火曜日, 12月 28, 2010

心のバロメータ

「ちゃんと更新してくださいよ」

納会で酔っぱらった後輩に指摘されてしまった。
いや、ここに書き始めて2カ月間をあけたのはじめて。

自分でも書いてないな、と思ってた。
その間、「あ、これを書いてみよう」というエピソードはいくつもあったけど、なかなかこの場に戻ってくることができなかった。

ブログは「心のバロメータ」とつくずく思う。ちょっとの時間もとれないほど物理的に忙しかったわけでないけれど、心のどこかに何か引っかかった状態で、ここに文章を書くことができない。
そう書くと、何か心の病にかかってたように思われるかもしれないが、そうではなくて、ただ小心者の僕は、やることがたまっていると、それが気になってしまうだけのこと。
だからどこか心に余裕がないと、他愛もない、どうでもよいことを書く気持ちにはなれないのだ。だって、ここに何も書かなくても、仕事も趣味も家庭もすべてのことはちゃんと回っていくのだから。

だけど、ここで「何かを書く」というのは、僕のひそかな余暇になってる。ときどき誰かに「面白かったよ」と声をかけてもらうとなんとなくうれしい。だから一度頻度を落としてしまうと、そういう人を少しづつ失ってしまうことになるだろうし、そう思うとなんだか少しさびしい気持ちになる。

だからもう気持ちに余裕をもって少しづつでも書いていくことにしよう。

4年前に書き始めた頃、ここを見てくれる人のほとんどはオリエンティアだったが、最近声をかけてくれるのは、オリエンティアじゃなくて、古い友人とか、親族とか、そういう人が多くなった。内容も競技的なことよりも、子育てのこととか、そういうテーマが増えたせいかもしれない。でも、その方が懐かしい人との接点になるかもしれないし、あまり肩を張らずに気楽にかけるような気がする。

師走もあと3日、2011年が良い年でありますように。


月曜日, 10月 25, 2010

ドジの適応戦略

僕はドジだ。

以前読売新聞で、荻野アンナが、いかに自分がドジかを赤裸々に描いたコラムを書いていた。読んで妙に共感を持ったのだが、それ以来「ドジ」というどこか懐かしいこの言葉が好きになった。
何か自己管理能力の欠如をごまかしてるような表現だけど、「まいいか」とおおらかに許容できる範囲だったら、ドジの一言で片付けちゃったほうが気楽な部分もある。ちなみに、そのコラムを読む限り、荻野アンナも相当にドジな人だ。多分僕以上は確実で、僕の周りにいるドジチャンピオンと争えるくらいだと思う。

ドジな人はしょっちゅう、プチ自己嫌悪に陥る。時には本当にビョーキなんじゃないかと我ながら心配になることがある、
電車の乗る方向を間違えるは日常茶飯事、改札の手前ではいつもおろおろとポケットに手を突っ込んで切符を探す(そしてかなりの確率で見つけられない)。更衣室のロッカーのカギがなくなって、さんざん鞄をひっくり返して探したあげく、返却してしまったことを思い出す。合宿で短パンに履き換えようと鞄から出したら妹のキュロットスカートだった、同じくパンツと思ったら靴下だった。。。

ドジはなおした方が多分良い。でもなかなか人間生来の性質をなおせるもんじゃない。

僕は医学も生命科学もからっきしわからないが、ドジはある遺伝子の欠陥なのではないか、と根拠もなく確信する。僕の場合、ほとんどは母親からの遺伝と思う。でもすました顔した親父にも実は少しその破片があって、2割くらいはそちらからだろう。
でも、そうだとしたらそもそもドジの「遺伝子」がなんで現代に生き残っているのか?まったく生活能力がなく無駄をもたらすドジ遺伝子は、とっくに淘汰されてもいいはずなのに、なぜか、僕の観察するに、10人いれば1,2人の身体にドジの遺伝子が生きている。
動物行動学の竹内久美子さん(そういえば彼女も同じ読売のコラムを書いている)風に考えれば、ドジにはドジの適応戦略があって、ドジの利己的遺伝子は今まで生き抜いてきたことになる。

そうするとドジの適応戦略は何だろう?

ドジな自分の勝手な説だけど、僕が思いついたのは2つの戦略である。名付けて「危機管理戦略」と「保護者獲得戦略」

ドジな人は生まれた時からドジである。だから、小さいころからいろいろと痛い経験をしている。そのうち、自分がドジなことを前提に行動、考えるようなくせがつく。つまり自分はドジだから、いざっという時にそのドジが出ないように、また出た後でもなんとかなるよう工夫する。少しそれっぽい言葉をいえば、ドジな自分に対する危機管理能力が身につくことになる。
例えば、財布や携帯をなくしてもパスポートはなくさない。ガス欠で車が止まるのは、その後の予定がなんとかなる時だけ。勘違いしたり、忘れたりするスケジュールは自分がいなくても大丈夫な会議である。書類の細かいミスはあっても重要な数字の桁だけは間違えない。
まあ、それでも十分まずいといわれそうだけど、最悪の事態だけはさけることが知らず知らずのうちに身についてくる。

ちなみに、僕が知るもっとも偉大な「ドジ」村越真は、「絶対大事なところはミスしない」という点を常々主張していたが、言葉の言い回しが違うにしろ、この危機管理能力が備わったドジのことをいっていたのだと思う。

もうひとつはまわりとの融和である。荻野アンナさんも書いていたが、ドジな人は他人のドジに寛容になる。自分もいつドジするかわからないから他人の「ドジ」を責められないし、つい共感してしまう。
その結果どうなるだろう?おおらかな性格になり、必要以上に敵をつくらないで味方を増やす。
さらに、これは僕の観察によると、もっと戦略的ドジはチャーミングな「世話を焼きたくなるオーラ」を発して、なぜかしっかりしたパートナーや、お姉さん、お兄さん的な友人をまわりに呼び込む。そして本人のドジがひどいことになる前にまわりが救ってしまう。
ただここまでくると、なぜか女性ドジ限定の効果のようである。残念ながら男性ドジはドジなままほっておかれることが多い。

これらの戦略をドジ遺伝子はとる。その結果、ドジ遺伝子は社会生活で破綻することなく適応していくのではないか。
僕の仮説である。

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ひとつのエピソードがある。

もう5年以上前だろうか。愛知の世界選手権前のこと。
1日でも多く練習を三河の森で過ごすことが選手にとって一番大切だったころのこと。
春先にイギリスチームのトレキャンがあった。確か平日だったと思うが、僕は有休をとって愛知に向かい、チームメートの女性2人とレンタカーを借り、練習に合流させてもらったことがある。

その日はひどい雨の中だった。急な三河の森なので、練習後当然体中泥んこだらけになる。雨の中イギリスチームと分かれ、田んぼ沿いのあぜ道に止めた小さな車の脇で3人は急いで着替えて車に乗り、そこから小一時間かけて宿舎に戻った。

僕はその時、、ドジ、をしていた。
替えのパンツをかばんに入れるのを忘れていたのである。濡れたパンツをはくわけにもいかないので、しょうがなくそのままトレーニングウエアを着て車を運転していた。白状すればそれほど珍しいことではないので、まあ1時間我慢すればいいやと思ってた。
ただ、なんとなく居心地が悪いので、あまり会話をしなかった様に思う。幸いほかの2名も口数が少なかったように記憶する。
1時間後、無事宿につき、めいめいシャワーを浴びて着替えた。

これは後になって片方の女性から聞いてわかったことである。あの時とんでもない偶然が起こっていた。
誰も車内では口にしなかったけど、あの車の中、誰もパンツを履いてなかったのである。

そう、3人とも同じミスを犯していたのだ。
当時チームでもうっかりものといわれてた3人とはいえ、あまりの偶然に聞いた時は笑い出してしまった。

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話はそこまで。

ここでドジの適応戦略を考えてみる。
3人とも忘れ物はしたけど、それがパンツなところにミソがある。
つまり、トレーンニングウエア(の特に下)ではなかったこと。もしウエアの下を忘れたらどうだろう?
パンツ姿で帰るか、濡れて泥んこになったOウエアでそのまま帰るしかない。パンツを忘れた場合より深刻だ。つまり3人は最悪の事態は回避していた。知らず知らずのうちの危機管理、といえなくもない。

おまけにもうひとつ、偶然かもしれないが、2名の女性(これは名誉のために名前はあかさないが)はともに、チャーミングかつおおらかで、人に愛される人柄だということ。だからドジをしてもなぜか許されるし、笑い話で終わるのだ。

こうしてみると、ドジにはドジの生き方がある。実際僕も会社を首にされず、社会生活を営むことができている。
いや、とくに女性のドジは意外と侮れず、実はちゃっかりものなのかもしれない。

少し都合のいい結論だが、ドジ遺伝子とあと半世紀ちかく付き合っていかなければいけない自分にとってみれば、むしろ「愛すべきドジ」と考えたい。








金曜日, 10月 22, 2010

スパイダーウェブ

久しぶりに家族4人でオリエンテーリングで週末を過ごした。

ES関東の小林ご夫妻などが主催する「こどもオリエンテーリング合宿」にお誘い頂いたのが数ヶ月前。
まだ4歳と2歳のうちの子では地図も理解できないどころか、親のいうことをちっとも聞けないのに集団生活もできるわけない。迷惑掛けるだけかな、と思ったけど、子供たちのオリエンテーリングの様子を見てみたい気持ちもあり、妻を誘ったら二つ返事で同意してくれたので、参加することにした。

