駒ヶ根のCC7が終了。
稀に見る接戦で最後の誘導までもつれたレースは、多摩OLの劇的な優勝で幕を閉じた。
トレイルランでもますます活躍する円井君が最後のスプリント勝負をものにした。
7走を走っていた自分はその現場に居合わせてないが、結果のラップや、写真からその緊張感が伝わってくる。クラブカップもまるでユッコラかティオミラのような、何時間も何人もつないだ上で1秒を争う面白いレースに、また1歩近づいたようだ。
我等、渋谷は6位に滑り込み。7年連続のpodiumを確保した。
競技場に一旦戻る2周するコース設定の3走を、新加入のジョージ君がマークドルートを辿りそこない、後半ループを2回まわるはめになるハプニングがあった。他の人の1.5倍走ったことになる。
彼自身はスタート前にそのことを認識していたが、レース中には忘れてしまったのだという。
レース後はすっかり落ち込んでいたが、「15分の借りをこれから毎年何分かづつ返します!」という言葉に本人も廻りも元気を取り戻した。
優勝候補の一角だったし、終わってみれば残念な結果かもしれないが、不思議とチームに沈んだ雰囲気はなかった。
リレーには負けたが、ジョージ君の参加でチームとして慢性的なマンネリ感から抜け出たような、そんな爽快感があったからだろう。やはりチームは新陳代謝が必要だ。
さて、自分のレース。
こんなに焦りを感じて、緊張したレースも久しぶりだ。
夏以降トレイルランに精を出し、トレーニング量はこなしていたものの、レースの結果では大スランプに陥っていた。富士登山駅伝、競走、御嶽スカイレース、あらゆる結果が、全盛時の15~20%の体力低下を示していた。長いレースで、疲労をためがちなことを差し引いても、日本のトップオリエンティアと対等に渡り合える状態ではない。叩いても伸びない、もうそういう身体になってしまったのか、弱気な考えが常にちらつく夏だった。
結局状態を改善できないままに、9月になった。
短い距離ならなんとかなるかも。
そういう淡い期待も15日の駒ヶ根スプリントで見事に打ち砕かれた。
ほとんどミスなく、心拍も180前後まで追い込んだレースで、トップ加藤と10%の差がついた。
実際ミス率は加藤と並んで参加者中最低、巡航スピードで調度10%の差がついている。
これではさすがに7走でいい走りはできるわけがない。
オリエンテーリングに関しては若干自身過剰気味の自分でも非観的にならざるを得ない。
こんな時には肩書きも苦痛にしかならない。
「アンカーは全日本チャンピオン」 クラブのみな誇りにしてくれるが、自分としては重すぎる荷を背負っているような気分だ。
クラブカップでこんな重圧を感じるなんて。
半ば遊び気分で参加していた20代の頃からは信じられない状況だ。
「篠原と変わって欲しい」進言すべきか悩みもしたが、彼もそれ程良い状況にあるようには見えなかった。
しょうがない、あたって砕けるしかない。
タッチを受けるまでの展開が、緊張を少し解いてくれた。
8位でタッチを受け、順位を上げればよい状況は、代表レベルの選手が追ってくる展開に比べて遥かに重圧が軽い。前を行くのはぞんびーずの小野田君。その他上位集団の脱落者をかわせばいい。ペース的には少なくとも負けることはないだろう。
スタート後、きつい登りの1,2は思ったより身体が動いた。身体に鞭を打つだけ反応する。悪くない証拠だ。3番の手前で小野田君を捕らえた。これで7位。6走のランナーも何人か抜かしてペース良く4,5とこなす。森でのオリエンテーリングが全日本ぶりとは思えないほど地図が良く見えている。トレイルランを多く走っていたせいか不整地での踏ん張りも良く効く。「もしかして結構いい状態かも」レース前数日間の不安はどこかに消えてしまい、ペースも気分もどんどんよくなっていった。
7→8のきつい登りをこらえると、9、10、11と下り基調でルートプランニングが鍵を握る得意のレッグが連続する。途中10秒程度のケアレスミスはあったがほぼノーミスでこなす。これはいい感じだ。
ただ、もう一人抜かなければ6位にはなれないことはわかっていた。前を走るランナーが気になりだした。しかし青いゼッケンは見ても赤いゼッケンはいない。そんな中で集中力を少し失ったか。12番番号読み違いで30秒ほどミスを犯す。
13以降はコンピである。たとえ誰かに追いついても離すのは厳しいかもしれないと思っているところに、前にOLP兵庫のユニフォームが見えた。ゼッケンは赤。よし、これで6位確保!
