火曜日, 4月 27, 2010

小さな目標

どんな形でもいい。自分の目標を形にしておくことは大切である。

多分書いてあることに気づいている人は、本当に一握りの物好きな人だけだと思う。

今の自分は競技を最優先にする立場にないし、自分もそれだけの準備をする覚悟はない。海外遠征にはとても越えられないハードルがある。
だけどこの30年に培った性として、何かしら競技で目標を立てて走り続けないと、仕事も健康も家庭も人生のすべてのリズムが崩れてしまう。だから魚が一生泳ぎ続けるように、自分も一生走りづづけてる、それが自分の生活の一部なのだ。

ハセツネを終えて自分の次に向かって走るゴールを求めてASOCロングを目標に設定した。それはASOCだから、というよりも全日本だから。
それほどの重大な決心ではない。手持無沙汰な冬を乗り切る手頃な目標だったのだ。

この冬は比較的よく走れた。ハーフでも75分台はキープしたし、1月は400kmも超えた。おそらく2月の時点なら自身を持って自ら優勝候補だと名乗っただろう。
しかしこの2か月の状態は残念ながらよくない。そもそも山や森に行けてない。オリエンテーリングもまともにレースしたのは2月が最後、あとは4月の選考会ロングの試走一本。さらに4月中旬に体調を崩した時はさすがにめげそうになった。
言い訳はいくらでもある。弱気になれば、逃げ込むところはいくらでもある。

でも、ふとこのブログに小さく書いた目標が目についた。頼りないけど、しっかり書いてある。
「ASOCロングでの優勝を目指します」

間に合うかはわからない。体調が復調した先週決心して半休をとり、早朝に鎌倉の山を走りにいった。あきれた妻がいった。「あなたの人生よ、好きにしなさい」
ようやく体がある程度戻ってきた。まだ自分が勝つ良い走りはイメージできない。でも今の傾きは悪くはない。

あと8日、この1週間は自分のために投資してみよう。

土曜日, 4月 17, 2010

選考会2010

もう1週間になるが、選考会が無事終了。
今年ほど主体的に中心となって選考会を準備したのは初めてだ。ずいぶんと苦労もしたけれど、最終的に決まった選手の笑顔、喜ぶ姿をみると、準備した甲斐があったと感じる。一方で一年の努力を見守りながら、選考会で調子を出せなかった選手を当日励ましフォローする余裕がなかった自分に後悔の念が過ぎる。
自分が走ったわけでもないのに、もらい喜びやら、もらい憂いやらが疲れと入り混じってなんだか妙に感傷的な1週間になった。

今年の選考会は、巷で話題になっているように小林や山上、寺垣内が彗星のように現れ、多くの人がこれからの日本のポテンシャルを感じたと思う。対照的に選考会終盤での、番場、山口、松澤、加藤といったベテラン組の力強さも非常に印象的だし、ドラマチックだった。
ジュニアの方は今年も高校生が3名、卒業1年目が2名と、ここ数年のジュニア世代の活性化を象徴した結果だった。
もちろんこれらの選考がすぐにWOC,JWOCの結果につながるかは分からない。選手とコーチのこれから数カ月の創意工夫と地道な努力があってはじめて実を結ぶのだろう。

さすがに3週連続して、二人の子供を置いて家を空けるわけにもいかず、今週はおとなしく子守の留守番。選考会後に崩した体調もようやく戻ってきた。


木曜日, 4月 08, 2010

入園式

子育てってなに?
何気なく考えていて最近感じるのが、「人生を反芻すること」

娘の入園式に行ってぼんやりそんなことを思った。人生が2週目に入ったなと。ずいぶんと寄り道したけれど。
自分の記憶の一番底にあるのは初めて幼稚園にいって誰とも話すことができず母親が困っていたこと。その歳に娘が届いた。あのちびっちょい頭には一生残る記憶がもう刻まれてるんだ。
30年以上たてばとりまく風景もずいぶんと変わってくるけれど、なんとなく懐かしい匂いがする入園式。これから再び幼稚園小学校、中学校。。。と繰り返す人生がはじまる。こんどは当事者から少し離れたところからの見物になる。1週目よりもっと速いスピードで駆け巡り、やがて3週目に入るのだろう。おっと、幸運にも4週目までまわる人、残念ながら2週目をまっとうできない人、いろいろあるだろうから自分もどうなるかわからない、ただこうして自分の次の世代の成長をくるくる見ていくのがこれからの自分の人生なんだなあ、と感じる。

平日の木曜日。
会社の休みはとったけど、入園式には出なかった。入園式の案内に会場が狭いので「保護者の方の出席は1名まで」とあったのをま正直に受けたのだ。普段着で下のちびと送りにいったら、狭い園庭はスーツ着たお父さんがたくさんいた。妻いわく入園式の狭い部屋の後で満員電車のような中ビデオを皆回していたそうである。
なーんだ、もう少しましな服を着てくればよかった、と少し後悔して下のチビと近くの公園で暇つぶし。
30分もじっとしてられない子供たちなので式は短い。午前中にあっと言う間に終わった。
まあ娘の晴れ姿は見れたし、担任の若い先生にもあいさつできたし、来た甲斐はあったかな。

翌日会社にいると妻からメール。「さっそくやってくれたわ、園庭のど真ん中で。」
先生に「おしっこ」と言えなかったのだろう。変なところが僕に似てる。

「今日は先生に教えられたのよね!」風邪で寝込んだ週明けの月曜日、妻が娘と寝床に報告してくれた。「そうよ!えっへん、お父さんかぜ大丈夫?」
ああ、まあなんとかね。

一歩一歩。父さんも同じだな。





土曜日, 4月 03, 2010

つながらない!

