日曜日, 12月 28, 2008

大島=皇居×8

10年前の自分はこういうことは絶対しなかった。
こういうことを1人でするのは、競技者というよりも、どちらかといえばトレーニングマニアなのだろう。
最近、自分はよぼよぼになるまで、走ることはやめないだろうと感じることがある。多分、こういう発想で走るようになったここ数年、そうおそらく妻の影響かもしれない。

「さすがに今年は無理、残念だけど」
母としての一線は心得ている。24時間のブランクは母乳オンリーの乳飲み子にとってはちと辛い。酔っ払いばかりの夜行二等船室に連れて行くこともできないし。
恒例になりつつある、大晦日ハートブレイクの大島一周は、ちびを身篭った昨秋の時点であきらめてた。「まあしょうがないさ、また来年行こうよ」

ただ、「40kmを走って年末を迎える」という習慣は、すでに根付いてしまっている。なんとなく大島を走らずに年を越すのは物足りない。
大井さんや許田、上坂さん、頑張る人にインスピレーションを貰えない寂しさもある。
でも、走るだけなら。。。皇居を8周すれば40キロ。なんだ、それじゃあ身近なところで、船にも乗らず、片道40分で同じことができるじゃないか。
妻は興味を示したが乗ってはこなかった。今はトレイルでの練習に興味がおありのよう。

28日の早朝、防寒具とコーラ1本、小銭だけを小さなデーバックにつめて1人で家を出る。
透き通るような青い冬の空、皇居の常緑樹が美しく生える。走るには絶好のコンディション。
大島一周は42kmで総登距離が800mくらい。いつも2時間56分前後なので、平地換算ならキロ4分程度のはず。それなら皇居は20分×8周で2時間40分。

桜田門の時計台近くのベンチに荷物をおいてスタート。
さすがにまだ8時前、ほとんど誰も走ってない、けど陽が昇るにつれだんだんランナーの数は増えていく。意外と多いのは外人のランナー。後ろから追い抜くと、なんとなく体躯や走り方で見分けられる。欧米都市に比べて公園緑地の極端に少ない東京。皇居の周りは貴重なジョギングコースかもしれない。

8周を終えた頃には手袋もいらない陽気になり、観光客も大勢歩き始めていた。2時間39分。調度目標通り。
何周もぐるぐるまわると分かる。皇居は1周5kmといわれるけど、若干それより短い。多分50mくらいだろうか。最後の5kmだけ1kmのラップが10~15秒速いのだ。20~25mのアップダウンがあるので、5kmと思っていればタイムとしては間違いないが。

急いで着替えて自宅へ。午後は妻が出かけるため留守番。疲れた身体を娘の昼寝に付き合って癒すことにしよう。



木曜日, 12月 25, 2008

H&M

たまたま外回りで、御茶ノ水で仕事があけた24日。
打ち合わせが終わって時計を見るとまだ6時。これ幸いと、最後のチャンスで街に出た。

クリスマス・イブの街は華やかなイルミネーションに溢れてる。
丸の内線の銀座駅で降り、中央通りを歩いた。
こんなところを歩くのはいつ以来だろう?
すっかり自転車通勤が馴染んでしまい、人ごみを歩くのが妙にぎこちない。
幸せそうなカップルの間を縫うようにして、お目当ての店についた。
一時日本に進出した時に話題になったH&M。でも意外と入り口は控えめである。
店内もこじんまりしていて、レイアウトはあまり機能的でない。
それでも、手ごろな値段で、それこそ欧州の女性が好んで着そうな服が所狭しとならんでいた。
ユニクロやGAPとはまた違うニュアンスだ。これがまた違う客層をつかむのだろうか。

袋小路の多い店内をうろうろして、ようやく目星をつけたセーターは6000円弱。似合いそうだけどもう少し華やかな色合いがいいな。でも他に手ごろなものが見つからない。
婦人服売り場に慣れない男にとっては、まるでカラータイマーのように心臓がどくどく鳴り、落ち着きがなくなってくる。
誰が見ているわけでもないのに。じわり汗をかいてくる。
他の店に行く時間もないし。
いいや、これで。
手にとってレジの列についた。

ほっと一安心。時計を見て、急ぎ足で新橋駅に向かう。
途中、クリスマスセールでしがないイルミネーションをしている本屋のワゴンセールが目にとまった。
「DVDお買い得、赤頭巾ちゃん、ヘンゼルとグレーテル、白雪姫」
やや埃っぽいような気もしたが。5秒ほど考えて、500円玉を財布から取り出し、店内のレジに向かった。

今年も出勤日はあと2日。仕事はひと段落したのやら、
でも何かと「では、年明けに」と逃げ切り体制に入った。
2008年ももうおしまい。
本当に1年経つのが早い。



日曜日, 12月 21, 2008

10マイル

今月はオリエンテーリングもトレイルランのレースもお休み。

全日本リレーも、ES関東のスプリントも、残念ながら色々な事情でスキップした。
もっとも秋以降そういう状態が続いているので、オリエンテーリングのない生活に慣れてしまっている。

ただ、月に一度は刺激がないと、トレーニングのモチベーションにも繋がらないので、
地元のレースに出た。大田区のロードレース大会。大田区の陸上競技場を中心に、大井ふ頭中央公園周りの歩道を廻るかなりローカルなレースである。それでもなんと第57回で今年も1800人参加がいるというからマラソン文化の深みに驚く。
子供二人を妻のご実家にお願いして預け、二人でジョグで会場に向かった。およそ4km25分。ちょうどいいウォーミングアップ。12月とは思えない陽気。

種目は10マイル。珍しい距離である。16090mなので、3分45秒のペースで1時間ちょっとになる。
プログラムを見ると出場者は大体700人。思いの他多い。

話は飛ぶが、ロードレースやトレランに出る時、目標をどう設定するか。もちろんタイムが一番明確だけど、コース状況が分からなかったり天候によって左右されたりもする。かといって順位は参加者の数やレベルに大きく左右される。
それでも最近、どんな大会でも比較的ぶれずに通用する、便利な目標設定を見つけた。

名づけて「Log2」目標。

簡単に言えば、参加者の100分の1の順位を目指すこと。これが特殊な大会(学生選手権を兼ねたハーフとか)でなければ、ほどほどの目標としてほぼ機能するのだ。
トレラン、ロードレースの違いは問わない。
この日を例に取れば、700人の参加だから7位、丸めて6位入賞が良い目標である。

レースの舞台はパークOに調度良さそうな中央公園(今だ地図はない!)。
一周約2.5km。その一周と公園内の競技場の出入りを何度も繰り返し、計5周廻ってやっとゴールする。陸上トラックを反対に廻ったり、公園内の遊歩道を鋭角に曲がったり、コース設定に苦労の後が見える。
小刻みなカーブの上、周回遅れの選手とごちゃまぜになって走ったり、あまりタイムを狙えるコースではない。それでも何年か前に東洋大の学生が48分台を出しているから感心。でもなぜ箱根級の選手がこんなローカルな大会に?という気もする。

さてスタート。序盤からトップ集団にはちょっとペースがきつく、はじめの1kmであきらめた。7,8位の第二グループで淡々とレースは進む。心拍も178-180程度で、この距離には調度いい。ただどこか身体にキレを感じず、3週目の10km過ぎから7位の選手にじりじり差をつけられた。そのまま後半は粘りが聞かず、最後にちょっとがんばって8位でゴールした。
目標には届かず。58'58はキロタイム換算だと3'40/km。ハーフ換算だと77分台なので、やっぱりレースとしては今ひとつだった。57分台前半は出るかな、と思って成績表を見ると、6位は調度そのくらいのタイム。やっぱりLog2の法則は正しい。

余談だが、先日の1月の谷川真理ハーフ7000人で49位、赤城のトレイルは約600人の参加で6位、山耐は2500人で53位。前者二つはLog2達成で実際満足度の高いレースだが、山耐はLog2達成できず、実際悔いの残るレースだった。
つまり自分の走力は総じてしまえば日本の市民ランナー含めた全体で100人に1人(Log2)のレベルということになる。アマチュアとしては褒められるけど、何かの競技を極めるためには余りにも平凡だ。これがLog3選手になれば、きっといろいろな分野、オリエンテーリングでもトレランでも、違う世界が見えてきていたのだろうと思う。
もちろんそのために、努力が足りなかったのか、資質が足りなかったのか、その答えを知ることはできないけれど。

話がそれた。
妻は79分でゴール。但し、一回4週目でゴールと間違え、5週目を走りなおしてた。
目標タイムとかを気にしない、妻らしい間違い。でもきっとこのレース、多分何十人って同じミスをしていそうな気がする。でもそれでもまあ、気持ちよく走れればいいやと思えるゆるさが、こうしたローカル大会のまた魅力でもある。



日曜日, 12月 14, 2008

激減するメールチェック


今までは「パソコン中毒」だったらしい。妻いわく。
会社から帰って、トレーニングを終えると、夜食をほおばりながら寝るまでの短い時間に慌てて、パソコン開き、メールチェックする。妻の一日の報告にも生返事でPCの画面をめくる。懐の深い妻はきれずにただあきれるばかり。

いい訳をすれば、娯楽だけでPCに向かっているわけじゃない。いろいろやらなければいけないことがある。「仕事じゃない仕事」とでも言おうか。ボランティアかもしれないけれど、責任が発生する。だから、眠い目をこすってでもメールをチェックして最低限の回答をしたり、書類を作ったりしないといけない。

ところが、最近平日に時間が取れなくなり、パソコンを開かずに寝ることが増えた。一度パソコンを開くと少なくとも30分はかかる。下手すれば1時間。そう思うと、そのまま床について睡眠時間を確保したくなる。休日は休日で、何するわけではないが、狭い我が家では子供達が起きている間にPCを見ることは難しい。まして集中して読み書きしようものなら、鼻の穴に小さな指が突っ込まれ、画面は意味不明の文字で埋め尽くされる

本当に必要な時しか、メーラーもウエブも開かなくなった。

必然的に情報は減る。メールの返事も遅くなる。自分の割り当てられた役割をこなす最低限のインターフェイスを守るので精一杯。いやすでに支障をきたしているかもしれない。
今の役割はこなさなければいけない。が、よほどのことがない限り、次に何かを受けるのは躊躇してしまう。
おそらく、フェイドアウトしていく人は、こうして消えていってしまうのかもしれない。同じ時にモチベーションを失うようなことがあったら、なおさらである

継続するためのモチベーションをいかに保つか。モチベーションがあれば事態は改善する。少々こらえ時かもしれない。


土曜日, 12月 06, 2008

微増する体重

久しぶりに忙しい。

11月から納期、コストが厳しいプロジェクトが台風のように現われ、気がついたらど真ん中の目となりPMをやっていた。
やりがいはある。今の部門の業績にも直結するし、技術は専門性が高く、自分の蓄積したノウハウを発揮できる。これを上手くこなせたら自分もたいしたものだと思うけど、一つ躓くと連鎖的に失敗するリスクもある。
当然仕事の量が増えた。ストレスも増える。平日は二人のちびの寝顔しか見れなくなった。

だいぶ自転車通勤に助けられている。終電の制約がない分自由に時間が使えるし、最低限の運動量は確保できる。気分転換も図れる。
多分通勤電車に揺られるよりもはるかに身体にも精神的にも健康でいられるだろう。

一点どうしても防げないのが体重。
POLARのトレーニングダイヤリーでジグザグしながら少しづつ上昇するグラフ。地球の平均気温を示すグラフを見て温暖化を認めざるを得ない科学者の気分。
「どう贔屓目に見ても増えている・・・」

この1年で減らした分の大方が戻ってしまった。運動量は実はそれ程減ってない。むししろ忙しくなると、甘いものを中心に食べる量が増える。ストレスで過食気味になるタイプらしい。封印していた昼食後のアイスジャンケンも再開。後輩が僕の顔を見ると「ジャンケンしますか」待ってましたとばかり声をかけるようになった。

当面忙しさは続きそう。ストレスコントロールの次は体重コントロールが課題である。

水曜日, 11月 19, 2008

シンポジウム

企画しました。


仕掛け人です。

こういう議論は、しょっちゅうやっていてもかったるいし、「会議は踊るされど進まず」、になりかねない。
でも、あるタイミングでは絶対必要なものだと思う。
そして、WOC2005を終えて3年、今はそのタイミングだと感じた。

吉とでるか、凶とでるか、それはわからないけど、
幸い真摯に捕らえて準備をしてくれるパネリストや司会の方がいる。
きっと伝わるなにかが生まれるのではないか。淡い期待を抱いて週末を迎える。

当日時間のある方は是非参加下さい。

火曜日, 11月 11, 2008

4ヶ月ぶりのOL

「東早戦に出ませんか?今年はALL東早戦なんです。」
後輩からメールが来たのは1月ほど前。
なんだか随分懐かしい響きである。そういえば5年に一度OB・OGも含めた対抗戦をやっていたっけ。
だけど、今はまったくオリエンテーリングをやっていない。おまけにこの日は調度陣馬のトレイルレースに申し込んだ後だった。一月に1回の貴重なレースである。何ともタイミングが悪い。それでも可愛い後輩の誘いに無下にも断れず、曖昧にペンディングにしておいた。

それからしばらくして、別の後輩からも誘いがあった。

誘ってくれるうちが花。最近元気な現役の学生の様子を見てみたい気もする。振り込んだ6000円はもったいないけど、考え直して出ることにした。

テレインは天覧山。近郊テレインの代表格である。11月にもなると飯能あたりの里山もようやく秋らしい風景になる。広葉樹の森は見通しがよくなり、葉も色づいてくる。一年でもオリエンテーリングが楽しい時期だ。
考えてみれば最後にオフトレイルに脚を入れたのはチェコのWOCリレー、実に4ヶ月ぶりである。もちろん地図とコンパスを手に持つのも4ヶ月ぶり。