そうこうしているうちに、13のアタックとなるがコントロールが見当たらない。
見通しの聞かない森で多くの選手が右往左往している。皆同じコントロールを探しているようだ。
道からの距離感からしてもう少し先のはず・・・、と進むと白地に青のテープが張り巡らせて合った。立入禁止がこんなところに、地図を見てもそのような記載はないが、おそらく奥の民家の敷地に近いところにきているのだろう。引き返してみるがコントロールはやはりない。
OLP兵庫もコントロールを探している。彼の同行を目の端におきながらもう一度地図を見直す。やはりショートしている。もう少し進んでいいはずだ。第一、コントロール付近の小径を見ていない。思い切って進んでみると、立入禁止と思っていたテープの向こうにコントロールが見えた。およそ1分半のミス。OLP兵庫も先にパンチしている。(後で気付いたがこのテープは競技と関係のないものであった)
このミスはやむを得まい、そう直ぐに割り切れて次のレッグに向かう。脱出で右目に向かうOLPに対して直進目に進んだ。スピードコンプレックスに悩まされてる自分としては仕掛けられと弱い立場にある。が、どうもOLPはその気配はない。片山選手は結構つわもののはずだが、疲労しているのか調子悪いのか、怖さはまったく感じなかった。とにかくこちらとしては願ってもない。次のコントロールのアタックの時点では先行し、そのまま振り返ることなく先行したままコンピをこなす。
ラス前へのアタック後、グラウンドからの「6位だぞ」という声に安心した。あとはタイムの方、13のミスはあったけどそれ以外はいいペースのはず。区間順位を一つでも良くすべく、最後の誘導も出来る限り頑張って走った。ここでも身体はこたえてくれた。HR最大193はこの距離のオリエンテーリングでは限界値に近い。
結局、俊介と松澤君からは2分程度差の区間3位であったが、12,13のミスを考えると今の自分にしては考えられないくらい上出来な結果だった。夏の間のスランプはなんだったのだろうか、今となっては不思議に思えてくる程の思いがけない走りだった。
やはり自分は根っからのオリエンティアなのかもしれない。
無意識のうちに、数あるレースの中からクラブカップに向けてピーキングをしていたのだろう。
夏のトレイルは惨敗に終わったが、
初秋のオリエンテーリングはなかなかいいスタートを切った。
金曜日, 9月 21, 2007
月曜日, 9月 03, 2007
白根山

25,26日の週末は家族で白根山へ
日曜日に妻がX-Terraのスクランブルレッグに参加するため、一泊で小旅行。
X-Terraは一言で言えばトライアスロンのアウトドア版。オープンスイム、マウンテンバイク、トレイルランのレースで争う競技。僕らは今のところトレイルランのスキルしかないので、日曜日に併設されたトレイルランレースに妻が参加し、僕は娘と観戦。
白根山周辺には始めていったけど、なかなか素敵な場所でした。
東京からの距離はちょっとあるけど、標高は14,500mで涼しく、白根山周辺の森も美しい。
トレイルランの会場だった丸沼周辺もほとんど建物はなく、森に囲まれた湖面はちょっとした北欧の湖のような静けさでした。
土曜日は到着後、4時半から大急ぎで菅沼から白根山往復。標高差は800m程度だけど日没間際で、時計を気にしながらペースアップして登り、55分で頂上に到着。2、3分で帰路についたけど、とてもよい眺めでした。往復約1時間半の程よいトレーニング。

日曜日は妻のレース中、ロープウェイで尾根の上に登り、白根山付近を娘とトレッキング。美しい森の中の散策は気分よく、背中で揺られている娘もご機嫌。トレッキングの途中でであったレースの役員の人にも歌を唄うサービス。
レースの方は参加者が少ないとはいえ妻が女子で2位の入賞!
