月曜日, 12月 24, 2007

最後の3連休

3連休の最終日

22,23日は何かと家族で過ごすことが多かったけど、最後の日は山に出た。
元々後輩と一緒に箱根でも走りに行こうかと行っていたのだけど、諸般の事情で実現せず。
せっかく予定を空けていたので、1人で高尾山に行った。
4時間くらいは走りたいと思っていたので、陣馬さん往復では物足りない。

行きは高尾山口駅の南から城山湖方面に向かい、大垂水峠から急登をこらえて城山へ。そこから陣馬さん往復。陣馬山頂からは富士山も良く見え、空気が透き通ってよい眺めでした。流石に帰りは城山から高尾山経由で下山。34km実走3時間45分。
帰りは京王線で新宿経由。「最近の若い女性は皆おしゃれだなあ」、山帰りの無造作な格好の自分にとって、街行くカップルを眺めてると何気なくそう感じた。そして家に着く間際になってようやく気づいた。

「そうか、今日はクリスマスイブだ!」

水曜日, 12月 19, 2007

師走の原宿

昼間仕事関係の講習会で新宿NSビルに行った。
講習が終わったのは5時過ぎ。7時からJOAで強化委員会の予定があったので、早めの夕食をとった後、空いた時間何年ぶりに原宿の街をぶらついた。
街に来る機会はそう多くない。まだサンタもなんだか分からない娘だけど、プレゼントくらいは用意しようかな。あてもなく歩るくうちにGapが目に留まった。ちょうど手ごろな店。
幼児服売り場で無事贈り物を購入。それにしても子供服は高いなあ。布地の量なら大人服の数分の1でいいはずなのに・・・。

7時にJOAにつくと、すでに議論は白熱して始まっており、強化委員会は10時過ぎまで続いた。
何事も物事を進めていくのは大変な作業だ。会社の仕事にしろ、強化委員会にしろ、自分が何に役立てるか、どうすれば全体にとって最適な選択なのか、マネージメントの問題でもあるけれど、自分のなした結果がはたして正しかったのか、悩むことは多い。

家に着くと11時過ぎ、一瞬寒さにこのまま今日は休もうかな、と頭によぎるが、明日明後日と忘年会が続くことを思い出す。
師走は選手にとってトレーニングをつみたい時期なのに、サラリーマンとしてはいろいろ難関が多い月でもある。
今日は少しでもきちんと走ろう。意を決して着替え、冷える夜道を走り出す。
ジョグ3km/15分+ペース走5km/19分+ダウン2km/10分
合計10km/44分

日曜日, 12月 16, 2007

ゆるい週末

土曜日は午前中に北鎌倉を基点としたトレイルにトレーニング約3時間/28km

北鎌倉から瀬上市民の森の入口までは約7.5kmup280m。別にタイムを意識して走るわけではないけど、そこまでのタイムとHRがコンディションのバロメータになる。今まで45~50分かかっていたのが、この4年で最短の44分。HRは140-160でさほど高くないので、ここのところの好調はまだ維持しているよう。

午後は大分ぼさぼさになった頭をさっぱりしに、妻も通う美容院へ。
いきなり担当の人から「奥さんから(サッカーの)中田みたいな髪型というリクエストがありました」
「えっ??」
今の中田?現役時代の中田?
「・・・昔の、じゃないですか?」
いずれにしろ覚悟がいるぞ。。。。結局妻のリクエストは次回に先送り。今回は無難な長さに。

土曜日一日自由に使わせてもらった代わりに、日曜日は妻の日。千葉検見川のクロスカントリーレースに出場しにいった。娘と二人でお留守番。午前中は二子玉川の高島屋へ。
クリスマス一色の街の中で、目的は屋上庭園。緑が小奇麗に整えられていて意外と気分転換になる都会の穴場と思う。
でも北風がぴゅーぴゅー吹いていて、春には小連れの買い物客でいっぱいだった庭園も人っ子ひとりいなかった。
寒い中娘は最近覚えた「ハッパ」を連発して、あっちをひょこひょここっちをひょこひょこ。
久しぶりに飲んだスタバのキャラメルマキアートは410円なり。こんなに高かったっけ?

火曜日, 12月 11, 2007

Peterの記憶

あっ止めて!!」

妻の悲鳴交じりの声で、慌てて車道脇に止めて後ろの席を振り返った。

「あーあーあー」
妻の咄嗟のハンカチも空しく、娘はさっきサービスエリアで飲んだヨーグルトを全部吐き出していた。
「今まで車酔いなんかしたことないのに、調子悪いのかなあ」
本人はけろっとした顔をしてるが、婆に買ってもらったおませな赤い服はびしょびしょでだいなし。
もともと僕の寝坊で出発が遅かった上に予想外のピットイン。時計はそろそろ妻のスタート時刻の1時間前に近づこうとしている。妻も僕もしょうがないと思いつつも一瞬険悪なムードを感じた。

ふと昔の記憶がよみがえった。
調度10年前、当時世界チャンピオンだったノルウェーのペター・トーレセン一家が来日した時のことである。隔年のWOCの時代に3つもの個人金メダルを取ったペターは精悍な顔つきも相まって当時ノルウェーの英雄だった。日本側に招待されたトーレセン夫婦は、6歳から5ヶ月の3人の子供を連れ一家5人で年末年始の極東を旅した。当時ペターが憧れの存在だった僕は、接する機会を逃すまいと、東京でのホストを買って出たのである。
ちょうど、一家を連れて七国峠で開かれた練習会に連れて行く途中だった。同じような田舎の街道で、長男のヨルゲン君が車に酔い、ノルウェー語で泣きながら父に訴え、ついにはもどしてしまった。初めての体験だったらしく、驚きで放心状態の息子。「すまない」を繰り返しながら、車の中を拭き、道端の植え込みで息子の背中をさする父ペター。華やかなウイニングランをする世界チャンピオンである以前に父親なんだなあ、と当時何ともなく感じたのを覚えている。

閑話休題

そんな記憶が甦ると、いらいらもどこかにしぼんできた。娘の着替えも終わり、慌てて会場に向かう。駐車場につくなりスタートの早い妻は早足で会場に向かった。娘を乳母車に乗せて後を追う。

会場はウエルサンピアのプールサイドだった。
運営者に落ち度はない。99%の参加者には何の問題もない。
しかし子連れになると、まったく違う視点になるものだ。手すりもないプールサイドの会場は1歳半の娘を連れて行くにはちょっと不安な場所だった。

先についていた妻も同じことを感じていた。
「あなた、今日は走れないと思ったほうがいいかも」
今日は妻が先にスタート。僕は妻が帰ってくるか、あるいは誰か知り合いに娘を託さなくては走ることは出来ない。
この日は渋谷のメンバーもほとんど参加していなかった。あるいは仮に参加していても預けるのは難しい年頃になった。ひょこひょこ歩くようになった今、ましてやプールサイドでは、気軽に誰かに預けるわけにも行かない。預かるほうにも余計な心配、迷惑をかけてしまうだろう。

一応着替えてみたものの、正規スタートをあきらめる覚悟を自分に言い聞かせ、気長に娘と待つことにした。
先程の車内のひと騒動なんてどこへやら、娘は枯葉の山を歩いてみたり、空き缶を拾ってなめてみたり、ふらふらふらふら付近をはいかいする。
会場はやがて人の数も減り、閑散としてきた。時計を見ると11時15分、正規スタートまで30分もない。自分より遅いスタートの選手も会場を後にしはじめた。せめて12時15分のスタート閉鎖までに間に合って山を走りたいなあ、そんなことをぼんやり考えはじめた。

向こうから宮川さんが現われる。今日は役員をしているはずだ。いつものようにこちらを一直線に見て向かってくる。強化委員会の件?今はそんな気分ではないなあ、もしかしたら露骨に嫌な顔をしていたかもしれない。
「娘みててやろっか」
へっ? 思いもよらない助け舟。
「でも役員のお仕事はいいんですか」
午前中は参加者もいないし仕事はほとんどないとのこと。宮川さん自身も子育てをしながらオリエンテーリングをした経験から、僕の心の内を見透かしているようだった。調度娘は少し前から眠そうに地面に転がり始めていた。ベビーカーに乗せると幸いなことにコロっと指をくわえてまどろんだ。ここで決心。
「妻はあと30分程度で帰ってくると思います。このまま寝ると思います。食事はさっきしたばかり、おむつも大丈夫のはずです。」最低限の引継ぎ事項を述べながら、お礼を付け加え、大慌てでコンパスとEMITを握ってスタートに向かった。時計はスタートの18分前、速めジョグで行けばまだ間に合うはず!最後にトイレに向かいたかったが、そんな贅沢は言ってられない。


かつて梅薗の名前で知られた今回のテレイン。思い越せば調度20年前、高校1年生の全日本で優勝した思い出のテレインである。山岳テレインではあるが、ただタフなだけでなく、ルートプランニングや急斜面でのナビゲーションが鍵を握るはずである。案の定レースは、一筋縄ではいかないレッグが多く、慎重なプラン、アタックを要求された。過度な緊張を生まないトラブルがかえって幸いしたのか。集中力は適度にコントロールされ、ほぼミスなくレースは進んだ。予想以上にコースはあっさり感じられ、終盤のコンピにきたときは「もう終わり?」と物足りなささえ感じた。最後の15での1分ミスは余計だったが、感覚的には合格点のレースでラストレーンを走り抜けた。

俊介と13秒差の2位。「やっぱり」感が強い。いいレースだったけど、勝つのは甘いと感じたとおりだった。つめの甘さは相変わらずだが、ベースのスピード、ナビゲーションはMEでトップを争そえる位置までは戻った。素直に喜ぶべき結果だろう。

「面倒みたかいがあった」宮川さんが喜んでくれた。娘は宮川さんの看護のもとしっかり昼寝し、また元気に遊んでいる。妻も悔しがりながら自分なりのレースを楽しんだ。場当たり的だけどみな結果オーライ。

10年前の晩餐、次のシーズンに開かれるPWTアジアツアーに参加するのか?とペターに聞いた時、ちょっと答えを躊躇した後に、「マイ・ボスが決めるよ」と妻をちらっと見た。トーレセン婦人は笑いながら、「どうしようかなあ」といったジェスチャーを見せたことがある。
その頃、家族の都合でスケジュールが左右される世界チャンピオンに驚き、違和感を感じた。周りのすべてが自分のパフォーマンス向上に向かうべきだと感じる錯覚。20代の頃はそれが原動力だったのだろう。当時31歳で既に頂点を極めたペターは、その一歩先で競技を続けていた。
今の自分は既に37歳。ペターの域に少しは近づくことができたのだろうか。










火曜日, 12月 04, 2007

3000mに考える

強化合宿に久しぶりに参加した。

全参加はWOC2005愛知前の合宿以来、スタッフとしての準備で迎えた合宿だけど、2日間オリエンテーリングとトレーニングのことばかり考えて過ごす時間はとても贅沢に感じる。久しぶりにオールアウトに近いトレーニングをこなし、皆で風呂に入って大盛りの飯を喰らい、まだ暗い早朝からの朝練と、ガッツ溢れる2日間を過ごした。

さて、初日は岡崎総合運動場のトラックで3000m走タイムトライアルを行なった。

「トラックのタイムはオリエンティアにとって重要か?」

古今東西常に議論の的になるこの命題は昨今のNTで再び盛り上がっているテーマだ。

大陸系でのWOCを連続して迎え、走力という要素が今まで以上に包み隠さず浮き彫りになったことが一つの要因だろう。あるいは代表レベルの選手のトレーニング量が、中堅国としては決して見劣りしないレベルまで達しているにも関わらず予選通過の壁を越えられない現状に、避けて通れない一つの突破口として見えてきたのかもしれない。

アメリカやカナダの選手が多く参加する、Attack pointというブログでも、幾度となくオリエンティアの走力について議論がされている。明確な結論は見ないが、多くのオリエンティアが、どの程度のタイムを出せば自分は成功できるのか、明確なマイルストーンを欲しがっているのだろう。


世界のトップオリエンティアの記録を紐解くと、かなりのばらつきがあることに気付く。
3000mを8分そこそこで走る選手もいれば、9分近くのタイムしか持たない選手もいる。大まかにいって同じ実力のオリエンティアでも3000mで最大40-50秒近い差がある。それは世界でも日本でも同じである。

トップレベルのオリエンテーリングといっても、大きく分ければ「ナビゲーションの要素」と「フィジカル要素」がある。後者の「フィジカル要素」も心肺機能、スタミナ、筋力、バランス感覚、運動神経、様々な要素の総合力として表される。3000m走はその中の一つ「心肺機能」を表すVOmax値を示す指標にしか過ぎない。

「風が吹けば桶やがもうかる」といったらやや誇張が過ぎるが、3000m走のタイムから見たオリエンテーリングの実力は、かなり曇ったガラス越しに見えるぼやけた像でしかない。

しかしながら、総論としてはその関係は無視できない。3000m8分のチャンピオンも8分50秒のチャンピオンもいるのは事実だ。9分でももしかしたらチャンピオンになれるかもしれない。しかし9分半の選手はいない。10分では可能性はほぼ0と言い切れるだろう。

今日本は日替わりでトップが変わる混戦状態だ。しかし、3000mのタイムはやはり9分20秒~10分に広く分布する。ほぼ世界+60~70秒に位置する。割合で示すと、12-15%増程度になる。
これは日本チームが良いレースをした時のぎりぎりの巡航スピードとほぼ一致する。個々の選手ではばらつきはあるが全体として見ればつじつまは合っている。
では皆があと3000mで‐5%で走れるようになったら?? オリエンテーリングも‐5%で走れるのではないか? そう考えるのは自然な論理だろう。

