木曜日, 7月 14, 2011

筋肉痛

ハードなレースが終わった後の筋肉痛はつらい。

つらいけど、なんとなく満足感がある。
「この痛みを絶えれば超回復でもっと強くなれる」という期待感と、「ああ、ここまで辛くなるほど自分はがんばったんだ」という自己満足とが半々。
筋肉痛がほぐれて体がだんだん軽くなるときの感覚もいい。

いや、実は走るのが好きな人は、この筋肉痛が病みつきで走るのじゃないか、と思うこともある。
だから忙しくてトレーニングやレースに不足している時は、筋肉痛を久しく経験してない身体に寂しさ、不安を感じてしまうのである。

因みに筋肉痛の度合いは、ほとんどが下りで決まる。
のぼりや平地は、自分の心肺機能でペースが決まる。だから、相当に追い込んでいるつもりでも、自分の余力以上にはペースはあがらない。でも下りは、重力に任せれば勝手にペースは上がる。だから一番辛いのは疲労を迎えてからの下りである。時として拷問に近いほど辛くなる。

妻と二人でレースに出た後の1週間、朝起きて、夜帰宅して、二人の会話の切り出しはここから始まる。
「どう?」
「いやあ、今回は結構きた、階段の下りはぜんぜんだめ」
「あらあたしは結構大丈夫よ、最後のくだりのがんばりが足りなかったかしら?」

北丹沢のあとの筋肉痛は今年一番だった。いや、今年どころかここ数年でもナンバー1だった。多分に、最後の下りを迎える直前に疲労が極限に達してしまい、標高差800mの下りをほとんど拷問のように筋肉が悲鳴を上げながら下ったからだろう。もっと早く疲れてしまえばペースが落ちてそこまでひどくならないだろうし、最後まで筋力が持ってもそんなことにはならない。絶妙なところで力を使い切ってしまったのだ。

反対に比較的バランスのよいペース配分をした妻は、それほどの筋肉痛を感じなかったらしい。それでなんとなく「寂しさ」を感じたらしいから、筋金入りのランナーである。

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普段、居間で寝転んでいると、悪餓鬼どもがすぐに寄ってきて、きゃっきゃと上に乗っって飛んだりはねたり遊びだす。

いつもはうっとおしい子供たちだけど、最近ふと気づいて、レース後はうつぶせに寝転ぶことにした。
すると、子供たちが肩、腰、脚の裏側のあちこちに乗って遊びだす。

これが意外と適度な荷重で気持ちいい。
寝転ぶお父さんの上にのって喜ぶ子供たちと、その下で「うー」と痛気持ちよがるお父さん、という奇妙な風景になる。

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信越100mile 2022

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