金曜日, 5月 10, 2019

UTMF2019 その4  リカバリー

(自分の備忘録として)

4月27日 
 フィニッシュ(17:40頃)後、天気は良かったが身体は濡れて寒さも感じたので比較的すぐにドロップバックと荷物を回収して更衣室で着替え。寒さや身体の痛み、ドロドロのウエアの始末もあって、着替えに1時間近くかかる。19時頃にようやくスーツケースをゴロゴロ引きながら徒歩20分のホテルへ。
19時30分頃チェックインしてすぐ入浴。
21時頃外出して付近で食事処を探すがファミリーレストランはどこも混雑。席の空いてるインド料理屋を見つけて一人で夕食。フィニッシュ時の胃の調子はイマイチで、食欲もまだ回復してなかったが、食べてみると胃は受け付けた。ビール2杯。
23時頃寝床に着くが、足の指、特に左足の中指人差し指あたりが紫色に腫れあがり、痛みが激しく眠れない夜を過ごす。痛み止め(ロキソニンやバファリン)を持参すべきだった。夜中にシップをはって冷やすが効果なし。明け方になって漸くうとうと眠れた。
脚の爪は黒くなってるが剥がれるまではいかない。

4月28日
 朝食後、10時近くにチェックアウト。河口湖駅からバスで新宿へ。家は14時頃着。小休止後、18時から近くでやってた小学校の同窓会に行く。結構ビールを飲んだ。ロキソニンを飲んで、就寝は23時過ぎ。トレーニングなし。

4月29日
 朝起きると顔と身体が異常に浮腫んでる。おそらく、レースと昨日の飲酒で肝臓の機能が低下してるのだろう。
 朝ジョグ5km程度。キロ7分以上でゆっくり。顔の浮腫みは夜まで続く。昼頃から会社に半日出勤。

4月30日
 朝ジョグ、8kmキロ6分台、筋肉痛はあまりない。2日くらいあまり外出せず、本など読んでゆっくりと。

5月2日
 夜行便バスで家族が休暇を過ごしている愛知へ。

5月4日
 愛知、朝ジョグ、キロ5分ペースまで回復

5月7日
 朝ジョグキロ4分台まで漸く回復




 
 

水曜日, 5月 01, 2019

UTMF2019 その3 A7山中湖からFinishまで

A7 山中湖 127K 19:45:11  87位
エイドを出るまで12分。トイレで数分を使ったが、それ以外の補給は他と変わらないはずなのに12分は休みとして多すぎる。士気が低下してる証拠だ。

エイドを出て少し走ると、左の靴の違和感をふと感じる。ソウルが地面に引っかかるような感覚だ。ソウルが剥がれかけているのか、と止まって確認するがそうではない。靴のつま先部分上面に断続的に穴が開いてきて、弱くなっており、自分の足に比べて靴底が下がってきしまってるのだ。A4のドロップバックで替えの靴は一応用意していたが、その時点では大丈夫だった。
このまま劣化すると靴が上面と下面で分離してしまうリスクもあるため、路肩に座り、テーピングテープで靴のつま先部分をぐるぐる巻きにする応急処置をしてみた。ところが、濡れているせいか、泥もついているせいか、テーピングテープと靴が着かず、歩いて10分ではずれてしまう。他に処置の方法も思いつかず、しょうがないので靴が壊れないことを祈ってそのまま進むことにした。
(結果的には靴は最後までもったので幸運だった。)

A7からA9手前の杓子山までは山岳トレイルが約5時間続く。明神山の斜面は、礫の地面に丈の高い草が生えた、やや荒涼とした風景が続く。雨も降っっておらず気温も少し上がって、見晴らしもいくらか良くなってきた。気分的にも上向いてきた。登りはつらいが、前後にいる選手とほぼ同じペースで登れてるので、前の区間に比べて少しペースを取り戻しただろうか。

登りは3人の集団で「辛いですねえ」とお互い声をかけて登っていった。登り切るとトレイルは荒地から森の中に入って、やがて走りやすい下り基調の道に入る。
下りは得意なはずなのに、残念ながら筋力もだんだん尽きてきたのか、他の二人より速く走ることはできなかった。登りはじりじり離されるので、トータルすると少しづつ遅れていく。広葉樹の静かな森の中、やがて前を行く二人は樹々に見え隠れするようになり、とうとう見えなくなる。

ここからA8までひたすら一人の旅が始まった。時々見通しの良い登りで遥か前方にさっきの選手が見え隠れするが、追いつくことはできない。一方長い登りで振り向いても後ろから選手が追ってくる来る気配はない。