こうして考えると、3000mのタイムを絶対的な指標として使おうとするのは適切でない。相対的に3000mの速い人、遅い人では、世界で成功するための目標値に幅が出てくる。そしてその特性は、その人のトレーニング方法によるばらつき以上に個人の資質も影響しているように思う。
つまり予選通過をするための目標となる3000mタイムは、ロードに強いA君にとっては9分20秒かもしれないが、足は遅いといわれても森での動きが機敏なB君にとってみれば10分で十分かもしれないのである。

仮に今3000mを9分40秒で走るA君がいたとしよう。1年後の予選通過を目指し、脚を磨いて3000mのタイムをあげることを目指してトレーニングするべきか、あるいはひたすら森で走って、今の3000mタイムでもB君タイプの選手になることを目指すべきか。

どちらが正しいかはわからない。しかしトラックのタイムをあまりに重視してしまうと、後者の選択肢が無視され、前者ばかりが注力されてしまう。それがトラックタイム重視が孕む危険性なのだ。
本来はその中間に最適な選択があるのかもしれない。森での走りを磨き、結果として心肺機能も強化され、5秒でも10秒でも3000mのタイムが改善されればオリエンティアとしては成功に近い道筋なのではないか。

日本チームの話に戻ると、全体で見れば3000mのタイムは若干物足りない。分布がもう15~20秒程度速いところにシフトすれば、予選通過にしても大分可能性が見えてくるように思う。そのためには、3000mのタイム向上を見易い目標の一つとして据えつつも、森での走りを磨くという我々本来の目的からぶれない様にすることが大切だ。

火曜日, 11月 27, 2007

10Kロードレース

昨年も走った丹沢湖マラソンに参加。

今年も推薦選手として、妻と共に品川区陸上協会の仕立てたバスに揺られて丹沢湖に向かった。

前週の富士のロングOの影響で一週間疲れを感じていたので、目標タイムは低めに35分台を設定。
交通の便がよくないところだけど、3800人もの参加を集めている。天気は快晴で湖面に映る紅葉も美しくなかなか走っていて気持ちのいいコースだ。
ロードレースとしては小刻みのアップダウンが多い湖畔道のコースだけども、オフロードに慣れている選手には適度に使う筋肉が切り替わって飽きがこない。
レースが始まると案の定序盤の2,3kmでHRの上がりが悪いのが顕著。ペースも3'30は維持できず3'35程度のラップを刻んで進む。終盤少しだけペースをあげるが、タイムはほぼ目標どおりの35'29でゴール。

昨年の記録よりも20秒程遅かったが、平均のHRは175と昨年よりかなり低く、体力的には追い込み方は少ない。トータルで見れば昨年より状態はよくなっていると見るべきだろう。

タイムは悪かったが、運良く年代別で6位入賞した。
表彰式では、箱根50KのTシャツを着た3位の選手が声をかけてくれた。
渡辺さんというトライアスロンの選手で昨秋の富士のロングOも走られたとのこと。
何度か見かけたことはある方だったが話したのは初めてだった。
うちよりも少し大きい、かわいい娘さん二人を連れてらしていた。

妻は年代別で7位。昨年より7分もタイムを縮めて45分台だった。
妻との比は今まで陸上、トレイルランは150%、オリエンテーリングは250%という大体の目安があったけど、
とうとう130%を切った。この日は辛うじて勝ったけど、最近、順位で争うと負けることもある。
むむ、伸び盛りなのうらやましいばかりだけど、負けていられない。
一つ走ることのモチベーションが増えた。

火曜日, 11月 20, 2007

心の薬

ここに書くのは一ヶ月ぶり近い。

その間めぼしいトピックがなかったこともある。
全日本リレー以来、トレイルランもオリエンテーリングも一月ほど競技会参加は休養していた。

だけどそれ以上に、精神的に余裕がなかったのかもしれない。

ブログを書き始めて気付いたが、こうして、書いても書かなくてもいいようなことを、パソコンを開いてパチパチ打つのは、それなりに気持ちに余裕がある証拠。
仕事やらなにやらで、時間的にしろ精神的にしろ切羽詰ってくると、気分は乗らないし、文章を考える気力もなくなってくる。こういうことやってる奴は暇な輩だ、とまで思えてくる。

だからこうして今文章を書いているのは、また、心に余裕が出来た証拠だ。

単純だけど、よい走りをすること、結果がでることが競技をやってると一番良いストレス解消になる。

富士のぞんびーずロングで、最近のもやもやを晴らす走りができた。
優勝はともかくレース内容がよい。
ほぼ現状ではベストに近いレース。3時間のレースでミス率は4%台、体力的にも前半は165-170程度のHR、後半も160前後のHRで極端なスピード低下することなく走りきった。
最近、鉛の錘が胃に溜まったような気分とは裏腹に、実際の体重は徐々に減り体が良く動くのを感じていた。直前の水トレでも、20kmのペース走を1人で74分台で走り我ながら驚いた。ロードのタイムも感覚的には上向いている。

もっともウルトラロングという距離とペースが今の自分にぴったりマッチしていたのかもしれない。地図読みにストレスを感じないスピードなので、手続きはとても滑らかだった。
通常のロングやミドルならもっと、もっとスピードが必要だし、そうなるとナビゲーションとの釣り合いも難しくなる。

幸い秋には、下山大会と、越生大会とロング、ミドルのレースが待っている。
ここで、一通りの自分のコンディションがチェックできるだろう。

木曜日, 10月 25, 2007

奥多摩、高尾と表参道

20日は所属するクラブの後輩の結婚式。

娘と二人で参加した。場所は表参道。外苑の並木が目に和む洒落た街並みにあるレストラン。
「きっと奥様のセンスだな」
久しぶりだけど結婚式はいつでてもよい。あまり飾らない自然ないい式だった。
それぞれの人生、人柄、カップルの個性が見えて。
お決まりの、お付き合い秘話は、意外な展開で笑わせてくれた。
久しぶりにビールをかなり飲んで、夜まで頭痛がした。

同じ日、奥多摩では山耐があった。夜はネットで逐次中間速報を見た。
天候がよいせいか、レベル全体が上がっているせいか、タイムが全体的に速い。
熱い想いを山耐に向けている柳や、円井君、の状態がまず気になる。お、まずまずじゃん。
初出場の大助、山田高志もありえないくらいいい位置で走っている。村越さんも大丈夫そう・・・。
床についても、同じ時間に闇夜にライトで走る選手の姿が脳裏から離れない。

翌日、急に思い立って、湘南新宿ラインにのり、高尾に向かった。久しぶりに陣馬往復を走ってみよう。
行楽シーズン、人手は多いが、秋の気候に空気も透き通るようで、低山の広葉樹林を満喫。
最近、なにかと悩むことが多いせいか、緑の風景に余計に心が和む。自然は人にとって大切。

行きは88分台、平凡なタイム。ところが帰りはだんだん調子があがって72分台。
一番調子の良かった20代後半の頃は、よく加賀屋さんと往復していた。
その頃は2時間35分~40分で往復していたけど、
今日の2時間41分は、かなり近いところまできている。ちょっと上機嫌!
山耐のある週末なのにトレイルランナーは沢山走っていた。
トレイルランの底辺は確実に広がっている。

この週末、箱根トレイルにつづいて、怪我で涙を飲んだ妻は、思いの他冷静だった。
エンジョイからアスリートに写る時、いつかは怪我と向き合う時がくる。
授業料を払ったと思えば、安いものかも。
段々成長する妻にうかうかしてられない。
間瀬さんの旦那様のようになる日が近いかも。

水曜日, 10月 17, 2007

トレーニング不足

「10月13日 児童館 運動会」

10月に入った頃、新聞やダイレクトメールの束に混じってピンクの案内が机の上に置いてあった。

妻が普段娘と通う児童館の集まりで、近くの小学校を借りて運動会をするらしい。
まだ、歩くのも覚束ない娘が運動会?

「あら、おゆうぎの練習だってしてるのよ、ねー」

いよいよこういう時が来たか・・・。娘の運動会に参加とはなんとなく感慨深い。
ではお父さん、娘の前で自慢の脚をちょっとだけ披露?、でも若いお母さん方の注目になったらどうしよう??

「狭い体育館の中よ」

そんな妄想は無用よ、といわんばかりに妻が付け加えた。なーんだ。

当日、会場に入ると巨大な保育園状態。娘が出来たとはいえ、こんなに沢山の子供の輪に入るのは初めて。流石に面食らう。なんとなく居心地悪く、はじの方でハイハイする娘の後をちょろちょろ追って暇つぶし。

はじめの体操がはじまった「おふろじゃぶじゃぶ、からだあらいましょ~」

なんだか冷静に聞いてるとへんてこりんな歌詞、年齢不詳の気のよさそうな、でもちょっとあやしいお兄さんがふりつきで踊ってる。後で妻に聞くと児童館にいつもきているお兄さんらしい。

この感覚、というかテンション、さすがにきつい。いきなりはついていけない。周りをみると、お父さん、お母さんはりきって子供と踊ってる。えらいなあ。自分も少しづつテンションをあわせなきゃ。
3番あたりでようやく周りの人に合わせられる。
そのあとも歌は続く。妙に長く5番か6番まで唄ってようやく終了。
ふう。
その後もテンションの高いイベントが続く。はいはいの子から幼稚園の子までいろいろな競技のオンパレード。

娘の出場種目は、手押し車のよちよち競走、玉いれ、おゆうぎ。
といってもなんとなくそれっぽくやってるだけ。
そもそも本人は何やってんだかさっぱり分かってないし、関係ない子は入ってくるし、あっちで転んでぎゃー、こっちでおむつ替えて。。。。 でもお父さんは皆せっせとビデオを撮ってにやにやしてる。おじいちゃんおばあちゃんもきている家族もある。みんな自分の家の子がかわいいんだなあ。もちろん自分もそうなのだけど。なんやかんやいってやっぱり楽しい。娘もなんとなく楽しいことやってるんだ、て少しはわかってるのかな。

平和な風景だよなあ。
午前中で終了。なんか内容の濃い2時間だった。

「このくらいで、つかれてるようじゃ、父親修行もがんばらなきゃね」

帰りの道すがら、トレーニング不足をちょっと痛感。
まだまだ挽回の余地あり。




金曜日, 10月 12, 2007

3000mTT

久しぶりに水曜日の織田でタイムトライアルに参加。

東大現役2年で渋谷で走る会の新メンバー田中裕也君が企画。
真剣に3000mを走るのは何年ぶりだろう?
夏の間の低迷ぶりから、10分切れれば御の字かなあとチャレンジ。

結果は9:50。最後は75'/周で、結構身体はよく動いた。
10年前のベストに比べれば30秒以上遅いけど、今の状態ではまずまず。

終盤競った現役1年の新入生小林君が9:51
彼は高校時代中距離選手だったらしい。なかなか受け答えもはきはきして、面構えもよく将来に期待できそうな選手。
田中君も10分を切り、ジョージ君も10分数秒でゴール。

今年の東大現役はなかなか骨のある選手が多いようだ。
今後に注目。

水曜日, 10月 10, 2007

16番の悪夢

16番に向けてマツクイムシによる立ち枯れが酷い無残な伐採地を見渡した時、その風景に妙な不安が過ぎった。嫌な予感。何がというわけではない。ただ、スウェーデンやノルウェーの森での経験から、オープンと地形がらみのコントロールは落とし穴が多いことを無意識のうちに体得していたからだろう。

7.0km ウイニング45分×3人。平らで走りやすい加賀海岸の森であるが、人工的な微地形と、低い松の枝による見通しの悪さが相まって、全日本リレー史上で最もテクニカルなレースの一つになることがほぼ予想された。MEディフェンディングチャンピオンの東京都は源後-鹿島田-篠原のオーダ。本命とは言いがたいが十分優勝は狙える。

1走は、予想外のオーダーで攻めたライバル埼玉/高橋が2位以下に3分の差をつけて帰還。東京の源後君はトップと6分程度の差で帰ってくる。埼玉を除けば3分程度の差、テレインの性質を考えればほぼ予定通りのいい位置である。2走、3走は相対的にこの手のテレインに強い鹿島田、篠原なので優勝の可能性は十分にある。モチベーション的には非常によいスタートだった。

前半はほとんど同時に出た村越さんと見えたり離れたりの展開。さすがに緊張感がある。走るスピードでは若干こちらの方が速いがコントロール廻りで差を詰められるようだ。中盤に差し掛かるまでコントロール付近で交差する展開が続く。

ようやく中盤の登りでじりじり離してからは、やがて足音は聞こえなくなる。その他2つの神奈川チームを抜かし、順調に順位は上げる。ほとんどミスらしいミスもない。CC7に続いて脚も良く動く。減量1.5kgの効果だろうか。ペースはしり上がりによくなったころ、リズムの変わった15番でとうとう6分以上前に出たはずの埼玉/新さんの姿を見る。
自分の調子はほぼ完璧。トップで出た6分前のライバルチームに追いた。残りはまだ1/3のこっている。
「よし!」15番の脱出から走る力がさらに漲ってくる。そして運命の16番。
ややロングレッグでコントロールは平らな伐採地にある人工的な細い尾根。明確なアタックポイントはないが、平らなオープンの端に位置し、地形的にも近くに行けばナビゲーョンできる程度の特徴はある。15番を出たときにチラッとコントロール廻りを見てそう判断し、「自分のナビゲーション技術の範囲」と判断すると、手前の道までラフオリエンテーリングで後続の埼玉を離しにかかった。


