火曜日, 12月 29, 2009

三河の驚き


6日~28日での愛知合宿が無事終わった。

仕事の都合で最終日を見届けずに東京に戻ったが、なんとか無事終えたようでなによりだ。
2010年の強化選手最初の合宿でもあった今回は、キックオフの位置づけとしてそれなりの意味があったと感じる。

今年2009年、日本チームにとっては近年最も厳しい年だっ
たといってもよいだろう。結果が全くでなかったのだ。
理由はいくらでも上げられる。選手自身、強化委員、オリエンテーリングの環境そのもの、いろいろな要因が今の日本代表の成績に影響しているのは間違いない。
その2009年を終えて、今後再浮上するためのスタートtとすべきなのが今回の合宿の位置づけだ。
幸い、夏以降も努力を怠らず、実力を徐々に伸ばしている選手がいる。またベテラン選手の復活で代表争いも昨年に比較するれば活性化してきている。まだ結果が出るには時間がかかるかもしれないが、向かい風はやや収まり、追い風を掴む
チャンスを眈々と待つべきときが着たと感じる。

そして、そんな中、いろいろな意味で非常に良いタイミングとなったのが、前強化委員長宮川氏の紹介で参加した原田正彦氏である。

原田氏は、現在立教大学の陸上部で長距離チームの指導をされているが、ご自身は早稲田大学から実業団のS&B食品、重川材木店で活躍した経歴を持つ流の長距離選手である。紹介はネット上にいくらでもあるが、一例は以下のURLを参照されたい。

早稲田時代には箱根駅伝のあの花の2区で区間賞も獲得した実績をお持ちだ。5000mが14分11秒、20kmまでの記録はもちろん、79というVOmax値は、オリエンテーリングで体力的に優れた世界のトップ選手、ロシアのアンドレイや、フィンランドのモルテンと同じレベル。また選手時代の年間9000kmというトレーニング量も、北欧の
ハードトレーニングをこなしているトップ選手とほぼ同じ量だろう。つまり競技こそ違え、我々が目指す競技レベルの世界を経験されてきた方である。

2,3度パークオリエンテーリングは走られているが、今回初の森でのオリエンテーリングを経験された。またその中で、オリエンテーリング強化選手との交流や、さまざまなQ&Aに答えていただいた。
選手にとっては、同じ持久系スポーツを極めた選手として、非常によいインスピレーションを感じたに違いない。

さて、ここからがこのブログの本題である。
僕が一番驚いたのは原田氏のさまざまなプロフィールではない。本当の驚きは2日目午前に三河高原で、ミドル用コースを私が案内しながら回った時のことである。
原田氏はたぐいまれな読図能力の素質を持ち合わせているということだ。

4.7kmup200mのコースは、比較的アップは抑えられているものの、当然強化選手向けの容赦ないコースである。添付の地図を見ていただきたい。ちなみに男子はウイニング藤沼君37分。
コースを回る前に、原田さんに基本的な尾根沢などの等高線と、植生や水系などの地図記号は簡単に説明した。しかし数分の説明でこのコースを回れるわけがないので1番から先導していった。しかし原田さんは1番まわりの地形を直ぐに理解し、2番からは原田氏自身で回り始め、とうとうほとんど自力で完走してしまった。
さすがに地形だけで進む部分ではアドバイスする場面もあったけど、ほとんどの場合、原田氏が「このへんですか」という問いに「そうです」と答え、テクニックのいくつかを教えただけである。現在地ロストしたのは1,2回だろうか。
あまりにも地図が読めているので、「山登りとか経験していますか」と聞いたがそのご経験はないよう。

僕の経験の限り、普通初心者はまず地図の示す地形と現地のそれとを感覚的に合わせるのに1年はかかる。しらばらくは等高線1本の尾根と3本の尾根を間違えるのが当たり前だ。
しかし原田さんは、この感覚がほぼ身についていた。おそらく大局的な等高線をすでにデフォルメせずに地形のままで捕らえることができるのだと思う。

例えば3⇒4の尾根のトレースはノーアドバイス、7⇒8はコントロールの円に入ってアドバイスしたのみでそこまでは全く自力。9までも全くノーアドバイス、10⇒11の道走りは一度も止まっておらず、11の惚れ惚れするアタックも後ろをついていっただけである!

ご本人は「思いの他ハードでした」と謙遜し、強化選手の斜面を下るスピードに感心されていた。もちろんタイムも強化選手の3倍近くではあるが、初めての森のオリエンテーリングでMEを回ってしまう原田氏の読図能力にまったく敬服した次第である。

現在原田氏は立教大学陸上部のコーチとして指導に力を入れていらっしゃる。ご自身の実績と、誠実な人柄かつ聡明な方なので、きっと良い指導者になのだと思う。だけど、素晴らしい持久能力と、読図能力の素質は僕らから見るそこはかとないポテンシャルを感じざるを得ない。まずは余暇としてでも是非是非オリエンテーリングに挑戦して頂ければ、と思う次第である。

土曜日, 12月 19, 2009

師走

数えてみたら忘年会の数が片手に収まらなくなった。

そんなの当たり前、両手に収まれば少ない方、と世のサラリーマン同士には窘められそうだが、それでも僕にしてみれば随分と増えたもんだ。
若いときは忘年会という習慣が大嫌いだった。
なんで年の瀬だからって飲まなきゃいけないの?来年もどうせ付き合いは続くし、節目ってわけでもない。
一年をがんばって忘れるほどの付き合いしてないでしょ?というのが本音。
12月といえば、冬場できっちりベースの体をつくらなきゃいけない時期。酒飲んでばかりいたらトレーニングはできないし、仕事はたまるし、ストレスはたまるばかり。

でもさすがに14年もサラリーマンをやっていると、人生それなりに駒を進めていくにつれて、「ああ、この節目でお酒を飲むのもいいな」と思える付き合いの人が少しづつ増えてくる。僕も遅ればせながら、世の背広族に混じって飲み屋に通う師走となった。政治ネタとか、業界情報とか、マネージメントとは!、とかそんな知ったような話で酔っ払うのもそれなりに面白くなった。

それでも、毎日ろれつの廻らないおっさんと酒飲んでても飽いてしまう。
合間を縫って、水曜日は今年最後の織田フィールドに向かうことにした。
9月以来、山田をはじめ高橋雄などが高校生を中心としたジュニアの面倒をこまめにみて、トレーニングを続けている。この日は隔週のトレーニングの間の日だったが、それでもセンター試験を1ヵ月後に控えた野本も走りにきていた。
東大の面々に混じってペース走。インカレチャンプの3年小林が引っ張ってキロ4分×12kmというなかなか骨のある練習をしていた。それでも1年生まできちんとついてくる。そして最後のフリーではペースを上げる小林に、1人の一年生がついていった。結城君というバスケ部出身の子らしい。長ズボンのジャージにTシャツ姿であのスピードは違和感ある。4年の田中君いわくまだ走りに無駄が多いが、それでも体の動きはしなやかだ。そこはかとないポテンシャルを感じる。そう、大助がまだ1年生の時を見ているようだった。話によれば東大の1年には他にもナビゲーションの逸材がいるらしい。
ここにも若いポテンシャルがある。

ジョグをしながら一番気心が知れて話をできる、年長の山田でも考えてみれば自分より一回り以上若い。大抵の子は僕の半分もこの世に生きてない。
自分も歳をとったもんだ。

金曜日, 12月 04, 2009

お願いします

この場は、自分の立場となるべく切り離したいのだけど。

使えるチャンネルはなるべく使うということで。
オリエンティア以外の皆さまも、一度ここを見ていただいてもし興味があれば是非ともご協力よろしくお願いします。。。。


月曜日, 11月 30, 2009

JOGLIS

週末、妻と変わりばんこに外出した。

土曜日は一日子守に励み、日曜日はフリー。
午後はたまった仕事(いわゆる仕事以外の仕事)をやりたかったので、半日でいける手ごろな大会をorienteering.com探したが、残念ながらない。しょうがないので身近に行けて景色が楽しめる皇居でペース走をすることにした。往復自転車で行けばかなり効率的に午前中を使える。
いつものことながら、前の晩に予定を決めるので、1人になってしまう。どうせなら誰かを誘って走りたいが、まあ当面今の生活では仕方あるまい。