白根山を含むタフな25kmを5時間は立派。
今までにない好成績にちょっとびっくり。最近自分より妻の方が相対的に速くなっているような・・・。
WOC2007
すでに1週間がたつがWOC2007が終了した。
日本選手も帰国して一段落している頃かと思う。まずはお疲れ様といいたい。
旧ソビエト圏のウクライナでは、自由化した今でも、いろいろな面で日本、西欧の常識が通用せず、何かと苦労をしたようである。 蒸し暑く山岳テレインの日本のwocも旧ソビエト圏も、オリエンテーリングのグローバル化という点で、選手にとっては必要な経験なのかもしれない。
競技の方は、今年も、シモーネとティエリが着実に金を重ねるなど実力のある選手はきっちりとその力を示した感がある。隔年開催の時に比べれば毎年の結果やニューヒーローの誕生に新鮮さが欠けるようにも感じるが、それでも今までにない新しい流れもあった。男子マチアス・メルツの活躍やウクライナをはじめとした東欧勢の活躍、オランダの初入賞など、競技力の勢力図も少しづつ書き換わっているのを感じる。
そんな中、日本チームは数字で見るかぎり厳しい結果に終わった。過去にも予選通過者のいないWOCはあったが、いずれも次点の選手がいたり、その先を目指す手がかりはあった。今回は選手の報告を断片的に見る限り、その手がかりすらも見つけにくい状態のようだ。
我々日本で観戦していた者も蚊帳の外ではない。彼らは「日本のトップ」ではなく「日本代表」である。日本の競技力を代弁する代表である。彼らがどこまで到達できるか。それは、ピラミッドの頂点だけを一生懸命つまむのではなく、頂点を支えるピラミッド全体に帰納して考えない限り本当の意味での日本のステップアップにはならないだろう。
ピラミッドの一部にいるすべての競技者が、数字だけの結果の良否に終わることなく、今回ウクライナ代表の選手が感じたことを共有していくことが大切だ。
もちろん自分もその一人である。
日本選手も帰国して一段落している頃かと思う。まずはお疲れ様といいたい。
旧ソビエト圏のウクライナでは、自由化した今でも、いろいろな面で日本、西欧の常識が通用せず、何かと苦労をしたようである。 蒸し暑く山岳テレインの日本のwocも旧ソビエト圏も、オリエンテーリングのグローバル化という点で、選手にとっては必要な経験なのかもしれない。
競技の方は、今年も、シモーネとティエリが着実に金を重ねるなど実力のある選手はきっちりとその力を示した感がある。隔年開催の時に比べれば毎年の結果やニューヒーローの誕生に新鮮さが欠けるようにも感じるが、それでも今までにない新しい流れもあった。男子マチアス・メルツの活躍やウクライナをはじめとした東欧勢の活躍、オランダの初入賞など、競技力の勢力図も少しづつ書き換わっているのを感じる。
そんな中、日本チームは数字で見るかぎり厳しい結果に終わった。過去にも予選通過者のいないWOCはあったが、いずれも次点の選手がいたり、その先を目指す手がかりはあった。今回は選手の報告を断片的に見る限り、その手がかりすらも見つけにくい状態のようだ。
我々日本で観戦していた者も蚊帳の外ではない。彼らは「日本のトップ」ではなく「日本代表」である。日本の競技力を代弁する代表である。彼らがどこまで到達できるか。それは、ピラミッドの頂点だけを一生懸命つまむのではなく、頂点を支えるピラミッド全体に帰納して考えない限り本当の意味での日本のステップアップにはならないだろう。
ピラミッドの一部にいるすべての競技者が、数字だけの結果の良否に終わることなく、今回ウクライナ代表の選手が感じたことを共有していくことが大切だ。
もちろん自分もその一人である。
土曜日, 8月 18, 2007
2/100名山
妻と娘がお盆で母方の田舎に帰省した。
その代わり「南アルプス」にいくことにした。
まるまる週末一人になるなんて、1年以上ぶり。
こういう時、普通男ならどうするか?