遠くまで見通せる平たく広いラフオープンは伐採された松の枝で荒れており直進することが難しい。冒頭の不安を感じたのはこの時。しかしその直感から自らを律し、リズムを変えることはできなかった。後ろの埼玉を離したいという誘惑を好調な身体が後押しする。予定した道に乗れず、位置は大まかにしか把握しないまま、大まかな方向を合わせてスピードの維持に努める。

漠然とした不安は現実になる。コントロール手前の道に近づくにつれてイメージが合わないことに気が付く。自分の想定では、道を越えても左右前方に広いラフオープンが続くはずである。コントロールは右奥のラフオープンの角に向かい、斜面の緩急を合わせて捉られるはずだった。しかし眼前はラフオープンと呼ぶには木々が生えすぎている。境界は極めてあいまいだが左手の方は開けていて、右は完全な森だ。一旦、道を超えて入りかけるが、完全な森の中を進んでいる。右手に大分ずれた可能性を考えて右手を見る。ずれているとすれば道が直ぐ見えるはずだ。しかし道らしきものは全く見えない。第一道に近ければ斜面がもっと落ち込んでいるはずである。
埼玉も後ろで地図を見て往生している。

考え直してみろ。まずコントロールはオープンのはじだ。君の居るところは森の中だ。地図を見ると? 来た方向が間違ってなければ、①コントロールより右にずれているか、②行き過ぎているか。その二つしかない。前者は、先ほど可能性がないことを確認した。では行き過ぎている?道の本数を数えてきたはずだ。しかし歩測はしていない。もしかしたら気が付かないうちに道を通り越していたら?地図が変わっているかもしれないとテクミでいっていたじゃないか。でもそんなに距離を行き過ぎているだろうか。


もうワンステップ消去法を理論的に重ねることができたら、ミスは1分で済んだだろう。消去法で、自分が行き過ぎた可能性を消し去ることはできたはずである。行き過ぎていれば前方に明らかに尾根が見え、森の様子も違っていたはずだからである。
この段階であればゴールタイムは45分前後で、東京都に優勝の可能性もわずかながら残す位置だった。
しかし、悲しいかな、詰めは甘く、ここから理論的なリロケートは破綻する。動き出してしまった。自分が行き過ぎているか、それているか判らない状態のままに。仮説を立てることなく。

いつしか埼玉の気配は消えた。

遥か遠くのコントロールが目に入った。広い伐採の中にちょこんと置かれたそのコントロールに本能的に吸い寄せられる。そんな平らなところに自分のコントロールがあるわけないことは頭が理解しても、脚は一抹の望みを求めて向かってしまう。リロケートが破綻した時の一番悪い症状だ。131番。1つ違い。会場で待つメンバーの待ち焦がれる姿が頭をぐるぐる回る。風の音がひゅぅと耳をかすめ、動悸が身体を伝って聞こえてくる。

ここで最悪のシナリオを避けるべく決断をする。リロケートすべき手段を失った自分にはもはや理論的な手法は取ることが出来ない。そう判断するだけの最小限の理性は残っていた。だとすれば最後の手段に出るしかない。

はじめに迷い始めた道に戻り下っていく。道を下り、2つの十字路付近の特徴物を確認する。数百mの移動でようやく自分の位置がわかった。そして迷い始めた最初の位置はほぼ、ルート上で正しかったことを知る。ショックを受けながら、反対側からコントロールにアタックした。前方からははるか前半で追い抜いた神奈川の武田がちょっと驚いたように、でもニヤっと笑いながらアタックしてくるのが見えた。


区間タイムは8分53秒。4分30秒のミス。

その後のレースは精細をかきながらも崩れることはなく何とか3走の篠原にタッチした。

さすがにゴール後はショックに呆然とした。全日本リレー、クラブカップリレー合わせてかれこれ30回近く出走した。その中で一度として大ミスを犯さないことが自分の中でのリレーを走る自信であり、その安定性が競技者としてのアイデンティティーだった。トップと6分差というタイムはそれまでの自分のジンクス、自信を崩してしまう、とてもショッキングな出来事であった。大げさでなく、6月に手にした個人のタイトルも帳消しにしてしまう、ナイトメアだ。


その後3走の篠原が2つ順位を上げ、東京は4位だった。結局2,3走の2人が実力を十分発揮できなかった東京は、優勝の埼玉から10分近い差をつけられた。

何がまずかったのだろうか?


コントロール付近のラフオープンが予想以上に不明確で、ナビゲーションには使いにくかった。あるいは伐採等による森の変化がある、という情報が混乱を増幅した。もちろんそういう要因もある。ラフオープンのとり方が自分にしっくり合わなかったのは確かである。しかしこれらは自分ではコントロールできない外的要因。程度の差こそあれオリエンテーリングという競技が本質的に内包するリスクだ。これらのリスク要因をヘッジして走る術がなければ強い選手にはなれない。
前のコントロールで埼玉に追いついたことが、集中力を低下させたこと、これが大きな敗因だ。もし、もう少しあと2,3%でもスピードを落とし、より自分の位置を狭い範囲で捉えて16番に向かっていたらどうだっただろうか。おそらく同じ場所を走ったとしても、手前を横切る道の距離感、植生情報だけでない地形の情報など、現地の様子をいろいろ目にしていたはずだ。そしてそういった情報を、重層的に利用し、後になって理論的リロケーションをする際の鍵と出来ただろう。
冷静に考えれば、6分前スタートの埼玉に追いついた時、自分はその埼玉を意識的に離す必要はあっただろうか。確かに3走の埼玉/坂本と東京/篠原の現在のコンディションを考えれば2,3分のゲインは欲しい。しかし状況を考えれば心理的にはこちらがどう考えても有利な状況である。追いついた側がリスクを犯して離す意義はなにもない。他のチームとの差を少しでも縮める/広げる意味でも自分のレースを貫くことがもっとも的確な選択だったはずだ。
そのタクティクスが自分の中で十分に意識されてなかっただろう。

もう一点副次的な反省点を挙げれば、理論的なリロケートが破綻するのがあまりにも速かった。もう1分地図と現地を辛抱強く見れば、傷はもっともっと浅かった。これは最近のオリエンテーリングの経験の薄さが露呈した。場数を踏んで不意の自体にも冷静さを失わないメンタルマネージメントの問題でもあろう。

しばらくトレイルランにうつつを抜かしていた。 トレイルランは単純明快ですがすがしい。体力の不足を隠すことは出来ない。それはそれでオリエンテーリングにない厳しさがある。トレイルランを通じて得たメリットも十分にある。

だけどオリエンテーリング特有の、この難しさ。集中力を保つことのできるぎりぎりのスピードを表現する戦術、これまたとてつもなく難しい。そして面白い。このバランスを本当の意味で体得しなければ強い選手にはなれない。自分はまだまだ詰めが甘い。「まだまだ青いな」自分より4分近い速いタイムで流石のレースをした村越さんに言わた。10年前と会話が変わっていない。悔しいけど苦笑いしてしまった。こんどこそは・・・・。これがオリエンテーリングの醍醐味だろう。

来年のクラブカップはこの加賀海岸らしい。リベンジできるチャンスがあることにちょっとほっとした。

日曜日, 9月 30, 2007

痩せる!

日常的なトレーニングの習慣を身に着けてかれこれ20年になる。
トレーニングをきっちりしている限り肥ることはないだろう。
ちまたで氾濫するダイエット情報にも、自分には縁のないことと、一定の距離を置いて他人事のように通り過ごしていた。

ところが、この10年、考えてみればジワジワ体重が増えている。
周りの30代の同期の中に入れば人も羨む無駄のない体躯ではある、が、アスリートの中にまじるとちょっと絞り方がちょっと足りない。

うすうす感じてはいたが、「軽さを棄ててパワーを身に着けた」と都合のいいように解釈してきた節がある。

そしてダイエットの一歩に踏み出す、決定的な出来事があった。

「あと2キロは痩せられるゾ」

どこの大会だかは忘れたが、レース後上半身裸で身体の汗をぬぐっている時に、羽鳥氏に鋭く指摘され、ずき!!ときた。
確かに腹回りは出てはいないが腹筋の見え方は今ひとつ。善徳や大助の上半身に比べるとちょっとアスリートのオーラが足らない。
悔しいが鋭い指摘。

思い返してみると、大学時代体重54‐5kg。笑われそうだが、「カモシカ」とか「バンビカシマダ」とか言われた時代である。今で言えば円井君とか加藤とか、そんな体躯だった。トレーニング量が増えた20代中盤に57-8kgに増えたが、陸上のタイムも一気に伸びた。この頃が身長168cmの自分のベスト体重だったかもしれない。
その後30歳前後にジワジワ増えて60kg前後に。陸上のタイムは落ちかけていたが、富士登山とか駅伝では若い頃より良いタイムを出していたので、「不整地のパワーには体重も必要」と気にしなかった。その後WOC2005前後には61kg、さすがに重いなと思いつつ、今年はとうとう62kg台が定着。
痩せ型と思っていたのに、いまやBMIを見ても立派な標準。走りも若い頃の軽やかさはどこへやら、往年の加賀屋さん並の迫力ある重戦車になってしまった。

トレーニングをきちっとしている限り、体重コントロールは必要ない。あまり根拠もない持論を、ようやく見直し、遅まきながら「30代になったらトレーニングしつつもカロリーコントロール」との結論に至った。

では何を減らすか?

もともと甘いものもビールも好きな性質、
酒量は多くないがほぼ毎日飲む。
食生活はほめられたほうではない。
改善の余地は大分ありそうだ。
一般的な食事

朝食:パンとフルーツヨーグルト、コーヒー
午前中:ブラックコーヒー
昼食:社食でおかずと一品料理、味噌汁、米、気まぐれで食後にアイス
夕方:空腹を感じた頃に菓子パンを1,2個
夕食:トレーニング終了後に夕食+ビール350ml

夕食をとるのは11時過ぎ、「そりゃまずいですよ、一番肥るというじゃないですか」大助談。
確かにそうだが、帰宅するのが大体11時頃だしある程度やむを得ない。
「ビールやめるのが一番じゃない」某友人の意見、確かにそれもあるが、350ml一本だし、それをやめたら走るモチベーションが半分くらいに落ちちゃうんだよなあ。
「菓子パン1日2個は犯罪よ」妻の指摘、毎日ではないんだけど・・・、これは確かに不味い。

空腹感でトレーニングや仕事に影響を及ぼすのはよろしくない。
生活へのストレスはためたくないし、食事も人生の楽しみの一つ、適度に楽しむことは必要。

そこで、一日の食事量はそれ程減らさずに、脂質を減らす作戦を立てた。

取り組みは2点。
1食後のアイスをやめて、おやつ用の栄養ブロックにする。
2夕方から夜の菓子パンをやめておにぎりにし、夕食の米はやめる。

食後のビールは死守して甘いものをあきらめた。
それだけ?という気もするが、

1で脂質は15g→10g
2で脂質は15~30g→5g未満

炭水化物の量は変わらないので、1日合計約20~25gの脂質を減量したことになる。

脂肪は満腹感はもたらすが、グリコーゲンとしてすぐには利用できないので減らしても一日の活動をするパワーが減ることは無いだろう。
提言量はカロリー換算で200~250g、体重では30g前後に相当する。
1月続けば1kgが減る計算だ。
一般のダイエット製品が唄う1週間に何キロとか、そういった変化に比べればかなり地味だ。

けど、2ヶ月で2kg減らせれば競技をする上では随分と違いがでるはず。筋肉を落とさなければ単純に走スピードも数%上がるはずだ。

ダイエット開始は8月後半から1月経過した。

効果は?