実は本当にオリエンテーリングに行くのは久しぶりで、妻は半年ぶり、僕もコンパスを握るのは7月の強化合宿の運営をして以来。ショックだったのは、事前にメールでEcardNo.を連絡しようとして、番号がそらで書けなかったのである。10年くらいEcardを使っていて初めてのことだった。

練習の場となった手賀の丘は、千葉の内陸らしい手賀沼沿いにある少し起伏をもった森である。白い森には平坦な森に特徴的なピークやはっきりした尾根沢もあり、広くはないけれどオリエンテーリングの基本を練習するには事欠かない。

集まった子供たちは総勢20名程度だろうか。上は中学生から下はうちの下の子まで。まあ地図を読めない未就学児はおまけとしても十数名の子供と、その親たちが集まった。
コーチは日本代表も指導する吉田コーチなので引き締まる。それでも子供たちは適度にリラックスして、全体的にはとても良い雰囲気でプログラムが進行していたと思う。

息子が集団の中で愛想を振りまく一方で、集団活動が苦手な娘はみんなが体操している間ひとりでそっぽ向いていた。娘は僕の血をひいてる。しょうがあるまい。
それでも時間がたつにつれて少しづつ慣れてきて、シール張りのオリエンテーリングの時はお姉さんと楽しそうにまわってきた。

今回は子守中心、と思っていたのだけど、2日間でスプリントを1本づつ真剣に走った。スプリントを走ったのなんていつ以来だろう?記憶の限り今年初めてである。ちょこちょこミスはしたけれど、総じて気持ちよく走れた。タイムが良いのか悪いのか良くわからないけど、とにかく心配機能は追い込んだ。
2日とも、ゴール直後、クモの巣だらけの体に皆に驚かれた。縦横無尽に走れる森には確かにクモの巣がたくさんあった。でも逆に何で皆はクモの巣がつかないんだろう?

そういえば僕は同じコースを走っても人より汚れて帰ってくる傾向にある。昔は加賀屋さんが上手をいっていたので気にならなかったけど、最近は「どこ通ったんですか?」と若い選手に驚かれることがある。

これは僕の仮説である。
僕は方向感覚がない。いわゆる方向音痴である。コンパスがないとうまく走れないのだ。これは周知のことで、以前村越さんが、「オリエンテーリング技術」と「天性の方向感覚」が無関係であることの実例としてあげていたことがある。
だからレース中に走る方向を変えるのがあまり得意でない。そのいわば不器用な欠点と10代の頃からずっとつきあってきた結果の適応進化?ではないか。

極力走る方向を変えない、つまりクモの巣があろうが、藪があろうがまっすぐ進むことで、自分の弱点を補ってきたのではないか。それがオリエンテーリングの面白いところである。

話題は戻って子供合宿。
無事2日間の合宿を終え、よく遊んでくれたお兄さんお姉さんにお別れをして家路へ。
途中で汗を流して帰ろうと、手賀沼沿いの日帰り温泉に車を止め、よってみると。
「3歳未満の入浴はご遠慮願います」

あえなく退散。眠りかけでぐずる子供を起こして、疲れた体を引きずって駐車場の一番はじから歩いてきたのに。。。。
なんだよだったら駐車場の入り口にでっかく書いておいてくれよ、
と文句もいいたい気持ちだが、まあしょうがあるまい。
きっと過去に湯船で事件でもあって、一般の利用者から苦情があったのだろう。
もうしばらくは事前の下調べをしないと温泉にはいけない。がんばれ、ちび君、早くおむつを卒業しよう!




水曜日, 10月 20, 2010

会社の名前が変わる時

散々なやんだ挙句、自分の子供の名前を決めた。
はじめにその名前で赤ちゃんを呼ぶ瞬間、とても照れくさいし、違和感がある。
「本当にこの名前でいいんだろうか?」そんな小さな後悔が頭を過ぎることもあった。
だけど一旦つけてしまった名前は、変えようがないし、覚悟を決めて使い始める。

2歳にななったいま、すっかり馴染んでしまった。「コウイチ」は「コウイチ」であって、「コウヘイ」でも「コウスケ」でもない。「コウイチ」という名前が本人の個性、人格と同一化する。
名前はなんでも良い。その名前に個性と風格を持たせるのが本人の実力である。

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15年近く勤めている会社の名前が変わる。


かなり斬新だと思う。会社の名前というか、商品名。あるいはバンドのネーミングのようなセンス。
ちなみに、水事業に関わるわが社は世間一般から見れば体質的にまだ古さが残り、100年近く続く親会社のブランド名に頼りたくなるのが普通だと思う。我が会社ながら思い切った。

正直発表に前後して、社員でも賛否あり。
眉をひそめた人もいる。現実的には、ローンや賃貸などで勤め先を記入する時の会社の「風格」への影響を懸念する声。
確かにそりゃそうだ。一般論からすれば少し冒険しすぎの感もある。
僕も始め聞いた時は「えっ」と思った。

ロゴを見ていて数日この名前を頭の中で反芻しているうちに、違和感がだんだん愛着に移り変わっていくのを感じる。いや、むしろ
「以外といけるんじゃないの?」
という気がしてきた。覚えやすいし、見た目にも印象が残る。
今、世の企業名を見ると、漢字と英文字(しかも小文字)の組み合わせなんて記憶の限り見たことないけど、
でも10年、20年たったらどうだろう?意外と流行ってるかもしれない。実はかなり先進的なんじゃないか、という気もしてきた。

いや、そして何よりも名前に個性と風格を持たせるのは中身の実力だから。
新しい会社名のスタートとともに、名前負けしない実力の会社にしよう!
そう思う自分はいつのまにか立派なサラリーマンである。


金曜日, 10月 08, 2010

運動会とハセツネとてるてる坊主

「二人とも申し込んだのは、園全体でうちらだけだって」

えっ、そうなの?
「カシマダさんちは何かしてるんですか?って聞かれちゃった」

週末にある娘の幼稚園の運動会。父母参加のリレーがあるらしいので、深くも考えずとりあえず妻に申し込んでおいてもらった。数日して娘が持って帰った、先生手書きのパンフには、チーム分けが乗っている。確かに園全体にしてはエントリーはさほど多くない。両方走るのは確かにうちだけ。
「急に運動して怪我をしないよう、事前に身体を動かしておいてください」「毎年転倒するハプニングが出てます、気をつけて下さい!」考えられる限りの注意書きがしてある。

でも、そんな町内一週するわけはあるまいし。走る距離はお父さんが小さなグランド1周、お母さんにいたっては半周だよ。身体があったまる暇もない。うちらが次の日に走る距離の1000分の1ってところだぜ、大げさな。
でもわずか100mだからの怖さがあるのも確か。無理に無酸素状態で筋肉を動かしすぎるのも危険だ。ここで脚を痛めもしょうがない。

さて、近づくにつれて夫婦の心配事は、運動会の勝負でも、ここ数日鼻をたらしてる娘の体調でも、はたまたリレーの怪我でもない。「天気」である。今週に入って、i-phoneの天気アプリを数時間ごとに見ている。予報は刻々と少しづつ変わるのに、なぜか9日土曜日の雨マークはこびりついたように変わらない。一日一日近づくにつれ、晴れろとはいわないから、ああせめて曇りに、、、と願うばかり。でも、とうとう前日の今日になっても雨マークはかわらなかった。

まあしょうがあるまい。これも人生。
泣いても笑っても明日の朝、お天道様の気まぐれと、幼稚園の判断で決まる。

明日の土曜日に予定通り決行か、それとも10日の日曜日に延期となるか。。。。。

日曜日, 10月 03, 2010

夕暮れの城山

土曜日の夕暮

走り始めたのが午後の遅くだったので、帰路はすでに日が沈みはじめ、城山への尾根道に戻る頃には深い森の木々に覆われて、足元は暗くなった。
ミシュラン三ツ星人気に誘われてにぎわう高尾周辺も、さすがにこのあたり、この時間になると人に会うこともない。日没を考えれば普通の登山者はいてはいけない時間帯だ。

と思いきや、前方の暗い林の中に赤いシャツのトレラン風の人影
つい時計を見てしまった。えっこの時間からこの方向?

かるく挨拶しようと思いきや、見覚えのある顔、「かしまださん!」

お互い脚をとめ、思わず笑い始めてしまった。そう、笑いの意味は(やっぱり行動が同じだね!)と。

三河も順調に3連覇した大助は、5歳年下だが境遇が良く似てる。サラリーマン、2児の父、子供の歳も同じ、妻もランナーでありトレラン好き。だから、時間の使い方が良くにてるのだ。

陣馬を超えて和田峠あたりまで行こうと思うんです、そういう彼はヘッドライトと手持ちのライトを見せてくれた。 
― 僕もね、帰りは城山から大垂水峠経由で回り込もうかなと ―

彼も一日家族と過ごして、夕方の数時間をなんとか確保できたのだろう。そして来週の72kmを思えば、やはり数時間でも山を走りたい、でも陣馬往復ではやや物足りない、だからヘッドランプをかばんに入れて、そう思う思考回路も多分まったく同じなのだ。

WOC2010では必ずしも完全燃焼できなかった彼だが、この秋ステージをトレランに移してどこまで活躍してくれるか。ショートの世界ではすでに一流選手なのだから、ロングを象徴するハセツネでどこまで上にのぼるか楽しみである。

金曜日, 10月 01, 2010

トレーニング弾力性

経済用語に「価格弾力性」という言葉があるらしい。
価格変動に対する需要の敏感さを示す。例えば100円のジュースを10円値上げして110円にしたところ、100本売れていたものが80本しか売れなくなったら、価格弾力性は20%/10%=2となる。1より大きいと弾力性が大きいとみなされる。一般論として嗜好品は弾力性が高く、必需品は低いらしい。水道代なんて弾力性の低い典型である。値上げしても生活に必須の水を節約するにも限界があるからだ。

