土曜日, 5月 02, 2015

UTMF2014 完走記 その2 -スタートからA8まで‐

スタート通過 0km 838
とにかく前半あせらないこと、筋肉を使いすぎないことを頭においてたため、スタートゲートから遠い控えめな位置に並んでスタートした。ところがこれが失敗だった。スタート直後にレーンが極端に細く曲がっていたため、列が全然進まない。スタートゲート通過に2分くらいかかり、その先もラッシュ時の品川駅のようにほとんど進まない状態が5分くらい続く。ようやく歩けるようになって、小走りできるよになるには10分以上かかったか。自分のペースで走れるようになったのは、林道が坂を登り始めてから。推定10~15分のロス。さすがに前半抑えた超ロングレースといっても10分以上のロスはもったいなかった。

その後の初めの登りでどんどん抜いていくが、それでも慎重なペースだったと思う。心拍150前後で走ったり歩いたり。周りは富士山の写真をとったりマイペースな人々。登りが終わり、霜山手前のワインディングするロードが終わる直前で妻を発見。

 妻は昨年後半失速してるので、「速すぎない?ペースおさえて!」と声をかけて抜く。でもあとから考えると自分のペースが遅かったのだ。富士吉田手前で藤若さんを抜いた時にも「なんでここにいるの?」と驚かれた。

A1到着 18.2km  2時間14分、280
エイドは数十人が休憩してただろうか。すごい人だかりだった。水もほとんど消費してなかったので、バナナなどの軽い給食と水一杯で30秒以内でA2に向かう。

杓子山までのだらだら登りで一人また一人と抜いていくと、途中で脚の長い外国人が前に。並走すると、日本在住のERWANさんだった。北丹沢などで同じレベルの選手なので、少しほっとする。話しかけると、昨年のタイムは28時間とのこと。ペースが遅すぎるのでは、と不安に感じていたので、少々安心する。しばらく並走するも、自分の気持ちよいペースだと少し速いので、そのまま少しづつ先行した。残念ながらERWANさんとはそれ以降会うことはなかった。

杓子山への急登からうす暗くなる。杓子山を越えてた尾根上からライトが必要になった。この頃には選手の列もまばらで10秒に一人程度の密度だろうか。それでも杓子山下りの例の足場の悪い急斜面では小さな渋滞があった。一人づつしか降りられないのでしかたがない。3人ほどの列に並んで1分程度まったろうか。それほどストレスにはならず切り抜けた。

まだフレッシュな脚にはそれほどの負担ではない。難なく二十曲峠に向かう比較的平坦な尾根に乗った。このあたりで完全に闇になった。

A2到着 33.4km 4時間39分 156
A1からペースを少しづつ掴んでいるが、予想タイムより10分程度遅い。ここでも補給はほんの1分程度に抑え次の山中湖に向かう。

A2-A3区間は難なく進みあまり風景に記憶がない。ただ、覚えてるのは、「この闇が明けて、太陽が昇って、再び暗くなるまで自分は走り続けなければならないのだ」、とふと考えてしまい、先の長さに気が滅入りそうになったのを良く覚えている。

A3到着 39.3km 5時間29分、in149位、out134
ここでも休憩は2,3分程度。給食して水を補給して出発

A3からの最初の別荘地内のロードと山への登りで数人を抜く。あまり無理せず心地よいペースを意識する。三国山に向けて山の斜面を一旦下り、登り返す斜面があるのだが、そこでは、真っ暗な闇の中、対面の頂上に向けて点々と光るライトがみえた。幻想的な風景だった。トップはもうどのへんまでいってるのだろう?ふと頭を過る。

三国山から大洞山にかけての尾根道はUTMFのコースでももっとも好きな場所の一つ。
適度な起伏で走りやすく、周りは広葉樹の見通しの良い林が連なっており、少々神々しい雰囲気だ。ただ生憎今年は真っ暗闇でブナの美しい森はまったく見えない。