それなりにあったと思う。朝一番に測る体重も、トレーニング後に測る体重も平均して1kg低下。
その間トレーニング量はほぼ通常通り、7-10時間程度で、健康状態もよし。

クラブカップで久しぶりに会った人、ほとんどの人は何も言わなかったが、「絞れてる」という人2組、「肥った?」という人1人・・・・・、まあ2勝1敗で一応痩せてる方向にはいってるのだろう。

この1,2週間プラトーでちょっと中だるみだが、10月末には数年ぶりの60キロ切りを目標としてもう少し継続してみる予定。


金曜日, 9月 28, 2007

trailとtrail

trail (動物・人・物が残した)跡、小道

辞書を調べるとそんな意味が出てくる。

この「trail」という言葉は、オリエンティアには2つの意味をもつ。

おそらく多くのランナーがtrailといえば、トレイルランニングを想像するだろう。
トレイルの意味のごとく、森の中の小道や踏み跡に近いところを走る競技だ。
昨今のトレイルランブームにはここでも触れたことがあるが、競技人口はおそらく数万人程度はいるはずだ。
昨今優秀なトレイルランナーを輩出し、競技人口が一部かぶっているオリエンティアの間でも使われる名称である。

一方多くのオリエンティアがtrailといえば、まったく質の異なるスポーツを思い浮かべる。トレイルOだ。
trailでもより整備されたトレイル、具体的にはハンディキャップをもった人、車椅子の人でも通れるような整備された道で行なうオリエンテーリングだ。オリエンテーリングから派生したこのスポーツは、日本で推定競技人口数百人程度だろうか。しかし熱心な愛好者を集め着実に普及している。

24日はこの「トレイルO」の大会が小金井公園で開催され、その運営協力に出向いた。
東京都オリエンテーリング協会主催のことイベントに、都協会加盟クラブの協力要員としての運営参加である。
トレイルOは、トレイル(道)上から見える範囲の地形に置いた複数のフラッグから、地図に示されたコントロールがどれかを当て、その正解の数を競う競技である。基本的に時間は競わない。ハンディキャップのある人と健常者が同じ土台で競うことができることを目的としているためと思われるが、通常1箇所だけタイムコントロールという場所のみ時間を競い、同点の場合の順位付けに使われる。
正解は必ずしもあるとは限らず、「正解なし」が正解のこともある、なかなか一筋縄でいかない競技だ。

個人的には、1,2度経験したことはあるが、あまり詳しくはない。運営できるは不安だったが、トレイルOで日本代表経験もある宮川さん親子と一緒だったため安心した。多田君を含め4名でタイムコントロールを担当し、タイムキーパを勤めた。
このタイムコントロールは、トレイルOの観察にはもってこいでなかなか面白かった。

タイムコントロールは、それほど難しいコントロールではない。しかし時間を計るため、簡単なトリックに引っかかる選手が多い。
(実際僕もそのコントロールは「当然Bだろ」と思っていたのにAが正解だった。)
選手は皆真剣だ。緊張感は運営者側にも伝わりタイムキーピングも当然真剣。ちょうどテストの試験管をやっているような気分だった。さすがに強いといわれる選手の動きは素早く判断も速い。地図を渡された時点からの手続きも初心者らしき人と熟練者では違いがあって面白い。

3時間近いお勤めを終えたあと、ためしにコースを廻ってみた。随分と悩ましいコントロールが続く。こんなのどっちもあってるじゃん、と思いつつもとりあえず正解を選んでいく。制限時間2時間とのことだが25分足らずで廻ってしまった。一応オリエンテーリングの全日本チャンピオンだし、それ以上時間をかけてじっくりやっても点数が上がるとは思えなかったのだが・・・。
結果を見ると15点満点で9点、6つも間違えた。競技結果を見る限り平凡な結果。正解を見ると確かにやられた!というコントロールもあった。が、そんな違いあるの?とちょっと不完全燃焼のところも多々あった。これって本当に全部当てられる人いるの?
ところが結果を見ると、驚くことにトップは15点満点。1問不正解の14点も数人いた。聞けば強い選手が順当に上位とのこと。つまりほとんどどっちでもいいように見えるコントロールも、熟練者にはきちんと正解不正解がわかるのだ。素直に感心してしまった。

この競技オリエンテーリングとは根本的に何かが違う。そんな印象を受けた。何の努力もしていないのに言うのは失礼かもしれないが、自分はこの競技ではあまりいい選手にはなれそうにない、そんな予感がした。、そしてこの競技、何かに似ている・・・。

地図調査、測量、そんなものに近い。でもぜんぜん違う分野だけど、天文学に通じるものはないか・・・。限られた線上から遠くの物体を観察する。一点からは二次元にか見えず限られた情報であるものを、違う点から観察し情報を補っていく。そしてその他の物体との位置関係など総合的に見て、理詰めで結論を下す。その場に行けばいとも簡単に分かることだが、遠くから眺めることで謎めいた問題になる。
地球からの視差など情報を総合して、行くことのできない遥かな天体の招待を暴くプロセスに似てはないか。
差し詰めコースプランナーは神のような存在、ただ、違うのは、推定の積み重ねで事実を探ることしか永遠にできない天文学者に比べれて、トレイルOは競技が終われば回答を知ることが出来ること。
時間的要素に薄い点も、早さよりも正しさが重要な理学に通じる。そう思ってみると、トレイルOの参加者は、どこかしら、大学時代理学部周辺で見かけたようなちょっと浮世離れした学者肌タイプの人が多いような・・・・。

一方対照的なのはオリエンテーリング。あらゆる有象無象の情報を取捨選択しなければいけない。そこでは情報を100%として処理せず、信頼度を勘案しながら進む。そこにはあいまいな区間があってもよい、目標に速く達するこの方が重要。なんとも工学的発想ではないか。そして工学者の究極は村越さん。

自分がオリエンテーリングに向いていて、トレイルOが向いてないと感じたのは、自分が工学者だからだ!となんとなく納得した。


金曜日, 9月 21, 2007

CC7

駒ヶ根のCC7が終了。

稀に見る接戦で最後の誘導までもつれたレースは、多摩OLの劇的な優勝で幕を閉じた。
トレイルランでもますます活躍する円井君が最後のスプリント勝負をものにした。
7走を走っていた自分はその現場に居合わせてないが、結果のラップや、写真からその緊張感が伝わってくる。クラブカップもまるでユッコラかティオミラのような、何時間も何人もつないだ上で1秒を争う面白いレースに、また1歩近づいたようだ。

我等、渋谷は6位に滑り込み。7年連続のpodiumを確保した。
競技場に一旦戻る2周するコース設定の3走を、新加入のジョージ君がマークドルートを辿りそこない、後半ループを2回まわるはめになるハプニングがあった。他の人の1.5倍走ったことになる。
彼自身はスタート前にそのことを認識していたが、レース中には忘れてしまったのだという。
レース後はすっかり落ち込んでいたが、「15分の借りをこれから毎年何分かづつ返します!」という言葉に本人も廻りも元気を取り戻した。
優勝候補の一角だったし、終わってみれば残念な結果かもしれないが、不思議とチームに沈んだ雰囲気はなかった。
リレーには負けたが、ジョージ君の参加でチームとして慢性的なマンネリ感から抜け出たような、そんな爽快感があったからだろう。やはりチームは新陳代謝が必要だ。


さて、自分のレース。
こんなに焦りを感じて、緊張したレースも久しぶりだ。

夏以降トレイルランに精を出し、トレーニング量はこなしていたものの、レースの結果では大スランプに陥っていた。富士登山駅伝、競走、御嶽スカイレース、あらゆる結果が、全盛時の15~20%の体力低下を示していた。長いレースで、疲労をためがちなことを差し引いても、日本のトップオリエンティアと対等に渡り合える状態ではない。叩いても伸びない、もうそういう身体になってしまったのか、弱気な考えが常にちらつく夏だった。
結局状態を改善できないままに、9月になった。

短い距離ならなんとかなるかも。
そういう淡い期待も15日の駒ヶ根スプリントで見事に打ち砕かれた。
ほとんどミスなく、心拍も180前後まで追い込んだレースで、トップ加藤と10%の差がついた。
実際ミス率は加藤と並んで参加者中最低、巡航スピードで調度10%の差がついている。

これではさすがに7走でいい走りはできるわけがない。
オリエンテーリングに関しては若干自身過剰気味の自分でも非観的にならざるを得ない。
こんな時には肩書きも苦痛にしかならない。
「アンカーは全日本チャンピオン」 クラブのみな誇りにしてくれるが、自分としては重すぎる荷を背負っているような気分だ。
クラブカップでこんな重圧を感じるなんて。
半ば遊び気分で参加していた20代の頃からは信じられない状況だ。
「篠原と変わって欲しい」進言すべきか悩みもしたが、彼もそれ程良い状況にあるようには見えなかった。
しょうがない、あたって砕けるしかない。

タッチを受けるまでの展開が、緊張を少し解いてくれた。
8位でタッチを受け、順位を上げればよい状況は、代表レベルの選手が追ってくる展開に比べて遥かに重圧が軽い。前を行くのはぞんびーずの小野田君。その他上位集団の脱落者をかわせばいい。ペース的には少なくとも負けることはないだろう。

スタート後、きつい登りの1,2は思ったより身体が動いた。身体に鞭を打つだけ反応する。悪くない証拠だ。3番の手前で小野田君を捕らえた。これで7位。6走のランナーも何人か抜かしてペース良く4,5とこなす。森でのオリエンテーリングが全日本ぶりとは思えないほど地図が良く見えている。トレイルランを多く走っていたせいか不整地での踏ん張りも良く効く。「もしかして結構いい状態かも」レース前数日間の不安はどこかに消えてしまい、ペースも気分もどんどんよくなっていった。
7→8のきつい登りをこらえると、9、10、11と下り基調でルートプランニングが鍵を握る得意のレッグが連続する。途中10秒程度のケアレスミスはあったがほぼノーミスでこなす。これはいい感じだ。
ただ、もう一人抜かなければ6位にはなれないことはわかっていた。前を走るランナーが気になりだした。しかし青いゼッケンは見ても赤いゼッケンはいない。そんな中で集中力を少し失ったか。12番番号読み違いで30秒ほどミスを犯す。
13以降はコンピである。たとえ誰かに追いついても離すのは厳しいかもしれないと思っているところに、前にOLP兵庫のユニフォームが見えた。ゼッケンは赤。よし、これで6位確保!
そうこうしているうちに、13のアタックとなるがコントロールが見当たらない。
見通しの聞かない森で多くの選手が右往左往している。皆同じコントロールを探しているようだ。
道からの距離感からしてもう少し先のはず・・・、と進むと白地に青のテープが張り巡らせて合った。立入禁止がこんなところに、地図を見てもそのような記載はないが、おそらく奥の民家の敷地に近いところにきているのだろう。引き返してみるがコントロールはやはりない。
OLP兵庫もコントロールを探している。彼の同行を目の端におきながらもう一度地図を見直す。やはりショートしている。もう少し進んでいいはずだ。第一、コントロール付近の小径を見ていない。思い切って進んでみると、立入禁止と思っていたテープの向こうにコントロールが見えた。およそ1分半のミス。OLP兵庫も先にパンチしている。(後で気付いたがこのテープは競技と関係のないものであった)
このミスはやむを得まい、そう直ぐに割り切れて次のレッグに向かう。脱出で右目に向かうOLPに対して直進目に進んだ。スピードコンプレックスに悩まされてる自分としては仕掛けられと弱い立場にある。が、どうもOLPはその気配はない。片山選手は結構つわもののはずだが、疲労しているのか調子悪いのか、怖さはまったく感じなかった。とにかくこちらとしては願ってもない。次のコントロールのアタックの時点では先行し、そのまま振り返ることなく先行したままコンピをこなす。
ラス前へのアタック後、グラウンドからの「6位だぞ」という声に安心した。あとはタイムの方、13のミスはあったけどそれ以外はいいペースのはず。区間順位を一つでも良くすべく、最後の誘導も出来る限り頑張って走った。ここでも身体はこたえてくれた。HR最大193はこの距離のオリエンテーリングでは限界値に近い。

結局、俊介と松澤君からは2分程度差の区間3位であったが、12,13のミスを考えると今の自分にしては考えられないくらい上出来な結果だった。夏の間のスランプはなんだったのだろうか、今となっては不思議に思えてくる程の思いがけない走りだった。

やはり自分は根っからのオリエンティアなのかもしれない。
無意識のうちに、数あるレースの中からクラブカップに向けてピーキングをしていたのだろう。
夏のトレイルは惨敗に終わったが、
初秋のオリエンテーリングはなかなかいいスタートを切った。

月曜日, 9月 03, 2007

白根山


25,26日の週末は家族で白根山へ

日曜日に妻がX-Terraのスクランブルレッグに参加するため、一泊で小旅行。
X-Terraは一言で言えばトライアスロンのアウトドア版。オープンスイム、マウンテンバイク、トレイルランのレースで争う競技。僕らは今のところトレイルランのスキルしかないので、日曜日に併設されたトレイルランレースに妻が参加し、僕は娘と観戦。
白根山周辺には始めていったけど、なかなか素敵な場所でした。
東京からの距離はちょっとあるけど、標高は14,500mで涼しく、白根山周辺の森も美しい。
トレイルランの会場だった丸沼周辺もほとんど建物はなく、森に囲まれた湖面はちょっとした北欧の湖のような静けさでした。

土曜日は到着後、4時半から大急ぎで菅沼から白根山往復。標高差は800m程度だけど日没間際で、時計を気にしながらペースアップして登り、55分で頂上に到着。2、3分で帰路についたけど、とてもよい眺めでした。往復約1時間半の程よいトレーニング。
日曜日は妻のレース中、ロープウェイで尾根の上に登り、白根山付近を娘とトレッキング。美しい森の中の散策は気分よく、背中で揺られている娘もご機嫌。トレッキングの途中でであったレースの役員の人にも歌を唄うサービス。
レースの方は参加者が少ないとはいえ妻が女子で2位の入賞!
白根山を含むタフな25kmを5時間は立派。
今までにない好成績にちょっとびっくり。最近自分より妻の方が相対的に速くなっているような・・・。

WOC2007

すでに1週間がたつがWOC2007が終了した。

日本選手も帰国して一段落している頃かと思う。まずはお疲れ様といいたい。
旧ソビエト圏のウクライナでは、自由化した今でも、いろいろな面で日本、西欧の常識が通用せず、何かと苦労をしたようである。 蒸し暑く山岳テレインの日本のwocも旧ソビエト圏も、オリエンテーリングのグローバル化という点で、選手にとっては必要な経験なのかもしれない。

競技の方は、今年も、シモーネとティエリが着実に金を重ねるなど実力のある選手はきっちりとその力を示した感がある。隔年開催の時に比べれば毎年の結果やニューヒーローの誕生に新鮮さが欠けるようにも感じるが、それでも今までにない新しい流れもあった。男子マチアス・メルツの活躍やウクライナをはじめとした東欧勢の活躍、オランダの初入賞など、競技力の勢力図も少しづつ書き換わっているのを感じる。