独身時代の友人と酒を思う存分飲む。ゆっくりビデオでも鑑賞する。あるいはよからぬ目的で夜の街を徘徊する・・・。
それが普通かもしれない。
「アルプスに走りに行く」といったら、(あんたも好きねえ)とあきれたような顔をされた。
実は当初、ロングトレイル好きな柳下君の紹介で、上高地を中心として北アルプスを一周する壮大なロングトレイルの「練習会」を耳にした。はじめこれに参加しようかと思った。コースタイム44時間を30時間以内で廻るという。よくいえばロマンのある、悪く言えば物好きな、でもなんともチャレンジングではないか。
でもさすがにそんな長い間走った経験もないので、ちょっとこわい。夜はどうするの?
という質問に「そうですねえ、一応ツェルトをもっていって眠くなったら仮眠します。寒くなったらまた走りだすかな」とのこと。
いろいろ悩んだ末、初対面の人々に迷惑をかけられないし、もう少し経験を積んでからと、参加を断念した。
南アルプスに行くには一応わけがある。
2年前、妻が友人と鳳凰三山に行った際、「子宝に恵まれるのよ」と賽の河原から小石を拾ってきた。
それから1ヶ月、ご利益があったせいか娘を授かった。
無事娘も1歳を向かえ、「ありがたい石をまた戻しにいかなきゃ」が最近の妻の口癖だった。
「僕が戻しにいってくるよ、ついでにもう一個新しい石をもらってこよう」
金曜日の夜、仕事が終わった後深夜に車で山梨へ。途中仮眠をとってバスに乗り継ぎ広河原へ。バスの下調べが悪く途中待たされて付いたのは11時過ぎ。初日は本当は間ノ岳と北岳を目指していたのだけど、北岳の往復に変更した。広河原からの北岳はひたすら登って降りるだけ。がれ場や雪渓もあって走れるところはほとんどなく、登山モード。往復11kmで4時間、登り1700m。それでも天気に恵まれ気持ちの良い登山。
下山後は石和の健康ランドに戻って仮眠。日曜日の早朝に再びアルプスに向かい今度は夜叉神から尾根道トレイル。こちらは標高2000m-2500m程度の尾根でスイスのプレアルペンの森を思い起こさせ気持ちよい稜線だった。急斜面ながら針葉樹の巨木かまばらに生え、森は100mまで先が見通せる。そのあたりの窪みにフラッグが見え隠れしそうな
、そんな風景が続く。
鳳凰三山の薬師岳が近づいて標高が2500mを超えるとさすがにごつい花崗岩の岩場が増え、ところどころ手足をつかう登山が出てくる。それでも地蔵岳のオベリスクまでそれほど苦ではなかった。賽の河原に到着し、お地蔵さんにお礼を言って石を新しいものに交換。よい子に恵まれますように。
下山は広河原へ。急斜面だけどステップが下りのいい練習になる。筋肉がいい加減悲鳴を上げそうになったころに漸く車道に到着。朝の早い時間に走り始めたので時計はまだ11時過ぎ、実走5時間10分、17km、標高差2100m。
そして、日本にもまだまだ知らない素晴らしい山が沢山ある。旺文社の登山マップを広げると、新しい計画ばかりが思い浮かぶ。今回は4,5時間と比較的短めにしたが、今度はもう少しロングトレイルにチャレンジしよう。
金曜日, 8月 10, 2007
1秒!
