水曜日, 5月 04, 2022

UTMF2022 その4 U7 山中湖~FINISH 富士急ハイランド

 U7 山中湖 8時07分 (IN 16:37:10 OUT 16:47:13)


すっかり陽ものぼり、春の陽気の湖畔、観光客も歩いていて、今までのストイックなUTMFから、ちょっと和やかなひと時に変わるのが山中湖。

エイドについてまず豚汁を頂いた。

この時点でまだ暑さを感じていなかったが、次の区間は3時間以上を覚悟し、フラスク1Lに加えてコーラを水で薄めた300mLの手持ちフラスクに補給。だいぶ固い筋肉のセルフマッサージをする。直後にインした西城選手はマッサージの施術を受けているようだった。

毎年ここまでくると、ほのかにフィニッシュが見えてきたような気がする。ここまで17時間弱、想定より早い。あと8時間ちょっとで25時間。これなら25時間前半は狙えるかな、とぼんやりフィニッシュタイムも意識する。

歩き出すと、天気も良く明神山の頂上までがきれいに見渡せた。ここからの3時間のトレイルは本当にきついが、1000mを超える山の風景、森の雰囲気、初春を感じる草木は一番お気に入りの区間だ。

明神山まではひたすら300mちょっとの標高差、はるか前に2名の選手が見える。丁寧に脚を進めてリズムを乱さないように上る。スタートして34分程で頂上についた。練習で30分だったからまだまだ悪いペースではない。振り返ると凄いでっかい富士山が見送ってくれていた。明神山の富士山は間違いなくUTMFの絶景No.1である。

見通しの良い明神山とは別れ、ここから深い森、リズムが変わってアップダウンの続く尾根道となる。

機嫌よく最初の下りに差し掛かると、少し自分の身体の異変に気付いた。腿の内側の筋肉が固く痛みがあって下りの脚の制御がおぼつかない。つまり筋肉痛だ。

少し下りに慣れればほぐれてくるかな、と思いながら走るが、下りの衝撃が腿内側の筋肉にひどく響く。スピードを少し抑えながら我慢して下りをこなしていく。やがて高指山への登りにかかると、今度は先ほど下りで痛んだ筋肉が登りで力が入らないことに気づく。

気づいてみると大分陽は高く登り、初春の枯れ山は日光を遮るものもなく、かなり汗をかいている。手持ちのフラスクは最初の三国山で飲み干し、左右のボトルの水を飲み始めていたが、水の消費が想定より多い。

だんだん速度が遅くなり、身体に力が入らないことに気づく。山伏峠への登りも明らかに遅い。暑さのせいか、筋肉痛のせいかあるいはその両方が影響したのだろうか。

「おかしいな」

スタートから18時間くらい、初めて明らかなペースダウンを感じた。気が付くと水をまずく感じているので、ミネラル不足もあるようだ。干し梅を食べて塩分を補う。

山伏峠からの急な登り返しで、とうとう脚が進まなくなった。痙攣も起きているので水とミネラル不足だ。歩き続けられなくなり途中座りこむ。最終盤にとっておいたアミノゼリーをここで補給する。1,2分でゆっくり歩きだす。そこからは残りの水分を少しづつ補給してだましだまし進む。

やがて急な登りが終わり緩斜面のトレイルに変わる。遅くても少しづつ走れるようになる。

石割山手前のなだらかな尾根上で、前方にゼッケン1の選手が歩いているのが見えた。近江選手だ。初100マイルと聞いている。こちらを振り返ると道をあけてくれた。少し申し訳ない気持ちで抜く。これが100マイルの厳しさか。まだ若い選手なので今後の糧にしてほしい。

やがて石割山の分岐を過ぎ下り斜面になる。いくらか元気も出てきて、泥濘が続く下りでも筋肉痛は耐えられる。2,3人の選手を抜いて二十峠に降りた。


U8 二十曲峠 11時38分(OUT 20:08:36 )

 気が付くとすっかり陽は高く昇り暗いテントの影に入るとほっとする。テント内にはぽつりぽつりと選手10名程度だろうか、今までよりだいぶ減っている。荷物を降ろし、とりあえず椅子に座る。

