日曜日, 5月 09, 2010

2009年5月~2010年4月



この1年をレビューしてみた。

トレーニング走行距離:3480km(ラン)、3200km(バイク)
総トレーニング時間:499時間
内訳は
自転車:152時間
OL:23時間
OL以外の山:91時間

会社の総労働時間:2200時間

最大体重62.3kg(全日本運営後)、最小体重56.9kg(ハセツネ1周試走後)、平均60.2kg

主な記録
ハセツネ:9時間8分(10月)
マラソン:3時間30分(1月)
ハーフマラソン:1時間15分39秒(1月)
10マイル:57分43秒(12月)
10km:35分25秒(3月)
*マラソンは散々だったけど、あとはまずまずの記録。10kmはコースがかなり急カーブが多く、普通のロードなら35分フラットくらいは出るだろう。総じてロードの記録はこの5年でほぼ変わってない。

昨年の夏頃は山で良く走っていたので距離の割にトレーニング時間が45時間以上と多い。反対に秋から冬はロード中心のトレーニングで距離は300~400km程度走っているものの時間は少ない。
2月以降は全体的にトレーニングにエネルギーが避けてなく、やや質量ともに低下気味だった。




水曜日, 5月 05, 2010

ASOCルート



ロングとミドルのルート。
2日間でこれだけ、ミスの少ないレースをしたのも記憶にない。
もっともそれでもルートチョイスには課題があるし、フィジカル面ではもう2,3%速く走れる身体をつくらないと、これから国内といえども勝たせてはもらえないだろう。

ASOC終了



アジア選手権が無事終了。

今日のリレーは自分の家でネットで結果をチェックすることになった。男子は貫録の優勝、女子も検討の2位だったといえよう。怪我で不安を抱えていた番場や朴峠が特に終盤力を発揮できたのは、とても心強い。男子も寺垣内の怪我はやや心配だが、他の選手はハードな3レースをこなした上でリレーをきっちり走っている。個人の感触はともあれ、結果の数字を見ると5日間4レースの厳しい条件の中、選手はよく走り切ったように思う。

ジュニア男子の選手には、JWOCという舞台の前で、国際競技会を走る経験は有意義だったろう。に代表として大切なことは大きくわけて二つ、代表と呼ぶにふさわしい準備をすること、そしてもう一つはその準備を国際競技会の場で十分に発揮すること。前者はこれからの2月の準備にもかかっているが、後者についてのいわばリハーサルになったわけである。そういう点では尾崎を始めFavoriteな選手が、波こそあれおおむね上位に来ていた印象はある。



大会期間中、日本チームは新調した代表ウエアに身を包んだ選手が、国際大会らしい雰囲気を一層引き立てていた。今回、協賛してくれたリトラメッドの山岸さんや、Nonameの小泉君、デザイン段階で尽力してくれた西尾君などいろいろな人の尽力により、とても素晴らしいウエアがASOC直前に届いたのだ。
特に照れながらも誇らしげにウエアを着てウォームアップしているジュニアの選手を見ると、ウエアという一つの道具であっても、「代表」という意識を引き出すとても大切なツールなのだと感じた。
その風景を見て、ふと「自分ももう一度着てみたい」と思った。そんな人を引き付ける魅力があったのは確かだろう。

アジア選手権という国際競技会もあって、W21EとM21Eでは国際色豊かに各国が上位を競っていた。対照的にM21Eは連日日の丸の列がリザルトボードの上を飾り、実質日本のチャンピオンを決める戦いとなった。

話はかわって個人的な結果である。
まとめてしまえば80点だろうか。

最大の目標としていたロングでは優勝はかなわず3位。
そのかわりミドルで優勝した。
体力的なコンディションはベストまでにはいかなかった。それでもその時点で達成しうるベストの結果を引き出すことができたと自負する。金と銅だから結果だけすれば大変満足だ。だから100点をあげてもよいかもしれない。
でも、自分の狙った種目で勝てなかった点に少しばかり悔いが残るので減点。マイナス20点だろうか。

マルチデイイベントでのピーキングの難しさも感じた。1レース毎の疲労の影響が大きい昨今は間1日あっても完全回復はかなわない。ミドルに比べてロングの日の若干の鈍さを免れなかった。

