金曜日, 11月 04, 2011

お山にいったi-phone

「さあ、おやまにでもいったんじゃない?」

われながら苦しい出まかせだと思ったけど、口に出してしまったものは戻せない。
息子はきょとん、とした顔でふーん、と分かったようなそうでないような返事をした。

最近3歳の息子がi-phoneをいじりたがって困る。
タップやフリックの動作は当然完全にマスターしていて、うっかりロックをかけ忘れると、自分の好きなゲームの画面を出して、ずーといじって遊んでいる。i-phoneはおもちゃでなくて、電話もメールも目覚ましにも使うツールなので、こちらとしては手元にないと困るのだけど、もってると息子が遊びたがるので休日はこまる。

ほとほと困って、休日の朝、子供が起きる前に棚の上の見えないところにおいといた。
そしたら朝、探しまわって「アイホンドコドコ?」としつこく聞くので、つい出まかせで答えてしまったのだ。


その日一日は息子の目に届かないように気をつけて過ごした。でも夕方になる頃にはそんなこともすっかり忘れてしまった。

===

夕食の頃になって少し心配した顔をして、「アイホン、マダカエッテコナイノ?」と聞いてきた。

「あ、いやあ、どうだろ、まだかな?」

「アイホンノオウチドコナノ?」「ヨルニナルトクラクナッチャウヨ、オバケデルヨ」
しきりに心配する。
しまった。ずいぶんとひどいウソをいってしまったもんだ。
でも今更しょうがないので、

「心配するな、もうすぐ帰ってくるよ」

といって、しばらくした夜に、
「かえってきたよ」
と見せてやった。

息子は「ア、アイホンカエッテキタ!」
と大喜び。
「おやまにいっておなかぺこぺこだからね、まず、ご飯食べなきゃ」
充電器につないで、また棚にあげた。

「ゴハンパベタラ(食べたら)、アシタノアサアソンデアゲルネ!」

そういったら、指をくわえたまますたすた寝床にいってコロンと寝てしまった。

木曜日, 10月 20, 2011

KatyとTaylor

僕はそれほど音楽に造詣が深いわけではないけれど、
人並の趣味としては嗜んできた。

初めに自分で買ったレコードは、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」である。多分中2の終わり頃だった。

中学1年の頃はパソコンオタク気味だった。当時電気メーカに勤めていた父が、自社のパソコン(当時はマイコンといっていた)を買ってきたのをきっかけにのめり込み、パソコン雑誌を買ったり、Basic言語でゲームを作ったりした。当然友達もそういう系の人が多かった。

ただ、そのパソコンがすぐに時代遅れになり、当然自分で買うこともできないので、そのままパソコンという趣味を諦めた。今思えば、自分で選んで道でもないのだが、それが幸いしたかもしれない。

その変わりのめり込んだのがオリエンテーリングと音楽、特に洋楽だった。

ビートルズは二つ上の兄の影響だったが、その先の発展は自主的だった。主に英国ロック路線で、ポリス、レッドツェッペリン、クイーン、ポリス、解散後のジョンレノンなどを渡り歩いた。僕のティーンエイジは80年代だから、同時代のアーティストというよりも、当時すでに歴史になりかけたバンドばかりだった。

当時は結構聴きこむ方だったと思う。LP盤を買ってくると、家の洋間(そこにプレイヤーセットがあったのだ)の扉をぴしゃっと閉めて、歌詞カードを見て口ずさみながら聴いたものである。
そのアーティストのカリスマ性や音楽の旋律に涙腺が刺激されることもあった。若いだけ感性豊かだったのだろう。
だから当時買ったLPの曲は今でもそらで唄えるものもあるし、英語のスラング的言い回しを随分と勉強させてもらった。

何故か洋楽の男子に限られて、邦楽や女性アーティストには手を出さなかった。それが何故かは良く分からない。洋楽の方がクールだとカッコつけてた面もあるけど、実際邦楽には全く興味がなく、今でも80年代のアーティストは、後でカラオケで学んだ程度しか知らない。


ところが20代以降、僕の音楽の趣味は全く進歩しなくなった。
惚れるアーティストを探して聴きこんだりすることは皆無になった。オリジナルアルバムのストーリー性なんてものはどうでもよくなり、ベスト盤やチャート上位のアーティストの曲を適当に耳にして、音楽を消費するタイプになった。

多分大学以降はいろいろな世界が広がり、音楽に向けるエネルギーの割合が極端に減ったのだろう。
その間、音楽の媒体はレコードやテープから、CD、MD、電子データと変わった。

最近は自分も世間並みにi-podやi-phoneに音楽を貯め込んで聴いている。CDを買うこともあるが、i-tuneでダウンロードすることも多い。圧倒的に音楽を聴くのが便利になった。そのせいか、また少し音楽が自分の趣味として少しだけまともな地位に戻った。

ところが中身は、すっかり女性アーティストになってしまった。音楽に求めるものが、メッセージ性やカリスマじゃなくて、リラックス、癒しになったんだと思う。セリーヌ・ディオン、エンヤ、スウィート・ボックス、アヴリル・ラヴィーン、と宇多ヒカルなどなど。。。

そして最近のi-phoneの再生頻度を見ると、レディ・ガガも多いけど、テイラースウィフトとケイティ・ペリーが一番。
テイラースウィフトは、映画「ジュリエットからの手紙」のLove Storyという曲が琴線に触れて聴き始めた(ちなみにこの映画、どうってことない恋愛ものだけど、イタリアの風景がきれいで結構面白かったと思う)のだけど、そのあとのSpeak Nowというアルバムになぜかはまった。
このお嬢さんまだ22歳なので、ずいぶんとこれからが期待できそう。
ケイティ・ペリーはFireworkという曲から入った。Teenage Dreamからは5曲の1位が生まれて女性の記録だそうだが、確かにこのアルバムには良い曲が多い。
ちなみに、この二人、仲が良いとのうわさもあるらしい。

そういえば若い頃、自分も歳を重ねると、ジャズが好きになったり、あるいは演歌なんか聴いたりするのかなあ、と思ったことがある。残念ながらかそれとも幸いか、そういう嗜好にはならないし、これからあまり成るようにも思えない。

当時の演歌やジャズといった中年おじさんの趣味に思えていたものは、実はその年齢層の趣味ではなくて、その世代に流行った趣味、だったのかもしれない。
人は結構自分の若い頃の嗜好を引きずりながら歳をとるように思う。自分の嗜好を大きく変えるのは、よほど革新的な性格でない限り難しい。

だから、10年前眉毛を整えるのは若者の特権のようでオジサンはカヤの外だったけど、今では(若い頃に整えることを覚えた)オジサンたちがキリリとした眉をしている。ズボンを腰ではく管理職もぼちぼちいるかもしれない。
僕の場合、洋楽ロック、ポップスという趣味を引きずりながら歳を取ってきている。ヒップホップ系は耳にはするがあまりなじまない。これは僕が趣味を引きずりはじめた後に出てきたジャンルだからだと思う。

土曜日, 10月 01, 2011

水中毒

9月の休日予定をパズルのように妻と解きながら、僕のハセツネの試走の日が決まった。

生憎その日はまだまだ残暑厳しい天気予報だったけど、せっかくうまったパズルをもう一度崩す分けにもいかないので、予定通り荷物を用意して早朝の五日市に向かった。

秋のレース時には第一関門の月夜野駐車場まで2Lの水を持っていくのだけど、この日は3Lを背負った。おまけに途中でのリタイヤも想定して、1周分に少し余裕を見た2000kcalちょっとの食糧、防寒具、ヘッドライト、携帯、テーピング等などをキャメルバッグにつめる。背負ってみるとズシリと重い。
ずいぶんと鈍いペースで、武蔵五日市の駅前から71kmの長い旅に向けて一人ひたひたと走り始めた。

まだ7時前なのに蒸し暑く汗がすぐに噴き出てくる。26、7度はあるだろうか。早く標高の高いところに登ってしまおうと先を急いだ。

今熊山、刈寄峠、市道山と過ぎて標高は稼ぐけど、日も高くなるのであまり気温は下がらない。発汗量はすさまじい。短パンは海水パンツのようになり、サンバイザーのつばからは絶えず汗がしたたる。ペースは上がらないのに心拍は高い。高温の中のランニングの典型的症状であるが、辛さまでは感じないので、少しペースをゆるめて焦らず走ることにする。

醍醐丸で小休止する。ここまで2時間15分。一周10時間30分ペースくらいだろうか。日没前の下山ぎりぎりだけど、ライトもあるので無理はしまい。
予備に用意した500mLの水がおいしく一気に飲んだ。その後ハイドレーションの残りの水を見て愕然とする。すでに残り1Lちょっとしかない。ここまでで2L弱の水分をすでに飲んでしまった。