最近皇居の周りにはランナー用の施設がいろいろ出来ているらしい。
調度数日前、見かけたテレビで紹介していたJoglisという半蔵門に新しく出来た施設に行ってきた。
まさに半蔵門の目の前、東京FMのあるビルの地下にある。アシックスと東京FMが関わっているらしい。
広くはないが、ロッカーもシャワー室もきれいで、全体的にしゃれた雰囲気。ランパンランシャツのおっさんが利用するというより、ランスカはいてお化粧した女性ジョガー向け、といった感もある。ビジター利用は900円とやや高いが、場所代と考えればやむを得ない。

休日の皇居周りはすごい。いい季節のこともあるかもしれない。ランナーと、観光客で狭い歩道は人に溢れている。その間を縫ってキロ4分のペース走を試みた。
8周2時間45分。最近ロードで長い距離を走っていなかったせいか、35kmすぎでがくんとペースが落ちた。最後はキロ6分。体は正直である。

東京マラソンに落選したので1月末の勝田マラソンに申し込んだ。
今の自分の中で競技の目標を立てるのは難しい。ただ何かを目指していないと自分の生活はバランスを崩す。他の面でもマイナスになる。そのことは今年の冬に痛感した。
最終的には5月のASOCロングをきちんと走ること、それが今の自分の競技の目標。そのためのトレーニングモチベーション持続にマラソンを選んだ。今年4月に体調不良で霞ヶ浦マラソンを回避したため、出走すれば8年ぶりのマラソン。2時間30分台の目標は正直ちょっときつそうだ。現実的には2時間40分台前半がいい線か。でも使える時間をもう少し工夫して、目標は高く頑張ってみよう。


木曜日, 11月 26, 2009

ひとつひとつ

仕事や人生の格言みたいなものはちまたに溢れてる。

本屋に行くとそれこそ、目を引くワンフレースのオンパレード。
なるほど、この一言で本の売り上げが何万部と違うのだろうから、ひねりにひねったのだろう。見事な一言が多い。

ただ、多くの言葉はその時「ふんふん」と思っても、本屋を出て雑踏を進むうちに頭からすっと消え去っている。
きっとどんないい言葉でも、自分が身に沁みて感じない限り心に残らないのだろう。

ところが僕にはあたふたしててんてこまいな時、いつも思い出す言葉がある。
10年も前だろうか、当時のスコードのメーリングリストで、何かテンバッテる状態で焦りのメールが飛び交う中で、倫也さんがぼそっと1行送ってきたもの。
その時は、呑気なフレーズに見えたけど、今思うと当時から超多忙なビジネスマンだからこその言葉かも。

「何から手をつけていいか分からない今だからこそ、目前の一つ一つを片付けなければね」

言葉じりは違うかもしれないけれど、こんな意味だった。本人はもう忘れてるかもしれないけれど。。。
でも僕はこの言葉に今とても助けられている。

日曜日, 11月 08, 2009

城南島海浜公園


7月の3人乗り解禁で、我が家もブリジストンの電動自転車を購入。
車で出かけるほど大げさでなく、でも乳母車では機動力がない。自転車があると、小さな子供がいる家族にはちょっとした休日の過ごし方がぐっと幅広くなる。
ちなみに自転車の名は「キャサリン」妻のインスピレーションで命名。
「なんで?」「だって真っ赤だから女の子よ」だって
「キャサリンとお散歩」が子供達のお気に入り。

秋晴れの気持ち良い先週末は、地図を見て議論した結果、城南島海浜公園へ。
お弁当を持って、ちびを前の席、おねえちゃんを後ろの席に乗せていざ出発。
自宅から8kmほど。父ちゃんはトレーニングも兼ねて、電動スイッチは「オフ」
大井競馬場の脇から大井海浜公園を抜け、東京湾野鳥公園の前を抜ける。このあたりから大井埠頭。住宅はまったくなく、倉庫や、物流の施設が並ぶ中、貨物の引込み線や運河を渡って走る。
ようやく城南島に渡り、その先端まで行くとそこが城南島海浜公園。40分近くのちょっとした旅。

それ程広くはない -そう、パークOマップを作るには少し物足りない程度-、でも道中の殺風景さとは対照的できちんと整備されている。手入れのされた芝生が海の目前まで迫り、バーベキュー広場もある。この手の緑地にありがちな、ゴミが散らかし放題の荒廃感はなったくなく、家族連れが安心して楽しく遊べる雰囲気だ。

さて、この公園の目玉は日本の空と海の玄関口両方を間近に見れること。

海を隔てて隣にある羽田空港から飛び立ってすぐの飛行機が真上を通る。まだ高度が低いので、航空会社のロゴマークもしっかり見える。そしてその頻度のすごいこと。さすが過密スケジュールで有名な羽田。本当に2分に1本上空を過ぎ去っていく。

一方、目を海に向けると、臨海地帯の湾岸に巨大なクレーンがあちこちに見える。子供には「きりんさん」に見えるらしい。そして今度は、とてつもない大きなコンテナ船が、積み木のようにきちんとコンテナをならべて、悠々と狭い湾を通過していく。

子供は想像以上に大喜び。

品川、大田区方面に住んでいる人は一度行ってみるといいかもしれません。普通の人は皆車できているようです。


木曜日, 11月 05, 2009

WONDER&WONDER

トレイルランナーには話題となっていたNHKのワンダーワンダーで、ウルトラトレイルモンブランのドキュメントが放送された。

鏑木さんの挑戦を軸に、166kmに及ぶツールドモンブランを一周するトレイルランレースの魅力にせまる。制限時間は46時間。夜6時半スタートなので、トップ選手以外は2泊2日の壮絶なレースである。その中で日本のエース鏑木選手はアクシデントに見舞われながら自己最高位の3位を獲得する。
壮大なアルプスの山容が醸し出す風景の美しさを背景に、街を埋める人々の底抜けの開放感というか、暖かさというか、そのコントラストに欧州のスポーツ文化の奥深さを感じる。トレイルランという競技のスタイルが存分に伝わる番組だったと思う。
オリエンテーリングの競技を通じても感じるけれど、欧州のスポーツ文化の魅力は1枚も2枚も日本より上手である。競技としての楽しみ方はもちろん応援する側の楽しみ方も僕らのお手本になる。ブラウン管を(我が家はいまだそうなのだ。)通じてそのことをひしひしと感じた。競技の発展は、こうした競技の楽しみ方ときっても切れない縁がある。今の自分には学ぶことの多い映像ばかりだった。

トレイルラン通として欲を言えば、レースの展開、結果をもっと知りたい、5位の横山さんや8位の山本さんはどんなレースをしたの?1位のキリアン選手のアスリートとしての側面は?そんなことを知りたい。
だけど、一般の視聴者をあいてにした番組だと思い直してみれば、あえてそういう部分はばっさり切り捨てたのは正解なのだろう。主役は鏑木毅という一選手ではなく、ウルトラトレイルモンブランという競技と、その競技を生み出す欧州のスポーツ文化そのものなのだろうから。
印象的なのは、参加者最高齢の70歳の選手の言葉「人間は精神をもつ。動物だったらこのレースを完走できない。(精神を持つ人間だからこそ完走できるのだ)」

会社の同僚との飲み会の雑談で、「そういえばこの前のNHKで、とんでもない競技の話があったけど鹿島田君はああいうのやるの?」と話題を振られた。NHKの影響力はさすがである。
そう、親がかってやっても子供が育つ歳になったら、妻と一緒に参加するというのが一つの目標。それまで体力を保たねばなるまい。



月曜日, 11月 02, 2009

全日本スプリント&リレー

初の全日本2種目の共催が終了。


スプリントは松澤君と朴峠さん
リレーは東京都と神奈川県が優勝。
優勝されたメンバーの方はおめでとうございます。


成績表だけからは、レースの詳細は分からない。けれど、スプリント上位結果や、女子のリレーなどを見ると、WOC選手の貫録ある結果とともに、新しい風を感じ取ることができる。
今回は家庭の事情で迷った末遠征しなかったけど、特にスプリントがどんな展開であったかが気にかかる。