ロングは頭をひねるようなレッグは少なく、全体的にコントロール位置もやさしく素直なコースだったといえるだろう。その分極力ミスを抑えてスピードを維持することがカギになる。
こちらはミスはほとんどない。明確にいえるミスは15秒を2回と、数秒を2,3回だけ。もちろんルート選択で数十秒単位のロスを結果的にはしているようだが、せいぜいその程度である。だからゴールした時は手ごたえはあったけど、自身のレース中の体の動きを考えるとそう甘くはないだろうと想像した。その通りだった。
しかしそれにしても優勝した小泉のタイムは素晴らしい。
おそらく今回の準備では10回やっても1度も勝てなかっただろう。時間を巻き戻して、12月くらいの段階から準備を本気でやり直さなければ今年の小泉には勝てまい。だから87分であっさりゴールインする姿を見た時は、天晴としか言いようがなかった。昔から狙ったレースへのピーキングに素晴らしいものをもつ彼の集大成を見たような気がする。

対照的に2日前のミドルは、どちらかといえば予想外だった。
確かにミスはほとんどない。9番の岩の横をコンタで5mほど下りすぎただけである。それ以外のミスは3秒が1回。自分でも90点はあげて良い内容だった。勝てるチャンスは十分あると思った。が2分近い大差がつくとは思わなかった。
後で振り返ってみれば、各選手が不本意なレースをする中、自分だけがまともなレースをした結果だった。僕の巡航スピードはなんと103で、一番速い大助より6%近く遅い。対照的にミス率で10%を切っている選手がほとんどいないことも少し異常なことである。
テレイン的な特徴からくる課題‐特徴のない緩斜面から細かい地形へのアタック‐は、考えてみれば日本ではあまり経験しないものだ。
しかし大陸系のテレインではむしろ当たり前の課題である。
少し踏み込んで言えば、今の日本チームが海外レースで十分に実力を発揮できない理由の一つを垣間見た感がある。
この手のテレインには新たな技術が必要なわけではない。日本人が得意な、細かい部分で地図を読む技術と、コンパスで方向を決めて飛ばす‐八ヶ岳的オリエンテーリング‐を持っていれば、あとはそれを組み合わせる戦術の話だと思う。戦略的な練習の余地があるように感じる。



ミドルで優勝した後に多くの人に祝福らしき言葉を頂いた。もっともその表現のし方は今の僕の立場もあって様々だ。あまりアドリブの返答が上手でない自分は、「今日は僕は選手ですから」そういってかわすしかない。
ただ胸を張っていえることがある。それは、自分なりの準備はASOCに向けて十分やってきたということ。

スプリントの加藤は良かったとして、ロングで優勝した小泉、すべてで2位をとった俊介、そして僕と、ノルウェーに行かないメンバーの好成績が目立った。そのこと自体はWOC代表を軸としてみれば、望ましい結果ではない。しかし2003年以降WOCが毎年化してから、WOC出場がオリエンテーリング競技の唯一かつ最高峰の目標、という従来の価値観が変わり多様化してきている。そのことを象徴しているだろう。一時的にしろ国内で競技レベルを上げることを役割分担とする選手が存在するようになったのである。
だからこう考えるべきだろう。
WOCに出ない小泉、紺野、鹿島田がいなかったと想像したらどうだろうか。
ロングは92分~93分台でWOC代表が上位を独占し、WOC選手のクロースな戦いに拍手が贈られていただろう。表彰台に登る選手も自分のレースの完成度にどこか首をかしげながらも、自らも満足していたかもしれない。
しかし現実には彼らより5分速く、87分で走る選手がいる。だからからこそ、悔しいし自分たちに改善の余地が大きく残されていることを実感できる。そのことが夏のWOCまでにプラスに働くことは間違いない。そういうところで国内組選手の果たす役割はちゃんとあるのだ。

問題は誰が勝ったとか、それが何歳の選手か、とかではない。上位を争ったレベルが世界でどの程度通用するかが重要なのだ。

さて、これからはいよいよ夏に向けて、代表選手の準備が本格化する。手前みそだが、昨年に比べて選手をサポートする体制は少しづつ改善されてると感じる。もちろんまだまだ十分ではない。いわば社長自らで賄う家族経営の工場から、組織らしい形態が見える中小企業になった、くらいの段階である。ただ、今年は昨年のように最前線の現場でサポートするのではなく、もう少し全体を俯瞰して、できれば少し先を見通してサポートを考えていきたい。