霧の中から新田見さんが降ってくるように現われて襷を受けた時、自分のスタート時間を確認することなどすっかり忘れてた。
富士登山駅伝の8区。距離2.6km下り650m。走りなれた7区に比べて後半緩やかになり、勢いに乗りすぎると腰を悪くする。1時間ほど前に宮原さん(滝が原)の目の覚めるようなスタートダッシュを見てしまったせいか、無意識のうちに体がスピードを出そうとしてしまう。けれどもすぐに体全体の筋肉が悲鳴を上げて、あわてて自分なりのスピードに落ち着かせた。
霧は相変わらず深く、自分がどこまで降っていけばよいのかさっぱりわからない。かなり長い時間下った感覚があって時計を見るがまだストップウォッチは2分30秒、すでに腰に痛みを感じて、残りの数分が絶望的に感じてきた。
やがて斜面はやや緩くなって左右にカーブする。ダウンヒルスキーの要領で、なるべくスピードを落とさずに、体に負担をかけないように、砂山で衝撃を吸収し、コースどりを工夫しながら下っていく。時々礫のクッションが薄い部分も現われ腰への衝撃はますます辛くなる。
永遠に続くように思われた礫の荒涼とした斜面にも、やがてぽつぽつと緑の塊が見えるようになってきた。
レースを追えて下山する選手、登山客、自衛隊の支援隊などが、「がんばれ!」とあちこちで応援してくれる。
ようやくゴール近くの山小屋を超え、残り1分程度になった。腰はもう限界にきている。周りの応援もずいぶん威勢がいい。
そのうち「まだいけるぞ!」「あと30秒!」といった掛け声も聞こえてきた。
知り合いがいるわけもないので、こんな平凡な順位の選手にずいぶん真剣に応援してくれるな、のんきにそんなことを考えてちょっと不思議にも感じたが何が起こっているのか相変わらずわからなかった。
ついに最後の鳥居が見えた。時計を見るとすでに8分を超えている。下りもあまりいいタイムではない。
そして鳥居をくぐり舗装道に出てすべてを悟った。
数十m先には今にも走りそうな体制で構えている30人ほどのランナーの後姿が見えた。一番端にいる青年だけがこちらを向いている。そして僕に気付くなり手にしていたピンクの襷を地面になぐりすてた。

あわてて最後の数秒を死に物狂いで加速し、景山君に緑の襷を渡した瞬間、
「パーン」
景山君は集団のランナーにあっという間に飲み込まれた。
ランナーの集団が九十九折から消え、静かになると、
周りの人の何人かが拍手をして讃えてくれた。ふとみるとやっちゃんがにこにこして立っている。僕も思わず笑い出してしまった。
「2号8尺からは、8分以上あるから大丈夫と連絡があったんですよ。でもぜんぜん姿が見えないからずいぶん気をもんだんですよ。」
富士登山駅伝は下りの8区ー9区の中継点で4時間
以上は繰り上げスタートとなる。我々レベルのチームではそれまでの選手の出来により、微妙な関係にある。襷をつなぐことは一つの大きな目標だ。
確かにあまり速いタイムではなかったが、そこまでぎりぎりになっているとは知らなかった。最後の1,2分、腰が砕けそうで何度となく弱気にスピードを緩めそうになったが、なんとか我慢して自分なりにスピードを維持した。あそこで手を抜いていたらと思うと、ほっとしたと同時になんだがひやっともした。
結局早稲田の助っ人トリオ、景山君、今井君、佐々木君の頑張りもあって無事襷を46km、標高差3000m以上を往復し、昨年とほぼ同じ4時間47分という結果であった。
個人的には13年前の4区から5分も遅いタイムに、登ったあとは泣き出したいくらい情けない気分だったが、間一髪の襷リレーにすべてのことが帳消しになった。これが個人で味わえないリレーの醍醐味だろう。
40歳になってベストタイムで走る新田見さん、初めての経験に素直に感動している早稲田の学生、寄せ集めのチームではあったけど、終わってみると一期一会、このメンバーで走れたことに感謝したい。
佐々木(早稲田2年)-美濃部(筑波OB)-景山(早稲田4年)-鹿島田(東大OB)-新田見(東大OB)-今井(早稲田OB)
