金曜日, 2月 19, 2016

UTMF2015 その3 後半 こどもの国(A4)からゴールまで


A4  14:29:03   90.4km  62位 

デポジットポイントのこどもの国

今年は「To Do List」を作った。

Tシャツを替え(ゼッケンはつけかえ)、眠眠打破を2本飲む。地図交換、食料も新しいドライフルーツのバックと羊羹を積む。アミノバイタルを補給し、温かい蕎麦を一杯もらう。

ここで、A3で声をかけてくれた佐藤さんの奥様にお会いし、力強く応援してくれた。その他沢山の(しかも多くの女性の!)スタッフが精いっぱい応援してくれる。まだ選手もそれほど多くないので、なんだか少しだけヒーローになった気分になれる。

だからいつもここのエイドはそのまま居続けたい誘惑に駆られてしまう。でもだめだめ!意を決してエイドを出る。11分。今年も10分以内を目標にしたが少し超えてしまった。

沢山の応援を背にして駐車場を出ると再び闇夜の道。

昨年のように気温が低くないので、走りだした直後の筋肉の硬直はない。思ったよりリフレッシュして身体は動くようだ。眠眠打破のカフェインで身体が興奮したのだろうか。

すぐに日本女性選手を一人(6位の福田選手だったと思う)抜く。

明らかに身体の動きが良くなっている。気持ちのよいペースで進むと、前を走るエルワンさんを捕らえた。今まで、抜くか抜かれるかで並走することはなかったのだが、この日はじめて会話する。
今何位くらいだろう?何時間が狙えるか?その日のそこまでのレース、サポートがいた方がよいか否か?など他愛もない会話をして進んだ。

ところが今思えばこの会話に夢中になりすぎた.

闇夜に延々と続くススキで覆われた砂利道を進んでいるうちにマーキングが見当たらなくなる。この区間一本道できたはず。もう少し進むが白いマークが見えない。明らかにこの木なら付けてもよいだろう、という木にもマークがない。

「おかしいですね。マークがない」

エルワンさんもおかしいことに気付き、二人で戻ることにした。

ススキをかき分けるように砂利道を戻る。この時間はすごく長く感じる。ようやく、おかしいことに気付いた場所の少し手前で、マークは左手の山の中に向かっているのを見つけた。
かなりの時間を失ったような感覚に陥った。それでも実際はロス時間6、7分だろうか。

勿体ないことをしたが、これで済んだので良しとしよう。

幸い精神的な落ち込みはそれほどなく冷静さは失わなかった。

正しいルートは沢沿いの亀裂を進む。少し進んだあたりでエルワンさんは、「体力を温存するから」とペースを緩めたので、そこからひとりで向かうことにした。

やがてロードに出て少し走ると前方に一人選手がいる。また福田選手だった。「道に迷っちゃいました」と照れ隠しをしながらもう一度抜かした。

その先しばらく車道を下るとやがて草原の中の気持ちよい下りとなる。昼間で景色が見えたらきれいだろうな、と想像しながら夜露に濡れた草をかき分けて延々下る。
エイドは草原の遥か向こうにぼんやり灯りとなって見えた。かなり遠かったけど、調子よく走れてる区間なので気にならなかった。

A5 15:49:38  97.8km  53位

水はほとんど消費してないので、少し足して、補給も少なめにエイドを出る。

ここからはエイドで折り返して再び同じ草原の中をだらだら登る。身体の状態は良いので、ゆっくりでも走りながら登った。しばらくしてエルワンさんとすれ違う。「いいぺースだね」(とでもいうように)笑顔で軽く挨拶してくれた。

だらだら登りを我慢すること20分くらいだろうか。やがてA5に向かう選手とコースが分かれ、森の中の道へ。
このあたりからコースは富士山南麓特有の礫に覆われたもろい地面の急斜面となる。一歩一歩をうまく進めないと、礫に足をとられずるずる落ちてしまう。しかも、登る方向は等高線と斜め45度の方向に真っすぐ登っていくので、道も歩きにくくストレスが大きい。

体力を消耗しないように、落ち着いて脚を進めるしかない。

少しづつ周りが明るくなる。

開けた伐採地に出た。夜明けの朝霧の中、鉄塔が幻想的に浮かんで見えた。この区間まったく前後に選手が見えず、自分が踏みしめる礫の音だけを聞きながら進む。毎年眠気を感じ始める時間帯だが、今年は幸いまだ目はしっかり開いてくれる。

やがて、なだらかで、やわらかい緑色の草に覆われた森の中の道になる。ちょうど早朝の靄の中で「なんて幻想的な森なんだろう?」と感動してしまった。この風景は日本の森じゃない。まるでヨーロッパの御伽話に出てくるような森。

「こんな森でオリエンテーリングできたら」と余計なことが頭に浮かんでしまう。

やがてコースは道をはずれ、ふかふかした森の地面の中に続いていく。

適度に起伏のある森の中は、オリエンティアの自分にとっては一番得意なフィールド。気持ちよくスピードを上げて走ると、この区間で立て続けに3、4名の選手を抜かすこととなった。

不整地に慣れない選手には少し辛いエリアかもしれない。後で運営者に聞くところによると、自衛隊の演習林を使う上での制約があり、そのようなルートに落ち着いたそうだ。

しかしそれにしても、この区間の森は長い。絶えず方向を変えて進むので、まるで森をワンダリングしているのではないか、と不安になる。いったい何時になったら太郎坊につくのか。
A5から登り基調の10kmなので2時間を想定していたが、2時間過ぎてもまったくエイドにつく気配がない。

森のマークルートをさまようようにたどっているうちに、やがて周りの風景が礫に覆われた疎林になってきた。この雰囲気は太郎坊に近いはずだ。

そう確信して、礫の斜面を歩いて登る。周りが開けてきた。まったく、3歩進むと1歩落ちるみたいな斜面。遥か先に数人のスタッフがこちらを見守っている。エイドが近い証拠だ。

舗装された駐車場にたどりつき、そこを横切ると、待ちに待ったA6が見えた。


A6 18:19:38  109.9km  48位

すっかり明るくなった太郎坊。風が若干強いが寒さはあまり感じない。このあたりになるとピットインしているランナーは自分以外に1,2名いるだけになる。
この区間想定以上にかかって予想タイムより遅れているが、調子は悪くない。このペースでがんばろう。

休憩している間に、登ってくる途中で抜いた選手がポツポツ到着する。一人は長者ガ岳の下りでボールのように弾んで抜かれたオーストラリアの女性選手だった。この時はニコニコしていたけど、あとで結果を見るとA8でリタイヤしている。何かこの後トラブルがあったのだろうか。

エイドの長居は不要。同じ順位を保ちたくて、3,4分の補給で早々とエイドを出発。

次の区間はひたすら下り。2013年はこの区間で脚が限界にきてしまい、極端にタイムをロスした。
その記憶があるので初めの礫の下りから少し用心しながら下るも、まだ脚は動くようだ。
途中ゆるい起伏のある登り下りも比較的テンポよく走ることができた。この区間はほとんど一人で走ることになった。あまり記憶がないから苦労をしなかったのだ。


A7 19:35:03  120.5km  42位

トイレ休憩をとる。トイレでしゃがんだら、脚の大腿筋が悲鳴をあげるのを感じた。直前の下りの影響だろうか。ここにきて、ずしりと筋肉痛が急にきたように感じる。

エイドからトイレの距離が少しあったのので、想定以上に時間をかけてしまった。7,8分のピットイン。

エイドを出て横断歩道を渡ると、また大洞山に向けて急斜面がはじまる。500mの標高差。気温も上がってきて汗がかなり出るようになった。

遥か前に女性ランナーがポツリと見えた。つづら折りをとぼとぼ進みながら時々こちらをみる。欧米系の選手のようだが、あまりペースは上がってないようで、少しづつ姿が大きくなる。