レースは流石に思うようにいかなかった。まず不整地が怖い。草むらになると極端にスピードが落ちる。下りのがれ場もリズムが悪くがくがくする。地図も読めない。サムリーディングが機能せず、地図を読むタイミングが悪い。案の定中盤のレッグで大きくロス。久しぶりに「ここはどこ?」状態で立ち止まり5分程度のミスをやらかした。それでも登りは元気に登れたので脚は衰えてないよう。

トップとは5分差の51分。ちょうどミスをした感覚のタイム差で速い人々~寺垣内、俊介たち~から遅れをとっていた。こんなもんかな。現役2年の小林君が上にいた。2年でこのタイムは立派である。
対抗戦は接戦らしく、若いOBがしきりに上位のタイムを計算している。どうやら僅差で東大が勝ったらしく、戦犯にならずにすんで、ひそかに胸をなでおろした。

レース後、50分では物足りず、これまた最近珍しくオリエンテーリングに顔を出したヒディと、多峰主山までゆっくりジョグで登り返した。
ゆっくり話すのは考えてみると久しぶりである。お互い育児に忙しくめっきりオリエンテーリングはご無沙汰組。
走りながらの話題は、娘のノロケ話もそこそこに、やっぱり現状のオリエンテーリング、将来のオリエンテーリング。そういう方向になる。
まあ、お互い、そういうことに避けるリソースは限られているけれど、気になっている点は一緒。長年この世界で楽しんできたからこそ、関わる時間が短くなっても気になるのだろう。

一つ嬉しかったのは、二人が漠然ともつビジョンが一致したことである。もしかしたら、このビジョンは実を結ぶことができるかもしれない。池袋で西武線を降りて別れ際、なんとなくそんな予感がした。だとしたら、とても素晴らしいことだ。もう少しこの卵を温めてみよう。



水曜日, 11月 05, 2008

霜月

娘が口ずさむ唄も、秋の唄からクリスマスソングに遷った。
「霜月」というにはあまりにも暖かすぎるけれど、暦の上では今年もあと2ヶ月。

ハセツネが終わってからは会社のソフトボール大会や、自治会の運動会など、呑気な週末を過ごしている。

4人家族の生活にも漸く慣れてきた。子供が2人になると、可愛い反面、自分の時間は激減する。なんの予定も入れてない一日なのに、あっという間に日が暮れて、気がつくとメールチェックもできずに終わってしまう。もっとも妻は僕以上に子供達の世話に割く時間もエネルギーも多いので、贅沢はいってられない。まったく頭があがらない思いである。
よっぽどうまくやりくりしないと遠出は難しい。しばらくは妻と相談しながら交代でちょこちょこレースに参加するのが精一杯だろう。

レースや遠征に出るのは難しいが、振り返ってみるとトレーニングはそれ程悪くない。10月はまとめてみたら49時間、ラン350km、自転車200kmを越えていた。ハセツネで10時間、70km走っているせいもあるけど、それを除いてもまずまずである。
平日は通勤の自転車以外は、子供の寝てる時間がトレーニング時間。つまり朝7時半前と、夜10時半以降である。さすがに子供を寝かしつけてうとうとした後に走るのは辛いし質も落ちるけれど、それでもちょこちょこ分けて走ると量はそれなりになる。

当面これといった大きなレースはないが、12月に走る10マイルで56分が目標である。



月曜日, 10月 13, 2008

黄色い第二CP

「あら、オリエンテーリングじゃないの?」
家族の予定を実家の母と調整してた時、10月11日の週がだめな理由を聞かれた。
あまり細かく説明してもしょうがないと思いつつも、
奥多摩の山々を70km走るレースに出るのだと説明した。

うちの実家で自分は異色の存在。母は何十年来音楽教師、父も定年後の趣味で歌っている。ついでに兄も音楽が趣味、妹は部屋にばかでかいベースをおいている。何故か次男坊の自分だけまったく違う方向に走っていった。
そんな山ともスポーツとも無縁の母にとって、10km以上はえらくしんどい距離でひとくくりである。70kmといってもぴんとこないらしい。たまたまテレビ番組に出てきた奇人を見るようにあきれてる。
「へえ~、あんたも好きねえ。何人くらいでるの?」
「それがさあ、2500人。しかも申込みの翌日に定員オーバだって」
母はこちらの方に真剣に驚いて目を丸くした。

その、多少バブル状態のような気がしなくもないトレイルランブームの中第16回ハセツネは開催。

そもそもこのレースに出たきっかけは何だろう?レースの存在は第1回から知っていたが、オリエンテーリングに勤しんでいた当時、寄り付いてはいけないキワモノのイメージが強かった。富士登山競走までは許容範囲。それ以上は踏み越えてはいけない域。長らく田中正人さんや琢さんの活躍を、距離をおいて静観していた。

そのレースに出るきっかけをつくったのは妻である。
5年前まだ付き合って間もない頃。突然参加してみたいといった。
「まさか、うそでしょ?」まずハセツネを知っていること自体驚き、はじめは冗談かと思った。
たしかに山屋だけど、走ることはまったく素人でマラソンも完走したことない。
でも真剣そのもの。そのうち装備の準備をはじめた。確かにアルプスの稜線を幕営で歩くことを思えば、24時間の制限時間があればチャレンジできなくもない。
結局説得されて参加することに。調度、僕自身スイスの世界選手権後で、体が壊れてもいい時期、少々オリエンテーリングに閉塞感を感じていた頃でもあった。

その年に二人とも完走。ビギナーズラックもあった。味をしめた。病み付きになった。それから5年。結婚、出産、出産。いろいろあったけど、夫婦で出来る限りエントリーしている。
今年は残念ながら妻は産後のため出走を断念。2年前産後5ヶ月で出走しえらい目にあったので懲りたらしい。第2CPで棄権し、バスで降りてきた後つぶやいたのは「乳が張って痛くて走れない」だった。「じゃあ次は月夜野で赤ん坊抱えて待ってようか?」神様に叱られそうな夫婦である。

妻と子供を置いて今回のレース。9時間54分なり。中盤以降、消化器系と循環器系のトラブルがあり2,30分はロスしたかもしれない。じつはそのロスは今自分的に重い課題なのだが、少々マニアックな話なので他の機会にゆずる。いずれにしろ自分の持久系レースでの実力は今こんなものである。もちろん上位の選手の走りを見ると、もっと準備をして、自分も限界まで走りたいという欲求にかられるが・・・。

自分はなんでこのレースに出つづけるんだろう? 
毎年きちんと調整できているわけではない。実際成績も周りのオリエンテーリング選手と比較すればパフォーマンスは低い。
そもそも、自分の一年のトレーニング周期は時期的にハセツネと波があってない。
だけどなぜか申し込んでしまう。

ただのロマン、それはもちろん大きな魅力である。だけど多分それだけじゃない。
考えてみるとそれは刺激である。
全日本チャンピオンとしてオリエンテーリングの世界では一応の成功を見ている。しかしそれはあえていうなら、日本という低山に登っただけ。欧州を中心とした世界の高峰は依然として立ちはだかっている。しかしその欧州は遠い。生の刺激は年に1度味わうのが精一杯。
トレイルランは日本にいて自分を遥かに超えるレベルに接することのできる世界である。トレーニングから競技へのコミットメントまで、色々な意味で選手のレベルは今の日本のオリエンテーリグより数段上である。そういうレベルを肌で感じることが、井の中の蛙にならないための、大切な刺激なのだ。
もし本場欧州のオリエンテーリングが距離的にも金銭的にも近いものであれば、自分はトレイルランを走らなかっただろう。そう考えると、ハセツネ他のトレイルランは一種の「疑似体験」かもしれない。

今年、とうとう7時間30分台にまでトップのタイムが伸びた。どこかの記事で、鏑木さんが「才能とか素質ではなく、努力とか思いが通用する数少ないジャンル」といっていた(正確ではないかもしれないが)記憶がある。しかし僕から見れば、ハセツネも才能とか素質の世界に入りつつあるように思う。そして、その世界で今だ進化する鏑木さん、横山さんを見ていると、本当に競技者として敬服する。そう、相馬さんも今回は残念だったけど、きっと今後巻き返してくれるに違いない。

オリエンティアの面々も記録を大幅に伸ばした。どちらかといえば控えめで、熱い思いを秘めるタイプがなぜか多い。(・・・そしてアウトドア選手なのに何故か色白が多い・・・)
そうした選手が努力して着実に進歩するのを見ると、準備と結果の関係が見て取れて気持ちいい。僕はその気はまったくないけれど、レース後の皆の顔を見が、男前でとても眩しく見えた。
急激に進む高速化の中で順位は厳しくなるけど、是非今後も頑張って欲しい。

最後に、今年のレースで一番?嬉しかったのは、月夜見の応援!(という意見他にも多し!)
一番気分的にもキツイ時間、予想外だっただけに嬉しかった。最近考えてみれば黄色い声なんて家に帰った時の娘くらい。久々に元気が出ました。どうもありがとうございました、応援してくれた皆様に本当に感謝。



木曜日, 10月 09, 2008

5年目の退会

5年間入会していたフィットネスクラブを退会した。

思い返せば、まだ妻と結婚する前、お互い仕事をして忙しかった時期に、一緒にトレーニングしようよ、と誘いに乗って入会したのがきっかけである。
走るだけの一本調子のトレーニングから、筋トレやヒルクライム、ジムトレなどバリエーションをつけてトレーニングの幅を広げた時期でもあった。

それから数年、使うマシンはマンネリ化してきたが、夏の暑い時期などや雨の日は重宝し、週1,2回通い続けた。トレーニング量が安定してきた時期にシンクロしてるのも偶然ではあるまい。
しかし5月に職場が羽田に移って自転車通勤を始めてからめっきり使う機会が減り、これを機会にやめることにした。

安月給をちくりと妻に指摘され、子供の養育費を理由に小遣い減額を迫られる・・・、、世のサラリーマンの宿命のように、ドラマで繰り返されるお決まりのパターン
幸い我が家の妻はその点まったく寛容なのだけど、管理職になって残業代がなくなり、毎月振り込まれる給料が一定になると、自発的に支出を気にするようになる。我慢するわけではないけれど、もっと効率的な使い道を・・・、そうなると今の自分にとってジムの月1万はベストな選択ではないような。

「本当にいいの?」妻に引き止められたけど、1年分貯めれば12万、家族で海外遠征資金の足しにもなるでしょ、と退会を決定。

自分のライフスタイルに合わせてトレーニングも少しづつ変化。それが面白い。




月曜日, 9月 29, 2008

三河の森



チェコ以来2ヵ月ぶりのレース。少々気取った言い方をすれば「2ヶ月ぶりに公の場」に顔を出したことになる。森に通いつめた夏までの生活から一点、毎週末を家族で過ごす日々は安らかではあるけれど平凡な日々。すっかり普通の人に戻った今、久しぶりの遠征を迎え中学生ののように胸が高鳴った。 

しかも今回は、招待選手として参加させてもらう栄誉を頂いた。他の招待選手には山耐を優勝したかの相馬さんや、ランママの佐藤先生がいる。一流の方々と交流するチャンスである。どちらかというとミーハな気分。 さらに行きは柳下君の車。いつも刺激的な村越さんや、TJARに参加した伊藤さんも一緒。なんとも充実した遠征になろうことか。

行きの車から、早速魅力的な世界に引き込まれた。話題は自然とTJARへ。富山湾から日本アルプスを縦断して静岡に至る400kmのレース。キワモノと見るか、壮大なロマンと見るか。もちろん受け取る人によるが、語り手のハートにも左右される。満天の星が輝く夜空の下アルプスの稜線を歩くロマン。スクリーンの中だけで広がる冒険の世界がそこでは現実。伊藤さんの話を聴けば、このレースを一生に一度はチャレンジしたいと思う人が増えたに違いない。 

三河に到着後は佐藤先生のPOLARを用いた心拍計の講義を聴き、久しぶりにトレラン関係の人々と話をした。笑顔の耐えない佐藤先生。簡潔な会話にスポーツマンらしい気風を感じる相馬さん。そう、今時点で「ただの人」の自分にとって、こういうレベルの人との平凡な会話でもとても刺激的。  

肝心のレースの朝。お立ち台で紹介を受ける栄誉。招待されたからには今の自分のベストをつくすべし。しかし残念ながら途中から失速。WOC後のトレーニング不足よりも、2週間前からだらしなく引きずっていた風邪が悪かった。途中からファンランモード。しかし久しぶりに走る三河の森はいい。WOC2005の思い入れを差し引いても気持ちよい森である。「シングルトラックでも見通しのよい森」が素晴らしいと佐藤先生がおっしゃっていた。なるほど関西にはない珍しい森かもしれない。若干ロードが多い印象はあるが、そういう里山的な良さを感じるコースだった。おまけにコース表示が豆でコンマ何kmまで表示してあるところがいかにもオリエンティアらしい。 

さて結果は、大助が2位以下を圧倒して優勝した。24kmアップ800m以上のコースでキロ4分は脱帽である。「WOC前よりいいトレーニングできている」自信を持って答える彼は今本当に強い。11月の第二子という節目を迎えるが、二児のパパとしてますます頑張って欲しい。 

2週後は山耐。この調子だと目標にしていた9時間前半はちょっと厳しい。ただ、タイムよりも、日没直後に連なる山々のぼやけた輪郭、真っ暗な尾根道を自分のライトだけで進む尾根道、そんな山耐ワールドが楽しみである。(写真:上林さん提供)  

土曜日, 9月 20, 2008

ドレイクの方程式

というものがある。

SFの好きな人は知っていると思うが、この銀河系に知的生命体が存在する星の数を計算で求める方程式である。そんなロマンチックな式があるんだろうかとわくわくしてその式を見ると少々落胆する。

N=R*×fp×ne×fl×fi×fc×L

考案者の名前付きで仰々しく流布されるには、少々稚拙な方程式にも思える。しかもその係数は実際に計算できない値ばかり。例えばneは「1 つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数」などである。こんな係数に数字与えられるのか?

この式を使っても、本当に知的生命のいる星の数を知ることはできないだろう。しかし、この式は、知的生命体が生まれる可能性を探ぐっていく上で、その条件、あるいは論点を整理してくれる。

そういう意味では、この方程式は大いに役立つし、有名になるだけの価値があるのだろう。

同じようにまねをしてみたくもなる。例えばこんなのどうだろう?

