでも「鞄から靴が消えた日が己に負けた時」と勝手に決めて、意地でも膨らんだ鞄を持ち続けている。

火曜日, 5月 24, 2011

ある朝

6時、まず妻がごそごそ起きる。洗濯機を回してから、また寝床に戻ってくる。6時半前、僕が起きる。ノートパソコンを立ち上げて、ぱちぱちとメールの返事を打つ。6時半過ぎ、妻がもう一度起きる。朝ごはんの支度をはじめる。

7時前、僕は最後のメール送信ボタンをおして、あわてて外に出てジョギングに行く。ああ今日も25分しか走れない。。。。7時半さっとシャワーを浴びて食卓のパンを口に放り込む。

まだ2匹は寝床ですやすや。「もう起こして」 布団にしがみつく二人をひっぱがしてもすぐ団子虫みたいに畳の上で丸くなる。ああ、誰に似たか寝ぼ助の二人。しかなたくテレビのアニメ番組をつけて目が覚めるのをまってから着替えさせる。

時計はもう8時前。いかんいかん、あわててヨーグルトをかきこみ、髭を剃って着替えて鞄をとる。「携帯もった?ハンカチもった?」 ああもったよ。「ケイタイモッタ?ハンカチモッタ?」「ケタモッタ?ハッチモタ?」4歳と2歳の幼い声が繰り返す。ああ君たちは「おとーさん、いってらっしゃい」の意味だと思ってるのね。

「おとーさん会社で今日もがんばるよ、ももちゃんも幼稚園がんばれ!」玄関の戸をあけて飛び出す。自転車にまたがって、おっとっと、IDカード忘れた。。。。あわてて部屋に戻る。あー今日も定時ぎりぎりだ。

木曜日, 5月 05, 2011

北欧の森

今日富士から戻った。

全日本直後に合宿で森を走るなんて、20年以上オリエンテーリングをしていてはじめてのこと。だいたいいつも全日本後はオリエンテーリングに飽食気味で、しばらく森は遠慮したくなるのだけど、今年は全日本後にむしろ森を走りたくなったのだから、少しお腹が空いていたに違いない。

実は、GWの富士の森には特別な匂いがある。
標高700~800mの富士山麓ではちょうどこの季節に新緑を迎える。なだらかな針葉樹林は柔らかい緑の絨毯に覆われ、乾いた空気に包まれてスカンジナヴィアの森の匂いを放つ。
この空気を吸いにくるだけでも森に入る価値がある。
でも残念ながらもう1月もすると、藪は濃くなり、湿度にじめじめしたいかにも日本的な蒸れた森の匂いに変貌してしまう。だからGWを見逃してはいけない。

WOCを目指す選手の合宿だからある意味あたりまえだけど、数えてみたら全日本M21E上位11人のうち8人が顔をそろていた。ずいぶんと豪華な合宿だったのだけど、選手にしてみれば気を抜く暇もなく翌週に選考会を控えているのだから、コンディション維持と、最後のナビゲーションのブラッシュアップに余念がないも当然だろう。

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この1年、振り返ってみると本当にオリエンテーリングをしてなかった。
と、そのことを強調すると、何やら負け惜しみか嫌味に聞こえてしまうかもしれない。けれど、自分としてはオリエンテーリングとどう付き合っていくか、迷いながら迎えた全日本だった点を踏まえて、結果を受け入れなければなるまいと思っている。


昨年のASOCのミドルで勝った時、瞬間感じた達成感がなぜか急にふわふわ宙に浮いたような感じがして、心の底から充実した気分がわいてこなかった。何だろう?この今までに感じたことのない、心のスカスカした感じは?
自分でもその時はよくわからなかったけど、とにかくレース後、オリエンテーリングに対するモチベーションが戻らなかった。遠征する選手のサポートには夢中だったけど、自分自身の脚は森に向かない。今までになく重症だった。
そのまま夏、秋とすぎて、結局1年がすぎた。

今思ってみると、2008年のチェコが、自他共に認める競技者としての最後の挑戦だったのだろう。2010年のASOCは、仮に優勝したとしてもそれは惰性でしかなかったのだ。
惰性という表現はASOCに失礼かもしれないが、でもその認識を自分も周りの人も感じていることは、優勝後、多くの人の反応や言葉の端々を通じて自ら敏感に感じ取っていた。


