月曜日, 5月 26, 2008

EOC2008開幕

EOC(European Orienteering Championship)がラトビアのVentspilsで今日から開幕。26日のスプリントを皮切りに6月1日のリレーまで1週間続く。
EOCは今回第7回目。2000年以降隔年で開催されてるので、数が合わない?と不思議に思うが実は世界選手権の前身として遥か昔、1962年、1964年に開催されているのだ。リージョナル選手権を重視するIOFの方向性にあわせて2000年に復活したことになる。
ワールドカップの一部にもなっているため、もちろん強豪国はWOCに近い力の入れようで選手を派遣してくる。その中で日本からも、加藤、小泉、渡辺、番場の4名が出場。WOCの前哨戦となるEOCでの彼等の走りが注目される。

ラトビアは遥か18年前、旧ソ連時代に、ユニバーシアードが開催され走った経験がある。当時19歳。はじめての国を代表しての遠征だった。自由化前ではあったけど、田園風景は美しく、歴史のあるリガの街や暖かい人々の記憶が強く印象に残っている。そしてバルト三国がむしろ北欧に近い文化をもっていることを感じ、ソ連が一枚岩の国では決してないことを身をもってかじたのである。
実は今回のEOCでも強化委員会の仕事の一部として、エントリーの事務手続きを行なった。先方の事務局はとても親切でかつ手際がよく、いろいろなところで助けられた。きっとしっかり組織された良い大会になるだろう。

そのラトビアを遠征するメンバーが正直なところ、少々うらやましい。
5月のこの時期に、仕事と家族を置いて遠征するほどの覚悟は、さすがに僕にはもうできない。少し淋しい気もするけど、今はいろいろな境遇を乗り越えて遠征を敢行している同志の活躍を祈って日本でネット観戦することとしよう。
まずは今夜のスプリントだ。




火曜日, 5月 20, 2008

Heaven-Sky Bridge

直訳すればそうなる。
とてもロマン溢れる地名だ。

その「天空橋」に会社のオフィスが移転して2週間がたつ。

全てにおいて利便性が高く、モダンなオフィス街と化した品川港南口を後にして遷ったのは羽田空港近くの天空橋。元々会社の工場がある土地に本社ビルを建て、そこにホワイトカラーを集約した。

最寄り駅である「天空橋」からの通勤路は、地平線が見えるかと思うくらい広大な滑走路脇のフェンス沿い。とぼとぼ歩いて釣り人が点々とする澱んだ運河を渡るとたどり着く。

もちろんビルは新築で床も机もぴかぴか、最上階の食堂も眺めがよく快適そのものだが、なんといっても通勤は不便。品川で京急に乗り換えて羽田空港行に乗るとドアツウドアで55分。今までの25分から1日で往復1時間のロスになる。
もちろん、2時間近くかけて通勤している先輩もいる。贅沢はいえないが、通勤片道25分で組み立てた今の生活スタイルは、+1時間の通勤時間では成り立たず、もう一度考え直す必要がある。

地図とにらめっこしながら考えた結果、やはり自転車通勤しかない。
早速試したところ、ままちゃりでも35分程度で会社についた。汗を拭いて顔を洗う時間を入れても電車より速い。そして満員電車でよろよろになるより健康的で精神衛生上もよい。

3日目から自転車通勤に切り替えた。当面はままちゃりだ。それでも30分ちょいなのでなんとかなる。
近いうちにもう少しまともなバイクを買ってヘルメットもつけよう。
幸い後輩に自転車に詳しい面々がたくさんいるので、色々きいてみればいい。
道になれて車の少ない経路を覚えるとどんどん時間は短縮される。1週間後には30分で着くようになった。

