木曜日, 8月 20, 2009

WOC2009

WOCも佳境

今年は現地には行ってないが、準備段階からは随分と関わってきた。
だから、選手ではないにしてもいろいろ思い入れのあるチームではある。

立場上あまりこういうところでコメントしにくいのであえて触れなかったのだが、明日はいよいよリレー。
WOCの存在を知らない人、意識してない人もいると思うので、是非この機会に様子を見てください。


月曜日, 8月 10, 2009

3つ目の石

南アルプスに行こう。

毎日が近くの公園と買い物で過ぎていく夏の日々。自由を得た貴重な1日を使ってどこにいくか、妻と徒然に話しているうちに、自然と答えは収束した。

鳳凰三山である。

数えてみると2005、2007、、、なるほど今年のタイミングになる。

ちょうど2005年の世界選手権目前、全ての意識とリソースが愛知に注がれていた暑い夏、まだ身軽だった妻はテントを背負って友人と鳳凰三山の登山に行った。合宿や選考会に忙しい中、妻がいつそんな登山に出かけたかは頭の片隅にも残ってないが、その時賽の河原で妻が白い小さな石を拾ってきた。
その理由を聞いても、ふーん、当時ピンとこなかった。
しかし1カ月後、その石は小さな娘の命となってこの世に現われた。

そして2年前このブログでも書いたように、「お礼をいってもう一つの石をもらいに」僕は単独で鳳凰三山の縦走トレイルを走りにいった。そして娘よりも少しだけ大きくて角ばった、でもやっぱり白い石を持って下山した。
そして、娘より少しだけのんびりと3ヵ月後、長男は命を授かった。

この夏、3歳の娘と1歳の息子は無事元気に成長している。


広河原から白鳳峠までの急登は、1000mの標高差で森林限界近くまで一気に高度をあげる。大木とその倒木で荒れた急斜面の登りは悪路が多く、閉口するほど延々と続く。この半年で産後から急速に回復し、みるみるトレイルでの力を取り戻している妻。それでも、さすがに足取りは辛そうだ。2時起きで車とバスを繋いできたせいもあるだろう。

「なぜあんなところに道を作ったの?」延々と続く斜面に飽いて妻は素朴な疑問を投げかけた。
先ほどバスで通ってきた南アルプス林道のことである。崖のような斜面にへばりついて延々と続く道。さあ、知らない。ただ昔の人が、何かの大義名分があって作ったに違いない。今自分が格闘しているような斜面、あるいはもっと厳しい斜面を延々と切り開いたのだろう。そういえば夜叉神峠を過ぎたあたりに、林道工事殉職者の慰霊碑がバスの窓からちらっと見えた。小説「高熱随道」のようなすさまじい歴史があったのだろうか。そんな昔の名もない無数の工夫の汗によって繋がった道があるからこそ、今自分がこうして山を登っている。

そんな妄想をしているうちに、ようやく登山路は尾根からゴーロに覆われた開けた沢に出て、まもなくたおやかな稜線が見えてきた。いよいよアルプスに来たという実感がわく。

やっとのことで尾根に乗り、しばらく尾根道を進む。高嶺に向かう頃に視界も開けてきた。

妻が唐突に聞いた。
「石もって帰る?」

時として、妻は本質をつく鋭い質問をする。ストレートにきたその質問に、一瞬言葉に詰まった。
え、いや、今日はご利益のあった石を返しに着たつもりだったけど。
石をもらうのは。。考えてなかった。
でも、まあそれもそれで人生、

「いいんじゃない?」

妻はあっけない返事に、やや肩透かしをくらったようだ。あら、いいのそんなに簡単に答えて?というふうに。
「まあ、人間万事塞翁が馬だよ。まあ今度は5年くらい待ってくれると嬉しいけれどね。それより君はいいのかい?また走れなくなるぜ」
私はいつでもいいわ、その後だってまた強くなれるのよ女は・・・・、そんなことを妻はいってただろうか。
ハイマツの狭い尾根を抜ける時は縦列になる。会話はそこで途切れた。

遠くに見える北岳が美しい。妻は本当はどう考えてるのだろう?

