水曜日, 6月 30, 2010

寝像の悪い娘の横でしんみり

部屋のレイアウトを間違えた。
いや、つい1月前の引越しの時に気付かなかったなんて。
1台しかないテレビを、家族4人で過ごす居間兼寝室においたのは失敗だった。おかげで、深夜のサッカー中継をみるのに苦労した。

それほどサッカーの熱心なファンでもないけど、さすがに決勝のパラグアイ戦は見たくて宵の口からうずうず。外出して疲れた子供を一生懸命早く寝かしつけようと思うけど、こういう時に限って目がぱっちりとして寝る気配がない。

ようやくキックオフという頃に二人ともとろとろし始めた。前半の序盤はあきらめて彼らがノンレム睡眠に深く堕ちるまでしばらく気晴らしのジョギングに。
11時過ぎの街は気持悪いほど人気がない。ときどき駅方面から歩いてくる人は一様に携帯画面を見てる。
暗い街並みのあちこちから、「あっ、」「わおっ」「よしっ」と短い掛け声が聞こえてくる。
さすがに気になってジョギングも身が入らず30分も走って家に戻った。

風呂浴びて缶ビール1本飲むと蒸し暑さに玉のような汗がでる。
急いで暗い寝室に入り、テレビのスイッチボタンを押した後ボリュームマイナスボタンを連打。
寝苦しくて何度も寝がえりを打つ娘の横で、そのまま最後のPKまで見届けた。

なんて残酷な勝敗の決め方なんだろう。

負けたことよりも、その残酷な結末に背筋がぞくっとした。

この勝負は数々の選手の好プレーと、同じくらいのミスを積み上げた結果の勝敗なはずのに、そしてPKだってそのうちのプレーのひとつなだけなはずなのに、その成否だけがあまりにも明確で目立ってしまうから、最後にまるで見世物のように行われるから、それだけで勝敗が決まったかのような錯覚を起こしてしまう。

自分がもし選手の境遇だったらそのプレッシャーに耐えられただろうか。外した時のその現実を受け入れられるか、そしてルールとはいえこんな不条理な決め方の結果としての負けを素直に受け入れられただろうか。

そんなことをぼんやり寝床でシミュレーションしていると、勝敗が決まった後にお互いをねぎらう選手の姿に、久しぶりに目が潤んでしまった。

「見てられない」とチラチラ見てた妻はPKを待たずいつの間にか寝てしまった。
この瞬間、見なかったほうがよかったのかもしれないけれど、やっぱり見て良かったと思う。

翌日の新聞でメディアの論調で駒野バッシングにならなかったことがなんとなく気持ち的に救いだった。
選手として必ず立ち直ってほしい。


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