カシマダの方程式

ある国Aのある年において、WOC予選を通過できる選手の数Naを与える方程式

Na=R*×fp×ne×fl×fi×fc×L

R*   :その国で1年間に生まれる子供の数
fp   :その中でオリエンテーリングと出会い、面白いと思う人の割合
ne   :その選手の中で、走力的素質が十分にある選手の割合
fl    :その選手の中で、技術的素質が十分にある選手の割合
fi:   :その中で上を目指して十分なトレーニングの努力を継続する選手の割合
fe   :その選手の中で、怪我、病気その他不可避な外的要因なく競技を続けられる選手の割合
L   :ピークパフォーマンスを出せる平均的年数

ドレイクの方程式と違って、この方程式の左辺、つまりNaは既知である。
例えば今の日本は、Naは男子で0.5未満、女子は約1である。

各国連盟の強化担当者がこの式に興味を示してくれるだろうか?
いやこれだけでは当たり前。
では、Naを大きくする方法。例えば今の日本でNaを2,3あるいは5、10にする方法をサジェストできたら、それはとっても魅力的な式になかもしれない。

それにはそもそも各係数がどの程度の数字かを想定せねばならない。

これ自体大きな議論になるが、かなり私見を交えると以下の数字になる。
例えば日本男子を考えた時、

R* =500,000
fp=0.0004
ne=0.01(100人に1人)
fl=0.2(5人に1人)
fi=0.2(5人に1人)
fe=0.5(2人に1人)
L=10

つまり

1年間に生まれる男子50万人
そのうちオリエンテーリングを始める男子50万人×0.0004=200人
そのうち、十分な走力の才能がある人200人×0.02=1人
そのうち、十分な技術的才能がある人2人×0.2=0.4人

そのうち、十分なトレーニングの努力ができる選手の割合0.4人×0.2=0.08人

そのうち、幸運にも怪我などしないで順調に成長できる人の割合0.08人×0.5=0.04人

つまりそのような選手25年に1人。その選手が10年活躍すれば、そういう選手がチームにいる可能性は

0.04×10=0.4人

となる。
ま、机上の空論ではある。でももう少し先に進もう。

このどこかの数字を大幅に改善することが、良い選手を多く生む条件となる。

例えば、
fpを大きくするのは、オリエンテーリングの普及、誰彼問わず、数多くの選手に始めてもらうこと。
neを大きくするのは、身体的能力の高い選手、あるいは素質のある選手に多く挑戦してもらうこと。
flを大きくするのは、ナビゲーション能力の素質のある選手に多く挑戦してもらうこと。
fiを大きくするのは、そういった素質のある選手を育てる環境を改善すること。
feは、怪我や病気などを予防すること。

さて、では、強化の秘訣となる改善策は何か? 上記カシマダの式から何かは見えたか?
やっぱり方程式は方程式。残念ながら何かを語ってくれるわけではない。当たり前だが、ここから何を読み取るかは人によってことなる。
やっぱり、強化策を導き出す方程式の創設者として名をはせることはできなさそうである。

ただ、こうして整理してみると分かるのは、強化というのは、競技の裾野に広く渡っているのだということ。本当の意味での強化策というのはピラミッドの頂点に関係している部分は限定的で、頂点を摘んで上げる策を練っているだけでは不十分なのだ。
裾野全体を見渡して、普及や広い競技層とリンクすることが効果を生むことは間違いないだろう。そろそろそういう議論に本格的に遷るべき時に感じる。
お隣のスポーツを見ていても。

木曜日, 9月 04, 2008

秋のシーズン

ある駅の構内にある本屋。
30代のカップル。男の胸にはスリングに包まれた乳飲み子。女は去り行く夏を惜しむかのようにトロピカルなTシャツ姿。

「まだ時間あるわ、ちょっとよろうよ」
「ああ、でもこんなとこにあるかなあ・・」

「へえ、あった、しかも色々あるぜ」
「はは、この題字ださっ、あっヤギクンのってるのってる!」
「本当だ。げっ1300円、高!」
「だめよ、1冊だけよ、どれにする?」
「5人の肖像・・、マサトさん表紙かあ・・・、でもこれかな」

飛び乗った電車で早速雑誌を眺める二人。赤ん坊はあきれた様にすやすや。

彼女がトレイルに復活する日も近し。

月曜日, 9月 01, 2008

いざという場面

大垂水峠からの急斜面を登って城山についたのは10時頃だった。
8月最後の休日だったが、この2,3日東京を襲ったゲリラ雷雨が所によって尾を引いていたせいか、いつもなら中高年の登山客で賑わう茶屋も閑散としていた。

その閑古鳥がないている茶屋では、今時見かけないピンクの電話で話している若者がいた。声は聞きとれなかったが、しきりに何かを電話先に伝えている。何かハプニングがあったのだろうか。しばらくして電話を切ると、茶屋の兄さんと二三会話をしたあと、周りをおびえるような目で見回して、広場の隅のベンチに座った。何かを待っているらしい。

日が高くなるにつれて蒸し暑さが増してくる。体調も今ひとつ良くないせいか、粘っこい汗ばかりが額に流れる。思いのほかここまで時間がかかった。午前中という約束で娘を実家においてきたが、このペースだと帰宅は昼を過ぎてしまう。休みたがる身体を説得するように高尾方面に走り出した。

高尾山までの尾根を2,3分走ったところで、10人程の登山客が立ち止まっているのに遭遇した。そして城山のあの電話の意味がわかった。

輪の真ん中に初老の男性が倒れていた。低山登山の模範的装備をしたその男性は、意識はなく顔面蒼白。通りかかったトレラン風の女性が気道を確保し、男性が心臓マッサージをしている。
「30回に1回息を吹き込んでください!」女性はしきりに指示を出していた。
その場に脚が張り付いたように立ち止まった。自分に何が出来るか分からないが、そのまま素通りはできない。
やがて、ザックの中から男性の身分証明書を探したり、衣服の締め付けを解いたり、兎に角その場できることを周りの人で協力してやりはじめた。腕の力が必要な心臓マッサージは男性が交代でやり、自分も参加した。人間の胸はこんなに弾性があって力強くできているのか。だけど自分がいくら胸を押しても、男性の表情はひとつかわらない。1人の尊い命を目の前に、自分の無力さに情けない気分になってきた。

20分くらいたっただろうか。空からはヘリコプターの救急隊が開けた尾根上に懸垂下降で到着。またその直後にバイクで城山に登ってきた救急隊が駆け下りてきた。
ものの数分でAEDをセットし、ハーネスに男性を包み込むと、救助隊に付き添われて、空中停止するヘリコプターに吊りこまれていった。

1人登山だったようで、たまたま後ろにいたトレランパーティが不自然に倒れる姿を見たようだ。
男性のその後はわからない。人工呼吸や心臓マッサージをしている間、いくどか自発的な呼吸の音が聞こえたような気がした。また目がかすかに動いたように思えた。今はただただ無事を祈るばかりである。

あの場に集まった人は皆通りかかった登山客である。そして、その中で1人、救急救命の知識を持った女性がいたからこそ、少なくとも皆で最善を尽くすことが出来た。

自分も野外活動をすることが多いが、正直きちっとした知識を身に着けているとはいいがたい。会社の講習等で実習した覚えもあるが、いざ実践に使えるかといわれれば心もとない。
合宿、練習会、トレイルランニング。そのような場で同じことが起きたら・・・・、もし自分がわずか1,2日の訓練を受けることで、誰かの命を救うことが出来るかもしれないとしたら・・・。そう考えると、救急救命についてきちっと学ぶべきだ。今更ながらそう感じた。



水曜日, 8月 27, 2008

CC7

雨がしとしとと降る週末
生憎の天気に我慢しきれず、母と娘で訪れた動物園。閑散とした園内にそれでも同じような家族連れがちらほら歩いていた。
元々それ程珍しい動物がいるわけではない。それでも目玉の象がたった1匹歩いていた。
「ほら、象だよ」
娘に教えるも、童話や唄の世界で生き生きと登場する大きな象が、こんな無味乾燥なコンクリートに囲まれてしょんぼり歩いている生き物だなんて。
なんだか娘の夢を壊すようで、申し訳ないような気分になった。

娘も飽きてきた。時計をふと見ると、2時過ぎ。
そろそろ7走もゴールしているころだろう。上位の順位も決まっている頃だろう。低い松の林を走る選手の姿が目に浮かぶ。

思い返してみると、95年に渋谷として初めて走ったCC7。それ以来WOC代表が故に走れなかった2005年を除けば、初めての欠席である。今更ながら、日帰りでも参加するチャンスはなかったか、後悔の念も過ぎる。
しかし、今月はオリエンテーリングの優先順位を下げる、当初からそう決めていた。中途半端な参加はオリエンテーリングにも、そのほかの部分にも良くはない。きっと出走しても結局よい結果も生まなかったろう。今この瞬間の自分は、到底競技者ではない。

娘の午後の昼寝を見計らってインターネットで結果をチェックした。京葉が優勝。2位ES関東。激しい上位争いがあったのだろうか。その他上位は最近の強豪が順当に名を連ねる。昨年優勝の多摩は残念ながらDNQ、渋谷は9位相当だった。

今年は、家族を抱えるメンバーが多い中、メンバー集めに苦労した。その中で組んだチーム。メンバー集めの点では反省点もあったけど、嬉しいことに1走や6走はあえて志願してくれた選手もいた。
優勝タイムからは時間差もあるけど、チームとしてはいい結果だ。考えてみれば渋谷はそのチームで望める最高の結果を目指すチームである。常勝にこだわらない。そのことが良いかどうかは別として、そういう歴史を歩んでいるのは確かである。だから渋谷らしい結果だということもできるだろう。

LAPCENTERの記録は、客観的な成績を瞬時に示してくれる。だから、数時間後には世界のどこにいてもCC7の結果は手に取るようにわかる。

しかし、それはあくまで数字で見る結果。それが成績の全てかもしれないけれど、その数字が出てきた過程を見ることはできない。CC7の現場で起きた様々なドラマは、残念ながら僕には伝え聞くことはできても、体感することはできない。
考えてみればWOCであれ五輪であれ、その競技の現場を体感した者と、結果だけを見たものとのギャップは常に生まれるものである。そしてそのギャップが、時として摩擦を生む。
いや、競技に限らない。仕事でも政治でも、なんでも数字と現場のギャップは常に摩擦を生むもんだ。

なんか、思いがあらぬ方向に飛んだ。

強化の現場は森である。そういう意味では、少しでも現場に脚を運ぶべきだなあ。
今の自分にはそういう視点も必要になっている。

木曜日, 8月 21, 2008

すごい!

少し古い話題。

WOCで中国女子チームがあと一歩で表彰台の7位に。

「すごい!!!」

何が凄いって?

1つ、もちろん中国女子の大躍進。同じモンゴロイドの日本人としてとても勇気付けられる。個人的にはLiJiさんの大ファン。小柄だけどテンポ良く走るスピードはさすがオリンピック選手!

1つ、オリエンテーリングの競技レベル。シドニー五輪1万mで7位をとったLijiさん(日本なら福士、渋井レベル!)を初めそれに負けない走力を持った選手を要する中国。
国を挙げての強化から4年間、レース前にはチェコで2ヶ月の集中合宿を組んでも、入賞までは届かなかった。それを超える競い合いが入賞以上のラインでは繰り広げられている。


そういえばドイツのL. Alexander選手も3000m、7分台の陸上エキスパート。
WOC1走を走り10位で帰還。大助談「あの兄ちゃんやっぱ速いっす」といいつつ序盤は同じペース。

転向組みにすぐ上位を取られてしまうような競技とは違う、オリエンテーリングの奥深さ、風格みたいなものを再認識。

日曜日, 8月 17, 2008

25日後の登山

人間は1人1人がブラックボックスみたいなもの。
中の仕組みはそれぞれ違う。まあできのいい部品もあるしそうでないものもある。個性的な部品もある。そういうのを組み合わせて皆頑張ってる。だから同じ刺激を与えてもその反応は人それぞれ。だからこの世界は面白いし、逆に戦争も絶えないのだろう。
だけど時々、同じ刺激に、揃えたように同じ反応が出てくることがある。きっと出てくる過程は様々なんだろうけど、生物学でいう相似性のようなもの?