そんな中、日本チームは数字で見るかぎり厳しい結果に終わった。過去にも予選通過者のいないWOCはあったが、いずれも次点の選手がいたり、その先を目指す手がかりはあった。今回は選手の報告を断片的に見る限り、その手がかりすらも見つけにくい状態のようだ。

我々日本で観戦していた者も蚊帳の外ではない。彼らは「日本のトップ」ではなく「日本代表」である。日本の競技力を代弁する代表である。彼らがどこまで到達できるか。それは、ピラミッドの頂点だけを一生懸命つまむのではなく、頂点を支えるピラミッド全体に帰納して考えない限り本当の意味での日本のステップアップにはならないだろう。
ピラミッドの一部にいるすべての競技者が、数字だけの結果の良否に終わることなく、今回ウクライナ代表の選手が感じたことを共有していくことが大切だ。
もちろん自分もその一人である。

土曜日, 8月 18, 2007

2/100名山

妻と娘がお盆で母方の田舎に帰省した。

まるまる週末一人になるなんて、1年以上ぶり。
こういう時、普通男ならどうするか?
独身時代の友人と酒を思う存分飲む。ゆっくりビデオでも鑑賞する。あるいはよからぬ目的で夜の街を徘徊する・・・。

それが普通かもしれない。
「アルプスに走りに行く」といったら、(あんたも好きねえ)とあきれたような顔をされた。

実は当初、ロングトレイル好きな柳下君の紹介で、上高地を中心として北アルプスを一周する壮大なロングトレイルの「練習会」を耳にした。はじめこれに参加しようかと思った。コースタイム44時間を30時間以内で廻るという。よくいえばロマンのある、悪く言えば物好きな、でもなんともチャレンジングではないか。
でもさすがにそんな長い間走った経験もないので、ちょっとこわい。夜はどうするの?
という質問に「そうですねえ、一応ツェルトをもっていって眠くなったら仮眠します。寒くなったらまた走りだすかな」とのこと。
いろいろ悩んだ末、初対面の人々に迷惑をかけられないし、もう少し経験を積んでからと、参加を断念した。

その代わり「南アルプス」にいくことにした。
南アルプスに行くには一応わけがある。

2年前、妻が友人と鳳凰三山に行った際、「子宝に恵まれるのよ」と賽の河原から小石を拾ってきた。
それから1ヶ月、ご利益があったせいか娘を授かった。
無事娘も1歳を向かえ、「ありがたい石をまた戻しにいかなきゃ」が最近の妻の口癖だった。
「僕が戻しにいってくるよ、ついでにもう一個新しい石をもらってこよう」

金曜日の夜、仕事が終わった後深夜に車で山梨へ。途中仮眠をとってバスに乗り継ぎ広河原へ。バスの下調べが悪く途中待たされて付いたのは11時過ぎ。初日は本当は間ノ岳と北岳を目指していたのだけど、北岳の往復に変更した。広河原からの北岳はひたすら登って降りるだけ。がれ場や雪渓もあって走れるところはほとんどなく、登山モード。往復11kmで4時間、登り1700m。それでも天気に恵まれ気持ちの良い登山。

下山後は石和の健康ランドに戻って仮眠。日曜日の早朝に再びアルプスに向かい今度は夜叉神から尾根道トレイル。こちらは標高2000m-2500m程度の尾根でスイスのプレアルペンの森を思い起こさせ気持ちよい稜線だった。急斜面ながら針葉樹の巨木かまばらに生え、森は100mまで先が見通せる。そのあたりの窪みにフラッグが見え隠れしそうな、そんな風景が続く。

鳳凰三山の薬師岳が近づいて標高が2500mを超えるとさすがにごつい花崗岩の岩場が増え、ところどころ手足をつかう登山が出てくる。それでも地蔵岳のオベリスクまでそれほど苦ではなかった。賽の河原に到着し、お地蔵さんにお礼を言って石を新しいものに交換。よい子に恵まれますように。
下山は広河原へ。急斜面だけどステップが下りのいい練習になる。筋肉がいい加減悲鳴を上げそうになったころに漸く車道に到着。朝の早い時間に走り始めたので時計はまだ11時過ぎ、実走5時間10分、17km、標高差2100m。

久しぶりに3000m級の山に登ったら、急に登山が恋しくなった。心を和ます癒しの力がある。
そして、日本にもまだまだ知らない素晴らしい山が沢山ある。旺文社の登山マップを広げると、新しい計画ばかりが思い浮かぶ。今回は4,5時間と比較的短めにしたが、今度はもう少しロングトレイルにチャレンジしよう。


金曜日, 8月 10, 2007

1秒!

霧の中から新田見さんが降ってくるように現われて襷を受けた時、自分のスタート時間を確認することなどすっかり忘れてた。

富士登山駅伝の8区。距離2.6km下り650m。走りなれた7区に比べて後半緩やかになり、勢いに乗りすぎると腰を悪くする。1時間ほど前に宮原さん(滝が原)の目の覚めるようなスタートダッシュを見てしまったせいか、無意識のうちに体がスピードを出そうとしてしまう。けれどもすぐに体全体の筋肉が悲鳴を上げて、あわてて自分なりのスピードに落ち着かせた。

霧は相変わらず深く、自分がどこまで降っていけばよいのかさっぱりわからない。かなり長い時間下った感覚があって時計を見るがまだストップウォッチは2分30秒、すでに腰に痛みを感じて、残りの数分が絶望的に感じてきた。

やがて斜面はやや緩くなって左右にカーブする。ダウンヒルスキーの要領で、なるべくスピードを落とさずに、体に負担をかけないように、砂山で衝撃を吸収し、コースどりを工夫しながら下っていく。時々礫のクッションが薄い部分も現われ腰への衝撃はますます辛くなる。

永遠に続くように思われた礫の荒涼とした斜面にも、やがてぽつぽつと緑の塊が見えるようになってきた。
レースを追えて下山する選手、登山客、自衛隊の支援隊などが、「がんばれ!」とあちこちで応援してくれる。

ようやくゴール近くの山小屋を超え、残り1分程度になった。腰はもう限界にきている。周りの応援もずいぶん威勢がいい。
そのうち「まだいけるぞ!」「あと30秒!」といった掛け声も聞こえてきた。

知り合いがいるわけもないので、こんな平凡な順位の選手にずいぶん真剣に応援してくれるな、のんきにそんなことを考えてちょっと不思議にも感じたが何が起こっているのか相変わらずわからなかった。

ついに最後の鳥居が見えた。時計を見るとすでに8分を超えている。下りもあまりいいタイムではない。

そして鳥居をくぐり舗装道に出てすべてを悟った。

数十m先には今にも走りそうな体制で構えている30人ほどのランナーの後姿が見えた。一番端にいる青年だけがこちらを向いている。そして僕に気付くなり手にしていたピンクの襷を地面になぐりすてた。

あわてて最後の数秒を死に物狂いで加速し、景山君に緑の襷を渡した瞬間、
「パーン」
景山君は集団のランナーにあっという間に飲み込まれた。

ランナーの集団が九十九折から消え、静かになると、
周りの人の何人かが拍手をして讃えてくれた。ふとみるとやっちゃんがにこにこして立っている。僕も思わず笑い出してしまった。
「2号8尺からは、8分以上あるから大丈夫と連絡があったんですよ。でもぜんぜん姿が見えないからずいぶん気をもんだんですよ。」

富士登山駅伝は下りの8区ー9区の中継点で4時間
以上は繰り上げスタートとなる。我々レベルのチームではそれまでの選手の出来により、微妙な関係にある。襷をつなぐことは一つの大きな目標だ。

確かにあまり速いタイムではなかったが、そこまでぎりぎりになっているとは知らなかった。最後の1,2分、腰が砕けそうで何度となく弱気にスピードを緩めそうになったが、なんとか我慢して自分なりにスピードを維持した。あそこで手を抜いていたらと思うと、ほっとしたと同時になんだがひやっともした。

結局早稲田の助っ人トリオ、景山君、今井君、佐々木君の頑張りもあって無事襷を46km、標高差3000m以上を往復し、昨年とほぼ同じ4時間47分という結果であった。

個人的には13年前の4区から5分も遅いタイムに、登ったあとは泣き出したいくらい情けない気分だったが、間一髪の襷リレーにすべてのことが帳消しになった。これが個人で味わえないリレーの醍醐味だろう。

40歳になってベストタイムで走る新田見さん、初めての経験に素直に感動している早稲田の学生、寄せ集めのチームではあったけど、終わってみると一期一会、このメンバーで走れたことに感謝したい。

佐々木(早稲田2年)-美濃部(筑波OB)-景山(早稲田4年)-鹿島田(東大OB)-新田見(東大OB)-今井(早稲田OB)












土曜日, 7月 28, 2007

トレイルランの夏

今シーズンはトレイルランをメインに走ってる。

春から、青梅のモントレイル、箱根の50K、北丹沢に参加、そして昨日は富士登山競走を5年ぶりに走った。
毎年遠征していた頃は夏は試合調整期。疲労をためるようなレースは控え、オリエンテーリングに集中する時期だった。
夏は比較的低地でやるOLよりも1000m以上の山に登ったほうが気持ちよい。遠征もない今年は、疲労を気にすることなく山を楽しんでいる。
日本の山はいい。あらためて感じる。丹沢のような1000m級の森深い山にも、3000mを超える森林限界を超えた高山もそれぞれに良さがある。
欧州遠征を気軽にすることはもはや難しくなってしまったが、その分日本の中でまだまだ知らない美しい山に行ってみることが、これから数年の楽しみだ。

ただ、皮肉なことになかなかレースの結果は伴わない。
箱根でそこそこのレースができた以外はいずれも満足な走りができてない。昨日の富士登山ではベストより37分遅く、大学1年次に参加した18年前より悪い、ワースト記録だった。
あまりレースへの調整を意識してないせいもあるが、それにしてもふがいない。
正直なところ全日本で勝っていなかったら、自分のアスリートとしての低落ぶりにあきらめていたかもしれない。
でも、まだもう少し辛抱して持久力の向上を目指してみよう。

今シーズンは残り富士登山駅伝、御岳のスカイマラソン、三河のトレイルに参加する。その他北アルプスなどにも走りに行こうと思う。山耐には参加できないが、9月いっぱいまではトレイルラン中心に走るつもりだ。


月曜日, 7月 16, 2007

二世の時代

JWOC2007が終了した。
90年に始まったジュニア世界選手権がはじめて欧州を離れ、オーストラリアで開催された記念すべき大会。
WOCで活躍している選手の多くはジュニア時代からその片鱗を見せるので、JWOCのリザルトは良く見ておくと、その後の選手の成長が見れて面白い。

それにしても今年のリザルトに並ぶ名前を見て時代の流れを感じてしまった。

女子のミドルで優勝したJenny LÖNNKVIST
彼女の父は80年代に活躍したLarsである。
WOCでの活躍はほとんどなかったが、SWE国内では強い選手で、87年に高校生で始めてO-ringenに出た時、総合優勝していた。
北欧人とは思えない華奢な身体だがスピードのある選手で当時、あのような選手になりたいと憧れたものである。

男子のTimo Sildは、旧ソ連圏に初のメダルをもたらしたSixtenの息子。
そしてNORのErik Sagvoldenは、80年代にOivind Thonなどの陰に隠れてしまったが3度のWOC2位をとった無冠の大器Toreの息子らしい。

日本でも、高野さんの長女美春ちゃんが2回目のJWOC出場を果たした。

かつて若い頃に憧れていた選手の2世が活躍している。
そうおもうと、自分も歳をとったものだ。

そういえば、ミドルで3位になったMartin Hubmannはスイスのエース、Danielの末弟らしい。次男のBeatと共に将来兄弟3人WOC代表も夢ではない。

こうしてみるとオリエンテーリングは日本でも世界でも、やっぱり家族スポーツなんだな、と感じる。

火曜日, 6月 26, 2007

ドーピング危機一髪

喉に異変があったのは前の週の金曜日


金曜日に恒例の、「業務効率化プロジェクト」で議論が白熱、あまりコンディションは良くないのに遅くまで会議室でしゃべってたせいか、家に帰る頃には喉に違和感を感じた。全日本まで10日もないのに、やな時期にきた。

翌日の土曜日は朝から明らかに喉が痛い。土日は特に遠出の予定もなかったので娘を検診に連れて行く程度で、家でのんびり過ごした。全日本前でもあったし日曜は激しい雨だったので思い切って2日ともトレーニングはオフに。


しかし次の週になっても喉の痛みは取れない。ガラガラ声になり、痰と咳が出る。妻も心配してか火曜日の朝食卓に「葛根湯」が出ていた。
「ちゃんとお薬飲んで治さないと週末北海道にいけないよ」

思わず妻の言葉に素直に薬を飲みそうになったが、3年前まだ日本代表だった頃、合宿等で説明を受けたJADAの薬物リストがふと頭に浮かんだ。だけど手元にリストはないし、朝で調べる時間もない。念のため薬を飲むのをやめると、妻は驚いたように反論した、「まさか、そんな大丈夫でしょう?」
(代表選手ならいざ知らず、なぜあなたがそこまで気にするの?)そんなニュアンスもあったかもしれない。自分でも(検査引っかかる確率はすごく低いし・・)という気もした。でもスポーツ選手の端くれとしてのプライドがあったのかもしれない。

「いや、だめだやめとこう」
そういって、あきれた顔の妻を残して家を出た。

夕方妻からメールが入った。電話してみると
「やはり葛根湯はやめた方がいいみたい。のどの薬も1週間以内は気をつけた方がいいって」薬屋に問い合わせた結果を教えてくれた。

