水曜日, 8月 25, 2010

4歳児

4歳児になると世の中のしくみ、自分の存在をだんだんと認識してくる。

自分は女の子で、弟のコーイチ君は男の子だと知る。お風呂に一緒にはいって男の子には自分にないおちんちんがあるのに気付く。おしっこのでかたが違うことも知る。

お父さんは毎日会社に行く。そのお父さんが会社で稼いだお金があれば、おやつやジュースを買ったりできる。「お父さんは貧乏」というのはうそで、いつもお財布にはプリキュアのがちゃがちゃができるお金がたくさん入っているのを知っている。

自分が永遠に子供ではなく成長する存在だということを知る。自分には親がいて、そのまた親がおじいちゃんおばあちゃんであることを知る。おじいちゃんは年取ってるので頭が白いことを知る。そしてそのさらにおじいちゃんおばあちゃんは遠いお空の上にいることを知る。つまり人とはどういう存在かをぼんやりと知る。

久しぶりに会う大好きなおばあちゃんは、ももちゃんが来るのを楽しみにしていることを知る。だから帰る時はお婆ちゃんはとっても寂しいのだということ知る。自分がもう少し居ればおばあちゃんを喜ばすことができるのだと悟る。

闇が怖くなる。母親のぬくもりを感じる灯りが襖の間から見えないと夜寝ることができない。時計の針が10になるとお化けの時間になると信じてる。

いい加減なことをいってだますことはできなくなる。
不完全ながらも自分と対等な存在になってくる。だから一人の個人としてきちんと接しなければいけない。

思い返してみると、いろいろな小説や映画で、一個のキャラクターとして活きてくるのは4歳から。

「となりのトトロ」でトウモロコシを母親にあげようと行方不明になっていまうメイは4歳。
「火垂れるの墓」で最後に防空壕で餓死してしまう節子も4歳。禁じられた遊びのラストシーンでママと叫んだポーレットも4つか5つだろう。
戦争というどうしようもない状況の中で、世の中を少し理解しはじめた無垢な存在の切なさが際立つ。もしも自分がもう半世紀早く生まれて、そうした小説、映画の子供の親だったら、、そう思うととても心が苦しくなってくるし、今の自分と家族はずいぶんと平和で恵まれてるんだなあ、と感じる。

そういえば今まで残留孤児の再開場面や、拉致家族の必死な姿をテレビ番組でみかけても何かで他人事のような温度差を感じていた。だけど、今はそういう番組の画面をさらりと見過ごすことができなくなった。
別に僕が特別、冷たかったとか、あるいは同情しやすい性質になったとか、そういうことではなくて、純粋に自分に重ねて考えることができるようになったからだろう。

少し感傷的である。人生も折り返しにきたせいだろうか?  あと1週間で「不惑」







水曜日, 8月 11, 2010

技術士試験

WOC選手がノルウェーでトレキャンを終えて本戦のスプリントを迎える頃、僕は暑い盛りの池袋で技術士の試験を受けた。

技術系職と関係の薄い人にはあまり馴染みない資格だろうが、一応国家資格である。技術者でも例えばメーカ勤務者のように設計や開発の対象が自社製品であれば、あまり縁は薄いだろう。我々のように、設計の付加価値自体を直接クライアントに提供するような事業には必要となる資格である。一般には建設系のコンサルティングの技術者に取得する人が多い。

数年前、上下水道部門で資格を取得した。現在従事している仕事は、まさにこの資格が武器となる。技術士は独占資格ではないので、取得してなければ業務ができないわけではないし、ほかの有名な国家資格、弁護士、医師、弁理士、建築士などに比べればずいぶんと庶民的な資格でもある。
それでも一応技術者資格の最高峰とは言われていて、公共入札で資格を必要とする委託業務も時としてあるし、そうでなくても初めてのクライアントに信用してもらうまでのステップを省略することができる。特に年齢相応の貫録に乏しい自分は随分と助けてもらった。

今年、もう一つの部門、「総合技術監理部門」を受けてみることにした。

「総合技術監理」とは経済性管理、情報管理とか人的資源管理、社会環境管理、安全管理などを包括するその名の通り総合的な技術監理である。要は技術だけを追い求めるのではなく、コスト、人事、安全や健康、はてはコンプライアンスもすべてのトレードオフを考慮の上プロジェクトを進めるための知識、みたいなものである「管理」ではなく「監理」というところにミソがあるらしい。。なんだか経営者的な能力を問われる点、網羅的でありながらどこか漠然としたところがある。