最近出張が増えた。
一泊二日の強行日程。
仕事の書類にプラスして、ジョグシューズ、ハートレートモニタ、そしてPC。
最近1日も手放せなくなった3点セットを鞄につめて羽田空港に向かう。

今回の出張も交通の便は悪いところ。しかたあるまい。人が住むところに水道あり。水道あるとことに我が仕事あり。
羽田からとある地方空港まで約1時間半、そこからJRの特急に乗り継いで約2時間。観光地として有名な地方小都市にだどりつく。

昼間の仕事は比較的スムーズに終えることができた。やれやれと後輩の運転する車で途中夕食をとり、宿へ向かう。時計を見るとまだ6時半。今日は7時にはチェックインできるだろう。
週末の準備やPCメールに返答する時間もたっぷりあるし、少し夜にジョギングもできるか、と車の中で今日の残りの時間の使い方をあれこれ考えた。

ところが、車窓を眺めていて一抹の不安が過る。車はビジネスホテルのある市内ではなく、郊外に向かっている。。。
やがて街をはずれ暗い夜道を進みはじめた。
そういえば、昨日後輩から案内された宿は○○ホテルといった類のものではなく、△△楼という名だった。行く先を尋ねると隣町の観光地として有名な温泉地。
30分くらい進むとやがて観光ホテルの煌々とした灯があらわれ、静かな湾沿いの1棟の旅館にたどりついた。

後輩はせっかくだから、と味気ない市内のビジネスホテルではなく近辺の観光地の旅館に設定された格安プランを案内してくれたのだ。
チェックインすると確かにリーゾナブルだ。6800円の朝食付だが、ツインのシングルユースで広い部屋だし、温泉ももちろん広くて深夜まで入れる。浴衣で土産物コーナを回るような、そんな旅館だ。
どうせならプライベートでゆっくりしたいそんな宿である。

ただ、案の定いやな予感はあたった。

チェックインしてまず机付近をざっと見るが、あるべきものが「ない」
旅館の案内パンフをめくってみても期待薄。
だめもとでフロントに電話する。
「あの、インターネットとかつながっているところありませんか?」
多分さっき案内してくれたフロントの気のよさそうなお兄さんだろう。やや困惑した声で、
「当旅館にはありません。この先の××旅館にワイヤレスがあると聞いたことありますが。。。、それ以外このあたりでは聞いたことがありません。」

ああ、やっぱり。
ためいきをついて携帯を見ると、「圏外」
ソフトバンクの携帯メールも使えない。やれやれ。

しまった、うかつだった。事前に調べておくべきだった。この地はインターネットの世界でまさに陸の孤島。
今週末の準備をかかえてこの空白は痛い。自分のサーバにたまるメールの山と、返信がないのにいらいらする面々の顔が瞼に浮かぶ。

それにしても極度のインターネット依存症かもしれない。ここは誰もが一度は訪れたいと思う名勝の地。日本の雄大な文化的遺産を目前にして、その雰囲気さえ味わえず、インターネットがないことにあたふたする自分が何とも小さい存在に思えてきた。
いいや、今日一日なんとかなるだろう。今日は早く寝て明朝に、日本人の魂を育んだこの地の歴史文化を肌で感じるべく、ジョギングを楽しむこととしよう。

木曜日, 4月 01, 2010

レクロゲイン



3月は一度も山を走らずに終わったけど、最後に歩いてロゲインだけ参加した。

レクロゲインに家族で参加。一番下のちびも連れて4人での参加ははじめて。
申し込みはまったく妻にまかせていたのだけど、エントリー表を見てびっくり。
「えっ6時間?」
「あら、大丈夫でしょ」

1歳のちびは背負子に乗せて、3歳の娘の手を引いていざスタート。
6時間でしかも電車、バスを使ってよいルールのため、もらった地図は巨大な新聞紙のような2万5千に、1万5千のオリエンテーリング地図がついている。まずは巾着田をまわり1点、2点、1点と獲得。のんびりお花畑の中をまわり、高麗駅までちょうど1時間。娘はすでに疲れたと言い出し、あまりにも寒いので駅前のしがない店に暖をとり、まだ10時過ぎなのに早速お昼。
かれこれ1時間もしてようやく次へ。展覧山に向かう市街地をひたすら登る。30分ほど歩いたところで娘はギブアップ。息子を妻が背負って、娘を肩車。10分もするとようやく次のコントロール。
そこからは山道。ところが面白いことに娘は山道になってからは自分で歩きだした。結局展覧山経由でアトムの像脇に下山するまで全部一人で歩く。むしろ市街地の道で、「だっこ」と駄々をこねることが多い。山道は子供にとっても起伏の変化や景色の移り変わりが飽きないのだろう。トレランやオリエンテーリングの原点を感じる。
飯能駅前のスタバでまた30分お茶をして、そのまま飯能駅から高麗まで西武線を使い、最後は疲れたと泣き続ける娘の手を強引に引っ張って5時間59分台にゴール。
あまりにも大きな地図のほんの一部だけだったけど、高麗から飯能まで歩いた距離はおそらく5,6kmだろうか。3歳の娘には褒められた距離だ。
おかげさまで夜は宵っ張りの二人が8時過ぎに帰宅したころにはぐっすり。こちらも朝が早かったこともあって10時には寝込んでしまった。


会場の体育館は参加者で満員。地図に乗るスポンサーシップの数を見てもこのスポーツの勢いを感じる。やっぱり参加者はもちろん運営者も楽しんでいるのがとてもよく伝わってくる。こういう雰囲気だと人が人を呼ぶんだろうなあ、とまったく違う競技や位置づけながら、やっぱり楽しむことが一番と妙に感心してしまった一日でした。

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...