例えば、WOC出場という刺激で例えると、日本では何故か予選より少し下に結果が収斂する。皆それぞれ部品構成、環境は違うのに。そんなのも一例。
こんなのも一例。WOC後、大抵の人の場合、その後数週間のんびり期間になる。ある意味当たり前。でも、3,4週間くらいたつと、オリエンテーリングではなく、山に登りたくなるらしい。これはきっと有意に頻度の高い反応である。

WOC同僚のブログを徒然に見ていて、なんか笑ってしまった。このお盆山に行った人が多いなあ。それぞれ独立に。そして、自分も時間を見つけて山に登った。

お盆中は2歳の娘と二人で実家に帰省。乳飲み子と格闘する妻に、もう二人の面倒を見させるのは酷だからだ。 
実家とはいえ都会のど真ん中。茹だるような暑さの中では娘連れで外出するのも辛くインドアが基本。五輪のテレビ観戦の他といえば、近所のアンパンマンの映画くらい。そんなお盆はあまりにも辛い。
父母に大分慣れた娘の様子を見て、1日時間をもらった。車を借りて朝2時過ぎに出発、南アルプスの広河原から北岳、間ノ岳へ登った。昼には下山して夕方家に戻る日帰り登山である。
チェコ以来の不整地である。天気も良く景色も最高。実走6時間弱、登りはトータル2000m強だったけど、幸い体も意外と元気だった。
そして久しぶりの筋肉痛がなんだかとても気持ちよい。焼いてしまった肩の日焼けが少々無用心だった。

帰って地図を見ると、「いや、次は日帰りで農鳥まではいけるかも」と段々欲がわいてくる。TJARに出る選手や、あるいは柳下君のような領域にはとても届かないけど、なんとなく彼らの追い求めるロマンをすこし味わったような気がする。


火曜日, 8月 12, 2008

五輪と母と辛口のコメンテータ

北京五輪がようやく盛り上がってきた。


今日は北島の100mの話題でもちきり。あれほど強いと鳥肌が立ってくる。競技者としてただ尊敬するのみ。
僕らの世界でも、ティエリーやシモーネのように、常勝の強さが信じられない選手もいるけど、同じ日本人に、あれだけ勝負強さを発揮した選手がいると、僕らの潜在的な民族的コンプレックスを一蹴してくれる。背が低いとか、寸胴だとかそんなのはいい訳さ、って。

一方、全体的な五輪の成績は前評判に比べると低調らしい。これからまだまだだけど、今までのところ日本選手の成績が期待されたほどでない。

見ていて残念なの確かだが、そこには選手の色々な表情、心境も垣間見えてくる。それはそれで心に訴えるものもある。
例えば谷なんて、今まで正直それ程好きな選手ではなく、4年前連覇したアテネの時もほとんど興味はなかった。だけど今回終わった時の表情やメデ ィアへの毅然とした対応を見て、彼女の背景~子育てのハンディや年齢と戦い~が垣間見えたようで、しんみりと来て涙を誘った。

一方で他国の選手に目を移すと、個性的な選手、素晴らしい選手が世界には沢山いて、ふとテレビを見ながら俄かフ ァンになる。普段馴染みのない国のアスリートの美しさにその国の風土や文化を想像するのも愉しいもんだ。水泳を見ればノルウェーのオーエン選手や韓国の朴選手なんて、伸び盛りの若者らしいオーラがいっぱいでなんとも魅力的ではないか。

ナショナリズムは感じるけれど、日本チームのメダルはメインディッシュではな い。スパイスとまではいわないけれど、他の見方がたくさんある。

ただそういう楽しみ方はあまり一般的でないらしい。
「やわらちゃんは金じゃなきゃものたりないな」、無神経なコメンテータの言葉に驚いた。女性アスリートならではの苦労も想像できないのか。
あるいは、昨日実家で本を読んでいたら、テレビを見ていた母が興奮して「やっと 金メダルとったよ!」と知らせに着た。彼女には、「誰」が「なんの競技」で「どんな風に」優勝したかは問題ではな く、日本に初の金メダルが訪れたことが重要なのだ。

別に母を責めるつもりはなし、コメンテータの言葉も評論の一つ。メダルの数勘定に忙しいメディアを通じた今の日本は全体的にはそういう傾向にある。いやむしろ考えてみれば、メダルという結果重視の見方、世間の厳しい目が、スポー ツに対する正しい見方なのかもしれない。

僕の場合、そういう見方に辟易してしまう。しかしそれは、自分が競技で成功することの難しさ、色々な矛盾を感じ、結局克服できなか ったことで、五輪でも失望した競技者への共感を生み、敗北への許容を生んでいるのだろう。

シュートを失敗して、この世の終わりのように天を仰ぐ選手。
「なーにあれ、へたくそ、ぜんぜんだめじゃん」、テレビを横目で見ながら一蹴する母。
あ~、自分は絶対にあんなこといえないなあ。あのプレーだって、何百万人の選手から選抜された素質が、それこそ何万回の練習を繰り返した結果だと思うと。

でもそれは、アマチュア的な、主観的な「がんばった」を軸に評価する甘い見方なのだろう。

渡る世間はなかなか厳しい。

自宅や実家で娘の面倒を見てのんびり過ごす週末を送っている。大分リラックスした、いや、もう少し正直に言えば怠惰な生活をしている。
WOCを目指してトレーニングしていた時、自分は生き生きとしていた。そう2歳分くらいは若返っていただろう。その反動で終わった直後は脱力感で生気が消えた。数日で一気に3歳分くらい老け込んだ。

結局差し引き実年齢分歳とって辻褄はあってるわけだ。それをこの10年以上繰り返してきたのだ。

この数日、ようやく急速な老化進行が止まった感がある。五輪を見て元気を取り戻し た。
そう、そろそろせめて数ヶ月分くらいは若返えろう

水曜日, 8月 06, 2008

第二子誕生

予定日より2週間早い帝王切開なので、2600gとだいぶちびで生まれた。娘のままごと人形と殆ど同じ感覚。良く生きてるよな、この大きさで。

それでも、おやじの放蕩生活なんてつゆ知らず、のんびりあくびしている。顔や背中にうっすら産毛がたくさん、毛むくじゃら君。僕に似て将来毛深くなりそうだ。

これでイベント尽くしの7月がやっと幕を閉じた。今週中には退院予定。

築30年、居間4.5畳+寝室6畳の木造ボロアパートでいよいよ親子4人の生活が始まる。
軒が重なる懐かしい下町風情の街並みとはいえ、流石にこのままじゃ昭和30年代ドラマ。
Always三丁目じゃあるまいし、もう少し広い家が必要だなあ。



金曜日, 8月 01, 2008

WOCの写真

チェコのWOC期間中に、カナダチームのWil Smithと、Holgerが写真を沢山撮ってました。「Attack Pointから見られるよ」と教えてもらったので見てみると、かなり沢山の写真をとってます。しかも上手い。

オフィシャルサイトよりいい写真多いかも。

見てみると日本の選手も結構います。

日曜日, 7月 27, 2008

A Day in the Life

朝4時前にセットしたアラームが鳴った。寝過せないという緊張感のせいか眠りは浅かったが、体はだるかったので次のアラームまで数分うずくまっていた。昨晩のバンケットが終わってから数時間、考えてみればさすがに少し強行軍過ぎるかもしれない。これからの36時間の予定を考えて少し後悔した。

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昨日は最終日のリレー。日本のアンカーとして第3走者を務めた。理由は分からないが身体の動きが悪く、集中力も100%発揮できず、鈍いレースだった。疲労困憊したゴールでチームの面々が快く出迎えねぎらいの言葉をかけてくれた。「ごめん、走らせてもらったのになあ」思わず出た言葉に、「いや、いいレースでした」と力強く答えてくれたチームメイトの言葉に救われる気分だった。22位というリザルトは過去と比べても悪くない。1走、2走の大助、小泉の力走が好結果をもたらしてくれた。反面自身はまったく振るわない走りで脚を引っ張ってしまった。
でも細かい反省は後でじっくり考えよう。とにかくWOC2008は終わった。

旅の終わりはいつも慌しい。レース後の会場はすでにフラワーセレモニーも終わり、後片付けモード。ゆっくりレースを回顧している暇はない。テントに戻り急いで着替えて宿へ向かう。
夜のバンケットまでの数時間で荷造りを済ませなければ。大急ぎで荷物をトランクに詰め込んでいると、「お疲れ様です。」気を利かしたメンバーが人数分の缶ビールを買ってきてくれた。まずは乾杯、ビール缶片手にほろ酔い気分で残りの身支度を続けた。バケット前の慌しい時間を縫って、最後のミーティング。メンバーが思い思いのコメントを綴る。人によっては数年の歳月をかけて望んだWOC2008。その結果を受けてのコメントは人それぞれに重みがある。

さあてバンケット。各チームそれぞれに華やかに着飾ってトラムに乗り街中へ。欧米文化のはっきりとしたTPOを感じる時だ。日本女子もかわいらしいおそろいの服に身を包んだ。男子は?まあ皆それぞれのファッションセンスで。バンケット会場は、街中の建屋の中庭のような空間。料理やビールを囲んで乾杯。なにやら初めに挨拶のようなものもあったが、それ以外のイベント出し物は一切なし。ひたすら飲んで食べる珍しいバンケットだ。


自身のリレーの走りをまだ消化できてないせいだろうか、メダリストを追っかけたり、他国の選手に話しかける元気が沸いてこず、気がつくと1人でぼーと飲んでいた。俊介が話しかけてきた。バンケットの話題はいつも「今後」に収束する。全力でゴールに向けて走ってきた。結果はともあれ誰でもそこで迷う。「次はどこへ向かう?」
お互いの今後について、お互いぼんやりとしたビジョンを話し合った。10時の時計が廻ったところで、酒を控え、宿に向かった。流石に次の日の予定を考えると、無茶はできない。

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2度目のアラームでようやく体を起こした。鈍く体を起こしていると、まっちゃんが電気をつけてくれた。まだ自分の出発には早いが、見送りにわざわざおきてくれた。彼とは今回10日間ルームメイトとして共に過ごした。ベテランとして同じ方向を目指しつつも、異なる環境とアプローチでこの10年来競技を続けている。それぞれの境遇、今後についてベッドで語り合う機会も多かった。現実を考えれば夢満載の今後でもない。地に脚の付いたビジョン。それもまたWOC期間中の貴重な時間だった。

10日分のしつこい髭を剃り終えてホールに出ると、ほどなく俊介と石山さんも待っていた。予定の4時半。まだ暗い駐車場を出た。一路オロモウツからブルノ経由でプラハまで、約300km。時速120km/h前後で快適にドライブ。途中マックで朝食を取る。10時発の飛行機に乗るため8時前には空港に着く予定だったが、プラハ近郊に入ると渋滞が予想外に酷い。首都高のような渋滞にはまり何度となくハラハラする。ちょっと見通しが甘かったか。
それでも俊介の的確なナビに救われて、なんとか無事8時半にハーツレンタカーデスクにたどりついた。スペアタイヤの装着やクレジットカードの紛失など、旅のハプニングによるトラブルがあり、デスクでの混乱も心配されたが、幸いスムーズに事は運んだ。
便が遅い俊介、石山さんに短く別れを告げ、エールフランスのチェックインへ。のんびり30分待たされるところはやっぱりのどかさが残ってる国である。パリ経由で一路成田へ。トランジットのシャルル・ド・ゴール。加藤とラウンジで夜明けのコーヒーを飲んだのは調度10日前、はるか昔のことに感じる。
翌日のことを考えて成田への機内では睡眠をとるよう心がけるが3時間程度うとうとしただけか。

20代の頃は成田に着陸する時、現実へ戻るギャップに息苦しくなるような感覚を覚えた。例えれば、ビートルズのA Day in the Lifeでポールのコードに遷る瞬間のような、そんな感じ。
しかし今はそれ程の夢をWOCに感じていないせいか、成田に戻る瞬間の抵抗感は少ない。気がつくと今日やるべきことを頭の中で整理していた。

まとわり付くような熱気に出迎えられ、成田の出国はスムーズに過ぎた。飛行機を降りて1時間後には成田エキスプレスの中にいた。午後出勤には時間があるので、一旦自宅に戻ることに。西大井の駅に降り立つと暑い盛りの中、妻と娘が迎えに来ていてくれた。「あ、パパだ!、パパおかえり!」娘が喜んでくれたことにほっとした。人生が僕の20分の1しかない彼女にとってたった10日間は半年みたいなもんだから。
さっとシャワーを浴び、ひとしきり留守中の話を聴いた。お腹の状態があまりよくなく、もしかしたら予定より早く入院することになるかもしれない。今日も午後に病院にいくそうだ。留守中心細かったに違いない。若干後悔の念も浮かんだ。
寝不足と暑さに食欲のわかない胃に素麺を流し込で、小一時間一息してから会社に行く準備をした。
「取りあえず仕事のたまり具合みるだけから」
早目に会社から戻ることを約束して、再び西大井から横須賀線に乗った。


1万キロ離れたチェコの1週間が遠い国の夢物語かのように、日常生活がはじまった。


日曜日, 7月 20, 2008

露・諾・芬・仏・瑞そしてチェコ

WOCも個人種目が終わり、いよいよリレーを残すのみ。

昨日はロングで地元チェコのダナが、ノルウェーのマリアンヌを僅差でかわして劇的な優勝を飾った。チェコは昨日までスプリントでの入賞や、ミドルの銀、銅とホームグランドとしてそれなりの結果を出していたけれど、金をきちんと取るあたりは流石である。
マリアンヌはシモーネ不在の今年にチャンスがあったはずだった。今シーズン不調のうわさも聞こえてきたが、WOCにはしっかり照準を合わせてきた。きっといいレースだった違いない。終盤に差し掛かるパブリックコントロールまではトップだったが、最後に疲労からペースダウンしダナにかわされた。

一方男子は、個人3種目すべてで決勝を走ったスイスのダニエルが、出遅れた序盤から疲れ知らずの走りで後半順位を上げ、2位に1分以上の差をつけて優勝した。
森の様子が映し出された会場のスクリーンでは、、タフガイぞろいの男子選手でも、流石に終盤疲労から厳しい表情でペースの上がらない様子が見て取れた。その中で森の中を飄々とはねるようなダニエルの走りには誰もが唖然としたに違いない。これで個人3種目で2位、4位、優勝。ロシアのアンドレイと共に、しばらく彼等の時代が続くことは間違いない。

この日の男子コース。優勝106分に対し、120分ではすでに34位となる。トップ+20%では出走者中ほとんどビリになる。1995年のドイツでもちょうどそのような接戦となったが、優勝タイムは90分でしかもコースはもう少し易しかった。このような厳しいコースでこれだけ接戦になるのは、やはり世界の層の厚さが少しづつではあるが増していることを示してるだろう。
ここまでロシア、ノルウェー、フィンランド、フランス、スイス、チェコが金メダルを一つづつ獲得。
大国でまだ優勝してないのはスウェーデンくらいである。北欧全盛の時代は遥か昔の記憶。まさに群雄割拠の時代である。

夕方宿に戻り、いよいよリレーの準備。光栄なことに3走を任された。
チームメンバーの山口、小泉は代表では共に始めて一緒に走る。
今日観戦した男子選手のような走りは正直自分にはできないが、予選での走りをもう一度再現すること、そうすれば昨年一昨年の日本チームの成績を越える結果を出すこともできるだろう。
涼しくなった夜に、自分の身体の状態を確かめるため、近くの畑地の中をジョギング。
夕暮れ時の景色が、ちょうどミレーの絵画に出てくるような風景で思わずカメラをとってしまった。

