土曜日, 5月 02, 2015

UTMF2014 完走記 その2 -スタートからA8まで‐

スタート通過 0km 838
とにかく前半あせらないこと、筋肉を使いすぎないことを頭においてたため、スタートゲートから遠い控えめな位置に並んでスタートした。ところがこれが失敗だった。スタート直後にレーンが極端に細く曲がっていたため、列が全然進まない。スタートゲート通過に2分くらいかかり、その先もラッシュ時の品川駅のようにほとんど進まない状態が5分くらい続く。ようやく歩けるようになって、小走りできるよになるには10分以上かかったか。自分のペースで走れるようになったのは、林道が坂を登り始めてから。推定10~15分のロス。さすがに前半抑えた超ロングレースといっても10分以上のロスはもったいなかった。

その後の初めの登りでどんどん抜いていくが、それでも慎重なペースだったと思う。心拍150前後で走ったり歩いたり。周りは富士山の写真をとったりマイペースな人々。登りが終わり、霜山手前のワインディングするロードが終わる直前で妻を発見。

 妻は昨年後半失速してるので、「速すぎない?ペースおさえて!」と声をかけて抜く。でもあとから考えると自分のペースが遅かったのだ。富士吉田手前で藤若さんを抜いた時にも「なんでここにいるの?」と驚かれた。

A1到着 18.2km  2時間14分、280
エイドは数十人が休憩してただろうか。すごい人だかりだった。水もほとんど消費してなかったので、バナナなどの軽い給食と水一杯で30秒以内でA2に向かう。

杓子山までのだらだら登りで一人また一人と抜いていくと、途中で脚の長い外国人が前に。並走すると、日本在住のERWANさんだった。北丹沢などで同じレベルの選手なので、少しほっとする。話しかけると、昨年のタイムは28時間とのこと。ペースが遅すぎるのでは、と不安に感じていたので、少々安心する。しばらく並走するも、自分の気持ちよいペースだと少し速いので、そのまま少しづつ先行した。残念ながらERWANさんとはそれ以降会うことはなかった。

杓子山への急登からうす暗くなる。杓子山を越えてた尾根上からライトが必要になった。この頃には選手の列もまばらで10秒に一人程度の密度だろうか。それでも杓子山下りの例の足場の悪い急斜面では小さな渋滞があった。一人づつしか降りられないのでしかたがない。3人ほどの列に並んで1分程度まったろうか。それほどストレスにはならず切り抜けた。

まだフレッシュな脚にはそれほどの負担ではない。難なく二十曲峠に向かう比較的平坦な尾根に乗った。このあたりで完全に闇になった。

A2到着 33.4km 4時間39分 156
A1からペースを少しづつ掴んでいるが、予想タイムより10分程度遅い。ここでも補給はほんの1分程度に抑え次の山中湖に向かう。

A2-A3区間は難なく進みあまり風景に記憶がない。ただ、覚えてるのは、「この闇が明けて、太陽が昇って、再び暗くなるまで自分は走り続けなければならないのだ」、とふと考えてしまい、先の長さに気が滅入りそうになったのを良く覚えている。

A3到着 39.3km 5時間29分、in149位、out134
ここでも休憩は2,3分程度。給食して水を補給して出発

A3からの最初の別荘地内のロードと山への登りで数人を抜く。あまり無理せず心地よいペースを意識する。三国山に向けて山の斜面を一旦下り、登り返す斜面があるのだが、そこでは、真っ暗な闇の中、対面の頂上に向けて点々と光るライトがみえた。幻想的な風景だった。トップはもうどのへんまでいってるのだろう?ふと頭を過る。

三国山から大洞山にかけての尾根道はUTMFのコースでももっとも好きな場所の一つ。
適度な起伏で走りやすく、周りは広葉樹の見通しの良い林が連なっており、少々神々しい雰囲気だ。ただ生憎今年は真っ暗闇でブナの美しい森はまったく見えない。