 テントの端で寝転んでいる選手が2,3人、自分と同じように座って呆然としている選手も数名、スタッフも言葉少なく選手を見つめている。いつものエイドの活気は影を潜め、発電機のエンジン音だけが鳴り響く。やはり暑さにやられてるのだろう。自分だけじゃない。

塩飴や煎餅で塩分をまず補給、その後水分を摂取。できる補給は数分で終わる。回復したかわからない。歩き出す元気もまだ出てこないが、いたずらにエイドに居てもフィニッシュは近づかない。時計の針がそろそろ10分という頃に、とぼとぼ歩き始めた。

杓子までのトレイル、前半は適度な起伏の尾根道である。少しは森の木陰になるかなと思ったが甘かった。まだ葉のない森は木漏れ陽が差し、じわじわ汗をかく。

 下りで感じる筋肉痛は変わらないが、登りは淡々とは歩を進められる。良い状態ではないが、最悪でもない。前の区間で少しタイムロスしたが、この状態で進めば25時間台は十分でるだろう。

やがて杓子山に続く急登がはじまる。無理せず着々と登り、核心の岩場までたどり着く。

ここからが難所だった。この数時間で脚に何度か痙攣をおこしている。岩場の登りはステップに合わせて大きく脚を上げて屈曲した状態から力を入れる。その動作が痙攣を引き起こす。結果岩場の一歩一歩が厳しい動作になった。痙攣をおこさないようステップを工夫し、手を使い負荷を減らす。時間をおいて痙攣のおさまりを待つ。

緊張感のある岩場で初めての経験だった。当然スピードも鈍り、途中また幾人かの人に抜かれた。

岩場と岩場の間の僅かな部分で極度に酷使した筋肉を収めるため休憩をとっていると、岩場から女性の選手が現れた。星野緑選手だった。

抜くときにわざわざ立ち止まって、「日影で休んだ方がいいですよ」と声をかけてくれた。朦朧としているよに見えたのかもしれない。

後で見ると、星野さんはちょうど26時間を切ってゴールしている。このあたりが合格点のレースの限界点だったのかと思う。

辛いだけの記憶しかない杓子までの道のり。何度か手前のピークに騙されるもようやく鐘のある本当の頂上が見えた。しかしこの先もホッとすることはできない。今度は、何度も訪れるロープを張り巡らせた尾根上の急斜面、腿の筋肉痛との戦いとなる。いつしか着地に合わせて声を出して筋肉痛を耐える。

やがてつづら折りの階段にかわる。1段1段の衝撃で筋肉に激しい痛みを覚えるが敢えてスピードを落とさず、アドレナリンで筋肉痛を乗り切ろうと頑張ってみた。

しかし、ここで限界にきた。どうにも痛みが限界に達し歩きだした。一度歩いたら、もう走ることができなくなってしまった。

「筋肉痛は、怠惰な脳のわがまま」、と常々感じている。鞭を打てば頑張れると思っていたけど、この時はもう脳がわがままを譲らなくなってしまった。ぷつっと糸が切れたような感覚だ。

ここから約3キロの下り基調の砂利道。毎年普通に走って15-20分で下れるところ。歩けば倍はゆうにかかる。時計の針がぐるぐる回るような感覚に襲われながらとぼとぼ歩く。情けないがそれしかできない。何人もの選手が倍ものスピードで下っていく。

30分くらい歩いたと思う。やがて林道が平らになりキャンプ場が見えてきた。この頃に漸くゆっくり走れるようになった。一度走ると、今度はエイドに向けた急斜面の下りも走ることができた。脳のわがまま、きまぐれだ。

最後に近江選手に抜かれた。復活したようだ。


U9 富士吉田 14時59分(IN 23:29:24 OUT 23:48:31)