木曜日, 7月 17, 2008

118 4.5

いろいろな趣味の人が世の中にはいる。

ワインを楽しむ人。その香りと味わいに何万、何十万の価値を見出す。
残念ながら僕にはそういう楽しみは味わえないし、多分その価値が分からない。でもその代わり、森の中を走り回って、からからに乾いた喉を70円のピルスナーウルケルで潤す喜びを味わうことが出来る。レストの日に楽しむチェコビール。それも人生の楽しみかたの一つ。
閑話休題
LAPCENTERで予選の解析をしてくれた。感謝。
結果を見てみると、やっぱり自分の感覚に合った数字が出ていた。

巡航スピードは118。ヒートは違うけど大助、まっちゃんの115,116より遅い。その代わりミス率ではヒートでも5番目に低い数字で、改善の余地はせいぜい1分程度。
考えてみれば、日本でも大助やまっちゃんから巡航スピードで2,3%遅れることが多いので、そのままといえばそのままだ。
予選を通るには巡航スピード110で6,7%のミスといったところ。今の日本チームは数%の改善が求められる。


火曜日, 7月 15, 2008

20位 72分58秒 予選通過ならず


なだらかな丘が延々と続くツートンカラーの牧草地と森。車を降りて、緩い丘に登る一本道をプレスタートに向けて歩く。朝露で濡れた草の匂い。典型的な中欧の牧歌的風景に「チェコに来てるんだな」と改めて感じる。いよいよ予選。3年ぶりのWOCのスタート地区。

最近のIT技術の進歩は目を見張るものがある。前日の夜に、ブリテンに乗っている緯度経度情報と地図から、Google Earthでテレインの全容は予習済みだった。川沿いの急斜面が特徴的な西側と、平坦な東側。2つの森を分断する牧草地。スタート位置とゴール位置から、前半は急斜面後半は緩斜面。ルートチョイスが鍵を握る前半と、トリッキーな植生の中のファインなオリエンテーリングが中盤以降。

スタートが近づくにつれ感じる緊張感はやっぱりWOC。座っていても心拍が高い。モデルマップのジョギングですぐにHRは150を超える。それでもスタート時は思いの他冷静になれた。

10.9kmup400mのコース。概ね予想通りの展開だった。前半は菜花台を思わせるテレイン。ロングレッグで飛ばした中盤以降は、切りと開きと見通しの悪い森のいやらしいコンビネーションにコントロールが集中する。それでも頭を捻るようなルートチョイスはなく、比較的素直なコースだといえるだろう。

明らかなミスは2番の崖付近を少しうろった30秒程度。その他は10秒程度のロスを何回か感じたが藪のコントロールではある程度やむを得ない。ほぼ今の実力を出し切ったと思う。体力的にもほぼベストだった。70分のレースでHR平均は176。道走りや登りでの追い込みにも身体は反応してくれた。

結果はトップと12分差の72分台。ボーダからは3分45秒程度。20位。対トップ比120%は過去の成績と比較しても決して悪くはない。しかし予選通過はならなかった。

今の走力、ナビゲーション技術の限界ギリギリのレースは出来た。残念だが実力が足りない。この結果は自分のこの1年の準備を表す、とても正当な評価なのだ。そう思うとゴール後に何ともいえない充実感が沸いてきた。何故か目が潤んできた。こんな感覚をWOCレース後に感じたのはいつ以来だろう?

ダウンをしに会場から延々と続く牧草地を走った。青空に柔らかい緑の牧草地。こういう風景の中、レース後の疲労を癒すダウンジョグが出来る幸せ。

思えばこの1年、いろいろな人の好意、協力の元に走り続けてきた。当初目指した予選突破は達成できなかった。日本チームの成績にも目に見える貢献はできなかった。

それでももう一度目指して走り続けてよかった、心の底からそう思う。

この日残念ながら男子、女子ともに予選通過はできなかった。
明後日はミドル。選手の応援に廻る。力をためていた善徳や俊介も出走する。みな予選通過目指してがんばれ!



月曜日, 7月 14, 2008

世界遺産とスプリント


オロモウツの市庁舎広場にある聖三位一体の碑は世界遺産にも登録されてるらしい。
文化財を多く残す、歴史的景観のある街である。
その世界遺産を取り巻くように観客が集まり、開会式に引き続いてスプリントの決勝がスタートした。
こういう舞台で走れる権利を得た90人の選手。その中にいる番場さんは本当に素晴らしい。

歓声の中選手はスタートレーンを駆け抜けていく。市庁舎の角を曲がってスタートフラッグから旧市街の路地に消えていく。
ガイドブックに乗る名所をいくつか通りながら公園を走り、また戻ってくるまでにわずか13,4分。その間の走りも映像で会場に届く。会場で待つ観客はレースの状況が手に取るようにわかる。男女各1時間の競技時間まったく飽きることはない。

スプリント競技が世界選手権に採用されて7回目となる。街中をアリーナとするのは2003年以来だが、もっともスプリントイベントとしての魅力を発揮するのは今回のようなアーバン(街中)タイプである。アーバンタイプの場合は競技性、公平性を確保することが時として難しく、議論の対象にもなる。しかし、今回のようなスポーツイベントとしての成功を見ると、競技性を若干犠牲にしてでも、こうしたアリーナを用意した街中スプリントをするべきではないか、と感じる。

女子はシモーネ、ハニー不在の混戦の中、EOCでも優勝したノルウェーのアンネ・マルグリッテ・ホークセンが完勝。32歳にして遅咲きの初優勝を飾った。フィンランドのミナが2位。順当な結果ではある。地域性の全くない今回のようなレースで結局上位に北欧国旗が多く並ぶのは、やはり層の厚さだろうか。
中国選手が18位に入る健闘。その他2名の決勝選手は失格となったが、タイム的には10位台を狙える走りだった。成長著しいが、スタート、ゴールレーンを走る中国選手の走りを見る限り、今回の成績は潜在能力の片鱗でしかない。入賞を達成する日もそれ程遠くないだろう。
番場さんは36位。1番までのロングレッグでロスをしたとのことだが見事な結果である。日本唯一のファイナリストにチームは勇気付けられ、ポジティブな出だしを与えてくれた。
男女とも1番まではルートチョイスのあるロングレッグだった。スタートフラッグ直後の細い街路にうまく入れないとミスに繋がる。なかなか捻ったコンセプトだけど、トップ選手は難なくこなしているところを見るとやはり決勝のレベルは高い。

男子はロシアのアンドレイがスイスのダニエルを秒差でかわして優勝。2005年のロングに続いて強さを見せた。もはや今はオールラウンダーとして歴史に残るランナーの1人に数えられるだろう。ダニエル・フブマンはスプリントで3度目の2位に泣いたが、若手実力No.1の選手としてその安定した実力を見せた。一方過去2連覇しているスウェーデンのエミルは、中継コントロールをスルーして失格。スクリーンでその瞬間を何千人の観客に目撃され、残念な結果となった。

選手として一度は走りたいと思わせるような、WOCスプリント。
スプリントには可能性がある、日本では時にそういわれる。確かに地域性がほとんどない分、欧州から遠い日本のハンディは小さい。しかし今回の決勝を見ていて、フィジカル面だけでなく、ナビゲーションにおいても、レベルの高さが印象に残った。
可能性はもちろんあるが、可能性を現実にしていく、その方法と実行。真剣に考えねばなるまい。

もっとも今はそんなことを考えている時ではない。帰りの飛行機までとっておこう。

木曜日, 7月 10, 2008

カオスから秩序へ

熱くなりやすい営業が、仕事の進め方をめぐって激しく言い争い始めた。
その間にも時計はちゃくちゃくと進む・・・・。終了予定の3時を過ぎても議論は収束しない。
部門の将来には重要なプロジェクトだ。会社の命運を左右するだけに誰だって成功させたい思いは一緒である。まじめだからこそ熱くなる、とても信頼できる輩だ。
でもこの今は勘弁して・・・。

ああ、だからこの時間のセッティングはやばかった・・・。
頭の中で、残りの2時間ばかりの優先順位に思いをめぐらせているうちに、ようやく妥協点が見つかったようである。会議は収束を向かえた。その良し悪しは別として、「それじゃ」と手短に会議室を飛び出た。

時計はすでに4時近い。席に戻ると2,3の電話メモがあったが、幸い不吉そうなものはない。2,3分づつの話でいずれも片付いた。
「すみませんが、明日から来週いっぱいいないもので・・・火急の場合は個人アドレスにメールをいただければ1,2日で返事はできると思います。」
そんな言葉を付け加えて電話を切る。
メールはやや重たいのがきてた。これの回答を10日は伸ばせない。
時計を気にしながら書類に目を通し、コメントを付して返信。
机の上の整理。昼のうちに上司に引き継いでいた要注意ファイルに大急ぎで、要点になるところに付箋をつけ机に並べる。
タイムリミットはあと20分。「まだいかなくていいの?」同僚が心配そうに気にかけてくる。
最後にチェックしようと思った図面はあきらめた。帰国後に処理しますと、メールを打った。
ふう、これでおしまい。

今日は思いがけないことがあった。昼の休みに上司が、グループや近隣部署のメッセージを書いた会社のロゴ入りのTシャツを手渡してくれたのだ。いつのまに用意したのか。あまりにも思いがけないプレゼントだったので、思わず涙腺を刺激された。今まで10年以上会社にいてこんなことは一度もなかった。

今の部署は決して業績が良いわけではない。社内の風当たりも強い。それでも部内の雰囲気はよく、今後がんばっていこうというチームワークはあるように思う。そんな今の部署の暖かさを感じた。
今回はさらに上司の根回しで短期ボランティア休暇という扱いとなり、特別休暇をいただいている。

会社では自分の活動をそれほどPRしてきてなかった。最近は特に隠していたようなところもある。
いい年して、という勝手な引け目を感じていたせいもあるが、
自分がそれなりに人生かけて打ち込んでいるオリエンテーリングのことなんて、普通の人に理解してもらえるわけない、そんなあきらめというかさめた心があったように思う。
10日もいなければそれなりに周りに負荷がかかるはずなにに、これだけ暖かく見送ってくれた上司同僚に、そんな今までの自分の態度を少し後悔した。

会社に入って7回目のWOC遠征、でも今までとはどこか違う気持ちで、「ではいってきます」と部署を跡にした。

トイレで大急ぎで着替え、天空橋から京急で品川へ。駅では身重の妻がスーツケースとトレランシューズをもって出迎えてくれた。
「パスポートもった?」「航空券は?」いつもの厳しいチェックをなんとかパス。
「留守中に産んじゃわないようにね。」
別れを告げて成田エキスプレスに乗った。

さあて、エールフランスの夜行便は夜10時発。あとは一路オロモウツぬ向かうのみ。

金曜日, 7月 04, 2008

出発前のカオス

出発まであと一週間を切った。

WOCへの遠征前には、信じられないくらい競技への集中が薄れる時期がある。
頭の中はいかにして残りの時間で仕事をやりくりするか。毎回のことだから慣れっこではあるけれど、遠征の前は10日間のブランクを乗り切る仕事の山に胃がきりきりしてくる。かといって遅くまで残業をして体調を崩すわけにはいかない。周りは、のん気に遠征のことをいろいろ聞いてくる。「いいねえチェコ。メダル当然だろ?」なんだか感心してんだか皮肉ってんだかわからないような言葉。軽口も叩けず本人は「本当に飛行機乗れるかなあ・・」と真剣に心配なってくる頃だ。
おまけに今週は、自分の壮行会を含めて2夜連続の飲み会。飲み過ぎないように自重して参加。皿に料理を載せながら、カロリーと脂質の量を無意識に頭で暗算。あーあ、何やってんだ俺。

それでも金曜を終えて、大分目の前のカオスが解けてきた。ふう。
あと4日ある出勤日のやりくりが見えてきた。トレーニングのテーパリングも頭の中でイメージ。
いつもよりは大分ましな状態である。ようやく3年ぶりの欧州に行くワクワク感が少しづつ。

今日は、久しぶりに電車に乗った時間も利用してチェコのマップリーディング。課題をもう一度整理。
10月遠征組みの地図とルートプラン練習が役にたっている。

気がつけば妻も臨月。家族の一大イベントもその直ぐ後に迫っている。盆と正月が一緒に来る7月がいよいよはじまった。

水曜日, 7月 02, 2008

196

競技を続けていると、ほんの些細なこと。他の人にはどうでもよいことに嬉しくなり、それだけで気分がよくなることがある。
でもそれで、自分のモチベーションが向上して、ポジティブに物事が進めばそれでいいのだ。

久しぶりに1人で走った10000mペース走、最後の追い込みでHR196を記録。
自己最高値タイは2年ぶりくらい。190を超えたのも半年振りくらい。
別にHRが高いのはいいことでもなんでもないのだけど、少なくとも疲労をためたりコンディションの悪い状態では最高HRは出ない。
6月最終週からトレーニング量を徐々に減らしたせいか、週末のバイオリズム最低状態から少しづつ上向いてきている。
よしよし、この調子。出発まであと8日。

火曜日, 7月 01, 2008

雨男

なんとなく陰鬱な響き。
悪い人ではないけど、どことなくじめっとして幸せに縁が遠そうな人。

と、いいつつ自分はもしかして・・・。

つい先日の5月に準備した八ヶ岳合宿の2日間、これでもかっという冷たい雨雨雨。
そして、日曜日に言いだしっぺで主催したスプリント練習会も、午前からずっと雨の中。
駒沢公園でずぶ濡れの練習を終えた後、本郷の2本目の予定は選手の体調も考慮してキャンセルした。
「本当の雨男は、雨を降らすだけが能じゃないよ。退いたあとにいかに晴れをもたらすかだ」
とどっかで書いてあったけど。。。。
午後帰宅して、びしょびしょの荷物を一しきり片付けて外を見ると・・・・、調度本郷スプリントを予定していた3時、一時的に雨は止んでいた。