地図を広げて水場を確認。三頭山の先まではおろか、西原峠までも持つまい。浅間峠の先の日原峠付近に滴マークがある。そこで給水することにした。

そこから1時間あまり、水を節約しながら走ってようやく日原峠に着く。右手の斜面をコンタリングする下山道を少し進むと勢いよく水の流れる水場がある。水を手ですくって何口かがぶ飲みした後、ハイドレーションとペットボトルすべてに3Lつめた。これで御岳山手前の水場まで持つだろう。気を取り直して走りはじめる。

その後三頭山までは問題なかった。汗かいて水分補給して、時々カロリーも補給しての繰り返し。。。。。

初めに異変に気付いたのは 鞘口峠の当たりだろうか。

まず水が妙にまずく感じるようになった。口にしても飲みこむのがつらい。

そのうち無意識に口の周りをなめていることに気づく。身体が塩気を欲している。

月夜見の駐車場で休憩を取る。かばんをあけると、残りの食糧はおにぎり1個と、ドライフルーツ、ジェリー飲料。ナトリウムを補給できるのはおにぎりと、ドライフルーツに交じった乾燥梅の塩気くらいである。ドライフルーツからしょっぱい乾燥梅だけつまんで口にした。

気を取り直して御前山に向かうが、登りの途中から急にペースが鈍った。力が入らない。汗は相変わらず滝のようにかくが、水が飲めない。しかたなく最後にとっておいたおにぎりを食べる。しょっぱさが身体に染みるようにおいしい。水が飲める状態になったので補給する。またひたすら登る。

御前山の頂上から少し下った所に水場がある。しばらくそこで考えた。水も食糧もある。でも手持ちの「塩」はない。ここに来るまで7時間30分あまりのうちに6L以上の水を飲んだ。

塩分が不足している。

これ以上山道を進むのはリスクがあるように思えた。
御前山から南東に伸びる尾根のエスケープルート、標高差1000m以上を1時間あまりで下り、車道に出た。車道沿いのしがない商店の前にある自販機でスポーツドリンクを買い、一気に飲み干した。これほどスポーツドリンクがおいしいと思ったことはない。
そこから武蔵五日市まで1時間30分、とぼとぼジョグして戻った。

水、食糧には十分注意した。外傷、捻挫にも気をつかった。ライトの球切れ、電池の予備にも配慮した。防寒もしかり。山を走る時は、特に一人であれば、あらゆるリスクを想定して走るのが、一種の義務である。
ところが、塩がこうした事態を生むとは思いもしなかった。まさに想定外である。
振り返ってみると、10時間あまりの時間に8L以上の水分を失っている。それとともに電解質の多くが汗として身体から流れ出た。相当量のナトリウムを補うには、通常の食糧に含まれる塩分ではとても足りなかった。

その日結局70kmほど走ったけど、追いこめなかったので筋肉痛はそれほど残らなかった。その変わり2,3日はしょっぱいものばかりが欲しい状態が続いて、ラーメンを汁まで飲んで周りの人を驚かせた。

それが「水中毒」という症状であることを知ったのは、その後妻と話た時である。水中毒は棄権な状態で、水飲み競争で大量の水を飲み、死亡した例もあるとのこと。

運動時に大切なのは、水を補給することではない。身体の中の電解質のバランスを保つことなのだ、ということを改めて痛感した。

それにしても身体は正直である。あれほど水を不味く感じたことはない。逆にしょっぱいおにぎりをおいしいと思ったことはない。
食や飲料は、ただただ身体の欲求に素直に応じるのが、一番健康的で身体に良いのではないか。
我々が気をつけなければならないのは、身体の欲求を抑えることではなくて、その後の惰性を抑えることなのではないか、と思った次第である。

まだまだ学ぶことはたくさんある。

月曜日, 9月 05, 2011

夏の記録

7月
北丹沢トレイル 44km 登2700m 5時間18分 レース
富士登山競走+5合目への下山 30km 登3000m 往復5時間10分 レース
高尾陣馬往復(帰り大垂峠経由) 34km 登1700m 3時間50分 単独

8月
東照宮~女峰山~霧降の滝~東照宮 24km 登2200mm 6時間40分 妻と
大弛峠~甲武信岳~大弛峠~金峰山~大弛峠 27km 登2300m 5時間50分 単独
本栖湖畔~竜が岳往復 7km 登570m 1時間15分 妻と
高尾陣馬往復+α 31km 登1400m 4時間 妻と
*すべて早朝出発の日帰り。竜が岳はホテルの朝食前に。

夏の終わり

多分入社して以来一番良く働いた8月が終わり、気が付いたら9月になった。
仕事も少しだけひと段落ついたので、たまたま遅めの新幹線で出張だった1日は、直接品川駅に向かうことにしてのんびりした朝を迎え、いつも顔を合わせない子供たちと朝食を一緒にとった。

ちょうど初登園日の娘は、食事後に制服に着替える時になってめそめそ泣き始めた。夏休みを終えた後に誰もが感じるブルー。これから年中仕事をしなくちゃならない歳になるまで、そう少なくとも15年は同じ憂鬱を毎年感じなきゃならんのだよ、きみは。5歳の娘にも小さな人生の試練である。

妻いわく、一旦幼稚園に行ってしまえば楽しいらしい。社交的に見える娘も、根っこの部分は僕と同じで、外に出る時に少しだけエネルギーを使うのだろう。3歳の、こちらは妻のDNAを受けて根っから人懐っこい息子がメソメソ泣く娘にいちいちかまう。娘は妻に連れられてしぶしぶと幼稚園に向かった。

夏も終わり秋である。

先日、美容院にいった。
髪の毛を切っている間はいつも担当の女性とたわいもない話をする。夏も終わりになりかけていたので、当然のことだけど話題は夏休みになり「どこに行きました?」と聞かれた。
聞かれて、自分の夏をひととおり思い返してみてた。はて、「行った」となると、そういえばどこいったろう?と言葉につまった。いや、行ったといえばいろいろある。今夏登った山の名前が頭を一巡する。そして、つい「富士山」と答えてしまった。そして直後にしまった、と少し後悔した。

「富士山に登る」というのは話のネタとして不足がない。特に彼女は海大好き人間だから当然富士山なんて登ったこともなく、どうやっていくのかとか、どんな装備なのか、とかそんな話になる。僕はこの美容院では、自分の趣味について一度も話したことがなかったから、少し困った。でも、ごまかしてもしょうがないし、いや実はしかじかこういう趣味でして、、、と自分の少し変わった趣味をはじめから説明してから富士登山競走をざっと説明した。

美容師なんて、毎日たくさんの人を相手にしているのだから、色々な個性、突拍子もない話題に幾度となくめぐり合うのだろう。だから少し突拍子もない話に、驚いてはいたけど、呆れた様子もなかった。ひとしきりの反応と賛辞でそつなく答えた後、彼女は自分の海辺の清掃ボランティアの話をして、そのまま、自然と話題は別のところに流れていった。

その日は運よく新入社員の子が洗髪を担当してくれた。多分見習いなので練習も兼ねてるのだろう。ベテランよりも丁寧に念入りに肩や首のマッサージをしてくれるから客としてはこちらの方が良い。聴けば彼女は仕事に慣れるのに精いっぱいで休みなんてないそうだ。でもそれが今一番楽しいのだそうだ。見かけによらず見上げたお嬢さんである。彼女の歳の頃の自分なんて、勉強さえろくにせず休みのことばっかり考えていたのに。

ずいぶんとさっぱりした。いつもぼさぼさ頭になって、美容師から見ると末期症状になってから訪れるからだろう。「次は10月の20日ですよ。予定表に書いておいてください!」と、担当の女性に念をおされながら店を後にした。

帰り道、自分の夏について少し考えた。

あまり深くも考えてみなかったけど、そういえば夏の過ごし方が変わった。今年、余暇での外泊は1泊2日の家族旅行のみ。あとは夜明け前の出発で日帰りのトレイルランを走ったことは何度かあるけれど、それも単独か妻と二人。友人と過ごした休暇はほぼ0だ。そして自分もそんな夏を過ごしていることにあまり違和感がなくなっている。

30歳前半までは必ず1週間以上の海外遠征をし、週末は合宿で皆で競い、あるいはグループで山登りにいったりして、夏の休暇は家で夜を過ごすなんてほとんどなかった。

一方で今、仕事では北海道から九州まで毎週どこかに脚を運ぶ。自分の出張に仕事の意義も感じるし、モチベーションにもつながる。だから平日の充実感、達成感はここ数年で飛躍的に向上した。

自分のアイデンティティを感じる瞬間が、週末から平日に少しづつシフトしている。子育て時期の中間管理職サラリーマンなんて、平均的にはそんなもんだろうか。だから全体として充実しているようで、どことなく夏を楽しみきれなかったような寂しさがどこかに残る。

