「かしまださ~ん、代々木のオリエンテーリングの申請のしかた教えてください」
パークO会場で皆川さんらしい単刀直入のお願いを受けたのは、ちょうど1月ほど前。
おじさんの部類にはいる自分としては10以上も若い女性に明るく声をかけられると思わず頬の筋肉がゆるんでしまう。
「誕生日に平日夜のパークO大会をやりたいんですよ!」
お!なかなか目の付け所がいい。ヨーロピアンな感じでなかなかよろしい。実は僕も平日パークO練習はやってみたいと思っていたことの一つ。参加したい気持ち8割、先に越されてしまった感2割。取りあえずその件に詳しい友人を紹介した。
さて、今日がその誕生日記念大会。
全日本から3日。個人的にはレース後の単純な喜びから、いろいろ複雑な思いも感じ始めていたころである。ちょうど肩をはらず楽しめるイベントがとてもタイムリーにやってきた。
仕事が手すきなのをいいことに定時でさっさと退社。山手線に乗って原宿駅を降りると、まだ明るい中代々木の桜がきれいに並んでいるのが見えた。
そして、いましたいました。地図を片手に花見客の中を縫うように走る人。
急にワクワクしてきて、小走りに織田フィールドへ。
いつにもまして多くのオリエンティア。特に学生が多く集まっている。
当の皆川本人も忙しそうに働いていた。
さすがに出走の準備が出来たころには薄暗くなり、用意してきたヘッドランプを装着。
ライトをつけてアップをすると、トラックを走っている人の不思議そうな視線を感じる。
いざスタート。ほとんどもうナイトパークO。しかもミニフラッグでピンポイントのアタックが要求される。
パークOとしては簡単すぎる代々木でも十分テクニカル。
なんといったらいいか、Catching FutureのナイトOヴァージョンをやってる気分。
何度となく花見客の間でうろうろ。暗い中木の根につまずかないように走るのもなかなかスリルがある。13分のレースを集中して楽しめた。
この日はかれこれ50人くらいきてただろうか。普段織田で見ない人も沢山きて、周りの人もなにかしら?とちょっと興味をそそられているようだった。
一度はやってみたいと誰もが思う平日夕方のパークO。実現した皆川さんは偉い。
でもこうしてみると、やはり願うのがサマータイムの導入。夏至前後なら8時までヘッドランプなしでレースできるはずだ。アフター5の楽しみの幅がすごく広がると思うのに、日本ではなぜか導入に消極的である。
なにはともあれ皆川さん、お誕生日おめでとう! そして来る日光のレース頑張ってください。
さて、2本のパークOを終えて時計を見るとまだ7時半。せっかくなのでいつものトラック練習へ。10kmのペース走。3'40/kmで入って3'20/kmまでビルドアップ。久しぶりに35分台。全日本の疲れもなさそうだ。
練習後ダウンをしながらお坂君と長い間しゃべった。彼は全日本のこと、チェコのこと、種目のこと、色々丁寧に質問してくれた。そして僕は答えているうちに、自分の頭がだんだん整理されてくることに気付いた。
自分にはコーチは存在しない。
でも、自分の考えを書くこと、声に出して誰かに伝えること。そうしているうちに自然とやるべきことの輪郭ははっきりしてくるように思う。コーチングの一番の意義は対話することだともいう。だとすれば、僕にとって、話を聴いてくれる同輩後輩家族みんながコーチのようなものなのだ。
帰りは美濃部君とおしゃべりしながら駅に向かった。鎌倉マラニックをまたやろう。春からの週末もまた忙しくなりそうだ。
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信越100mile 2022
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