練習は結局加藤君が声をかけて今週末の日曜日に延期。

あーあ、なんともさえない週末。おまけに体調は下り坂で月曜日は午前休。
出発まで10日間。焦ってもしょうがない。
後は身体の調子を整えるのみ。

金曜日, 6月 27, 2008

Route Gadget

すでに話題になってますが、オリエンテーリングのデーターベースとして新しくできた、RouteGadget がなかなか面白いです。もともと欧州では盛んに使われていたサイトを、やましんさんが日本でも使えるようにアレンジしてくれたようです。
今現在登録された地図は2枚ですが、その2枚ともルートを記入してみました。(東大大会はどなかたか記載してくれたようです)
こういう部分のデータベースの面白さ(というかちょっとマニアックさ)は他のアウトドア競技にない、オリエンテーリング特有の魅力ですね。

水曜日, 6月 25, 2008

Orienteering Today

手前味噌ですが、OrienteeringTodayの記事に載りました。

全日本のレポートとして、番場さんとともに紹介されています。
綿密な記事を書いてくれたRobに感謝です。
もちろん主役はWorld Wideな番場さんの方ですが、僕は日本的フルタイムワーカ選手の典型的存在として紹介されています。

こうしてOTの記事になると、確かに自分の生活は、世界のエリートのスタンダードからは随分と異色に映るでしょう。日本のオリエンテーリングが世界で飛躍する上で抱える、構造的問題の象徴のようなものかもしれません。
が、最近トレイルランの世界には僕以上に忙しくても、よりハードなトレーニングを積み、高いレベルで競っている選手がごろごろいることを知り、自分はまだまだだと感じます。欧州選手との比較では悲観的になりがちだけど、異種スポーツを見ればもっともっと可能性はあるように感じます。

それにしてメディアに取り上げられたことはかなり久しぶり(8年前の読売新聞以来?)なので、少々気恥ずかしさもありますが、でもやはり嬉しいものですね。


火曜日, 6月 24, 2008

30周年記念

大学のオリエンテーリングサークルの30週記念パーティがあった。

昼間は雨の合間を縫って駒場キャンパスでスプリントO
5年ぶりくらいに駒場キャンパスに行ったが、その変貌ぶりにびっくり。イタトマまであった。かつての荒んだ駒寮付近は、洒落たビルに囲まれた芝生の広場に変身。
「こんなキャンパスライフを楽しみませんか?」的な広告に使われそうな、そんな欧米の大学っぽい雰囲気。駒寮をつぶす時のあの大騒動はなんだったんだろう?今になってみるとそう思ってしまう。

午前中雨だったせいか参加者は30名程度。夜のパーティの参加人数を思うと少なめだった。それでも卒業以来顔を合わせてなかった先輩にもお会いした。皆思ったほど変わってないのに少し安心。
妻と交代で2,3kmのスプリントを出走。日本では滅多に経験できない建物群のスプリントなので、なかなか面白かった。海外のスプリント対策に十分使えるんじゃないかな。

夜は駒場エミナースで記念パーティ。ここでは大勢の懐かしい人にお会いした。OLKも歴史のあるりっぱな組織になった。自分はもうその中で随分と上の方になったわけである。時間が経つのは速い。
一点気付いたこと。30代、40代の人が多い割りに、メタボな人が少ない。うちの会社を見渡すと、むしろメタボ気味な人の方が多いくらいなのに。ほとんどの人は今オリエンテーリングをしているわけではないのだけれど、学生時代に一度運動の習慣を身につけたことがあるからだろうか。タバコを吸う人も皆無に近かった。

話題も盛り上がった後半、WOC代表として加藤と一緒に挨拶をした。この歳になるとこういう場も、嬉しくもありどちらかといえば気恥ずかしい。ちょっと酔っ払って何をしゃべったかあまりよく覚えてないけど、結構長い間しゃべってしまったような気がする。

幹事の皆さんお疲れ様でした。次は35周年?自分は42歳。
うーん何をしているだろう。

火曜日, 6月 17, 2008

駒ヶ根惨敗

駒ヶ根合宿に参加。

家族連れだったので、土曜日集合時間の早い合宿には参加できず。午後のスプリントも、翌日のロングに集中するためにジョグペースで終了。ロングを走ることにのみ集中して遥々来たのだけれど。

娘のお守りで遅刻スタートになったのは予想通りだったけど、想定外は自分の身体。最初からまったく動かなかった。結局赤城の疲れが抜け切れなかったよう。東大大会から3連続のハードレースと少し欲張りすぎたようだ。平均HRは153。全日本の169や3時間以上走った赤城の163に比べると、スローペースが一目瞭然。疲労は心臓をだませない。
それでもトップと3分の4位になったのは、テクニカルで互いにミスが多かったせいだろう。ラップを見ると優勝した善徳や5位の大助も大ミスをしている。結局どんぐりの背比べになっているけれど、中身は人によって相当違うのが面白い。
それにしても、WOC前に今ひとつテンションの低い結果を出してしまったのは反省である。

コースは中盤の尾根超えはやや余計にも思えたけど、全体としては駒ヶ根を確かに満喫する骨のあるコースだった。運営者の方々の準備に感謝です。

それにしても1万5千の地図が見えにくい。久しぶりなこともあるけど、自分の視力の低下もあるのだろうか。ループの中で2,3のコントロールは微地形の中でのコントロール位置をうまく認識できずに数~十数秒のロスに繋がった。拡大ルーペが必要なのかも。。。ああいやだ歳を取るのは。

来週の関東インカレ70分レースで、4週続いたロング系レースも終了。後は疲労を抜いてコンディションを整えるだけだ。どこまで身体がついてきているかは分からないが、やるだけのことはできている。

泣いても笑ってもあと1月。妻のお腹も随分と大きくなった。タイムリミットはもう近い。

月曜日, 6月 09, 2008

赤城山にカンパイ

「菅平の合宿に行こうよ~」
妻の猛烈な誘いをやんわりと断って、赤城山トレイルに申し込んだ。
WOCロング前にタフな3時間レースで持久力を磨きたい、それが理由だが、今考えてみればそれは50%。本当は昨年のリベンジをしたかったのだと思う。

トレイルランが好きなほうだと思う。
前の日に地図とコースプロファイルを見ながらレースをイメージし、補給食や給水をプランニングする。そしてスタート前にキャメルバッグを背負って目前にそびえる山を見上げる。「今からあそこを登るんだ」、その時の高揚感はオリエンテーリングとはまた違う。
昨年の夏、実は5本のレースに出た。青梅、箱根、北丹沢、富士登山そして御嶽。どれも散々な結果だった。このブログで箱根以外ほとんど触れなかったのもそのせいかもしれない。いいレースでもトップの+25%、酷いときは40%以上の差がついた。今思っても何故そこまでスランプだったのかわからないが、とにかく走ることにまったく自信を失ったシーズンだった。

トレイルはもうこりごりと、オリエンテーリングに回帰した。そうしたら秋から調子があがった。自分でも気持ち悪いくらいに順調に行って全日本をつかんだ。そして今の自分はWOCに向けてオリエンテーリングに集中している。
だったら、今トレイルを走ったら?
もう少しましな自分がいるんじゃないか?そういう単純な動機が実は50%だ。

赤城山トレイルラン大会は、オリエンティアが中心になって開催しているが、そのことを差し引いてもいい大会だったと思う。
昨年の大会の後柳下君がいいコースだと褒めていたが、たしかに厳しすぎず、中盤はトレイルの変化がある。後半下りはスピード感があって快適だし、全体に景色もよい。そして、なんといっても満開のツツジのトンネルを走り抜けるのが気持ちいい。会場は欧州風の青々とした草原の屋外ステージ。
今年は昨年より大分参加者が増えたらしい。選んだ季節が良かったのかもしれない。
「富士登山の練習に調度いい」そんな声もがスタート前に聞こえていた。「今年良かったら来年以降もでようと思う」といった人もいた。きっとリピータになるに違いない。

エントリーリストを見ると、招待選手を初め、かなりそうそうたるメンバーがエントリーしている。山耐を8時間台で走りそうな人だけでも片手では納まらない。これは10位は厳しそうだ。15位が現実的な目標と定めていよいよスタート。

序盤は心拍がHR170を超えないようにちらちら時計を見ながらペース調整。20番手くらいに自重して最初の急登を歩く。その後、体の動きも良く少しづつ順位を上げていく。終盤に差し掛かり周りの人の声援から7,8位まで順位をあげたらしい。途中道を間違えかけたりしたけど、最後の下りもペースが落ちずにこなせてかなり満足度高くゴール。終わってみれば6位。田中正人さんと7分差、柳下君と2分差。昨年彼らとは何十分も差がつくのが当たり前だったことを思えば、大満足の結果である。
もっとも鏑木さんをはじめ一流選手の欠場もあった分順位はよかったのだろう。それにしてもトップの松本さんは異常に早く28分の差。昨年の鏑木さんより速いらしい。パーセントでいうと17%の差がついた。松本さんの走力は欧州の一流オリエンティアとそれほど変わらないとしても、その差は大きい。WOCを思うとトップ+17%は予選通過にやや厳しい数字。まあ距離も走るフィールドも違うので一概には判断できないが。

帰りは表彰式も見ずに(大会主催者の方々、入賞者の皆さんごめんなさい)、東京にとんぼ帰りした。 5時過ぎには家に着いたので、夕暮れ前に娘を連れて散歩に出た。疲れた脚には調度いい運動になる。
西大井駅前の新幹線が見えるマクドナルドへ。カフェテラスにちょこんと座わらせ、ミルクとホットコーヒーを注文。 ストローを刺して娘に渡した。するとすかさず渡されたミルクを僕のコーヒーに近づけて、

「カンパイ!」
「え?ももちゃん、そんな言葉いつ覚えたの?」
今まで聴いたことない意外なリアクションに驚いた。
「ナンデ、アタリマエデショ?」といわんばかりに笑ってもう一度、「カンパイ」。

二歳児の脳の発達はすさまじいと聞く。考えてみれば今週は娘が起きている間に家にほとんどいなかった。おまけに週末は泊まりで赤城の山に出向いてしまった。すごいスピードでニューロネットワークが発達したに違いない。ほとんど1週間ぶりのお父さんはその成長についていけない。
親がいなくても子供は勝手に育つ、と誰かがいっていた。確かに山を走ってても子供は育つ。
「ア、トケイ」
なるほどね、そんな言葉も覚えたんだ。

華やかな赤城山のツツジが楽しめるのはほんの一瞬。でも一年たてばまた必ず訪れる。
でも娘が発達の過程で見せるきらめきは二度と繰り返さない。
そう思うと細切れで娘の成長を見守っていることに、なんだかちょっと淋しい気分になった。
ごめん、来週は2日間一緒に遠征だよ。



月曜日, 6月 02, 2008

東大大会


一番から「むむ、そうきたか」とうなるようなレッグが待ち受けていた。

前日の土曜日は、年に何回かおとずれる、異様な眠気とだるさに一日覆われ、理由もなく一歩もトレーニングしない怠惰な一日を過ごした。その余韻が朝のバスまで残り、スタートが30分伸びたせいもあって、気温が上がった昼近くになっても体がピシッとしない。怠け者の神に憑かれたような状態からようやく抜けたのはスタートまでのジョグ。どこかボルトが一本緩んでるような、そんな自分に喝を入れるためスタート付近でうろうろアップをひたすら続けた。

そんなスタートの出だしから厳しい藪と斜面のアタック。さらに2番までの厳しい登り。
その後も登りを減らそうにも減らしきれない厳しいレッグが続く。中盤ですでに80分のウイニングが大幅に伸びそうなことが想像つく。大きなミスこそないけど、速く走れない。すべる斜面に脚を取られ、藪も骨がある。久しぶりに容赦ないタフなレースだ。先日の全日本もタフだったが、地図の精度の関係で厳しさが予想外なこと、ウイニングも想定以上なこと、そして若干の暑さで、印象としては遥かに厳しいレースとなった。

後半の強さには最近自信があるが、何故か1時間を越えてペースが上がらない。終盤はHRがほとんど150台で、ここぞという踏ん張りが利かない。最後のコントロールピッキングこそミスはないが、尻つぼみのレースに終わった。

1時間33分台。ふう。夏を感じるレース後の異常な喉の渇き。ゴール後のお茶が沁みるようにいくらでも喉を通った。
あまり成績は期待せず会場へ。感触に反して成績は2位。後で見ると体感どおり巡航スピードは102.4と遅い(村越さんよりも!)が、ミスは4.1%で一番少なかった。ミスを抑えたことで2位に滑り込んだのだろう。
チェコを思えば、こういうしぶといレースをすることにあまり意義を見出せない。明らかな予選落ちのレースだ。
ただ、ポジティブに捕らえれば、昨年のように頑張って5位6位の自分からベースが上がっていることは確か。総合的に多角的に見れば、悪いことではない。
村越さんのページにもルートチョイスがある。面白いのは2番までで、同じように走り出した後にルートミスにきづいている点。そして村越さんは4、僕は12で大胆な迂回ルートをとって地道にタイムを稼いでいる。9と16の細かいミスもほぼ同じ。
久しぶりに村越さんのルートやコメントを見ると、基本的なナビゲーションのプランが似ていると感じる。松澤君や大助は明らかに違いを感じるのと対照的だ。
ただ今回ばかりは僕の方がうまかったようだ。それでも3分強の差。むむおそるべし村越さん。

運営の東大現役諸君はいろいろ大変だったようだ。結局この厳しい山を学生自らの手で殆ど作り上げたらしい。正直なところ細かいところでは十分でないところもあったかもしれないけれど、何はともあれ学生だけでこれだけの大会を作り上げたことに拍手をしたい。この時期90分の本格的ロングレースがどれだけ貴重なことだろうか。

この日は駐車券がはずれたこともあって娘を預けて夫婦で参加。その代わりレース後とんぼ帰りで会場を後にした。せっかくの表彰式に出られずすみませんでした。

EOC2008閉幕

EOCが無事終了。

参加した選手はお疲れ様でした。

仕事が忙しくなんやかんやで選手への応援もろくにできずあっという間に終わってしまった。

結果として日本チームは残念ながら予選通過はならなかった。
WOC以上に厳しい予選ラインなので、ある意味現実的な結果かもしれない。
それでも、番場さんがスプリントであと5秒で予選通過とあと一歩までは迫った。本当に惜しかったけど現実は厳しい。あの走力コースで5秒だから内容的には相当良かったのではないか。