少し長いスパンでみれば、子育てが次のステップに入って、仕事の質も変わるだろう5年、10年後はまた違う夏の過ごし方があるかもしれない。
でも、ここしばらくは、小市民的にちょこちょこと夏を楽しむのがきっと今の自分の身の丈にあってるのだろう。

土曜日, 8月 20, 2011

3D Rerun

かつての全日本チャンピオンの杉山さんがFacebookで絶賛で紹介していました。

もしもあなたがオリエンテーリングというスポーツの経験がなく、どんな競技なのかを疑似体験したかったら、
このサイトでぜひ経験してみてほしい。

2日前にフランスで行われた世界選手権、難易度の高いロングコースをheadcamで撮影したもの。
これを面白いと思うかどうかは人によりますが、かなりオリエンテーリングの競技の本質的な部分を体験できます。

少なくとも10分ほど(3番くらいまで)森を走ると、ミスをした時のメンタルも体験もできます。

金曜日, 8月 19, 2011

これぞロング


久しぶりに
「走りたいけどやっぱり走りたくない」と思った。

オリエンテーリングに明るくない人は読み飛ばしてほしい。

WOC2011のロングのコースである。

過去にも似たように衝撃を受けたWOCコースはある。
長いだけなら、91年のチェコ、03年のスイス、04年のスウェーデン、あるいは06~08年と続いた大陸系のロングも長かった。でも時間をかければまわれるコースである。
しかし、見ただけでうなるような地図、コースというのはWOCでもそうそうない。
たとえば古くは85年のオーストラリア。女子の優勝したア二ケンのミスも激しいものがあった。
あるいは、実際僕も走った93年のUSAのロングもしかり。当時早苗さんが、「地図を見た瞬間なぜか太古の恐竜時代が頭に浮かんだ」と表現していたけど、ある意味地球の歴史に畏怖の念を感じる見応えのある地形である。
最近では愛知の05年も特殊という意味ではインパクトがあったろう。日本人には抵抗ないが、欧米選手には茶色に塗られた斜面は特異なテレインだったろう。実際優勝候補の女子選手が序盤から大きくミスをするハプニングもあった。

今回のフランスのロングもそういう歴史に残るテレイン、コースだ。

案の定、このレース荒れた。優勝候補のミナカウピが1番に到達せずにゴールに向かったように、有力選手の大きなミスが目立った。その中で下馬評通り優勝したフランスのティエリ・ジョルジュは本当に素晴らしい。
実際男女とも優勝者と2位で4分、6位では10分以上の差がついた。実力の肉薄する世界では普段考えられない差である。


ただ、観戦する方としては淡々と進むレースより面白い。世界有数のタフガイが終盤憔悴しきって走る姿も壮絶である。スプリントのスピード感のあるレースとは対極的だが、自然に対峙する生身の人間のリアルさが冒険活劇を見ているようでこちらはこちらで迫力がある。これぞロング!

ふと思う。ロングという競技は、スプリントなどのようにある意味規格化されたテレインコースとは対照的に、地域性を最大限生かした独創的なテレインを提供する方向に進化すべきではないか。
規格化されたフィールドでしか競技がなりたたない多くのスポーツと異なり、その地の地形、植生、自然そのものを生かした舞台で競う面白さがオリエンテーリングにあるはずである。今回のテレインで格闘する選手をLiveStreamで見ながら感じてしまった。

月曜日, 8月 15, 2011

WOC2011

今年はフランスのSAVOIE GRAND REVARDで開催中。
87年大会以来24年ぶりのフランスでの開催です。

大会公式HP。
http://www.woc2011.fr

日本チームに関する情報。
http://www.orienteering.or.jp/NT/blog/

男子5名、女子4名が出場。

予選2種目を終えて、日本は残念ながら予選通過はまだいませんが、
ロングの皆川さんやミドルの柳下君など、テクニカルなテレインで健闘しています。

地図は事前に予測された通り、かなりテクニカルな印象で、予選を見る限りタイムのばらつきも大きいよう。


16日スプリント予選決勝
17日ロング決勝
19日ミドル決勝
20日リレー

さて、今年の世界的な注目は、ここのところ不運に見舞われ続けた、ティエリ率いるフランス男子が、個人はもちろんリレーで悲願の優勝を果たすかどうか。

2005年
愛知のWOCでは2走までほぼトップ。3走アンカーのティエリはノルウェーのヨルゲンと同時にスタート。終始ほぼ同時にレースを進めるも、終盤の下り斜面のアタックでティエリが数秒のロスを犯し、そのスキにヨルゲンにかわされてノルウェーが優勝。フランスは悔しい2位に。
2008年
やはり3走アンカーは、フランス、英国、ロシアが先頭争いをし、フランスはデッドヒートの先頭を切って終盤ループへ。誰もがフランスの優勝を信じた瞬間、ティエリのGPSトラックがとんでもない方向に向かい始めやがて止まってしまう。観客は分けがわからないまま英国の優勝を見守った。実はティエリが走っている最中に蜂を飲みこみ喉を刺される悲運に見舞われたことが判明。棄権の上ヘリコプターで病院へ。(まったくオリエンテーリングをしていてこんなアクシデントがあり得るのか?と思える事件です)
2009年
三度目のアンカー勝負。先頭集団はスウェーデン、ノルウェー、チェコ、フランス。その後にスイス、ロシア。フランスはもちろんティエリ。ところがまたもや信じられないアクシデント。今度は先頭のスウェーデン、マルティンが太ももに枝を刺す大けがを負いリタイヤ。森の中で流血し動けなくなっているライバルを見たノルウェー、チェコ、フランスはレースを中断し、救護にあたった。結局そのアクシデントに遭遇しなかったスイスが優勝。
フランスは、ノルウェー、チェコとともに救護後にレース再開。正式記録としては25位に。

初戦のロングではフランスの3名が予選ヒートをトップで通過。
いくら地元開催の利といってもトップ通過はそう簡単にできるものでもない。
今後どういった展開になるだろうか。

木曜日, 7月 14, 2011

筋肉痛

ハードなレースが終わった後の筋肉痛はつらい。

つらいけど、なんとなく満足感がある。
「この痛みを絶えれば超回復でもっと強くなれる」という期待感と、「ああ、ここまで辛くなるほど自分はがんばったんだ」という自己満足とが半々。
筋肉痛がほぐれて体がだんだん軽くなるときの感覚もいい。

いや、実は走るのが好きな人は、この筋肉痛が病みつきで走るのじゃないか、と思うこともある。
だから忙しくてトレーニングやレースに不足している時は、筋肉痛を久しく経験してない身体に寂しさ、不安を感じてしまうのである。

因みに筋肉痛の度合いは、ほとんどが下りで決まる。
のぼりや平地は、自分の心肺機能でペースが決まる。だから、相当に追い込んでいるつもりでも、自分の余力以上にはペースはあがらない。でも下りは、重力に任せれば勝手にペースは上がる。だから一番辛いのは疲労を迎えてからの下りである。時として拷問に近いほど辛くなる。

妻と二人でレースに出た後の1週間、朝起きて、夜帰宅して、二人の会話の切り出しはここから始まる。
「どう?」
「いやあ、今回は結構きた、階段の下りはぜんぜんだめ」
「あらあたしは結構大丈夫よ、最後のくだりのがんばりが足りなかったかしら?」

北丹沢のあとの筋肉痛は今年一番だった。いや、今年どころかここ数年でもナンバー1だった。多分に、最後の下りを迎える直前に疲労が極限に達してしまい、標高差800mの下りをほとんど拷問のように筋肉が悲鳴を上げながら下ったからだろう。もっと早く疲れてしまえばペースが落ちてそこまでひどくならないだろうし、最後まで筋力が持ってもそんなことにはならない。絶妙なところで力を使い切ってしまったのだ。

反対に比較的バランスのよいペース配分をした妻は、それほどの筋肉痛を感じなかったらしい。それでなんとなく「寂しさ」を感じたらしいから、筋金入りのランナーである。

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普段、居間で寝転んでいると、悪餓鬼どもがすぐに寄ってきて、きゃっきゃと上に乗っって飛んだりはねたり遊びだす。

いつもはうっとおしい子供たちだけど、最近ふと気づいて、レース後はうつぶせに寝転ぶことにした。
すると、子供たちが肩、腰、脚の裏側のあちこちに乗って遊びだす。

これが意外と適度な荷重で気持ちいい。
寝転ぶお父さんの上にのって喜ぶ子供たちと、その下で「うー」と痛気持ちよがるお父さん、という奇妙な風景になる。

金曜日, 6月 24, 2011

ビール

あまり、男臭い嗜好がある方じゃないと思う。

例えば、煙草をふかすとか、高級車を乗り回すとか、ギャンブルで度胸を試すとか、夜の街で火遊びするとか。。。
そういう少し脂っこいことに無縁なのは、多分に男性ホルモンの出が少し足りないのかなあ、と自問することもあるが、その割には以外と身体は毛深いし、艶っぽい噺しも嫌いじゃないので、そう単純なことでもなさそうだ。