そういうこちらも登りのペースが上がらなくなってきた。スピード感が今までより鈍っているのを感じる。それでも前の選手に追いつくことを励ましにひたすら登る。30分ほど登り続けて、それが、女子優勝候補の一人だった、アメリカのエイミー選手だと気付いた。

胃腸の調子でも悪いのだろうか。少し止まって下を見るしぐさも見せている。100マイルレースの厳しさを改めて感じる。抜かす時はすっと道をあけてくれた。何か声をかけようかと思ったけど、良い言葉も思いつかず、ただ「Thank you」とだけいって、通り過ぎた。

ようやく辿り着いた大洞山の頂上。このあたりの森は、特有の見通しのよい原生林が広がり、少々神々しい風景となっている。いつもなら、この景色を楽しみながら緩やかな尾根をそのまま進むのだが、今回2回目のコース変更で、山中湖畔に向けて沢沿いを一気に下っていく。

この景色にサヨナラするのは残念だけど、登りの筋肉が相当限界に来ていたので、気分的には助かった。

しばらく下って湖畔の別荘地に出る。そこからが長い下り基調のロード。本来は快適にペースを上げるべきとこころ、走るストライドがもう伸びない。後ろから近づいてきた40代の風貌のアメリカ選手にあっという間に抜かれる。

やはり自分はロードが遅い。湖畔の道に出て平たんなロードに変わるが辛さは変わらない。大腿四頭筋がとうとう限界に近付いてきた。脚を回して走るのがやっと。途中、平地だというのに、とうとう1回だけ歩いてしまう。平地だけは絶対走り続けようと思っていたのに。

遥か前にもう一人苦闘している選手が見えた。少しづつだが近づいてくる。それはその後なんどか抜きつ抜かれつする、香山さんだった。


A8 21:40:38  135.5km  42位

エイドに到着して、まず補給をする。膝の上の筋肉が限界にきている。2年前と同じ状況。座りながらマッサージをし、屈伸をしているとエイドのボランティアトレーナーの方が声をかけてくれた。
手早くマッサージとテーピングを施してくれる。マッサージはうめき声をあげてしまうほど痛い。でもこの状態にきてのマッサージが効くのは一昨年経験済みである。
ここでは少し長めの休みをとったが、残りの区間には大きな効果があるはずだ。

トレーナーに大きな声でお礼をいって、エイドを出た。

次の登山口までは市街地の道。エイド前よりもよい状態で走れる気がする。途中歩いてるオーストラリアの選手を抜く(実はエイドで抜かれたのを抜き返しただけだった)。イヤフォンを聞きながら歩いている若い彼は「いいペースだね」とニヤッと親指をたてた。

登山道から急登がはじまる。脚は動くようになったけど、登りは相対的に遅い。先ほど抜いたオーストラリアの選手と、もうしばらくして香山さんに抜かれた。二人とも登りのスピードが全然違う。でも遅いのはしょうがない。少しでも進んで差をつけられないようにしなければ。。。

石割山の頂上にようやくつくと、「40番」と誰かが教えてくれた。あれ、思いのほか順位があがってる?でも数え間違いとかもあるから、あまり糠よろこびしないようにしよう。

A9に向かっての下りで、香山さんを再び抜く。香山さんは下りが辛い状態のようだ。


A9 22:59:45  141.7km  41位

軽い補給で1,2分で先を急ぐ。エイド手前で抜いた香山さんはまだ見当たらないので2,3分は差があるはずだ。次はアップダウンの続く尾根道で、その後杓子山の難関が待っている。さらにそこからA10までは長い下り。2013年はそこで完全に脚が止まり、大幅なタイムロスとなったので、とにかく脚が動いてくれることが大切。

登り基調の尾根道で、「いつ香山さんに抜かれるか、、」と時々後ろを振り向いて登る。抜かれたくないという負けん気が、前に進む原動力になる。結構粘って杓子山の急登に差しかかるところまできた。

そこで下から急ピッチで登ってくる香山さんが見えた。やっぱりペースが全然違う。抜かれる際に、「まだまだ登り元気ですね!」と声をかけると、「いや、下りが全然だめなんで。。」とのこと。お互い人によって辛いところが違うんだな。

そして杓子山の岩場のクライマックス。ロープを使う滑りやすい急斜面のポイントが映像などでも有名だが、実はその先の頂上まで続く急な岩場混じりの斜面が本当の難関である。登っても登っても頂上につかない。本当に苦しいけれど、なんとか脚を止めることなく一歩一歩進むことはできる。。。。

それでもとうとうついに杓子山につく。そこからの下りは、適度な斜面の得意なトレイルだ。ペースを少しづつ掴んでしばらく走ると香山さんの後ろ姿が見えた。下りのスピードはこちらの方が速い。
「がんばりましょう!」「ゆっくりいきます」
そんな会話をしたような。

やがて道は砂利道となる。ここからは延々と似たような風景の砂利道が続く。幸い脚はかろうじてもってくれた。大腿筋の痛みはひどいが走り続けることはできる。時計をちらちら見ながら、まだかまだかと下る。ようやくループ状の道をぐるっとまわって舗装道路に出ると、20分ほどでA10だ。


A10 25:46:08  156.7km  41位

2年前には、眠気に耐えられず体育館で仮眠をとったエイド。今年は眠気もなく、脚の状態もなんとかまだ大丈夫。また、昨年のような胃のトラブルも今のところない。蕎麦を頂いて補給も万端。ここまでは目標通りだ。時計はまだ26時間たってない。目標の27時間台は目指せるはず。

ピットインからアウトまで選手は一人だったので、エイドのスタッフの応援を一身に受ける。気持ちも高ぶってくる。さあいよいよ最後の山だ!

不覚にもここで涙が出てきた。
おいおいまだレースは終わってないのに!
ここで達成感を感じてどうする? 自分を叱咤する。でもきっと、ここまで来たらもう絶対このペースで走りきれる、と心の中で確信もあったのかもしれない。

伐採地で見通しのよい砂利道を斜面沿い斜めに登っていく。しばらく行ったところで、2,3名の私設応援団が、「ロッキーのテーマ」をサックスで演奏して応援してくれた。
「ありがとうございます!」気のきいた返答はできないけれど、精一杯応援に答える。最後の山を超える身としては、こうした応援に本当に勇気づけられる。

通り過ぎて、音楽が鳴りやんでからも、しばらく聞き耳を立て時計をちらちら見ながらながら歩いた。そう、後続との時間を測るために。
結局次のロッキーのテーマは聞こえなかった。山の中でどこまでサックスの音が届くかわからないが、少なくとも5分以上はあいているはずだ。

登りはじめて1時間程、とうとうこの日の登りは終わった。最後の登りは思ったより辛くなかった。
峠を迎え、尾根道に入る。ここからは山中湖畔に下るだけだ。自分の得意ななだらかな下り基調の尾根道が続く。しばらくして林道を過ぎるとそこから急な斜面をつづら折りで下る道に変わる。脚の大腿筋はかなりきついけど、もうこれが最後の下りと思い、ペースを落とさずにステップを切って下る。

とうとう民家脇の農道に入って舗装道路に出る。あとはもう湖畔を走ってゴールに向かうのみ!
と、しばらくいくと、道は大橋のゴールの方向とは逆に向かい、急な登りになる。え?

そうか最後の地図を良くみていなかった。もう一回最後にぐるっと回る試練があるのだ。100マイルは甘くない。砂利道の急な登りを膝を両手で押しながら登り切る。想定してなかっただけに、精神的には辛い。
振り向いて後続が来ないことを確認して、平らになった林道を走る。もうこれで本当に登りはないはず!

湖畔の眺望が良い尾根に出て、そこから急な階段を湖畔に降りる。がくがくの脚に急階段は応える。遅くとも一段一段丁寧に降りるしかあるまい。湖畔につくと、あと3kmほど走ればゴールだ!