金曜日, 10月 30, 2009

第一ハードル


ついこの間生まれたと思った娘ももう3歳。育児の手間を少しでも省きたいうちら夫婦は来年から3年保育の私立幼稚園に入れることにした。
近所でそれなりに評判が良く、ほどほど庶民的な幼稚園を選び、パンフレットと願書を取り寄せた。
見てびっくり。入学金に施設費、教材費。。。。制服の費用も。あの人形みたいにちっちゃい身体なのにこの値段?? 入学時に必要なお金は裕に20万は超える。そして月々の月謝。結構高いなあ。
子育てでは先輩の同僚に会社で聞いてみると、まあそんなもんじゃない?うちもそんな感じだった、とのこと。
ふーん、どうやら相場はそんなものらしい。
とうとう、やってきた教育費。これから20年近く避けて通れない。頭では分かっていたけど今まで実感はわかなかった。でもこれは序の口。これからじりじりとすねをかじられていくんだろう。そう思うと3人を育てた自分の両親を含め、世の親達には頭があがらない。その辺の酔っ払いのおとっつぁんも、席の細い隙間にすべりこむおばちゃんも、みーんなとっても偉大に感じてくるのだ。

面接を数日後に控えた夕方。オフィスのデスク横に置いたカバンの仲で携帯が短く鳴った。
妻からのメール。この時間にめずらしい。急ぎかしら?ページをめくると、興奮した様子が見て取れた。

「先に試験を受けた友達から情報得たよ、結構難しいみたい・・・・調査票もあるの。帰ったら作戦会議よ」

面接ったって、3歳の子供のどこ見て甲乙つけんだろう?調査票といっても、長所、短所そりゃみんなあるし。
それでも二人であれこれ作戦。「志望動機は?」 「音楽などの多彩な課外活動を行なう点が娘の感性を育むのに適していると。。。」「まあありふれてるけど、そんなもんじゃない?」

さて当日、雨の中おじいちゃんの運転する車で園へ。スーツはすごく抵抗があったけど、親父のこだわりで子供に迷惑をかけるのもいやだったので、無難なスーツを着ていくことにした。
ところが正解。入り口に来ると、どこの親もみーんな銀行員みたいなダーク系スーツ。

「お座りください」
幼稚園の若い茶髪の先生がにっこり進めてくれた。
そういわれても。。。廊下に並んだ椅子は幼児用。
みんな進められるままに腰をかがめる。銀行員が並んでヤンキー座りしているようで妙な風景。

そのうち一組一組が部屋に入り、ようやく我が家の番。
面接は2部構成だった。まずは若い可愛い先生がいる机に向かう。先生はにこにこしながらクイズを出しはじめる。「大きいまるはどっちかな?」
「ももちゃんの好きな色は?じゃあピンクのクレヨンとってくれるかな?」
その間、親は子供をはさんでやっぱり極小の椅子にしゃがんで待つ。
娘の受け答えに、ついつい熱くなり前かがみになる。
(ほら、それじゃなくて!こっちでしょ!)心の声が口の先まで出かかり、慌てて飲み込んだ。横を見ると妻も同じ様子。目をくるくるさせて娘の一挙一動を凝視していた。

第二部、場所をかえて今度は親の面談。ベテランらしい先生登場。調査表に書かれたことなどを中心に会話。相手に失礼にならないように、でもそれなりに親としてのポリシーを示すように絶妙のバランスを狙って受け答え。でも親の必死な回答をよそに、飽きてきた娘は指をなめながら机につっぷした。(こら!お前ここで寝るな!) ま、だれた時のだらしない姿勢は親譲りだからしょうがない。

無事終了。随分長く感じたけど、せいぜい10分か15分だろうか。またまた美人の先生に見送られて玄関を後にした。それにしてもこの幼稚園はなんでこんなに可愛い先生が多いんだろう?気がつくと早く4月が来ないかなと、なんだかわくわくしてきた。ばかだなあ、男って。

数日後、無事合格のお知らせが届いた。ほっと一安心。
娘は人生最初のちょっとしたハードルを越えたことなんて、まったく分かってない。
いや、これは娘じゃなくて、親にとってのハードルだったのかも。








土曜日, 10月 17, 2009

株価?











いや、ちがう。トレランで稜線を走った時の高度計?いや、それも違う。
この1年半の体重変化。毎日の値だとぶれガ大きいので、株価のように、1ヶ月の
移動平均カーブ(ピンク色)にすると推移のトレンドがよーくわかる。ちなみにうす緑が1週間平均、青が毎日のデータ。
グラフが示す通り、夏からのダイエットが秋の山耐に駆け込みで成功。昨年勝った大阪の全日本時とほぼ同じ。チェコのWOC時よりちょっと軽い。
こうしてみると今年の春は大分太ってた。一番重かった赤城の大会(一番のピークで62kg近い!)で、三好さんに着替え時の腹を目撃され、あらっと思われたそうだ。
なんのことはない。僕のレースの結果の満足度はほぼ体重に反比例する。
ここでゆるまないようにしないと。。。

水曜日, 10月 14, 2009

CARBO SHOTZとPOWER GEL

山岳耐久レースが終了。

この1年は自分の競技より優先するものが多い年だったけど、このレースだけはきちんと走ろうと準備してきた。
結果はどうだろう?そう、自分の今までの競技人生を象徴するような結果かもしれない。
目標に8分届かず、9時間8分。
8時間台が出れば達成感で、ひと段落したかもしれない。あるいは、これだけ準備をして9時間30分に終わったらあきらめもついただろう。
結局宿題を残した。

第二チェックポイントの月夜見は予定通りの5時間30分通過。そこまで順調のはずだったけど、御前山の登りあたりから疲労が見えはじめ、大ダワ以降のペースダウンは防げなかった。最後の金比羅尾根はいつもの通り辛い道のりだった。第二チェックポイントをわずか1,2分前に通過した円井君は8時間47分でゴールしてるから、後半だけでで20分以上差がついた。彼のレース展開が見事なのは確かだけど、自分はまだまだエンデュアランスの世界ではヒヨッコである。
それでも、2003年の初レースで記録したタイムを6年かけて15分更新できたのだから、この半年目標としてきただけの価値はあろう。

今年は、一つめでたいことがあった。6年前、まだ付き合っていた頃の妻が初参加で20時間で走って以来、初の夫婦での完走。お互い色々なハードルがあったけど今年は二人で高尾でよくトレーニングした。一緒に走った感じから13時間台は狙えると思っていたけど、実際ぎりぎりの13時間59分。6年で6時間のタイム向上は身近にいても気持ちのいいくらいの成長ぶりだった。
ちなみに僕は男子30位で、妻は女子36位。これからはお互いの順位で争うライバルである。

さて気まぐれに話題をかえて表題の件、昨年まで長い距離のレースでさっぱりだった僕が今年そこそこ成功できた理由。それはここ1年くらいかけて解決した問題である。もしかしたら同じ悩みの人がいるかもしれないので紹介しよう。

昨年までの数年、数時間を越えるレースで、中盤以降給食後に血糖値が下がりペースが極端に落ちることを何度も経験した。
どうも吸収が良い食品をレース中に補給すると、血糖値が急に上がり、反動でその後インシュリンが出るらしい。ジェル系の食品やあんぱんなど甘いものは軒並みだめである。これはどうやら僕の体質に関係していて、血糖値が安定しにくい体質らしい。周りの人に話しを聞いても同じ悩みをもっている人はあまりいない。