容易に想像がつくことだが - 弾力性の異なる商品では、販売の戦略も全く異なるので、価格弾力性を知ることは重要なことである。当たり前だが、ゲームソフと水道のプライシングは全く異なるだろう。

さて、「価格弾力性」とは、なんとなく言葉の響きでその意味が伝わる分かりやすい用語と思う。こういう言葉を最初に使ったのは誰か知らないが - きっと偉い経済学者なのだろうけど - 頭がよくてセンスある人に違いない。

それでふと、この弾力性という言葉の応用で、「トレーニング弾力性」という概念ができないか、と考えてみた。そう、定義はトレーニング量と結果(レースタイムなど)の関係である。敏感な人はトレーニング弾力性が高く、鈍い人はトレーニング弾力性が低い。

世にはトレーニング状態に左右されず安定して速い選手がいる、一方でトレーニングしないとシェイプできずパフォーマンスが保てない輩もいる。最近感じるのは、かりな弾力性には個人差があることだ。

自分はどうだろう?あきらかに弾力性が高い。つまりトレーニング量に結果が偉く影響されるのだ。そのことは三河トレイルのこの3年の結果に出てる。2年前、WOC後でトレーニングもオフだった時に2時間8分で惨敗、昨年は夏場に良いトレーニングをして大健闘の1時間41分。そして今年は夏こそ良いトレーニングしたのに9月中にトレーニングが減った結果2時間25分とまったく走れなかった。
忙しい中、体調も今ひとつといっていた大助が、好調だった昨年のコースレコードから+2分の1時間37分台で3連覇をしたのとはかなり対照的である。

もっともポジティブに考えれば弾力性がある方が、トレーニングの重要性を肌で感じられるので動機付けは大きくなるだろう。価格弾力性の大きい嗜好品の方が商品開発の切磋琢磨が進むように、、、、トレーニング弾力性の大きさが進歩する動機付けを多く与えてくれるのかもしれない。

大切なのは、自分と異なる弾力性をもつ選手をお手本としても、それは参考にならないこと。これは価格もトレーニングも同じ。つまり、自分の弾力性を把握することがとても大切である。



土曜日, 9月 18, 2010

早起きは三文の得


「何で走るの?」

この20年以上もう何度きかれたことだろう?
多くの場合は、飲み会のそれも話題につきた頃が多い。話の肴につきたころ、あってもなくても良いような、ちょうど腹も酔いも満たされたころのお新香のよう話題なのだ。

毎度の質問に自分もありきたりの答えをすのだが、それもいい加減飽きてきた。だからどうせなら少しは気のきいた返答でもして、質問した人をなるほど感心させてみたくもなる。


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この季節の欧州の夜明けはのんびりとしている。そろそろ秋分の日を迎えるというのにサマータイムを続けるものだら、6時を過ぎても真夜中のように暗い。ほどよい時差ボケのおかげで目覚めは良く、水を一杯だけ飲んで着替えると部屋を出た。ロビーの玄関から外に出ると前夜の雨で濡れた路面からひんやりとした空気が身を包む。

ロビーでもらったガイドマップを片手にゆっくり走りだす。駅裏のダウンタウンにあるこのホテル周辺は、アラビア語を看板に上げた店が並び、出稼ぎ風のエキゾチックな顔立ちをした労働者が朝市の準備をしている。曇ったショーウインドウに中古の電化品を並べた窮屈な店の角を曲がり、少し広い通りに出てそのままダウンタウンを抜ける。

 重いトランクを引きずって歩いた前夜には果てしなく遠く感じた道のりだが、2,3分も走ると中央駅が見えてくる。閑散とした駅前のトラム線路をいくつか越えてしばらく行くとカールス門がでんと構えている。そこを抜けるとノイハウザー通り。広い石畳の通りの両側には歴史を感じさせる建物 - どれ一つとっても東京にあったら観光地になってしまうような立派な建物なのだ - が立ちならぶ。日本の渋谷のように夜明かしした若者がたむろするわけでもなく、人気のない通りを清掃車がせっせと前夜のゴミを集め、朝を迎える街をきちんと綺麗にしていく。

そのまま目抜き通りを進むと有名なマリエンプラッツに届く。ここからはこの街の観光名所の核心部。仕掛け時計台の前を過ぎ、巨大な双頭の聖母教会、果てしなく大きい王宮の脇を通り、バイエルン国立博物館の横から広大なイギリス庭園に入る。

イギリス庭園大都市周辺にある公園としては世界有数の規模らしい。公園の中には水量の豊富な川が何本も走り、芝生と森が延々と広がっている。

そろそろ夜明けを迎える公園で同じようなジョガーに何人かすれ違った。どこの国にも同じような人たちがいる。ただ違うのはペースだ。日本で走っていて人に抜かれることは少ない。まして女性に抜かれた経験など記憶の限りない。それなのに欧州でジョグをすると、うかうかしてると平気で白髪のおじさんに抜かれる。この日も数十m前のi-podにセパレートランウエアに身を包んだ女性をとうとう抜かすことができなかった。

走り始めてそろそろ30分。ようやく夜明けが訪れた。あまりにも広くてとても一周することもできないので、中国の塔が見えたところで引き返すことにした。帰りはイザール川沿いを寄り道して市内に戻る。

イザール川は、街南部のアルプスのふもとから流れてくる水量が豊富な川だ。この付近の地質の影響だろうか。都市河川とは思えないほど清廉で水の色が白っぽいエメラルドをしている。この街がため息が出るほど完璧に映る理由の一つがこの「水」にあるだろう。


すっかり明るくなり、先ほど通り過ぎた時にはひっそりしていた街もすっかり活気づいてきた。いかにもゲルマン的なビジネスマン風がいそいそと進む歩道を縫って走り、再び中央駅前を通って、あのちょっときな臭い通りに戻る。ポケットに手を突っ込んで屯する若者の視線をかわすように通り抜けて、少々この通りには場違いなわがホテルの玄関に戻った。

1時間と少し。ほどよいペースだったから12,13km程度だろうか。
夏場に汗びっしょりのうんざりする朝ばかりだったから、これが同じ地球なんて、随分と不公平なもんだと文句も言いたくなるほど気持いジョグだった。

約束の時間まで1時間。シャワーを浴びて朝食のビュッフェをゆっくり楽しむだけの時間はある。そしてそのあとが本当の時分の仕事である。

ミュンヘンに滞在した5日間。一緒に訪れた仕事仲間と夜は毎日ビールと白ソーセージで楽しいひと時を過ごした。それでも昼間は毎日通勤電車にゆられて仕事、この街を観光する時間はとれなかった。もちろん仕事で訪れたのだから当たり前なのだけれど。

それでも自分は毎朝少しばかり早起きした1時間を使うことで、この街の見どころと言われるところ ‐おそらくガイドブックに紹介されている建造物、公園、広場、ショッピングモール‐ は一通り回ることができた。美術館にある有名な絵画、教会の素晴らしい内装やフラスコ画までを楽しむことはできなかったけど、それでも、さまざまな都市ランキングで上位を誇るこの街を十分楽しむことができた。

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国内外問わず、出張のかばんに靴と少しだけ余分なウエアを入れる。そして早朝にその街をめぐり、素顔を感じること。そして少しだけ得した気分になって、その日その地ではじまる仕事に臨むこと。

それが走り続けて良かったと思う瞬間のひとつである。

水曜日, 9月 01, 2010

残暑

「さすがにそろそろいい加減にしてよ」

まるでウイニング90分想定のロングで、100分走ってもまだ1ループ残ってるような気分。
出勤時マンションを出てもわっとした熱気に包まれると思わず悪態をつきたくなる。

厳しい残暑というけれど、お盆過ぎから連日のうんざりした猛暑にはさすがにへこたれる。トレーニングダイアリーを見返してたらその暑さがデータに裏付けられていた。ハートレートモニターで測定された気温が過去数年分PCに記録されているのだけど、今年の夏のピークは昨年、一昨年に比べて明らかに高い。2度くらい違う。今年の最高気温は日中自転車に乗った時に記録した平均36度。自転車だからなんとか我慢できたが、走るのは32,3度が限界、早朝か夕方以降でないととても運動はできないし、走れても控えめの負荷で短めにジョグするのが精いっぱい。
こうなると週末に標高の高いところをがっつり走ったら、平日は朝晩に30分、1時間の運動を積み重ねるしかなくなる。

考えてみると、最近は「暑い」という感覚が麻痺してまった気がする。「暑い」とすぐに感じない。汗がだらだら出て服がびしょびしょになって気持ち悪いので、「ああ暑いんだ」と気づくのだ。

さすがに今年は逃げ切れず、夏バテに襲われそうだと、、、思った矢先に出張の予定に救われた。今週滞在中の釧路は夜の気温が20度でずいぶんと過ごしやすい。猛暑の東京に一週間戻った後は久しぶりの欧州出張。最高気温12度とのとこで寒すぎるくらい。それが過ぎて帰国すればさすがに少しは涼しくなっている頃だろう。
と、暑い中毎日過ごしている、妻、子供には申し訳ないが。。。。出張中が体調を立て直すチャンスである。