ここでスピードアップしよう!そう思う気持ちと裏腹に脚はもう前に出ない。とうとう限界にきた。
痛みをこらえて脚を前に出すけど、きっとキロ6分も出てないスピードだろう。歩きたい誘惑に負けないよう歯を食いしばって進む。


「もう少しですね!」

不意に、笑顔で爽やかに走る選手に抜かれた。
全然予期しなかったので驚いた。悔しいけれど、その爽やかさに押された感じ、「いやあ、もう少しですね!」
最後のスパートか、みるみる背中が小さくなった。

彼は会田さんという34位の選手だった。残りの15分でもう2名抜いてゴールしていることになる。

ああ、なんとかペースを維持せねば!もう抜かれたくない。

湖畔から大橋への登り口に辿り着く。大橋の上からは、さっき抜かされた会田選手ともう一人の選手が二人並走しているのが見え、こちらに手を振ってくれた。こちらも手を振って応える。さらにその先にも一人選手が見えた。

あとから分かったのだが、そのうちの一人はパワースポーツの滝川さん、もう一人は40代で5位に入賞した前田さんという選手だった。後から考えれば自分はあと2分で入賞を逃したわけだ。
悔しくもあるが、でもそれは結果論。その時あの状態ではどうしても追いつかなかったろう。

大橋を渡りきって最後の湖畔、毎年のごとく多くの人が沿道で応援してくれる。もうゴールまで2,3分、この時になって、はじめて、「ああ、もう終わってしまう」という喪失感を感じ始める。あんなに果てしなく遠いゴールだったのに、ゴール目前になると、もう少し走っていたいと思ってしまう。人間の気持ちなんで勝手なもんだ。

湖畔の歩道から曲がると、本当にあっけないほど直近くにゴールテープが見えた。夕方5時前。まだ明るいうちにゴールに戻ることができた。


F 27:58:05  168.6km  42位(男子37位)

しばらくして、途中なんどかお会いした、香山さんのゴールを見届けた。話を聞けば登りの強さはやはり自転車からきているようだった。反対に下りが得意な自分はオリエンテーリング出身という特性だろう。選手のルーツによって色々な特性があるのがこの競技だ。

興奮の冷めぬうちに幾人かの人と話をしたあと、それ程時間をおかずに、宿に戻る。身体が消耗してるので、やはり休みたい気持ちが強い。
宿に戻って風呂につかり、着替えて布団につき、2日ぶりに目を閉じる。睡魔は直に襲ってきた。



その後夜はウトウトしながら、何度かスマホで妻のRunner's Updateをチェックする。昨年140km近くでタイムアウトになった妻も、今年は危なげなく関門を通過してきている。

翌朝、最後のA10エイドから電話がかかってきた。明るくなってから最後の山に向かうとのこと。まだあと6時間ある。身体の不調もないので、今年は大丈夫だろう。

朝食を済ませ、朝8時前、ゴール予想時間に合わせて会場に向かう。

途中メールがきた。今湖畔に出たとのこと。もうあと少し。


妻 F 43:38:32 (女子65位)

湖畔の道をとびはねながら走ってくる選手がいると、妻だった。昨年のリタイヤが相当悔しかったのか、今年の完走が本当に嬉しかったのか。

朝の8時半に無事ゴール。

この時間帯の方が、自分の時間帯より遥かに観客も多く、ゴールは盛り上がっている。多くの人が祝福してくれた。
夫婦で完走できたのは2年前に続いて2回目。やはり二人で完走は少しほっとする。昨年はなんとなく帰りの車の空気も重かったので。

とりあえずは満足だけど、終わってみれば、二人とも色々課題は出てくる。もっと良いレースが出来るかも、という思いもある。
後何回出られるか分からないけど、次は夫婦合計で60時間台を目標にしてみたいと思う。

UTMF2015 その2 前半 スタートからこどもの国(A4)まで

START 0:0:10  0km 168位

昨年、前半のんびり行こうと、スタート位置を気にしなかったら序盤の渋滞がとんでもなくひどくて10分以上ロスしてしまった。今年はそれに懲りてそこそこ前に並んでスタート。
結果、初めの数分は混雑してたけどあまりストレスなく走りはじめられた。

足和田山の登り口で20~30秒程度の渋滞があったけど、それほど気にならない。
走り始めて数十分。頂上につく少し手前だろうか、足軽に脇を通り抜けていくランナーが。ナンバービブを見ると滝川さんだった。失礼ながら後ろから見る姿は筋肉の質といい、とても50代の選手には思えなかった。この後、最後の最後で見かけることになるが、結局勝つことはできなかった。

雨ややむことはなく、昨日からの雨で路面はあまり良い状態ではない。足和田山の下りになって泥濘の足場の悪い下りが続く。そこで選手のペースが大きくばらついていた。下りの苦手な選手がV字の亀裂状になったトレイルの中央で小さなステップでゆっくり進むのに対して、慣れている選手は軽快なステップで左右のバンクから抜いていく。

この部分は後ろになると渋滞が起こるかもしれない。この区間で十人以上の選手を抜いた。

やがて平らな森になって車道をくぐり、昨年の最終エイドを過ぎてロードに出る。2年前はこの舗装道でがんばりすぎた反省から、抜かれることを気にせずに自分のペースを守る。再び森の中のトレイルとなりすぐにA1に到着


A1 2:13:45  19.1km  159位

水をボトルに足して、バナナを2つほど食べ、2分ほどの休憩で次のエイドに向かう。

このあたりは富士山麓特有の溶岩地形の原生林が続く。平らで快適なトレイルから烏帽子岳に向かう急登に切り替わる。心拍が上がりすぎないように注意して、HRが150を超えると歩き、145程度まで下がると走る、の繰り返し。
尾根道に出ても同じリズムで走る。抜いたり抜かれたりだが、トータルすると少しづつ抜いていく感じ。最後のエイド手前の下りでまとめて数人抜いた。脚を後半に温存するためにも下りはペースのあがりすぎに注意したが、それでも周りの人と比べてペースが速いようだ。


A2 4:06:10  31.5km  128位

ここも水の補給とバナナで軽く補給して1分ちょっとでエイドを出る。

走り初めは湖畔のロードが続く。ほぼ周りと同じペースで進む。本来は湖畔が終わるところで、右手の急斜面を竜ヶ岳に向けて登るが、今回のコース変更でマーキングは左手の平らな道に曲がる。ここから麓までは起伏の少ないトレイルが続く。

この付近の道のどこかで、「105位」というカウントの声を聞いた。あれ?以外にまだ順位は下の方だな、ここから抜く人の数を数えてこう。

しばらくして暗くなりライトを点灯。17時40分くらいだろう。比高10―20m程度の気持ちよいアップダウンが続く森。ちょうどペースが合う3人ほどのパックで気持ち良く走り続ける。

竜ヶ岳の昇り口を分岐してから1時間ちょっと、再び本来の竜ヶ岳超えのコースと合流する。結局ここのコース変更は迂回してもタイムは縮まらないか、むしろ若干長かったくらいだろうか。

麓まではさらに1時間、比較的見晴らしのよい草地が点在する平地を進む。このエリアでトータル10人程度抜いてWに到着


W1 6:22:14  46.5km  93位 

バナナ2かけら、オレンジ、ポテトチップ少々とドライフルーツ一握りがだいたい決まった補給パターン。
次はコース一番の難関天子ガ岳山塊。しかも今回A3の位置が遠くなり、今まで以上に長い区間、23kmある。5時間近いあいだエイドがないので、補給を十分に考える必要がある。

夜になっても断続的な雨は止まなかった。ただ気温は比較的高くて寒さは全く感じず、水の消費もその時点までで想定以上に多かった。水分に注意し、念のため650mlのボトルの他、450mlのプラバック2つに水を入れた。ひとつはかばんに入らないので、片手に持って走りはじめる。目安は登り切るまでに1本、上の尾根で1本、下りからエイドまでで1本。