今年の課題は、この血糖値の安定させる方法から始まった。その一つがコーラである。コーラなんて子供の頃はジャンクな飲み物の代名詞だったが、実はマラソン選手でもスペシャルドリンクに使う人がいる。ヤギクンが愛用していると聞いて試したところ、なんと血糖値のトラブルはまったくなかった。何故だろう?ネットを調べて納得した。GI値である。
GI値が高い食品は血糖値が安定しない。ジェル系の食品や甘いお菓子はみなGI値が高い。ところがコーラは以外にもGI値が低いのだ。カロリーがしっかりある割りにGI値は低い。
鍵はGI値だ。
考えてみれば初出場の頃は、おにぎりとか、そんなGI値のそれほど高くないものをもって走ってた。最近は時代の流れに乗ってPOWER GELなどを使うようになった。ところがGEL系の食べ物は吸収を良くするためにGI値が高いのが一般的。それが自分には合わない。
しかしコーラだけではレース中のエネルギーをすべては補給できない。(ちなみにレース中に消費するカロリーは推定7000~8000kcal、レース中に補給するのはその数分の1の1200~1500kcalである)他にGI値の安定した食品が必要だ。何が良いか、いろいろ悩んでいて、ある日アートスポーツで課題解決した。CARBO SHOTZである。何でも店員に質問する妻が、POWER GELとCARBO SHOTZの違いを聞いて判明した。CARBO SHOTZは血糖値が安定しやすい。確かに宣伝にそのようなことが書いてある。炭水化物の形態に関係するらしい。
それまで、スポンサーを積極的に展開するPOWER GELの試供品を貯めてはレースで使うことが多かった。普通の人にはどちらでもよいのかもしれないが、僕のように血糖値が安定しない体質の人にはPOWER GELとCARBO SHOTZは大きな違いがある。実際長い練習で使ってみてその違いをはっきり感じた。
誤解のないように言えば、どちらのジェルが優れているというわけではない。POWER GELはエネルギーとして即効性が高いだろうし、ナトリウムなどの電解質がCARBO SHOTZよりも多いという利点もある。要は人によってあった食料は違うということなのだ。

そんなことで今年はCARBO SHOTZを6本(フラスク2個入り)、おにぎり2つ、コーラ(炭酸抜き、塩入り)×1.5L(+500ml水)で70kmを走った。
結果、血糖値はまったく問題なし。結局CARBO SHOTZ3本分とおにぎり1つを丸々残してレースを終えた。
もっとも別の問題として後半消化器系が機能低下して給食不足になった。これが後半のペース低下にもある程度影響しているかもしれない。一難さってまた一難。これは次の課題。
それにしてもこのレース、勝負にしめる消化器系のウエイトは大きい。どんな状態でも食べ物を吸収できるそんな図太い胃が必要である。

さて、もう一つの話題。今年は初参加の後藤選手がまた飛んでもないタイムで優勝した。7時間31分。2位の相馬選手も昨年の大会記録とほぼ同じ7時間39分。このレースどこまで進化するのだろう?2004年以来同じ優勝者は1人といない。記録の進化が目覚しく、同時に過去の記録は急激に風化する。まるでIT産業の成長を見ているようである。

レース後風呂に向かう車で、5位の奥宮選手と少し話すチャンスがあった。といっても友人の円井君のさらに友人の大内さんを通じて、、だが。奥宮選手はショートのトレランでは一流選手のスピードランナーだし山耐でも上位の常連だ。今年もついに7時間台という素晴らしい結果を残した。
それでもレース前は、仕事やらなにやらで中々レースに集中することのできない時期があったと胸の内を明かしていた。そして、話題が8月のモンブランになると、自分も行きたいけれど、職場の仕事の関係で難しいと話していた。「ちょっと上司に話をしたら険悪になりました」とのこと。
アマチュアかもしれないけれど、複数のスポンサーをつけて、トレラン雑誌の常連でもある奥宮選手。どんなに競技優先の生活してるのだろう?と勝手に想像してた。そんなことはない。仕事との両立に苦慮している。そういえば以前読んだ雑誌で家族と過ごす時間も大切にしていると書いてあった。2位の相馬選手も幼い二人の子供の父として、競技との両立を試みている。

数年前、オリエンテーリングで世界を目指していた自分を思い返す。仕事や家庭をいい訳にしていなかったか。自分は与えられた環境で最善をつくしていただろうか。
この1年の苦労をまったく見せず飄々とした相馬さん。愛嬌があって謙虚な奥宮さん。2,3会話するだけで応援したくなり、廻りも頑張ろうと思ってしまうポジティブなエネルギーを発散する選手。月並みな表現だが彼らは眩しい。
今年の山耐も、まだまだ頑張れるぞ!という気分にさせてくれた。これが山耐の一番の効能。

木曜日, 10月 08, 2009

三河トレイル

少し前の話題ですが、9月27日の三河トレイルランニング大会の写真を上林さんから頂きました。いつもありがとうございます。

この大会、比較的好調で36歳以上の部で2位になりました。コースレコードの大助が1時間35分30秒のところ1時間41分25秒。まずまずといえると思います。
実は昨年、招待選手として参加させていただいたものの、体調不良でほとんど歩くようにゴール。なんとも情けない結果で今年はリベンジを狙ってました。ゴール後に役員の方も「今年はリベンジしましたね」と声を掛けてくれました。そういう意味でも満足の結果でした。

考えてみればオープンでない年齢別のクラスで表彰に登ったのは2003年の山岳耐久30歳以上の部4位以来。
年齢別クラスで表彰台に登るのはなんとも微妙な心境なものです。
来年は大台なので各種大会で優勝を狙うチャンスかも。

ちなみにこの日は、NORTH FACEのバイオテックスのハーフタイツで走りました。優勝した大助とおそろい、妻もおそろいでした。
機能タイツは久しぶりで、はじめは違和感あったけど、慣れてくるとサポート感が病み付きになります。当面このタイツでレースに出てみようと思います。ちなみにかの鏑木さんも去年の山耐で履いていました。

日曜日, 10月 04, 2009

検見川合宿

JR新検見川の駅を降りて商店街の風景を見てもちっともぴんとこない。記憶をいくら辿ってもどちらに行ってよいか皆目検討がつかなかった。
検見川の研修施設に行くのは、おそらく現役の大学4年生、17年ぶりだろう。当時新歓イベントで何度か訪れたことがある。当然街の風景は随分と様変わりしていた。

それにしても今回訪れた目的は、当時と随分とかけ離れている。

世界選手権の反省合宿。

WOC遠征の成果をきちんとみんなで反芻して、次へ繋げるための合宿があっていい。
選手自らの発案である。ある意味当たり前のようなことだが、今まではその当たり前がきちんとされていなかった。もっともその当たり前することが、何の世界でも非常に難しいことではある。

食事を挟んで延べ4時間近く。色々な議論をした。
結果と準備の関係。そして今後どうすべきかを考える。
競技者をやっていれば、必ずあるサイクルでやるべきテーマ。そしてそれは時に新鮮味を失い、閉塞感との戦いである。しかし、そうであっても真正面から向き合わなければ、その先はない。

選手にとって、それを取り巻く強化委員にとって、今回のディスカッションはどれだけ有意義な時間だっただろうか?準備に関わった自分としては、その成果、感触に一抹の不安はある。もう少しうまく仕切る方法もあったろうと後悔する部分もある。だが、それだけの時間、選手も飽きることなくディスカッションを重ねていたことを見ると、得るものはあったろうと想像する。
何か明確な結論が出たり、斬新なアイディア、うなるゆな問題提起が出てきたわけではない。しかし今回の結果に対して一通りの評価をすること、そのことに意味があるのだ。

10時過ぎ、ようやくミーティングを終えてロビーに出ると、ほか団体の大学生が酒を飲んで大はしゃぎしていた。
今時のセンスで包まれたこのちんぴら学生達がうちの母校の学生?
地味の代名詞のような学生ばかりだった自分の世代からは隔世の感がある。でも、そういう学生を見ても不快感より、何か達観して、その幼さばかりが見えてしまうのは、自分が老けたせいだろうか。
酔っ払い学生の奇声にもミーティングの余韻はかき消されることなく、むしろそのコントラストで輪郭がはっきりするようだった。
次に向かうべき方向が少しづつ見えてきたようで、駅に向かう帰りの足取はいくらか軽くなった。



金曜日, 9月 25, 2009

勉強とトレーニング

はるか昔。そう、もう遠い過去のことになってしまったが、今から20年ほど前受験生だった頃のこと。
受験にはいろいろな言い伝え、法則、ジンクスがあった。僕が良く覚えているのは、有名大学に合格するためには、「学校のある日で4時間、休み中は毎日8時間勉強する」というものである。

毎日8時間。今サラリーマンとして生活している自分にとっては、むしろ楽チンに聞こえるノルマでもある。しかし受験生の当時、これは相当高いハードルだった。
いや、正直なことを言えば、一度も超えることが出来ない壁だった。