水曜日, 8月 25, 2010

4歳児

4歳児になると世の中のしくみ、自分の存在をだんだんと認識してくる。

自分は女の子で、弟のコーイチ君は男の子だと知る。お風呂に一緒にはいって男の子には自分にないおちんちんがあるのに気付く。おしっこのでかたが違うことも知る。

お父さんは毎日会社に行く。そのお父さんが会社で稼いだお金があれば、おやつやジュースを買ったりできる。「お父さんは貧乏」というのはうそで、いつもお財布にはプリキュアのがちゃがちゃができるお金がたくさん入っているのを知っている。

自分が永遠に子供ではなく成長する存在だということを知る。自分には親がいて、そのまた親がおじいちゃんおばあちゃんであることを知る。おじいちゃんは年取ってるので頭が白いことを知る。そしてそのさらにおじいちゃんおばあちゃんは遠いお空の上にいることを知る。つまり人とはどういう存在かをぼんやりと知る。

久しぶりに会う大好きなおばあちゃんは、ももちゃんが来るのを楽しみにしていることを知る。だから帰る時はお婆ちゃんはとっても寂しいのだということ知る。自分がもう少し居ればおばあちゃんを喜ばすことができるのだと悟る。

闇が怖くなる。母親のぬくもりを感じる灯りが襖の間から見えないと夜寝ることができない。時計の針が10になるとお化けの時間になると信じてる。

いい加減なことをいってだますことはできなくなる。
不完全ながらも自分と対等な存在になってくる。だから一人の個人としてきちんと接しなければいけない。

思い返してみると、いろいろな小説や映画で、一個のキャラクターとして活きてくるのは4歳から。

「となりのトトロ」でトウモロコシを母親にあげようと行方不明になっていまうメイは4歳。
「火垂れるの墓」で最後に防空壕で餓死してしまう節子も4歳。禁じられた遊びのラストシーンでママと叫んだポーレットも4つか5つだろう。
戦争というどうしようもない状況の中で、世の中を少し理解しはじめた無垢な存在の切なさが際立つ。もしも自分がもう半世紀早く生まれて、そうした小説、映画の子供の親だったら、、そう思うととても心が苦しくなってくるし、今の自分と家族はずいぶんと平和で恵まれてるんだなあ、と感じる。

そういえば今まで残留孤児の再開場面や、拉致家族の必死な姿をテレビ番組でみかけても何かで他人事のような温度差を感じていた。だけど、今はそういう番組の画面をさらりと見過ごすことができなくなった。
別に僕が特別、冷たかったとか、あるいは同情しやすい性質になったとか、そういうことではなくて、純粋に自分に重ねて考えることができるようになったからだろう。

少し感傷的である。人生も折り返しにきたせいだろうか?  あと1週間で「不惑」







水曜日, 8月 11, 2010

技術士試験

WOC選手がノルウェーでトレキャンを終えて本戦のスプリントを迎える頃、僕は暑い盛りの池袋で技術士の試験を受けた。

技術系職と関係の薄い人にはあまり馴染みない資格だろうが、一応国家資格である。技術者でも例えばメーカ勤務者のように設計や開発の対象が自社製品であれば、あまり縁は薄いだろう。我々のように、設計の付加価値自体を直接クライアントに提供するような事業には必要となる資格である。一般には建設系のコンサルティングの技術者に取得する人が多い。

数年前、上下水道部門で資格を取得した。現在従事している仕事は、まさにこの資格が武器となる。技術士は独占資格ではないので、取得してなければ業務ができないわけではないし、ほかの有名な国家資格、弁護士、医師、弁理士、建築士などに比べればずいぶんと庶民的な資格でもある。
それでも一応技術者資格の最高峰とは言われていて、公共入札で資格を必要とする委託業務も時としてあるし、そうでなくても初めてのクライアントに信用してもらうまでのステップを省略することができる。特に年齢相応の貫録に乏しい自分は随分と助けてもらった。

今年、もう一つの部門、「総合技術監理部門」を受けてみることにした。

「総合技術監理」とは経済性管理、情報管理とか人的資源管理、社会環境管理、安全管理などを包括するその名の通り総合的な技術監理である。要は技術だけを追い求めるのではなく、コスト、人事、安全や健康、はてはコンプライアンスもすべてのトレードオフを考慮の上プロジェクトを進めるための知識、みたいなものである「管理」ではなく「監理」というところにミソがあるらしい。。なんだか経営者的な能力を問われる点、網羅的でありながらどこか漠然としたところがある。

この資格、今のところとったからといって給料が上がるわけでなし、公共入札の条件で必要とされることもない。実務の上ではなんら特しないのだけど、いつ何どき、どういう形でこういう資格が必要になるか分からないのでとることにしてみた。

筆記試験の結果が出るのは10月でその先に論文提出と口頭試験もある。結果はどうだろう?
なんとなくすべてが中途半端だった今年の夏の自分を象徴するような出来。択一式と論文形式の問題いずれも、そこそこ手ごたえはあったけど、ああ、もう少し勉強してればな、と思うような場面があちこちに。
一緒に受けた会社の後輩はきちんと勉強をしたので択一式は相当良くできたようだった。反面論文は思うように書けなかったらしい。それでも僕より可能性は高いだろう。やはりきちんと準備をしなければだめだ。それが走ることでも試験でも。

今年の取得は少し厳しいかもしれないが、ミラクルに少し期待して10月を待とう。

土曜日, 7月 24, 2010

冨士登山競走

冷静に考えればなんとも効率が悪い。

体重60kgのランナーが加速度9.8m/s2の地球上で標高差3000mを登る。得られる位置エネルギーは計算上1764kJ。カロリー換算で約420kcal。21kmの水平距離もともなう?水平移動は物理的にはなんのエネルギーの獲得にもならない。

一方3時間半の間に消費するカロリーはハートレートモニターで推定3000kcal。位置エネルギーへの変換効率はわずか十数%でしかない。残りの無駄となるエネルギーは大量の汗の気化熱として真っ青な空に昇華していく。

せっかく稼いだわずかな位置エネルギーも、頂上から5合目までのうんざりするような下山道で半分は消費される。がくがくの膝でブレーキをかける瞬間、靴と砂礫の摩擦エネルギーとして放散される。残りの半分は富士スバルラインから下山するバスのタイヤとアスファルト路面の摩擦で消費され、富士吉田市役所につくころには差し引きO になる。

こうして太陽の光エネルギーをせっせとためた食物という高次な化学エネルギーを低級な熱エネルギーに変換して放散していく。熱力学第二法則には逆らえず、ちっぽけな自分もこの宇宙のエントロピー増大に少しだけ寄与していくのだ。

7,8合目のつらい岩場で、「何でこのレースに出てるのだろう?」と自問しながら、そんな皮算用が頭に浮かんだ。そんな風に考えてしまうと、この膨大な宇宙の中で自分はずいぶんちっぽけなことに精を出しているなあとむなしくもなってくる。それでもこのレースで2500人が頂上を目指している。そして自分より後ろに2400人近くが延々と連なっているのだ。

後ろをふと見ると、はるか雲海の下までランナーの列が糸のように折り重なって連なっている。なんとなく芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を彷彿させるぞっとする光景だ。ここで休めば延々連なる屍のような人々に黙々と追い抜かれつづける。カンダタのように糸を切ることもできないから、歩きづづけるしかあるまい。順位が落ちることを本能的にさけるように、ただひたすら足を前に出す。

ようやく頂上のゴールが見えたところで、「鹿島田さーん」と応援の声に気づき、顔をあげると許田君の顔が見えた。ゴールラインを越えてふらふら座るところを探していると俊介がいた。「30秒くらいしかかわりませんよ」とのこと。彼には馬返しまでの登りで軽々と抜かれたが、五合目以降足がつってペースが落ちてしまったらしい。このレースの難しさである。僕のタイムは3時間31分台。自分のベストより20分以上遅いが、18歳の初出場タイムはかろうじてうわまった。

五合目通過は1時間40分台である。ちなみにこのレース、山が強い人は五合目までより、五合目以降のタイムの方が速い。同じくらいがいい配分のようである。僕は五合目以降が10分遅いので、前半ペースが速すぎた計算になる。

頂上は、今まででも一番くらい気温が高く、レース後の汗に濡れたランニング姿でも冷えることはなかった。それでも狭い頂上付近に汗の臭いに蒸れた男どもでちょっとした満員電車のような状態である。長居しても気分もよくないので一杯水を飲んで、俊介とさっさと五合目に下った。お決まりのうんざりする延々とした下山道を下ること1時間10分程。

ようやく着いた五合目で弁当を受け取る。3つの出来合いのおにぎりをぱくぱくとおなかに放り込んで、冷えた麦茶を飲み、さあて妻がいつ頃くるか、と時計を見た思った矢先、「真理子さんじゃないですか?」と、俊介がいう。とぼとぼと歩く妻が見えてきた。え、少し早すぎる?
「あと30秒!」の掛け声に頑張ったがあと1分で八合目4時間の関門をクリアできかったらしい。
最近のトレランのタイムを見る限り、4時間半ぎりぎりでいける、と踏んでいたのだが、あと一歩足りなかった。それに聞けば渋滞も結構影響したらしい。残念だが来年以降にまたチャレンジするしかない。

結局完走率は男子でも50%程度で女子は40%程度とのこと。優勝タイムも2時間53分とそれほど冴えたタイムもない。自分のベスト順位のタイムを見ると、10~15年前と同じくらいのタイムだ。
昨今はトレランブームで各レースともレベル向上し優勝タイムが上がっているように感じるが、このレースだけは20年以上前と同じレベルで競っている。多分、このレースが昔から、山岳走だけでなく、陸上系の強い選手も参加するそれなりにレベルの高いレースだったのだろう。

来年は3時間10分台が目標。


水曜日, 7月 14, 2010

2010年の夏

JWOCが終わって、今度はユニバーシアードがはじまる。WOC組は今週末が最後の合宿。
いよいよ本格化してきた、2010年夏の代表戦。サッカーのワールドカップの盛り上がりには比べるべくもないけれど、僕らにとってはそれに勝るとも劣らない勝負の時。
今年は久しぶりに北欧でのレースが続く。
しばらくはインターネット観戦の日々がつづく。

土曜日, 7月 03, 2010

松井大輔似?

