帰宅してビールを飲みながら、妻の撮ってきた写真と間取りの図を見比べて首を捻っていると、宵っ張りの娘がすかさず近寄ってきた。
間取り図を僕の手から取り上げると、指差しながら話はじめた。
「これお風呂、これはトイレでしょ」
確かに合っている。
なんのことはない、段々言葉や物を覚えていく過程の何気ない仕草かもしれない。がよくよく考えてみるとこれは目を見張る成長の瞬間である。
間取りは、一種の地図。地図は実際の配置を、縮小して平面的に簡略化した概念図である。
彼女はその中のものと実際のものを対比することができたのである。角が微妙にまるい四角はお風呂、短いボーリングのピンのようなものはトイレと。
娘は、今までにも部屋に転がっているオリエンテーリングの地図を見るのが好きでよく眺めては、「まる」がここ、「さんかく」がここ、と地図の中で宝探しをしていた。初めはそれが実際の山の様子を現したものという認識は当然ながらなく、ただカラフルな模様として興味を引いたに過ぎなかっただろう。しかしその地図を両親が頭をよせて、ここはこういったとか、ここは急だったとか、話しているのを聞き、やがてまねして、ここはこういくんだよ、とでたらめな1人遊びをするようになった。
そのうち街にある地図の看板にも興味をもち始めた。眺めながらバスがどうだとかぶつぶつつぶやく
音楽の天才が、文字よりも音符を先に読むようになると聞いたことがある。
まあうちの娘にそんな才能があるようには見えないが、おそらく文字より先に「川」や「炭焼き釜」と地図を読むようになるかもしれない。 環境とは恐ろしいものである。
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