今でも良く覚えている。勉強がとても脂に乗っている時期・・・恐らく冬休みだろう。時計を見ながら一日の勉強量を足し算していったことがある。ところが、これでもかと勉強した日でもその合計値は7時間台に留まった。

一方、周りには8時間、9時間勉強している、という友人が複数いた。自分は随分と堪え性がないのか、少し悲観的になったこともある。

しかし後に、自分が何故8時間の壁を越えられなかったのか、その理由が分かった。
それは努力の問題ではなく、数え方だった。

「勉強時間」
この定義をどうとらえるか、これは人によって相当違う。
自分の部屋に入っている時間、勉強机に向かっている時間、鉛筆を手にしている時間。集中して頭を回転させている時間。。。。
自分は、かなり厳しい方、つまり、教科書を開いて読んでいるか、ノートに書き込みをしているか、そういう時間を勉強時間と捕らえていた。そしてそういう時間を一日8時間過ごすことは、時間的な制約よりも脳の集中力の点から限界があったのだ。
一方、8時間、9時間毎日勉強していた友人は、机に向かっている時間を勉強時間と捕らえていた。
合間に空を眺める時間、コーヒーを飲んでほっと一息つく時間。ラジオに耳を傾ける時間。それも彼にとっては勉強時間だった。

閑話休題

数字は、物事を比較する上ではこの上なく便利だ。そのものの対象すべてを理解しなくても、評価の土台に載せることができるし、万人の目安にもなる。だから物事を数値化して判断することが何にでも求められるし、それができる人が技術者であれマネーを扱う達人であれ、そして時として競技者であれ優秀だと判断されるのだ。

しかし、数える根本的な基準、ベース、思想が合わなければどうだろうか。そのまちまちの土台の上に数値化しても、決して物事をきちんと比較できないし、むしろ分かりやすい数字で出てくる分、誤解を生むというリスクを孕む。

同じような例はいくらでもあるだろう。上の例に近く注意が必要なのは、「トレーニング量」である。トレーニングと非トレーニングの境界の定義が人によって曖昧であれば、その中身は全く異なる。

「今日は大リーグの○△選手が自主トレを始動。午前中に3時間のトレーニングでたっぷりと汗をかきました」
スポーツニュースで伝えた時、果たして、あなたの、あるいは僕の数え方で彼は何時間トレーニングしたのだろうか?ストレッチや整理体操、インターバルをトレーニングに含まなければ、2時間?1時間?いや、もしかしたら正味30分かもしれない。

そういう意味でいろいろな記事、インタビューのコメントは、絶対の情報として信頼するには不十分な場合が多い。
その表現からあなたがイメージする内容と、本当の中身とは、必ずしも同じとは限らないからだ。
色々なところから積極的に貪欲に情報を得て、そこから学ぶことは、とても重要なこと。だけど-これはオリエンテーリングの情報処理ととてもにているのだけど-その情報は決して100%としてインプットせず、一定の曖昧さをもって取り入れることが大切である。








水曜日, 9月 23, 2009

ダボスの丘



調度昼食時を迎えた白樺荘のレストランは、これからロゲインに向かう参加者で賑わっていた。色とりどりのウエアが、ちょっと欧州風を装ったレストランの外観に何故かとても映えて見える。参加者は明らかに昨日までのクラブカップと客層が違う。その違いはなんだろう?服装?表情?もっと内面的なものだろうか?
お腹をすかして我慢できない二羽のひな鳥に早めのえさを与えながら、ぼんやりそんな風景を眺めていた。

食べ物必要かしら?、水はどのくらい?迷いながら仕度をしていた妻も漸く準備が整った。
じゃあね。頑張ってきて、ほら、ももちゃんもママがんばってって。
レストランの窓から、妻がスキー場の芝生の斜面をスタートへ登っていくのを見送った。

息子はすでに手にもったパンをこねくり回していた。もう食欲も満たされたらしい。
いったい食べたんだか、ちらかしたんだか分からない二羽の周りの机や椅子にちょっとげんなりしたが、ウエイターさんに迷惑かけない程度に片付けてから、息子を背負子に乗せ、娘の手を引いてレストランを出た。
さあて、こちらもこれからたっぷり3時間。

「お山に登りに行こうか」
この数日間、何かと娘にそう予告していた。その都度、娘は分かっているのかいないのか「うん!お山に行こう」と元気良く答えた。小さい頃から、「お父さんはとことこお山走ってるんだよ」とばかり母親に教えられてた彼女には、きっとお山はなにかとってもいいことがあるところだと思ってるのだろう

コンビニでおやつの牛乳とビスケットを買い、白樺荘の向いの芝生の斜面を登ってダボスの丘を見上げた。
「うわあ、あの三角なんだろう?」娘は開けた丘の上で青い空に突き出たケルンを見上げて聞いた。
「さあ、なんだろう。いってみようか」

シュナイダー記念塔まで高低差数十m。走れば5分とかかるまい。しかし3歳の娘の手を引いて登ると、それは天国への階段かと思うほど、果てしなく遠い。それでも娘は、乗り気なのか、いつものだっこおねだりもせず、階段をとことこ登りはじめた。

しかし流石に3分もすれば疲れてしまう。そのうち二人で取り決めを作った。
「ももちゃんががんばって歩いて疲れたらだっこ。でもオトウサンもコウイチ君背負ってるから、ももちゃんだっこは疲れちゃう。だからオトウサンが疲れたら、また歩いてね。」
3、4回そのサイクルを繰り返しただろうか。腕の筋肉が悲鳴を上げた頃に到着。
記念塔の周りはゆるい丘となり、まるで広い広場のように開けた草原になっている。そして所々にこんもりとした針葉樹の森がある。あまり日本では見慣れない風景だ。ダボスの丘という名前の由来どおり、スイス的風景がそこにある。
広い草原にぽつぽつと、ピクニックを楽しむ家族が見える。そしてその先、はるか尾根を緩く登った先には、今朝登頂した四阿山、根子岳が見える。朝食までの時間をもらって走ってきたが、四方の見晴らしはすばらしかった。

数百m先の草原の中に1本独立樹が見えた。その脇にわずかにちかちかとオレンジ色の旗が見える。よし、あそこまで行ってみよう!娘と一緒に歩きはじめた。
45番。案の定、それはロゲインのコントロールだった。あたりを見回すと四方少なくとも2、300m先までは見渡せるが、当面選手が向かってくる様子はない。しばらくその木陰に背負子をおろし、おやつタイムにした。
牛乳とビスケットをかじると、二人はフラッグをいじったり、枝や草をいじって遊びはじめた。
丘を通り抜ける気持ちよい風を感じながら、芝生にしばし寝っころがった。
30分ほどのんびりしただろうか。その間、コントロールに訪れて応援できたのはたった1選手だけだった。ゴールに近いだけあって、通過する人のほとんどはスタート直後かゴール直前なのだろう。

気づくと午後の風は少しだけ冷たくなってきた。もうそろそろいい時間である。妻が通過するかもしれない、という淡い期待はあきらめ、娘の手を引いて戻ることにした。
さすがにくたびれたか、娘の足取が千鳥になり、そのうち座り込んだ。いつものパターン。また行きの約束どおり、歩いたりだっこしたりで、ゆっくり下山した。

会場はゴールした選手がそろそろぽつぽつ現われた頃。2時40分にはほとんど人はいないが、2時50分前くらいになると急激に増える。妻もその頃ゴールした。一箇所ミスをして悔しい思いをしたらしい。無料のクエン酸飲料を美味しそうに飲んだ。
そのうちお決まりのカウントダウンがはじまる。疲れた体に鞭打ってゴールに急ぐ幾人かの選手に周りから声援が飛んだ。
そしてカウントダウンが終了。レースは幕を閉じた。

いくつかのハードルを越えて家族で遠征した今回の菅平。
せっかく用意してくれた主催者には申し訳ないが、参加できたイベントは限られている。クラブカップも結果は残念だった。
それでも、家族で十分楽しめた3日間だった。オリエンテーリングがなければ、混雑の予想されるシルバーウィークに家族4人ではるか遠征することもないだろう。菅平の素晴らしい思い出をつくることができたのは、こうした楽しい大会を用意していただいた主催者の皆さまのおかげである。大変感謝したい次第である。















木曜日, 9月 10, 2009

速い!