唯一自分がちょっと普通一般の男と思える嗜好はお酒だろう。
ただ、焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキーなど粋なアルコールはあまり嗜まない。嫌いじゃないが酔っぱらって頭が痛くなるのが好きでなくて無意識に口が進まない。好んで飲むのはひたすらビールである。

毎日飲む。「毎日」といっても、あまり練習に熱心でない選手が「毎日トレーニングしてる」というときの「毎日」みたいに週に4,5日を指すではない。
週に7日の本当の毎日、年でいえば多分360日くらいの「毎日」である。

但しほとんどの日が350ml缶ビール1本である。時々調子にのって2本。それ以上家で飲むことは皆無だし、外で飲む宴席も月に1,2度なので、サラリーマンの酒量としては平均より少ないかもしれない。

あまり舌の肥えた性質でもないのだが、ビールは値段の高い方がおいしいというのはわかる。
だから、かつてはモルツのプレミアムとか、エビスとかが好きだった。もともとは、日本に多い下面発酵のピルスナー系よりも、上面発酵で臭味のある、イギリスやベルギーのちょっとこ洒落たエールビールなんかの方が好きだったのだ。そういえば昔は、新宿渋谷あたりの、珍しいビールを出すパブに行ったものである。
だから、対極的な発泡酒はどうしても好きになれなかった。炭酸水を飲んでいるみたいでさっぱり風味がない。
たいした給料をとってるわけでもないのに、妻が発泡酒を買っくると、少し不機嫌になったもんである。

ところが、ある時期か嗜好がかわり、今は発泡酒どころか第三のビールしか飲まなくなった。

数年前、どうしてもレース前に体重を落としたい時に、自分の食生活をいろいろ考えた時があった。その結果ビールが主犯格の一人として浮上した。空き缶に小さく記載されてるカロリーを見ると、100mL あたり約40kcalと、なるほど馬鹿にならない量である。
これを削りたいがためにダイエットビールを飲み始めた。だいたい糖分をカットした上にアルコール分を3,4%に抑えているので、カロリーは半分程度以下になる。350mlにすれば60~70kcalのカット。毎日だから月に2000~2500kcalと思えば体重300g程度に相当する。ばかにならない。

はじめは水を飲んでいるように味気なかった。炭酸の爽快さとアルコールのほろ酔い気分は味わえるのだから、我慢我慢、まいいか、と。

ところが慣れというのは恐ろしい。だんだんその味に慣れてくる。いや慣れただけではなく、いつのまにかその方が舌に合うようになってしまった。
今や、ときどき実家なんかでもらってきたビールを飲むと、妙に味が濃くてさわやかに感じない。特に夏場のトレーニング後なんてはるかにダイエットビールの方がおいしく感じてしまう。そういう舌になってしまった。

走る人は特にビール好きが多い。これは確実に言えると思う。若いころはビールを飲むことに少し後ろめたさを感じたけれど、ある時期、有名なマラソン選手もビールを良く飲むということを知ってからあまり気にしなくなった。二日酔いなどで生活やトレーニングに支障がない限り、科学的にもアルコールを日常的に摂取する習慣がパフォーマンスの低下を招くという証拠はないという認識が一般的だ。

だから良く走り、良く食べ、良く飲み、良く寝る、が脂っぽさにかけるササミ系男子の王道である。

水曜日, 6月 01, 2011

出張

僕は出張があまり得意でない。

会社の多忙な先輩の中には、月曜日から日本のあちこちの出張を梯子して金曜日あたりに戻ってくる人もいる。「どうせ行くなら一通り用を済ました方が効率的」とのことだが、僕はそういう出張が苦手だ。漠然と不安を覚えてそういう予定を組めないのだ。途中どうしても会社に戻る日を作りたくなる。

何でかよくよく考えてみると、自分の仕事の計画性の弱さが一番の課題なのに気づく。
その週出張で出ずっぱりになるということは、少なくともその前に当面社内の仕事を仕上げておくか、外から指示すればよい状態にしておかねばならない。それが1,2日ならなんとかなるけど、3,4日先までの仕事を予測して片付けておくことができない。
もうひとつは、出張の準備が出来ない。せいぜい目前の訪問先の準備に追われて、はしごの後半に必要な書類まできめ細かに考えが及ばないのだ。

だから出張は一つの目的のために準備して行く、帰って次の準備をしてから行く、を繰り返す方が良い。
せいぜいがんばって2つまとめる程度。

そんなやり方でも何とか今まで勤めてきた。それ程出張が多くない職種だったせいもある。
ただ4月から、そうは言ってられなくなった。仕事がかわり、たくさんの打ち合わせをこなす必要に迫られるようになった。
大阪、兵庫、京都、北海道、九州・・・・、スケジュール帳に次々埋まる予定で間がなくなって行く。
新幹線や飛行機の長い移動が増えるのも意外と苦痛。
本を読んでうつらうつら寝ることが以前は多かったが、さすがに合わせると結構な時間になるのでもったいない。世のデキる風ビジネスマンを見習って、N700系の中でノートPCに向かうようになった。

もうひとつ難題がある。入社して15年、「なんで1泊なのにそんな荷物が多いの?」と言われ続けても、めげずにシューズとウエアを出張鞄に入れ続けてきた。
でも最近出張のはしごをすると、移動時間や付き合いの宴席が増え、朝晩の自由な時間がなくなってきた。
必然的に平日身体を動かす時間が短くなってくる。
それでも「鞄から靴が消えた日が己に負けた時」と勝手に決めて、意地でも膨らんだ鞄を持ち続けている。

火曜日, 5月 24, 2011

ある朝

6時、まず妻がごそごそ起きる。洗濯機を回してから、また寝床に戻ってくる。6時半前、僕が起きる。ノートパソコンを立ち上げて、ぱちぱちとメールの返事を打つ。6時半過ぎ、妻がもう一度起きる。朝ごはんの支度をはじめる。

7時前、僕は最後のメール送信ボタンをおして、あわてて外に出てジョギングに行く。ああ今日も25分しか走れない。。。。7時半さっとシャワーを浴びて食卓のパンを口に放り込む。

まだ2匹は寝床ですやすや。「もう起こして」 布団にしがみつく二人をひっぱがしてもすぐ団子虫みたいに畳の上で丸くなる。ああ、誰に似たか寝ぼ助の二人。しかなたくテレビのアニメ番組をつけて目が覚めるのをまってから着替えさせる。

時計はもう8時前。いかんいかん、あわててヨーグルトをかきこみ、髭を剃って着替えて鞄をとる。「携帯もった?ハンカチもった?」 ああもったよ。「ケイタイモッタ?ハンカチモッタ?」「ケタモッタ?ハッチモタ?」4歳と2歳の幼い声が繰り返す。ああ君たちは「おとーさん、いってらっしゃい」の意味だと思ってるのね。

「おとーさん会社で今日もがんばるよ、ももちゃんも幼稚園がんばれ!」玄関の戸をあけて飛び出す。自転車にまたがって、おっとっと、IDカード忘れた。。。。あわてて部屋に戻る。あー今日も定時ぎりぎりだ。

木曜日, 5月 05, 2011

北欧の森

今日富士から戻った。

全日本直後に合宿で森を走るなんて、20年以上オリエンテーリングをしていてはじめてのこと。だいたいいつも全日本後はオリエンテーリングに飽食気味で、しばらく森は遠慮したくなるのだけど、今年は全日本後にむしろ森を走りたくなったのだから、少しお腹が空いていたに違いない。

実は、GWの富士の森には特別な匂いがある。
標高700~800mの富士山麓ではちょうどこの季節に新緑を迎える。なだらかな針葉樹林は柔らかい緑の絨毯に覆われ、乾いた空気に包まれてスカンジナヴィアの森の匂いを放つ。
この空気を吸いにくるだけでも森に入る価値がある。
でも残念ながらもう1月もすると、藪は濃くなり、湿度にじめじめしたいかにも日本的な蒸れた森の匂いに変貌してしまう。だからGWを見逃してはいけない。

WOCを目指す選手の合宿だからある意味あたりまえだけど、数えてみたら全日本M21E上位11人のうち8人が顔をそろていた。ずいぶんと豪華な合宿だったのだけど、選手にしてみれば気を抜く暇もなく翌週に選考会を控えているのだから、コンディション維持と、最後のナビゲーションのブラッシュアップに余念がないも当然だろう。

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この1年、振り返ってみると本当にオリエンテーリングをしてなかった。
と、そのことを強調すると、何やら負け惜しみか嫌味に聞こえてしまうかもしれない。けれど、自分としてはオリエンテーリングとどう付き合っていくか、迷いながら迎えた全日本だった点を踏まえて、結果を受け入れなければなるまいと思っている。