週末になって若干良くなったが千歳に向かう飛行機でも咳がまだ出た。レンタカーでルスツに午後着いて、夕方裏のスキー場のある山をジョギングで登った。身体は思ったよりよく動いた。喉の痛みはうっとおしいがレースにはそれほど影響ないだろう。

日曜日は、高速な道走りと極端にスローペースな溶岩地帯のコンビネーションで予想外のコースだった。昨日の感触通り身体は比較的動いた。それでも熊笹や激しい溶岩地帯ではストレスが溜まるオリエンテーリングだった。それほど良い感触ではないが、ある程度のミスは許容されるレースだろうから、もしかしたら3位にはいけるかもしれない、そう感じてゴールした。

オープンクラスで出走した妻が、親切な運営の女性に娘をあずけている予定だったので、ゴール後大急ぎでバスに戻った。

汗だらけのまま会場に戻って、会場の入口で靴を脱ごうとしている時にふと声を掛けられた。
「ドーピング検査の対象です。このパスを着用して1時間以内にコントロールステーションまで来てください」
シャペロンと呼ばれるドーピング検査の誘導員である。後で知ったことだがゴール直後から僕の後を追っていたらしい。
一瞬と惑ったが、あたってしまったものはしょうがない。

事情を説明して友人たちに娘をもう一度預け、自分はとりあえず汗だけ拭いて着替えて、「じゃあ20分で戻るから」とあまり根拠もなく伝えて、シャペロンとコントロールステーションに向かった。

ホテルの道を隔てて反対側のタワー内にあるステーションは、大きな宴会場のVIP用待機室で、ふかふかのソファーが並び、思ったより居心地の良い場所だった。
「レース後はなかなか尿意は催さないものです。焦らず水分とをってリラックスしてください」
そうはいえ娘を預けているし、妻もいつ戻るかわからないので、早く帰らなきゃ。

500mlのペットボトルとポカリスエットを飲めるだけ飲んだ。ところがいくら飲んでもなかなかこないものだ。 お腹がだぶだぶになっても尿意はやってこない。
幸い番場さんや篠原と気安い選手も当たっていたので、途中からあきらめもついてたわいもない話をしながらのんびり待った。

結局サンプルを取れたのは、ゴールしてから3時間近くたって合計3Lの水分をとった後である。
(後で気付いたことだが、一度ステーションに来れば、あとはシャペロンの監視のもとどこにいてもよいとのこと。ルールを理解することはいろいろな意味で大切。)


ドーピングテストの手順は徹底している。悪意ある者の策が入り込む余地が針の穴もないよう考えられている。基本的に信じられるのは自分のみ。サンプル瓶を選ぶのも、照合用のナンバリングもサンプル採取も分ける(よくいうAサンプルとBサンプル)のも、ビンの蓋を閉めて箱に入れるのも、全て検査員の立会いの元で自分の手で行う。逆にいえば、「あなた自身ですべてやったでしょ、だから結果は間違いないはずですよ」といわれてるような気がする。

すべてが終わって、サインを終えて完了。 かれこれ30分かかかったろう。ゴールしてからはすでに4時間近い。
「3週間くらいでHP上に結果が出ます。結果は照合No.のみしか出ません。もし何か(陽性)なければ特に連絡はしません。」


はじめて経験したがドーピングテストは大変だ。オリンピックスポーツなどでは大いにクローズアップされているが、オリエンテーリングでもWOC,ワールドカップ等で実施されている。スポーツをやっていて一度は経験するべきかもしれない。そういう意味では今回はラッキーだった。

ドーピングテスト中に、検査員の藤井さん経由で今日のレースの結果を確認して欲しいと依頼していた。表彰式の時間になっていたし、最終結果がどうなっているか分からなかったからだ。

「かっしーさん優勝ですよ」携帯で結果を確認してくれた検査員の一人の片岡が教えてくれた。

「えっ」 狐につままれたよう。半信半疑で会場に戻ってみると、善徳や俊介、柳下君が祝福してくれた。 妻もとてもよろこんでいる。

改めて、あの時葛根湯を飲まなくてよかった。「もし飲んでいたら」と考えるだけで恐ろしい。マイナスポーツとはいえ日本選手権者が失格というゴシップは、自分はもちろんオリエンテーリングにとっても大きな打撃になっていただろう。

オリエンテーリングもドーピングコントロールのある立派なスポーツだ。選手には是非アンチドーピングの知識、意識を持って競技を続けて欲しい。





月曜日, 6月 18, 2007

続けてみるもんだ

全日本優勝しました。

冷静に考えれば、いろいろな条件が重なった結果。

何人の人が見たかわからないけど、
今年の1月こう書きました。
「2007年は12年ぶりの全日本優勝。今の時点ではちょっと高めの目標だけど、今の好循環を保てば視野に入るはずだ。無理しすぎず低すぎず、チャレンジングな目標として目指したい。 」

今一番速いわけでもない。強いわけでもない。ウクライナを走る選手との差は歴然としてある。それでも勝負というのは、走ってみなければわからない。

12年前とは全てが違う。
生活環境もライバルもそして自分自身も。
怖いものなしのスピードでラップを取りまくって、3位に16分の差をつけた24歳
最高で3位のラップでひたすら耐え、3位と20秒しか差のない36歳

神経系も大分鈍くなった。翌日じんわりと感激が押し寄せる。
走り続けて本当に良かった。

日曜日, 6月 03, 2007

演出の重要性~箱根トレイルに思う

5月27日のOSJハコネ50Kに参加した。

自分の成績は別として、スポーツにおいて如何に演出が大切かを感じる大会だった。
この大会、昨今のトレイルランニングブームに乗って、ノースフェイスがメインスポンサーとなって今年始まった大会である。一流選手の参加や、多方面への宣伝もあって、第1回大会としてはかなり知名度は高かった。

もともとトレイルランは、山岳走やマラニックと呼ばれ、どちらかといえばストイックでエキセントリックであり、スポーツとしての知名度は低かった。10月の山岳耐久にしても、かつては知る人ぞ知る大会であった。優勝者は讃えられるものの、究極のアスリートという捕らえ方よりも、物好きの域を出ていない印象だった。
数年前から石川弘樹が活躍し、プロのトレイルランナーとして有名になった頃から、トレイルランという言葉が定着したように思う。その後の鏑木さんや横山さんの活躍もあって、スポーツとしての魅力が広く認知されてきた。スポンサーが投資をしたくなるような、競技としてのイメージ、PR性が伴い、人気とスポンサーの増加が両輪となって雪だるま式に成長を始めた感がある。
それでも北丹沢や、山岳耐久は、人知れず山を黙々と走る地味な一面があることには変わりない。一般の人には馴染みのない登山道や林道、里山に位置する競技会場は、地元の人以外には目に付くことはない。

大会の考案者、そしてメインスポンサーのノースフェイスがはじめからプランニングしてたかはわからないが、箱根の50Kはそうした日本のトレイルランの内弁慶なイメージを払拭することに成功したように思う。
箱根湯本という観光地をスタートし、太陽の降り注ぐ見晴らしの良い防火帯が続くトレイルを走る。随所での登山客、観光客が応援可能なコース設定。そして神山という厳しい山を越えた後の彫刻の森でのゴール。いろいろな意味で今までのトレイルランにはない開放的な印象を受ける。そしてなんといっても、モダンな彫刻の森のゲートを潜ってのゴールは、長い大自然の中でのレースと対照的でドラマチックだ。こうした演出はヨーロッパなどの自転車競技でもよく見られる。何百キロも大自然のロードを走ったり、あるいは山岳オフロードを走ってきた選手が、観客に溢れかえった都市のど真ん中の広場にゴールする。冒険映画のクライマックスで英雄が帰還したかのような錯覚は、ただ50kmを走ったという満足感以上の高揚を完走者に与えてくれる。
もちろんこうした演出には、細かい部分からの配慮が必要だ。役員のウエアは明るいブルーのTシャツに統一され、スポンサーロゴの旗を振る。ゴール地区の広場も華やかなテントが並び、洒落たカフェテリアでコーヒーを飲みながら仲間を待つこともできる。応援を楽しみながらサポートしている運営者との一体感もここちよい。自分もチャンスがあればチャレンジしたい、そう思っているかのような若い運営者が多かった。頑固そうな山岳関係者が毅然と運営している山岳耐久と対照的である。

もちろん来年も出たいと思う。上位を目指そうという気になる。参加者にそういう魅力を植え付けた。
第1回なのでいろいろと課題はあっただろうが、まずは参加者にこうした印象を抱かせたところで大成功の大会だったのではないか。
こうした大会を見ると、ふと考えてしまう。われらが日本のオリエンテーリングがこうした華やかさを手に入れる日はいつだろうか。競技としての成熟度は遥かに先輩であるオリエンテーリングの発展は頭打ちだ。何故我々のスポーツはこうした発展を手にできないのだろうか。物を買わない、外見にこだわらない、飾ることへのエネルギーを惜しむ傾向にある、オリエンティア。真面目だが内弁慶でPRすることが苦手だ。その特性が一般のアウトドア愛好者、スポーツ関係者との垣根を高くし、スポンサーを集めづらくしている面は否めない。競技そのものの質が、こうした開放感とは無縁なのか。それとも日本のオリエンテーリングの発展の歴史の中でそうした文化が定着しているのか。ヨーロッパでも決して商業的に成功しているスポーツとは言いがたいがそれでも、演出に優れたレースは沢山ある。日本のオリエンテーリングにももう少し状況の改善余地はあるように感じる。
昨今、元(あるいは現役)オリエンティアでもアドベンチャーやトレイルで活躍している選手が増えた。田中正人、許田、丸井、柳下、樋山、村越、宮内などなど。逆にオリエンテーリングを楽しむアドベンチャーレーサーも増えている。こうした文化交流が、膠着したオリエンテーリングの地味な文化を少しづつ変えていくのではないか。そう期待している。

さて、話はかわる。結果は。僕自身は終盤ペースが上がらず、8時間を切ることができなかった。トップの25%増しは山耐でいえば10時間に相当する。もう少し行けると思ったが・・悔しい。樋山君(7:02)や柳下君(7:22)は素晴らしい結果だった。彼らと同じとは言わないが、後半維持する持久力をもう少しつけて来年はあと30分タイムを縮めたい。

残念ながら妻は直前に痛めた腰痛が治らず、早朝に説得して出走を回避した。僕以上に楽しみにしていたのでとても残念そうだったが、この距離を腰痛抱えて走るのは自殺行為だ。きっちり治して次のレースに臨む。


月曜日、気付いたら乾かしていたハイドレーションを娘が・・・・。
すでに使う気満々らしい。
第19週 6時間10分 Run56km+Bike12km
第20週 8時間35分 Run64km+OL11km
第21週 5時間55分 Run50km+OL5km
第22週 13時間05分 Run85km+OL4km+Bike22km

土曜日, 6月 02, 2007

一足先の北海道



23日~25日は北海道に出張。
6月には全日本でも遠征する予定だが、全日本のニセコとは大分遠い釧路へ。

空港を降りてバスに乗った時から風景が違う。
まだ早春の新緑と薄いピンクの桜が咲くなだらかな丘陵地。
朝の公園をジョグしても、東京のようにしつこい雑草も生えない綺麗な芝生にタンポポがかわいく咲いている。

寒帯に属す北海道はどこか気候も風景もヨーロッパに近い匂いがする。
こういうところに住んでいると、人間の性格形成にも影響するだろうか。

最終日には飛行機までの短い間にJRの鈍行に載って釧路湿原の端までいって雄大な風景を15分だけ拝んできました。








WOC2007選考

5月13日の多摩OL大会と26日の富士でのミドル選考会

ウクライナで開かれる2007年世界選手権の選考会に参加した。
結果は13日のロングが6位、ミドルは7位。

ロングの方は順位こそあまりよくないが、3位との差は1分で、内容的にも悪くは無かった。巡航スピードも103と納得はいかないが最近ではましな方である。ベストラップも2,3取れたところを見てももう一歩のところまで戻っているという実感があった。

一方ミドルは惨敗。溶岩地帯と藪のきつい地形に最後までリズムを合わせられなかった。
もっとも多くの選手がミスを重ね、つぼりあいのレースだった。それでも「世界選手権に出たい!」と強い意志のある選手はレースをなんとか建て直して42分前後ではまとめている。
自分は序盤からミスを重ね、途中立て直すチャンスがいくどかあったにも関わらず、最後まで凡庸なミスを重ねてトップと6分の45分までタイムを落とした。

オリエンテーリングは戦略のスポーツだ。ナビゲーションとフィジカルという手持ちの武器を組み立ててどうやって最大のパフォーマンスを為すか。
フィジカルはもちろん、最近のレース数の少なさからナビゲーションまでが平凡なのであれば、それをまとめるタクティクスで自分の最良の結果を引き出してこそ経験の多いヴェテランの真骨頂のはずなのだが・・・。

もっとも参加する前から動機付けが中途半端だった。春の時点で遠征に対しての明確な目標を失いかけた後、そのまま惰性で参加した感がある。目標へのコミットメントが薄れ、逃げ道を自分で作ってしまった。

思えば世界選手権をはじめ国内の選考会で落選したのは1987年の高校2年生のWOCフランス大会以来だ。
自分で思う存分準備して強い意志をもって参加して落選したのなら悔いはない。
ただ中途半端に望んで自分の中の一つの砦を壊してしまったのは残念だ。