レースを別にすれば、この区間、山中湖周辺特有の、広葉樹に覆われた見通しの良い静かな森が続く。鳥のさえずりも聞こえてきそうだ。穏やかになった天気も相まって、気持ちは随分と上向いた。切通し、山伏峠ではやや厳しい登りもあるが、段階的に標高を上げていくと、最後の石割山手前は比較的緩やかで美しいトレイルが続く。雨上がりの霧もあってか、神々しさも感じる森の静けさだった。鏑木さんが、新コースとしてこの区間を選んだのも良くわかるな、そんなことを考える余裕もあった。後半では一番無心に走れて、トレイルの楽しさを感じた時間帯だった。
石割山はあっさりと通過し、急な道を下るとA8が直ぐ見えた。

A8 二十曲峠 137K 23:00:54 74位

「鹿島田さん!」
エイドで声を掛けられて驚いた。久山君だ。A4-A5のロードでさっそうと抜かれて以来の再開。彼は脚がもう限界に来てるのだとという。僕はペースは少し復活していたものの、胃の気持ち悪さがそろそろまずい状況に近づいていた。お互いそれぞれ問題をかかえての終盤残り30km、お互い頑張るしかない。
それでも僕は結構楽観視してた。4年前のUTMF2015と二十曲峠の通過はほぼ同じタイム。今日はペースが上がらないとはいえ、28時間で走るチャンスはまだ残ってる。闘志はまた復活していた。

久山君と前後してエイドを出て、小さな起伏を繰り返すトレイルを進んだ。比較的得意な起伏のはずだが、少し前を進んでいる久山君の姿は、小さな起伏を一つ越えるたびに少しだけ小さくなっていく。それを何度か繰り返しているうちに、やがて彼の姿は見えなくなった。
焦るまい。自分のペースを守ることが大切だ。下りになれば違う展開もあるかもしれない。

杓子山に近づくにつれ、斜面はだんだんきつくなる。やがて鮮やかなカラーのテント群が見えてきた。杓子山の岩場を監視するスタッフが立てたものだ。これだけのスタッフが夜を徹して監視するのだから、大会運営にかかるエネルギーは想像をはるかに超える。

杓子の核心であるロープを渡した岩場に来た。ここがいよいよ後半の山場だ。一歩一歩丁寧に登る。ここでは疲労より緊張が勝る。
ふと下を見ると、今までに何度か遭遇している欧米系とアジア系の2人組選手が黙々と登ってくる姿が遥か下に見えた。

核心のロープ場を過ぎても、しばらく尾根に出るまでは岩場が続く。目前2,3m先の岩を見ながら、どう手をかけるか、どちらに脚をかけるか、目の前に集中して無心に登るしかない区間だ。一人の選手を抜く。

やがて雨がポツポツ降ってきた。やあ、また雨か、もう勘弁して欲しいな、と思う。
ところが、雨にしては背中に感じる「粒」の感覚が違う。なんだろう、もっと乾いてるような。
そのうち目前の岩に降った雨がコロコロと転がってることに気づく。雨、じゃない。

「雹だ。」

そして「雹」の量はみるみる増えて、付近の草むらや岩場に跳ね回るようになる。

寒さを急に感じたが、この岩場では何もできない。先ほど追いついてきた2組の選手も数メートル下の岩場を黙々と続いてくる。今はとにかく登るしかない。そのうちにも雹はますます激しくなってきた。そしてそのうち、雨か、雪か、良く分からなくなった。

10分ほど岩場と格闘し、ようやく尾根に近づいて、少しだけ平らになったところを見つけザックを置く。既に体中がずぶ濡れだったが、レインウエアを出して着た。それでもいくらか着た方が寒さを防げるのだ。

岩場は終わったが、杓子山に向かう尾根道はまだしばらく続く。山中湖で一度抜かれた星野ゆかり選手(7位)と、もう一人の男性選手が追い付いてきた。もうここは競っている、というよりも、お互い無事にどう対処しようか、そういう想いを共有してたと思う。激しい雨雪の中、岩と泥の斜面でお互い転倒しないように気遣って進むのが精いっぱいだ。

