土曜日, 3月 28, 2009

ロマンシングストーン

会場から一番遠い尾根は、日本とは思えない風景に包まれる。うねるような尾根沢を覆うのは一面に茂る広葉樹の低木。斜面は赤土が露出して滑りやすく、雨が降ると滝のように流れて地崩れを起こす。

かつて子供の頃に見た映画を思い出した。颯爽とスーツに身を包んだ都会風の女性が何かのアクシデントに巻き込まれ、マイケル・ダグラス扮する粗野な男と土砂降りのジャングルを逃げ惑う。そんなストーリーだったろうか。南米のどこかを舞台にした映画としか記憶はないが、そんな一場面を彷彿させる森が明後日の舞台となる。

この日三度目の森の中の作業。数の限られた運営者では昼間はコントロール設置で手一杯である。今日も雨に降られ、ここのところすっかり雨男になった自分がうらめしかった。それでもエリートコースの鍵となる5,6番は最後までコースが決まらず、テープ巻きもしていなかったため、どうしても今日のうちに現地を確認したく、重い足を説き伏せて森に入った。

そろそろミドルの表彰式も終わる頃だろうか。そんなことをぼんやり考えながら低木の間をのろのろ進むと突然背後のキャメルバックから携帯が鳴った。

妙な電子音が当たりの森に鳴り響く。
こんなところでも電波は届くのか。

電話の主は偶然にもわずか数百メートル離れた場所にいた。

「つながったよ。終わった。」

ようやくこの時が来たか。
エリート専用エリアからのロングレッグはコントロールから主要道の間がぽっかりあいたままとなっていた。その状態で暫定的にコースを設定し、現地に乗り込んでいた。
その最後のパズルがはまり、ついに完成したのだ。
少なくともも明後日の大会が開催できることは保証される。

「今はルート上より北側の斜面を見ている。今日はコースを確定するから11時頃きてくれ。俺も病院が終わった10時には戻る。」

夕食後に翌日の設置分担と地図の準備を先に終え、佐藤さんの送迎で山を降り、麓の閑静な住宅街の中にある山川さんの作業場についた。時計を見ると約束の11時より少し前。


散在する地図に布団。並んだプリンターにPC、20年前大学時代の友人の寮を髣髴させる風景だ。
早速 その日の調査状況を教えてもらい、エリートと21Aの最終位置を議論する。
「この位置じゃやばい。この尾根は調査があまい。もう少しこちら側を通すようにしてくれ」
「この辺、いい特徴物ないですか?」
「いや、あまりないな、このあたりなら置けるけど」
「そこかあ、うーん」

「まずは作図しよう。位置決定はそれからだ」
結局作図を待つことにした。ほとんど徹夜続きの山川さんは、時折眠気を飛ばすためにうめきながらPCに向かって作図を始める。
それでもさすがにプロ。うつろな半開きの目とは裏腹に、まるで条件反射のようにマウスはきびきびと動き、瞬く間に画面は綺麗なベジエ曲線で埋められていく。

はじめは刻々と描かれる地図を感心しながら覗いていたが、そのうちここ数日の睡眠不足と昼間の疲れに勝てず、気がつくと部屋の隅でうとうとし始めた。

どのくらいたっただろうか、「終わったぞ」という声に目が覚めた。
「悶絶するくらい眠い」
妙な表現だが耳に残る迷言をつぶやき、山川さんは地図データが入ったUSBをPCから引っこ抜くと僕に渡した。
「俺は寝るぞ。朝までにコースを確定してくれ」
いい終わるか終わらないかのうちに気絶するようにひっくり返った。

今度はこちらの番。眠い目をこすって自分のPC画面にコースと最新の地図を開く。
最後のコース調整だ。悩ましい課題がある。
数日前にこのエリアの小ループはあきらめていた。しかしループを削るとやや短くなりすぎる。
少しでも距離を伸ばしたい思いと、ロングレッグに課題を与えたい思いが葛藤した。
しかし使えるエリアの制約もあり小手先のショートレッグしか組めない。
であれば、なるべく6番(女子の5番)を高い位置にして、少なくとも主要道までに素直な沢と、道を利用するというミクロなルートチョイスを設けてはどうか。少しでも脱出時の地図読みにストレスを与えることができるかもしれない。
散々悩んだ挙句、距離を伸ばすことはあきらめ、この区域のコントロールは2つに減らして位置を確定した。