「松井選手に似てませんか」

えっ、不意を突かれて一瞬返す言葉に詰まった。

ちょうど自転車を受け取って漕ぎだす瞬間だった。
1年前に自転車を買ってから時々訪れる近所の自転車屋の店員さん。社交的な感じではないけれど応対が丁寧な彼には何度かお世話してもらったのでお互い顔は知ってたと思う。けれど、商いに必要な受け答え以外の会話なんてしたこともないし、する雰囲気さえなかった。

だから余計に意表を突かれたのだ。

「ええ、、そうですか?そういえばこの前も言われました。」

いやー似てますよ。思い切って言ってみたことがまるで正解だったと言わんばかりに、あらためて語気を強め、丸い目で僕の上半身をひとまわり見回した。

なんだが妙に居心地が悪くなって、答える言葉につまり「大分歳は違いますけどね、はは」、となんだか的を得たようなそうでないような答えでごまかして、2,3度ぺこぺこお辞儀して「ありがとうございました」と自転車を漕ぎだした。

確かにピッチを駆け回る松井選手がアップになる時、少しばかり親近感がわいたのは確か。でも僕はどちらかといえば浅野忠信に似てないか?と思ってた。
この1週間で2回目。数日前には会社の後輩に力説された。いずれも「似てる度」が高いと太鼓判をおされている。そういえばかなり前に松井が駆け出しの頃も2,3度言われたことがあったけど、当時はあまり気にしなかったっけ。

今をときめく選手だから悪い気もしないけど。本当に似てるのか?気になってきた。自転車を降りてマンション入り口のウインドウに映る姿があらためて目に入ったが、Tシャツ短パンの自分があの松井とあまり似てるようには思えなかった。 
きっと自分が見られたいと思うイメージと、実際に周りの人が受けるイメージとは大きな違いがあるのだろう。逆にいえば「ふーん、僕はああいう風に見えるんだ」と納得した次第である。

数年前はバレーボール代表の加藤に似てると、これまた数人の人に力説されたことがあったっけ。

現役のスポーツ選手に似てると言われるうちが華かもしれない。




水曜日, 6月 30, 2010

寝像の悪い娘の横でしんみり

部屋のレイアウトを間違えた。
いや、つい1月前の引越しの時に気付かなかったなんて。
1台しかないテレビを、家族4人で過ごす居間兼寝室においたのは失敗だった。おかげで、深夜のサッカー中継をみるのに苦労した。

それほどサッカーの熱心なファンでもないけど、さすがに決勝のパラグアイ戦は見たくて宵の口からうずうず。外出して疲れた子供を一生懸命早く寝かしつけようと思うけど、こういう時に限って目がぱっちりとして寝る気配がない。

ようやくキックオフという頃に二人ともとろとろし始めた。前半の序盤はあきらめて彼らがノンレム睡眠に深く堕ちるまでしばらく気晴らしのジョギングに。
11時過ぎの街は気持悪いほど人気がない。ときどき駅方面から歩いてくる人は一様に携帯画面を見てる。
暗い街並みのあちこちから、「あっ、」「わおっ」「よしっ」と短い掛け声が聞こえてくる。
さすがに気になってジョギングも身が入らず30分も走って家に戻った。

風呂浴びて缶ビール1本飲むと蒸し暑さに玉のような汗がでる。
急いで暗い寝室に入り、テレビのスイッチボタンを押した後ボリュームマイナスボタンを連打。
寝苦しくて何度も寝がえりを打つ娘の横で、そのまま最後のPKまで見届けた。

なんて残酷な勝敗の決め方なんだろう。

負けたことよりも、その残酷な結末に背筋がぞくっとした。

この勝負は数々の選手の好プレーと、同じくらいのミスを積み上げた結果の勝敗なはずのに、そしてPKだってそのうちのプレーのひとつなだけなはずなのに、その成否だけがあまりにも明確で目立ってしまうから、最後にまるで見世物のように行われるから、それだけで勝敗が決まったかのような錯覚を起こしてしまう。

自分がもし選手の境遇だったらそのプレッシャーに耐えられただろうか。外した時のその現実を受け入れられるか、そしてルールとはいえこんな不条理な決め方の結果としての負けを素直に受け入れられただろうか。

そんなことをぼんやり寝床でシミュレーションしていると、勝敗が決まった後にお互いをねぎらう選手の姿に、久しぶりに目が潤んでしまった。

「見てられない」とチラチラ見てた妻はPKを待たずいつの間にか寝てしまった。
この瞬間、見なかったほうがよかったのかもしれないけれど、やっぱり見て良かったと思う。

翌日の新聞でメディアの論調で駒野バッシングにならなかったことがなんとなく気持ち的に救いだった。
選手として必ず立ち直ってほしい。


土曜日, 6月 26, 2010

村上春樹の走る本

話題の本をいち早く読むほうではないと思う。だいたい書評なんかで話題になった後に本屋で手にとっても、その場では買わないことが多い。ぱらぱらとみて一度書棚においてしまう。次の機会にもう一度本屋で見かけて、それでも「ほらかってごらんよ、面白いよ」と誘ってくる本は観念してかってしまうのだ。

そんなパターンで最近買ったのが、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること
大分前に書評で話題になったので、単行本が出たのはおそらく2,3年前だろう。村上春樹の文章は好きなので興味は惹いたけど、まる1冊走ることばかりではさすがの村上春樹でも間延びした中身なんじゃないかと、勝手に想像して直に買えなかったのである。
実際、走らない人には一冊読むのは少し退屈かもしれないけれど、走る人にはお勧めだと思う。
だいたい、走るとは聞いていたけど、フルマラソンを毎年走るとか、多い月は300km以上走るとか、サロマ湖を11時間台で完走した経験があるとか、そんな筋金入りのエリート市民ランナーだとは知らなかった。
そしてもちろんランナーとして同感するポイントがあちこちにちりばめられてる。世界屈指の文豪がランニング中やそれにまつわる心象風景を表現すると、こんな風になるんだ、と素直に関心してしまう。とくに走り続ける理由について書いているけれど、控え目だけど芯のある走る哲学みたいな部分は、自分の走り続ける理由を代弁してくれたようで何ともすっきりした気分になった。
そして一番興味深いのはサロマ湖100kmの完走記だろう。僕はロードの100kmは走ったことはないけれど、同じようなエンデュアランスのトレイルランニングを走った時の経験がそのまま書いてある。
さすがの村上春樹の文章をしても、走った経験のない人に僕らがこうした非常識なレースを走る本当の理由を分かってもらうことはできないかもしれない。でも、走った経験のある人やそれに近い経験をした人には、きっと僕らがこうした途方もないレースに求める「何か」を共有できるのではないか。

特に最近走ることへの動機付けがうまく見つけられないまま無為に過ごす日々が続いていたため、とりわけ村上氏の文章が新鮮に見えたのかもしれない。

この本には、村上氏が小説家になった成り行きやその後の生活などにも触れているが、その部分は興味深くはあるけれど、僕にとってはこの本のおまけみたいなものである。きっとこの部分にすごくメッセージを感じる人もいるんだろうけど。

ということで、一度手にとって読んでみてほしい。


金曜日, 6月 04, 2010

引っ越し


住み慣れたアパートから引っ越すことにした。

今の部屋は6年半住んだ。結婚前、部屋を探していた妻が「いいところがあった」と一緒に下見に来た時は、正直なところ「えっ」と思った。細い路地の奥に住む老夫婦の持ち家の2階が貸部屋になっている。今まで見たことないほど急で薄暗い階段を登り、狭い玄関から覗くと奥の部屋の窓を通じてすぐそこに隣の家が見えた。ちらしに書かれた文字は「2K 29m2」
確かにこの近辺の相場は安くはないけれど、もう少し広くてこぎれいなところでも贅沢とはいわないのではないかと。

でも結局その部屋に住んだ。もう覚えてないが、誰かに「貧乏するなら若いうち」と言われ、それもそうだと頷いたからである。はじめから快適で広い住まいに住んでしまえばそれに慣れ、次はもっと良いところに住みたくなる。でも若い夫婦や小さい子連れなら狭い古い家での生活も楽しい思い出になるよ、と。
もっとも安月給のサラリーマンだったからもともと住まいに高望はできなかった。二人で海外遠征したり、遠路の大会や合宿に出かけていたのだから、給料はそういう方向につぎ込まれてたし、その分住まいは少し我慢してどうせなら貧乏暮らしを楽しんじゃおっか、とそんな乗だった。

かくて4畳半の居間を中心とした生活がはじまった。この界隈は品川からひと駅と交通の利便が良い場所だけど、庶民的で下町的な風情の残る地域でもある。猫とお婆ちゃんの多い街、庭つきの広い家なんてまったく見かけず、細い路地があちこちに入り組んでるし、軒先が重なるように所せましと家が建っている。庭がないからみんな手入れもされてないプランターを路面に並べる。朝になると3軒隣から、がっちゃんこ、がっちゃんことプレス機のようなものがフル回転してる音が響く。

3年くらい前、娘が生まれてひと段落したころに、そろそろもう少し広いところに越そうか、と話したこともあった。それでも生活に不自由はないし、それなりに住みよかったのでなんとなく話はたち消えた。