エイドから数分で、壁のような急斜面が現れる。案の上昨晩から降り続く雨のせいで、登り斜面は滑りやすい。足を滑らせて体力を消耗するのは避けたいので、しっかり足場を確保できるところを選んで落ち着いて登ることを心がける。

この登り口で、勢いよく登ってくる女性にあっという間に抜かれた。全体5位になった、高島選手だった。あの登りのスピードには到底ついていけない。

この登りの標高差800mは辛いというよりも、退屈という表現がしっくりくる。

まだ序盤のため、筋力は多少余らせて登るので身体を限界に追い込むわけではないが、ひたすら続く単調な登りに辟易してしまう。もともと道でないような山の急斜面をジグザグジグザグ延々と登る。前にも後ろにもポツポツ見えるライトも同じ線上で変わらなく、進んでるんだかわからなくなる。

それでも半分くらい登ると途中から少し登りのリズムに変化が出る。それが気持ち的には「進んでる感」につながって不安が和らぐ。

8割ほど登り続け、エイドから数えて5人目を抜いた時、ふと「鹿島田さんですか?」という声が聞こえた。振り返ると柳下君だった。ペースが鈍っているようだ。
「実はスタートした時から調子がよくないんです。」

そういう時もある。今日自分は幸い良い状態でスタートに立てたけど。いつもそうとは限らない。
僕より遥かに努力して望んでる選手だけに、なんと声をかけて良いかわからず、「あまり無理しないで」とだけ声をかけて先に進んだ。

ようやく雪見岳の頂上。ふう。さてやっと下り。

ところが、笹に包まれた登山道は泥濘でつるつるになっていた。

自分としては、そういうテクニカルな下りは得意な部類だ。身体を斜め45度に傾けて右手を後ろ斜面に半分つきながら、足場を探して下る。

でもこの日、この区間の泥濘は相当にひどかった。身の危険を感じるような下りではないけれど、尻もちをついて、むしろすべるのを覚悟して降りるところが何度もあった。

しばらくして、遥か後ろの方で女性の悲鳴が夜空に鳴り響いた。日本語には聞こえないから海外選手だろうか。ジェットコースターに乗ったような悲鳴なので、泥濘の悪戦苦闘を楽しんでるような感じだった。

この区間、一人二人の選手を抜いて、しばらくして漸く岩が点在して、グリップしやすい尾根に出た。少しほっとする。

この尾根区間は、反時計まわりだとそれ程辛くはなく、ペースを掴んで走ることができる。昨年はものすごく苦労した区間のことをボンヤリ思い出す。意外とあっさり長者ヶ岳についてしまった。そこからまた急な斜面を富士宮に向けて下りていく。

下山道は、記憶の限り、天子ガ岳より、下りやすい道だ。ここでも数人の選手を抜くが、1人だけボールのように弾んで降りていく海外女性選手にあっという間に抜かれる。きっとさっきの尾根で悲鳴をあげていた選手だろう。後ろ姿が、もう楽しくてしょうがない、という感じだった。すごい下りの筋力をもってるもんだ。

下りの中盤からペースよく下る3人の集団に追いつき、合流した。自分のペースだと少しだけ速く行けそうだけど、後半の筋力温存も意識してペースを合わせて走る。

先頭は見たことのある長い脚、、、、昨年も一時ご一緒した。エルワンさんだった。僕と同年代のフランス出身日本在住の選手。北丹沢や富士登山競走ではいつも僕より少し上の成績をとっている。彼に追いついたことで、ペースは悪くないのかもしれないと少しほっとする。

下りきってからは平たんなロード。前の選手がそこで誘導の役員に「エイドまで何キロですか?」と尋ねた。誘導員の答えをうまく聞き取れなかったが「10キロ」といったように思う。

え?そんなに? じゃあまだ1時間はゆうにかかるじゃないか。A3が少し遠くなったとはいえ、山を下りてまだそんな距離があるとは想定外。ホントかな?少し疑問に思いながらも、残りの水が少し気になった。

先ほど下りで一緒だった3人のうち、エルワンさんともう一人の選手にはそうそうに先に行かれて見えなくなった。僕はどうも平地の走りが弱い。特にゆるい登りは圧倒的に遅いようだ。自分のペースは変えようがないのでペタペタと脚の筋肉を使わないように手を振って走る。そう、原良和選手の走りをイメージして。

やがて、昨年までの天子ガ岳から下山するコースと合流し、市街地に入って昨年エイドだった小学校を通過。深夜でひっそりしている。この時点でもうW1から4時間以上経過。このあたりで水のボトルが空になった。1.5Lをもって出たのは正解だった。まだ30分ほどあるだろうことを想定して、ドライフルーツでカロリーも補給しておく。

A3まではやがてだらだらとした登り道になる。今までに経験してない草地の脇を登る道、微妙な角度が歩くにはゆるく、走るには辛い。そろそろだろうか、そろそろだろうか、水も切れて気分的には辛い区間だった。

もういい加減登りすぎじゃないか?と思う頃、道が曲がって折り返し、下りに向かった。そこから5分程度、ようやくでA3エイドの灯りが見えた。


A3 11:15:21  69.6km  73位

水をしっかり補給。前半のどこかでうどんを食べた記憶があるが、ここのエイドだったろうか。

エイドにはご夫婦ボランティアに参加されている佐藤さんがいた。「ここまでいいペースじゃないですか?」と声をかけてくれるた。「そうですね~」
自分ではまだよいのかいまいちなのか分からないけど、自分のペースで進めてることは確かだと思う。

さて、ここからA4までは、2年前に疲労を徐々に感じ、ペースの鈍りを感じた区間。今年も走りはじめると足取りが重い。前半1/3を過ぎたところでこの脚では、ちょっと今回はきついかな、そんな弱気が頭をかすめる。

弱気になると、後ろばかりが気になる。闇夜に後続のライトが近づいてくることばかり気にしてしまう。
実際、ぽつりと見えたライトがみるみる近づいて、テンポの良い選手に一人抜かれた。今回のレースで初めて弱気になる。それでも我慢して自分のペースを維持することに努める。その後少しづつリズムが掴めてくる。むしろ前に行く選手の光が段々近くなり、2,3名の選手を追い抜くことになった。

このレースは、絶えず自分の調子が小さな波で変化する。

抜いたうちの一人はエルワンさんだった、A3までのロードで抜かれた分、起伏の続くトレイルで追いついた形だ。

自分は、細かい起伏のあるトレイルと下りが速く、急登とロードが遅いらしい。


W 12:28:03  76.3km  63位

水を補給してすぐ進む。ここまでで12時間30分。こどもの国のA4は14時間30分くらいになりそうだ。想定より30分~1時間遅い。それほどペースダウンした自覚もないので、はじめのタイム設定が少し速すぎたろうか。

調度エイドに一緒にいた選手が、役員に「トップはどれくらい?」と聞いていた。「3時間くらい前かな」

そうだとすればペースとしてはそれほど悪くない。

ここからA4までは一番苦手な区間である。実際後で見ると、序盤と、(コースロストした)A5までを除いて一番順位が悪い。中盤の砂利道はほとんど平坦に近い微妙な登りなのだが、どうしても走り続けることができない。100歩走っては30歩歩くを繰り返す。案の上幾人かの選手に抜かれる。再びエルワンさんにも抜かれる。
抜かれる人を数えて5人までにしよう、と思いながら走り続ける。

本当にここは長い。

漸く子供の国の気配を感じる。闇夜に普通はそんなことは分からないが、オリエンティアは慣れたテレインで、森と道の曲がる風景でそれを感じる。そうなると気分が高揚し、少しペースがあがり走り続けられるようになる。

結局3人に抜かれるだけでこの区間を切り抜けた。



UTMF2015 その1 準備

トレーニングについて

開催が秋になり、準備のパターンが変わった。

この数年夏はトレイルや山登り、冬場はロードトレーニングが主体だったので、秋口にUTMFが移ったのは僕にとっては好都合。春から夏のトレイルの時期をトレーニングに充てられるからだ。