「最後一周!」
後ろの集団に声をかけた後、それまでのキロ3分40のペースからギアをトップに入れてスピードを上げた。
当然のように雄哉が軽いフォームですっと前にでて集団を引っ張っる。後ろの集団の気配はほどなく消えて横に並ぶ3、4人だけになった。
森を覆う漆黒の闇の中、点々と照らされたランニングコースはスピード感が増幅される。F1ドライバーの気分で心地よい左右のカーブに身をゆだねて脚を回転させる。
半周ほどのところでジョージがギアを入れて雄哉に並ぶ。こちらもギアをあげるがペースはあがらない。こちらをあざ笑うかのようにジョージと雄哉は軽々としたペースで離れていく。
ちくしょう、ともがいて手足を廻しているうちに、隣にいたもう1人もすっと前に出た。
だれだ? 
横を向いて顔を確かめるが分からない。しかし幼い顔をしながら、脚は軽やかに回転して前の二人にすっと追いついていく。
前の3人はじょじょに小さくなっていく。残り1分、最後のスパートでは、スピードの差、まあ言ってみれば馬体の生きのよさの違いを見せつけられてゴールした。
時計を見ると、約1200mの1周最後のラップはキロ3分10秒弱。10秒以上前にゴールした3人はキロ3分前後のはずである。

雄哉のスピードはまだしも、ジョージのスピード向上には少々驚いた。2年前は3000mで10分の壁を感じていた選手であるが、今はおそらく9分30秒も視野だろう。

そして、もう1人。幼い顔の彼は?桐朋高校1年生佐藤君だった。
高校1年生? はじめは負けた悔しさから驚き、そのうち彼のポテンシャルへの驚きになった。
高校1年といえば、JWOC代表の深田、麻布の遠藤などと同じ世代である。彼らの世代にまた1人大きな武器をもった選手がいる。

国沢氏の声かけで渋谷に集まった、高校生大学生約20人。
トレーニングを共にする機会は、上を目指す選手にとっては当たり前である。が、その当たり前を若い選手には十分与えられてない。そのチャンスを提供する貴重な一歩でもあった。今後こうした草の根的なジュニアへの活動は是非継続したい。いや継続すべきである。今後のWOC、2012年、2015年と考えた時、彼らのポテンシャルをいかに育てるかが最も重要な課題であることはいうまでもないのだから。

定時退社を敢行してかけつけた。
その甲斐はあった。おかげで慌てて会社を出て財布を忘れてきたおまけはあったが。。。。


火曜日, 9月 08, 2009

ゲーム理論

最近判断に悩むことが多い。

そこで、自分の判断をゲーム理論を参考に決める、といったら随分と安直に聞こえるだろうか。

囚人のジレンマ」というゲーム理論がある。説明によれば、「ゲーム理論や経済学において、個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例」とされる。
二者が「協調」と「裏切り」の2枚のカードを出し合い、その組み合わせにより点数が決まる。損得を計算する数学上の学問の一種であるが、単純なモデルながら本質をついたメカニズムに、かつてポピュラーサイエンスの新書かなにかで読んで感動したことがある。
このゲームを繰り返して行なう場合最も利益を得る戦略はなにか。数多の数学者の考案した複雑な戦略にも勝り、最も強い戦略、それは単純な「しっぺ返し」であるらしい。相手が一つ前に出したカードをこちらもまねすることである。相手が裏切ったら裏切る。協調したら協調する。詳しい説明は、上記URLで詳しいが、この解は、実は日常の様々な場面で役にたつ。
例えば身近にしつけ。子供がいい子にして良いことをしようとしている限り、褒めて褒めて褒めまくる。但しいけないことをやったら、叱る。謝ったら再び褒める。
ビジネス。取引先が好意的な限り、こちらも最大限好意を示す。時にはお人よしと思われるくらい尽くしてもよい。相手がこちらの善意を無にした時、それはNoをはっきりいうべき時である。
相手が協調カードを出し続けているのに、いつもでも相手にしなかったり、あるいは裏切りカードを出し続けているのにいつまでもその状態を許容するのは、得策ではない。もっともゲーム理論を出すまでもなく当たり前のことではある。相手の協調を引き出すために、時にあえて「裏切り」を出すのである。

元来自分はほっておくと協調カードばかり出してしまうタイプ。裏切りカードをいかに効果的に出せるか、それが一つの鍵である。





土曜日, 9月 05, 2009

最初の一歩



そろそろ流石に狭いアパートを脱出しようかと、妻が娘を連れて近くの不動産屋に紹介されたマンションを見てきた。
帰宅してビールを飲みながら、妻の撮ってきた写真と間取りの図を見比べて首を捻っていると、宵っ張りの娘がすかさず近寄ってきた。
間取り図を僕の手から取り上げると、指差しながら話はじめた。

「これお風呂、これはトイレでしょ」

確かに合っている。

なんのことはない、段々言葉や物を覚えていく過程の何気ない仕草かもしれない。がよくよく考えてみるとこれは目を見張る成長の瞬間である。

間取りは、一種の地図。地図は実際の配置を、縮小して平面的に簡略化した概念図である。
彼女はその中のものと実際のものを対比することができたのである。角が微妙にまるい四角はお風呂、短いボーリングのピンのようなものはトイレと。

娘は、今までにも部屋に転がっているオリエンテーリングの地図を見るのが好きでよく眺めては、「まる」がここ、「さんかく」がここ、と地図の中で宝探しをしていた。初めはそれが実際の山の様子を現したものという認識は当然ながらなく、ただカラフルな模様として興味を引いたに過ぎなかっただろう。しかしその地図を両親が頭をよせて、ここはこういったとか、ここは急だったとか、話しているのを聞き、やがてまねして、ここはこういくんだよ、とでたらめな1人遊びをするようになった。
そのうち街にある地図の看板にも興味をもち始めた。眺めながらバスがどうだとかぶつぶつつぶやく

音楽の天才が、文字よりも音符を先に読むようになると聞いたことがある。
まあうちの娘にそんな才能があるようには見えないが、おそらく文字より先に「川」や「炭焼き釜」と地図を読むようになるかもしれない。 環境とは恐ろしいものである。


月曜日, 8月 24, 2009

Fair Play

世界選手権男子リレーのリザルトを見たとき、何が起こったのか直ぐに分からなかった。

オリエンテーリングに興味のある人なら、すでにIOFのページや日本でもO-NEWSなどWEB上で大きな話題になっているので説明するまでもないが、ここを見てくれる人にはオリエンテーリングという競技をあまり知らない人も多いと思うので説明したい。

ハンガリーで開催された世界選手権のリレー競技で、男子の第三走者(最終走者)が激しくトップを争っている最中のこと。スウェーデンの選手が脚に枝を刺す(12cmの深さ!)アクシデントに見舞われた。トップ争いをしていたフランス、ノルウェー、チェコの3選手はその場で競技を中断し、手分けをして、けが人の介護をし、役員を呼びに行った。選手が無事救出された後、3選手は競技に戻り、トップから40分以上遅れてゴールする。もちろん結果は20位台と問題外である。一方上位は、トップ争いをしつつもたまたま選手のアクシデントの場にいなかったスイス、ロシア、フィンランドが1,2,3位をしめた。

オリエンテーリングという競技には怪我がつきものである。特に高速で走るトップレベルでは捻挫や打撲だけでなく、骨折や今回のような大怪我も決して稀なことではない。
その危険性に関わらず、森の中で行なわれるため、競技中の選手は観客にはおろか役員にさえ見えない。実はこれは他の競技を見回すとかなり特異なことである。怪我人が出ても直ぐ発見できないし、救助することができない。
その見えないリスクを補うため、オリエンテーリングの規則には「怪我をした競技者を救護することは競技者の義務である」と唄われるユニークな条文がある。つまり競技者の安全を競技者同士で担保する。怪我人の救助は最優先であり、競技を始めるとまず教わることなのだが、それがたとえ最高峰の世界選手権でも例外ではない。

