水曜日, 5月 01, 2019

UTMF2019 その3 A7山中湖からFinishまで

A7 山中湖 127K 19:45:11  87位
エイドを出るまで12分。トイレで数分を使ったが、それ以外の補給は他と変わらないはずなのに12分は休みとして多すぎる。士気が低下してる証拠だ。

エイドを出て少し走ると、左の靴の違和感をふと感じる。ソウルが地面に引っかかるような感覚だ。ソウルが剥がれかけているのか、と止まって確認するがそうではない。靴のつま先部分上面に断続的に穴が開いてきて、弱くなっており、自分の足に比べて靴底が下がってきしまってるのだ。A4のドロップバックで替えの靴は一応用意していたが、その時点では大丈夫だった。
このまま劣化すると靴が上面と下面で分離してしまうリスクもあるため、路肩に座り、テーピングテープで靴のつま先部分をぐるぐる巻きにする応急処置をしてみた。ところが、濡れているせいか、泥もついているせいか、テーピングテープと靴が着かず、歩いて10分ではずれてしまう。他に処置の方法も思いつかず、しょうがないので靴が壊れないことを祈ってそのまま進むことにした。
(結果的には靴は最後までもったので幸運だった。)

A7からA9手前の杓子山までは山岳トレイルが約5時間続く。明神山の斜面は、礫の地面に丈の高い草が生えた、やや荒涼とした風景が続く。雨も降っっておらず気温も少し上がって、見晴らしもいくらか良くなってきた。気分的にも上向いてきた。登りはつらいが、前後にいる選手とほぼ同じペースで登れてるので、前の区間に比べて少しペースを取り戻しただろうか。

登りは3人の集団で「辛いですねえ」とお互い声をかけて登っていった。登り切るとトレイルは荒地から森の中に入って、やがて走りやすい下り基調の道に入る。
下りは得意なはずなのに、残念ながら筋力もだんだん尽きてきたのか、他の二人より速く走ることはできなかった。登りはじりじり離されるので、トータルすると少しづつ遅れていく。広葉樹の静かな森の中、やがて前を行く二人は樹々に見え隠れするようになり、とうとう見えなくなる。

ここからA8までひたすら一人の旅が始まった。時々見通しの良い登りで遥か前方にさっきの選手が見え隠れするが、追いつくことはできない。一方長い登りで振り向いても後ろから選手が追ってくる来る気配はない。

レースを別にすれば、この区間、山中湖周辺特有の、広葉樹に覆われた見通しの良い静かな森が続く。鳥のさえずりも聞こえてきそうだ。穏やかになった天気も相まって、気持ちは随分と上向いた。切通し、山伏峠ではやや厳しい登りもあるが、段階的に標高を上げていくと、最後の石割山手前は比較的緩やかで美しいトレイルが続く。雨上がりの霧もあってか、神々しさも感じる森の静けさだった。鏑木さんが、新コースとしてこの区間を選んだのも良くわかるな、そんなことを考える余裕もあった。後半では一番無心に走れて、トレイルの楽しさを感じた時間帯だった。
石割山はあっさりと通過し、急な道を下るとA8が直ぐ見えた。

A8 二十曲峠 137K 23:00:54 74位

「鹿島田さん!」
エイドで声を掛けられて驚いた。久山君だ。A4-A5のロードでさっそうと抜かれて以来の再開。彼は脚がもう限界に来てるのだとという。僕はペースは少し復活していたものの、胃の気持ち悪さがそろそろまずい状況に近づいていた。お互いそれぞれ問題をかかえての終盤残り30km、お互い頑張るしかない。
それでも僕は結構楽観視してた。4年前のUTMF2015と二十曲峠の通過はほぼ同じタイム。今日はペースが上がらないとはいえ、28時間で走るチャンスはまだ残ってる。闘志はまた復活していた。