A4に向かって下り始め、徐々に斜面が急になるところで、1名の女性選手が道をあけてくれた。さすがにこの位置での女性は珍しい。海外選手だった。日本的なテクニックを必要とする下り斜面なので慎重に降りているのだろう。軽く手をあげてお礼の意を示して先をいった。

長い下りで脚にも負担だし、そろそろ大腿四頭筋を休めたいな、と思い始めた頃にようやくロードに出る。そこで少し飯場ばて気味になるがエイドまですぐなので補給せずに走る。すると先ほどの女性選手に追いつかれた。しばし並走。すらっとした欧米人体型の選手である。どこから来たの?ときいてみると、「ウルグアイから」とのこと。いろいろな国から選手が集まっているもんだ。この位置なら女性でもレベルの高い選手のはずだ。

A4到着 55.7km 7時間47分、in118位、out109
ここも給食と水の補給で2分くらいですぐに走りはじめる。まわりには人の気配はなくポツンと一人のライトで走る。

ここからA5までは延々とだらだら登りである。スタートから8時間、23時。昨年はちょうどこの時間の富士宮あたりから疲れが出始めて徐々にペースが鈍ってきた。今年の方が余力感は高い。

しばらく歩かないようにちょこちょこ走っていると、後ろからライトがポツリと見えた。ライトは道の曲がりで見えたり見えなかったりしながら着実に近づいてくる。今日はスタート以降ずっと抜く一方で抜かれたことがないので少し残念に思ったが、さっきのウルグアイ選手だろう、しかたあるまい、とあまり意識しないことにする。

そのうちその選手に追いつかれ、しばしすぐ後ろで同じペースで並走されるのを感じる。やはり女性のランナーだった。「抜いていいよ」とジェスチャーで道をあけるしぐさをすると、不意に日本語で話しかけられて驚いた。

その後、その女性選手とはしばらく会話しながら一緒に進む。それは網蔵選手だった。2013UTMFの女性4位。色々なところで活躍している方。失礼ながらその時は知らず、お互いの自己紹介をしてはじめてしった。

なんだろう、暗闇の中なので声だけの会話だったのだけど、この世界で活躍する女性特有のそこはかとない明るさとポジティブさをもった魅力的な方だった。共通の友人に田島利佳ちゃんがいることがわかった。利佳ちゃんの顔の広さには本当に驚く。

「今年は30時間きりたいんです」と話すと「昨年27時間台で今年もペースはかわらないから大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

その後、道はオフロードになり、時に短い下りも織り交ぜながらひたすら登っていく。途中もう一人の男性選手も一緒になり3人がそれぞれのペースで抜きつ抜かれつ100200mの範囲でA5に向かう。

やがて礫の崩れやすい斜面となり登りの角度がきつくなってくる。もうすぐA5

A5到着 65.6km 9時間24分、in106位、out101
夜の12時を回ったところ。時間的にはほぼ1/3。標高も高く身体が冷えてはいけないので、ここもきっかり2分の休憩。補給食をとって次に進む。

エイドの休みは他の人より短いのか、エイドで人を抜くことが多い。一緒にエイドインした人より一足先にエイドを出た。礫の急斜面を戻るように下って舗装道へ、そこからはだらだらと登り返し。一番苦手な区間。ペースを維持しようとしつつも、少しだけ歩いてしまう。

A6到着 71.5km 10時間07分、in98位、out96
ここのエイドは素通りしてもよいかな、と思いつつも一応寄ることにした。このエイドは一番標高が高く1400mを超えている。時間も夜中の1時で気温は低下する一方。身体が冷えないよう最低限のエイドで済ます。ここも2分程度。

A7までは程良い傾斜の下りが続く。一番得意な部類の下りである。エイドの時点から数人の選手とパックになった。一人で下ればほんの少し速いペースかもしれないが、脚のことも考えて、集団のペースに心地よくはまって下ることにする。幾名か歩いている人を抜いた。このあたりで歩くと残りの90kmは厳しいだろう。自分もいつそうなるか分からないが。。。
1時間近くで林道に出る。折り返しの選手と幾人かすれ違うと、見慣れた風景のこどもの国がみえた。今年はエイドが道からすぐの駐車場なので少しのことで走る距離が短くて済んだ。