その後、2人目の息子が生まれ、4人家族になると、さながら昭和30年代のドラマのような生活になってきた。4畳半の居間での食事は4人がちゃぶ台に肩を寄せ合うように並び、寝室は物置のようになり、夜は2枚の布団に皆で寝転ぶので、最後に寝る人は余った場所を探して寝るようになる。我が家の子は親とのスキンシップが多いように思えるけど、それも空間的に限られた中での生活が原因かもしれない。

そんな生活も慣れると楽しいもんである。飲み会のネタにもずいぶん使った。懇親会で同年代の人と家の狭さ自慢をすれば負けることはない。「いやあ、なんか急に親近感わきました」と初見の人に肩組されたこともあった。どうも見た目は山の手の優良物件に住む輩に見えるらしいので、急に敵対心が和らいで「勝った」感を相手に与えるのだ。宴席の苦手な自分もビジネスではずいぶんとこの手を使わせてもらった。

けれど、やっぱり少しづつ問題点はでてくる。すべての生活空間が一緒なので、子供が寝ない限り自分の時間は皆無、ホームオフィスなんて夢のまた夢である。泣いたり叫んだりする声が狭い家に収まらず近所中に鳴り響く。
でも一番切なくなるのは、広くて快適な部屋に住む友人にお招きいただいた時である。ああ自分ももう不惑目前だし、それなりに人生がんばってるんだから、せめて友達くらい招待できる家に住みたいなあ、と

そんなこんなで探した部屋は2DK。1つ向こうの辻の3階建のマンションである。築年数や広さで少しだけグレードアップ。今までの1.5倍の広さでは4人家族にはまだまだ狭いけど、でもやっぱり自分の収入と子供の幼稚園代を考えるとここが妥協点かなと。

狭い路地で会う近所の人に「さびしくなりますね、ずいぶんとにぎやかだったから」といわれ、つい「すみませんでした」と答えてしまった。 そういえばこの路地の住民はずいぶんと個性的で暖かだった。公明党の勧誘に熱心なおばさん。長い話に付き合わされたけど、気がつけば今まで見向きもしなかった公明党の政策も一応目を通すようになった。娘をいつもかわいがってくれたおばさん。僕より年上の息子さんの出勤を毎日見送る姿には敬服。ついに孫も生まれてたいそう喜んでいたっけ。毎日白シャツの山下清風の大将。パンツ姿で車を洗っていても、近所の人は平然とあいさつする。うちの子供は会うたびにどこから持ってくるのかお菓子やらジュースやらをもらっていた。いつかは高級なウナギまでもらったことも。

引越しの数日前、アパートの部屋の南側の空き地が整備されて公開された。旧JT社宅の跡地を品川区が買い取り、防災用の広場として整備したものだ。児童公園になるわけではなく、クローバーが自生した一面緑の広場。それほど広くはないけど子供には良い遊び場。もう少し今の場所に粘ってもよかったかも、と思わず感じてしまった。
子供たちがこの路地の暮らしを覚えていてくれれば将来きっと良い思い出になるだろう。

火曜日, 6月 01, 2010

衣替えの日

「今日はどうだった?」
「ぜんぜんだめよ。昨日よりひどい。」
最近帰宅して妻とかわす会話。
「あなたが出たあとからずっと泣きっぱなし。自転車降りて先生に渡すときまいっちゃった。」

娘が幼稚園に通うようになって1月。行きはじめて1週くらいした頃から朝行きたくないと泣くようになった。曜日感覚のない娘は、僕が会社に行く支度をはじめると自分も幼稚園に行かなければいけないことを悟りめそめそと泣きだす。
良くあることかもしれないけれど親としてはちょっとした悩み事。

幼稚園が嫌いなわけじゃないらしい。昼過ぎに迎えに行くと上機嫌で待っている。帰ってからの午後はけろっとして、幼稚園で習った歌や踊りを披露する。幼稚園のお友達の名前も口にするようになった。

多分朝は切り替えができないのだろう。彼女なりに幼稚園ですごく気を使っているんだと思う。だから母親のぬくもりが残った布団を出て幼稚園という外の社会に出ていくモードになかなか入らないのだろう。
そういうところは僕に似てる。

僕自身人とのコミュニケーションにエネルギーを使う方である。だからプライベートと仕事の切り替えが器用でない。自分の中で仕事とプライベートのモードスイッチがあって、それを切り替えるのに一種の活性化エネルギーのような力が必要なのだ。だから若い頃はその切り替えのまずさが仕事でも支障をきたしたこともあったし、仕事が好きになれない要因でもあった。
今でこそサラリーマンを15年続けて大分慣れたし、人並みにコミュニケーションをとれるようになったけど、それでも時々切り替えがうまくいかない時もある。



衣替えにはまだすこし涼しい今朝、午前半休をとって娘を見送りに行った。
白地にカラーがロイヤルブルーの真新しいだぶだぶの制服に袖を通した娘。
親バカながら、かわいい、、、としんみり。
「ももちゃん、キュアマリンみたい」おだてるとその気になって鏡の前でポーズ。
「さっいこっか」
「うんっ」
入園して2カ月、ようやく朝のめそめそもおまってきてやれやれ。

はじめは泣いてる子もいるけど、小学校行くころには皆当たり前のように平気になる。世界中の幼稚園生がそうなのだから、冷静に見れば、わが子もいずれは社会生活に適応していくのだろうけれど、親からすると子供が成長の階段をひとつづつ登る様子は、いつもひやひやである。
でもその分少し前に進んだ時はやっぱりじーんとくる。

無事機嫌のいい娘を見送って家に戻り、今日のメインイベント。
9時45分。
調度1年前と同じように今回も妻と2か所に分かれて臨戦態勢。
これが本当の半休の理由。



金曜日, 5月 14, 2010

レンブラント光線


夕方、ふらっと息抜きに上がった会社の最上階の食堂で思わぬ素晴らしい景色に出会った。

広い空に見えたのは「レンブラント光線」
雲の合間から光が差している。空も街並みも陰影のコントラストがみごとで宗教絵画的世界にしばし感動。

ちなみにこれ、光を通さない厚く切れ目のある雲、空気中の水蒸気、夕暮れか早朝、という条件がそろわないとだめなのだそうだ。

辺鄙なところにオフィスを作ったもんだ、と社員から不満の多い立地だけど、唯一素晴らしいのはこの食堂の眺め。羽田空港の広い滑走路とその先の東京湾、反対側は延々と続く街並みが一望できる。

こんなきれいな天使の梯子を見たのは、、、いついらいだろう??でもなんとなく仕事のストレスもほぐれた感じで、人間美しいものには癒されるんだなあ。

写真ではあまり感動が伝わらないけど。



日曜日, 5月 09, 2010

2009年5月~2010年4月



この1年をレビューしてみた。

トレーニング走行距離:3480km(ラン)、3200km(バイク)
総トレーニング時間:499時間
内訳は
自転車:152時間
OL:23時間
OL以外の山:91時間

会社の総労働時間:2200時間

最大体重62.3kg(全日本運営後)、最小体重56.9kg(ハセツネ1周試走後)、平均60.2kg

主な記録
ハセツネ:9時間8分(10月)
マラソン:3時間30分(1月)
ハーフマラソン:1時間15分39秒(1月)
10マイル:57分43秒(12月)
10km:35分25秒(3月)
*マラソンは散々だったけど、あとはまずまずの記録。10kmはコースがかなり急カーブが多く、普通のロードなら35分フラットくらいは出るだろう。総じてロードの記録はこの5年でほぼ変わってない。

昨年の夏頃は山で良く走っていたので距離の割にトレーニング時間が45時間以上と多い。反対に秋から冬はロード中心のトレーニングで距離は300~400km程度走っているものの時間は少ない。
2月以降は全体的にトレーニングにエネルギーが避けてなく、やや質量ともに低下気味だった。




水曜日, 5月 05, 2010

ASOCルート



ロングとミドルのルート。
2日間でこれだけ、ミスの少ないレースをしたのも記憶にない。
もっともそれでもルートチョイスには課題があるし、フィジカル面ではもう2,3%速く走れる身体をつくらないと、これから国内といえども勝たせてはもらえないだろう。

ASOC終了



アジア選手権が無事終了。

今日のリレーは自分の家でネットで結果をチェックすることになった。男子は貫録の優勝、女子も検討の2位だったといえよう。怪我で不安を抱えていた番場や朴峠が特に終盤力を発揮できたのは、とても心強い。男子も寺垣内の怪我はやや心配だが、他の選手はハードな3レースをこなした上でリレーをきっちり走っている。個人の感触はともあれ、結果の数字を見ると5日間4レースの厳しい条件の中、選手はよく走り切ったように思う。

ジュニア男子の選手には、JWOCという舞台の前で、国際競技会を走る経験は有意義だったろう。に代表として大切なことは大きくわけて二つ、代表と呼ぶにふさわしい準備をすること、そしてもう一つはその準備を国際競技会の場で十分に発揮すること。前者はこれからの2月の準備にもかかっているが、後者についてのいわばリハーサルになったわけである。そういう点では尾崎を始めFavoriteな選手が、波こそあれおおむね上位に来ていた印象はある。



大会期間中、日本チームは新調した代表ウエアに身を包んだ選手が、国際大会らしい雰囲気を一層引き立てていた。今回、協賛してくれたリトラメッドの山岸さんや、Nonameの小泉君、デザイン段階で尽力してくれた西尾君などいろいろな人の尽力により、とても素晴らしいウエアがASOC直前に届いたのだ。
特に照れながらも誇らしげにウエアを着てウォームアップしているジュニアの選手を見ると、ウエアという一つの道具であっても、「代表」という意識を引き出すとても大切なツールなのだと感じた。
その風景を見て、ふと「自分ももう一度着てみたい」と思った。そんな人を引き付ける魅力があったのは確かだろう。