杓子山を過ぎ、細いトレイルに入ると、ここからが、この日のコースの一番の難所だった。一本のトレイルはずっとぬかるんでおり、斜面は容赦なく急に下っていく。僕は泥濘を得意とずっと自負してきたが、この日のコースはなすすべがなかった。ロープや木に掴まって小股で足踏みをするしかない。それでも何度も脚をとられて派手に転ぶこと数えきれない。尻はおろか両手、背中のカバン、すべてがドロドロに濡れてしまった。まったく今まで経験したことのない酷い状態だった。
終盤になって、脚をとられて転んでるところ、「大丈夫?」と声をかけられたので、振り向くと、エルワンさんだった、エルワンさんは歳も近い日本在住のフランス人選手。UTMFのレース中会うのは3度目になる。2014、2015はこちらが抜かしたが、今日は逆の状況だ。ただもう今日はそんなことはどうでもよかった。知ってる選手の顔を見てなんだか凄くうれしくなった。

「これは酷いよね」といいながら、エルワンさんは長い脚を使って僕より先に降りて行った。酷い状況でも、同じ場で苦戦している選手がいると、辛さはいくらか軽くなる。

しばらく我慢して下ると、つづら折りのトレイルに変わり、ようやく普通に走れるようになった。そこから少しづつ元気を取り戻した。エルワンさんをもう一度抜かし、自分のペースで下っていく。トレイルは砂利道、砂利道は舗装道と変わり、A9の富士吉田に向けて下っていく。

ようやく、エイドまで3kmくらいのところで、先ほど追いつかれた星野選手に再び抜かれた。
「すごいですね~」
正確には覚えてないけど、そんな言葉をかけてくれたと思う。
そういう彼女は強い雨の中でも笑顔で、この状況も楽しんでいるようにも見えた。
鏑木さんが、悪条件の時は女性が強い、といっていたが、その言葉に納得してしまう瞬間だった。そのまま彼女はスーと前に走って小さくなっていった。

A9 富士吉田 140K (26:20:00程度) (78位)
(エイドインの記録が残っていないため、他選手からの推測)

エイドについて、脚を止めると、自分の身体がかなり冷え切っているのに今更ながら気づいた。雨雪に降られた上に、泥濘で転んで下半身もびしょ濡れだった。エイドの補給よりも身体を温めることの方が先だ、と直感した。
体育館内にストーブで、泥だらけのレインウエアと手袋を乾かし、自分の身体も温めることにした。

先に杓子山で抜かれた、海外の二人組(どうやら香港とGBR)の選手が先に座って暖をとっており、ストーブの場所を詰めてくれた。さらに2人くらいが輪に加わる。皆、冷えた身体で次にどうするか悩んでいるようだ。

体育館の屋根に打ち付ける雨の音は一向に止まない。速く先に進みたい気持ちを抑えて、冷静にどうするか考えようと努めた。
この雨の中を、濡れたTシャツにレインウエア1枚で進むのは、低体温症のリスクもある。
かといって、このエイドで服が乾きくのを待つのはかなりの時間がかかるだろう。。。
行動を決めかねず、40-50分たったろうか。

そのうち、先についていた海外選手二人が、Good Luck!とエイドを後にした。
僕もそれを見て、速いうちに進もうと決心する。ただ、この天気の状況で、今までと同じウエアで進むのは危険だ。
考えたあげく、濡れた短パンを脱いで、まだ使ってない長ズボンとレインウエアの下を重ね着する。上はTシャツはそのままに、その上に、持っていたダウンジャケットを着、さらにレインウエアを着た。頭にはフリースの帽子にレインウエアのフードをかぶせた。

正直走れる恰好ではないが、保温はかなり効いている。この格好で歩いてでも進むのが良いだろう。

出発前にトイレにいった。すると個室内から、どこからか、役員の声が聞こえた。

「杓子山の積雪でレース中止だって」

瞬間的に嫌な予感がした。レースが中止になるかもしれない。
慌てて個室から出ると、すぐに計時ラインを超えて、山に向かった。役員は、「がんばってください」と声をかけてくれた。結果的にこの時の判断は正しかった。僕がエイドを出て間もなく、打ち切りが決まった。

最後の山、霧山は標高差600mの登り、元々走れる傾斜ではないので、雨に打たれながら一歩一歩登っていく。ペースはゆっくりだが、後ろから追ってくる選手の気配はない。
エイドを慌てて出たので、補給を十分にしていなかった。残ったコーラを少しづつ飲んだが、それでは足りず、霧山の中腹でハンガーノック気味になった。胃の調子は悪く、げっぷを繰り返していたが、残っていたジェルを押し込んだ。残りの霧山を登るくらいのエネルギーにはなるはずだ。
気が付くと雨は止んでいる。気温も少しであるが上がってるようだ。エネルギー補給で少しペースをあげると汗もかいてきたので、レインウエアの下に着ていたダウンを脱いでカバンにしまいこんだ。