そして僕自身も次の目標を見つけよう。それが、代表を支えるモチベーションにもつながる大切なことだから。

火曜日, 4月 27, 2010

小さな目標

どんな形でもいい。自分の目標を形にしておくことは大切である。

多分書いてあることに気づいている人は、本当に一握りの物好きな人だけだと思う。

今の自分は競技を最優先にする立場にないし、自分もそれだけの準備をする覚悟はない。海外遠征にはとても越えられないハードルがある。
だけどこの30年に培った性として、何かしら競技で目標を立てて走り続けないと、仕事も健康も家庭も人生のすべてのリズムが崩れてしまう。だから魚が一生泳ぎ続けるように、自分も一生走りづづけてる、それが自分の生活の一部なのだ。

ハセツネを終えて自分の次に向かって走るゴールを求めてASOCロングを目標に設定した。それはASOCだから、というよりも全日本だから。
それほどの重大な決心ではない。手持無沙汰な冬を乗り切る手頃な目標だったのだ。

この冬は比較的よく走れた。ハーフでも75分台はキープしたし、1月は400kmも超えた。おそらく2月の時点なら自身を持って自ら優勝候補だと名乗っただろう。
しかしこの2か月の状態は残念ながらよくない。そもそも山や森に行けてない。オリエンテーリングもまともにレースしたのは2月が最後、あとは4月の選考会ロングの試走一本。さらに4月中旬に体調を崩した時はさすがにめげそうになった。
言い訳はいくらでもある。弱気になれば、逃げ込むところはいくらでもある。

でも、ふとこのブログに小さく書いた目標が目についた。頼りないけど、しっかり書いてある。
「ASOCロングでの優勝を目指します」

間に合うかはわからない。体調が復調した先週決心して半休をとり、早朝に鎌倉の山を走りにいった。あきれた妻がいった。「あなたの人生よ、好きにしなさい」
ようやく体がある程度戻ってきた。まだ自分が勝つ良い走りはイメージできない。でも今の傾きは悪くはない。

あと8日、この1週間は自分のために投資してみよう。

土曜日, 4月 17, 2010

選考会2010

もう1週間になるが、選考会が無事終了。
今年ほど主体的に中心となって選考会を準備したのは初めてだ。ずいぶんと苦労もしたけれど、最終的に決まった選手の笑顔、喜ぶ姿をみると、準備した甲斐があったと感じる。一方で一年の努力を見守りながら、選考会で調子を出せなかった選手を当日励ましフォローする余裕がなかった自分に後悔の念が過ぎる。
自分が走ったわけでもないのに、もらい喜びやら、もらい憂いやらが疲れと入り混じってなんだか妙に感傷的な1週間になった。

今年の選考会は、巷で話題になっているように小林や山上、寺垣内が彗星のように現れ、多くの人がこれからの日本のポテンシャルを感じたと思う。対照的に選考会終盤での、番場、山口、松澤、加藤といったベテラン組の力強さも非常に印象的だし、ドラマチックだった。
ジュニアの方は今年も高校生が3名、卒業1年目が2名と、ここ数年のジュニア世代の活性化を象徴した結果だった。
もちろんこれらの選考がすぐにWOC,JWOCの結果につながるかは分からない。選手とコーチのこれから数カ月の創意工夫と地道な努力があってはじめて実を結ぶのだろう。

さすがに3週連続して、二人の子供を置いて家を空けるわけにもいかず、今週はおとなしく子守の留守番。選考会後に崩した体調もようやく戻ってきた。


木曜日, 4月 08, 2010

入園式

子育てってなに?
何気なく考えていて最近感じるのが、「人生を反芻すること」

娘の入園式に行ってぼんやりそんなことを思った。人生が2週目に入ったなと。ずいぶんと寄り道したけれど。
自分の記憶の一番底にあるのは初めて幼稚園にいって誰とも話すことができず母親が困っていたこと。その歳に娘が届いた。あのちびっちょい頭には一生残る記憶がもう刻まれてるんだ。
30年以上たてばとりまく風景もずいぶんと変わってくるけれど、なんとなく懐かしい匂いがする入園式。これから再び幼稚園小学校、中学校。。。と繰り返す人生がはじまる。こんどは当事者から少し離れたところからの見物になる。1週目よりもっと速いスピードで駆け巡り、やがて3週目に入るのだろう。おっと、幸運にも4週目までまわる人、残念ながら2週目をまっとうできない人、いろいろあるだろうから自分もどうなるかわからない、ただこうして自分の次の世代の成長をくるくる見ていくのがこれからの自分の人生なんだなあ、と感じる。