アジア選手権という国際競技会もあって、W21EとM21Eでは国際色豊かに各国が上位を競っていた。対照的にM21Eは連日日の丸の列がリザルトボードの上を飾り、実質日本のチャンピオンを決める戦いとなった。

話はかわって個人的な結果である。
まとめてしまえば80点だろうか。

最大の目標としていたロングでは優勝はかなわず3位。
そのかわりミドルで優勝した。
体力的なコンディションはベストまでにはいかなかった。それでもその時点で達成しうるベストの結果を引き出すことができたと自負する。金と銅だから結果だけすれば大変満足だ。だから100点をあげてもよいかもしれない。
でも、自分の狙った種目で勝てなかった点に少しばかり悔いが残るので減点。マイナス20点だろうか。

マルチデイイベントでのピーキングの難しさも感じた。1レース毎の疲労の影響が大きい昨今は間1日あっても完全回復はかなわない。ミドルに比べてロングの日の若干の鈍さを免れなかった。

ロングは頭をひねるようなレッグは少なく、全体的にコントロール位置もやさしく素直なコースだったといえるだろう。その分極力ミスを抑えてスピードを維持することがカギになる。
こちらはミスはほとんどない。明確にいえるミスは15秒を2回と、数秒を2,3回だけ。もちろんルート選択で数十秒単位のロスを結果的にはしているようだが、せいぜいその程度である。だからゴールした時は手ごたえはあったけど、自身のレース中の体の動きを考えるとそう甘くはないだろうと想像した。その通りだった。
しかしそれにしても優勝した小泉のタイムは素晴らしい。
おそらく今回の準備では10回やっても1度も勝てなかっただろう。時間を巻き戻して、12月くらいの段階から準備を本気でやり直さなければ今年の小泉には勝てまい。だから87分であっさりゴールインする姿を見た時は、天晴としか言いようがなかった。昔から狙ったレースへのピーキングに素晴らしいものをもつ彼の集大成を見たような気がする。

対照的に2日前のミドルは、どちらかといえば予想外だった。
確かにミスはほとんどない。9番の岩の横をコンタで5mほど下りすぎただけである。それ以外のミスは3秒が1回。自分でも90点はあげて良い内容だった。勝てるチャンスは十分あると思った。が2分近い大差がつくとは思わなかった。
後で振り返ってみれば、各選手が不本意なレースをする中、自分だけがまともなレースをした結果だった。僕の巡航スピードはなんと103で、一番速い大助より6%近く遅い。対照的にミス率で10%を切っている選手がほとんどいないことも少し異常なことである。
テレイン的な特徴からくる課題‐特徴のない緩斜面から細かい地形へのアタック‐は、考えてみれば日本ではあまり経験しないものだ。
しかし大陸系のテレインではむしろ当たり前の課題である。
少し踏み込んで言えば、今の日本チームが海外レースで十分に実力を発揮できない理由の一つを垣間見た感がある。
この手のテレインには新たな技術が必要なわけではない。日本人が得意な、細かい部分で地図を読む技術と、コンパスで方向を決めて飛ばす‐八ヶ岳的オリエンテーリング‐を持っていれば、あとはそれを組み合わせる戦術の話だと思う。戦略的な練習の余地があるように感じる。



ミドルで優勝した後に多くの人に祝福らしき言葉を頂いた。もっともその表現のし方は今の僕の立場もあって様々だ。あまりアドリブの返答が上手でない自分は、「今日は僕は選手ですから」そういってかわすしかない。
ただ胸を張っていえることがある。それは、自分なりの準備はASOCに向けて十分やってきたということ。

スプリントの加藤は良かったとして、ロングで優勝した小泉、すべてで2位をとった俊介、そして僕と、ノルウェーに行かないメンバーの好成績が目立った。そのこと自体はWOC代表を軸としてみれば、望ましい結果ではない。しかし2003年以降WOCが毎年化してから、WOC出場がオリエンテーリング競技の唯一かつ最高峰の目標、という従来の価値観が変わり多様化してきている。そのことを象徴しているだろう。一時的にしろ国内で競技レベルを上げることを役割分担とする選手が存在するようになったのである。
だからこう考えるべきだろう。
WOCに出ない小泉、紺野、鹿島田がいなかったと想像したらどうだろうか。
ロングは92分~93分台でWOC代表が上位を独占し、WOC選手のクロースな戦いに拍手が贈られていただろう。表彰台に登る選手も自分のレースの完成度にどこか首をかしげながらも、自らも満足していたかもしれない。
しかし現実には彼らより5分速く、87分で走る選手がいる。だからからこそ、悔しいし自分たちに改善の余地が大きく残されていることを実感できる。そのことが夏のWOCまでにプラスに働くことは間違いない。そういうところで国内組選手の果たす役割はちゃんとあるのだ。

問題は誰が勝ったとか、それが何歳の選手か、とかではない。上位を争ったレベルが世界でどの程度通用するかが重要なのだ。

さて、これからはいよいよ夏に向けて、代表選手の準備が本格化する。手前みそだが、昨年に比べて選手をサポートする体制は少しづつ改善されてると感じる。もちろんまだまだ十分ではない。いわば社長自らで賄う家族経営の工場から、組織らしい形態が見える中小企業になった、くらいの段階である。ただ、今年は昨年のように最前線の現場でサポートするのではなく、もう少し全体を俯瞰して、できれば少し先を見通してサポートを考えていきたい。

そして僕自身も次の目標を見つけよう。それが、代表を支えるモチベーションにもつながる大切なことだから。

火曜日, 4月 27, 2010

小さな目標

どんな形でもいい。自分の目標を形にしておくことは大切である。

多分書いてあることに気づいている人は、本当に一握りの物好きな人だけだと思う。

今の自分は競技を最優先にする立場にないし、自分もそれだけの準備をする覚悟はない。海外遠征にはとても越えられないハードルがある。
だけどこの30年に培った性として、何かしら競技で目標を立てて走り続けないと、仕事も健康も家庭も人生のすべてのリズムが崩れてしまう。だから魚が一生泳ぎ続けるように、自分も一生走りづづけてる、それが自分の生活の一部なのだ。

ハセツネを終えて自分の次に向かって走るゴールを求めてASOCロングを目標に設定した。それはASOCだから、というよりも全日本だから。
それほどの重大な決心ではない。手持無沙汰な冬を乗り切る手頃な目標だったのだ。

この冬は比較的よく走れた。ハーフでも75分台はキープしたし、1月は400kmも超えた。おそらく2月の時点なら自身を持って自ら優勝候補だと名乗っただろう。
しかしこの2か月の状態は残念ながらよくない。そもそも山や森に行けてない。オリエンテーリングもまともにレースしたのは2月が最後、あとは4月の選考会ロングの試走一本。さらに4月中旬に体調を崩した時はさすがにめげそうになった。
言い訳はいくらでもある。弱気になれば、逃げ込むところはいくらでもある。

でも、ふとこのブログに小さく書いた目標が目についた。頼りないけど、しっかり書いてある。
「ASOCロングでの優勝を目指します」

間に合うかはわからない。体調が復調した先週決心して半休をとり、早朝に鎌倉の山を走りにいった。あきれた妻がいった。「あなたの人生よ、好きにしなさい」
ようやく体がある程度戻ってきた。まだ自分が勝つ良い走りはイメージできない。でも今の傾きは悪くはない。

あと8日、この1週間は自分のために投資してみよう。

土曜日, 4月 17, 2010

選考会2010

もう1週間になるが、選考会が無事終了。
今年ほど主体的に中心となって選考会を準備したのは初めてだ。ずいぶんと苦労もしたけれど、最終的に決まった選手の笑顔、喜ぶ姿をみると、準備した甲斐があったと感じる。一方で一年の努力を見守りながら、選考会で調子を出せなかった選手を当日励ましフォローする余裕がなかった自分に後悔の念が過ぎる。
自分が走ったわけでもないのに、もらい喜びやら、もらい憂いやらが疲れと入り混じってなんだか妙に感傷的な1週間になった。

今年の選考会は、巷で話題になっているように小林や山上、寺垣内が彗星のように現れ、多くの人がこれからの日本のポテンシャルを感じたと思う。対照的に選考会終盤での、番場、山口、松澤、加藤といったベテラン組の力強さも非常に印象的だし、ドラマチックだった。
ジュニアの方は今年も高校生が3名、卒業1年目が2名と、ここ数年のジュニア世代の活性化を象徴した結果だった。
もちろんこれらの選考がすぐにWOC,JWOCの結果につながるかは分からない。選手とコーチのこれから数カ月の創意工夫と地道な努力があってはじめて実を結ぶのだろう。

さすがに3週連続して、二人の子供を置いて家を空けるわけにもいかず、今週はおとなしく子守の留守番。選考会後に崩した体調もようやく戻ってきた。


木曜日, 4月 08, 2010

入園式

子育てってなに?
何気なく考えていて最近感じるのが、「人生を反芻すること」

娘の入園式に行ってぼんやりそんなことを思った。人生が2週目に入ったなと。ずいぶんと寄り道したけれど。
自分の記憶の一番底にあるのは初めて幼稚園にいって誰とも話すことができず母親が困っていたこと。その歳に娘が届いた。あのちびっちょい頭には一生残る記憶がもう刻まれてるんだ。
30年以上たてばとりまく風景もずいぶんと変わってくるけれど、なんとなく懐かしい匂いがする入園式。これから再び幼稚園小学校、中学校。。。と繰り返す人生がはじまる。こんどは当事者から少し離れたところからの見物になる。1週目よりもっと速いスピードで駆け巡り、やがて3週目に入るのだろう。おっと、幸運にも4週目までまわる人、残念ながら2週目をまっとうできない人、いろいろあるだろうから自分もどうなるかわからない、ただこうして自分の次の世代の成長をくるくる見ていくのがこれからの自分の人生なんだなあ、と感じる。