今年のチームは男子4人だった。
紺野・松澤・加藤・小泉
誰が見ても今、WOCで「何かあるかもしれない」と思えるのは、この4人と(今年をスキップした)高橋、山口の6人だけだろう。

もう少し若い世代、坂本、高橋雄、今井あたりがチーム入りしなかったのは残念だが、現状では必要にして十分なメンバーだ。
活躍を期待したい。


日曜日, 5月 06, 2007

Golden '2' days

GW後半は富士のGolden 4daysの2日目、3日目だけ参加。

今回は、ロブ氏を中心とした少ないメンバーを中心に、日本代表チームが運営を全面的にサポートする形で開催された。今回は家族の事情もあってお手伝いはできず、2,3日目だけに参加者として富士に向かった。

娘の面倒を見てもらう都合から2日とも僕と妻のスタート間隔は1時間程度。二人がいない時間が数十分空いてしまう。当初は遅刻スタート覚悟でいたのだけど、運営をしているメンバーや、羽鳥家の小さなお姉さんたちが快く預かってくれた。

おかげさまで2日とも正規のスタート時間に走ることが出来た。

久しぶりにレースの内容について真面目に振り返る。

2日目は村山口登山道をメインとしたダウンヒルコース7km。2日前のトレイルランの影響もあまり感じずに、比較的高い心拍で追い込んでレースを進められる。
この2ヶ月くらいオリエンテーリング中の心拍が170前半までしかあがらなかったことと比較すると、いいコンディションだ。中盤の11→12でミスルートとアタックミス。その他は細かいところを除けばまずまずのレースだ。
この感触なら、トップとの差は2分程度には抑えたかったが、結局3分半差の56分半の3位。11→12で1分半のミスがあったことを考えれば仕方がないか。巡航スピードも105とまだ今ひとつだが、全体で平均HR177は自分としては質の高いレースのはず。感触は悪くなかった。

3日目は砂沢→村山口のロング。最近疲労の抜けが悪く、連日レースをするとパフォーマンスが日に日に低下する傾向にある。フィジカル面で昨日の好コンディションを維持できるかが一つの課題である。。
レースは流石に若干の重さは感じるが、それでも踏ん張りに身体が反応する。前半はほぼ昨日の感触と変わらずにレースを進める。
前半1時間が終わったところで、バタフライループ。ここで地図の番号記載ミスがあった。1分程止まって自分の進むべきループをデフから推測。次にレースの混乱を防ぐ方法はないか、ちょっと考えてみたが、今から自分が報告に行ったところでもうどうすることも出来ない。結局そのままレースを続けることとする。
このあたりからペースが落ちてしまう。23番までHRは平均175できているが、ここから後半にかけてHRは160台に落ちてく。調度体力的にも疲労が見えていたこともあるだろうが、レースの緊張感が一旦途切れてしまうとなかなか回復するのは難しい。
ループの藪と登坂で大分体力を消耗し、厳しい終盤、33番直後で脚を滑らせ右脚腿を打撲。激しい痛みに一瞬ぞっとするが、幸いほど酷くはなかった。その後はペースダウンするが幸いレースは残り数分。
タイムは99分でトップの松っちゃんより9分遅れ。終盤の怪我以降のロス2分程度を差し引いても8%の差がついた。現状だと95分がいいところだろう。90分は出そうにない。
HR平均は全体では170と低いが前半1時間は174である。後半の落ちが明確だ。巡航スピードは107、トップは98だから9%の差である。これは大きい。せめて5%以内に抑えなければいけない。
ミス率は14%、ショートレッグの多いコースなのでどうしても多めに出てしまう傾向にはあるが、これも多すぎる。しかしこれはミスが多いという要素もあるが、レッグにより自分の得意不得意の傾向が大きいことをむしろ示しているだろう。

そして、ラップ全体を見ると概ね自分の傾向が見えてくる。弱い(=遅い)レッグに共通しているのは

・柔らかい斜面の登り
・急斜面や亀裂の多い箇所
・倒木などが多く走るのに筋力が必要な荒地

ある程度スピードに乗って走れる部分では100-105%を維持できる。しかしこうした筋力を必要とする
部分では確実に110%を超えてしまう。
考えてみれば、こうした部分では当然身体全体の筋力を使う。こういう時の苦しさは、ロードランニングはおろか、トレイルランでもそう頻繁に感じることができない。オリエンテーリング特有の筋力だ。
森でのトレーニングの絶対量が少ない自分がこうした点に弱点があったとしてもある意味当然だろう。

かといって自分はオリエンテーリングの絶対量を増やすことには限界がある。であればとる方法は2つ。

・弱点を克服するほかの方法を模索するか、
・あるいは弱点には目をつむって、自分の長所を伸ばすことに専念するか。

実際にはその両方に取り組む必要があるだろう。富士で速いオリエンティアを目指すわけではない。もはや北欧の岩場で最高に強い選手となる(ことはもちろんオリエンティアとしては夢であるが・・・)必然性も薄い。だとすれば、現実的な目標としているレースでどういった要素が一番必要か、それを考えながらトレーニングを考えることが大切だろう。

次は多摩のレース。テレイン的には地面ももう少し硬く、道と斜面のコンビネーションであることを考えると富士ほど筋力を必要とする部分は少ない。
はるか22年前、中学3年次に朝日大会で優勝した弦のいいテレインでもある。
もう少しいい結果を望めそうな条件は整っている。

レース後、家族で樹里木高原にある越前山に軽く散歩。緑が本当に美しい季節です。

第18週 11時間50分 Run77km+OL18km





木曜日, 5月 03, 2007

意外にハード~箱根トレイル


5月2日は、妻とともに箱根でトレイルラン。

5月27日に開催されるOSJ箱根50Kの終盤のコースを走ってみた。

箱根町~芦ノ湖西岸湖畔~桃源台~神山~早雲山~強羅~彫刻の森の約20km。

妻のペースだけど、実走で4時間弱。途中道迷もあったけど、レースの終盤と思いきや、結構ボリュームはある。
芦ノ湖湖畔は本当に快適なトレイル。日本の、しかも東京の近郊にこんな静かな、うっそうとしたしずかな森を走れるところがあるとは。
当日は、湖に靄がかかっていて、とても神秘的。北欧やスコットランド地方の湖岸の路を走っている錯覚に陥った。
後半は打って変わって神山への厳しい登り。一気の登りは700mで山耐の三頭山よりきつい。トレイルも岩が多かったり滑りやすかったりであまり条件はよくない。神山をすぎると硫黄の匂いがどこからもなく漂う。有毒ガス危険の看板にちょっとびっくりしながら早雲山に向かう。大涌谷の分岐までのくだりは岩場が多い。その先も早雲山からの一気下り、さらに早雲山駅からの舗装道の急斜面は疲れた身体にはかなり辛そう。強羅付近の観光地の真ん中を通ってようやく登山電車が見えて彫刻の森に着く。
前半の湯本~金時山~海の平は、逆コースを何度か走ったことあるので、これで一応一通りコースを走ったことになる。
けど、結構きつそうだなあ。
当初は、ウイニング5時間台、自分の目標が6時間台かと思っていたけど、トップでも6時間はゆうに超えるのではないか。あるいはこんなコースでもトップは6時間程度で走ってしまうのだろうか。当日が楽しみだ。

それと、一つ感じた点は、山耐よりもコース全体で変化に富んでいて、人の多い地点も所々通ること。人知れぬ山奥で黙々と夜道ひたすら走る山耐に比べて、殆どが昼間で観光客登山客の目にも触れる箱根はより開放なレースになる気がする。そういう意味では山耐が「山岳走」なのに対し、箱根は欧米の匂いがちょっとする「トレイルラン」になるかもしれない。




土曜日, 4月 28, 2007

Golden Week!



いよいよ9連休のGW。
日本特有の言葉らしいけど、海外から来た人は'sounds fantastic!'とそのネーミングをほめる人が多い。就職してなかなかGWをずっと休みとることが難しかったけど、ここ3年はフルに9日間取得。今年も予定はそれ程多くはないけど、何をしようかワクワクする。
そしてサラリーマン選手にとっては、トレーニング量を稼ぐチャンスでもある。

ということで、初日土曜は妻に留守を預けて午前中だけ一人で鎌倉のトレイルへ。

走るには快適な気候だ。
北鎌倉から上り始めて、瀬上池付近の森林公園をグルグル廻るいつものコースで約25km、2時間半。

先週のハーフで、坐骨神経痛が再発して今週はジョグばかりで様子を見ていたけど、
ようやく左臀部の痛みも気にならないくらいに収まってきた。トレーニング負荷も低かったせいか体は比較的フレッシュ。森は緑が大分生い茂ってきたけど、まだまだ新緑の緑もあって十分鎌倉の森を楽しむことができた。

第16週 7時間35分 Run65km+OL4km+Bike17km
第17週 9時間00分 Run89km+Bike8km






木曜日, 4月 26, 2007

初めての遠出

21日の土曜日は娘と辰巳の森に向かった。

心配性の妻は相変わらず、風が強いから遠出しないように、と言い残して出かけていったけど、天気もいいし、留守番しててもあきてしまう。

りんかい線があるので新木場経由で1時間もあれば公園についた。
スプリントとはいえ娘と二人でオリエンテーリング会場にいったのは始めて。

幸い美濃部家や国沢家もきていた。娘は美濃部おとうさんにしばらくあずけてレースに参加。

途中で非計時区間があったせいか、短いスプリントをインターバルで2本という形に近かった。地図の精度はさすがだったけどコースはスプリントとしては若干ひねりが足りない印象。
個人的にはどうも日本ではまだまだスプリントのコースが全般的にこじんまりしていて、コンセプトにかけるように感じる。テレインの制約もあるけど、もう少しメリハリをつけたる工夫の余地はある。

翌日にハーフを控えていたので心拍175未満を目標に走った。最後ちょっとオーバペースだったけどほぼ予定通り。ミスはないのでトップと1分差程度?と思ったら甘かったトップとは1分半差がついた。

大助はさすがのタイム。聞けば翌日の東日本親善ハーフにも出るとのこと。相変わらずきれのいい走りをしている。彼の活躍は同じ子持ちとしてはとても刺激になる。

娘はお腹すいたりで少しぐずったけど、離乳食のお弁当で直ぐに元気になった。ちょっと日焼けで顔がかさかさになってしまったけど、まあこのくらい少しは外の風にあたった方がよいだろう。

土曜日, 4月 21, 2007

Tokyo MidTown

木曜日は大学の学科の同窓会で、できたばかりの六本木のTokyo Midtownのホテル・リッツ・カールトンに行った。


三井不動産を中心に三千億とも云われる開発投資をしてできた新しい都心の複合都市。「またできたの?」という感じがしないこともない。でもいってみると確かに洗練されたデザインの空間で、都会生活の好きな人にはたまらないかもしれない。
個人的には、はあまり行きなれた場所ではない。なぜうちのような学科の同窓会?という気もしなくもなかったけど、「都市工学科」だけに関係者がいるのかもしれない。


同窓会といっても、参加者は数百人、知ってる顔を捜すのにも苦労した。通勤電車並みに混雑した会場をぶらぶらすすると、それでも何人かの同期や先輩、後輩に会うことが出来た。


久しぶりに会う知人とひとしきりお互いの現状を報告しあうと、かならずお決まりの質問がくる。

「そういえば、なんだっけ、あれ・・・」
「オリエンテーリング」
「あ、そうそう、それ、まだ続けてるの?」


(もうその質問は一生しなくていいよ、死ぬまで続けてるから)と心で云いながら、「そうだねえ、まあ出来る範囲でね、なかなかやめられないね」となんとなく答える。

「えらいなあ、俺も運動しないと、体重増えちゃってさあ」


まあ自分の場合、皆ほど仕事に人生のリソースをかけてないからね。


でも、30半になれば、それなりに皆人生の駒を進めてる。独立して会社を経営しているやつ、ディベロッパーとして成功して福顔のやつ、持病を抱えながら自分なりに過ごしているやつ・・・・。
別に金持ちになりたいとは思わないけど、仕事でそれなりに自己実現している連中を見てると、それもまた面白そうなとも感じてくる。