賽の河原まではのんびりきて約2時間半。今日も晴れて青い空に白い砂、そしてそこに並ぶ小さなお地蔵さんの一群が、絵に描いたようなお伽話の世界を作っている。
妻は深く膝ついて、「息子」をお地蔵さんに元にもどした。黄色いトレランウエアが何故か眩しいくらいに映えた。

「2つ選んで」
「えっ」
「双子はいやよ、一つは友達にあげるのよ、欲張りかしら?」
「いや、これだけたくさんあればなくならないよ」
「元気そうなやつね、形は別に気にしないの。」
「こんなもんかな」

「さあ、山の天気が崩れないうちに、いこう」
キャメルバックのポケットに石をしまい、再び稜線を走り出した。
そこから夜叉神峠まで約3時間。バスで芦安に戻り、そこから車で2つの石が待つ東京に戻った。



水曜日, 8月 05, 2009

富士山とNature

「五合目からではなく麓から富士山に登りたい。」

「ミスターK」は、メールで意表をついたことを伝えてきた。

「研究室の恩師が日本にいった際に富士山に登りたいといっている」
ブリスベンにいる実兄から紹介のメールが来た時は、それでも驚いた。
が、まさか麓から登るなんて。

山歩きはかなり慣れていると実兄からは聞いている。しかし富士吉田から登るのはかなりの距離である。
五合目に自動車道が出来て以来、中の茶屋から五合目までの山道は登山客もなく、山小屋は深遠な森の中で廃屋と化している。
そもそも日本語を片言もしらない「ミスターK」が、登山客もほとんどない山道を迷わず登れるだろうか?
若干答えの迷いも感じたが、今までつきあってきた多くのオーストラリア人-だいたいが大らかで大胆な人々-思い返すと、それも彼らの旅の冒険の一つかも、と思えてきた。

「それもいいアイディアかもしれない。7合目までは7~8時間かかるけど・・・・」
片言の英語で、夏場の暑さ対策を十分すること、5合目以降は直射日光に気をつけることなど、思い当たる注意を書いて返信した。

「ミスターK」は結局、まるで学会ついでの散歩に行くかのように、単独富士登山-しかも中の茶屋からの-計画をたて、そして7月末の不安定な天気をくぐって登頂を敢行したらしい。
僕は結局メールでのアドバイスをしただけだった。

「ミスターKは、ある分野で輝かしい功績をあげた著名な研究者」であることを兄から聞いていた。
かの「ネイチャー」に掲載された著名な論文のオーサーであるとのこと。その時ぴんときた。つい先日読んだ、新書である。福岡伸一の「できそこないの男たち」
余談だが、理系の新書として、福岡伸一の本は、群を抜いて面白い。ドラマがあり情緒がある。今自分が、題目より著者名だけで本を買う数少ない文化人である。
そこにミスターKのチームの功績がドラマのクライマックスとして余すことなく描かれていた。

それほどの研究をしてても、まるでバックパッカーのようにふらりと富士山に登ってしまう大らかさ。
そんな知性と感性、野性までもが共存する個性、そしてその文化。
自分は今でもそんな世界に憧れてしまう。


O-magazine

「タクさんの記事見た?」

子供が漸く寝た後の遅い夕食で、妻がおかずのラップをはがしながら教えてくれた。
「あっいや、そんなのあったっけ、ええと」

そういえば、今月号は封を開けただけでまだ目を通してなかった。
時間のなかったせいもあるが、自分が記事を書くとどうも、そのページを開くのが気恥ずかしくなる。そのまま冊子全体をついつい見なくなってしまう悪い癖である。