普段勝った負けたを繰り返しているライバルが、苦戦しているのを目の当たりにすると、複雑な心境だし、あらためて世界の壁の高さを感じる。

それにしてもトップがキロ5分台があたりまえの結果を見ると、日本のオリエンテーリングとの違いを感じる。日本の森では植生や傾斜の制約はもちろん、地面の柔らかさもあってキロ7分を切るレースはめったに経験できない。 一方、過去のチェコやドイツのレースをレビューすると、僕でも登り4%程度のコースでもキロ6分台で走れている。同じ植生、傾斜でも地面の違いである。

そのスピード感の違い、ナビゲーション速度に世界と開きがある。
フィジカルな面だけでなく、このナビゲーションのスピードへの慣れが、もう一つの課題のようにも感じる。日本の山岳系テレインもそれはそれで一つのオリエンテーリング亜種として面白いかもしれないが、本流のオリエンテーリングはもっともっとスピード感が必要だ。

月曜日, 5月 26, 2008

EOC2008開幕

EOC(European Orienteering Championship)がラトビアのVentspilsで今日から開幕。26日のスプリントを皮切りに6月1日のリレーまで1週間続く。
EOCは今回第7回目。2000年以降隔年で開催されてるので、数が合わない?と不思議に思うが実は世界選手権の前身として遥か昔、1962年、1964年に開催されているのだ。リージョナル選手権を重視するIOFの方向性にあわせて2000年に復活したことになる。
ワールドカップの一部にもなっているため、もちろん強豪国はWOCに近い力の入れようで選手を派遣してくる。その中で日本からも、加藤、小泉、渡辺、番場の4名が出場。WOCの前哨戦となるEOCでの彼等の走りが注目される。

ラトビアは遥か18年前、旧ソ連時代に、ユニバーシアードが開催され走った経験がある。当時19歳。はじめての国を代表しての遠征だった。自由化前ではあったけど、田園風景は美しく、歴史のあるリガの街や暖かい人々の記憶が強く印象に残っている。そしてバルト三国がむしろ北欧に近い文化をもっていることを感じ、ソ連が一枚岩の国では決してないことを身をもってかじたのである。
実は今回のEOCでも強化委員会の仕事の一部として、エントリーの事務手続きを行なった。先方の事務局はとても親切でかつ手際がよく、いろいろなところで助けられた。きっとしっかり組織された良い大会になるだろう。

そのラトビアを遠征するメンバーが正直なところ、少々うらやましい。
5月のこの時期に、仕事と家族を置いて遠征するほどの覚悟は、さすがに僕にはもうできない。少し淋しい気もするけど、今はいろいろな境遇を乗り越えて遠征を敢行している同志の活躍を祈って日本でネット観戦することとしよう。
まずは今夜のスプリントだ。




火曜日, 5月 20, 2008

Heaven-Sky Bridge

直訳すればそうなる。
とてもロマン溢れる地名だ。

その「天空橋」に会社のオフィスが移転して2週間がたつ。

全てにおいて利便性が高く、モダンなオフィス街と化した品川港南口を後にして遷ったのは羽田空港近くの天空橋。元々会社の工場がある土地に本社ビルを建て、そこにホワイトカラーを集約した。

最寄り駅である「天空橋」からの通勤路は、地平線が見えるかと思うくらい広大な滑走路脇のフェンス沿い。とぼとぼ歩いて釣り人が点々とする澱んだ運河を渡るとたどり着く。

もちろんビルは新築で床も机もぴかぴか、最上階の食堂も眺めがよく快適そのものだが、なんといっても通勤は不便。品川で京急に乗り換えて羽田空港行に乗るとドアツウドアで55分。今までの25分から1日で往復1時間のロスになる。
もちろん、2時間近くかけて通勤している先輩もいる。贅沢はいえないが、通勤片道25分で組み立てた今の生活スタイルは、+1時間の通勤時間では成り立たず、もう一度考え直す必要がある。

地図とにらめっこしながら考えた結果、やはり自転車通勤しかない。
早速試したところ、ままちゃりでも35分程度で会社についた。汗を拭いて顔を洗う時間を入れても電車より速い。そして満員電車でよろよろになるより健康的で精神衛生上もよい。

3日目から自転車通勤に切り替えた。当面はままちゃりだ。それでも30分ちょいなのでなんとかなる。
近いうちにもう少しまともなバイクを買ってヘルメットもつけよう。
幸い後輩に自転車に詳しい面々がたくさんいるので、色々きいてみればいい。
道になれて車の少ない経路を覚えるとどんどん時間は短縮される。1週間後には30分で着くようになった。

さて、今度はトレーニングの観点からとらえる。信号待ちを除けば実走片道25分、往復50分で約16~7kmの距離。ハートレートをつけてみたところ、平均キロ6~7分程度のスロージョグ程度。消費カロリーでは往復で7,8kmのジョグに相当する運動だ。大腿筋やハムスとリングもそれなりに使うので、強度こそ低いが立派なトレーニングである。週4,5日往復するとそれだけで4時間程度のトレーニングになる。
もともとトレーニング時間はあまり多いほうではく、平均8,9時間/週であったが、そのほとんどがランだった。
自転車をトレーニング日誌に入れたみたところ、軽く10時間を越えるようになった。
トレーニング時間も以前より確保できて一石二鳥である。

ただ、感覚的にはランで10時間以上のトレーニングをした時ほどの充実感、疲労感はない。
その点は差し引いて考える必要がある。またランの量は自転車の疲労の分、以前とまったく同じ量と質を確保するのは難しくなる。
そう考えると、今までのスロージョグを自転車におきかえ、ラントレーニングは強度を中~強にあげた練習に集中するのが正解だろう。

トレーニング再構築。それもまた面白い。

円井君のブログを見ていても感じるけれど、何の競技であれ、社会人で、それなりの高みを目指して努力している選手は、仕事を初めとした色々な環境が変わる中で、トレーニングをいかに確保していくか、その工夫を競うゲームのようなところがある。
もちろんトレーニング自体を目的としてしまったら、それは単なるトレーニングマニアなのかもしれないけれど、大なり小なり強い選手は皆トレーニングマニアであることは確かだ。


その点自分はまだまだマニアックの域には及ばないけれど、こうして色々新しい生活の組み立てを考えてトレーニングを工夫するのは面白い。


月曜日, 5月 12, 2008

春の八ヶ岳


10,11日の週末は八ヶ岳でNT合宿。

合宿の運営準備を中心に進めていたので、当日も選手としての参加は2日目の1本目のみ。
脚を怪我してリハビリ段階だったので、ほどほどで調度よかった。

それにしても5月のこの時期に真冬のような冷たい雨、雨、雨。山シャツを着てレースをしても体が冷えるなんて。
選手達はそれでも1日2本のトレーニングをこなしていた。練習を終えるとさっと着替え、食事補給する要領の良さはさすがNT選手である、と思わず感心してしまった。

さて、今回の合宿は少々欲張りすぎてしまった。
運営準備に、一部選手としても練習に参加。おまけに家族連れで娘の面倒も時々見て、と。生憎の冷たい雨で、待機しているときはずっと車の中。
まあなんとかなるや、とあまり深く考えずに迎えたが、流石にちょっと無理があってひずみがでた。

運営の西脇君や大場さんに、とてもお世話になってしまったし、妻や娘には冷たい雨の中、狭い車内で長い時間待たせてしまうことが多かった。

まあそれでも終わってみれば、合宿は無事終わったし、練習もそこそこできた。妻も二日とも森に入れたし、娘も風邪を引かずにぴんぴんしてる。

この季節の八ヶ岳は柔らかい緑に包まれて本当に美しい。
その風景を100%楽しめる天気ではなかったけど、それでもみずがきの森や、アミガサの森で、霧のかかった凛とした美しさにはため息がでた。妻も森のマイナスイオン?を全身に浴びて大いに癒されたよう。
「お腹の子が喜んでたわ」、ほんとうかどうか。
でもこういう森を走れる限り人生は幸せだ、本当に。
どうも写真が下手なので、なかなかその良さをカメラに収められないのが残念。。。。











金曜日, 5月 09, 2008

37歳

全日本で勝った時、村越さんがブログで37歳で頂点に立った自分に対し、自身の10年前と重ね合わせて祝福してくれた。

37歳という歳は以前から、色々な意味で意識していた歳だった。
一番印象的なのは、村越さんがノルウェーでロング、ミドル共に予選通過した歳である。
しかしそれだけではない。
「自分はもうこのままだめなのか?」と2003年のスイスで自問したビヨルナー・バルスタッドが、2004年のスウェーデンWOCで見事金を取ったのが37歳。
97年ノルウェーのWOC。優勝したペターに追いつかれながらも、最後は意地で先にゴールレーンを駆け抜け、ロング2位をとったヨルゲン・モルテンソンも37歳。
そしてトレイルランの雄、鏑木さんが山岳耐久で韓国の選手とデットヒートし、初の7時間台を出したのも37歳。そして優勝した韓国の選手も37歳。

そして、最近テレビを見て、思わずにやっとしてしまった。
テニスの伊達公子選手の見事な復活である。
37歳で11年ぶりの現役復帰。

多くの人は、「どうして?」と普通は思う。
もちろん競技レベルは違うけれど、自分には伊達選手の気持ちが少しわかるような気がする。


37歳はとっても強いのだ。

金曜日, 5月 02, 2008

いた!

久しぶりに計画通りのトレーニングをこなせた充実感で、いくぶんペースも良く公園を後にした。


夕暮れの中、モノレールの大井競馬場駅に近い運河を渡る橋にさしかかったところで、数人の高校生の自転車集団に抜かれた。時々奇声を上げながら走るその集団は、数十m先程の歩道で横並びに止まり、なにやらハンドルを振り回してじゃれあっていた。

歩道を占領した高校生の脇は一人やっと通れる程度しかあいていない。まったく迷惑な餓鬼どもだ、と不愉快に感じながらも、自分の20年前を思えば多少はしかたない。


近づくにつれて、彼らの片方の後輪に、もう片方の自転車の車止めがひかかったらしいことがわかった。じゃれあっている間にもつれたのだろう。それでしきりにハンドルをふりまわしていたのだ。
次の瞬間本能的に危険を感じた。まさか、その可能性は限りなく低い・・・。

いくぶんスピードトレーニング時のアドレナリンが残った脳は、数十センチの隙間を前にスピードを緩めることはしなかった。

考えが甘かった。
彼等の横をすっと通り過ぎた瞬間に、左足の脛に激痛が走った。
「いて!!!」
からまっていた2つの自転車は、その瞬間はずれ、反動でどこの部品かわからないが、走り抜けるこちらの脛に強くあたったのだ。

その場にうずくまった瞬間、かーと頭に血が上った。
「あぶないじゃないか!お前らっ」
痛みより、腹立たしさが先にたった。
高校生は皆しゅんと黙り、平謝りしている。

「どこの高校だ?ここは皆が歩く場所だぞ!」
なにを言ったか覚えてないが、ひとしきりそんな文句をいった。高校生は素直にあやまり続けた。

妙に素直であどけなさの残る高校生の顔を見ていて、次第に怒りがしぼんできた。
まあ彼らも故意でやったわけではない。いつまで怒ってても仕方あるまい。こっちも体も冷えるし。

「じゃあこれから気をつけるんだぞ」
と言い残して走り続けた。
「すみませんでした!!」彼らは声を揃えて横を自転車で抜き、前方に去っていった。

彼らは見えなくなった、汗が妙に冷たく感じる。
次の瞬間痛みが結構酷いのに気付いた。
スピードが上げられない。畜生結構痛いな。少し痛みが収まってから走ろう。

とぼとぼ歩き始めて、脚を初めて見て驚いた。
脛より下は真っ赤。靴も鮮血で染まっている。
脛の傷は2cmほどきれて、腫れて膨れ上がっている。
「あちゃ、しまった。」

結局、近くのコンビニに飛び込んで氷で冷やし、その後大事をとってタクシーで帰宅。
次の日八ヶ岳に行く予定はキャンセルし、近くの医者で5針ほど縫う羽目になった。
幸い膝などの関節ではなく、打撲と外傷だけ。痛みが引けば直ぐに走ることはできる。

「名前と住所くらい聞いておけばよかったのに」
確かに常識的にはそうだよなあ。でもその瞬間はそんな酷いとは思わなかったのだ。
治療費よりも、GWの予定を色々変えなくてはならず、そのことが頭いたい。

そういえば10年ほど前、ジョギング中に、交差点で右折車に軽くはねられたことがある。
その時も、「気をつけてくださいよ!」と文句を言っただけですましてしまったことがあったっけ。

運動中というのは、よほどの痛みでないと、感じないものなのである。

トレーニング中の事故には気をつけましょう。











水曜日, 4月 23, 2008

PDFの世界

最近帰宅が遅く、少々疲れ気味。

GW中に会社のオフィスが移転する。いつからいたのか知らないが、少なくとも僕が入社した12年前から棲みついていた品川にある運河沿いのオフィスから、羽田空港の近くに遷るのだ。

だから長年蓄積された書類の量ははんぱじゃない。
そもそもプラント設計というのは一品一様が基本。ジョブの数だけファイル、図面は増えていく。どんなに会社のトップが標準化、書類削減と声を嗄らして号令かけても現場は書類図面の山山山々・・・・。元来、開発に夢中になる人、設計のノウハウを支える技術者なんて、てきぱきした整理の得意な人なんて少数派。漫画の世界じゃないけどみな書類に埋もれた生活をしている。80年代のカタログや技術資料ならまだいいほう。「これ、エジプトの古文書??」と首を捻る60年代の黄ばんだ青焼き図面も発掘。