A7到着 80.5km 11時間18分、in83位、out83
昨年はここでぺたりと座り込んで休憩が20分以上となり、そこからのペースががくんと落ちた。今年は10分以内を目標に、荷物の入れ替えをする。後半の食糧補給(ドライフルーツ、羊羹、飴、シリアル)、地図の入れ替え、Tシャツの交換。靴はそのままBushidoで走ることにする。昨年よりもここの時点での闘志は高い。走りだす時に時計を見るとスタートして11時間30分。10分は少し超えてしまった。

再び砂利の林道に向けて走ると、直前に女性ランナーがいた。網蔵さんだった。エイド付近のサポータかスタッフかにあちこち声をかけられて笑顔で答えている。A6以降こちらが先行していたのだけど、このエイドの休憩で追いつかれたよう。

走りだしの脚は恐ろしく硬直して重かった。昨年も経験したけど、氷点下0度近いエイドで休憩を10分もとってしまうと、あっという間に筋肉は冷えて硬直してしまう。脚の暖気運転が必要、温まるまでペースを落として我慢するしかない。前の網蔵さんがみるみる小さくなっていった。

20分ほど走ってようやく脚が動くようになった。この区間は基本下り貴重。砂利道なので、足に負担のかからない路面を探しながら脚を運ぶが、身体的には大分楽である。
W1まではオリエンテーリングで良く使う森の中の林道なので、暗闇の中オリエンテーリングマップを思い浮かべながら、今このあたりかな、と想像しながら進んでいく。

W1への中間点で、森の中にひっそりたたずむ岩倉学園が見えた。夜中の3時。施設も電気がすべて消えている。いつもお世話になっている職員の方や子供たちもすやすや寝てる頃だろう。
このあたりになると、選手の密度も大分ばらばらになる。前後の林道でライトが一つ見えるか見えないか、という場合が多い。前に新たな灯りを見つければ勇気づくし、逆に後ろにライトの気配を感じると、心なしか焦りを感じる。それでも基本は自分が砂利を踏みしめる音だけの世界が延々と続く。レース中一番孤独を感じた区間である。

W1手前は村山口の地図の中の林道。ここは暗闇でも自分が地図の中でどこを走っているかわかる。エイドまでもそう遠くない。ここで網蔵さんに追いついた。2,3言葉を交わしたように思う。「マイペースでいきましょう」といったたぐいだったと思う。これ以降は合わなかった。

W1通過 94.9km 1304分、72
水は十分にあるので素通りする。

A9に向かう道。鉄塔下の細かい2030mの起伏を繰り返す。こういう場所はオリエンテーリングで慣れたリズムか比較的得意である。
ここでは小柄で筋肉質の男性選手に追いついた。彼は僕より元気そうだがコースのマーキングを見つけるのが苦手のようだった。トレイルが細くて曲がっている個所やマーキングが見えにくい場所などで、止まったり、少しうろつくことが多い。
明らかに体力的な面で損をしているように思える。鉄塔下のトレイルを斜面と沿った方向に進む、という大筋のイメージが出来てないのだろう。地図でコースのイメージをつかんで走ることは体力的な面でも明らかに効率的である。

彼がまたもや道を見出せず止まっている時に、抜きながら「こっちですよ」と教えると、「まったく参るよ」といったジェスチャーと聞きとりにくい言葉がが返ってきた。香港の選手だったのだろう。彼はその後少しづつ後ろの気配が消えていた。

 そのころには空が白けてきた。やはり明るくなると気分も上向いてくるもんだ。これから向かう天子山塊が遠くに見えた。

A8エイドが見える道にきて、「鹿島田さん!」と声が聞こえる。東北大OBの安斎君だった。応援に来てくれたらしい。この早朝から小さいお子さんも含めた家族できていた。知り合いの応援は本当に力が入る。「調子よさそうですね!」並走しながら声をかけてくれた。

