月曜日, 3月 02, 2009

泥濘

霜解けの泥濘にはまりこんだような毎日
まるで悪い夢でも見ているかのように、足が地面に潜り込んで進むことができない。もがくように四肢を動かしても周りの景色は一向に進まない・・・。
すべてのことがそんな風に感じられた2月が漸く終わった。今の傾きで最終ゴールまで接線を引いてみると、進捗は全く持って十分でない。もう少しスピードを上げないといけないかもしれない。自分のかかえる問題はすべてがそんな状況に思える。

しかしそんな1か月でも振り返ってみればそれなりに進んではいる。まあ先はようやく見えてきたし、気付くと足元も確かになりはじめた。 3月は物事が好転する気配も見えているし、それほど心配することもないだろう。

恐らく10年前、もう少しハートが初心でセンシティブな年頃だったなら、今のような状況にストレスを感じて参ってしまったかもしれない。
でも、こんな毎日でもノウノウと過ごせる自分になったのは、よく言えば経験によって、悪く言えば歳とともに鈍った感性によってなのだろう。

トレーニングダイヤリーを見返してみると、2月は走行距離が300kmに満たなかった。WOC直後以来のこと。この1月のトレーニングは優先順位が普段の3、4番目くらいから、5番目6番目に格下げされてしまった。そう思うとしょうがあるまい。4月のマラソンまでの準備も、これまた接線を引くと進捗は全く持って十分でない。それでもこちらもそのうち好転するかもしれない。楽観的にそう思って毎日こつこつ進む次第である。


日曜日, 3月 01, 2009

SWOC

ルスツで開催されるスキーOの世界選手権の開催が目前となっている。
今更ながら、4年前のフットに続いて貴重な日本開催のチャンスなはずである。開催に至った経緯は良く知らないけれど、フット以上に競技人口が少ないスキーOでとても高い志があったのだと思う。
残念ながら僕自身はスキーOの経験は一回もないし、今回は全くなにもかかわりを持つことはできなかった。
世界で活躍する選手もしらないのだけど、日本選手はフットOと重なって知っている選手も多いし、一緒に夏に何度も遠征した善徳なども頑張っている。

いろいろ聞くとエースの堀江君を初めとして、パフォーマンス次第でフット以上の好成績が望めるとのこと。

観戦のコツも知らない状態だけど、ネットで観戦してみよう。日本の選手頑張ってください!

土曜日, 2月 07, 2009

坐骨神経痛

35歳頃から冬場の年中行事である。寒い時期に顔を出す。
特にロードでのトレーニングの後になりやすい。関東リレーの後に痛み出したが、原因はその前の週に20~30kmを何度か走ったことだろう。痛み出すとうっとおしい。痛くて走れない程ではないが、ペースを上げるのはつらいし、走る意欲が減衰する。
ただ対処方法はもう慣れている。ジョグの量とペースを落とし、ストレッチと軽いマッサージでとりあえずごまかす。次に時間を見つけて通いなれた接骨院に行き、整体をしてもらう。

脚の長さが若干違うらしい。骨盤のゆがみでそれが助長されるらしくそうすると無理な動きになって痛み出す。痛いのは尻だが原因は骨盤、つまり腰らしい。
骨盤のゆがみを治すと無理がなくなり、自然と治るようだ。今朝やってもらうと、確かに午後のジョグは若干楽な状態になっていた。大事にいたらずひと安心。

水曜日, 2月 04, 2009

関東リレー


加藤は想定通りのタイムで斜面上の誘導に現れた。後続が少なくとも30秒はいないことを確認してタッチを受ける。トンネルを抜け、階段状の斜面をよじ登って白い緩斜面のコンタリングに移る。柔らかい地面に脚が沈みスピード感はないが、走りのリズムは取れているし感触は悪くはない。POLARを見るとすでにHR175、心拍の上がり方は悪くない。


直前の水曜日に走った30kmのペース走で思いのほかダメージが残っていた。木金土と養生はしたものの大腿部の回復具合に多少の心配がある。ウォームアップは必ずしも良い感触ではなかった。しかしいざレースに入ると体は動いてくれた。経験的にレース後数分で心拍がきちんと170以上に上がればまず問題ない。これならそこそこのペースで走りきれるだろう。ほっとひと安心。この時点で第一関門はクリヤ。 