だから膨大な書類の山を前にすると、末期症状の患者を見る医者の気分とはこういうもんかと思ってしまう。
でも、開き直ってこつこつはじめると、まんざら飽きない作業でもない。「ええ、この前の俺のレポート、これおんなじじゃん!」「昔はこんな綺麗な手書き図面つくってたんだ」「すごい強度計算、パソコンなしでやってるぜ」 先人達の軌跡にはいつも感心させられるばかりである。

そんなICU状態の我が部に、救世主がきた。名前は知らないが「自動PDF機」みたいなもの。
データの送信先だけ指定して、書類を差し込むと、後は勝手にPDF化してくれるコピー機のようなものだ。書類サイズが違っても、両面印刷でも何でも何十枚単位でできる。スピードも1枚コンマ何秒。これは画期的。
1年の間せっせと溜め込んだ開発プロジェクトの8cmファイルがものの15分でデータに落ちた。

これは速い。

要不要をいちいち判断していた作業がだんだん甘くなる。「いいや、とりあえずPDFにしちまえ」 そのうち何でもPDF。
ところが、楽珍なようで、結局はPDFファイルに名前をつけてフォルダわけする作業が待っている。

「まあそれは引越し後でもできるから」 と先延ばし。

それにしても、メール添付のPDFで送られた資料を打ち出してファイリングし、それを今またPDF化して・・・・。パソコンとリアルな世界を行き来している情報があちこちにあるだろう。なんだかマトリックス的な世界も近くに来ているのかも・・・・、と書類の山に埋もれながらぼーとSF的な妄想をしてしまった。

泣いても笑ってもあと数日。おかげで連休前のJWOC合宿はスキップの予定。



木曜日, 4月 17, 2008

そして7人が残った

WOC代表が発表された。
男子7名。女子5名。

空白の3日間。選ばれ側には果てしなく長い間だったと思う。

もちろん僕らはアマチュアだ。プロではない。
WOCに出れたから、出られなかったから、飯の種が増えたりなくなったりするわけでない。
もしかしたら、この3ヶ月夢を見られるか否か、その違いだけかもしれない。
でも選手は誰もがギリギリのところで、壊れそうな限界のところで勝負している。
プロとは違う、人には見えない厳しさがアマチュアにはあるんだ。

久しぶりに、人のブログを見て涙が出そうになった。

だから、その中でロングを走らせてもらえることは、本当に幸せなことなのだ。

この3ヶ月を大切に過ごしたい。

月曜日, 4月 14, 2008

待ち時間

日光での選考会が終了した。

土曜日は春らしい陽気の中のレースと思えば、日曜日は冬ように冷えた雨のレース。
準備された運営の方々も大変だったと思う。

当日メンバーの発表されたJWOC、ユニバーと異なり、WOC代表は水曜日の強化委員会の意思決定後に通知される。
だから今は中途半端な時だ。選考会の色々な選手の走りはふれたいことが沢山あるのだけど、今はやめておこう。

自分のレースについて。
スプリント4位、欲していたミドルは5位。残念ながらふがいない成績に終わった。
理由ははっきりしている。どうしても克服できない自分の弱点。それが露呈した。
悩んだ上での自分なりの判断。しかしそれを含めて結果である。

詳しい分析は、次の機会に。

金曜日, 4月 04, 2008

全日本アナリシス

朝6時に起床。ちょうど妻がジョギングから戻ってくる。7時の朝食までに妻と順番で朝ジョグにいく約束をしていた。着替えてホテルを出て江坂の駅裏にある小さな公園で4kmほどジョグ。最近はレースの朝、身体を目覚めさせるために軽いジョグをすることにしている。

戻ると、急いでシャワーを浴びてホテルのビュッフェへ。
1000円のビュッフェは食べがいがありそうだが、いろいろ取りたいのを我慢して白米中心の食事。娘を交代で見張りながらの食事はいちいち時間がかかる。ストレスをためないように余裕を見て1時間の食事。
ようやく終えて部屋に戻り荷造り。8時半過ぎにベビーキャリヤで娘を担ぎ、いざ駅へ。

電車の中で大助夫妻に偶然合流。子供連れなので行動パターンがいつも似てる。千里中央駅から2組家族でタクシーに乗ろうとするが、大人4人幼児2人は乗れないとのこと。幼児は3人で2人分だとか。結局時間に余裕のある僕は娘を背負ったままバスに切り替えた。2時間前、バスの中でゼリー飲料を補給。

会場到着は9時半頃。スタートまで2時間近くある。体育館はすごい混雑。10年前くらいの1000人参加が当たり前の時代を思い出す。最近レース直前に会場入りする癖がついていたので、かえって体育館の中で時間をもてあます。
10時前に妻が娘を託児所に連れて行った。我々のような夫婦オリエンティアにはこういう配慮は本当にありがたい。いよいよレースの準備そして集中。バナナ2/3本。最後の給食。

45分前に体育館を出て、ストレッチとウォームアップ開始。小雨が降っている。雨のレースは嫌いじゃない。森の蒸れた匂い、深深とした静寂はかえってレースへの集中を高めてくれる。

25分前。スタートに向かう。円ちゃんを通じて知り合ったトレイルランナーの女性にばったり。いくつか会話をしながらスタートへ。はじけた会話に緊張が適度にほぐれてくれた。途中から別れを告げて急斜面で心拍をあげる。いつもは怠け者の心臓も、160くらいまですっとあがってくれる。 悪くない

スタート直前、枠に入るといつものように得たいの知れないだるさが体を襲う。気にしてはいけない。深呼吸。1分前。

11時27分スタート。 地図とルートはO-NEWS参照
①(5:09/3)地図を取ってまずクラスの確認。尾根線を進む。ぐるぐる廻るコース上で△がようやく見つかる。

1番まではまず道走りだが、アタックは尾根周りの迂回か、直線的な沢筋からか悩ましい。1番だからまず安全に迂回、という手も魅力的に思えたが、走りやすそうな沢筋の方が明らかに距離が短い。特に分岐手前で尾根を越えればほぼ直線的にアタックできることがわかり、沢筋からアタックした。沢は実際白く、おそらく正解だったろう。
②(1:49/8)沢筋を登って道をつなぐ。斜めのアタックは走りにくそうだったので、尾根の上まで乗ってからコントロールの沢筋にそってアタック。
③(2:49/5)尾根切りのルートも考えたが余計に登りすぎる。池の横の小径をつかう迂回ルートへ。③で3分前の池君を捕らえる。
④(1:11/3)ほぼ直線的にアタック。コントロールは明確な鞍部なので容易にわかった。
ここまではほぼノーミス。ペースもわるくない。この時点ではトップ善徳+24秒、加藤に続き3位。

⑤(5:02/19)つなぎのレッグ。特に留意点はない・・・、と思いきや尾根上の主要道に乗った時に一瞬勘違いして、90度道を間違えて進む。慌てて戻る。+30秒。いた!情けないミス。先読みが裏目に出た。目前のレッグに集中しよう。まだロングなら致命的ではない。
⑥(1:37/6)直線的に行くには急斜面すぎるため、迷わず上の道から迂回アタック。
⑦(6:58/5)上への脱出は尾根上のピークを余計に登るため、一旦沢筋の道に出て登り返す。ところが道を走りながら、コントロールから東にすぐに主要道に出れば登りを抑えられて速そうなことに気付いてしまう。想定ミスルートで+30秒か。気を取り直して進む。アタックは悩んだが、登りを抑えかつあまり距離が伸びないところで、沢沿いの崖の南から登るルートをとった。
かなり厳しい斜面にストレスを感じるが、だれもが避けて通れないはずだ。
ややぎこちない3レッグ。ここまで4位、トップ善徳と約1分差

⑧(14:03/3)いよいよ想定されたロングレッグ。この位置なら中盤以降は尾根上の道をいった方が絶対速い。ただ尾根上の道に出るまでが課題。⑭の南を通る沢筋をおりるルートも見えたが距離が伸びすぎる。我慢してコンタリングで最短距離で行くことにする。途中かなり斜面が厳しくスピードがおちるがほぼプランどおりに進めたので、ロスはほとんどないはずだ。
⑨(3:47/5)沢筋を勢い良く下る。一旦道まで出るのは持った得ないと、せこく手前をコンタリング。しかし斜面がきつく走れない。結局一旦道に出たほうが正解だったろう。
⑩(4:30/30)結果的に最もミスをしたレッグ。レッグ中央にある崖の列をコンタ道と完全に見間違えた。⑨の脱出から直ぐに登り返し、道に乗ってその延長線でコンタリング、というプランをした。が実際は道もなく、斜面が異様に厳しい。途中から道を見つけることはあきらめ、地形でコンタリングしながら進む。途中岩がちな地形が続き、地図を何度も見返す(崖を道と思っていたので当然同定できない)。途中かなり不安になるが、⑨から脱出したのは確かだから、勘違いして変なところにいる可能性もない。途中から我慢して地形を見ながら深い沢筋のてっぺんというイメージで進む。厳しい斜面のはるか上にコントロールがようやく見えた。
10のミスが痛い。ここではトップ善徳に2分の差で5位。レース中最も順位を落としている。

⑪(0:55/2)沢を下るだけ。パンチ後に給水。
⑫(5:11/3)このレッグも想定されたものの一つ。いくつかのルートが見えたが、道でなるべく登る方が速いこと、尾根上の鞍部からコンタリングすれば登りも抑えられるということで、東側からのルートを決めた。尾根上のアタックは地図の精度も比較的良く、安心してコントロールに到達。
⑬(0:58/1)ショートレッグ。尾根上を下る。このあたりの動きは機敏。
⑭(4:40/3)尾根超えのきついレッグ。地図を広い範囲でみるが、小手先を使わず素直に一番近い沢を登って降りた方が速いだろう。⑭への沢の上り口で山本君(21分前)とすれ違う。
⑮(4:03/1)コンタリングルートも見えたが進むべき方向の斜面はとてつもなく高い。あっさり戻って迂回ルートにする。⑮までの沢筋を登っていると、前方からかなりいいペースで下ってくる選手が。坂本(6分前)だ。とてもリラックスしているけどスピード感安定感のある走りだ。思わず時計を見る「1:00:27」。周りの風景を咄嗟に見て記憶する。
⑯(1:09/1)、⑮へ向かう沢の入り口で、⑯の方向はチェックしておいたのでスムーズにアタックできた。9分前の円井君に追いつく。
ここの区間もっともペースが良く1~3位ラップが続く。いつものことながら1時間程度走ると相対的にスピードがあがる。この時点で2位大助に約1分差のトップにたつ。

⑰(8:57/7)この位置だとマクロなプランで尾根周りと沢筋周りとで迷うところだ。事前のルート検討も参考に距離の若干短い沢筋を選び、来た道を戻る。先程坂本とすれ違った付近で再度時計をチェック。「1:04:57」。約1分半こちらがリードしている。しかし先程の坂本の走りが脳裏に浮かび、前週インターハイでの95という彼の巡航スピードが頭をかすめた。普通にやっていても1分は縮められる可能性は高い。だとすればもうミスはできない。
沢筋のルートはジェットコースターのような小道でスピードを出すにはややリスクがある。あせる気持ちを抑えてリズムよく走ることに徹する。途中山本君を抜き、一番底の分岐を通過。純粋にコントロールへのアタックを考えると、給水所より北の白い緩い沢をつめた方が速いと思ったが、終盤に向けてどうしても給水所を通りたかった。若干のタイムロスを覚悟で給水所に向かうキツイ沢を登る。
給水所手前で歩きながら用意していたカーボショッツでエナジー補給。給水の水で押し流して心気一新、⑰への急斜面のアタック。⑰は若干コントロールより下に出てしまう。+15秒
ここの時点で実は急追する2位坂本に20秒差まで一気に追い詰められていた。

⑱(5:12/3)これもいろいろ考えたが結局楽はできない。なるべくスピードを維持するため、一番南に伸びる沢ではなく、一本西の沢をつめた。こちらの方が沢の頂上付近でのスピード低下を抑え、早く道に乗れると思ったからだ。コントロールアタックは尾根上を走るのみ。植生の変化や尾根の形状もつかめたので問題なし。
⑲(2:58/3)コントロール脱出の斜面はかなり急で、スピードを殺して下る。反対側の斜面のコンタリングもずり落ちないようにするので精一杯。尾根上に乗ると、反対側が沢になっているので直ぐに場所を確定でき沢筋におりていく。コンタリング気味にアタックすると思ったより下のほぼ沢底近くにコントロールがあった。
⑳(1:44/21)若干地図のイメージが合わなかったところ。沢沿いに進めば、左側の尾根が低くなり、すっと尾根の上に登れるイメージで進むが、左手の尾根は急峻でなかなか登り口が見つからない。ようやくコンタリンスする獣道を見つけて斜めに登っていく。ところが尾根上につくとその先は斜面が落ちているだけ。慌てて振り向いて、自分が尾根にのった地点はすでにピークを過ぎていることを悟る。20mほど戻るとコントロールがあった。+30秒
21(3:57/13)若干疲労も出てきたか。もうこれ以上ミスはできない。次のコントロールも大味な地形でのナビゲーション。しかも沢沿いは竹林で進みづらく、地形の見通しもよくない。方向を合わせて竹林をよたよた進み、ようやく前方に小高い尾根が。これを登りきればコントロールはあるはず。歯を食いしばって登りきり、平らな尾根上を進むと、道が見えてきた。瞬時にスルーしていることに気付き、慌てて戻る。+40秒
22(1:08/2)最後のミスは余計だ。精神的にはやや動揺しながら最後の道を走る。
G(1:21/7)ここもジェットコースターのような下りの道。途中誘導を見切れず数秒のロス。

結果は2位大助に2分差の1位。終盤ミスをしたが、他の選手も自分と同じように後半ぽろぽろミスをしており、逃げ切ることができた。こうしてみると2分というタイム差ほどの内容的な差はない。特に坂本は終盤失速したが全体のスピードには目をみはるものがある。
自分に関していえば当面スピードという点では及第点、ナビゲーションも結果往来だが、WOCで自分の望む結果を手にするには、スピードもナビゲーションもも一歩の進化が必要。夏までにもう5%良いタイムを出せるオリエンテーリングを目標にしよう。

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...