「ここまではね、でもこれからが本番」

UTMF2014 完走記 その3 -A8からゴールまで‐

A8到着 104.4km 14時間24分、in69位、out62
この先の天子山塊が一番の山場、ここの戦略が重要である。次のエイドまでは5時間近くかかる。いくら気温が低くてペースがゆっくりといっても水分はレース中一番必要となる。その他の区間は1Lあれば十分だけど、この区間はそれでは足りない。いつも通り650mLのボトルと400mLのプラバックを満タンした他、この区間用に用意したもう一つのプバッグ(400mL)を持参した。

ただ、ここの補給ではひとつ失敗を犯した。エイドには地元のおまんじゅうが並んでおり、ボランティアの女性に「いかがですか?」と笑顔で勧められたのだ。(もちろんその女性に悪気はない) そして釣られて食べてしまった。推定150kcal。それまで本能の赴くままに補給してきたのだが唯一ここで、身体は欲していないのに食べてしまう。飲み込み終えると少々度を超えた満腹感がきた。
その時は、「このくらいなら大丈夫」だと思ったのだが、結局あとで後悔することとなる。

ここでは荷物チェックもある。村越さんが役員をしていた。難なくチェック完了。1429分。ところがここでチェックにひかかっている選手が一人いた。地図らしい。外国の女性選手でブラジルの選手だ。しきりになにか理由をアピールして役員と議論していた。ちょっと気になったけどこちらのレースもあるので、そのままエイドを後にした。結果なんとか説明がついたのだろう。この選手には後で何度か抜きつ抜かれつして最後僅差で負けたのだが女子で5位入賞している。

市街地のロードを抜けて、水路の脇の道を登り、山道に入るといよいよ斜面はきつくなっていく。このころにはすっかり明るなった。まだ6時というのに昼間のように太陽の日差しさ強くなってきた。約800mの一気登り。ここをトラブルなく乗り切ることがこのレース最大のポイントだ。

急登のつづら折りを延々登る。まだ足取りはしっかりしている。はるか下からハイペースで登ってくる選手が一人いた。海外の男性選手だ。ながい脚でひょいひょい斜面を登ってくる。追いつかれて並走「どこから来たの?」と聞くと「UK、きつい登りだね」と短い言葉を残してさっさと登ってしまった。
またポツンと急な斜面で一人ぼっちになった。

登りも半分を過ぎた頃に、とうとう始めのトラブルが訪れた。

「睡魔」である。これは後で気付いたのだが、歩くような急登は睡魔が襲いやすい。着地などで反射神経を使う必要がないからだろうか、平地で走っている限りは眠気は襲ってこないが、歩くとたんに眠くなる。
朝の7時近くになっている。昨年眠くなったのとだいたい同じ時間帯だ。ペースが鈍る。斜面の遥か下には2人ほどの選手が近付いてくるのが見える。抜かれるのはしゃくだが我慢できず、とうとう、急登のつづら折りの脇で座り込んで目をつむった。

目をつむるとこんなに気持ちいいのか、とたんに意識が一瞬で遠のいていく。。。。。意識が深いところに落ちて完全に気を失う。・・・・・・・

・・・・・・はっと起きた。

ふと見ると、先ほどの2人の選手が少し上を登っている。
恐らく3分くらいだろう。それでも眠気は大分おさまった。

再び歩きはじめる。少し歩くとまた眠気が抑えられなくなる。座って3分目をつむる。これを3回ほど繰り返したところで天子ガ岳についた。そこからは尾根道となり、走りのリズムが変わって眠気も影をひそめてる。よし、まだそれほどのロスじゃない。このスキに尾根道も頑張ろう。

ただ、この尾根は想像以上にきつかった。登り基調の上にアップダウンが大きい。登りがきついと眠気が時々襲う。さらに、7時頃から気温が急激にあがり、汗のかく量が増え、水の消費も激しくなった。

途中のピークで、登りをさっさと登ってたUKの選手が座り込んでいた。どうやら水切れをおこしたらしい。
このあたり、気付けば抜きつ抜かれつする選手は半分以上が外国の選手だった。想定外の暑さとアップダウンの厳しさに皆閉口してペースの維持に苦労している。こちらもまたいくつかのピークの前で2,3度睡魔に襲われ座り込みペースは大分鈍っていた。