A4に向かって下り始め、徐々に斜面が急になるところで、1名の女性選手が道をあけてくれた。さすがにこの位置での女性は珍しい。海外選手だった。日本的なテクニックを必要とする下り斜面なので慎重に降りているのだろう。軽く手をあげてお礼の意を示して先をいった。

長い下りで脚にも負担だし、そろそろ大腿四頭筋を休めたいな、と思い始めた頃にようやくロードに出る。そこで少し飯場ばて気味になるがエイドまですぐなので補給せずに走る。すると先ほどの女性選手に追いつかれた。しばし並走。すらっとした欧米人体型の選手である。どこから来たの?ときいてみると、「ウルグアイから」とのこと。いろいろな国から選手が集まっているもんだ。この位置なら女性でもレベルの高い選手のはずだ。

A4到着 55.7km 7時間47分、in118位、out109
ここも給食と水の補給で2分くらいですぐに走りはじめる。まわりには人の気配はなくポツンと一人のライトで走る。

ここからA5までは延々とだらだら登りである。スタートから8時間、23時。昨年はちょうどこの時間の富士宮あたりから疲れが出始めて徐々にペースが鈍ってきた。今年の方が余力感は高い。

しばらく歩かないようにちょこちょこ走っていると、後ろからライトがポツリと見えた。ライトは道の曲がりで見えたり見えなかったりしながら着実に近づいてくる。今日はスタート以降ずっと抜く一方で抜かれたことがないので少し残念に思ったが、さっきのウルグアイ選手だろう、しかたあるまい、とあまり意識しないことにする。

そのうちその選手に追いつかれ、しばしすぐ後ろで同じペースで並走されるのを感じる。やはり女性のランナーだった。「抜いていいよ」とジェスチャーで道をあけるしぐさをすると、不意に日本語で話しかけられて驚いた。

その後、その女性選手とはしばらく会話しながら一緒に進む。それは網蔵選手だった。2013UTMFの女性4位。色々なところで活躍している方。失礼ながらその時は知らず、お互いの自己紹介をしてはじめてしった。

なんだろう、暗闇の中なので声だけの会話だったのだけど、この世界で活躍する女性特有のそこはかとない明るさとポジティブさをもった魅力的な方だった。共通の友人に田島利佳ちゃんがいることがわかった。利佳ちゃんの顔の広さには本当に驚く。

「今年は30時間きりたいんです」と話すと「昨年27時間台で今年もペースはかわらないから大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

その後、道はオフロードになり、時に短い下りも織り交ぜながらひたすら登っていく。途中もう一人の男性選手も一緒になり3人がそれぞれのペースで抜きつ抜かれつ100200mの範囲でA5に向かう。

やがて礫の崩れやすい斜面となり登りの角度がきつくなってくる。もうすぐA5

A5到着 65.6km 9時間24分、in106位、out101
夜の12時を回ったところ。時間的にはほぼ1/3。標高も高く身体が冷えてはいけないので、ここもきっかり2分の休憩。補給食をとって次に進む。

エイドの休みは他の人より短いのか、エイドで人を抜くことが多い。一緒にエイドインした人より一足先にエイドを出た。礫の急斜面を戻るように下って舗装道へ、そこからはだらだらと登り返し。一番苦手な区間。ペースを維持しようとしつつも、少しだけ歩いてしまう。

A6到着 71.5km 10時間07分、in98位、out96
ここのエイドは素通りしてもよいかな、と思いつつも一応寄ることにした。このエイドは一番標高が高く1400mを超えている。時間も夜中の1時で気温は低下する一方。身体が冷えないよう最低限のエイドで済ます。ここも2分程度。

A7までは程良い傾斜の下りが続く。一番得意な部類の下りである。エイドの時点から数人の選手とパックになった。一人で下ればほんの少し速いペースかもしれないが、脚のことも考えて、集団のペースに心地よくはまって下ることにする。幾名か歩いている人を抜いた。このあたりで歩くと残りの90kmは厳しいだろう。自分もいつそうなるか分からないが。。。
1時間近くで林道に出る。折り返しの選手と幾人かすれ違うと、見慣れた風景のこどもの国がみえた。今年はエイドが道からすぐの駐車場なので少しのことで走る距離が短くて済んだ。