昨年のASOCのミドルで勝った時、瞬間感じた達成感がなぜか急にふわふわ宙に浮いたような感じがして、心の底から充実した気分がわいてこなかった。何だろう?この今までに感じたことのない、心のスカスカした感じは?
自分でもその時はよくわからなかったけど、とにかくレース後、オリエンテーリングに対するモチベーションが戻らなかった。遠征する選手のサポートには夢中だったけど、自分自身の脚は森に向かない。今までになく重症だった。
そのまま夏、秋とすぎて、結局1年がすぎた。

今思ってみると、2008年のチェコが、自他共に認める競技者としての最後の挑戦だったのだろう。2010年のASOCは、仮に優勝したとしてもそれは惰性でしかなかったのだ。
惰性という表現はASOCに失礼かもしれないが、でもその認識を自分も周りの人も感じていることは、優勝後、多くの人の反応や言葉の端々を通じて自ら敏感に感じ取っていた。


結局惰性の - つまり競技力の向上ではなく現状維持で闘っていく - 局面に入った自分にとって、そしてそのことを自覚してしまった自分にとって、トレーニングに見合う動機付けは得られなくなってしまったのだろう。動機付けのないオリエンテーリングはこの上なく辛い。登りはきついし、藪は痛いし、足首もがくがくになだけである。

結局ASOCからのこの1年、レースらしいレースは1本のリレーのみだった。ただ、トレイルやロードは良く走ったし、オリエンテーリングも強化合宿のスタッフとして森に入る機会はなどかあった。

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震災の影響で延期された全日本。

3月から4月の初旬の混沌とした状態の中、自分の競技に集中できるような状態じゃなかった。このブログでも何度か触れたけど、世間の自粛ムードに合わせるわけでもなく、走ることができなかった。しかもこの1年の自分の準備を考えると、全日本をまともに走れるような気がしないのも当然だろう。
だから、一度は出走をあきらめた。さすがにこれで走ってもつらいだけだろう。。。。

気が変わって、やっぱり走ろうと思ったのは、4月10日のNTトレに参加した後である。思えばその週末は本当は東北方面へ出張の予定だった。直前に工事の段取りの都合で延期されたのが今思えば幸いした。

13kmのコースを選手と一緒に走った。今年2回目のテレインだったけど、ナビゲーションも不整地の走りも、悲観するほどじゃなかった。少なくとも一つのレースを創るだけのパーツはそろってる、そう感じた。
よしそれなら残り3週間でできることをしてみようかと。

とはいっても現実はなかなか厳しい。3週間といっても、社会人に残された週末はあと4日である。


翌周はNTの合宿には家族の事情で参加できない。そのかわり17日に早朝から高尾神馬往復28kmを走る。2時間38分はここ数年でも速いタイムだ。ただ全体的に登りのタイムが遅いのが気にかかる。体重がベスト+2kg程度の状態が続いているのでそれが影響していたのだろう。登りは速く走れない。そのこと自身は致命的じゃない、それで焦らないことが重要だ。

前の末の金曜日、合宿の挨拶をかねて単独で富士に行った。
地図を持って走る機会をもう一度欲しかったので、ついで選考会のコースを試走。
ただこれはいただけなかった。中途半端なペースで走ったのが悪いのか左足を捻挫し、技術的な練習にはまったくならなかった。自重したペースでゆっくり回るだけにした。
日曜日は再び南高尾のトレイル一周。左足の様子を見ながらややペースを落とし19km2時間程度。
前の週の平日。前半は東北方面への出張、トレーニングができないのは想定済み。早朝の仙台で30分のジョグが限界。その後帰京し、木曜日に10km40分のペース走+20kmのバイク。金曜日、土曜日はそれぞれ20~40分のジョグをゆっくり2回/日で疲労回復。

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当日。生憎の雨予報。会場でウォームアップできる時間は限られているので、早朝に25分のジョグで身体はほぐしておいた。予報通り会場に着くころには雨が降りはじめた。幸い託児スペースが用意されていたので、会場で直行。案の定いつもの子持オリエンティアが集まり、直に狭い部屋はにぎやかになった。スタートの早い妻を見送った後、準備ちょこちょこ、子守ちょこちょこでスタート時間を待つ。
スタート15分前。妻はまだ戻ってなかったが、山口家のお母さんは快く引き受けてくれた。子供の応援をうけてスタートに向かう。

レースはいつもの通りだった。大きなミスはない、一番大きな14番で推定45秒程度。ただ15~30秒のミスが少し多い印象がある。それと全体的に心拍は上がりきらない。登りでも175を超えることはほとんどなかった。同じ主観強度でもいつもより3~4低い。その分若干身体のキレに鈍さを感じた。
そして後半、80分過ぎくらいから空腹を感じた。ビジュアルには、その存在を知らず直前にあわてて用意した半分程度のジェルが置いてあったので、それを補給したが物足りなさを感じた。おまけに水が用意されているものと勘違いし、給水もできなかった。その影響かわからないが後半ペースの鈍化を感じた。実際ここでほぼ同タイムの2位の柳下君とは3分半タイムを離された。

結局1時間50分でゴール。4位

巡航スピード105、ミス率6.2%
この日の感覚とよく一致する。レースの完成度は、それを武器にするほどには高くなく、巡航スピードはいつも以上に足をひっぱった。ウェイトコントロールの影響は無視できまい。
ただ、この1年間の自分のオリエンテーリングの取り組みを考えたら、もちろんよくやった結果だと思うし、これ以上の成績をもとめたら、それはもっと情熱を注いで準備している人に対して失礼だ。
ただ、その失礼を承知で、自分がこの日勝つためのレースを模索するとしたら、巡航スピード102、ミス率4%だろうか。そのレースを一つの目標として次に準備する、そんなのもいい。
急に次の全日本の開催地が知りたくなった。広島らしい。
97年から14年ぶりになる。

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モチベーションを取り戻せるだろうか?

富士の魅力的な森の匂いや、情熱的な選手と一緒に走る貴重な体験が、競技向上を目指すことの幸福感を思い起こさせてくれたのは確かだ。
でも、1年間365日を通じた動機付けまで戻してくれるだろうか。それほどの魔力があるようには残念ながら思えなかった。

しばらく、また模索するしかあるまい。

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この日の勝者は小林だった。彼の勝利は心から祝福したい。現役大学4年生の全日本優勝。しかも史上まれに見るタフな14kmのコースで雨の中のコンディション。1年前に誰がこの結果を想像したろう?でもここ最近トレーニングをともにした人なら、今回の結果にそれほど驚かないのではないか。すでに彼は強化選手の中でも十分エース格だったのだから。

このステップまで来た選手は自分を含めて何人もいる。もうひとつステップを進めた選手が1人だけいる。でもその先まで進んだ人はだれもいない。問題はこの先どう進むかである。
22歳の小林は若いが光陰矢のごとし。緩めることなく進んでほしい。


37、29、31、22
これ、なんだろうか?
ここ4年の全日本チャンピオンの年齢である。
サッカーや陸上よりも、ゴルフや野球に似てなくもない。
トップレベルの技術を持つことに成功したら、フィジカル面は緩く広いプラトーの上にいる限り年齢は関係ない。それがオリエンテーリングである。

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最後に。
震災による延期などいろいろな障害を越えて全日本の開催に尽力されたスタッフの皆様に、本当に感謝します。最高精度の地図と良質のテレイン、練られたコースで14kmのコースを走ることができる幸せを感じました。また全日本会場として、合宿の宿泊所として施設を提供して頂いた岩倉学園の皆様にも大変感謝!です。

土曜日, 4月 16, 2011

遅咲きの桜

今年の桜は、まるで震災で心痛める人々の前で遠慮していたかのように、随分ゆっくりと満開を迎えた。

それでもやっぱり桜が咲くと気分が少し明るくなる。そして気がつくと計画停電もなくなり、プロ野球も開幕した。
もちろん原発の状態は依然として予断を許さないし、いまだ行方不明のままの方が1万人以上いる。被災地の復興はまだスタートラインにたったばかりであるけれど、関東の生活はほとんど正常に戻っている。

震災後、我らがオリエンテーリングのWOCやJWOC強化、選考の日程は一旦白紙となり、全日本も中止された。
その後、選手強化の予定調整に随分と奔走した。
日に日に変わる世間状況を見ながら、メールが飛び交い、どうするか毎日悩んだ。

ようやく、ここ1、2週間で全日本の5月開催も決定され、選考会の開催目途もついて、もともとの強化路線に戻ることで落ち着いてきた。気が付いてみればちょうど1月分遅れてのスタートとなったわけである。