3月のオリエンテーリングの全日本を走った後、1月ほどリラックスした時期を過ごして、UTMFを意識したトレーニングに戻ったのは連休前から。約5カ月弱を準備期間にあてる。といってもそれほど特別な準備をするわけではない。

まず自分が使える時間を改めて整理してみる。平日は3~4日平均1時間のトレーニング。ジョギングが中心。これは、今の仕事のパターンが変わらなければ大なり小なり変わらない。

一方週末は、山に行くのは平均2回/月、GWや夏休みはボーナス的に+1日/月、さらにオリエンテーリングの合宿の運営で設置撤収、選手指導で不整地の森を走る機会がプラス1~2日程度。
計月4日程度を森や山で使う。

そんな自分の生活パターンでUTMFまでに、距離で300-350km/月、35―40時間/月、トレイルはUTMF2周分、つまり340kmのトレイルトレーニングを目標値にした。

結果は以下の通り。

4月 総距離221km 22時間 うち トレイル22km  OL16km
5月 総距離308km 36時間 うち トレイル64km OL24km
6月 総距離289km 33時間 うち トレイル55km  OL22km
7月 総距離301km 33時間 うち トレイル85km
8月 総距離316km 42時間 うち トレイル122km
9月 総距離222km 24時間 うち トレイル35km OL26km(9月24日まで)

トレイルとオリエンテーリング以外はほとんどがロード。たまに10kmレース出たり、軽いペース走をする程度だが、夏の間はそれもなくほとんどがジョギング。

距離と時間はややショート気味、4か月トータルでもう1割から2割頑張りたかったけど、海外出張が何度か入ったことを思えばやむを得ないか。それより風邪や怪我での休みはなく、安定して準備できた方かもしれない。
トレイルを走った量は目標を達成して約380km。オリエンテーリングを足せば470km程度。UTMFを走るに十分な準備と言えるかは疑問だが、自分なりの準備をした、という精神的な支えにはなったと思う。

1週間前からの当日までの準備

1週間前にかかりつけの接骨院に通院。僕の場合骨盤がゆがみやすく、脚の長さがずれて、そのまま放置すると様々な痛みにつながるため、念のため矯正してもらう。幸いそれほど悪い状態ではなかったよう。ここに通院して先生と話すことで精神的にも安心感を得られる。

1週前の週末は、起伏のある山を走りたいという衝動を抑えて、1時間/日程度のジョギングに抑えて我慢することに。これは、オリエンテーリング選手時代に、陸上の有吉先生から、「大会は実際より1週間前に開催されるつもりで準備するくらいの方が調度よい」というアドバイスを思い出して実践。

食事は大酒を避けるくらいで普段と特に変わらず。2日前から炭水化物の量を少し大目にする程度。レースでは胃腸に過度な負担をかけるので、直前はあまり無理させない方がよいだろうとの判断から。どうせカーボローディングして血中と肝臓のグリコーゲンを増やしても、初めの3-4
時間にしか影響しないだろうし。

睡眠は前3日から注意して確保するように。前の日は緊張などで眠れないことも多いので、それより前に寝不足にならないことが大事。実際前日は、河口湖の民宿に泊まったのだけど、12時前に寝て5時過ぎには目が覚めてしまった。

荷物

レース中は生憎小雨が断続的に降ることが予想される。ただ予報を見ても気温はそれほど低下せず、夜間の山頂でも10℃は下回らない予報。本当か少し疑いたくなるが、寧ろ湿度も高くて、喉が渇く可能性も推察。最大で1.5Lは持参できるようにボトルを用意する。

寒さ対策は当初準備したレギュレーションの範囲の準備に、軽量ウインドブレーカを足すという毎年のパターンで出走することに。ミドルレイヤーとしてダウンジャケットを毎年もっていっている。今年は気温から不要とも思えたが、他にコンパクトなミドルレイヤーもなく、ダウンジャケットを荷物に詰め込んでもっていくことにする。

ただ、これは結果論だが、今年は気温が暖かく、Tシャツ短パンですべて走り通したので多くのウエアが使われることなく富士山一周したことになる。

ザックは3年目となるグレゴリーの8L。相変わらずパンパンだがなんとか入れ込む。
最近流行りのベスト型のザックの方が、レース中の補給しやすく、機能性は高そうだけど、高価で手が出ない。今年もこのザックで我慢。次くらいには少し投資しても良いかな。

靴はLaSportivaのBushido。この靴はそれほど軽量ではないけれど、ソールと土踏まずの固い作りが好みで、昨年のUTMFでも履いていい具合だった。今年2足目を購入して使うことに。

その他、ラッキーアイテムとして、子供が昔つかってた、しまじろうの黄色いプラスチックコップ。3年連続の愛用。最初は高いコップを買うのももったいなく、お守り的な意味も込めて使い始めたのだけど、エイドで色々な人に声をかけてもらえるので、途中からは、話題作りのネタとして利用してる。






土曜日, 5月 02, 2015

UTMF2014 完走記 その2 -スタートからA8まで‐

スタート通過 0km 838
とにかく前半あせらないこと、筋肉を使いすぎないことを頭においてたため、スタートゲートから遠い控えめな位置に並んでスタートした。ところがこれが失敗だった。スタート直後にレーンが極端に細く曲がっていたため、列が全然進まない。スタートゲート通過に2分くらいかかり、その先もラッシュ時の品川駅のようにほとんど進まない状態が5分くらい続く。ようやく歩けるようになって、小走りできるよになるには10分以上かかったか。自分のペースで走れるようになったのは、林道が坂を登り始めてから。推定10~15分のロス。さすがに前半抑えた超ロングレースといっても10分以上のロスはもったいなかった。

その後の初めの登りでどんどん抜いていくが、それでも慎重なペースだったと思う。心拍150前後で走ったり歩いたり。周りは富士山の写真をとったりマイペースな人々。登りが終わり、霜山手前のワインディングするロードが終わる直前で妻を発見。

 妻は昨年後半失速してるので、「速すぎない?ペースおさえて!」と声をかけて抜く。でもあとから考えると自分のペースが遅かったのだ。富士吉田手前で藤若さんを抜いた時にも「なんでここにいるの?」と驚かれた。

A1到着 18.2km  2時間14分、280
エイドは数十人が休憩してただろうか。すごい人だかりだった。水もほとんど消費してなかったので、バナナなどの軽い給食と水一杯で30秒以内でA2に向かう。

杓子山までのだらだら登りで一人また一人と抜いていくと、途中で脚の長い外国人が前に。並走すると、日本在住のERWANさんだった。北丹沢などで同じレベルの選手なので、少しほっとする。話しかけると、昨年のタイムは28時間とのこと。ペースが遅すぎるのでは、と不安に感じていたので、少々安心する。しばらく並走するも、自分の気持ちよいペースだと少し速いので、そのまま少しづつ先行した。残念ながらERWANさんとはそれ以降会うことはなかった。

杓子山への急登からうす暗くなる。杓子山を越えてた尾根上からライトが必要になった。この頃には選手の列もまばらで10秒に一人程度の密度だろうか。それでも杓子山下りの例の足場の悪い急斜面では小さな渋滞があった。一人づつしか降りられないのでしかたがない。3人ほどの列に並んで1分程度まったろうか。それほどストレスにはならず切り抜けた。

まだフレッシュな脚にはそれほどの負担ではない。難なく二十曲峠に向かう比較的平坦な尾根に乗った。このあたりで完全に闇になった。

A2到着 33.4km 4時間39分 156
A1からペースを少しづつ掴んでいるが、予想タイムより10分程度遅い。ここでも補給はほんの1分程度に抑え次の山中湖に向かう。