さて、今度はトレーニングの観点からとらえる。信号待ちを除けば実走片道25分、往復50分で約16~7kmの距離。ハートレートをつけてみたところ、平均キロ6~7分程度のスロージョグ程度。消費カロリーでは往復で7,8kmのジョグに相当する運動だ。大腿筋やハムスとリングもそれなりに使うので、強度こそ低いが立派なトレーニングである。週4,5日往復するとそれだけで4時間程度のトレーニングになる。
もともとトレーニング時間はあまり多いほうではく、平均8,9時間/週であったが、そのほとんどがランだった。
自転車をトレーニング日誌に入れたみたところ、軽く10時間を越えるようになった。
トレーニング時間も以前より確保できて一石二鳥である。

ただ、感覚的にはランで10時間以上のトレーニングをした時ほどの充実感、疲労感はない。
その点は差し引いて考える必要がある。またランの量は自転車の疲労の分、以前とまったく同じ量と質を確保するのは難しくなる。
そう考えると、今までのスロージョグを自転車におきかえ、ラントレーニングは強度を中~強にあげた練習に集中するのが正解だろう。

トレーニング再構築。それもまた面白い。

円井君のブログを見ていても感じるけれど、何の競技であれ、社会人で、それなりの高みを目指して努力している選手は、仕事を初めとした色々な環境が変わる中で、トレーニングをいかに確保していくか、その工夫を競うゲームのようなところがある。
もちろんトレーニング自体を目的としてしまったら、それは単なるトレーニングマニアなのかもしれないけれど、大なり小なり強い選手は皆トレーニングマニアであることは確かだ。


その点自分はまだまだマニアックの域には及ばないけれど、こうして色々新しい生活の組み立てを考えてトレーニングを工夫するのは面白い。


月曜日, 5月 12, 2008

春の八ヶ岳


10,11日の週末は八ヶ岳でNT合宿。

合宿の運営準備を中心に進めていたので、当日も選手としての参加は2日目の1本目のみ。
脚を怪我してリハビリ段階だったので、ほどほどで調度よかった。

それにしても5月のこの時期に真冬のような冷たい雨、雨、雨。山シャツを着てレースをしても体が冷えるなんて。
選手達はそれでも1日2本のトレーニングをこなしていた。練習を終えるとさっと着替え、食事補給する要領の良さはさすがNT選手である、と思わず感心してしまった。

さて、今回の合宿は少々欲張りすぎてしまった。
運営準備に、一部選手としても練習に参加。おまけに家族連れで娘の面倒も時々見て、と。生憎の冷たい雨で、待機しているときはずっと車の中。
まあなんとかなるや、とあまり深く考えずに迎えたが、流石にちょっと無理があってひずみがでた。

運営の西脇君や大場さんに、とてもお世話になってしまったし、妻や娘には冷たい雨の中、狭い車内で長い時間待たせてしまうことが多かった。

まあそれでも終わってみれば、合宿は無事終わったし、練習もそこそこできた。妻も二日とも森に入れたし、娘も風邪を引かずにぴんぴんしてる。

この季節の八ヶ岳は柔らかい緑に包まれて本当に美しい。
その風景を100%楽しめる天気ではなかったけど、それでもみずがきの森や、アミガサの森で、霧のかかった凛とした美しさにはため息がでた。妻も森のマイナスイオン?を全身に浴びて大いに癒されたよう。
「お腹の子が喜んでたわ」、ほんとうかどうか。
でもこういう森を走れる限り人生は幸せだ、本当に。
どうも写真が下手なので、なかなかその良さをカメラに収められないのが残念。。。。











金曜日, 5月 09, 2008

37歳

全日本で勝った時、村越さんがブログで37歳で頂点に立った自分に対し、自身の10年前と重ね合わせて祝福してくれた。

37歳という歳は以前から、色々な意味で意識していた歳だった。
一番印象的なのは、村越さんがノルウェーでロング、ミドル共に予選通過した歳である。
しかしそれだけではない。
「自分はもうこのままだめなのか?」と2003年のスイスで自問したビヨルナー・バルスタッドが、2004年のスウェーデンWOCで見事金を取ったのが37歳。
97年ノルウェーのWOC。優勝したペターに追いつかれながらも、最後は意地で先にゴールレーンを駆け抜け、ロング2位をとったヨルゲン・モルテンソンも37歳。
そしてトレイルランの雄、鏑木さんが山岳耐久で韓国の選手とデットヒートし、初の7時間台を出したのも37歳。そして優勝した韓国の選手も37歳。

そして、最近テレビを見て、思わずにやっとしてしまった。
テニスの伊達公子選手の見事な復活である。
37歳で11年ぶりの現役復帰。

多くの人は、「どうして?」と普通は思う。
もちろん競技レベルは違うけれど、自分には伊達選手の気持ちが少しわかるような気がする。


37歳はとっても強いのだ。

金曜日, 5月 02, 2008

いた!