まだまだ厳しい状況にある東北地方の方々には申し訳ない気持にもなるが、われわれはそろそろ軌道にもどなねばなるまい。過度の自粛はこの国全体の活力を落としてしまう。WOC,JWOC遠征もささやかながら、この国の活力を生むことに貢献しているはずだ。だから選手の派遣はとても大切なことだと信じている。

夏のJWOCまで約2月半、WOCまでは4か月、地震でトレーニングに集中できなかった選手も、残りの期間しっかりと準備してほしい。

木曜日, 3月 31, 2011

今日の読売一面

「今日の一面見た?」
朝刊に目を通して妻に問いかける。
「みたわ。。。。ああ、切なくて」

「ママ、お元気ですか?」
手紙を書いてうとうと眠る4歳の女の子。
未だに母と妹が津波後行方不明。
もちろん断定はできない。でも現実その可能性がどれだけあるのだろうか。
自分の同い年の娘と重ね合わせしまう。映画やドラマじゃない、被災地であちこち見られる現実の一端。

もう出勤の時間。
見送る妻の目が少し赤い。
自分もまたポロポロこぼした涙をぬぐって玄関を抜け、自転車にまたがって出勤。

月曜日, 3月 28, 2011

2週間すぎて

「てぃりん てぃりん キンキュウジシンソクホウデス ツヨイユレニケイカイシテクダサイ!」
4歳の娘がきゃっきゃと叫ぶ
「オウチ、ワサワサ、コワイコワイ」
半分笑って答える2歳の息子

つい1週間前までは緊急地震速報の音を聞くなり震えあがっていた娘。本気でPTSDではないかと妻と心配していたのだが、どうやら随分と慣れてしまったらしい。
大人にはやや不謹慎な遊びにも思えるが、4歳と2歳の子供にいってもしょうがあるまい。

牛乳や水が手に入りにくい以外は、23区に住む我が家の生活はほぼ通常に戻った。会社も期末につきものの雑多な仕事の他、震災復興に関わる緊急の仕事が舞い込んで日に日に残業が多くなる。いつもとかわらない毎日のリズムに戻ってきた。しいて言えば週末の予定がみなキャンセルされ、少しばかり単調な週末が続くことくらいだろうか。

それでも、毎日寝る前に目を通す社会面の記事に、ついついぽろぽろ涙をこぼしてしまう。ああ、同じ日本でこれだけ尊い命を落とした人、今現在も悲痛な思いに駆られている人がいるのかと。それなのに自分はこんな風に、子供がすやすや寝た隣の部屋で風呂あがりのビールを飲んでいてよいのだろうかと。

春の選抜の選手宣誓が感動的、と話題になっていたので、自分もYoutubeでみた。つい繰り返し見てしまった。やっぱりぽろぽろ涙が出た。
高校球児なんて汗臭くてむさ苦しいだけと思ってたのに。丸坊主の高校生が妙に美しく見えた。つい若さがうらやましくなった。

震災はとても辛く悲しい経験である。でも多感な時期にこうした経験をした今の若い世代にとって、きっとこの経験は将来の人間形成に役立つにちがいない。僕らの世代みたいに、何の苦労もなく平和ボケして大人になった世代よりも、もっと地に脚がついた旧来の日本人らしい大人になるんじゃないか、拝金主義なんかじゃなくて、医者や自衛官、消防隊員など人の命を守る職業がもっともっとカッコよくて、尊敬される社会がきてもいい、丸坊主の宣誓を聞きながらぼんやりと思った。

「生かされた幸福な自分たち」は、今の毎日を精いっぱい生きるしかあるまい。今自分にできること。一つは、会社の仕事を通じて被災地の上下水道インフラの復興に精いっぱい協力すること、もうひとつは困難な中でも世界にチャレンジしたい若者のためにWOC,JWOC選手団のあり方を模索することである。

土曜日, 3月 19, 2011

ナイターを中止すると節電になるか?

地震から1週以上がたって、まだまだ混乱は続くけれど、今のリズムの生活にも慣れてきて、今後のいろいろなことを考えられるようになった。
そんなついでに、報道を見ていてちょっと疑問に思ったたわいもないこと。

セリーグが予定通り開幕することに、いろいろと非難があり、結局開幕の延期と、ナイターをやめたり照明を落としたりして実施するらしい。
僕も感覚的には、あと1週間での開幕には違和感を覚えたし、まだ被災地の悲しみも、世の混乱も収まってない今は正しい判断だと思う。

その判断とは全く別の話だが、その中で、「ナイターをすると5千世帯分の電力量」がかかると表現され、節電が叫ばれる中の実施の批判につながっていた。

この数値が正しいとして、では本当にナイターをやめると節電になるのか?という疑問がちょっと湧いた。

全く別の話だけど、会社では最近、多数の人が集まる会議の際、事前にメールでPDFの資料が送られ、「各自プリントアウトして持参ください」と断りが付け加えられてるケースがある。これをする人に聞くと「資料をコピーして準備する時間が省けるし、(準備した部門の)固定費も節減できるから」と答えがきた。
なんとなく、あれ?と思う。
確かに準備する人の手間は省けるしその部門の固定費は減るけど、それは会議に出る(例えば10人)人それぞれが費やす5分の手間と、細切れの固定費に分散されて、会社の管理上見えにくく薄まっただけじゃないの?と。そしてコピーの手間を考えればまとめて1人がやった方が効率よいことは間違いない。

なんとなく同じことがナイターの電気節減にもあるように思う。満員のナイター、例えば3万人の試合を中止したら、その人達はどうするのだろう?しかたなく家にいて、電気つけて、ストーブ付けてテレビ見るか、ゲームするかもしれない。その電気使用量は各家庭の微増に薄まってしまうけど、それを足してナイターの5千世帯分の電気量よりも少ない、と確実にいえるだろうか??

個人的な感覚としては、やっぱりナイターの方が多分電気は使うと思う。でも「ナイターを実施することは5千世帯分の電気の浪費をすること」と考えてしまうようないいかたは、なんとなく批判する側のトリックのように思えてならない。

火曜日, 3月 15, 2011

地震に思うこと

先週の金曜日以前とそれ以降では、なにもかもが変わってしまった。
毎日テレビで見る映像には、言い表す言葉が思い当たらない。自分の親族や近い知り合いには被災した方はいなかった。でもそれを幸いというべきなのか、自分に近い人が被災してなかったからよかったなんてとても言えない。一命をとりとめても家族との再会が果たせず涙するたくさんの人々を見て感じた。

福島原発の状態も心配だし、東京の計画停電にも随分と混乱した。今までの人生でこんなに世の中が混乱して恐怖におびえているのに遭遇したことがない。
この先どうなるのか、と不安にもなる。その分世の中は、特に東京電力への風当たりが強い。でも、組織は批判しても人は批判しまい。東電の技術者も懸命に対応しているだろう。特に原発で最前線で作業している人たちは、それこそ命も顧みずに作業にあたってるのだ。その数十名の活躍に運命は委ねられている。そう思うと応援せずにはいられない。
むしろ一企業の危機管理体制に国民の運命を委ねてしまうのは国としての危機管理の問題だし、その国は僕らが支えているのだから、誰を批判しようとも、結局これが今の日本の現実なのだろうと思う。だから今は批判しあうよりも、現実を直視してたたえ合って励ましあうことの方が大切なんだと思う。

心がそれほど強くない僕は、身体にも影響が出てここ数日走れなくなった。脚に力が入らない。こういうのは軽いPTSDなのだろうか。思い返せば10年前のNYテロ映像を見た直後も同じような経験をした。僕でさえそうなのだから、地震や津波の直接被害にあわれた方々のショックは計り知れない。

海外のメディアに、混乱時の日本人のマナーの良さ、資質の良さをたたえる報道があると聞いて少しうれしく思った。ビジネスの世界では、あまり合理的でなく閉鎖的とも言われる日本人気質だけど、これだけの繁栄を生み出した国民気質は素晴らしい力を秘めてるのだと思う。危機を脱した後の復興はきっと素晴らしいものになるに違いない。

がんばれ!ニッポン!

金曜日, 3月 11, 2011

いつもの季節

街にマスク姿で目がうるうるしている人が増える。上着を着ると汗ばむ陽気の日がちょこちょこで始める。近くの公園の丘にある枯れ木の桜の間にはロープが張られ、ゴミ置き場も作られた。「***さんがくるらしいよ...」噂に一番早い女の子が来期の人事を教えてくれる。。。。

さあて、春の訪れとともにやってくるあの日。今年もあと10日を切った。

今年の目標は?