A2-A3区間は難なく進みあまり風景に記憶がない。ただ、覚えてるのは、「この闇が明けて、太陽が昇って、再び暗くなるまで自分は走り続けなければならないのだ」、とふと考えてしまい、先の長さに気が滅入りそうになったのを良く覚えている。

A3到着 39.3km 5時間29分、in149位、out134
ここでも休憩は2,3分程度。給食して水を補給して出発

A3からの最初の別荘地内のロードと山への登りで数人を抜く。あまり無理せず心地よいペースを意識する。三国山に向けて山の斜面を一旦下り、登り返す斜面があるのだが、そこでは、真っ暗な闇の中、対面の頂上に向けて点々と光るライトがみえた。幻想的な風景だった。トップはもうどのへんまでいってるのだろう?ふと頭を過る。

三国山から大洞山にかけての尾根道はUTMFのコースでももっとも好きな場所の一つ。
適度な起伏で走りやすく、周りは広葉樹の見通しの良い林が連なっており、少々神々しい雰囲気だ。ただ生憎今年は真っ暗闇でブナの美しい森はまったく見えない。

A4に向かって下り始め、徐々に斜面が急になるところで、1名の女性選手が道をあけてくれた。さすがにこの位置での女性は珍しい。海外選手だった。日本的なテクニックを必要とする下り斜面なので慎重に降りているのだろう。軽く手をあげてお礼の意を示して先をいった。

長い下りで脚にも負担だし、そろそろ大腿四頭筋を休めたいな、と思い始めた頃にようやくロードに出る。そこで少し飯場ばて気味になるがエイドまですぐなので補給せずに走る。すると先ほどの女性選手に追いつかれた。しばし並走。すらっとした欧米人体型の選手である。どこから来たの?ときいてみると、「ウルグアイから」とのこと。いろいろな国から選手が集まっているもんだ。この位置なら女性でもレベルの高い選手のはずだ。

A4到着 55.7km 7時間47分、in118位、out109
ここも給食と水の補給で2分くらいですぐに走りはじめる。まわりには人の気配はなくポツンと一人のライトで走る。

ここからA5までは延々とだらだら登りである。スタートから8時間、23時。昨年はちょうどこの時間の富士宮あたりから疲れが出始めて徐々にペースが鈍ってきた。今年の方が余力感は高い。

しばらく歩かないようにちょこちょこ走っていると、後ろからライトがポツリと見えた。ライトは道の曲がりで見えたり見えなかったりしながら着実に近づいてくる。今日はスタート以降ずっと抜く一方で抜かれたことがないので少し残念に思ったが、さっきのウルグアイ選手だろう、しかたあるまい、とあまり意識しないことにする。

そのうちその選手に追いつかれ、しばしすぐ後ろで同じペースで並走されるのを感じる。やはり女性のランナーだった。「抜いていいよ」とジェスチャーで道をあけるしぐさをすると、不意に日本語で話しかけられて驚いた。

その後、その女性選手とはしばらく会話しながら一緒に進む。それは網蔵選手だった。2013UTMFの女性4位。色々なところで活躍している方。失礼ながらその時は知らず、お互いの自己紹介をしてはじめてしった。

なんだろう、暗闇の中なので声だけの会話だったのだけど、この世界で活躍する女性特有のそこはかとない明るさとポジティブさをもった魅力的な方だった。共通の友人に田島利佳ちゃんがいることがわかった。利佳ちゃんの顔の広さには本当に驚く。

「今年は30時間きりたいんです」と話すと「昨年27時間台で今年もペースはかわらないから大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

その後、道はオフロードになり、時に短い下りも織り交ぜながらひたすら登っていく。途中もう一人の男性選手も一緒になり3人がそれぞれのペースで抜きつ抜かれつ100200mの範囲でA5に向かう。

やがて礫の崩れやすい斜面となり登りの角度がきつくなってくる。もうすぐA5

A5到着 65.6km 9時間24分、in106位、out101
夜の12時を回ったところ。時間的にはほぼ1/3。標高も高く身体が冷えてはいけないので、ここもきっかり2分の休憩。補給食をとって次に進む。

エイドの休みは他の人より短いのか、エイドで人を抜くことが多い。一緒にエイドインした人より一足先にエイドを出た。礫の急斜面を戻るように下って舗装道へ、そこからはだらだらと登り返し。一番苦手な区間。ペースを維持しようとしつつも、少しだけ歩いてしまう。

A6到着 71.5km 10時間07分、in98位、out96
ここのエイドは素通りしてもよいかな、と思いつつも一応寄ることにした。このエイドは一番標高が高く1400mを超えている。時間も夜中の1時で気温は低下する一方。身体が冷えないよう最低限のエイドで済ます。ここも2分程度。

A7までは程良い傾斜の下りが続く。一番得意な部類の下りである。エイドの時点から数人の選手とパックになった。一人で下ればほんの少し速いペースかもしれないが、脚のことも考えて、集団のペースに心地よくはまって下ることにする。幾名か歩いている人を抜いた。このあたりで歩くと残りの90kmは厳しいだろう。自分もいつそうなるか分からないが。。。
1時間近くで林道に出る。折り返しの選手と幾人かすれ違うと、見慣れた風景のこどもの国がみえた。今年はエイドが道からすぐの駐車場なので少しのことで走る距離が短くて済んだ。

A7到着 80.5km 11時間18分、in83位、out83
昨年はここでぺたりと座り込んで休憩が20分以上となり、そこからのペースががくんと落ちた。今年は10分以内を目標に、荷物の入れ替えをする。後半の食糧補給(ドライフルーツ、羊羹、飴、シリアル)、地図の入れ替え、Tシャツの交換。靴はそのままBushidoで走ることにする。昨年よりもここの時点での闘志は高い。走りだす時に時計を見るとスタートして11時間30分。10分は少し超えてしまった。

再び砂利の林道に向けて走ると、直前に女性ランナーがいた。網蔵さんだった。エイド付近のサポータかスタッフかにあちこち声をかけられて笑顔で答えている。A6以降こちらが先行していたのだけど、このエイドの休憩で追いつかれたよう。

走りだしの脚は恐ろしく硬直して重かった。昨年も経験したけど、氷点下0度近いエイドで休憩を10分もとってしまうと、あっという間に筋肉は冷えて硬直してしまう。脚の暖気運転が必要、温まるまでペースを落として我慢するしかない。前の網蔵さんがみるみる小さくなっていった。

20分ほど走ってようやく脚が動くようになった。この区間は基本下り貴重。砂利道なので、足に負担のかからない路面を探しながら脚を運ぶが、身体的には大分楽である。
W1まではオリエンテーリングで良く使う森の中の林道なので、暗闇の中オリエンテーリングマップを思い浮かべながら、今このあたりかな、と想像しながら進んでいく。

W1への中間点で、森の中にひっそりたたずむ岩倉学園が見えた。夜中の3時。施設も電気がすべて消えている。いつもお世話になっている職員の方や子供たちもすやすや寝てる頃だろう。
このあたりになると、選手の密度も大分ばらばらになる。前後の林道でライトが一つ見えるか見えないか、という場合が多い。前に新たな灯りを見つければ勇気づくし、逆に後ろにライトの気配を感じると、心なしか焦りを感じる。それでも基本は自分が砂利を踏みしめる音だけの世界が延々と続く。レース中一番孤独を感じた区間である。

W1手前は村山口の地図の中の林道。ここは暗闇でも自分が地図の中でどこを走っているかわかる。エイドまでもそう遠くない。ここで網蔵さんに追いついた。2,3言葉を交わしたように思う。「マイペースでいきましょう」といったたぐいだったと思う。これ以降は合わなかった。