平日の木曜日。
会社の休みはとったけど、入園式には出なかった。入園式の案内に会場が狭いので「保護者の方の出席は1名まで」とあったのをま正直に受けたのだ。普段着で下のちびと送りにいったら、狭い園庭はスーツ着たお父さんがたくさんいた。妻いわく入園式の狭い部屋の後で満員電車のような中ビデオを皆回していたそうである。
なーんだ、もう少しましな服を着てくればよかった、と少し後悔して下のチビと近くの公園で暇つぶし。
30分もじっとしてられない子供たちなので式は短い。午前中にあっと言う間に終わった。
まあ娘の晴れ姿は見れたし、担任の若い先生にもあいさつできたし、来た甲斐はあったかな。

翌日会社にいると妻からメール。「さっそくやってくれたわ、園庭のど真ん中で。」
先生に「おしっこ」と言えなかったのだろう。変なところが僕に似てる。

「今日は先生に教えられたのよね!」風邪で寝込んだ週明けの月曜日、妻が娘と寝床に報告してくれた。「そうよ!えっへん、お父さんかぜ大丈夫?」
ああ、まあなんとかね。

一歩一歩。父さんも同じだな。





土曜日, 4月 03, 2010

つながらない!

最近出張が増えた。
一泊二日の強行日程。
仕事の書類にプラスして、ジョグシューズ、ハートレートモニタ、そしてPC。
最近1日も手放せなくなった3点セットを鞄につめて羽田空港に向かう。

今回の出張も交通の便は悪いところ。しかたあるまい。人が住むところに水道あり。水道あるとことに我が仕事あり。
羽田からとある地方空港まで約1時間半、そこからJRの特急に乗り継いで約2時間。観光地として有名な地方小都市にだどりつく。

昼間の仕事は比較的スムーズに終えることができた。やれやれと後輩の運転する車で途中夕食をとり、宿へ向かう。時計を見るとまだ6時半。今日は7時にはチェックインできるだろう。
週末の準備やPCメールに返答する時間もたっぷりあるし、少し夜にジョギングもできるか、と車の中で今日の残りの時間の使い方をあれこれ考えた。

ところが、車窓を眺めていて一抹の不安が過る。車はビジネスホテルのある市内ではなく、郊外に向かっている。。。
やがて街をはずれ暗い夜道を進みはじめた。
そういえば、昨日後輩から案内された宿は○○ホテルといった類のものではなく、△△楼という名だった。行く先を尋ねると隣町の観光地として有名な温泉地。
30分くらい進むとやがて観光ホテルの煌々とした灯があらわれ、静かな湾沿いの1棟の旅館にたどりついた。

後輩はせっかくだから、と味気ない市内のビジネスホテルではなく近辺の観光地の旅館に設定された格安プランを案内してくれたのだ。
チェックインすると確かにリーゾナブルだ。6800円の朝食付だが、ツインのシングルユースで広い部屋だし、温泉ももちろん広くて深夜まで入れる。浴衣で土産物コーナを回るような、そんな旅館だ。
どうせならプライベートでゆっくりしたいそんな宿である。

ただ、案の定いやな予感はあたった。

チェックインしてまず机付近をざっと見るが、あるべきものが「ない」
旅館の案内パンフをめくってみても期待薄。
だめもとでフロントに電話する。
「あの、インターネットとかつながっているところありませんか?」
多分さっき案内してくれたフロントの気のよさそうなお兄さんだろう。やや困惑した声で、
「当旅館にはありません。この先の××旅館にワイヤレスがあると聞いたことありますが。。。、それ以外このあたりでは聞いたことがありません。」

ああ、やっぱり。
ためいきをついて携帯を見ると、「圏外」
ソフトバンクの携帯メールも使えない。やれやれ。

しまった、うかつだった。事前に調べておくべきだった。この地はインターネットの世界でまさに陸の孤島。
今週末の準備をかかえてこの空白は痛い。自分のサーバにたまるメールの山と、返信がないのにいらいらする面々の顔が瞼に浮かぶ。

それにしても極度のインターネット依存症かもしれない。ここは誰もが一度は訪れたいと思う名勝の地。日本の雄大な文化的遺産を目前にして、その雰囲気さえ味わえず、インターネットがないことにあたふたする自分が何とも小さい存在に思えてきた。
いいや、今日一日なんとかなるだろう。今日は早く寝て明朝に、日本人の魂を育んだこの地の歴史文化を肌で感じるべく、ジョギングを楽しむこととしよう。

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...