まあやりたいことは五万とあるけど、それのどれを自分は選択するのか、それが人生だな。欲張っちゃいけない。


写真は、来賓として来ていた小宮山総長。となりの化学工学出身だからだろうか。新聞などでしか見たことなかったけど、なかなか気さくで面白そうな人でした。

妻の注文のTokyoMidTownのフロアガイドをもらって帰りました。

日曜日, 4月 15, 2007

2年ぶりの強化合宿


駒ヶ根高原で開催された強化合宿に参加。
強化選手としての身分で合宿に参加するのは2005年WOC前の7月以来となる。


当時はそれこそ毎週のように続く合宿、練習会に、正直飽きた感じもあったし、新鮮味も薄れてたけど、こうして久しぶりに参加すると、合宿はとても緊張感がある。

コースや地図は合宿といえど、手を抜いておらず質は高いし、参加メンバーのレベルも高い。こういう練習チャンスは、強化選手にいるときにはあまり実感できない。でも久しぶりに参加すると、とても貴重な機会だってことがわかる。1日日帰りの参加だったけど、駒ヶ根の緩斜面でのオリエンテーリングは、テクニカルな部分での自分の状態を知るにはとても良い機会だった。
ロブによるメニューは少々風変わりだが、合宿メニューの一つの手本となるだろう。スプリント、リレートレ、ヒルクライムT.T、コントロールピッキング×2本、直進練習×3本と盛りだくさんだが、すべてのトレーニングが5~10分で終わるため、トータル量はそれ程でもない。インターバル的にリフレッシュして次の課題に望めるので、フィジカル面でもテクニカルな練習としても質の高さを保つことができる。
個人的には一番収穫があったのはオリエンテーリングではないただ走るヒルクライム。
駒ヶ根の扇状地の一番下から上まで1km/up120mのトレイルを一斉スタートで走った。
さすがに代表レベルだから皆速い。スタートして始めの数十mでトップの集団5~6人にはついていけないことがわかった。
それでもフィジカルなコンディションは悪くなかったので、ひたすら前を追って登る登る登る。。意外と中盤以降粘りがでてぱらぱらと落ちてきた加藤・小山・そして善徳と抜かす。逆に不気味にスロースタートだった松澤に中盤一気に抜かれた。
結果は、後半ものすごい追い上げをした松澤が5'22で1位、ほとんど2,3秒の範囲にトップ集団だった円井、坂本、紺野と入ったようだ。流石普段から速いと思われるメンバーは速い。
自分は5'46で7.5%遅れ。最後の追い込みで一時的な酸素不足に落ちてゴール後動くことができなくなってしまった。ここまで追い込んだのは久しぶり。
苦手な登りで、この差は上出来かもしれない。1割以上の差がつくのではないかと危惧してたので少し安心した。
心肺機能はいい状態にあると感じているので、もう少しの筋力強化と、1~2kgの体重オーバを戻せば5%未満には持ってけそうだ。
その他の練習でも、駒ヶ根の地形で比較的対応もよく、ここ2,3週間の低調からちょっと自身を取り戻した。
この冬はほとんど一人のモチベーションでトレーニングしていたのだが、他のメンバーの森での走りや会話の中で、何とはいわないインスピレーションを受けたのも収穫だ。、皆WOCを4ヵ月後に控えて徐々にコンディションを整えているようだ。
次のオリエンテーリングの予定はGW。強い選手も多く出るようなので楽しみだ。
第14週 8時間15分 Run67km+Bike30km
第15週 7時間05分 OL13km+Run46km+Bike14km

神が降臨、茶の里


ちょっと遅くなったけど8日の茶の里入間の大会の報告。
家族3人で参加しました。
コースは思いのほか(といったら入間の方に失礼かも)面白く、地図も正確でした。ニューマップというから驚き。こんなテレインは残っていたんですね。
久しぶりに近郊テレイン特有の尾根沢と藪のオリエンテーリングを満喫できるコースでした。
主催者の親切な計らいで、夫婦のスタート間隔が2時間あり、娘のバトンタッチも十分時間がありました。
さて、レース内容は、ほぼミスのないレース。体調はそれほど悪くなかったけど、HRは平均172、最高180なのでこの距離にしては今ひとつ。

そして2位にはなったけど、「神が降臨した」かのような、完璧な善徳に5分以上の差。
ここまで速いと、悔しいとかじゃなくて、なんだがすかっとする。

今年善徳はWOCはいかないようだけど、
このレースをすれば世界選手権でも絶対いいところいけるはず、

日本チームのポテンシャルがまだまだあるような気がしてなんだか嬉しい気がした。
レース後は満開の桜を対岸に眺めながら、みちの会と渋谷の花見に参加。
この季節はなんともいえずワクワクするものです。
花見の最中に、妻が2時間かかってもどってきた。キャメルバッグが役立ついい気候でした。

木曜日, 4月 05, 2007

さくらの咲く頃

桜があちこちで綺麗に咲いている。

この季節は週末に森に行くのはもちろん、仕事で電車で移動しても、夜ジョギングしてもとにかく飽きない。普段はごちゃごちゃしていて全くつまらない都市に映る東京も、「結構風情のある街かも」と感じてしまう。

先週は青梅のモントレイルでさっぱり走れなかった。その後も疲労の影響で、ろくなトレーニングができず、脚の疲労と春の眠気でなんとも効率の上がらない毎日を過ごしている。それでもあちこちでピンクの桜を目にすると「よーし、疲れをとって次はリベンジ」とどちらかといえばポジティブな気分になってくる。

思えば、桜を見てこんないい気分になるのはいつ以来だろう? 10代の頃から3月といえば全日本を走っていた自分にとって、桜の季節といえば全日本が終わった直後。脱力感と、ほとんどの場合がレースへの悔しさを抱えたなんともさえない気分で迎える癖がついている。世間がにぎわう花見も、どこかすれた気分で横目で見るだけだった。

今年のように毎年気分よく桜の季節を迎えられるなら、6月の全日本はまったくもって大賛成だ。

土曜日, 3月 31, 2007

甘く見てはいけない


京葉の蓮沼海岸のスプリントに参加した。


ちょうど桜も咲き始めた頃。天気もすっきりとまではいかないけれど、雨もふらず走るには程よい気候。

予選・決勝方式のスプリントは2年ぶりなので、それなりの意気込みで参加した。


蓮沼は典型的なSandune(砂丘)terrainで海岸沿いに、数m未満の細かいピーク、凹地が続く。森も決して走りやすいわけでもなく、きちっとした地図読みと方向維持が求められる。


こういう林では、多少の要領の良さでごまかしながら進むナビゲーションはあまり得策でない。多少ぎこちなくてもきちっと地図を見てセオリーに従い直進、歩測をすることで格段にミスの機会を減らすことができる。エリートレベルであればさらにその手続きをどれだけスムーズに行なうかが勝負の鍵になる。


残念ながら、今回はまったく舞台の端にも乗ることなくレースが終わった。

一言で言えば雑だった。

なれた富士や矢板では、多少雑でも地形を読む経験で、それ程のロスを生まなくてすむ。

でも、こういった不慣れなテレインでは、正確さを伴わない曖昧なナビゲーションは修正がままならない。

決勝では2分以上のロスをして、10位にすら入れなかった。フィジカル面でも課題はあるけど、まずはナビゲーションの課題が第一だ。


加藤は予選決勝とも1位、この手ごわいテレインで一人完成度の高いレースをした印象を受ける。今はちょっと決勝の13分台は見えない。


オリエンテーリングをなめてはいけない。やはり半年近いブランクは、それなりのつけがあるんだやっぱり。矢板、富士で気をゆるめそうになったのをぴしっと打たれた感じでこれも貴重な体験。


ちょっとブルーだったので、今日は母親とお留守番だった娘と家で写真を一枚。
第12週 8時間10分 Run68km+Bike18km+OL5km

金曜日, 3月 23, 2007

春のトレイル

21日の祝日は久しぶりに高尾でトレイルラン

いつものお気に入りの城山湖方面から大垂峠を経由して城山に行くコース。
城山から高尾山経由で山口に戻ると18,9kmの比較的手軽なコースになる。

とても良く晴れて山には最高の日。 産後初めて妻と走りに行った


スプリングカップの疲れもあって、出だしの30分こそアップダウンが多くてちょっとつらいけど、その後は適度なアップダウンが続いて気持ちいい。大垂峠から城山までの一気登りだけ一人で気合を入れてHR160-170で頑張って登る。20号から標高差300mを16'59で城山に到着。その後は妻のペースに合わせてのんびりと下山。2時間45分程度。以前は3時間かかっていたのに妻も大分トレイルに強くなった?

ちょうど高尾山口周辺でおそばの割引キャンペーンをやっていたので、蕎麦屋でそばとビールを飲んで帰りました。

第11週 9時間 Run73km+OL5km+Bike17km

月曜日, 3月 19, 2007

Spring has come!




Spring Cupはもともと欧州のシーズン幕開けを飾る大会である。




スカンジナヴィア半島より少しだけ早く春の訪れるデンマークなどで、選手が冬の厳しいトレーニングの成果を始めて披露する場がスプリングカップである。怪我で調整の遅れている選手、上位を耽耽と狙う若手など、仕上がり具合は選手によってまちまちだけど、新しいシーズンを占うわくわくするイベントでもある。

そんな本場欧州の匂いがする日本のスプリングカップだった。



今年は、日本のエリート選手にとって、欧州の選手と同じように冬場にたっぷりトレーニングするチャンスが与えられた。カレンダーを見ると5月のWOC選考会、6月の全日本、8月のWOCに9月のクラブカップ、10月の全日本リレー。6月から10月に主要な大会が続く。例年全日本が3月にあるため、夏のWOCとシーズンのピーキングがスプリットしてしまい、その調整に苦慮する選手も多くいた。しかし今年は夏を中心としたゆるやかなピーキングが可能で理想的なスケジュールである。

3月はまだまだプレシーズンマッチ、そう位置づけて、まずはこのレースを本格的なオリエンテーリングの復帰戦に選ぶ。

娘もようやく9ヶ月。妻との家族会議の結果、娘を連れて1泊2日の遠征をすることにした。娘にとっては実家などを除けば始めての外泊。さすがにそれなりの宿を・・・と十里木高原のクリッククラックに宿を取った。



あまり人見知りをしない娘には何かと助かっている。土曜日は翌日のレース調整で妻と二人で交代で森に行ったが、その間特にぐずることもなく、初めて会う多くのオリエンティアにも緊張する様子もない。夜はペンションで離乳食にご満悦、羽鳥家のかわいい姉妹にもかわいがってもらった。赤ん坊とはいえやはり子供同士で遊んでもらうのが一番楽しそうだ。


さて日曜。妻のスタート時間は10時40分、僕が12時。妻が僕のスタート前にゴールできるか微妙。子もちのオリエンティアが多くいるので、誰かに少しの間娘をお願いすればよいが、あまりレース前準備ができないことを想定して、朝に軽いジョギングをして体をほぐしておいた。

案の定妻は僕のスタート時間が近づいても戻ってこない。ロブの奥さんが快く娘を引き受けてくれたのでアップを始めた。10分程度のアップだけどロングコースだし朝にジョグもしてたので体は問題ない。結局妻は81分でゴール、ぎりぎり間に合わなかったらしい。

同時スタートのワンマンリレーは初体験。スタートからリレーの1走のようななんともいえない緊張感。スタートと同時に、動物の群れのように谷に落ちていく。始めの数分はセルフコントロールに集中。2番に向かう途中で漸く自分のリズムを取り戻してくる。富士でのレースは久しぶりだが、思いの他ナビゲーションは違和感ない。

10分もするとスタート直後の集団の気配はほとんど消えた。パターンがいろいろ別れているのだろう。時々加藤が見え隠れする程度になる。無難に1週目をおえて会場へ向かう。

会場で「トップと3分差の4位」というアナウンス。まさか、さすがに20分で3分差が付くレース内容ではない。パターンによって長短があるのだろう、そう信じて2週目に。2週目は序盤のショートレッグで1分近いケアレスミス。坂本や西尾に追いつかれるが直ぐに彼らも違う方向に消える。また一人旅。2週目を終えると加藤と一緒になり、再び「4位」のアナウンス。

その後3週目に入った直後にまた30秒のミスを2つほど犯す。ややいただけないリズムだ。

ファイナルループに入ったロングレッグで、どこからか集まった加藤、柳下、小泉が現れて集団を形成。そのうちまっちゃんも含めて最大時は5人となる。終盤だれそうな部分で、集団を形成できたのは幸運だ。

集団のペースは決してきつくないが、飛び出すほどの余力もない。集団の前方で付かず離れずのレースがしばらく続く。ルートが分かれたのぼりのロングレッグも11のコントロール付近でまた集団を形成する。結局会場を通過する終盤では柳下、加藤の3人になった。

もう残りは4,5分である。地図を見ても勝負どころはない。小手先の仕掛けは逆効果になるだろう。あとはミスしない集中力を保つこと、最後にぬかれない気力を持つこと。

ラス前に向かう登りでひしひしと近づいていた加藤が後ろからスパートをかけてくるのが分かる。こちらもまだ余力はあったのでギアを変えてしかけに答える。ところが、、、加藤のスパートは見事だった。すっと前に出られるとコントロールを先にチェックして荒地の中へ消えていく。

必死にスピードを上げてついていくが、勝負は既に決まっている。荒地を越えてグラウンドが見えたときはもう加藤は遥か崖の下に降りて最終コントロールをパンチしようとしていた。

結局加藤とは13秒差の4位でゴール。最後の1分程度のレッグで13秒の差はショックであるが、この間のラップは決して遅くはない。加藤が圧倒的に速すぎた。
集団をずっと共にしていた柳下は9秒後に5位でゴール。そのあと少しあってまっちゃんがゴールする。

上を見ると、トップの俊介は約4分半差。5%以上の差だ。やはりこのくらい差がつくか。決して悪い感覚のレースではないが、前半ペースが上がらない感覚があったのでその分差がついたようだ。

現時点ではぎりぎりの及第点75点くらい。やはり登りは圧倒的に遅く俊介に5-10%差がついている。反面藪の部分ではほとんど差がない。オリエンテーリングへのチューニングは登り主体にすすめるべきか。


「なんで最後加藤君に抜かれちゃったの?」賞金を取り逃がしてちょっと残念そうな妻に聞かれ、

うーんやっぱりトレーニングの差かなあ。
なにくそ次は見ていろ、という気分にはさせてくれた。

息がようやく落ち着いてきて、顔を洗いに洗面所に行って鏡をみて驚いた。

「あー、ひさしぶりにやっちゃった・・・」

翌日上司に「どらえもんの髭」と形容された無数の傷が頬についている。
Oウエアを着てると違和感ないが、ネクタイの上にくると異様な顔になる。
仕事で客先へ行く予定が近々なかったのが不幸中の幸いだ。