W1通過 94.9km 1304分、72
水は十分にあるので素通りする。

A9に向かう道。鉄塔下の細かい2030mの起伏を繰り返す。こういう場所はオリエンテーリングで慣れたリズムか比較的得意である。
ここでは小柄で筋肉質の男性選手に追いついた。彼は僕より元気そうだがコースのマーキングを見つけるのが苦手のようだった。トレイルが細くて曲がっている個所やマーキングが見えにくい場所などで、止まったり、少しうろつくことが多い。
明らかに体力的な面で損をしているように思える。鉄塔下のトレイルを斜面と沿った方向に進む、という大筋のイメージが出来てないのだろう。地図でコースのイメージをつかんで走ることは体力的な面でも明らかに効率的である。

彼がまたもや道を見出せず止まっている時に、抜きながら「こっちですよ」と教えると、「まったく参るよ」といったジェスチャーと聞きとりにくい言葉がが返ってきた。香港の選手だったのだろう。彼はその後少しづつ後ろの気配が消えていた。

 そのころには空が白けてきた。やはり明るくなると気分も上向いてくるもんだ。これから向かう天子山塊が遠くに見えた。

A8エイドが見える道にきて、「鹿島田さん!」と声が聞こえる。東北大OBの安斎君だった。応援に来てくれたらしい。この早朝から小さいお子さんも含めた家族できていた。知り合いの応援は本当に力が入る。「調子よさそうですね!」並走しながら声をかけてくれた。

「ここまではね、でもこれからが本番」

UTMF2014 完走記 その3 -A8からゴールまで‐

A8到着 104.4km 14時間24分、in69位、out62
この先の天子山塊が一番の山場、ここの戦略が重要である。次のエイドまでは5時間近くかかる。いくら気温が低くてペースがゆっくりといっても水分はレース中一番必要となる。その他の区間は1Lあれば十分だけど、この区間はそれでは足りない。いつも通り650mLのボトルと400mLのプラバックを満タンした他、この区間用に用意したもう一つのプバッグ(400mL)を持参した。

ただ、ここの補給ではひとつ失敗を犯した。エイドには地元のおまんじゅうが並んでおり、ボランティアの女性に「いかがですか?」と笑顔で勧められたのだ。(もちろんその女性に悪気はない) そして釣られて食べてしまった。推定150kcal。それまで本能の赴くままに補給してきたのだが唯一ここで、身体は欲していないのに食べてしまう。飲み込み終えると少々度を超えた満腹感がきた。
その時は、「このくらいなら大丈夫」だと思ったのだが、結局あとで後悔することとなる。

ここでは荷物チェックもある。村越さんが役員をしていた。難なくチェック完了。1429分。ところがここでチェックにひかかっている選手が一人いた。地図らしい。外国の女性選手でブラジルの選手だ。しきりになにか理由をアピールして役員と議論していた。ちょっと気になったけどこちらのレースもあるので、そのままエイドを後にした。結果なんとか説明がついたのだろう。この選手には後で何度か抜きつ抜かれつして最後僅差で負けたのだが女子で5位入賞している。

市街地のロードを抜けて、水路の脇の道を登り、山道に入るといよいよ斜面はきつくなっていく。このころにはすっかり明るなった。まだ6時というのに昼間のように太陽の日差しさ強くなってきた。約800mの一気登り。ここをトラブルなく乗り切ることがこのレース最大のポイントだ。

急登のつづら折りを延々登る。まだ足取りはしっかりしている。はるか下からハイペースで登ってくる選手が一人いた。海外の男性選手だ。ながい脚でひょいひょい斜面を登ってくる。追いつかれて並走「どこから来たの?」と聞くと「UK、きつい登りだね」と短い言葉を残してさっさと登ってしまった。
またポツンと急な斜面で一人ぼっちになった。

登りも半分を過ぎた頃に、とうとう始めのトラブルが訪れた。

「睡魔」である。これは後で気付いたのだが、歩くような急登は睡魔が襲いやすい。着地などで反射神経を使う必要がないからだろうか、平地で走っている限りは眠気は襲ってこないが、歩くとたんに眠くなる。
朝の7時近くになっている。昨年眠くなったのとだいたい同じ時間帯だ。ペースが鈍る。斜面の遥か下には2人ほどの選手が近付いてくるのが見える。抜かれるのはしゃくだが我慢できず、とうとう、急登のつづら折りの脇で座り込んで目をつむった。

目をつむるとこんなに気持ちいいのか、とたんに意識が一瞬で遠のいていく。。。。。意識が深いところに落ちて完全に気を失う。・・・・・・・

・・・・・・はっと起きた。

ふと見ると、先ほどの2人の選手が少し上を登っている。
恐らく3分くらいだろう。それでも眠気は大分おさまった。

再び歩きはじめる。少し歩くとまた眠気が抑えられなくなる。座って3分目をつむる。これを3回ほど繰り返したところで天子ガ岳についた。そこからは尾根道となり、走りのリズムが変わって眠気も影をひそめてる。よし、まだそれほどのロスじゃない。このスキに尾根道も頑張ろう。

ただ、この尾根は想像以上にきつかった。登り基調の上にアップダウンが大きい。登りがきついと眠気が時々襲う。さらに、7時頃から気温が急激にあがり、汗のかく量が増え、水の消費も激しくなった。

途中のピークで、登りをさっさと登ってたUKの選手が座り込んでいた。どうやら水切れをおこしたらしい。
このあたり、気付けば抜きつ抜かれつする選手は半分以上が外国の選手だった。想定外の暑さとアップダウンの厳しさに皆閉口してペースの維持に苦労している。こちらもまたいくつかのピークの前で2,3度睡魔に襲われ座り込みペースは大分鈍っていた。

難関の熊森山は越えた後、とぼとぼ歩いているポルトガルの選手が「水を少しもらえないか?」と空のボトルを見せて頼んできた。ボトルにはまだ400mLくらい残っていたので、半分ゆずることにした。彼は僕の手からボトルを(ひったくるように)とると自分のボトルに勢いよく入れ、「半分だよな」、と6割くらいを入れてからごくごく飲んだ。彼はものすごく嬉しそうにお礼をいって歩き出した。ペースは彼の方が速くて見えなくなった。ほどなく僕のボトルも空になったが、もう下り基調だから大丈夫と考えてた。

 ところが、その先少し歩いていて目の前にそびえる高い山をみて絶望的になる。雪見岳だ。地図の等高線まで良く見てなかったので、最後の雪見岳が一番高く、その手前に250m近い登りがあることにまったく気づいてなかった。想定していなかっただけに、落胆は大きい。水がもうないと喉の渇きも余計に気になる。先ほど水を恵んだことが恨めしくなった。気温はますますあがってるようだ。
それでも前に進むしかない。登っては休み登っては休みの繰り返し。尾根上で抜きつ抜かれつしていた選手にはほぼ全員抜かされて見えなくなった。

 随分時間をかけたようだが、漸く雪見岳を通過。そこからは完全下り基調で、気分を取り直して進む。下りは厳しかった。ほとんどトレイルのない倒木だらけの急斜面に点々とマーキングがついている。オリエンテーリングで下る急斜面のようである。19時間も走ってる身体には、脚のブレーキがきかず、ぎこちなくしか降りられない。それでも周りの選手よりは得意なようで、尾根で置いて行かれたの選手を幾人か抜いた。もういい加減勘弁してくれ!と悲鳴を上げたくなる頃に漸く真っ平らな麓が見えてきた。

A9到着 123.3km 1923分 in66位、out63
5時間近くを天子山塊で費やし、軽い脱水症状、さらにトイレにも行きたくなり、ここでは10分程度の休憩をとった。休憩中の時計の針が恨めしく、はじめて次に向かうのに気力が必要なエイドになった。でもここからが本当の100マイルである。

休憩中、奥の方で何やら色々な人に囲まれてる選手がいる。その選手が走りだすと大きな拍手と声援が沸き起こった。と同時に「今日は、ちょっと厳しいかな」という観客の話し声が聞こえた。誰だろう?後ろ姿に見覚えがあるが。。。。