最後のエイドには毎年のうどんがあった。ボランティアの方にお願いしてつゆをたっぷりもらい、塩分補給した。せんべいや塩飴もかじった。

最後の霧山は、よじ登る急登はなく、下りも急な場所は限られてる。最後はなんとか踏ん張りたい。

十分水分をとって10分くらいでエイドを出かけた際、この日まだトイレを済ませてないことに気づいた。仮設トイレをあけると和式だった。絶望的な気分になるがしかたない。

筋肉痛に顔をゆがめながらしゃがむのに随分と時間がかかり、結局合計20分近くをエイドで過ごしてしまった。気を取り直して最後の山へ。

最初の30分近くは富士吉田市街のロード。身体の動きは悪くない。まわりのペースに合わせて走る。富士急の線路をくぐり、山に入る手間で自販機があったので、念のためアクエリアスを1本購入、フラスクに入れ替えた。ミネラル補給にはその方がよいはずなので。

緩い下りをとぼとぼ歩く。この斜面も走れはしないが歩くにはやや緩い。

数十m先に、ベテラン風の選手が登っている。その選手に声をかけている観戦者がいた。その人はやがてこちらに下ってくると僕を見て驚いた顔をしていた。

山谷さんだ。

思わぬ出会いに両方が驚いた。

山谷さんは同年代。10年以上前からハセツネなど多くの大会で上位に入り、目標とする成績を出している人で、数年前からSNSで友人となっている。ただ補給食が鍵を握る70km程度以上のレースは相性から参加しないとのこと。今日は応援にいらしたらしい。


前を行く方は長野でも有名なベテラン選手とのことだった(結果を見るとレジェンドの部で優勝している)

山谷さんとはしばらくいろいろな会話をさせてもらった。最終版で良い気晴らしになった。やがて山谷さんは再度先に進んでいき見えなくなる。

途中鉄塔付近の急登を超え、再び緩いつづら折り。きつくはないがペースはあがらない。やがてつづら折りの道は斜面を右手に見たトラバースに移り、とうとう霜山尾根上の分岐に到着する。ここからは多少の登り返しはあれで下ればフィニッシュだ。いよいよ最終盤。

尾根の下り途中、脚の痙攣でペースダウンもあったが、フィニッシュも近くなり最後の踏ん張りを効かせるところ、腿の筋肉痛もこらえて下り続ける。

2番目登り返しで女性の選手に追いつかれる。

「きついですねー」「あともう1回確か登り返しありましたね、、、」

言葉とは裏腹にその選手はするする登り、急斜面の下りに入ったところでは2つほど先のつづら折りを下ってる気配しか感じなかった。

そこから10分くらいだろうか、市街地に突き出た尾根の先端にたどり着く。(上位選手の)順位確定ポイントを過ぎ、ロードに降りた。ここから2km。

踏切や国道の交差点を渡り、富士急の敷地に入って橋がそろそろというところで、前を2名の女性選手が歩いているのが見えた。

7位の渡邊さんと8位の黒田さんだった。どうやら順位確定ポイントを過ぎて渡邊さんに黒田さんが追い付いたらしい。

ルール的には問題ないのだろうが、なんとなく仲良く歩いている二人を抜くのは気が引けたので少し後ろを一緒に歩いた。渡邊さんは脚が売り切れ状態で二人で歩いているようだった。走ろうよという黒田さんに渡邊さんはもう限界、と。よほど最後まで追い込んだのかな。なんか二人のやりとりが、聴いてて楽しくて、自然と笑顔になる。

国道の橋を渡るところで、後ろから男性のランナーが一人抜いていく。そのうち黒田さんが先に行くね、と走って行き、自分も渡邊さんにお先に、と一声かけて残りを走った。そこからわずか500mでフィニッシュラインがみえた。



フィニッシュ 18時01分 26:31:35 (男子114位)



福田六花さんが、出迎えのグータッチをしてくれ、感想を聞かれた。なんだか頭が回らず気の利いたコメントは言えなかったが、とにかく3年ぶりに完走できたことがうれしい。

直ぐに山谷さんが声をかけてくれ、写真を撮ってもらった。

結果は残念ながら100位は超えてしまったけど、とにかく5度目の完走が出来たことがうれしい。反省点はいろいろあると思うけど、まあそれはもう少し落ち着いてから振り返ることにしよう。








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信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...