第二関門はテクニック。さすがにさびついてはいないか。確かに序盤はオリエンテーリングにキレはなかった。ラインの乗り換えがぎこちなく、藪や倒木地帯での方向維持が頼りない。ただそういう状態を許容する心構えはできていた。久しぶりのレースであることを考えれば、多少のもたつきはあってもミスしないことが重要。全体のペースは守れて走ることができたといえるだろう。

中盤のきつい尾根沢地帯はそれほどのロスなくこらえ、終盤のスピードレッグに移るとエンジンがようやく温まってきた。道をつなぐレッグでしり上がりに体が動くようになり、最後のロードレッグはかなり心拍も追い込んだ。ここで3連続ベストラップをとっているのは今のトレーニングを象徴している。練習は正直だ。 


三走の村越さんにタッチ。レース展開を聞いて勝利を確信した。村越さんのレースはmade in Japanを象徴するかのように精度が高い。50分±2分は確実だろう。だとすれば他のチームに勝つチャンスはない。案の定50分ちかく経過した後、斜面上の誘導に金髪で独特の走りをする長身のランナーが姿を現した。さすがである。控え目に勝利を祝い、記念写真を撮った。


 今年、他大学OBの布陣はベストとはいえないチームも多かった。そういう要素はあるけれどいつでも勝つの気分いいもの。年齢に20近い分布のあるわがチームは一期一会、そのチームで勝つことに感じる意義もある。ここ数年加藤がよく声をかけてチームをまとめていた。


自身のパフォーマンスはNT選手のタイムが集中する47分前後に落ち着いた。いつもの定位置である。ただ学生のタイムが肉薄していたのは学生のレベル向上のせいか、NTレベルの停滞か。今年の学生は東北大、名大そして東大とかなり面白いらしいので、前者であることを期待しよう。もう2分くらい速く走りたい気持ちもあるが、今はそういうパフォーマンス向上にリソースを割いてないし、そう考えると上出来だったろう。

「あなたたち平均でまだ40はいってないでしょ」しのぶさんになんだかよくわからない自慢をされた。確かに平均すると38歳、まだまだアラフォーチームには及ばない。 

2走のタッチ間際、ゾーンに立つと武田や安斉、多田が後ろに控えていた。15年程前のインカレから停止したままのようなシーン、思わず顔を合わせて笑ってしまったが、そう、あと10年たっても変わらない風景があるかもしれない。 


これで当面オリエンテーリングのレースはおしまい。今度は裏方に回り、3月末の全日本の準備に注力する。インカレはもちろん、全日本ロングでも学生が活躍してくれることを期待しよう。

木曜日, 1月 29, 2009

マイペースに

子供には自分の半分のDNAが受け継がれる。現代科学では当たり前の事実に娘を見ていると実感する。人の性質や素質を遺伝子に帰納するのは運命決定論的で少々気も引けるのだが、現実としてある程度避けられない事実なのだろう。

娘は寝返りを打つのから歩くまで随分と時間がかかった。そして2歳の今公園で遊ぶ姿をみていると、明らかに同年代の子より動きが幼稚で、背も小柄で幼児体型が抜け切れない。発育が遅いというかのんびりしている。そのくせ言葉だけ達者なので時としてどきっとすることをいって大人を驚かす。

思えば自分も発育は遅いほうだった。幼少期は歩くまでに随分かかり親をやきもきさせたそうだ。自転車に乗れるようになったのも小学校高学年、兄とは2歳違いだが実年齢以上の差で見られた。思春期に入ってもひょろっとしたもやしっ子で周りの子が第二次成長期を迎えても、いつまでも少年を抜けきらなかった。発育の遅さは本来成長の止まる20歳を過ぎてもそのまま尾を引く。

思い返してみると、大学生になるまでまともな恋もしなかったし、会社に入社した二十代半ばで遊びたい盛り。周りが仕事になれて社会に適応し、企業での存在価値を見出す30代に入っても、会社の文化にいつまでも馴染めなかった。年下が多いオリエンテーリング仲間の中で居心地良さを感じていた。外見が若くみられるのも精神の未発育が少なからず影響しているに違いない。