この資格、今のところとったからといって給料が上がるわけでなし、公共入札の条件で必要とされることもない。実務の上ではなんら特しないのだけど、いつ何どき、どういう形でこういう資格が必要になるか分からないのでとることにしてみた。

筆記試験の結果が出るのは10月でその先に論文提出と口頭試験もある。結果はどうだろう?
なんとなくすべてが中途半端だった今年の夏の自分を象徴するような出来。択一式と論文形式の問題いずれも、そこそこ手ごたえはあったけど、ああ、もう少し勉強してればな、と思うような場面があちこちに。
一緒に受けた会社の後輩はきちんと勉強をしたので択一式は相当良くできたようだった。反面論文は思うように書けなかったらしい。それでも僕より可能性は高いだろう。やはりきちんと準備をしなければだめだ。それが走ることでも試験でも。

今年の取得は少し厳しいかもしれないが、ミラクルに少し期待して10月を待とう。

土曜日, 7月 24, 2010

冨士登山競走

冷静に考えればなんとも効率が悪い。

体重60kgのランナーが加速度9.8m/s2の地球上で標高差3000mを登る。得られる位置エネルギーは計算上1764kJ。カロリー換算で約420kcal。21kmの水平距離もともなう?水平移動は物理的にはなんのエネルギーの獲得にもならない。

一方3時間半の間に消費するカロリーはハートレートモニターで推定3000kcal。位置エネルギーへの変換効率はわずか十数%でしかない。残りの無駄となるエネルギーは大量の汗の気化熱として真っ青な空に昇華していく。

せっかく稼いだわずかな位置エネルギーも、頂上から5合目までのうんざりするような下山道で半分は消費される。がくがくの膝でブレーキをかける瞬間、靴と砂礫の摩擦エネルギーとして放散される。残りの半分は富士スバルラインから下山するバスのタイヤとアスファルト路面の摩擦で消費され、富士吉田市役所につくころには差し引きO になる。

こうして太陽の光エネルギーをせっせとためた食物という高次な化学エネルギーを低級な熱エネルギーに変換して放散していく。熱力学第二法則には逆らえず、ちっぽけな自分もこの宇宙のエントロピー増大に少しだけ寄与していくのだ。

7,8合目のつらい岩場で、「何でこのレースに出てるのだろう?」と自問しながら、そんな皮算用が頭に浮かんだ。そんな風に考えてしまうと、この膨大な宇宙の中で自分はずいぶんちっぽけなことに精を出しているなあとむなしくもなってくる。それでもこのレースで2500人が頂上を目指している。そして自分より後ろに2400人近くが延々と連なっているのだ。

後ろをふと見ると、はるか雲海の下までランナーの列が糸のように折り重なって連なっている。なんとなく芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を彷彿させるぞっとする光景だ。ここで休めば延々連なる屍のような人々に黙々と追い抜かれつづける。カンダタのように糸を切ることもできないから、歩きづづけるしかあるまい。順位が落ちることを本能的にさけるように、ただひたすら足を前に出す。

ようやく頂上のゴールが見えたところで、「鹿島田さーん」と応援の声に気づき、顔をあげると許田君の顔が見えた。ゴールラインを越えてふらふら座るところを探していると俊介がいた。「30秒くらいしかかわりませんよ」とのこと。彼には馬返しまでの登りで軽々と抜かれたが、五合目以降足がつってペースが落ちてしまったらしい。このレースの難しさである。僕のタイムは3時間31分台。自分のベストより20分以上遅いが、18歳の初出場タイムはかろうじてうわまった。

五合目通過は1時間40分台である。ちなみにこのレース、山が強い人は五合目までより、五合目以降のタイムの方が速い。同じくらいがいい配分のようである。僕は五合目以降が10分遅いので、前半ペースが速すぎた計算になる。

頂上は、今まででも一番くらい気温が高く、レース後の汗に濡れたランニング姿でも冷えることはなかった。それでも狭い頂上付近に汗の臭いに蒸れた男どもでちょっとした満員電車のような状態である。長居しても気分もよくないので一杯水を飲んで、俊介とさっさと五合目に下った。お決まりのうんざりする延々とした下山道を下ること1時間10分程。