その選手の1分後くらいに、ひっそりと走りだす。10分ほど走った頃だろうか。河原でその選手が荷物をおいて、スポンサーの沢山ついたウエアを脱いでいた。暑さ調整だろうか、
そう、石川弘樹さんだった。

「こんにちは!」抜く時に声をかける。向こうも挨拶してくれた。いつものさわやかな笑顔だった。その後は平らな林や草っぱらを縫うように走るトレイル。夏の陽気にも近い午前中、身体は疲れてたけどとてもリフレッシュする区間だ。

「ごついコースですよね」後ろから声がした。石川さんだった。「みんな良く走るよなあー」
石川さんらしい感想だな、と思った。アメリカなど比較的マイルドなトレイルを好む石川さんのプロデュースする、信越や斑尾は快適なトレイルコースで有名だ。「僕も信越のコースの方がいいです」と答えた。この時は心からそう感じたので素直な感想だ。

石川さんとはさすがにペース差があるのでじりじり離れていき、また一人になる。そのまま1時間ほど平らなエリアは一人で走った。途中とぼとぼ歩く2名の外国人選手を抜いた。A9でトラブッていたブラジルの女性選手とドイツの女性選手。ドイツの選手はA9までいいペースだったものの、A10でリタイヤしている。

その後、(何かトラブルを抱えていたのだろうか)石川さんに再び追いつき追いぬいた。その後石川さんには最後に抜かれるまで会わなかった。
 竜ケ岳の登りに差しかかった。辛いけれど着実に登ることができた。天子ガ岳山塊で失われたエネルギーと闘志がまた充電してきたようだ。

頂上手前で、軽装のトレイルランナーに抜かれた。誰かの応援の人だろうか、羨ましいくらいに軽快に走って斜面を登っていく。
「鹿島田さん!」
許田君だった。

 許田君はオリエンティアからトレイルランナーに転向した選手としては初期の成功者でハセツネで4位にもなった実力者である。ここ数年は激務と子育てで第一線からは退いているが、自然の中を走ることが心から好きなタイプの人である。彼が大学時代にはらアメリカ遠征をともにしたこともあり、旧知の知人である。
「この位置でその脚どりはいけるんじゃないですか?」

 その言葉に勇気づけられる。確かにその時は比較的リズムよく下れていた。あるいは少し気負って少しだけオ―バペースだったかもしれないのだけど。 
 彼がスマホでRunner's up dateで順位を調べてくれた。ここまで順位というものはまったく分からず意識していなかった。ただ昨年の100位以内には入っててほしいな、とは思っていた。
 彼の調査では66位。思ったより上位だった。崩れなければ100位以内はいけるだろう。

A10 到着 138.6km 22時間17分 in59位、out54
 ここでは食糧補給と給水を実施。あまり長居をしたつもりはないが記録上は5分くらいかかっている。
次の区間の前半は未知の区間。エイドから裏の尾根に登っていく。足取りはしっかりしているが、登りは元来強くない。1人の日本人選手にさっさと抜かれるが、気にせず自分のペペースで登る。
 尾根に乗ってからは適度な起伏の快適なトレイルだった。鏑木さんが、「延長した区間もとても良いトレイルだ」といっていたのを思い出した。そろそろ丸1日たったとは思えないくらい快適に脚が進む。

 尾根道の途中で2人選手を抜かす。一人はさっき抜かれた選手、もう一人は柳下君だった。ペースは鈍っているようだった。何かトラブルがあったらしい。このUTMF前には普通のサラリーマンとしては想像を超えるトレーニングをしていることを聞いていただけに、なんとなく僕にとっても残念だったし、このレースの難しさを見ているような気がした。
 烏帽子岳の急斜面も脚は快調に動いてくれた。そして今回のレースで快適に走れる最後の区間だった。

 斜面を下りきったところから異変が起きた。身体に急に力が入らなくなった。飯バテと思い、補給しようとすると胃が受け付けなくなった。胃腸のトラブルだ。

 ここから最後のエイドA11までは本栖湖湖畔の溶岩地形が作る独特の雰囲気の平らな森で本来快適な区間のはず。なのに、足取りが少しづつ遅くなる。時間も夕方になりかけて気分的にも少し滅入る頃だ。
 烏帽子岳の下りで胃腸にダメージを受けたのだろうか。A8で食べてから若干違和感のあった胃腸がここで急に悪化した。
 雪見岳で助けたポルトガル人に抜かれた。彼も決して脚取りは良くないのだが。最後のロードも走り切れず、「80歩走って40歩あるいて」とルールを決めてとぼとぼ延々と走った。1,2名の選手に抜かれた。

A11 到着 157.6km 26時間15分、55
 胃の調子が最悪になった。あったかいお茶をもらい飲むが食べ物は受け付けない。寒さも身体に感じはじめた。毛布をもらって身体をあたためる。スタッフも心配そうに、「大丈夫ですか」としきりに声をかけてくれる。

15分くらい休んだろうか。結局胃は治らず何も受け付けないが、なんとなく本能的にパンが良さそうに感じて、小さなパンを2つほどもらい、かばんのポケットにつめて次に向かった。

ここからは辛かったことしか覚えてない。足和田山に向けた登りでは、歩くのがやっと。一人、また一人と抜かれていく。
とうとう飯バテ気味になって、道の途中で寝転んだ。胃は痙攣をおこし何も受け付けない。どうしよう?少し寝て胃が収まるのを待つしかない。。。

どうしようもなく、ただ横になって10分くらいたったろうか。
「暗くなる前にゴールしましょう!」
通りすがりに励ましてくれる選手がいると思ったら石川弘樹さんだった。

いわれてみると、夕暮れ時となり、あたりは大分暗くなってきた。走りはじめて2度目の夜が近づいている。
その言葉に少し元気をもらったかもしれない。かばんに詰め込んでいたパンのことを思い出して口に入れてみると、なんとか飲み込むことができた。それで少し力がわいてきた。
とぼとぼと歩きはじめる。やがて暗くなり始めてライトをつけた。下りになれば何とか走れるだろう。なんとか足和田山を越えれば。

真っ暗になるころには歩くペースも少しづつ戻る。闘志が少しづつもどってきたのだろうか。ふと後ろをみると遠くにライトがポツンと見えた。もう抜かされるのはやめよう。このライトには勝とう。そう決めると急に身体にエネルギーがわいてきた。程なく登りは終わり、下り基調になる。こうなれば負けない、100mくらい後ろに見え隠れするライトとの距離を常に意識してスピードをあげた。
足和田山塊を降りると、河口湖畔に出る。あとは湖畔を走るだけだ。とはいえ、ゴールと思える場所は湖のはるか先に見えていた。頑張るしかない。ひたすら走る。走る。走る。ペースは快調になる。キロ4分台では走れてたと思う。本当はそうでないかもしれないけれど、少なくとも本人はその気力で走ってた。

この区間長かった。でも、やがて終わりは見えてくる。フィニッシュ地区の明かりがだんだん大きくなってきた。ここまでくると、むしろもう終わりか、という気持ちの方が強くなる。
夜の7時過ぎ、寒い中だけど、フィニッシュ手前では多くの人が応援してくれた。
もちろん、みなとハイタッチ。フィニッシュのカーブを曲がると、鏑木さんの姿が見えた。

ゴール 169km 28時間247秒 58位(総合)、53位(男子)

ゴール後は思ったより元気だったと思う。
興奮気味に鏑木さんと少し会話をさせてもらった(天子ガ岳山塊の下りがハードだった、なんて話をしたように思う)あとは、少し付近の名も知らない方と会話をして、1kmほど離れた宿に戻った。
宿のおばさんは、2日目の夜に帰ってきたことにすごく驚いてくれた。
早速夕飯を用意してくれたのだけど、興奮が冷めて気付いたら胃がとんでもなく気持ち悪い状態のことに気付き、「あとで頂きますから」と丁寧にお断りして、風呂に入った後寝床についてしまった。