あまり、男臭い嗜好がある方じゃないと思う。
例えば、煙草をふかすとか、高級車を乗り回すとか、ギャンブルで度胸を試すとか、夜の街で火遊びするとか。。。
そういう少し脂っこいことに無縁なのは、多分に男性ホルモンの出が少し足りないのかなあ、と自問することもあるが、その割には以外と身体は毛深いし、艶っぽい噺しも嫌いじゃないので、そう単純なことでもなさそうだ。
唯一自分がちょっと普通一般の男と思える嗜好はお酒だろう。
ただ、焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキーなど粋なアルコールはあまり嗜まない。嫌いじゃないが酔っぱらって頭が痛くなるのが好きでなくて無意識に口が進まない。好んで飲むのはひたすらビールである。
毎日飲む。「毎日」といっても、あまり練習に熱心でない選手が「毎日トレーニングしてる」というときの「毎日」みたいに週に4,5日を指すではない。
週に7日の本当の毎日、年でいえば多分360日くらいの「毎日」である。
但しほとんどの日が350ml缶ビール1本である。時々調子にのって2本。それ以上家で飲むことは皆無だし、外で飲む宴席も月に1,2度なので、サラリーマンの酒量としては平均より少ないかもしれない。
あまり舌の肥えた性質でもないのだが、ビールは値段の高い方がおいしいというのはわかる。
だから、かつてはモルツのプレミアムとか、エビスとかが好きだった。もともとは、日本に多い下面発酵のピルスナー系よりも、上面発酵で臭味のある、イギリスやベルギーのちょっとこ洒落たエールビールなんかの方が好きだったのだ。そういえば昔は、新宿渋谷あたりの、珍しいビールを出すパブに行ったものである。
だから、対極的な発泡酒はどうしても好きになれなかった。炭酸水を飲んでいるみたいでさっぱり風味がない。
たいした給料をとってるわけでもないのに、妻が発泡酒を買っくると、少し不機嫌になったもんである。
ところが、ある時期か嗜好がかわり、今は発泡酒どころか第三のビールしか飲まなくなった。
数年前、どうしてもレース前に体重を落としたい時に、自分の食生活をいろいろ考えた時があった。その結果ビールが主犯格の一人として浮上した。空き缶に小さく記載されてるカロリーを見ると、100mL あたり約40kcalと、なるほど馬鹿にならない量である。
これを削りたいがためにダイエットビールを飲み始めた。だいたい糖分をカットした上にアルコール分を3,4%に抑えているので、カロリーは半分程度以下になる。350mlにすれば60~70kcalのカット。毎日だから月に2000~2500kcalと思えば体重300g程度に相当する。ばかにならない。
はじめは水を飲んでいるように味気なかった。炭酸の爽快さとアルコールのほろ酔い気分は味わえるのだから、我慢我慢、まいいか、と。
ところが慣れというのは恐ろしい。だんだんその味に慣れてくる。いや慣れただけではなく、いつのまにかその方が舌に合うようになってしまった。
今や、ときどき実家なんかでもらってきたビールを飲むと、妙に味が濃くてさわやかに感じない。特に夏場のトレーニング後なんてはるかにダイエットビールの方がおいしく感じてしまう。そういう舌になってしまった。
走る人は特にビール好きが多い。これは確実に言えると思う。若いころはビールを飲むことに少し後ろめたさを感じたけれど、ある時期、有名なマラソン選手もビールを良く飲むということを知ってからあまり気にしなくなった。二日酔いなどで生活やトレーニングに支障がない限り、科学的にもアルコールを日常的に摂取する習慣がパフォーマンスの低下を招くという証拠はないという認識が一般的だ。
だから良く走り、良く食べ、良く飲み、良く寝る、が脂っぽさにかけるササミ系男子の王道である。
金曜日, 6月 24, 2011
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