結局惰性の - つまり競技力の向上ではなく現状維持で闘っていく - 局面に入った自分にとって、そしてそのことを自覚してしまった自分にとって、トレーニングに見合う動機付けは得られなくなってしまったのだろう。動機付けのないオリエンテーリングはこの上なく辛い。登りはきついし、藪は痛いし、足首もがくがくになだけである。

結局ASOCからのこの1年、レースらしいレースは1本のリレーのみだった。ただ、トレイルやロードは良く走ったし、オリエンテーリングも強化合宿のスタッフとして森に入る機会はなどかあった。

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震災の影響で延期された全日本。

3月から4月の初旬の混沌とした状態の中、自分の競技に集中できるような状態じゃなかった。このブログでも何度か触れたけど、世間の自粛ムードに合わせるわけでもなく、走ることができなかった。しかもこの1年の自分の準備を考えると、全日本をまともに走れるような気がしないのも当然だろう。
だから、一度は出走をあきらめた。さすがにこれで走ってもつらいだけだろう。。。。

気が変わって、やっぱり走ろうと思ったのは、4月10日のNTトレに参加した後である。思えばその週末は本当は東北方面へ出張の予定だった。直前に工事の段取りの都合で延期されたのが今思えば幸いした。

13kmのコースを選手と一緒に走った。今年2回目のテレインだったけど、ナビゲーションも不整地の走りも、悲観するほどじゃなかった。少なくとも一つのレースを創るだけのパーツはそろってる、そう感じた。
よしそれなら残り3週間でできることをしてみようかと。

とはいっても現実はなかなか厳しい。3週間といっても、社会人に残された週末はあと4日である。


翌周はNTの合宿には家族の事情で参加できない。そのかわり17日に早朝から高尾神馬往復28kmを走る。2時間38分はここ数年でも速いタイムだ。ただ全体的に登りのタイムが遅いのが気にかかる。体重がベスト+2kg程度の状態が続いているのでそれが影響していたのだろう。登りは速く走れない。そのこと自身は致命的じゃない、それで焦らないことが重要だ。

前の末の金曜日、合宿の挨拶をかねて単独で富士に行った。
地図を持って走る機会をもう一度欲しかったので、ついで選考会のコースを試走。
ただこれはいただけなかった。中途半端なペースで走ったのが悪いのか左足を捻挫し、技術的な練習にはまったくならなかった。自重したペースでゆっくり回るだけにした。
日曜日は再び南高尾のトレイル一周。左足の様子を見ながらややペースを落とし19km2時間程度。
前の週の平日。前半は東北方面への出張、トレーニングができないのは想定済み。早朝の仙台で30分のジョグが限界。その後帰京し、木曜日に10km40分のペース走+20kmのバイク。金曜日、土曜日はそれぞれ20~40分のジョグをゆっくり2回/日で疲労回復。

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当日。生憎の雨予報。会場でウォームアップできる時間は限られているので、早朝に25分のジョグで身体はほぐしておいた。予報通り会場に着くころには雨が降りはじめた。幸い託児スペースが用意されていたので、会場で直行。案の定いつもの子持オリエンティアが集まり、直に狭い部屋はにぎやかになった。スタートの早い妻を見送った後、準備ちょこちょこ、子守ちょこちょこでスタート時間を待つ。
スタート15分前。妻はまだ戻ってなかったが、山口家のお母さんは快く引き受けてくれた。子供の応援をうけてスタートに向かう。

レースはいつもの通りだった。大きなミスはない、一番大きな14番で推定45秒程度。ただ15~30秒のミスが少し多い印象がある。それと全体的に心拍は上がりきらない。登りでも175を超えることはほとんどなかった。同じ主観強度でもいつもより3~4低い。その分若干身体のキレに鈍さを感じた。
そして後半、80分過ぎくらいから空腹を感じた。ビジュアルには、その存在を知らず直前にあわてて用意した半分程度のジェルが置いてあったので、それを補給したが物足りなさを感じた。おまけに水が用意されているものと勘違いし、給水もできなかった。その影響かわからないが後半ペースの鈍化を感じた。実際ここでほぼ同タイムの2位の柳下君とは3分半タイムを離された。