久しぶりに計画通りのトレーニングをこなせた充実感で、いくぶんペースも良く公園を後にした。


夕暮れの中、モノレールの大井競馬場駅に近い運河を渡る橋にさしかかったところで、数人の高校生の自転車集団に抜かれた。時々奇声を上げながら走るその集団は、数十m先程の歩道で横並びに止まり、なにやらハンドルを振り回してじゃれあっていた。

歩道を占領した高校生の脇は一人やっと通れる程度しかあいていない。まったく迷惑な餓鬼どもだ、と不愉快に感じながらも、自分の20年前を思えば多少はしかたない。


近づくにつれて、彼らの片方の後輪に、もう片方の自転車の車止めがひかかったらしいことがわかった。じゃれあっている間にもつれたのだろう。それでしきりにハンドルをふりまわしていたのだ。
次の瞬間本能的に危険を感じた。まさか、その可能性は限りなく低い・・・。

いくぶんスピードトレーニング時のアドレナリンが残った脳は、数十センチの隙間を前にスピードを緩めることはしなかった。

考えが甘かった。
彼等の横をすっと通り過ぎた瞬間に、左足の脛に激痛が走った。
「いて!!!」
からまっていた2つの自転車は、その瞬間はずれ、反動でどこの部品かわからないが、走り抜けるこちらの脛に強くあたったのだ。

その場にうずくまった瞬間、かーと頭に血が上った。
「あぶないじゃないか!お前らっ」
痛みより、腹立たしさが先にたった。
高校生は皆しゅんと黙り、平謝りしている。

「どこの高校だ?ここは皆が歩く場所だぞ!」
なにを言ったか覚えてないが、ひとしきりそんな文句をいった。高校生は素直にあやまり続けた。

妙に素直であどけなさの残る高校生の顔を見ていて、次第に怒りがしぼんできた。
まあ彼らも故意でやったわけではない。いつまで怒ってても仕方あるまい。こっちも体も冷えるし。

「じゃあこれから気をつけるんだぞ」
と言い残して走り続けた。
「すみませんでした!!」彼らは声を揃えて横を自転車で抜き、前方に去っていった。

彼らは見えなくなった、汗が妙に冷たく感じる。
次の瞬間痛みが結構酷いのに気付いた。
スピードが上げられない。畜生結構痛いな。少し痛みが収まってから走ろう。

とぼとぼ歩き始めて、脚を初めて見て驚いた。
脛より下は真っ赤。靴も鮮血で染まっている。
脛の傷は2cmほどきれて、腫れて膨れ上がっている。
「あちゃ、しまった。」

結局、近くのコンビニに飛び込んで氷で冷やし、その後大事をとってタクシーで帰宅。
次の日八ヶ岳に行く予定はキャンセルし、近くの医者で5針ほど縫う羽目になった。
幸い膝などの関節ではなく、打撲と外傷だけ。痛みが引けば直ぐに走ることはできる。

「名前と住所くらい聞いておけばよかったのに」
確かに常識的にはそうだよなあ。でもその瞬間はそんな酷いとは思わなかったのだ。
治療費よりも、GWの予定を色々変えなくてはならず、そのことが頭いたい。

そういえば10年ほど前、ジョギング中に、交差点で右折車に軽くはねられたことがある。
その時も、「気をつけてくださいよ!」と文句を言っただけですましてしまったことがあったっけ。

運動中というのは、よほどの痛みでないと、感じないものなのである。

トレーニング中の事故には気をつけましょう。











信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...