難関の熊森山は越えた後、とぼとぼ歩いているポルトガルの選手が「水を少しもらえないか?」と空のボトルを見せて頼んできた。ボトルにはまだ400mLくらい残っていたので、半分ゆずることにした。彼は僕の手からボトルを(ひったくるように)とると自分のボトルに勢いよく入れ、「半分だよな」、と6割くらいを入れてからごくごく飲んだ。彼はものすごく嬉しそうにお礼をいって歩き出した。ペースは彼の方が速くて見えなくなった。ほどなく僕のボトルも空になったが、もう下り基調だから大丈夫と考えてた。

 ところが、その先少し歩いていて目の前にそびえる高い山をみて絶望的になる。雪見岳だ。地図の等高線まで良く見てなかったので、最後の雪見岳が一番高く、その手前に250m近い登りがあることにまったく気づいてなかった。想定していなかっただけに、落胆は大きい。水がもうないと喉の渇きも余計に気になる。先ほど水を恵んだことが恨めしくなった。気温はますますあがってるようだ。
それでも前に進むしかない。登っては休み登っては休みの繰り返し。尾根上で抜きつ抜かれつしていた選手にはほぼ全員抜かされて見えなくなった。

 随分時間をかけたようだが、漸く雪見岳を通過。そこからは完全下り基調で、気分を取り直して進む。下りは厳しかった。ほとんどトレイルのない倒木だらけの急斜面に点々とマーキングがついている。オリエンテーリングで下る急斜面のようである。19時間も走ってる身体には、脚のブレーキがきかず、ぎこちなくしか降りられない。それでも周りの選手よりは得意なようで、尾根で置いて行かれたの選手を幾人か抜いた。もういい加減勘弁してくれ!と悲鳴を上げたくなる頃に漸く真っ平らな麓が見えてきた。

A9到着 123.3km 1923分 in66位、out63
5時間近くを天子山塊で費やし、軽い脱水症状、さらにトイレにも行きたくなり、ここでは10分程度の休憩をとった。休憩中の時計の針が恨めしく、はじめて次に向かうのに気力が必要なエイドになった。でもここからが本当の100マイルである。

休憩中、奥の方で何やら色々な人に囲まれてる選手がいる。その選手が走りだすと大きな拍手と声援が沸き起こった。と同時に「今日は、ちょっと厳しいかな」という観客の話し声が聞こえた。誰だろう?後ろ姿に見覚えがあるが。。。。

その選手の1分後くらいに、ひっそりと走りだす。10分ほど走った頃だろうか。河原でその選手が荷物をおいて、スポンサーの沢山ついたウエアを脱いでいた。暑さ調整だろうか、
そう、石川弘樹さんだった。

「こんにちは!」抜く時に声をかける。向こうも挨拶してくれた。いつものさわやかな笑顔だった。その後は平らな林や草っぱらを縫うように走るトレイル。夏の陽気にも近い午前中、身体は疲れてたけどとてもリフレッシュする区間だ。

「ごついコースですよね」後ろから声がした。石川さんだった。「みんな良く走るよなあー」
石川さんらしい感想だな、と思った。アメリカなど比較的マイルドなトレイルを好む石川さんのプロデュースする、信越や斑尾は快適なトレイルコースで有名だ。「僕も信越のコースの方がいいです」と答えた。この時は心からそう感じたので素直な感想だ。

石川さんとはさすがにペース差があるのでじりじり離れていき、また一人になる。そのまま1時間ほど平らなエリアは一人で走った。途中とぼとぼ歩く2名の外国人選手を抜いた。A9でトラブッていたブラジルの女性選手とドイツの女性選手。ドイツの選手はA9までいいペースだったものの、A10でリタイヤしている。