久山君と前後してエイドを出て、小さな起伏を繰り返すトレイルを進んだ。比較的得意な起伏のはずだが、少し前を進んでいる久山君の姿は、小さな起伏を一つ越えるたびに少しだけ小さくなっていく。それを何度か繰り返しているうちに、やがて彼の姿は見えなくなった。
焦るまい。自分のペースを守ることが大切だ。下りになれば違う展開もあるかもしれない。

杓子山に近づくにつれ、斜面はだんだんきつくなる。やがて鮮やかなカラーのテント群が見えてきた。杓子山の岩場を監視するスタッフが立てたものだ。これだけのスタッフが夜を徹して監視するのだから、大会運営にかかるエネルギーは想像をはるかに超える。

杓子の核心であるロープを渡した岩場に来た。ここがいよいよ後半の山場だ。一歩一歩丁寧に登る。ここでは疲労より緊張が勝る。
ふと下を見ると、今までに何度か遭遇している欧米系とアジア系の2人組選手が黙々と登ってくる姿が遥か下に見えた。

核心のロープ場を過ぎても、しばらく尾根に出るまでは岩場が続く。目前2,3m先の岩を見ながら、どう手をかけるか、どちらに脚をかけるか、目の前に集中して無心に登るしかない区間だ。一人の選手を抜く。

やがて雨がポツポツ降ってきた。やあ、また雨か、もう勘弁して欲しいな、と思う。
ところが、雨にしては背中に感じる「粒」の感覚が違う。なんだろう、もっと乾いてるような。
そのうち目前の岩に降った雨がコロコロと転がってることに気づく。雨、じゃない。

「雹だ。」

そして「雹」の量はみるみる増えて、付近の草むらや岩場に跳ね回るようになる。

寒さを急に感じたが、この岩場では何もできない。先ほど追いついてきた2組の選手も数メートル下の岩場を黙々と続いてくる。今はとにかく登るしかない。そのうちにも雹はますます激しくなってきた。そしてそのうち、雨か、雪か、良く分からなくなった。

10分ほど岩場と格闘し、ようやく尾根に近づいて、少しだけ平らになったところを見つけザックを置く。既に体中がずぶ濡れだったが、レインウエアを出して着た。それでもいくらか着た方が寒さを防げるのだ。

岩場は終わったが、杓子山に向かう尾根道はまだしばらく続く。山中湖で一度抜かれた星野ゆかり選手(7位)と、もう一人の男性選手が追い付いてきた。もうここは競っている、というよりも、お互い無事にどう対処しようか、そういう想いを共有してたと思う。激しい雨雪の中、岩と泥の斜面でお互い転倒しないように気遣って進むのが精いっぱいだ。

杓子山を過ぎ、細いトレイルに入ると、ここからが、この日のコースの一番の難所だった。一本のトレイルはずっとぬかるんでおり、斜面は容赦なく急に下っていく。僕は泥濘を得意とずっと自負してきたが、この日のコースはなすすべがなかった。ロープや木に掴まって小股で足踏みをするしかない。それでも何度も脚をとられて派手に転ぶこと数えきれない。尻はおろか両手、背中のカバン、すべてがドロドロに濡れてしまった。まったく今まで経験したことのない酷い状態だった。
終盤になって、脚をとられて転んでるところ、「大丈夫?」と声をかけられたので、振り向くと、エルワンさんだった、エルワンさんは歳も近い日本在住のフランス人選手。UTMFのレース中会うのは3度目になる。2014、2015はこちらが抜かしたが、今日は逆の状況だ。ただもう今日はそんなことはどうでもよかった。知ってる選手の顔を見てなんだか凄くうれしくなった。

「これは酷いよね」といいながら、エルワンさんは長い脚を使って僕より先に降りて行った。酷い状況でも、同じ場で苦戦している選手がいると、辛さはいくらか軽くなる。

しばらく我慢して下ると、つづら折りのトレイルに変わり、ようやく普通に走れるようになった。そこから少しづつ元気を取り戻した。エルワンさんをもう一度抜かし、自分のペースで下っていく。トレイルは砂利道、砂利道は舗装道と変わり、A9の富士吉田に向けて下っていく。