富士登山駅伝の8区。距離2.6km下り650m。走りなれた7区に比べて後半緩やかになり、勢いに乗りすぎると腰を悪くする。1時間ほど前に宮原さん(滝が原)の目の覚めるようなスタートダッシュを見てしまったせいか、無意識のうちに体がスピードを出そうとしてしまう。けれどもすぐに体全体の筋肉が悲鳴を上げて、あわてて自分なりのスピードに落ち着かせた。
霧は相変わらず深く、自分がどこまで降っていけばよいのかさっぱりわからない。かなり長い時間下った感覚があって時計を見るがまだストップウォッチは2分30秒、すでに腰に痛みを感じて、残りの数分が絶望的に感じてきた。
やがて斜面はやや緩くなって左右にカーブする。ダウンヒルスキーの要領で、なるべくスピードを落とさずに、体に負担をかけないように、砂山で衝撃を吸収し、コースどりを工夫しながら下っていく。時々礫のクッションが薄い部分も現われ腰への衝撃はますます辛くなる。
永遠に続くように思われた礫の荒涼とした斜面にも、やがてぽつぽつと緑の塊が見えるようになってきた。
レースを追えて下山する選手、登山客、自衛隊の支援隊などが、「がんばれ!」とあちこちで応援してくれる。
ようやくゴール近くの山小屋を超え、残り1分程度になった。腰はもう限界にきている。周りの応援もずいぶん威勢がいい。
そのうち「まだいけるぞ!」「あと30秒!」といった掛け声も聞こえてきた。
知り合いがいるわけもないので、こんな平凡な順位の選手にずいぶん真剣に応援してくれるな、のんきにそんなことを考えてちょっと不思議にも感じたが何が起こっているのか相変わらずわからなかった。
ついに最後の鳥居が見えた。時計を見るとすでに8分を超えている。下りもあまりいいタイムではない。
そして鳥居をくぐり舗装道に出てすべてを悟った。
数十m先には今にも走りそうな体制で構えている30人ほどのランナーの後姿が見えた。一番端にいる青年だけがこちらを向いている。そして僕に気付くなり手にしていたピンクの襷を地面になぐりすてた。

あわてて最後の数秒を死に物狂いで加速し、景山君に緑の襷を渡した瞬間、
「パーン」
景山君は集団のランナーにあっという間に飲み込まれた。
ランナーの集団が九十九折から消え、静かになると、
周りの人の何人かが拍手をして讃えてくれた。ふとみるとやっちゃんがにこにこして立っている。僕も思わず笑い出してしまった。
「2号8尺からは、8分以上あるから大丈夫と連絡があったんですよ。でもぜんぜん姿が見えないからずいぶん気をもんだんですよ。」
富士登山駅伝は下りの8区ー9区の中継点で4時間
以上は繰り上げスタートとなる。我々レベルのチームではそれまでの選手の出来により、微妙な関係にある。襷をつなぐことは一つの大きな目標だ。
確かにあまり速いタイムではなかったが、そこまでぎりぎりになっているとは知らなかった。最後の1,2分、腰が砕けそうで何度となく弱気にスピードを緩めそうになったが、なんとか我慢して自分なりにスピードを維持した。あそこで手を抜いていたらと思うと、ほっとしたと同時になんだがひやっともした。
結局早稲田の助っ人トリオ、景山君、今井君、佐々木君の頑張りもあって無事襷を46km、標高差3000m以上を往復し、昨年とほぼ同じ4時間47分という結果であった。
個人的には13年前の4区から5分も遅いタイムに、登ったあとは泣き出したいくらい情けない気分だったが、間一髪の襷リレーにすべてのことが帳消しになった。これが個人で味わえないリレーの醍醐味だろう。
40歳になってベストタイムで走る新田見さん、初めての経験に素直に感動している早稲田の学生、寄せ集めのチームではあったけど、終わってみると一期一会、このメンバーで走れたことに感謝したい。
佐々木(早稲田2年)-美濃部(筑波OB)-景山(早稲田4年)-鹿島田(東大OB)-新田見(東大OB)-今井(早稲田OB)
土曜日, 7月 28, 2007
トレイルランの夏
今シーズンはトレイルランをメインに走ってる。