霧山頂上に登る頃には、体もだいぶ良く動くようになった。下りに切り替わると、普通に走るペースに戻すことができた。時計を見ると28時間45分。1時間でゴールすれば、まだ29時間台はいける。段々闘志が戻ってきてペースもあがってきた。途中レインウエアも脱いでTシャツ姿になった。

下りの急斜面はそれほどぬかるんでなく、意外とあっさり市街地まで来た。軽い登り返しを超えて階段を降りるとスタッフの応援が聞こえる。その応援から自分のすぐ前に選手がいることも分かった。俄かに元気が湧いてくる。湖畔まで下りたところで前の選手に追いついた。無意識のうちにお互い握手をして走り始めた。僕の方が余力はあるようなので、そのまま彼をおいて、自分のペースで走り続けた。

すっかり天気は回復し、サクラも咲く河口湖畔は、観光客でごった返し、散歩するカップルやよちよち歩く子供で、走るコースを見つけるのも苦労するくらいだった。つい1時間前まで厳しい自然と対峙していたことが嘘のような、平和な風景だ。

ふと観光客が皆対岸に向けて写真をとってるのに気づいた。
その方向を見ると、今までかくれてばかりいた富士が、その雄大な緑の裾野とともに姿を現していたのだ。頂上は少し雲に隠れていたものの、その威容は言葉にならないくらい素晴らしかった。河口湖から、こんなに素晴らしい富士が眺められることを初めて知った。

河口湖大橋を渡る間も素晴らしい富士はそのままだった。最後の最後にこれ以上ない姿で出迎えてくれた富士に感謝したい気持ちになった。

河口湖大橋の階段を降り、公園をぐるりと回るとフィニッシュあっけないくらい、すぐ目の前に現れた。

Finish 165K 29:39:42 89位


ゴールでは鏑木さんが笑顔で出迎えてくれた。
インタビューで
「鹿島田さんはこういう天気得意でしょう?」
鏑木さん流の優しい弄りだった。かつて若い頃オリエンテーリングに挑戦してくれたことのある鏑木さんは、オリエンティアの不整地、倒木や泥濘のある場所を走る技術を評価してくれていたのだ。今日のレースの困難をすっかり忘れて、「雨も泥濘も大好きです」と答えてしまった。
いや、今日に限れば、自分にはもっと対処すべき点、反省点があったのに。

A9エイドは僕の後1名で打ち切りになったらしい。途中一人抜いたので、僕はフィニッシュまで来た選手の中で後ろから3番目だった。本当に幸運だった。


2013年 30時間
2014年 28時間24分
2015年 27時間58分
2019年 29時間39分

毎年出るたびにタイムが向上したUTMFだが、今年はタイムを上げることはできなかった。しかし、この気象条件の中で走り切れたことは、別の点で大きな成果だったと評価したい。
もちろん、順位は2014,2015よりだいぶ落ちており、この悪天候でもペースを落とさず走っている選手は多いことを肝に命じたい。次回に向けて装備や服装の点で、改善できる点はあるだろう。
例えば、
・低温時にも筋肉を冷やさないためには短パンよりもハーフタイツを使う
・レインウエアを、よりタイミング良く来て脱ぐためのパッキング
・胃のトラブルに対処するための、バリエーションつけた食料
などだろうか。


今回のレースで一番強く感じたことは、UTMFの運営が、現場で関わってるボランティアの皆さんの努力の上に築かれている、という当たり前のことだった。12時頃の雪の降りはじめからレース中止判断が15時、そこから各エイドからの選手輸送、成績への対応、相当の運営上の対処が必要だったのではないか。こうした事態をある程度想定して準備もされていたのだろうが、いつどこで天候が変わる分からない中で、適切な対処をできる運営は、僕らの想像以上の準備がなされているに違いない。
中止となった翌日、中央高速から眺めた
杓子山。尾根は雪がかぶっている
またコース上の安全管理の誘導員の数も、165Kのコースと丸二日という時間を考えると、何百人単位で収まるか、という数のボランティアの方の協力があってこそとなる。
月並みながら、運営側の皆さまの準備を想像すると、参加者としては走らせてもらえるだけ幸せな大会、と感じるばかりである。