コースファイルのデフと位置を慎重に見直して保存ボタンを押した。この瞬間全ての全日本コースが確定した。大会スタートの30時間前。数多の伝え聞く伝説からすれば随分と余裕があるともいえなくはない。が、こちらは神経がぺらぺらに薄くなったままの2ヶ月がようやく終わり、安堵の気持ちで思わずため息が出た。
そして、近くの地図やらなにやらを隅に寄せ、近くに丸めてあった布団に寄りかかり深い眠りに落ちた。

外が白み、気づくと山川さんが起きていた。確定したコースを渡し、明日のポ確に使う分の地図を受け取った。急いで大雄山の駅から参加者に混じってバスに乗り、リレースタート前に興奮した学生で埋め尽くされたふれあいの村に向かった。時計を見ると8時半。自分が召集した設置組の集合時間9時には間に合った。

今日もまた設置が一杯待っている。それでも人員は3人増えて5名だから昨日よりかは体力的も精神的にも楽だ。幸いにもお天道様も味方してくれている。


あとは設置をきちっと仕切ること。そして山川氏の3台のプリンターが故障しないことを祈るだけだ。






水曜日, 3月 25, 2009

あしがら全日本

何はともあれ全日本が終わった。

残念ながら雨の中となってしまったが、700人の参加者が集まってくれたことに感謝したい。

そして優勝した加藤君、番場さん本当におめでとう。

無事実力者が上位を占め、運営側としてもほっとする結果ではあった。

残念ながら後輩の晴れ姿である表彰式は見られなかった。なかなか心を揺さぶるシーンもあったとか。いつも真剣に望んでいる選手のパフォーマンスはドラマを生むものだ。

そしてここからまた今年のWOCへの準備が本格化する。

はてさて、自分にとってはまさに慌しく、忙しなく動き回っている間に終わってしまった全日本だった。途中随分とぴりぴりしたり、神経が磨り減ってぺらぺらになった時もあったけど、大会運営なんてそんなもの。良い思い出といえるほどまだ消化できてはないけれど、そのうち酒の肴になってしまうのだろう。

これで3月の2大イベントの一つが完了。そしてもう一つは本業の方である。年度末の完工に向けて待ったなしのプロジェクト。僕が雨のあしがらで3日間精を出している間、同じように現場で一生懸命工事を進めている人達がいるのだ。

これから3月末までもうひとふん張り。体重計に乗るのが怖い日々。4月の新年度にリスタートしよう。

月曜日, 3月 02, 2009

泥濘

霜解けの泥濘にはまりこんだような毎日
まるで悪い夢でも見ているかのように、足が地面に潜り込んで進むことができない。もがくように四肢を動かしても周りの景色は一向に進まない・・・。
すべてのことがそんな風に感じられた2月が漸く終わった。今の傾きで最終ゴールまで接線を引いてみると、進捗は全く持って十分でない。もう少しスピードを上げないといけないかもしれない。自分のかかえる問題はすべてがそんな状況に思える。

しかしそんな1か月でも振り返ってみればそれなりに進んではいる。まあ先はようやく見えてきたし、気付くと足元も確かになりはじめた。 3月は物事が好転する気配も見えているし、それほど心配することもないだろう。

恐らく10年前、もう少しハートが初心でセンシティブな年頃だったなら、今のような状況にストレスを感じて参ってしまったかもしれない。
でも、こんな毎日でもノウノウと過ごせる自分になったのは、よく言えば経験によって、悪く言えば歳とともに鈍った感性によってなのだろう。

トレーニングダイヤリーを見返してみると、2月は走行距離が300kmに満たなかった。WOC直後以来のこと。この1月のトレーニングは優先順位が普段の3、4番目くらいから、5番目6番目に格下げされてしまった。そう思うとしょうがあるまい。4月のマラソンまでの準備も、これまた接線を引くと進捗は全く持って十分でない。それでもこちらもそのうち好転するかもしれない。楽観的にそう思って毎日こつこつ進む次第である。


日曜日, 3月 01, 2009

SWOC

ルスツで開催されるスキーOの世界選手権の開催が目前となっている。
今更ながら、4年前のフットに続いて貴重な日本開催のチャンスなはずである。開催に至った経緯は良く知らないけれど、フット以上に競技人口が少ないスキーOでとても高い志があったのだと思う。
残念ながら僕自身はスキーOの経験は一回もないし、今回は全くなにもかかわりを持つことはできなかった。
世界で活躍する選手もしらないのだけど、日本選手はフットOと重なって知っている選手も多いし、一緒に夏に何度も遠征した善徳なども頑張っている。

いろいろ聞くとエースの堀江君を初めとして、パフォーマンス次第でフット以上の好成績が望めるとのこと。

観戦のコツも知らない状態だけど、ネットで観戦してみよう。日本の選手頑張ってください!

信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...