ようやく着いた五合目で弁当を受け取る。3つの出来合いのおにぎりをぱくぱくとおなかに放り込んで、冷えた麦茶を飲み、さあて妻がいつ頃くるか、と時計を見た思った矢先、「真理子さんじゃないですか?」と、俊介がいう。とぼとぼと歩く妻が見えてきた。え、少し早すぎる?
「あと30秒!」の掛け声に頑張ったがあと1分で八合目4時間の関門をクリアできかったらしい。
最近のトレランのタイムを見る限り、4時間半ぎりぎりでいける、と踏んでいたのだが、あと一歩足りなかった。それに聞けば渋滞も結構影響したらしい。残念だが来年以降にまたチャレンジするしかない。

結局完走率は男子でも50%程度で女子は40%程度とのこと。優勝タイムも2時間53分とそれほど冴えたタイムもない。自分のベスト順位のタイムを見ると、10~15年前と同じくらいのタイムだ。
昨今はトレランブームで各レースともレベル向上し優勝タイムが上がっているように感じるが、このレースだけは20年以上前と同じレベルで競っている。多分、このレースが昔から、山岳走だけでなく、陸上系の強い選手も参加するそれなりにレベルの高いレースだったのだろう。

来年は3時間10分台が目標。


水曜日, 7月 14, 2010

2010年の夏

JWOCが終わって、今度はユニバーシアードがはじまる。WOC組は今週末が最後の合宿。
いよいよ本格化してきた、2010年夏の代表戦。サッカーのワールドカップの盛り上がりには比べるべくもないけれど、僕らにとってはそれに勝るとも劣らない勝負の時。
今年は久しぶりに北欧でのレースが続く。
しばらくはインターネット観戦の日々がつづく。

土曜日, 7月 03, 2010

松井大輔似?

「松井選手に似てませんか」

えっ、不意を突かれて一瞬返す言葉に詰まった。

ちょうど自転車を受け取って漕ぎだす瞬間だった。
1年前に自転車を買ってから時々訪れる近所の自転車屋の店員さん。社交的な感じではないけれど応対が丁寧な彼には何度かお世話してもらったのでお互い顔は知ってたと思う。けれど、商いに必要な受け答え以外の会話なんてしたこともないし、する雰囲気さえなかった。

だから余計に意表を突かれたのだ。

「ええ、、そうですか?そういえばこの前も言われました。」

いやー似てますよ。思い切って言ってみたことがまるで正解だったと言わんばかりに、あらためて語気を強め、丸い目で僕の上半身をひとまわり見回した。

なんだが妙に居心地が悪くなって、答える言葉につまり「大分歳は違いますけどね、はは」、となんだか的を得たようなそうでないような答えでごまかして、2,3度ぺこぺこお辞儀して「ありがとうございました」と自転車を漕ぎだした。

確かにピッチを駆け回る松井選手がアップになる時、少しばかり親近感がわいたのは確か。でも僕はどちらかといえば浅野忠信に似てないか?と思ってた。
この1週間で2回目。数日前には会社の後輩に力説された。いずれも「似てる度」が高いと太鼓判をおされている。そういえばかなり前に松井が駆け出しの頃も2,3度言われたことがあったけど、当時はあまり気にしなかったっけ。

今をときめく選手だから悪い気もしないけど。本当に似てるのか?気になってきた。自転車を降りてマンション入り口のウインドウに映る姿があらためて目に入ったが、Tシャツ短パンの自分があの松井とあまり似てるようには思えなかった。 
きっと自分が見られたいと思うイメージと、実際に周りの人が受けるイメージとは大きな違いがあるのだろう。逆にいえば「ふーん、僕はああいう風に見えるんだ」と納得した次第である。

数年前はバレーボール代表の加藤に似てると、これまた数人の人に力説されたことがあったっけ。

現役のスポーツ選手に似てると言われるうちが華かもしれない。




水曜日, 6月 30, 2010

寝像の悪い娘の横でしんみり

部屋のレイアウトを間違えた。
いや、つい1月前の引越しの時に気付かなかったなんて。
1台しかないテレビを、家族4人で過ごす居間兼寝室においたのは失敗だった。おかげで、深夜のサッカー中継をみるのに苦労した。

それほどサッカーの熱心なファンでもないけど、さすがに決勝のパラグアイ戦は見たくて宵の口からうずうず。外出して疲れた子供を一生懸命早く寝かしつけようと思うけど、こういう時に限って目がぱっちりとして寝る気配がない。