今は走る側として参加させてもらっているが、いつかは自分も、大会を支える側のボランティアに加わりたいと思う。

運営の方々本当にありがとうございました。








UTMF2019 その2 StartからA7まで

Start 0K 12:00

前回出場した2015と同じように雨と霧の中のスタート。スタートゲートまでは10秒くらいでストレスはほとんどなし。

はじめの16kmはロード。2キロほど緩やかに登った後はほとんど下り基調。右ひざの痛みの様子を見ながら走る。心拍は135-140付近で、いつものスタートよりゆっくり目だろうか。5キロくらいのところで、許田君に会う。
初めて走る彼に、

「こんなペースですか?」

と聞かれた。

「うーん、こんなものかな。毎年よりちょっとだけ遅いかも」

と答えた。彼も「そんなもんなんですね」と少し安心したようだ。このレースは(渋滞にはまらない限り)焦ってもしょうがない。その後、人の流れに乗って走るうちに自然と彼とは別れた。それを最後に彼にレース中会うことはなかった。

粟倉 Wエイド 16K 1:28:21 241位
ここは素通り。粟倉まではマラソン大会のようにロードを人混みの中走る感じだったが、ここからシングルトレイル基調に変わり、人の列も一列の筋に変わる。平坦なトレイルに時々切れ込んだ沢で急な下りと登りが現れる。まだまだ人が多いので、急な下りでは、渋滞までいかないものの、詰まってスピードが落ちる。
自分のペースより遅い状態が続くが、ここは焦らず周りのペースに合わせて進むことにした。

富士宮 A1 23K 2:14:50 227位
予定より少し早く到着する。もっとも予定が少し遅すぎたろうか。
次の区間は4時間以上補給がないので、補給に抜かりないように。2つの500mLのボトルを満水にし、予備の300mLのボトルも満たしてエイドを出る。300mLのボトルはこの区間専用に用意したもので、手に持ったまま走る。
富士宮の市街地を抜け、緩やかな登りのトレイルからいよいよ前半の山場、急登600mがはじまる。
そうはいってもまだ序盤で走り始めて3時間程度、それほど辛くはない。心拍を150程度までにキープして淡々と登る。
稜線の天子ヶ岳(1330m)に登り切ったところで4時間程度。ここからアップダウンを繰り返しつつ高度を上げて熊森山(1574m)まで登る。途中、コース監視だろうか、田中正人さんと山田君とすれ違い、声をかけてくれた。
スタート時から降っている雨は止む気配もないが、走ってるのでTシャツ短パンで寒さは感じない。
稜線は1時間半ほどで終わり熊森山に着くと、そこから急斜面を下る。このパートは激しいぬかるみ道になっていた。滑りやすい下りは得意なのでこのパートで多くの選手を抜かした。それほど長くもなく15分くらいで林道に出る。ここからは舗装道を下り10kmくらいでエイド。あまりスピードをあげて大腿筋を傷めない様に注意しながら走る。比較的良いリズムで走れてた区間。

下り切って平坦になったあたりで、一人の選手に追いつかれた。外国の選手である。少し並走したので自然と会話が生まれる、フランスから来た選手らしい。

「フランスは良いレースがたくさんあるでしょ」
と聞くと、
「イエス、でも日本のトレイルも素晴らしい。東京の観光もとてもエキサイティングだよ」
とのこと。リップサービスのところもあるだろうが、欧米人からすると、僕らにとって見慣れた里山トレイルの風景も、異国情緒ある刺激的なコースなのかもしれない。
話がひとしきりでひと段落したところで、
「Keep your pace」
彼の方が良いペースなのは明らかなので、先に行ってもらった。

エイドにつく2,3km手前でトレイルに入ったところで、暗くなったのでハンドライトを点ける。そこから10分程度でエイドについた。

A2 麓 51K 6:40:57 153位

前のエイドから少し距離があったので、ここで食料は少し多めに補給。3分くらいでエイドを出る。
相変わらず止まない雨の中、走り出すとちょうど6,7人の集団に吸い込まれた。平らな森や草原の中を一列に走る。集団のペースは、自分にとって平地だとややきついが、登りや下りのペース変化で追いつく、といった塩梅。そのペースを利用して1時間ほど走る。竜ヶ岳への登りになると、ペースが変化し、集団は割れていく。自分は無理せず後ろの集団で登っていくことにした。
竜ヶ岳に登っても富士山はまったく見えず、頂上は雨が吹き荒れてる状態。2013の時は確か見事な富士が見えたっけ。景色を楽しむこともなくすぐに下っていく。
急斜面のジグザクの登山道に入ると、濡れた路面でテクニカルな下りになっていた。自然とペースは周りより速くなり、前の人を一人一人抜いていく。時々抜かれまい、と頑張る人もいるが、そこは無理せず着いていき、相手が一息入れるタイミングで抜いていく。20分ほど続く斜面で10人くらいは抜いただろうか。
下り切ると、そこからはロード3kmくらいでエイド。ここでは逆に1,2名抜き返された。これが僕のいつものペース。起伏のあるトレイルや下りで抜かして、登りや平たんなロードで抜かれる。