平日の木曜日。
会社の休みはとったけど、入園式には出なかった。入園式の案内に会場が狭いので「保護者の方の出席は1名まで」とあったのをま正直に受けたのだ。普段着で下のちびと送りにいったら、狭い園庭はスーツ着たお父さんがたくさんいた。妻いわく入園式の狭い部屋の後で満員電車のような中ビデオを皆回していたそうである。
なーんだ、もう少しましな服を着てくればよかった、と少し後悔して下のチビと近くの公園で暇つぶし。
30分もじっとしてられない子供たちなので式は短い。午前中にあっと言う間に終わった。
まあ娘の晴れ姿は見れたし、担任の若い先生にもあいさつできたし、来た甲斐はあったかな。

翌日会社にいると妻からメール。「さっそくやってくれたわ、園庭のど真ん中で。」
先生に「おしっこ」と言えなかったのだろう。変なところが僕に似てる。

「今日は先生に教えられたのよね!」風邪で寝込んだ週明けの月曜日、妻が娘と寝床に報告してくれた。「そうよ!えっへん、お父さんかぜ大丈夫?」
ああ、まあなんとかね。

一歩一歩。父さんも同じだな。





土曜日, 4月 03, 2010

つながらない!

最近出張が増えた。
一泊二日の強行日程。
仕事の書類にプラスして、ジョグシューズ、ハートレートモニタ、そしてPC。
最近1日も手放せなくなった3点セットを鞄につめて羽田空港に向かう。

今回の出張も交通の便は悪いところ。しかたあるまい。人が住むところに水道あり。水道あるとことに我が仕事あり。
羽田からとある地方空港まで約1時間半、そこからJRの特急に乗り継いで約2時間。観光地として有名な地方小都市にだどりつく。

昼間の仕事は比較的スムーズに終えることができた。やれやれと後輩の運転する車で途中夕食をとり、宿へ向かう。時計を見るとまだ6時半。今日は7時にはチェックインできるだろう。
週末の準備やPCメールに返答する時間もたっぷりあるし、少し夜にジョギングもできるか、と車の中で今日の残りの時間の使い方をあれこれ考えた。

ところが、車窓を眺めていて一抹の不安が過る。車はビジネスホテルのある市内ではなく、郊外に向かっている。。。
やがて街をはずれ暗い夜道を進みはじめた。
そういえば、昨日後輩から案内された宿は○○ホテルといった類のものではなく、△△楼という名だった。行く先を尋ねると隣町の観光地として有名な温泉地。
30分くらい進むとやがて観光ホテルの煌々とした灯があらわれ、静かな湾沿いの1棟の旅館にたどりついた。

後輩はせっかくだから、と味気ない市内のビジネスホテルではなく近辺の観光地の旅館に設定された格安プランを案内してくれたのだ。
チェックインすると確かにリーゾナブルだ。6800円の朝食付だが、ツインのシングルユースで広い部屋だし、温泉ももちろん広くて深夜まで入れる。浴衣で土産物コーナを回るような、そんな旅館だ。
どうせならプライベートでゆっくりしたいそんな宿である。

ただ、案の定いやな予感はあたった。

チェックインしてまず机付近をざっと見るが、あるべきものが「ない」
旅館の案内パンフをめくってみても期待薄。
だめもとでフロントに電話する。
「あの、インターネットとかつながっているところありませんか?」
多分さっき案内してくれたフロントの気のよさそうなお兄さんだろう。やや困惑した声で、
「当旅館にはありません。この先の××旅館にワイヤレスがあると聞いたことありますが。。。、それ以外このあたりでは聞いたことがありません。」

ああ、やっぱり。
ためいきをついて携帯を見ると、「圏外」
ソフトバンクの携帯メールも使えない。やれやれ。

しまった、うかつだった。事前に調べておくべきだった。この地はインターネットの世界でまさに陸の孤島。
今週末の準備をかかえてこの空白は痛い。自分のサーバにたまるメールの山と、返信がないのにいらいらする面々の顔が瞼に浮かぶ。

それにしても極度のインターネット依存症かもしれない。ここは誰もが一度は訪れたいと思う名勝の地。日本の雄大な文化的遺産を目前にして、その雰囲気さえ味わえず、インターネットがないことにあたふたする自分が何とも小さい存在に思えてきた。
いいや、今日一日なんとかなるだろう。今日は早く寝て明朝に、日本人の魂を育んだこの地の歴史文化を肌で感じるべく、ジョギングを楽しむこととしよう。

木曜日, 4月 01, 2010

レクロゲイン



3月は一度も山を走らずに終わったけど、最後に歩いてロゲインだけ参加した。

レクロゲインに家族で参加。一番下のちびも連れて4人での参加ははじめて。
申し込みはまったく妻にまかせていたのだけど、エントリー表を見てびっくり。
「えっ6時間?」
「あら、大丈夫でしょ」

1歳のちびは背負子に乗せて、3歳の娘の手を引いていざスタート。
6時間でしかも電車、バスを使ってよいルールのため、もらった地図は巨大な新聞紙のような2万5千に、1万5千のオリエンテーリング地図がついている。まずは巾着田をまわり1点、2点、1点と獲得。のんびりお花畑の中をまわり、高麗駅までちょうど1時間。娘はすでに疲れたと言い出し、あまりにも寒いので駅前のしがない店に暖をとり、まだ10時過ぎなのに早速お昼。
かれこれ1時間もしてようやく次へ。展覧山に向かう市街地をひたすら登る。30分ほど歩いたところで娘はギブアップ。息子を妻が背負って、娘を肩車。10分もするとようやく次のコントロール。
そこからは山道。ところが面白いことに娘は山道になってからは自分で歩きだした。結局展覧山経由でアトムの像脇に下山するまで全部一人で歩く。むしろ市街地の道で、「だっこ」と駄々をこねることが多い。山道は子供にとっても起伏の変化や景色の移り変わりが飽きないのだろう。トレランやオリエンテーリングの原点を感じる。
飯能駅前のスタバでまた30分お茶をして、そのまま飯能駅から高麗まで西武線を使い、最後は疲れたと泣き続ける娘の手を強引に引っ張って5時間59分台にゴール。
あまりにも大きな地図のほんの一部だけだったけど、高麗から飯能まで歩いた距離はおそらく5,6kmだろうか。3歳の娘には褒められた距離だ。
おかげさまで夜は宵っ張りの二人が8時過ぎに帰宅したころにはぐっすり。こちらも朝が早かったこともあって10時には寝込んでしまった。


会場の体育館は参加者で満員。地図に乗るスポンサーシップの数を見てもこのスポーツの勢いを感じる。やっぱり参加者はもちろん運営者も楽しんでいるのがとてもよく伝わってくる。こういう雰囲気だと人が人を呼ぶんだろうなあ、とまったく違う競技や位置づけながら、やっぱり楽しむことが一番と妙に感心してしまった一日でした。

水曜日, 3月 31, 2010

二日酔い

やっちまった。

お酒は嫌いじゃないけど、酒で失敗することは少ない方だと思う。特に社会人になってからは酒に呑まることはめったにない。それが久しぶりに失敗をやらかした。

後輩達の栄誉をたたえる祝勝会。母校のインカレ優勝祝いである。実に6年ぶり。事前の出欠で久々に懐かしい面々が集まっていく。当然駆けつけたい気持ちでいっぱい。
だけど、日が近付くにつれ、脳味噌は忙しさで余裕がなくなってきた。そういう時はこんな目出たいイベントさえうっとおしくなる。パズルのように予定を考えていると「飲み会」の字がとても邪魔に見えてきた。
まるっきし遅刻の時間になってようやく会社を出る。そろそろ4月とは思えない厳しい寒さも妙に不愉快で、「今日は学生をたたえたら早めに帰ろう」と心に決めて電車に乗った。

ところが、久しぶりに会う面々の懐かしい顔を見るところっと気持ちは変わった。学生のうれしそうな顔を見て、だんだん箍がはずれた。会話もビールもはずむはずむ。

多分ビールだけじゃなくて日本酒をのみはじめた頃からだろう。記憶の中で若い学生にずいぶんしつこく話ていたように覚えている。捕まっちまった方はとんだ災難だったろう。2次会の終わりはあまりよく覚えてないが、1次会後より財布のお金はきちんと減っていた。おそらくみなとわかれおぼつかない足取りで東京駅から山手線に乗ったのだろう。
気がつくと家と反対方向の池袋のホームにいた。時計は終電なんてとうに過ぎた時間。
しかたなくタクシーで家に向かった。

二日酔い。まだアルコールの中に浸かっているような朝。いや、こりゃまいった。
いつ以来だろう?前回は、WOC2005の前、受け持った四国に仕事の種があって、実を結ぶにはどうすればいいか、地元の代理店の人と悩みながら夜の街で飲み明かした時以来だ。

頭は痛い、体はきもちわるい、散財した上に、仕事も山ずみ。。。ああいいことない。
でも、それだけうれしかったのか、自分にたまってるものが多かったのかも、まあたまにはそんなこともしょうがあるまい。