いけないいけない、今の自分は広くアンテナを広げなければ・・、とビール片手にぱらぱらとページをめくった。見覚えのある集合写真が目にとまった。タクさんの記事である。

案の上、6月に開催されたイベントの記事だった。
ここでもいつしか紹介したが、小さな子供のいる家族オリエンティア向けイベントを主催してくれた。その報告である。
記事は、イベントの報告ではじまり、アットホームな一日が紹介される。そして文章は今の大会に対する家族オリエンティアの視点での提言に発展していた。なるほど、読むと一つ一つにうなずいてしまう。うなずきながら読み終えた頃には、妻がえらく感激した理由が分かった。

嘗ては、トレーニング論、強化論で、頭が沸騰するような議論を戦わせたタクさんだけど、今こうしてしみじみと記事に共感しているが不思議でもある。

でも思い返してみると、僕の独身時代、前の世代の先輩方が同じような、子連れの状況で大会参加しているのを見て、今の自分が感じるような不便があることの認識はなかった。いや、正確にいうと、話は聞いていたし、いろいろな意見も知っていたけど、当事者でないので記憶に残ってないのだろう。
今さらながら諸先輩の苦労を身を沁みて感じる次第である。


「あなたの記事も読んだわ。えーと、そうね、ちょっと難しすぎない?」

「そうかい?」
そっけなく返事をしたつもりだが、図星の指摘にぎくっとした。
確かに書いた後に反省した。タクさんの記事くらい分かりやすくメッセージを載せなければ読者には伝わらない。ちょっと自己満足的な文章だったよなあ。
でも書いた時のマインドに偽りはない。びびびっと来てくれる人が一握りでもいれば、それは辛うじて及第点にはなるのだろう。

ビールが空になった。娘は寝てしまい、2本目をサービスしてくれる人もいない。

そろそろ寝るか。

また次の子供イベントに期待したい。自分で主催するのも手かも?そう来年くらいにはいいかも。






木曜日, 7月 23, 2009

3連休

「子供達がかわいそう、ま、慣れっこだけど」

そう妻に窘められた3連休。

結婚式で東京に来た村越さん、イタリア帰りで話題満載の国沢氏と密度の濃い昼食をとったのが土曜日の昼。そこから、恩師の最終講義に記念祝賀会、夜に地図印刷をしてそのまま早朝から富士での2日間の合宿、ほとんど家を空けてしまった。

富士の合宿はWOC組にとって最後に集まる練習機会。今回は学連合宿との共催だった。効率化というより単独開催では限界がある人や資材を集める現実的な意味もある。それでも、若い学生にとっては代表選手を間近で見るよい機会であり、選手にとっても代表としての意識をもつチャンスになったのではないか、と勝手に相乗効果を考えている。オリエンテーリングをはじめて1年目の若者達との接触はお互いに刺激的である。
この季節暑く体調も崩しやすい。選手も多少不安を抱える時期だが、それでも多くの選手は元気にトレーニングしてくれていたのでややほっとした。ネット環境がなく、WG組の観戦はできなかったのが残念ではある。不安要素も若干はあるが、これでいよいよ8月のWOCである。

話は戻って3連休。一つ一つの行事は一期一会、それぞれの理由で大切にしなければならないし、どれも捨てられない。でも全部まとめると、やっぱりちょっとやりすぎ感があった。毎度のことなり。
「無理して体壊して迷惑するのは家族よ、あなたは体強い方ではないんだから」
はあ、おっしゃるとおり。
自分がへたくそなのは、時間の使い方でなく、選び方なのかもしれない。
幸いにして今は仕事がそれほど忙しくないので。体調は崩さず平日の仕事もそれなりに順調。

いよいよ夏休み。そう、気がつけば皆既日食は見忘れた。

土曜日, 7月 18, 2009

退官記念パーティ

大学時代の恩師の退官記念パーティがあった。

私が人生で尊敬する2人のうちの1人である。
定年を前にして、独立行政法人の研究所の理事長として転身したのである。

僕が研究室にいたのはわずか2年半、しかも14年も前だから、いま思えばお世話になったのは、長い人生のほんの短い時期であるが、今でもその先生の笑顔を見ると妙に懐かしく、癒される気分になる。