ようやく、エイドまで3kmくらいのところで、先ほど追いつかれた星野選手に再び抜かれた。
「すごいですね~」
正確には覚えてないけど、そんな言葉をかけてくれたと思う。
そういう彼女は強い雨の中でも笑顔で、この状況も楽しんでいるようにも見えた。
鏑木さんが、悪条件の時は女性が強い、といっていたが、その言葉に納得してしまう瞬間だった。そのまま彼女はスーと前に走って小さくなっていった。

A9 富士吉田 140K (26:20:00程度) (78位)
(エイドインの記録が残っていないため、他選手からの推測)

エイドについて、脚を止めると、自分の身体がかなり冷え切っているのに今更ながら気づいた。雨雪に降られた上に、泥濘で転んで下半身もびしょ濡れだった。エイドの補給よりも身体を温めることの方が先だ、と直感した。
体育館内にストーブで、泥だらけのレインウエアと手袋を乾かし、自分の身体も温めることにした。

先に杓子山で抜かれた、海外の二人組(どうやら香港とGBR)の選手が先に座って暖をとっており、ストーブの場所を詰めてくれた。さらに2人くらいが輪に加わる。皆、冷えた身体で次にどうするか悩んでいるようだ。

体育館の屋根に打ち付ける雨の音は一向に止まない。速く先に進みたい気持ちを抑えて、冷静にどうするか考えようと努めた。
この雨の中を、濡れたTシャツにレインウエア1枚で進むのは、低体温症のリスクもある。
かといって、このエイドで服が乾きくのを待つのはかなりの時間がかかるだろう。。。
行動を決めかねず、40-50分たったろうか。

そのうち、先についていた海外選手二人が、Good Luck!とエイドを後にした。
僕もそれを見て、速いうちに進もうと決心する。ただ、この天気の状況で、今までと同じウエアで進むのは危険だ。
考えたあげく、濡れた短パンを脱いで、まだ使ってない長ズボンとレインウエアの下を重ね着する。上はTシャツはそのままに、その上に、持っていたダウンジャケットを着、さらにレインウエアを着た。頭にはフリースの帽子にレインウエアのフードをかぶせた。

正直走れる恰好ではないが、保温はかなり効いている。この格好で歩いてでも進むのが良いだろう。

出発前にトイレにいった。すると個室内から、どこからか、役員の声が聞こえた。

「杓子山の積雪でレース中止だって」

瞬間的に嫌な予感がした。レースが中止になるかもしれない。
慌てて個室から出ると、すぐに計時ラインを超えて、山に向かった。役員は、「がんばってください」と声をかけてくれた。結果的にこの時の判断は正しかった。僕がエイドを出て間もなく、打ち切りが決まった。

最後の山、霧山は標高差600mの登り、元々走れる傾斜ではないので、雨に打たれながら一歩一歩登っていく。ペースはゆっくりだが、後ろから追ってくる選手の気配はない。
エイドを慌てて出たので、補給を十分にしていなかった。残ったコーラを少しづつ飲んだが、それでは足りず、霧山の中腹でハンガーノック気味になった。胃の調子は悪く、げっぷを繰り返していたが、残っていたジェルを押し込んだ。残りの霧山を登るくらいのエネルギーにはなるはずだ。
気が付くと雨は止んでいる。気温も少しであるが上がってるようだ。エネルギー補給で少しペースをあげると汗もかいてきたので、レインウエアの下に着ていたダウンを脱いでカバンにしまいこんだ。

霧山頂上に登る頃には、体もだいぶ良く動くようになった。下りに切り替わると、普通に走るペースに戻すことができた。時計を見ると28時間45分。1時間でゴールすれば、まだ29時間台はいける。段々闘志が戻ってきてペースもあがってきた。途中レインウエアも脱いでTシャツ姿になった。