その後、(何かトラブルを抱えていたのだろうか)石川さんに再び追いつき追いぬいた。その後石川さんには最後に抜かれるまで会わなかった。
 竜ケ岳の登りに差しかかった。辛いけれど着実に登ることができた。天子ガ岳山塊で失われたエネルギーと闘志がまた充電してきたようだ。

頂上手前で、軽装のトレイルランナーに抜かれた。誰かの応援の人だろうか、羨ましいくらいに軽快に走って斜面を登っていく。
「鹿島田さん!」
許田君だった。

 許田君はオリエンティアからトレイルランナーに転向した選手としては初期の成功者でハセツネで4位にもなった実力者である。ここ数年は激務と子育てで第一線からは退いているが、自然の中を走ることが心から好きなタイプの人である。彼が大学時代にはらアメリカ遠征をともにしたこともあり、旧知の知人である。
「この位置でその脚どりはいけるんじゃないですか?」

 その言葉に勇気づけられる。確かにその時は比較的リズムよく下れていた。あるいは少し気負って少しだけオ―バペースだったかもしれないのだけど。 
 彼がスマホでRunner's up dateで順位を調べてくれた。ここまで順位というものはまったく分からず意識していなかった。ただ昨年の100位以内には入っててほしいな、とは思っていた。
 彼の調査では66位。思ったより上位だった。崩れなければ100位以内はいけるだろう。

A10 到着 138.6km 22時間17分 in59位、out54
 ここでは食糧補給と給水を実施。あまり長居をしたつもりはないが記録上は5分くらいかかっている。
次の区間の前半は未知の区間。エイドから裏の尾根に登っていく。足取りはしっかりしているが、登りは元来強くない。1人の日本人選手にさっさと抜かれるが、気にせず自分のペペースで登る。
 尾根に乗ってからは適度な起伏の快適なトレイルだった。鏑木さんが、「延長した区間もとても良いトレイルだ」といっていたのを思い出した。そろそろ丸1日たったとは思えないくらい快適に脚が進む。

 尾根道の途中で2人選手を抜かす。一人はさっき抜かれた選手、もう一人は柳下君だった。ペースは鈍っているようだった。何かトラブルがあったらしい。このUTMF前には普通のサラリーマンとしては想像を超えるトレーニングをしていることを聞いていただけに、なんとなく僕にとっても残念だったし、このレースの難しさを見ているような気がした。
 烏帽子岳の急斜面も脚は快調に動いてくれた。そして今回のレースで快適に走れる最後の区間だった。

 斜面を下りきったところから異変が起きた。身体に急に力が入らなくなった。飯バテと思い、補給しようとすると胃が受け付けなくなった。胃腸のトラブルだ。

 ここから最後のエイドA11までは本栖湖湖畔の溶岩地形が作る独特の雰囲気の平らな森で本来快適な区間のはず。なのに、足取りが少しづつ遅くなる。時間も夕方になりかけて気分的にも少し滅入る頃だ。
 烏帽子岳の下りで胃腸にダメージを受けたのだろうか。A8で食べてから若干違和感のあった胃腸がここで急に悪化した。
 雪見岳で助けたポルトガル人に抜かれた。彼も決して脚取りは良くないのだが。最後のロードも走り切れず、「80歩走って40歩あるいて」とルールを決めてとぼとぼ延々と走った。1,2名の選手に抜かれた。

A11 到着 157.6km 26時間15分、55
 胃の調子が最悪になった。あったかいお茶をもらい飲むが食べ物は受け付けない。寒さも身体に感じはじめた。毛布をもらって身体をあたためる。スタッフも心配そうに、「大丈夫ですか」としきりに声をかけてくれる。

15分くらい休んだろうか。結局胃は治らず何も受け付けないが、なんとなく本能的にパンが良さそうに感じて、小さなパンを2つほどもらい、かばんのポケットにつめて次に向かった。

ここからは辛かったことしか覚えてない。足和田山に向けた登りでは、歩くのがやっと。一人、また一人と抜かれていく。
とうとう飯バテ気味になって、道の途中で寝転んだ。胃は痙攣をおこし何も受け付けない。どうしよう?少し寝て胃が収まるのを待つしかない。。。