数値目標はなし。
あげられるほどにバランスの良い準備ができなかったから。
とはいっても2005年度の最低順位9位はクリアしたい。
走ってのお楽しみ。
イメージゴールはもう一度森を真剣に走りたいと思えるレースをすること。

土曜日, 3月 05, 2011

1年がかり

金曜日の朝、起きてすぐ日本技術士会のHPで結果を確認。少しどきどきしてPDFのページ無事をめくったところ、見慣れた番号が目にとまった。。。。
無事、総合技術監理に合格しました。

筆記を受けた時は、微妙かなと思ったのだけど、ここは幸い通過して、その後の論文、面接もなんとかクリア。
面接では、とくに答えにつまったり険悪になったりしなかったのだけど、逆に質問に答えてもなんとなく手ごたえを感じなかったので、結果を見るまで不安でした。

それにしても技術士は、4月に申し込みに始まって、8月に筆記試験で11月に論文提出、1月に面接、3月に合否発表とまるまる1年かかる。なんでこんなにかかるのかわからないけど終わると、やれやれという感じ。
これで当面は資格試験からは解放されるかな。



火曜日, 3月 01, 2011

東京マラソン-その2

「東京がひとつになる日」
どこかがこそばゆいような、フレーズ。

3万人が参加?応援する人は100万とも200万とも?確かにすごい人数だね。でも、東京の人口は1000万人以上だよ。「ひとつになる」は少し押しつけがましくない?
ずっと誇り高きマイナーを生き続けてきた自分にとって、誰もが認めるメジャーにはなんとなくヘソを曲げたくなる。だから東京マラソンというイベントの異様な盛り上がりはどこかしら距離をおいていた。

そんな自分も妻につられてここのところ応募だけはしてきた。昨年妻があたった。喜んで参加した妻は、感動しながら帰ってきた。あんな雨の中の悪コンディションだったのに。どちらかといえば辛口の方なのに、手放しで絶賛した。そんなに東京の真ん中を走るのは気持ちいいのかな?少し想像してみて、確かにそんなものかもしれない、と思うようになった。

今年は僕があたった。メジャーの神様がまあいいから一度出てみなさい、といってるようだった。
それなら一つ気合を入れて望んでみるか。ちょうど冬場のトレーニングのモチベーション持続に長い距離のレースを走ろうと思ってたのだ。すでに申し込んでいた2月の鎌倉アルプス42kmのトレランをキャンセルして、東京マラソンに冬場の目標を合わせることにした。

11月下旬から2月下旬までの3カ月、ここ数年では良く準備した方だろう。3カ月で1150kmくらい、12月から1月にかけての1カ月で500km走った。駒澤20周43km(あの川内さんと同じ練習!)が3回、15-25kmのペース走4回、30km以上のトレラン持久走も4回やった。体調を崩したり、思うように走れない時期も少しあったけど、今の生活では90点以上の準備だろう。この準備したことが大切、東京マラソンを走ることはおまけみたいなもの、と直前まで可愛くない態度を自分の中でとってた。

前々日の木曜日、受付をするために19時過ぎにあわてて会社を出、天王洲アイル経由で東京ビッグサイトに行った。受付を済ませたらさっさと帰ろうと思ってたら、マラソンEXPOが想像以上に立派で驚いた。ついつい、あちこちの展示を見ているうちに、なんだかだんだん緊張してきた。

さて、当日、結局僕は東京マラソンの魅力の下に跪くことになる。
「ああ、これが皆が狂乱する東京マラソンなんだ」と今さらながら納得した。

僕にとって象徴的な場面は2つあった。
1つは都庁前のスタート直前。青空にスカイスクレパー如く都庁が聳える。コーラス隊のアカペラで君が代斉唱。歌声ははるか高い空に抜けていく。その瞬間厳かな空気につつまれた。なぜか宗教的な静寂を僕は感じた。
直後の号砲と紙吹雪に入り乱れて走るランナー。その静寂から混沌へのコントラストがすごい。VIPが座る仮設のスタンドからの眺めはさぞかし壮大だろう、とちょこちょこ前の人につかえて走りながら思った。

もうひとつは銀座4丁目の交差点。レース中盤の21km付近、レース開始直後の混沌とは違い、自分のリズムを掴んで淡々と走るころ。そしてランナーもまばらになって閑散としたレーンと、大勢の観客に溢れる沿道のコントラストが強くなってくる。三越銀座店が見える交差点付近はそのコントラストが一番印象的だった。曲がった瞬間に思わず360度廻りを見渡して、ため息がでた。沿道の声援がすべて自分に向けられているような気がしてきて、「ああ、これが箱根のランナーが時々口にする至福の瞬間なのかな」と感じた。

35kmまでは多かれ少なかれ、そんな東京マラソン特有の雰囲気に包まれてる。ところが35kmを過ぎると突然レースの雰囲気ががらりと変わる。コースは起伏が出てきて観客は急に減る。周りも臨海地区特有の無機質な風景になる。ここからが踏ん張りどころ、普通のマラソン的なストイックな7kmとなる。

どんなに良いコースのマラソンでも、いつまでも続いてほしいとは思わない。35kmからは1kmがとても長く感じ、脚どりはどんどん重くなった。最後のコーナーを曲がるとテレビで見慣れた風景のゴールレーンにようやくたどりついた。

2時間48分14秒
35kmまではずっと3分50秒/km代でほぼ貫いたが、最後の7kmで4分~4分30秒近くまで失速した。でもそれはマラソンなら多かれ少なかれしょうがないか。その他32km付近でトイレ休憩を1分ほどとったロスはあった。でも品川で応援してくれた家族にもほぼ予告通りのタイムで通過できたし、そう思うとまずまず実力通りだったのだろう。
正直な気持ちは少し悔しい。きちんと準備すれば、30分台は厳しいけれど42,3分はいけると秋の時点では思ってた。だけど、事前準備も合格点、レース運びも合格点なら今の自分の実力はこんなものなのだと納得するしかない。

月曜日、出社するとまず上司に「どうだった?」と聞かれた。それが皮切りに、昼休み、コピーコーナー、打ち合わせの前後、電話の切り際、メール、数え切れないほどの会社の人に結果を聞かれた。そしてタイムをいえばお決まりのように「いやあすごい」とほめてくれる。ゴールシーンをネットで見てくれた人もいた。
今まで幾度となくレースに出てるけど‐自分にとってもっともっと誇り高きレースもあったけど‐、週明けにこれほど会社で反響のあったレースははじめてだった。
ああ、これが東京マラソンなんだ、と思った。メジャーの偉大さに敬服する。

もうひとつあとになって気づいたことがある。冒頭のキャッチフレーズがまんざらうそじゃない、そう感じさせるもうひとつの理由だ。ボランティアスタッフの笑顔である。これだけの多人数をさばいているのに、どこのスタッフも笑顔だった。出走している人に対して基本的に暖かい。大規模イベントにありがちな人をコントロールする対象とみなすような冷たさ、そういうのは一切感じなかった。正直見事な運営と思う。

もう一度出たいか?と聞かれたら、直観的には間違いなく「イエス」である。
出たことない人には一度出てみることをお勧めする。

でも、この感覚、ファーストインプレッションのなせる新鮮さにも感じる。はたしてもう一度走ったら、銀座4丁目であの不思議な体験をできるだろうか?

初めてだからこそ感じる一度きりの初心な体験なのではないか、とも感じる次第である。





月曜日, 2月 07, 2011

週末の出来事

久しぶりにオリエンテーリングのことを書く。
先週末最大のニュースは、インカレロング(再競技)の結果

いや、結果速報を土曜日の夕方に見た時には驚いた。
ご存じの方が多いと思うが、秋に開催されたインカレロング競技の選手権クラスが競技不成立になったのを受け、再競技を行ったものである。
① 男女ともOLK(同じチームの大学)が優勝
② 男子の入賞6名中、5人が東大
③ 男子上位3名は僅差の好記録。中でも2位の結城は2年生で2位の快挙

①は昨年に続いてなので、それ程驚かないが、僕の記憶の限り②は前代未聞、③も山口大助が2年生の時から実に15年ぶりだと思う。
試験、卒論と学生にとって忙しい時期の開催、コントロールできていないテレインでの開催など、いろいろな要素があるにしろ、今のOLKの総合力を示しているだろう。母校の手前みそになるが客観的に見た事実である。
いや少し穿った見方をすれば、上位寡占はむしろ全体の競技レベルの低下を示唆している、との見方ができなくもない。
でもこれはどうやら間違いのようだ。むしろ上位3名が学生のレベルを超えていると考えた方がよさそうだ。それは翌日の関東リレーで、あり得ないと言われた、現役学生チームがOBチームに勝つ歴史的勝利で証明された。

すっかり引き立て役のOBチームの一員として惨敗したのは、けっこう悔しい。でも、ようやくオリエンテーリングの選手層が少し理想像に近づいてきた。学生時代からトップレベルに達する選手が何故今年生まれたか?その理由が知りたい。単なる偶然?小林のWOC代表入りが影響している?何故だろう?その理由を知ることが一番大切なように感じる。

春のインカレも楽しみにしたい。

さて、学生に打ち負かされた上にさっぱりのレース。全日本には復帰しようと考えていた自分の甘さが身にしみた。例え凡ミスがなくても47分がせいぜいいいところだ。到底小林のペースについていける気はしなかった。さすがに山を走るスキルは相当落ちている。
あと1月半、目標設定と予定に思い悩む。
少し考え直さなければなるまい。

閑話休題
この日の鹿島田家の3大ニュース
①おとうさん、土曜日の社内駅伝は優勝するものの、日曜日は惨敗。。。
②おかあさん、品川区民10kmロードレースで42分57秒の自己新記録で1位!
③ももちゃん、新しいスウィートプリキュアが放送開始!