下りの急斜面はそれほどぬかるんでなく、意外とあっさり市街地まで来た。軽い登り返しを超えて階段を降りるとスタッフの応援が聞こえる。その応援から自分のすぐ前に選手がいることも分かった。俄かに元気が湧いてくる。湖畔まで下りたところで前の選手に追いついた。無意識のうちにお互い握手をして走り始めた。僕の方が余力はあるようなので、そのまま彼をおいて、自分のペースで走り続けた。

すっかり天気は回復し、サクラも咲く河口湖畔は、観光客でごった返し、散歩するカップルやよちよち歩く子供で、走るコースを見つけるのも苦労するくらいだった。つい1時間前まで厳しい自然と対峙していたことが嘘のような、平和な風景だ。

ふと観光客が皆対岸に向けて写真をとってるのに気づいた。
その方向を見ると、今までかくれてばかりいた富士が、その雄大な緑の裾野とともに姿を現していたのだ。頂上は少し雲に隠れていたものの、その威容は言葉にならないくらい素晴らしかった。河口湖から、こんなに素晴らしい富士が眺められることを初めて知った。

河口湖大橋を渡る間も素晴らしい富士はそのままだった。最後の最後にこれ以上ない姿で出迎えてくれた富士に感謝したい気持ちになった。

河口湖大橋の階段を降り、公園をぐるりと回るとフィニッシュあっけないくらい、すぐ目の前に現れた。

Finish 165K 29:39:42 89位


ゴールでは鏑木さんが笑顔で出迎えてくれた。
インタビューで
「鹿島田さんはこういう天気得意でしょう?」
鏑木さん流の優しい弄りだった。かつて若い頃オリエンテーリングに挑戦してくれたことのある鏑木さんは、オリエンティアの不整地、倒木や泥濘のある場所を走る技術を評価してくれていたのだ。今日のレースの困難をすっかり忘れて、「雨も泥濘も大好きです」と答えてしまった。
いや、今日に限れば、自分にはもっと対処すべき点、反省点があったのに。

A9エイドは僕の後1名で打ち切りになったらしい。途中一人抜いたので、僕はフィニッシュまで来た選手の中で後ろから3番目だった。本当に幸運だった。


2013年 30時間
2014年 28時間24分
2015年 27時間58分
2019年 29時間39分

毎年出るたびにタイムが向上したUTMFだが、今年はタイムを上げることはできなかった。しかし、この気象条件の中で走り切れたことは、別の点で大きな成果だったと評価したい。
もちろん、順位は2014,2015よりだいぶ落ちており、この悪天候でもペースを落とさず走っている選手は多いことを肝に命じたい。次回に向けて装備や服装の点で、改善できる点はあるだろう。
例えば、
・低温時にも筋肉を冷やさないためには短パンよりもハーフタイツを使う
・レインウエアを、よりタイミング良く来て脱ぐためのパッキング
・胃のトラブルに対処するための、バリエーションつけた食料
などだろうか。


今回のレースで一番強く感じたことは、UTMFの運営が、現場で関わってるボランティアの皆さんの努力の上に築かれている、という当たり前のことだった。12時頃の雪の降りはじめからレース中止判断が15時、そこから各エイドからの選手輸送、成績への対応、相当の運営上の対処が必要だったのではないか。こうした事態をある程度想定して準備もされていたのだろうが、いつどこで天候が変わる分からない中で、適切な対処をできる運営は、僕らの想像以上の準備がなされているに違いない。
中止となった翌日、中央高速から眺めた
杓子山。尾根は雪がかぶっている
またコース上の安全管理の誘導員の数も、165Kのコースと丸二日という時間を考えると、何百人単位で収まるか、という数のボランティアの方の協力があってこそとなる。
月並みながら、運営側の皆さまの準備を想像すると、参加者としては走らせてもらえるだけ幸せな大会、と感じるばかりである。

今は走る側として参加させてもらっているが、いつかは自分も、大会を支える側のボランティアに加わりたいと思う。

運営の方々本当にありがとうございました。








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信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...