しかし、その精神を頭で理解しても本当に実践できるか。これはちょっと想像する以上に難しいことである。そのレースでライバルより一歩でも先にゴールすることが、英雄になる条件であり、自分の来期のサラリーさえ左右するかもしれない。人生を変えてしまう帰路になるかもしれない。極度の集中力とアドレナリンに浸った状況で走る選手が、一瞬の判断で怪我人を介護する選択を取ることができるか?皮肉にもそれが世界選手権という最高峰のしかも優勝争いで起こるとは。
それはまるで100mを走るボルトの横に怪我人をおいて、彼をとまらせようとしているのと大差ないことかもしれない。
自分の競技中の状態を思い起こして正直いうと、自分だったらその瞬間同じ行動が取れるか100%確信がない。

今回、怪我の現場にいた3選手の行動は「Fair Play」として、表彰台に上った選手と同様に、あるいはそれ以上に讃えられている。それは、世界最高峰の彼らが、よりにもよって、考えられうるもっともその行動をとることが難しい状況で、その精神を実践できたからであろう。
われわれ、世界の何百万人のオリエンティアは今回の彼らの行動によって勇気付けられ、自分達のスポーツを誇らしく感じるだろう。そして、もし同じ状況に遭遇した時、僕と同じように確信が持てなかった人もこれからは迷いなく彼らと同じ行動をとれるはずだ。
それがこの競技の将来の健全な普及発展に繋がることは間違いない。

僕自身もあらためて感じる。オリエンテーリングというスポーツの素晴らしさを。このエピソードに。
スポーツはどこかこうした結果至上主義をいなすような、多面的な要素が入るべきなのだ。そうすることでスポーツの競い方、楽しみ方に厚みがでる。

今になってふと思い出す。2001年のフィンランドの世界選手権。当時のIOF会長スー・ハーベイは開会スピーチで、その直前に北欧であった大きなリレーイベントで同じような行動をとった、ドイツの選手を讃えた。当時、その話は美談と思いつつもどこか唐突に感じた。しかしそこには「たとえ世界選手権でも例外ではない」そういうメッセージがあったのだろう。そして今回ハーベイ女史の示した精神は、期待に違わず受け継がれていた。

最後に、2005年には最後の最後でノルウェーに破れ銀となり、2008年にはトップを走るも最後1kmで蜂に刺されて棄権し、そして今回介護に廻りレースを棒に振ったフランスのジョルジュー。
少々先走ってしまうが、彼が再来年2011年のフランスでリレー優勝することは、誰もが望んでいることだしきっと彼ならやってくれると今から期待してしまう。


木曜日, 8月 20, 2009

WOC2009

WOCも佳境

今年は現地には行ってないが、準備段階からは随分と関わってきた。
だから、選手ではないにしてもいろいろ思い入れのあるチームではある。

立場上あまりこういうところでコメントしにくいのであえて触れなかったのだが、明日はいよいよリレー。
WOCの存在を知らない人、意識してない人もいると思うので、是非この機会に様子を見てください。


月曜日, 8月 10, 2009

3つ目の石

南アルプスに行こう。

毎日が近くの公園と買い物で過ぎていく夏の日々。自由を得た貴重な1日を使ってどこにいくか、妻と徒然に話しているうちに、自然と答えは収束した。

鳳凰三山である。

数えてみると2005、2007、、、なるほど今年のタイミングになる。

ちょうど2005年の世界選手権目前、全ての意識とリソースが愛知に注がれていた暑い夏、まだ身軽だった妻はテントを背負って友人と鳳凰三山の登山に行った。合宿や選考会に忙しい中、妻がいつそんな登山に出かけたかは頭の片隅にも残ってないが、その時賽の河原で妻が白い小さな石を拾ってきた。
その理由を聞いても、ふーん、当時ピンとこなかった。
しかし1カ月後、その石は小さな娘の命となってこの世に現われた。

そして2年前このブログでも書いたように、「お礼をいってもう一つの石をもらいに」僕は単独で鳳凰三山の縦走トレイルを走りにいった。そして娘よりも少しだけ大きくて角ばった、でもやっぱり白い石を持って下山した。
そして、娘より少しだけのんびりと3ヵ月後、長男は命を授かった。

この夏、3歳の娘と1歳の息子は無事元気に成長している。


広河原から白鳳峠までの急登は、1000mの標高差で森林限界近くまで一気に高度をあげる。大木とその倒木で荒れた急斜面の登りは悪路が多く、閉口するほど延々と続く。この半年で産後から急速に回復し、みるみるトレイルでの力を取り戻している妻。それでも、さすがに足取りは辛そうだ。2時起きで車とバスを繋いできたせいもあるだろう。

「なぜあんなところに道を作ったの?」延々と続く斜面に飽いて妻は素朴な疑問を投げかけた。
先ほどバスで通ってきた南アルプス林道のことである。崖のような斜面にへばりついて延々と続く道。さあ、知らない。ただ昔の人が、何かの大義名分があって作ったに違いない。今自分が格闘しているような斜面、あるいはもっと厳しい斜面を延々と切り開いたのだろう。そういえば夜叉神峠を過ぎたあたりに、林道工事殉職者の慰霊碑がバスの窓からちらっと見えた。小説「高熱随道」のようなすさまじい歴史があったのだろうか。そんな昔の名もない無数の工夫の汗によって繋がった道があるからこそ、今自分がこうして山を登っている。

そんな妄想をしているうちに、ようやく登山路は尾根からゴーロに覆われた開けた沢に出て、まもなくたおやかな稜線が見えてきた。いよいよアルプスに来たという実感がわく。

やっとのことで尾根に乗り、しばらく尾根道を進む。高嶺に向かう頃に視界も開けてきた。

妻が唐突に聞いた。
「石もって帰る?」

時として、妻は本質をつく鋭い質問をする。ストレートにきたその質問に、一瞬言葉に詰まった。
え、いや、今日はご利益のあった石を返しに着たつもりだったけど。
石をもらうのは。。考えてなかった。
でも、まあそれもそれで人生、

「いいんじゃない?」

妻はあっけない返事に、やや肩透かしをくらったようだ。あら、いいのそんなに簡単に答えて?というふうに。
「まあ、人間万事塞翁が馬だよ。まあ今度は5年くらい待ってくれると嬉しいけれどね。それより君はいいのかい?また走れなくなるぜ」
私はいつでもいいわ、その後だってまた強くなれるのよ女は・・・・、そんなことを妻はいってただろうか。
ハイマツの狭い尾根を抜ける時は縦列になる。会話はそこで途切れた。

遠くに見える北岳が美しい。妻は本当はどう考えてるのだろう?

賽の河原まではのんびりきて約2時間半。今日も晴れて青い空に白い砂、そしてそこに並ぶ小さなお地蔵さんの一群が、絵に描いたようなお伽話の世界を作っている。
妻は深く膝ついて、「息子」をお地蔵さんに元にもどした。黄色いトレランウエアが何故か眩しいくらいに映えた。

「2つ選んで」
「えっ」
「双子はいやよ、一つは友達にあげるのよ、欲張りかしら?」
「いや、これだけたくさんあればなくならないよ」
「元気そうなやつね、形は別に気にしないの。」
「こんなもんかな」

「さあ、山の天気が崩れないうちに、いこう」
キャメルバックのポケットに石をしまい、再び稜線を走り出した。
そこから夜叉神峠まで約3時間。バスで芦安に戻り、そこから車で2つの石が待つ東京に戻った。



水曜日, 8月 05, 2009

富士山とNature

「五合目からではなく麓から富士山に登りたい。」

「ミスターK」は、メールで意表をついたことを伝えてきた。

「研究室の恩師が日本にいった際に富士山に登りたいといっている」
ブリスベンにいる実兄から紹介のメールが来た時は、それでも驚いた。
が、まさか麓から登るなんて。

山歩きはかなり慣れていると実兄からは聞いている。しかし富士吉田から登るのはかなりの距離である。
五合目に自動車道が出来て以来、中の茶屋から五合目までの山道は登山客もなく、山小屋は深遠な森の中で廃屋と化している。
そもそも日本語を片言もしらない「ミスターK」が、登山客もほとんどない山道を迷わず登れるだろうか?
若干答えの迷いも感じたが、今までつきあってきた多くのオーストラリア人-だいたいが大らかで大胆な人々-思い返すと、それも彼らの旅の冒険の一つかも、と思えてきた。

