子供には自分の半分のDNAが受け継がれる。現代科学では当たり前の事実に娘を見ていると実感する。人の性質や素質を遺伝子に帰納するのは運命決定論的で少々気も引けるのだが、現実としてある程度避けられない事実なのだろう。
娘は寝返りを打つのから歩くまで随分と時間がかかった。そして2歳の今公園で遊ぶ姿をみていると、明らかに同年代の子より動きが幼稚で、背も小柄で幼児体型が抜け切れない。発育が遅いというかのんびりしている。そのくせ言葉だけ達者なので時としてどきっとすることをいって大人を驚かす。
思えば自分も発育は遅いほうだった。幼少期は歩くまでに随分かかり親をやきもきさせたそうだ。自転車に乗れるようになったのも小学校高学年、兄とは2歳違いだが実年齢以上の差で見られた。思春期に入ってもひょろっとしたもやしっ子で周りの子が第二次成長期を迎えても、いつまでも少年を抜けきらなかった。発育の遅さは本来成長の止まる20歳を過ぎてもそのまま尾を引く。
思い返してみると、大学生になるまでまともな恋もしなかったし、会社に入社した二十代半ばで遊びたい盛り。周りが仕事になれて社会に適応し、企業での存在価値を見出す30代に入っても、会社の文化にいつまでも馴染めなかった。年下が多いオリエンテーリング仲間の中で居心地良さを感じていた。外見が若くみられるのも精神の未発育が少なからず影響しているに違いない。
ところが今、不惑を目前にしてようやく仕事の面白さ、企業の社会貢献という崇高な目標を成す事の達成感を今更ながら実感しはじめた。
自分は成長していないのではない。ただ人よりもその成長がのんびりしたペースなのだ。
自分の年齢相応に求められる役割に戸惑いを感じることがある。そんな時、その役割を受けるのにためらう自分の精神構造の稚拙さに、悲観的になることが多々ある。ただあるとき、その根本に自分の発育の遅さ、マイペースな成長があることに気付く。それで溜飲がさがった。
焦ることはない。自分はいつまでも稚拙なのではない。確実に歩んでいる、老けている。ただ、そのスピードが世間の人よりちょっと遅いだけなのだ。そう、感覚的には2割ほど遅い。それは自分のコントロールの利かない遺伝子レベルで決まる運命なのだ。そう考えれば余計なストレスやコンプレックスは感じない。今自分は30代前半だと考えてみよう。すべてが辻褄があう。仕事のマネジメントも、家族との関わり方も、趣味への接し方も。まるで子供の頃少し年下の子の中で居心地良さを感じたように。
さて、もう少し肩の力を抜いて考えてみよう。自分のすべきこと、やりたいことを。
木曜日, 1月 29, 2009
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