春から、青梅のモントレイル、箱根の50K、北丹沢に参加、そして昨日は富士登山競走を5年ぶりに走った。
毎年遠征していた頃は夏は試合調整期。疲労をためるようなレースは控え、オリエンテーリングに集中する時期だった。
夏は比較的低地でやるOLよりも1000m以上の山に登ったほうが気持ちよい。遠征もない今年は、疲労を気にすることなく山を楽しんでいる。
日本の山はいい。あらためて感じる。丹沢のような1000m級の森深い山にも、3000mを超える森林限界を超えた高山もそれぞれに良さがある。
欧州遠征を気軽にすることはもはや難しくなってしまったが、その分日本の中でまだまだ知らない美しい山に行ってみることが、これから数年の楽しみだ。
ただ、皮肉なことになかなかレースの結果は伴わない。
箱根でそこそこのレースができた以外はいずれも満足な走りができてない。昨日の富士登山ではベストより37分遅く、大学1年次に参加した18年前より悪い、ワースト記録だった。
あまりレースへの調整を意識してないせいもあるが、それにしてもふがいない。
正直なところ全日本で勝っていなかったら、自分のアスリートとしての低落ぶりにあきらめていたかもしれない。
でも、まだもう少し辛抱して持久力の向上を目指してみよう。
今シーズンは残り富士登山駅伝、御岳のスカイマラソン、三河のトレイルに参加する。その他北アルプスなどにも走りに行こうと思う。山耐には参加できないが、9月いっぱいまではトレイルラン中心に走るつもりだ。
春から、青梅のモントレイル、箱根の50K、北丹沢に参加、そして昨日は富士登山競走を5年ぶりに走った。
毎年遠征していた頃は夏は試合調整期。疲労をためるようなレースは控え、オリエンテーリングに集中する時期だった。
夏は比較的低地でやるOLよりも1000m以上の山に登ったほうが気持ちよい。遠征もない今年は、疲労を気にすることなく山を楽しんでいる。
日本の山はいい。あらためて感じる。丹沢のような1000m級の森深い山にも、3000mを超える森林限界を超えた高山もそれぞれに良さがある。
欧州遠征を気軽にすることはもはや難しくなってしまったが、その分日本の中でまだまだ知らない美しい山に行ってみることが、これから数年の楽しみだ。
ただ、皮肉なことになかなかレースの結果は伴わない。
箱根でそこそこのレースができた以外はいずれも満足な走りができてない。昨日の富士登山ではベストより37分遅く、大学1年次に参加した18年前より悪い、ワースト記録だった。
あまりレースへの調整を意識してないせいもあるが、それにしてもふがいない。
正直なところ全日本で勝っていなかったら、自分のアスリートとしての低落ぶりにあきらめていたかもしれない。
でも、まだもう少し辛抱して持久力の向上を目指してみよう。
今シーズンは残り富士登山駅伝、御岳のスカイマラソン、三河のトレイルに参加する。その他北アルプスなどにも走りに行こうと思う。山耐には参加できないが、9月いっぱいまではトレイルラン中心に走るつもりだ。
月曜日, 7月 16, 2007
二世の時代
JWOC2007が終了した。
90年に始まったジュニア世界選手権がはじめて欧州を離れ、オーストラリアで開催された記念すべき大会。
WOCで活躍している選手の多くはジュニア時代からその片鱗を見せるので、JWOCのリザルトは良く見ておくと、その後の選手の成長が見れて面白い。
それにしても今年のリザルトに並ぶ名前を見て時代の流れを感じてしまった。
女子のミドルで優勝したJenny LÖNNKVIST
彼女の父は80年代に活躍したLarsである。
WOCでの活躍はほとんどなかったが、SWE国内では強い選手で、87年に高校生で始めてO-ringenに出た時、総合優勝していた。
北欧人とは思えない華奢な身体だがスピードのある選手で当時、あのような選手になりたいと憧れたものである。
男子のTimo Sildは、旧ソ連圏に初のメダルをもたらしたSixtenの息子。