どうしようもなく、ただ横になって10分くらいたったろうか。
「暗くなる前にゴールしましょう!」
通りすがりに励ましてくれる選手がいると思ったら石川弘樹さんだった。

いわれてみると、夕暮れ時となり、あたりは大分暗くなってきた。走りはじめて2度目の夜が近づいている。
その言葉に少し元気をもらったかもしれない。かばんに詰め込んでいたパンのことを思い出して口に入れてみると、なんとか飲み込むことができた。それで少し力がわいてきた。
とぼとぼと歩きはじめる。やがて暗くなり始めてライトをつけた。下りになれば何とか走れるだろう。なんとか足和田山を越えれば。

真っ暗になるころには歩くペースも少しづつ戻る。闘志が少しづつもどってきたのだろうか。ふと後ろをみると遠くにライトがポツンと見えた。もう抜かされるのはやめよう。このライトには勝とう。そう決めると急に身体にエネルギーがわいてきた。程なく登りは終わり、下り基調になる。こうなれば負けない、100mくらい後ろに見え隠れするライトとの距離を常に意識してスピードをあげた。
足和田山塊を降りると、河口湖畔に出る。あとは湖畔を走るだけだ。とはいえ、ゴールと思える場所は湖のはるか先に見えていた。頑張るしかない。ひたすら走る。走る。走る。ペースは快調になる。キロ4分台では走れてたと思う。本当はそうでないかもしれないけれど、少なくとも本人はその気力で走ってた。

この区間長かった。でも、やがて終わりは見えてくる。フィニッシュ地区の明かりがだんだん大きくなってきた。ここまでくると、むしろもう終わりか、という気持ちの方が強くなる。
夜の7時過ぎ、寒い中だけど、フィニッシュ手前では多くの人が応援してくれた。
もちろん、みなとハイタッチ。フィニッシュのカーブを曲がると、鏑木さんの姿が見えた。

ゴール 169km 28時間247秒 58位(総合)、53位(男子)

ゴール後は思ったより元気だったと思う。
興奮気味に鏑木さんと少し会話をさせてもらった(天子ガ岳山塊の下りがハードだった、なんて話をしたように思う)あとは、少し付近の名も知らない方と会話をして、1kmほど離れた宿に戻った。
宿のおばさんは、2日目の夜に帰ってきたことにすごく驚いてくれた。
早速夕飯を用意してくれたのだけど、興奮が冷めて気付いたら胃がとんでもなく気持ち悪い状態のことに気付き、「あとで頂きますから」と丁寧にお断りして、風呂に入った後寝床についてしまった。

UTMF2014 完走記 その1 -2013の反省と2014の目標‐

このページに書き込むのは4年ぶりとなります。

 仕事が忙しかったことやFBの手軽さもあって、書き込みを休止していました。ただ、内容によってはこちらに書き込みをした方が良いと思う内容もあります。 今回もう一度ここに書き込みをしようと考えたのは、次のUTMF2015を目指すにあたり、UTMF2014の記録をどこかに残したいと思ったからです。

自分は、UTMFを走る前には装備やレース展開を考える際に、多くの人のブログを参考にしました。 同じように、この記事がもしかしたら他の誰かの参考になるかもしれません。だとしたらFBよりもこうしたブログの方が多くの人の参考になるチャンスがあるかもしれないと考えたからです。

【2013年の結果】

目標 27時間
結果 30時間00分57秒

初出場でした。それまでの最高距離は信越五岳110km

【2013年の反省点】

  ①レース前日の睡眠時間
12時近くまでスカイプ会議で仕事、5~6時間の睡眠時間。その結果レース中に睡魔が襲い、2日目の朝から昼にかけて合計90分程度横になって寝てしまった。

  ②下りの筋肉
太郎坊からの下りで大腿四頭筋がパンパンになり、その後歩いてしか下れない場面が何度もあった。特にひどいのが舗装道路(須走までの下りと富士吉田(最終エイド)までの下り) 靴の選定が無頓着でした。ノースフェースのHAYASAで出走。軽量でスピード重視の靴だからもちろんクッションがほとんどない。そのため後半の脚にかなり影響したと思う。 