もともと小学校や中高など卒業校にそれほどの愛着を持たない方だと思うが、何故かこの研究室だけには、妙な郷愁を感じる。いろいろな経験や思い出が交じり合ってそう感じるのだろうけど、その先生の人柄によるところが大きいだろう。

私の技術分野では大変名の通った先生である。各種代表、委員長、理事などのあらゆる要職を経験され、いつも学科をリードし、業界紙の一面にもしょっちゅう顔を出す。そして定年を間近に最後も見事な転身であった。
かといってがつがつ、ぎらぎらした先生ではない。どちらかといえばいつも笑顔を絶やさず、「いやあ実験の打ち合わせしなくちゃね」といいながら忙しく過ごしていた印象がある。それでも怒ると怖いといううわさではあったが、僕自身は一度もそういう姿にお目にかからなかった。
正直なところ先生を見ていて、科学者、研究者として他を圧倒する凄さを感じるかというと、そういう分けではない。しかし人の上に立つ人が持つ、バランス感覚みたいなものはとても感じる方だ。

同じことを多くの教え子が感じるのだろう。この手の集まりがあると沢山の卒業生が集まる。人が集まれば交流が生まれ、いろいろな情報交換が始まり、またそこが別の意味で有意義な場になる。そうして雪だるま式に、集まるところに人は集まるのだろう。

パーティ後、数年ぶりに会う同期や先輩で自然な流れで2次会に脚が向かった。
しばし悩んで、やはり決断した。今日の晩にコースを確定して残りの50枚を刷らなければ流石にやばい。

「すまん、今日は帰る」

なんだよ、仕事?という顔をならべる同期にどう説明してよいやら、

「いや、仕事じゃないんだ。その、、明後日からの合宿の準備が・・、」

「ガッ・・・ガッシュク??」

まるで何年も口にしてない死後を耳にしたかのようなリアクション。
38歳のサラリーマンが飲み会に誘われて断る理由にしては、余りにも唐突すぎるかも。

(ああ、まだそういうのやってるんだね)と、でも皆なんとなく納得。本郷三丁目前の交差点の雑踏で別れを告げて家路についた。




金曜日, 7月 03, 2009

原宿

午前中山手線を乗り継いで、原宿の岸記念体育館に向かった。
本当はお気に入りの自転車で移動をしたかったのだけど、夜に雨の予報だったこと、一日の終わりに懇親会が予定されていたことで、あきらめて電車に乗った。
午後から市ヶ谷で会議があり、会社にいったん出勤しても効率が悪いため、午前半休としてオリエンテーリング関係の仕事に割り当てた次第である。

原宿なんて今の自分の生活とは180度反対の街である。山手線の中から様々ないでたちの若者に混じって駅を降りる。襟付きのシャツを着て歩く自分が、とても異質な人間に思えてくる。
ただ、ふとこの原宿で感じる違和感が、渋谷を歩くときほど息苦しさ、居心地の悪さを感じないことに気づいた。
なんでだろう?原宿を歩く若者を観察していると、奇抜なファッションにもかかわらずどこか素朴な匂いがする。まるで学芸会を見ているような、そんな気分である。
考えていることがわからない、どこか得体のしれない恐ろしさを感じる渋谷の若者との違いである。
だから、ここ原宿では意外と人間観察が面白い。たまにここを歩くのも悪くはない。

話がそれた。

午前中いっぱいJOAの事務所のイスを借りて、たまった仕事を片付ける。事務局には酒井さん、宮城島クンもいた。
2時間はあっという間に過ぎ、本業の会議がある市ヶ谷に向かった。
自分はあまり時間の使い方がうまい方とは思わない。ただ、必要に迫られて、暇があれば時間のやりくりばかり考えるようになった。いろいろ試してみても策に溺れてかえってうまくいかないこともあるのだけれど、今回は比較的グッドアイディアかもしれない。朝一番の接骨院から、夜の懇親会まで、今日の使い方はほぼ100点。
月1回の定期的な外回りなので、今後も続けてみよう。

夜は屋形船で暑気払い。いよいよ本格的な夏である。




信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...