A3 本栖湖 66K 9:10:13 105位
エイドで直ぐに、スタッフの山田君が声をかけてくれた。あれ?天子が岳山系の尾根で会ったのに?スタッフも移動で大忙しなんだな。
このあたりは一番身体もメンタルも調子が良い時だったと思う。補給も2分程度で直ぐにエイドを出た。
次の区間は100%トレイルで、起伏の具合も好きなところ。いつものパターンでエイド後の登りで1,2人抜かれたが、その後の尾根道はリズム良く走ることができたと思う。何故か人と並走することがほとんどなかった。烏帽子岳の下りでまた何人か抜いたけど、それ以外はずっと自分のライトだけで走った。

A4 精進湖 78K 11:20:33 91位
相変わらず雨が降っている。ドロップバッグを受け取って、まずは腰をを探すとこれがあまり広くない。そして想定外に、防雨のテントはどうやらなさそうだ。とりあえず道路わきの縁石の上に座る、と暗くて分からなかったが雨水がたまってて、短パンがべちゃっと濡れて冷っとした。
しまった、と思ったが、もう濡れてしまったからしかたない。そのままそこに腰を下ろしてドロップバッグを開ける。用意したTo Do Listを上から見ていく。
①食料入れ替え、②GPS時計の充電、③アミノバイタル補給、④後半地図の入れ替え、⑤眠眠打破ピックアップ
⑥Tシャツの交換と、⑦靴交換は不要と判断してそのままにした。
エイドで暖かいスープをもらって出発。ピットイン時間は11分。毎年とほぼ同じだ。

走り出すと筋肉が冷えてすごく重たい。これは毎年ドロップバッグのあるエイド後に遭遇する想定内のこと。10分も休むと夜間の冷えた空気と雨で、筋肉は冷たくなってしまうのだ。出だしのペースは遅いのはしょうがない。
ここからは少し平坦なトレイルを回ったあと、しばらく退屈なロードの登りが続く。とにかく遅くても歩かないことを目標にひたひたと走る。

ロードに出てすぐに女子の高島選手(女子6位)にさっと抜かれる。とうていついていけないペース。自分のロードの遅さを、しみじみ感じるがここで無理してもしょうがない。
その後も何人かに抜かれる。景色の変わらない退屈なロードは、時間の進みが極端に遅く感じる。
ようやく、そろそろ終盤という頃に、後ろから「鹿島田さんだ!」という元気な声が聞こえた。振り向く間もなく、すっと横を通り過ぎたのは、久山君だった。大学の後輩で、数年前信越で初めて会い、それ以来ロングトレイルでは近い実力のライバル関係にある。今年初めて同じUTMFを走っていた。
「いいペースだね!」
「お互い頑張りっましょう!」
と声をかけ終わるころには、彼はもうするする10mも20mも先を走っていた。

自分のロードの遅さに腹立たしくなってきたが、ここで無理しても速く進めるわけじゃない。後半でまだ二転三転あるさ、焦らず行こう。

エイドを出て1時間近くしてようやく足和田山に登るトレイルに移る。
さあ、ここからペースを取り戻してしっかり登ろう、と思うが何故かペースが上がらず、返ってペースが鈍っていく。
ここで、エイドを出て1時間以上エネルギー補給をしておらず、ハンガーノックを起こしかけてることに気づいた。慌ててドライフルーツや、Power Barを補給する。
少し前から、胃がもたれるてきたのだが、その影響でエネルギー切れを起こしても空腹を感じなくなっている。それが補給のタイミングが遅れた要因だった。これ以降は空腹に関係なく早めのエネルギー補給を心掛けなければいけない。
補給してから10-20分たってようやく血糖値が上がるのを感じ、心拍もあがってきた。足和田山の下りに切り替わる頃には元気になった。