中間のこどもの国まではほぼ想定通りで11時間48分。トップ選手のタイムをみると、こどもの国までのタイムの2.2~2.3倍程度で完走する選手が多い。そう考えるとここまでのタイムは悪くないので、後半タイムの低下が予想以上だった。 それ以外の身体のコンディション(胃腸、膝や腰の関節など)は概ね問題なし。

【2014年の目標と改善点】

コース距離が161kmから169kmに伸びたため、タイムは1時間程度伸びると想定。前回の経験から少し目標を緩め、28~29時間とした。目指した、改善点は以下の通り。

①睡眠
昨年大きな反省があったことから、改善点として、レース前の睡眠時間を重視。数日前から適性な睡眠時間の確保(7時間)に努めたこと、また前日は定時で退社し、夜のうちに移動して近くの民宿に素泊まり、午前中のレース前までゆっくりと過ごした。

②靴
UTMF2013の反省から秋にモントレイルのバハダを購入して信越の110kmを出走。この靴はクッションは良いのでほとんど問題は感じなかったけど、靴のソールのフィット感が今一つで、若干脚の動きに違和感があった。それで直前にラ・スポルティバのBushidoを購入。ダメならバハダで走ればよいと、試してみると、フィット感が高い。特に土ふまず周がしっかりしているのと、ソールが固めでグリップ感があるのも良い。これで169kmを走ることに。

③テープ
少しでも大腿筋の負担を減らすべく、大会の賞品でもらったままタンスの肥やしになっていたNEW HALEのテープを利用。さらに、キネシオテープを久しぶりに購入して膝と大腿部に張る。それと習慣化している固定テープでの足首テーピング(ねん挫予防)もしっかり行った。

④持参品
昨年、妻がハセツネ用に使っているグレゴリーの8Lを使用。ところがパンパンで余裕がなく、エイドで出し入れに苦労した。使わなかったルール以上の防寒具があったので、今年は少し取捨して同じバッグを使うことに。 雨具/ノースフェースの軽量なもの(トライアンフレインジャケット)、防寒具/モンベルのダウンジャケット(10年以上前に買ったもの/エイド休憩用)と、パタゴニアの軽量ジャケット(夜間走行用)、手袋/厚手の登山用と薄手の伸縮性手袋 水は650mLボトルの他400mLのプラスチックバック2個。ほとんどのエイド間は1Lもあれば十分のはずだが、天子が岳山塊は日中に5時間近くになる可能性があり、最大1.5Lもてるように準備した。(これが不幸中の幸いとなる) 食糧は、ドライフルーツ(レーズン、アプリコット、プルーン、干し梅)を約300g×2袋、羊羹4本、塩飴などを前半と後半にわけ、後半分はデポジット袋に。昨年の経験からエイドでの補給でほとんど賄えるので、今年は少し量を減らした。

【トレーニング】

直前6カ月について
2013年
11月 32時間 325km マラソン/2'49'30(筑波)、神流トレイル50km
12月 32時間 330km 10マイル/57'22、OL練習32km/3日
2014年
1月 24時間 271km ハーフ/75'37 月の後半風邪で休養
2月 27時間 285km 駅伝3.3km/11'59 後半雪
3月 40時間 366km トレイル練習34km+40km、OL練習27km/2日
4月 26時間 256km トレイル練習44km+24km(UTMF前の24日まで)

ここ数年冬場はロードが多く不整地(トレイルや森)の量が減るのだが、今年は2月の雪の影響もあり、1,2月まったく不整地を走れない。また1月2月はトレーニングの総量も積めなかった。3月からなんとか時間をつくって2週に1回トレイルを走るように心掛け、間に合わせた感じ。実際レース前には、トレイルを走る身体はある程度できてたと思う。

ただトレーニング量として100マイルを走るに十分だったとはいえません。 今の自分に500km、600km/月は正直難しいが、本当であれば350km/40時間は確保したいところでした。

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...