ようやくキックオフという頃に二人ともとろとろし始めた。前半の序盤はあきらめて彼らがノンレム睡眠に深く堕ちるまでしばらく気晴らしのジョギングに。
11時過ぎの街は気持悪いほど人気がない。ときどき駅方面から歩いてくる人は一様に携帯画面を見てる。
暗い街並みのあちこちから、「あっ、」「わおっ」「よしっ」と短い掛け声が聞こえてくる。
さすがに気になってジョギングも身が入らず30分も走って家に戻った。

風呂浴びて缶ビール1本飲むと蒸し暑さに玉のような汗がでる。
急いで暗い寝室に入り、テレビのスイッチボタンを押した後ボリュームマイナスボタンを連打。
寝苦しくて何度も寝がえりを打つ娘の横で、そのまま最後のPKまで見届けた。

なんて残酷な勝敗の決め方なんだろう。

負けたことよりも、その残酷な結末に背筋がぞくっとした。

この勝負は数々の選手の好プレーと、同じくらいのミスを積み上げた結果の勝敗なはずのに、そしてPKだってそのうちのプレーのひとつなだけなはずなのに、その成否だけがあまりにも明確で目立ってしまうから、最後にまるで見世物のように行われるから、それだけで勝敗が決まったかのような錯覚を起こしてしまう。

自分がもし選手の境遇だったらそのプレッシャーに耐えられただろうか。外した時のその現実を受け入れられるか、そしてルールとはいえこんな不条理な決め方の結果としての負けを素直に受け入れられただろうか。

そんなことをぼんやり寝床でシミュレーションしていると、勝敗が決まった後にお互いをねぎらう選手の姿に、久しぶりに目が潤んでしまった。

「見てられない」とチラチラ見てた妻はPKを待たずいつの間にか寝てしまった。
この瞬間、見なかったほうがよかったのかもしれないけれど、やっぱり見て良かったと思う。

翌日の新聞でメディアの論調で駒野バッシングにならなかったことがなんとなく気持ち的に救いだった。
選手として必ず立ち直ってほしい。


土曜日, 6月 26, 2010

村上春樹の走る本

話題の本をいち早く読むほうではないと思う。だいたい書評なんかで話題になった後に本屋で手にとっても、その場では買わないことが多い。ぱらぱらとみて一度書棚においてしまう。次の機会にもう一度本屋で見かけて、それでも「ほらかってごらんよ、面白いよ」と誘ってくる本は観念してかってしまうのだ。

そんなパターンで最近買ったのが、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」
大分前に書評で話題になったので、単行本が出たのはおそらく2,3年前だろう。村上春樹の文章は好きなので興味は惹いたけど、まる1冊走ることばかりではさすがの村上春樹でも間延びした中身なんじゃないかと、勝手に想像して直に買えなかったのである。
実際、走らない人には一冊読むのは少し退屈かもしれないけれど、走る人にはお勧めだと思う。
だいたい、走るとは聞いていたけど、フルマラソンを毎年走るとか、多い月は300km以上走るとか、サロマ湖を11時間台で完走した経験があるとか、そんな筋金入りのエリート市民ランナーだとは知らなかった。
そしてもちろんランナーとして同感するポイントがあちこちにちりばめられてる。世界屈指の文豪がランニング中やそれにまつわる心象風景を表現すると、こんな風になるんだ、と素直に関心してしまう。とくに走り続ける理由について書いているけれど、控え目だけど芯のある走る哲学みたいな部分は、自分の走り続ける理由を代弁してくれたようで何ともすっきりした気分になった。
そして一番興味深いのはサロマ湖100kmの完走記だろう。僕はロードの100kmは走ったことはないけれど、同じようなエンデュアランスのトレイルランニングを走った時の経験がそのまま書いてある。
さすがの村上春樹の文章をしても、走った経験のない人に僕らがこうした非常識なレースを走る本当の理由を分かってもらうことはできないかもしれない。でも、走った経験のある人やそれに近い経験をした人には、きっと僕らがこうした途方もないレースに求める「何か」を共有できるのではないか。

特に最近走ることへの動機付けがうまく見つけられないまま無為に過ごす日々が続いていたため、とりわけ村上氏の文章が新鮮に見えたのかもしれない。

この本には、村上氏が小説家になった成り行きやその後の生活などにも触れているが、その部分は興味深くはあるけれど、僕にとってはこの本のおまけみたいなものである。きっとこの部分にすごくメッセージを感じる人もいるんだろうけど。

ということで、一度手にとって読んでみてほしい。


信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...