A7到着 80.5km 11時間18分、in83位、out83
昨年はここでぺたりと座り込んで休憩が20分以上となり、そこからのペースががくんと落ちた。今年は10分以内を目標に、荷物の入れ替えをする。後半の食糧補給(ドライフルーツ、羊羹、飴、シリアル)、地図の入れ替え、Tシャツの交換。靴はそのままBushidoで走ることにする。昨年よりもここの時点での闘志は高い。走りだす時に時計を見るとスタートして11時間30分。10分は少し超えてしまった。

再び砂利の林道に向けて走ると、直前に女性ランナーがいた。網蔵さんだった。エイド付近のサポータかスタッフかにあちこち声をかけられて笑顔で答えている。A6以降こちらが先行していたのだけど、このエイドの休憩で追いつかれたよう。

走りだしの脚は恐ろしく硬直して重かった。昨年も経験したけど、氷点下0度近いエイドで休憩を10分もとってしまうと、あっという間に筋肉は冷えて硬直してしまう。脚の暖気運転が必要、温まるまでペースを落として我慢するしかない。前の網蔵さんがみるみる小さくなっていった。

20分ほど走ってようやく脚が動くようになった。この区間は基本下り貴重。砂利道なので、足に負担のかからない路面を探しながら脚を運ぶが、身体的には大分楽である。
W1まではオリエンテーリングで良く使う森の中の林道なので、暗闇の中オリエンテーリングマップを思い浮かべながら、今このあたりかな、と想像しながら進んでいく。

W1への中間点で、森の中にひっそりたたずむ岩倉学園が見えた。夜中の3時。施設も電気がすべて消えている。いつもお世話になっている職員の方や子供たちもすやすや寝てる頃だろう。
このあたりになると、選手の密度も大分ばらばらになる。前後の林道でライトが一つ見えるか見えないか、という場合が多い。前に新たな灯りを見つければ勇気づくし、逆に後ろにライトの気配を感じると、心なしか焦りを感じる。それでも基本は自分が砂利を踏みしめる音だけの世界が延々と続く。レース中一番孤独を感じた区間である。

W1手前は村山口の地図の中の林道。ここは暗闇でも自分が地図の中でどこを走っているかわかる。エイドまでもそう遠くない。ここで網蔵さんに追いついた。2,3言葉を交わしたように思う。「マイペースでいきましょう」といったたぐいだったと思う。これ以降は合わなかった。

W1通過 94.9km 1304分、72
水は十分にあるので素通りする。

A9に向かう道。鉄塔下の細かい2030mの起伏を繰り返す。こういう場所はオリエンテーリングで慣れたリズムか比較的得意である。
ここでは小柄で筋肉質の男性選手に追いついた。彼は僕より元気そうだがコースのマーキングを見つけるのが苦手のようだった。トレイルが細くて曲がっている個所やマーキングが見えにくい場所などで、止まったり、少しうろつくことが多い。
明らかに体力的な面で損をしているように思える。鉄塔下のトレイルを斜面と沿った方向に進む、という大筋のイメージが出来てないのだろう。地図でコースのイメージをつかんで走ることは体力的な面でも明らかに効率的である。

彼がまたもや道を見出せず止まっている時に、抜きながら「こっちですよ」と教えると、「まったく参るよ」といったジェスチャーと聞きとりにくい言葉がが返ってきた。香港の選手だったのだろう。彼はその後少しづつ後ろの気配が消えていた。

 そのころには空が白けてきた。やはり明るくなると気分も上向いてくるもんだ。これから向かう天子山塊が遠くに見えた。

A8エイドが見える道にきて、「鹿島田さん!」と声が聞こえる。東北大OBの安斎君だった。応援に来てくれたらしい。この早朝から小さいお子さんも含めた家族できていた。知り合いの応援は本当に力が入る。「調子よさそうですね!」並走しながら声をかけてくれた。

「ここまではね、でもこれからが本番」

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信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...