「それもいいアイディアかもしれない。7合目までは7~8時間かかるけど・・・・」
片言の英語で、夏場の暑さ対策を十分すること、5合目以降は直射日光に気をつけることなど、思い当たる注意を書いて返信した。

「ミスターK」は結局、まるで学会ついでの散歩に行くかのように、単独富士登山-しかも中の茶屋からの-計画をたて、そして7月末の不安定な天気をくぐって登頂を敢行したらしい。
僕は結局メールでのアドバイスをしただけだった。

「ミスターKは、ある分野で輝かしい功績をあげた著名な研究者」であることを兄から聞いていた。
かの「ネイチャー」に掲載された著名な論文のオーサーであるとのこと。その時ぴんときた。つい先日読んだ、新書である。福岡伸一の「できそこないの男たち」
余談だが、理系の新書として、福岡伸一の本は、群を抜いて面白い。ドラマがあり情緒がある。今自分が、題目より著者名だけで本を買う数少ない文化人である。
そこにミスターKのチームの功績がドラマのクライマックスとして余すことなく描かれていた。

それほどの研究をしてても、まるでバックパッカーのようにふらりと富士山に登ってしまう大らかさ。
そんな知性と感性、野性までもが共存する個性、そしてその文化。
自分は今でもそんな世界に憧れてしまう。


O-magazine

「タクさんの記事見た?」

子供が漸く寝た後の遅い夕食で、妻がおかずのラップをはがしながら教えてくれた。
「あっいや、そんなのあったっけ、ええと」

そういえば、今月号は封を開けただけでまだ目を通してなかった。
時間のなかったせいもあるが、自分が記事を書くとどうも、そのページを開くのが気恥ずかしくなる。そのまま冊子全体をついつい見なくなってしまう悪い癖である。

いけないいけない、今の自分は広くアンテナを広げなければ・・、とビール片手にぱらぱらとページをめくった。見覚えのある集合写真が目にとまった。タクさんの記事である。

案の上、6月に開催されたイベントの記事だった。
ここでもいつしか紹介したが、小さな子供のいる家族オリエンティア向けイベントを主催してくれた。その報告である。
記事は、イベントの報告ではじまり、アットホームな一日が紹介される。そして文章は今の大会に対する家族オリエンティアの視点での提言に発展していた。なるほど、読むと一つ一つにうなずいてしまう。うなずきながら読み終えた頃には、妻がえらく感激した理由が分かった。

嘗ては、トレーニング論、強化論で、頭が沸騰するような議論を戦わせたタクさんだけど、今こうしてしみじみと記事に共感しているが不思議でもある。

でも思い返してみると、僕の独身時代、前の世代の先輩方が同じような、子連れの状況で大会参加しているのを見て、今の自分が感じるような不便があることの認識はなかった。いや、正確にいうと、話は聞いていたし、いろいろな意見も知っていたけど、当事者でないので記憶に残ってないのだろう。
今さらながら諸先輩の苦労を身を沁みて感じる次第である。


「あなたの記事も読んだわ。えーと、そうね、ちょっと難しすぎない?」

「そうかい?」
そっけなく返事をしたつもりだが、図星の指摘にぎくっとした。
確かに書いた後に反省した。タクさんの記事くらい分かりやすくメッセージを載せなければ読者には伝わらない。ちょっと自己満足的な文章だったよなあ。
でも書いた時のマインドに偽りはない。びびびっと来てくれる人が一握りでもいれば、それは辛うじて及第点にはなるのだろう。

ビールが空になった。娘は寝てしまい、2本目をサービスしてくれる人もいない。

そろそろ寝るか。

また次の子供イベントに期待したい。自分で主催するのも手かも?そう来年くらいにはいいかも。






木曜日, 7月 23, 2009

3連休

「子供達がかわいそう、ま、慣れっこだけど」

そう妻に窘められた3連休。

結婚式で東京に来た村越さん、イタリア帰りで話題満載の国沢氏と密度の濃い昼食をとったのが土曜日の昼。そこから、恩師の最終講義に記念祝賀会、夜に地図印刷をしてそのまま早朝から富士での2日間の合宿、ほとんど家を空けてしまった。

富士の合宿はWOC組にとって最後に集まる練習機会。今回は学連合宿との共催だった。効率化というより単独開催では限界がある人や資材を集める現実的な意味もある。それでも、若い学生にとっては代表選手を間近で見るよい機会であり、選手にとっても代表としての意識をもつチャンスになったのではないか、と勝手に相乗効果を考えている。オリエンテーリングをはじめて1年目の若者達との接触はお互いに刺激的である。
この季節暑く体調も崩しやすい。選手も多少不安を抱える時期だが、それでも多くの選手は元気にトレーニングしてくれていたのでややほっとした。ネット環境がなく、WG組の観戦はできなかったのが残念ではある。不安要素も若干はあるが、これでいよいよ8月のWOCである。

話は戻って3連休。一つ一つの行事は一期一会、それぞれの理由で大切にしなければならないし、どれも捨てられない。でも全部まとめると、やっぱりちょっとやりすぎ感があった。毎度のことなり。
「無理して体壊して迷惑するのは家族よ、あなたは体強い方ではないんだから」
はあ、おっしゃるとおり。
自分がへたくそなのは、時間の使い方でなく、選び方なのかもしれない。
幸いにして今は仕事がそれほど忙しくないので。体調は崩さず平日の仕事もそれなりに順調。

いよいよ夏休み。そう、気がつけば皆既日食は見忘れた。

土曜日, 7月 18, 2009

退官記念パーティ

大学時代の恩師の退官記念パーティがあった。

私が人生で尊敬する2人のうちの1人である。
定年を前にして、独立行政法人の研究所の理事長として転身したのである。

僕が研究室にいたのはわずか2年半、しかも14年も前だから、いま思えばお世話になったのは、長い人生のほんの短い時期であるが、今でもその先生の笑顔を見ると妙に懐かしく、癒される気分になる。

もともと小学校や中高など卒業校にそれほどの愛着を持たない方だと思うが、何故かこの研究室だけには、妙な郷愁を感じる。いろいろな経験や思い出が交じり合ってそう感じるのだろうけど、その先生の人柄によるところが大きいだろう。

私の技術分野では大変名の通った先生である。各種代表、委員長、理事などのあらゆる要職を経験され、いつも学科をリードし、業界紙の一面にもしょっちゅう顔を出す。そして定年を間近に最後も見事な転身であった。
かといってがつがつ、ぎらぎらした先生ではない。どちらかといえばいつも笑顔を絶やさず、「いやあ実験の打ち合わせしなくちゃね」といいながら忙しく過ごしていた印象がある。それでも怒ると怖いといううわさではあったが、僕自身は一度もそういう姿にお目にかからなかった。
正直なところ先生を見ていて、科学者、研究者として他を圧倒する凄さを感じるかというと、そういう分けではない。しかし人の上に立つ人が持つ、バランス感覚みたいなものはとても感じる方だ。

同じことを多くの教え子が感じるのだろう。この手の集まりがあると沢山の卒業生が集まる。人が集まれば交流が生まれ、いろいろな情報交換が始まり、またそこが別の意味で有意義な場になる。そうして雪だるま式に、集まるところに人は集まるのだろう。

パーティ後、数年ぶりに会う同期や先輩で自然な流れで2次会に脚が向かった。
しばし悩んで、やはり決断した。今日の晩にコースを確定して残りの50枚を刷らなければ流石にやばい。

「すまん、今日は帰る」

なんだよ、仕事?という顔をならべる同期にどう説明してよいやら、

「いや、仕事じゃないんだ。その、、明後日からの合宿の準備が・・、」

「ガッ・・・ガッシュク??」

まるで何年も口にしてない死後を耳にしたかのようなリアクション。
38歳のサラリーマンが飲み会に誘われて断る理由にしては、余りにも唐突すぎるかも。

(ああ、まだそういうのやってるんだね)と、でも皆なんとなく納得。本郷三丁目前の交差点の雑踏で別れを告げて家路についた。




信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...