A5 勝山 78K 14:17:28 85位

前の区間で若干ハンガーノック気味にはなったけど、まだレースへの気力は十分ある。エイドの休憩は3分程度で次に向かう。
ここからは、1月前に試走したのでコースイメージが良くできてる。当面はまた苦手のロードだ、焦らず行こう。
この区間でも数人に抜かれただろうか。寒さもあるのだろうか、筋肉がいつも以上に固い感じがする。足の運び方や筋肉の使い方を走りながらいろいろ工夫してみるが、ペースは大きくは変わらない。
途中浅間神社でトイレに入った後、雨が再び強くなりバシャバシャと降ってきた。さすがに夜の気温低下に加えて厳しいコンディションになってきた。
車が激しく水を跳ねて走り去る国道脇の歩道を、とぼとぼとひたすら走る。我慢の時間帯だ。信号で誘導をしているスタッフが、「厳しいですね」と小さな声で気遣うように声をかけてくれた。それだけ僕が、険しい顔をしていたのかもしれない。
雨から逃れるためにも早く森に入りたい。ようやく忍野に向かう尾根への登り口まできた。
そこで追いついてきた選手が
「この雨はつらいっすね」
と話しかけてきた。
「もういい加減止んでくれないですかね」
「もうすぐ夜明けかな?」
「忍野に着くころには明るくなりますね」
そんな会話をし、取り止めもなく励ましあう。そんな場面が一番UTMFらしいといえるかもしれない。
その後二人とも無言になって、それぞれのペースで進むと、僕の方が少し余力があるのか、少しづつ先を行きはじめた。
忍野に向かう山越えの登りになるころ、空は白けてきた。と同時に雨も小降りになってきた。悪い時ばかりが続くもんじゃない。
気づくと数人の無言の集団が後ろに見え、追いつかれ、抜かれた。自分のペースが悪いわけじゃない。自分のペースを守って淡々と進む。やがて尾根から下るトレイルが現れ、快適な下りトレイルを数分行くと集落が見え、直ぐに忍野のエイドについた。

A6  忍野 114K 17:25:28 82位

着く前にエイドを「如何に無駄なく早く出れるか?」と考えてるうちは闘志があり、レースを競ってるといえるだろう。しかし、「いくばくかでも休めるか」と考えはじめると、士気が低下したサインでレースといえるか怪しくなる。

このエイドから、この「少し休もうか」という気持ちが出始めた。特別な理由なく休憩に8分以上かかってる。
雨も止んで空も明るくなっているが、気温はまだ低かった。ここから数キロ平たんな畑のなかの道をまわり、そこから山に登る。比較的楽に感じてよいパートだが、体の動きが悪く平地すら走るのがつらく感じた。多分筋肉が冷えて動かないのだろう。
平らな区間は4キロ程度、おそらく10人近くに抜かれた。スピードもキロ8分近く落ちてたのではないか。
登りになってもペースはあまり変わらなかった。大平山に向けた登りでもまた何人かの選手に抜かれた。エネルギー不足でもないが心拍も110を切る。ペース自体が落ちてきた。
淡々と進むしかない。やがて尾根を下るトレイルに入り、山中湖に向けて下っていく。湖畔に出ると観光地らしく、のんびり歩く家族やカップルがたくさんいる。最後のロードで、また一人二人抜かれた。信越で良く活躍する西城さんと、女子の星野さんだった。

UTMF2019 その1 準備と結果

【トレーニングとコンディション】
11月 315km 32時間 (Trail 53km  7:40 )
12月 406km 41時間 (Trail 85km  10:50)
 1月 361km 33時間 (Trail 41km 4:00)
 2月 325km 30時間 (Trail 38km 4:50)
 3月 369km 40時間 (Trail 109km 16:00)
 4月 245km 28時間 (Trail 34km 6:00) (25日まで)

2年連続の落選で落ち込んだのが11月。2次抽選を期待せず、阿蘇120kmに申し込んで切り替え、冬もトレーニングを継続したが、やはり100mマイルとはモチベーションが違う。
すっかりUTMFのことは頭から消えた後に2次抽選で当選したのが2月中旬。
大会まで2か月と10日しかない。できることは限られるけど、やはり100マイル を走るには長距離のトレイル練習が足りない。
3月中は海外出張が2度あり、どうしても出発日や帰国日が週末になり、まとまった練習をする日が確保できない。2度ほど、2時間程度のトレイルに出かけた他、3月末になんとか丸一日を確保し、早朝から夜にかけて後半のA5勝山〜フィニッシュを試走した。