ところが今、不惑を目前にしてようやく仕事の面白さ、企業の社会貢献という崇高な目標を成す事の達成感を今更ながら実感しはじめた。


自分は成長していないのではない。ただ人よりもその成長がのんびりしたペースなのだ。


自分の年齢相応に求められる役割に戸惑いを感じることがある。そんな時、その役割を受けるのにためらう自分の精神構造の稚拙さに、悲観的になることが多々ある。ただあるとき、その根本に自分の発育の遅さ、マイペースな成長があることに気付く。それで溜飲がさがった。


焦ることはない。自分はいつまでも稚拙なのではない。確実に歩んでいる、老けている。ただ、そのスピードが世間の人よりちょっと遅いだけなのだ。そう、感覚的には2割ほど遅い。それは自分のコントロールの利かない遺伝子レベルで決まる運命なのだ。そう考えれば余計なストレスやコンプレックスは感じない。今自分は30代前半だと考えてみよう。すべてが辻褄があう。仕事のマネジメントも、家族との関わり方も、趣味への接し方も。まるで子供の頃少し年下の子の中で居心地良さを感じたように。


さて、もう少し肩の力を抜いて考えてみよう。自分のすべきこと、やりたいことを。









土曜日, 1月 24, 2009

マラソン再挑戦

なぜそう決めたのだろう?

自分でもあまりよくわからない。妻の誘いにすんなりOKしてしまった。強いなにかがあったわけではない。多分たまたまマラソン中継を見たとか誰かの完走記を見てちょっと感動したとか、そんな他愛もないことでなんとなく走ってみたくなったのだと思う。
ただ、今の自分の生活のペースにはあってるかもしれない。練習はどこでもできるし、特別な工夫も必要としない。生活と仕事の間にトレーニングをもぐりこませているような今の自分には、一番モチベーションが沸くかもしれない。

遠い記憶を紐解いてみると、自分が走ったマラソンは過去2回。
一度目は26歳のころ、入社1年目で一旦落ちた体力を戻すための刺激として走った埼玉マラソン。当時は今よりはるかにスピードがあったからハーフは74分台で楽々通過、ところが例に漏れず35キロ過ぎに失速して2時間37分台だった。
ちゃんと練習すれば20分台を狙えると言ってくれた人もいたけど、当時はあまりマラソンに興味がわかず、そのままチャレンジせずしまい。
二度目は31歳のころ。やっぱりこのころも低迷期から脱した時で、冬にいいトレーニングができて自己ベスト更新を狙って走った。ところが調整に失敗してはじめから自滅、記録はよく覚えてないけどたしか2時間50分を超えていたと思う。

そして今回3回目。
それほどこだわりはなく、ぬるいぼやっとしたものでしかないけれど、目標は2時間30分台をもう一度、あわよくば自己ベスト。これは冷静になると少し厳しい。でも手が届かなくもない手頃な目標でもある。
4月に1レース、そしてうまくいけば9月にもう一度走りたい。

その先に何があるのか。すごく漠然としているし、今年だけの気まぐれかもしれない。だけど今は楽しくやりがいのあるトレーニングライフになればそれでいいのだろう。

金曜日, 1月 09, 2009

次のレース

新年明けて新たな年

久しぶりに緊張感のある目標が目前に出来た。
関東リレー。
昨年は惜しいところで優勝を逃した。今年も同じ村越、加藤と望む。勝利への想いは募る。
平均年齢40にも近い3人のチームだけど、なんと現役全日本チャンピオンが2人もいるチームだからそうは負けられない。
そういう意気込みとは裏腹に現実を見れば、森でのレースは昨年チェコから数えて2回目。森を走る筋力はもちろん、テクニックも流石に錆びてないか。技術的には若干自信過剰気味の自分でもさすがに不安がよぎる。

でもシンポジウムの時の藤沼君の言葉が頭に浮かぶ。

「新潟大にいた時は時々しか出られない分、ひとつひとつのレースを集中してのぞんだ。関東の人はオリエンテーリングができるのが当たり前で逆に準備が甘いのではないか」


いいこと言うなあ。そうそう、レース密度とパフォーマンスは必ずしもシンクロしない。

今だからこそできる集中したレースができるかも。そう思えばなかなか走りがいがある。


信越100mile 2022

<レースの記録を忘れていたので後から記載>  START 18:30  日没して約30分、暗闇の中スタート。序盤はスキー場の中の登りとトラバースを繰り返す。 2,30分で下りからロードに出てそこからは比較的平坦のパートが続く。1時間30分くらいで斑尾山に向けて急登が始まる。...