オリエンテーリングに興味のある人なら、すでにIOFのページや日本でもO-NEWSなどWEB上で大きな話題になっているので説明するまでもないが、ここを見てくれる人にはオリエンテーリングという競技をあまり知らない人も多いと思うので説明したい。
ハンガリーで開催された世界選手権のリレー競技で、男子の第三走者(最終走者)が激しくトップを争っている最中のこと。スウェーデンの選手が脚に枝を刺す(12cmの深さ!)アクシデントに見舞われた。トップ争いをしていたフランス、ノルウェー、チェコの3選手はその場で競技を中断し、手分けをして、けが人の介護をし、役員を呼びに行った。選手が無事救出された後、3選手は競技に戻り、トップから40分以上遅れてゴールする。もちろん結果は20位台と問題外である。一方上位は、トップ争いをしつつもたまたま選手のアクシデントの場にいなかったスイス、ロシア、フィンランドが1,2,3位をしめた。
オリエンテーリングという競技には怪我がつきものである。特に高速で走るトップレベルでは捻挫や打撲だけでなく、骨折や今回のような大怪我も決して稀なことではない。
その危険性に関わらず、森の中で行なわれるため、競技中の選手は観客にはおろか役員にさえ見えない。実はこれは他の競技を見回すとかなり特異なことである。怪我人が出ても直ぐ発見できないし、救助することができない。
その見えないリスクを補うため、オリエンテーリングの規則には「怪我をした競技者を救護することは競技者の義務である」と唄われるユニークな条文がある。つまり競技者の安全を競技者同士で担保する。怪我人の救助は最優先であり、競技を始めるとまず教わることなのだが、それがたとえ最高峰の世界選手権でも例外ではない。
しかし、その精神を頭で理解しても本当に実践できるか。これはちょっと想像する以上に難しいことである。そのレースでライバルより一歩でも先にゴールすることが、英雄になる条件であり、自分の来期のサラリーさえ左右するかもしれない。人生を変えてしまう帰路になるかもしれない。極度の集中力とアドレナリンに浸った状況で走る選手が、一瞬の判断で怪我人を介護する選択を取ることができるか?皮肉にもそれが世界選手権という最高峰のしかも優勝争いで起こるとは。
それはまるで100mを走るボルトの横に怪我人をおいて、彼をとまらせようとしているのと大差ないことかもしれない。
自分の競技中の状態を思い起こして正直いうと、自分だったらその瞬間同じ行動が取れるか100%確信がない。
今回、怪我の現場にいた3選手の行動は「Fair Play」として、表彰台に上った選手と同様に、あるいはそれ以上に讃えられている。それは、世界最高峰の彼らが、よりにもよって、考えられうるもっともその行動をとることが難しい状況で、その精神を実践できたからであろう。
われわれ、世界の何百万人のオリエンティアは今回の彼らの行動によって勇気付けられ、自分達のスポーツを誇らしく感じるだろう。そして、もし同じ状況に遭遇した時、僕と同じように確信が持てなかった人もこれからは迷いなく彼らと同じ行動をとれるはずだ。
それがこの競技の将来の健全な普及発展に繋がることは間違いない。
僕自身もあらためて感じる。オリエンテーリングというスポーツの素晴らしさを。このエピソードに。
スポーツはどこかこうした結果至上主義をいなすような、多面的な要素が入るべきなのだ。そうすることでスポーツの競い方、楽しみ方に厚みがでる。
今になってふと思い出す。2001年のフィンランドの世界選手権。当時のIOF会長スー・ハーベイは開会スピーチで、その直前に北欧であった大きなリレーイベントで同じような行動をとった、ドイツの選手を讃えた。当時、その話は美談と思いつつもどこか唐突に感じた。しかしそこには「たとえ世界選手権でも例外ではない」そういうメッセージがあったのだろう。そして今回ハーベイ女史の示した精神は、期待に違わず受け継がれていた。
最後に、2005年には最後の最後でノルウェーに破れ銀となり、2008年にはトップを走るも最後1kmで蜂に刺されて棄権し、そして今回介護に廻りレースを棒に振ったフランスのジョルジュー。
少々先走ってしまうが、彼が再来年2011年のフランスでリレー優勝することは、誰もが望んでいることだしきっと彼ならやってくれると今から期待してしまう。
2 件のコメント:
自分も見ていてびっくり。
ところで、ブログを読んで、ふと思ったのは、いくら来期のサラリーを左右する、人生を変えてしまう岐路になるかもしれないといっても、プロとして考えれば、答えは簡単なんじゃないかとこと。プロスポーツ選手に期待されるのは、今回のようなスポーツマンシップであり、それを無視した選手がいくら結果を出しても、スポンサーがつかなくなってしまうだろう。ある意味、今回の事故はチェリーのプロスポーツ選手としての価値としてはプラスになっているとも言えるかも。もちろん、仕事と割り切れるかは別だけど。
いっぽう、われわれの日常としての仕事を考えると、逆に、他人の痛みに目をつむって、自分の給料への影響を恐れ、仕事を優先しているところがあるのではないかと思う。
だから、我々はスポーツ観戦に熱中するのかもしれない。
いや、その簡単な答えをレース中にきちんと出せるか、その瞬間を想像すると答えは簡単かな、と感じるんだ。でもその答えをきちんとだせるのが本当のプロかどうかの差かもしれないね。
僕らの仕事でいえば、いわゆるコンプライアンスの問題だと思う。
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