ここで未体験のA5-A6の長いロードや、A7-A8の手ごわいアップダウンのあるトレイルを体感。前半は過去の大会で経験してるので、コース全体のイメージはできた。

想定外だったのは、試走後に4月に入って右膝の今までにない部位に痛みが出たこと。トレーニング負荷を減らすことに。時間の経過とともに、痛みは和らぐが完治しない。様子を見ながら前々週にトレイル34km、前の週にロードレース10kmを39分、いずれもだましだまし走ることはできた。負荷の低いUTMFは何とかなるだろうと自分を納得させる。

体重管理はカーボローディング前で60㎏ちょうどくらい。ここのところ失敗が多い中ではうまくいった方か。

【結果】
29時間39分42秒 全体89位 男子81位(速報)

UTMF2013 30時間
UTMF2014 28時間24分
UTMF2015 27時間58分
UTMF2019 29時間39分

【荷物】
2013の時からずっとグレゴリの8Lザックを使っていたが、ようやく今主流のベスト型でボトルを胸にセットするタイプのザックを購入した。Ultimate Directionのマウンテンベスト4.0、付け心地が良く、全体に良く作り込まれたザックと思う。ただUTMF用としては容量がかなりギリギリで、今回も荷物のパッキングに少し苦労した。

食料
①トレイルミックス(ドライフルーツとナッツ)とドライフルーツ7袋(200kcal/袋程度)
②Power Bar 2本(199kcal/本)
③Carbo Shoz 3本(116kcal/本)
④粉飴 4本(100kcal/本)
⑤アミノバイタルゼリ 1本(100/本)
⑥眠眠打破×2本 

残したものは①を2袋。中盤から胃の調子が悪くなり、食欲が減退。その中で食べやすかったのは、おにぎりやうどん(エイド供給)、バナナ、Powar Bar、クリームパン、ジェル類、トレイルミックスの順。口に入れれば食べられなくはないが、食欲が減退してるため、補給のタイミングが遅れてペースダウンする場面がA4以降しばしば見られた。コーラは全般的に受け付けたので、コーラのエネルギーに大分助けられた。
次回は、Powar Barなどの固形物をもう少し増やし、逆にトレイルミックスは少なくしよう。
眠眠打破は、小さなフラスクに入れ、明け方5時頃と8時頃に飲んだ。今年は眠眠打破が凄く効いた、という実感もなかったが、明け方以降眠気でスピードダウンはしてないので、効果はあったのかと思う。

ウエア
①ミドルウエア:モンベルのダウンジャケット(15年くらい前に購入)
②レインウエア:ノースフェイスの軽量なもの
③ウインドブレーカ:ノースフェイス(規定にないもの)
④Tシャツ:UTMF2014参加商品
⑤短パン:ノースフェイス股下3インチ
⑥下着(上):finetrack
⑦アームウォーマー:CWX
⑧カーフスリーブ:CEP
⑨手袋:のびる手袋
⑩防止:フリース地の無名品

水分
500mLソフトボトルx2、300mLソフトボトルx1
ほとんど1Lあれば十分と考えたが、A1-A2のみ4時間以上に及ぶので1.3L持参。ところがずっと雨で気温も上がらなかったため、実際は800mL程度しか飲まなかった。その後もエイド間は多くて500mL程度しか補給していない。300mLボトルはデポジットで置いていった。

【直前の準備】
1週間前の金曜日に葛西ナイトマラソンで10kを走る、39:02。自分の今の想定タイムより1:30-2:00くらい遅いが、膝の調子を見ながらの参加で心拍を180まで上げられたので十分合格点。これを最後のポイント練習とする。
その日は、ラン仲間と外食+ビールで打ち上げたが、その日を最後に外食は控えた。
前の週は仕事の忙しい状況もあったけど、9時には帰宅、11時前には寝るようにし、前3日は7時間程度の睡眠は確保できた。

前日は定時退社後に荷物をもって新幹線で三島へ、送迎バスで時之栖栖に到着
装備チェックを受けてチェックインしたのが20時15分頃。
入浴後、レースの準備を少して、地ビール350mLを一本飲んだ後に22時15分頃就寝。


朝は6時過ぎにゆっくり起きて7時から朝食。8時30分のバスで会場(こどもの国)へ。
9時過ぎ会場に着くと雨が降り止まない。受付後、混雑している更衣室テント内になんとかスペースを確保。荷物整理やテーピングなど準備を進める。
10時半頃、雨も止んだので外に出て荷物を預け、トイレの列に並ぶ。
並び始めたのはたしか11時過ぎ、十分時間あると思っていたがトイレの列が非常に長く、結局済ませたのは11時40分のスタート20分前。これは想定外。早めに並んでおいてよかった。
慌ててゲート近くに進んでスタートを待つ。









信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...