結局1時間50分でゴール。4位

巡航スピード105、ミス率6.2%
この日の感覚とよく一致する。レースの完成度は、それを武器にするほどには高くなく、巡航スピードはいつも以上に足をひっぱった。ウェイトコントロールの影響は無視できまい。
ただ、この1年間の自分のオリエンテーリングの取り組みを考えたら、もちろんよくやった結果だと思うし、これ以上の成績をもとめたら、それはもっと情熱を注いで準備している人に対して失礼だ。
ただ、その失礼を承知で、自分がこの日勝つためのレースを模索するとしたら、巡航スピード102、ミス率4%だろうか。そのレースを一つの目標として次に準備する、そんなのもいい。
急に次の全日本の開催地が知りたくなった。広島らしい。
97年から14年ぶりになる。

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モチベーションを取り戻せるだろうか?

富士の魅力的な森の匂いや、情熱的な選手と一緒に走る貴重な体験が、競技向上を目指すことの幸福感を思い起こさせてくれたのは確かだ。
でも、1年間365日を通じた動機付けまで戻してくれるだろうか。それほどの魔力があるようには残念ながら思えなかった。

しばらく、また模索するしかあるまい。

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この日の勝者は小林だった。彼の勝利は心から祝福したい。現役大学4年生の全日本優勝。しかも史上まれに見るタフな14kmのコースで雨の中のコンディション。1年前に誰がこの結果を想像したろう?でもここ最近トレーニングをともにした人なら、今回の結果にそれほど驚かないのではないか。すでに彼は強化選手の中でも十分エース格だったのだから。

このステップまで来た選手は自分を含めて何人もいる。もうひとつステップを進めた選手が1人だけいる。でもその先まで進んだ人はだれもいない。問題はこの先どう進むかである。
22歳の小林は若いが光陰矢のごとし。緩めることなく進んでほしい。


37、29、31、22
これ、なんだろうか?
ここ4年の全日本チャンピオンの年齢である。
サッカーや陸上よりも、ゴルフや野球に似てなくもない。
トップレベルの技術を持つことに成功したら、フィジカル面は緩く広いプラトーの上にいる限り年齢は関係ない。それがオリエンテーリングである。

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最後に。
震災による延期などいろいろな障害を越えて全日本の開催に尽力されたスタッフの皆様に、本当に感謝します。最高精度の地図と良質のテレイン、練られたコースで14kmのコースを走ることができる幸せを感じました。また全日本会場として、合宿の宿泊所として施設を提供して頂いた岩倉学園の皆様にも大変感謝!です。

土曜日, 4月 16, 2011

遅咲きの桜

今年の桜は、まるで震災で心痛める人々の前で遠慮していたかのように、随分ゆっくりと満開を迎えた。

それでもやっぱり桜が咲くと気分が少し明るくなる。そして気がつくと計画停電もなくなり、プロ野球も開幕した。
もちろん原発の状態は依然として予断を許さないし、いまだ行方不明のままの方が1万人以上いる。被災地の復興はまだスタートラインにたったばかりであるけれど、関東の生活はほとんど正常に戻っている。

震災後、我らがオリエンテーリングのWOCやJWOC強化、選考の日程は一旦白紙となり、全日本も中止された。
その後、選手強化の予定調整に随分と奔走した。
日に日に変わる世間状況を見ながら、メールが飛び交い、どうするか毎日悩んだ。

ようやく、ここ1、2週間で全日本の5月開催も決定され、選考会の開催目途もついて、もともとの強化路線に戻ることで落ち着いてきた。気が付いてみればちょうど1月分遅れてのスタートとなったわけである。

まだまだ厳しい状況にある東北地方の方々には申し訳ない気持にもなるが、われわれはそろそろ軌道にもどなねばなるまい。過度の自粛はこの国全体の活力を落としてしまう。WOC,JWOC遠征もささやかながら、この国の活力を生むことに貢献しているはずだ。だから選手の派遣はとても大切なことだと信じている。

夏のJWOCまで約2月半、WOCまでは4か月、地震でトレーニングに集中できなかった選手も、残りの期間しっかりと準備してほしい。

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...