そしてNORのErik Sagvoldenは、80年代にOivind Thonなどの陰に隠れてしまったが3度のWOC2位をとった無冠の大器Toreの息子らしい。
日本でも、高野さんの長女美春ちゃんが2回目のJWOC出場を果たした。
かつて若い頃に憧れていた選手の2世が活躍している。
そうおもうと、自分も歳をとったものだ。
そういえば、ミドルで3位になったMartin Hubmannはスイスのエース、Danielの末弟らしい。次男のBeatと共に将来兄弟3人WOC代表も夢ではない。
こうしてみるとオリエンテーリングは日本でも世界でも、やっぱり家族スポーツなんだな、と感じる。
90年に始まったジュニア世界選手権がはじめて欧州を離れ、オーストラリアで開催された記念すべき大会。
WOCで活躍している選手の多くはジュニア時代からその片鱗を見せるので、JWOCのリザルトは良く見ておくと、その後の選手の成長が見れて面白い。
それにしても今年のリザルトに並ぶ名前を見て時代の流れを感じてしまった。
女子のミドルで優勝したJenny LÖNNKVIST
彼女の父は80年代に活躍したLarsである。
WOCでの活躍はほとんどなかったが、SWE国内では強い選手で、87年に高校生で始めてO-ringenに出た時、総合優勝していた。
北欧人とは思えない華奢な身体だがスピードのある選手で当時、あのような選手になりたいと憧れたものである。
男子のTimo Sildは、旧ソ連圏に初のメダルをもたらしたSixtenの息子。
そしてNORのErik Sagvoldenは、80年代にOivind Thonなどの陰に隠れてしまったが3度のWOC2位をとった無冠の大器Toreの息子らしい。
日本でも、高野さんの長女美春ちゃんが2回目のJWOC出場を果たした。
かつて若い頃に憧れていた選手の2世が活躍している。
そうおもうと、自分も歳をとったものだ。
そういえば、ミドルで3位になったMartin Hubmannはスイスのエース、Danielの末弟らしい。次男のBeatと共に将来兄弟3人WOC代表も夢ではない。
こうしてみるとオリエンテーリングは日本でも世界でも、やっぱり家族スポーツなんだな、と感じる。
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信越100mile 2022
<レースの記録を忘れていたので後から記載> START 18:30 日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...
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やっちまった。 お酒は嫌いじゃないけど、酒で失敗することは少ない方だと思う。特に社会人になってからは酒に呑まることはめったにない。それが久しぶりに失敗をやらかした。 後輩達の栄誉をたたえる祝勝会。母校のインカレ優勝祝いである。実に6年ぶり。事前の出欠で久々に懐かしい面々が集まって...
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企画しました。 公開シンポジウム 仕掛け人です。 こういう議論は、しょっちゅうやっていてもかったるいし、「会議は踊るされど進まず」、になりかねない。 でも、あるタイミングでは絶対必要なものだと思う。 そして、WOC2005を終えて3年、今はそのタイミングだと感じた。 吉とでるか...
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人間は1人1人がブラックボックスみたいなもの。 中の仕組みはそれぞれ違う。まあできのいい部品もあるしそうでないものもある。個性的な部品もある。そういうのを組み合わせて皆頑張ってる。だから同じ刺激を与えてもその反応は人それぞれ。だからこの世界は面白いし、逆に戦争も絶えないのだろう...