「・・・もう一回一通りそろえるのかい?」
「幼稚園では年長さんもおおはやりよ。だから少なくともあと2回」


月曜日, 1月 31, 2011

ようやくひと段落

せっかく12月の年末合宿で富士の森を走ったのに、結局また1月に森を走ることができなかった。

O-newsやorienteering.com、その他の場所で情報をとる回数もめっきり減ってしまった。
それでもオリエンテーリングに関わることばかりの毎日。
最近すっかりオリエンテーリングが趣味ではなく仕事、いや正確にいうなら「仕事以内の仕事」になってしまった。
移動や、通勤の途中、あちこちのコーヒー屋のフレッツスポットにお世話になって、ちょこちょこと、SOHOならぬMOSO(mobile office short office)である。

ちなみに、ソフトバンクのmobilepointを使っていた時は、マクドナルドのコーヒーにずいぶんとお世話になったけど、フレッツスポットに変えてからは、スタバやモスなど、少しこじゃれた店が多くなって、コーヒーの単価があがった。でも遅めの夜の時間にあまりお行儀のよくない中高生に交じってパソコンと叩くよりも、スタバあたりの落ち着いた雰囲気の方が仕事もはかどる。

仕上げなければいけない書類が山ずみの状態。それでも1月はよく走った。いや、だからこそ良く走った?仕事をこなすメンタルコンディションと、トレーニングコンディションは生活の両輪。どちらかが欠けてもうまく回らなくなる。

今週末はひさしぶりのオリエンテーリング。レースは実にアジア選手権ぶり。しかもリレーなので適度な緊張感。フィジカルコンディションは上向いているので、週末が楽しみ!

水曜日, 1月 12, 2011

豪州の洪水

豪州のクイーンズランド州で大規模の洪水災害が発生している。

昨日実父から連絡があり、実兄の留学先ブリスベンも災害宣言され、兄一家も自宅を離れ避難をしているとの連絡があった。

豪州は数年前から旱魃被害が深刻で、水不足の解消が国家存続の課題とされ、海水淡水化や下水再利用などのインフラ整備が急ピッチで進められた経緯がある。
今でも西部や南部では水不足は変わらないらしいが、比較的湿潤な北東沿岸部では逆に洪水被害が出ている。

温暖化の影響として、世界的な降雨の偏在を一部の学者が予測していたが、それを象徴する出来事だ。

兄一家は無事とのことで一安心だが、小さな甥、姪もいるので、自宅を離れた生活は大変に違いない。
一刻も早く元通りの生活に戻れるようになることを願う。

日曜日, 1月 09, 2011

猫ひろし

猫ひろしが速いらしい。

明日が谷川真理ハーフという晩に、妻がテレビの情報番組で仕入れた話題を口にした。
芸能ネタはからきしダメな僕でも、走る芸人の話に少し興味をもった。
毎年、足の速い芸人として谷川真理ハーフに参加しているのは知っていた。確か記憶が正しければ、1、2年前に1時間20分台で走っており、それなりに速いのは知っていた。オリンピックを目指すとか、まあ芸人らしいコメントをしていたのも覚えている。

ただ、妻の話を聞くと、そんな悠長なものではないらしい。数年前に素質を谷川真理に認められてトレーニングをしているうち、かなり本格的になったらしい。オリンピック云々も、マラソン選手がほとんどいない東南アジアの国の国籍をとって参加を目指すと、あながちホラ話ではないらしい。そういう出場のしかたをどう思うかは、まあ色々な考えがあるだろうが、とにかく本人が本気なのは本当らしい。

赤羽の駅からランナーの集団に交じって荒川土手の会場に向かう途中、暇つぶしに、i-phoneに「猫ひろし」と入れてみた。Wikipediaのページがすぐ引っかかる。読んでみて顔が少し蒼くなった。

1時間15分59秒。彼のベスト。マラソンも2時間40分台。
僕の今の実力に限りなく近い。

つい1,2年前まで、とても負ける気のしないレベルだったはず。
少し半信半疑で、スタート前のアップをし、スタートラインに並ぶと、直前になって当人がきてインタビューをうけていた。なるほど風貌も以前より大分絞れた感じがする。インタビュワーもただの芸能人相手の突っ込みでなくて、ランナー相手の少し真面目な質問もしていた。

スタート直後の混沌が1km程度でおさまって周りを見回すと、数秒前の集団に彼の姿があった。少し追いつくのは厳しい距離だ。ペース配分を考えてそのまま距離を保ってしばらく走った。
その後自分のペースがよくわからないまま(余談だが、谷川真理のハーフは良い大会だが、スタートとゴール前後の距離表示が頂けない。最大200mくらいずれているので、レース序盤ペースを確認したくてもさっぱり自分の調子が分からない)、5kmを過ぎ、10kmと進むけれど、進むにつれてじわじわ彼との差はついていく。10mの通過は35:48なのでそれほど悪くない。それでも折り返しで彼と約40秒の差があった。
後半、またペースがよくわからないのだが、どうも落ちていたらしい。彼の姿はとうとうまったく見えなくなった。僕のタイムは76分59秒。会場では猫ひろしが自己新記録で15分台を出したとしきりに放送していた。

スタート前、横の速そうな選手が、「猫ひろしに絶対負けたくない」と息巻いていた。僕も正直同じことを思った。
だけど結局(おそらく僕の隣の彼も)かなわなかった。
芸能人でも素人でも、本気で速くなろうと思えば努力は実るんだなあと感じた。折り返しの時にすれ違った走りと真剣な眼差しはアスリートそのものだった。
風貌の割には若く、まだ30歳代前半だそうである。オリンピック代表は別としてもまだまだ伸びる歳なので是非がんぱって欲しい。

木曜日, 1月 06, 2011

東京マラソン

東京マラソンに当たった。

応募するのはただなので去年から応募している。昨年幸運にも当たって走った妻に言わせれば、東京のど真ん中を走るのは想像以上に気持ち良いらしい。僕が走ったことのあるマラソンは、古くは埼玉、霞ヶ浦、昨年久しぶりに走ったのが勝田である。どれもそれなりに参加者を集める人気のマラソン大会ではあるけれど、42kmのほとんどは田舎道である。途中のどかな景色にずいぶんと退屈するのは否めない。東京マラソンはそういうマラソンとは比べものにならないコース全体のお祭り気分を楽しめるらしい。

だけど、10倍という倍率をきくと、当たらないもんだと思いながら応募する。なので、かえって当たった瞬間は戸惑ってしまう。あわてて日程を確認してしまった。2月27日。幸いオリエンテーリングの全日本までは3週あるので十分休養を取る時間はある。

走るからには、無様なレースはしたくない。12月に入ってからロードを意識したトレーニングに少しシフトすることにした。
休日に妻と契約し、午前と午後ではんぶんこする。朝7時、一番小さいキャメルバッグに500mlの炭酸抜きコーラを入れ、自転車で20分程の駒沢公園に向かう。キャメルバッグを背負って、まだ閑散とした一周約2130mのランニングコースを走りだす。ひたすら回る、回る、回る。。。大分日も上がってきてランナーの数も増えた時分、19周弱で40kmとなる。ペースを落としダウン込みで20周し、かるいストレッチをしたら自転車で家に戻る。12時前には家に着く。妻を見送った後の午後はチビ怪獣たちの見張り番をする。

かなり無味無臭、エンジョイ要素のないトレーニング。でも持久スポーツのトレーニングは多かれ少なかれそういう部分があるだろう。鍛錬期のトレーニングは、疲労との戦いよりも、飽きることとの戦いにも思える。箱根の選手などは、さらに長く、地味なトレーニングを果てしなく積み上げた成果なのだと想像する。

40km走は12月中2回程やったので、残りの1,2月でもう2、3回やろうと思う。ペースをかえて30km走も入れてみようと思う。

目標はどう設定するか。
40kmの練習はだいたい2時間50分前後なので、マラソン3時間のペースである。余力はあるのでつぶれない限り2時間40分台はいけるとは思う。26歳の初マラソンは最後失速しての37分台だった。そのレベルはさすがに厳しいが少しでもそのタイムに近づきたい。

12月は風邪で中盤トレーニングが失速した。目標の400kmにはたらず360km程度。1月は450kmを目標にトレーニングを継続しようと思う。


信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...